私はココイチが好きだ。
哲学のない必要最低限だけのカレー、雑な揚げ物、やる気のないドリンクメニューが好きだ。下世話な一杯飯屋なのに割高な値段設定で客の足切りをしているのが好きだ。そこには懸命に働く外国人店員を怒鳴りつけて悦に浸るクシャクシャスーツの禿も、インターネットを長時間見ただけで賢くなったとイキるコスパ・コスパと囀る哀れな卑しい人々もおらず、心穏やかに思う存分ジャンクなカレーと向き合うことができる。。。そんなココイチが好きだ。
ここで下賤な一杯飯屋と縁遠い紳士淑女の皆様方へ、あなた方には一生関係しないであろうココイチのオーダー手順を説明しようと思う。同志とアンチの諸君は読み飛ばせ。
ココイチはラーメン屋や牛丼屋じみた定食もやっているカレー屋とも違い食券システムを採用していない。ルーの種類、辛さ、飯の量、揚げすぎて凄く良く言えばクリスピーな各種揚げ物、チーズ・煮込みチキン・豚しゃぶなどルーに混ぜ込む系トッピング、この複雑怪奇なカスタマイズメニューを入店後の着席と同時に出される水のタイミングでオーダーするか、この迷宮を心行くまで彷徨い、とりあえずその出口にたどり着いたものとして、ある種の諦念と共に店員を呼びオーダーするかの2択となる。ちなみに私は迷宮派である。しかし即決派の蛮勇には憧れるものがある。
そうして決めた本日のオーダーは、チーズカレー2辛温玉トッピングだった。出てきたカレーを前にして、さてどのような割合でカレー・チーズを配合し、白い砂浜たる飯をいただくか、どのタイミングで干乾びた福神漬けのシャクシャクとした触感を加えるか、温玉はいつ割るべきかなどと愉悦の微笑みと共に熟考しているときにそれは起こった。
この煉獄一歩手前の楽園ではついぞ聞かない奇声が、穏やかな空間に響き渡ったのだ。
「入ってから1時間もたっている!オーダーも取りに来ないとはどういうことだ!!」
私と同じカウンターの、その端に座った男が怒りの声を上げていた。その男はカウンターを叩き、横板を蹴りつけて世の中の不平等すべてが我が身に降りかかったかの如く怒りを振りまいていた。
しかし、待ってほしい、ココイチでそれはおかしい。
その男の前には水が出ていた。そう、水が出されたときにオーダーを聞かれたはずだ。そこでオーダーしていないなら男を迷宮派と判断した店員は「お決まりになったらお呼びくださいね」と告げて静かに去っていたはずだ。そして1時間も迷宮を彷徨う本格派の男を、店員は急かす事なくその場にいる事を許してくれていたはずだ。仮に店員の呼び掛けを聞き逃していたとしても、なぜこの浅黒く愛嬌のないタイプの猪八戒のような風体の男は、1時間も無音のまま火に掛けられ続けた圧力釜のごとく不穏な怒りをその身の中で凝縮し、突如奇人如く炸裂させているのか。なぜ、なぜ。。。
私は急ぎカレーを掻き込むと店を出ようとした。レジは男の後ろを通らねばならなかった。哀れな店員たちはよほど急いでカレーを用意したらしく、すでに猪八戒の前には私と同じチーズカレーが出ており、豚のごとくカレーを啜り上げていた。その余りに浅ましい様を見たとき、私の中で説明のつかない激しい怒りが恐ろしい勢いで燃え上がった。もしその時、ココイチのいかれた固さの揚げ物を貫くフォークがこの手にあったなら、思いのままに黒豚じみた刈上げ頭に突き立てていたかもしれない。そんな己の中の怪物に慄いた私は会計を済ませ逃げるように店を去った。
さて昨今、凝縮された怒りを突如として炸裂させ、無辜の人々を脅かす可能性のある人物について、インターネット上の人格者と怪物と大多数のぼんやりした人々が、死すべきか、死ならざるべきかについて議論を交わしていたが、このお話の死ぬべき人々は誰なのか、そんな事を聞いてみたい夜だった。