はてなキーワード: 国旗掲揚とは
国際卓球連盟(ITTF)は昔っから自らの競技の「政治利用」にわりと積極的な組織だ。
国際問題の調停を、競技を通して、かなり踏み込んだ立場でやろうとするとこがある。
ITTFは第一次大戦後、国際的融和ムードが支配的だった1920年代半ばに創設された。
初代会長はコスモポリタン的人物で、「スポーツを通して国の垣根を無くしたい」と公言。
40年以上にわたって在職し、組織の基底的な思想を決定づけた。
たとえば創設以来、世界選手権においては長年にわたって、表彰台での国旗掲揚・国歌演奏は行わないものとされていた
「紳士淑女の友好的遊戯」という競技的ルーツへの自負もまた、融和を尊ぶ姿勢を醸成した。
対日感情の極めて悪かった第二次大戦直後の1949年、いまだ占領下にあった日本の再加盟を、
国際競技団体としていち早く認めている。
「スポーツを通じて世界をつなぐ」積極的行動モデルとして結実させようとしたのが3代目会長の荻村伊智朗。
会長在任中は、91年世界大会に最初の統一コリアチームを実現させた他、
地球ユース選手権にてイスラエル・パレスチナ両国のジュニア選手に共同で宣誓させる等々、
末期がんによる死の一週間前にあってなお、病身を起こして会場に駆けつけた。
その後も国際的緊張の当事者同士を共に組ませて国際親善大会をしたりと言ったことを継続的にやっている。
またたとえ、国際的承認を十分に得られていない地域の協会であっても、
火中の栗を拾うことをあんま恐れない。
たとえばWikipediaの『コソボの国際競技連盟への加盟』の項を見れば、
2011年に当時の会長も「ピンポン外交は次の時代へ入った」とコメントしたように、
「競技の政治利用」すなわち「外交的融和を目指して自らの競技を積極的に活用してく」ことは、
ITTFにとっては継承されたレガシー、自覚的ミッションのおもむきすらある。
そこら辺を踏まえた上で、例の件について言うと、
まず先だって出された板門店宣言にスポーツの合同チームの結成が盛り込まれていた、という背景があり、
競技団体として、こういった特例を認めた場合の今後への弊害を考えることになるんだろうけど、
現実問題、ここまでの歴史的条件が揃って、大会開催期間とタイムリーに重なるということはそうそうあることではない。
前例化したとしてもそれを以ってなし崩しにはなりにくいと思われる。
そしてコソボ承認の件もそうだが、国際問題に先陣切ってコミットすることを恐れない連盟の体質。
むしろ今後に続くであろう統一チームの流れに先鞭をつける機会を、
わざわざこのような特例措置を用いてまで自分たちが最速で提供することに、
使命感とか陶酔とか覚えててもおかしくない。いやまあ偏見だけど。
選手たち当事者には、やっぱりアンフェアじゃないの、という権利は正当にあると思う。
しかし現時点で報じられる限りでは女子日本代表に動揺はないという。
日本卓球協会側も「スポーツを通した世界平和を目指している」「歓迎したい」とか受容的コメント。
本音は、とか言い出したらキリはないが、卓球界に長年育まれてきた感覚ではこんなものかもしれない。
卓球界では過去に複数回、統一コリアチームが結成された前例があり、心理的に受容の土壌もある。
それに実際、日本女子の実力から言えばことさら動揺する必要もない。
んなこと言ってると91年大会の中国みたいに足元すくわれるけどな!
今回の合同劇が卓球界の受け継いできた流れのひとつの結実だとするなら、
荻村の母国である日本が真向からそれを受けて立つのも、ある種の本望、度量の見せどころ--なんて言うのは
あっくん(団地住み、川沿い住み、隣の家と屋根が繋がっている、家の壁にマルフクの看板、家の近くの道が異様に広い、
最寄駅が信濃町、実家が西ノ宮、実家が焼肉屋、実家が肉屋、実家が靴屋、
親が居ない、親が若い、親が定年、晩御飯17時、箸が金属、冷蔵庫は下の部分が冷凍室、冷蔵庫にシールを貼っている、
苗字に金が突いてる、苗字に星が付いてる、苗字が1文字、苗字がない、
家の壁に共産党のポスター、家の壁に100万円で世界一周の旅のポスターが貼ってある、
黒人、中国残留孤児の子供、在日、君が代歌わない、祝日に国旗掲揚、毎月靖国に行く、
天理教、創価、イスラム教、カレーに豚肉を入れる、カレーが鶏肉、カレーに肉をいれない、
つり目、出っ歯、歯列矯正中、奥歯が全部銀歯、真性包茎、下半身に汗をかかない、足が臭い、
右手がフック船長みたいになってる、左手にサイコガンがついてる、爪が黒い、腕に火傷、
プールはいつも見学、友人のゲームソフト盗み常習犯、遊戯王カード盗んで転売、MTGのパック全部空ける、
カンチョーすると謝る、トイレするときに鍵を閉めない、布団を干さない、食パンに塩をかける、牛乳に砂糖を入れる、シチューをご飯にかける、パチンカス、金遣いが荒い、
車が外車、虫歯出来たことがない、ハンコ注射の痕がない、食パンは8枚切り、目玉焼きにコショウをかける、カルピスが薄い、
兄に用水路に突き落とされて死亡)
https://this.kiji.is/207438898890506241
情報提供の受付
https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
小学校の帰りの会で、ケンカ相手の男子生徒を憎むあまり「○○君はいけないと思います」つって直接関わってないクラスメイトを強引に自分サイドに引き込もうとする頭の足りないブスみたいだ。
んで引き込まれる人々のまた滑稽なこと。
甚大なダメージをくらったフランスを応援したいという気持ちもそれ自体はいい。
プロフィール写真に国旗を重ねるというその発想が気持ち悪いのよ。
国旗掲揚とは愛国心のひとつの発露であり自らの国民としてのアイデンティティを示すものだ。
震災以降の、頑張ろう日本の日の丸掲揚の数々は、そういった動機によるものだと理解している。
お前はフランス人なのか。親兄弟にフランス人がいるのか。フランス人の友達がいるのか。
あるいはフランスを旅行したときにその風土や国民性に魅せられ、なにがしかのシンパシーを感じているのか。
それならまだわかる。
友人に、フランスに短期留学を繰り返し、学んできたことを仕事に全面的に活かしている人がいる。
しかしそれ以外のやつら。
あるいはテロに対抗してるつもりになっていいことしてる気分になりたいだけだろ。
フランスを応援したいなら、フランスを応援しますという声明を出せ。
軽々しくプロフィール写真にそんな加工を許すな。
ただ顔写真が三色になってる大部分のやつらの軽薄さが気にくわないだけだ。
http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/04/004426
自分の話なので徒然として結論もない。
自分は育った家庭が日本ではかなり右寄り(アメリカなら普通くらい)で、外の世界に触れる前から中国人・韓国人は劣っていて悪いひとしかいないと教えられてきた。あと部落とか。とってる新聞はもちろん産経新聞。女は家庭に入るべきだし教育は不要、みたいな。母親が共産病院で働いたことがあって、その反動だったっぽい。
ほいで入った小学校が極左。校長が壇の下から壇上の卒業生に卒業証書を渡すみたいな意味のわかんないことをする(なんか偉い人ほどへりくだらないといけないそうだ)ほど極左な学校。もちろん同和教育とかもするし、原爆とか沖縄の基地とかの授業もいっぱいあった。国歌は習わなかったし、国旗掲揚とかもない。
小学校1年生にして価値観がぐらぐらとする。あれはたぶん実際体験してみないとわからないと思うけども、無自覚で受け入れていた思想が悪で、悪いと思っていたことが正義だと言われ、しかもみんなが無邪気にそれを信じているという状況に直面し、六歳の自分はものすごく混乱した。ただ子供なのですぐに順応した。子供的には楽な環境だったし、拒否する理由も、それを考える頭も当時はなかった。
その後、家庭の事情で転校し、今度は保守王国にきた。これまたすごい。イベントのたびに国旗掲揚、国歌歌うはともかく、集団行動を叩きこまれてそれを乱すとものすごい体罰。なんだここは地獄かと思った。それまですごいリベラル(といえばいいがまぁ野放図だった)だっただけに嫌悪感が半端ない。軍国主義じゃね、これ、みたいな。そん時が八歳。八歳なので軍国主義という語彙はなかったが、侵略戦争という言葉は知っていたのでこれはいけないことだ、と思った。ただ逆らうと体罰があるので大人しく従うほかない。
で、子供だったので順応するかとおもいきや、全然しなかった。学校大嫌いだったし、団体行動とかクソだと思ってたし、女子の幸せは結婚して子どもうんで家庭に入って、だから勉強だってそんなに頑張らなくていいのよ、役職はいつも副で男を立てましょうみたいな思想はクソ食らえだと思ってた。年齢相応の知性はあったのでそれをおおっぴらにはしなかったけど、ひっそりと拒否してるつもりで高校まで出た。
んで、大学入ってまたびっくりした。大学っていろんな地方から人が来るので、生まれた時からそれまで一貫して同じ思想を注ぎ込まれている人というのは多くいる。それ自体は別にどうでもよくて、そういう人と話した時に六歳や八歳の時に感じた、なんかよくわからない怒りというか嫌悪感というのがほのかに蘇ってきて、すごくたじろいだ。たじろいだというしかない感じ。
折り合いをつける過程で、子供の自分にできたのはどっちの思想も否定するということだった。受け入れない。受け入れないで適当にまわりにあわせてやり過ごす、というのが一番いいと思っていたし、誰かが強弁するならそれに合わせとけって思ってた。けど、ちょうど小泉さんが政権とってる時代で、靖国問題とかが出てきた時期だったんだが、それで当時の彼氏と言い合いになったんだよね。彼氏は関西の人でいわゆる「自虐史観」が正当だとおもってて、そもそも靖国神社には犯罪者が葬られているから参拝すべきでないという立場(らしい)。んで自分はまぁ、戦没慰霊はゴタゴタ言わなくていいんじゃないの、夜はどうせ墓場で同窓会でしょみたいな主張。
激しく言い合ったわけではないんだが、二、三言葉を交わした時に、どうしても彼氏の言葉が受け入れられないと思ってしまった。これに自分でびっくりした。びっくりしすぎてその後反論するのはやめてしまったくらいショックだった。日本で見ればやや保守、一部リベラルだから中道だろうと思ってたけど、がっつり保守派じゃん、無意識にそうなってたわ、と気づいたときはショックだった。しかもあんなに嫌いだったのに。
その後も地味ーに韓国嫌いだったり(口には出さないけども)(そして中国は不思議なことにそうでもない)、地味ーにおしゃれしているお母さんに冷たい視線を向けてしまったり、地味ーに結婚したり子どもうんだ友だちに嫉妬したり、そのたびに自分が保守的なことに気付かされる。逆に男性に対してはどうせ女だし軽く見てるんだろっていう気持ちが拭えなくて、気をつけないとつっけんどんな感じの対応をしてしまう。ほんでそのたびにショックを受ける。
結局一番最初に入ってきた時の思想から抜け出せないんだなぁってことを今も時々思う。意外なことに無意識に無条件で受け入れてることってたくさんあって、意識的に気をつけていても、気をつけきれないことってたくさんあるんじゃないかな。結局自分の頭で考えるってなんだろうって、こういう話題が出るたびに思う。全部は考えきれないし、把握もできない。多分これからもショックを受け続けるんだろうなぁ。
話が横にそれるけど、君が代や日の丸に反対する教師をリアルで見た事がない
私が通ってた小学校じゃ、校庭には大理石の国旗掲揚台が堂々と鎮座してて、毎週月曜日の朝礼では君が代の音楽が流れ、国歌斉唱に合わせて国旗がするすると昇るのが当たり前の光景だった
音楽のテストじゃ一人ずつピアノの前で君が代を歌詞カードを見ないで歌う試験があり、きちんと歌えるようになるまでパスできなかった
運動会が近くなると週に二回・二時間ぶっ通しで四列縦隊で行進する練習をし、足を揃える事、直角に曲がる事に命をかけてる風だった
戦後のアメリカ式教育よりも、戦前の軍国主義的な教育のほうが色濃く残ってたような気がする
もちろん地域によるのだろうけど
関連してこんな記事もあった。
一方で、斎藤氏の「市民の党」は、かなり“反日的”で過激な一面をも持つ。
2002年5月、当時の中田宏横浜市長が施政方針演説をしようとした横浜市議会定例議会。そこで突然、女性市議2人が議場正面に立てられた国旗を引き下ろそうとした。この暴挙に出た市議が、「市民の党」所属議員だったのだ。
この場では、市職員が女性議員たちを強制退場させた。だが、あくまで国旗掲揚に反対の2人は議長に公開質問状で退場命令の説明を求め、回答がなかったなどとし市議会の議長席を約5時間にわたり占拠した。結果、2人の市議は懲罰委員会で最も重い除名処分。日本では極めて特異な事件として記録されている。
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。
ひさしぶりに気持ちの悪いコラムを読んだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110602/220377/
そもそも「日本の公立学校の」先生にならなければ、判決の影響は避けられるよね。
私立の学校で、式典で国旗掲揚も国歌斉唱もないところもあるし、
インターナショナルスクールの式典で日本の国旗国歌を強制しているわけじゃない。
そういうとこ探せばいいのに。
小中学生くらいで音楽の教科書の君が代の上に関係ないプリント貼らされて、
歴史の授業で「日本は悪いことをした」って教科書に書いてないこと刷り込まれて、
それは果たして「公立学校の教育」としてどうなのよ?っていう話だよね。
これが教育現場で通っちゃまずいよ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00682.htm
東京都立高校の卒業式で、校長による国歌の起立斉唱命令に従わず、定年後の再雇用選考で不合格にされた元都立高教員の申谷(さるや)雄二さん(64)が、命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決が30日、最高裁第2小法廷であった。
須藤正彦裁判長は、起立斉唱命令について「特定の思想の告白などを強制したものとは言えず、思想・良心の自由を侵害しない」とする初の合憲判断を示し、上告を棄却した。申谷さんの敗訴が確定した。
入学、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を巡り、最高裁は2007年2月、音楽教諭に君が代のピアノ伴奏を命じた校長の命令を合憲としたが、起立斉唱命令を巡る最高裁判決は初めて。
64歳かー。
朝のあいさつ運動とか、交通安全週間とか、朝の読書運動とかは軍隊じみてる気がしたけど、国旗掲揚は普通の日常だった。
そういう視点じゃないんだよね。
「公務員(公立学校の教師も含む)が『俺それ嫌いだから』って理由で仕事をサボってよいかどうか」なんだよ。
そもそも国歌斉唱・国旗掲揚の際に起立しろという命令が職務として正当なものだという判決は、もう何度も高等裁判所や最高裁判所で出まくってる。それこそ両手じゃ数え切れないくらいにね。
それをおかしいと思うのは各自の自由だが、現実は違うって事だ。
赤信号が「止まれ」なのはおかしい(好きな色で進めばいいじゃないか)、車道が左側通行なのはおかしい(好きな車線で走ればいいじゃないか)、大半のトイレや公衆浴場が男女で分けられているのはおかしい(好きな所を利用すればいいじゃないか)、ってのと同レベルなんだよ。「公務員が起立を強制されるのはおかしい」ってのは。
なんでまた義務化とか余計なことをするんだろ。
有権者から選ばれた議員や首長というものは、有権者が納めた税金の使い道を決めるのが仕事。
つまり、税金で雇われてる彼ら公務員が仕事をさぼっていたら処罰するのも彼らの仕事の一つなわけ。
特に大阪あたりはこのサボタージュが各地で長い間横行しているらしいので、是正するために締め付けを厳しくするべきだと知事は考えているわけよ。
ああ、誰ひとりとして金髪どころか茶髪もいなかったし、ピアスもしてなかった。
キャミソールも一度もみたことがない。
ホットパンツも見たことがなかった。
ブルマはたくさん見たけどな。
学校指定のジャージか、おとなしい普通の格好して登校してたし、前髪は眉毛に掛からない程度に切ってたよ。
記憶が確かなら、毎朝15分ほど朝のクラス会の前に校庭でなにかやってた。
教室に戻る時は行進みたいなのをしてたと思う。
水曜はやっぱり校庭に整列して校歌斉唱と国歌斉唱。あと校長以外の人が話をしたり。今週は交通安全週間でどうとか、あいさつ運動だからどうとか。
一応国旗は上がるし国歌は流れたけど、別に整列したりはしなかった。
金曜日は忘れた。
中学校に入ったらずいぶんぬるくなって、月曜の朝礼だけは校庭に全校生徒が集まって校長の話と国旗掲揚と国歌斉唱があったけど、火曜から金曜は教室のスピーカーから国歌が流れるだけだったな。
一応掲揚塔の方向を向いて歌ってたが。
小中高と全部公立だったけど。
暇だったといえばその通り。
というか小学生なんて暇なんじゃないの?
追記
放送委員のメインの仕事は毎朝の国歌を流すことと、給食の時間に音楽を流すことだった。
教育従順県で毎日国旗掲揚と国歌斉唱があった小学校中学校だったけど、思想の強制と思ったことはないんだけど、なんでそう熱くなるんかな?
たとえばさ、生徒の髪型とか服装ってすごく制限されてるじゃん。
国旗国歌はルールではないんだから強制されるのはおかしい!って言うんでしょう?
じゃあそれをルール化しようって話じゃないの?
それもダメといわれたら、国旗国歌を強制されない学校に再就職するしかないんじゃないかな。
ルール化するのも思想良心の自由を侵害してるとか言われたらさ、俺だってあんな制服きたくなかったし、それに関しては侵害してないわけ?
軍服を思わせるけど、それに関してはオッケーなわけ?
左の教師ってなぜかジャージ着用が好きだけど(卒業式とか入学式でもジャージとか)、スーツも元々は軍服だからとかそういうの考えての行動?
起立命令を「他人の内心まで踏み込」んでいるという発想自体がそもそものポイントなわけだ。
ただボケッと馬鹿面下げて突っ立っとけばいいし、命令自体もそれ以上の事を要求していない。教職員に求めている事は「起立しろ」以上でも以下でもないんだよ。
だから彼らの訴えを門前払いしてる判決は、どれもこれも「たかが立つだけの事にお前ら騒ぎすぎ。つか仕事サボんな」としか答えてない。
起立なんて、入学式や卒業式なんかじゃ色んなシーンでやる。たとえば「開会の言葉」で校長が登壇した時とか。普通に「一同起立!礼!」やるでしょ。
だから「どうして国歌斉唱・国旗掲揚の時だけ拒むの?」という当たり前の疑問に、彼らは一度も回答出来た事がない。
つまり「国歌斉唱・国旗掲揚の時に起立を強要される事によって損なわれるもの」はマボロシなわけ。
「思想信条の自由」って風呂敷に包まれてる事もあるけど中身はただの空気。なーんにも入ってない。
そんなマボロシをあたかも実在する何かであるかのように言い立てるから、「じゃあそのマボロシをここに出せ」「その風呂敷を開けてみろ」と判事に言われて彼らはいつも負ける。
上司の命令が「職務上」のものといえるか、その命令は有効か、という問題を先に解決しないといけないような気がするけどなー
その命令が合法かどうか裁判で確定させないと遂行出来ないってことになったら何も進まなくなるよ。
たとえば、今被災地で対応している警察官、自衛官、消防隊員への出動命令が合法かどうか、裁判で確定させるまで彼らは出動してはならない(出動する義務は無い)、なんて事になったら困るだろう?
増田の論法だと、「上司が『A』という命令をした」ならば、「命令を聞かずにAしない者には教師は務まらない」、というのがAの内容に関係なく成立しない?
成立するよ。公務員は上司からの命令を拒んだ時点で何らかの処分が必ず発生する。
裁判でその命令が違憲だったり違法だったりしたと確定した時点で初めて処分に対するリカバリー(賠償金とか復職とか)がなされて、以後同じ命令を繰り返さないよう法律や制度が改められる事になる。
ついでに言えば、国家斉唱時(国旗掲揚時)の起立命令を違憲・違法だとする判例はなかったはず。「処分自体は妥当だけれど処分内容が重すぎる」という判例ならいくつかあるけど。