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はてなキーワード: 中学校とは

2022-02-22

anond:20220222112202

学年      漫画

小学校1年生 そいつの好きな漫画

小学校2年生 そいつの好きな漫画

小学校3年生 そいつの好きな漫画

小学校4年生 そいつの好きな漫画

小学校5年生 そいつの好きな漫画

小学校6年生 そいつの好きな漫画

中学校1年生 そいつの好きな漫画

中学校2年生 そいつの好きな漫画

中学校3年生 そいつの好きな漫画

「この時期に子供にこの漫画を読ませる」って発想がもうまず大嫌い。

いいじゃねーかよ好きな時期に好きなもん選ばせれば。

電影少女だけ本棚の奥に隠しててもいいじゃねーかよ。

未だに反抗期ですいませんフヒヒヒ

2022-02-21

中学校運動会で流す変なテープなんなの

松山千春の歌とか松田聖子の歌を運動会用にアレンジしたやつ

チェッカーズもあった

運動会以外で使い道ないからもったいなくね?

私自身が経験したわけではないが伝え聞く限りでは1980年頃までの日本田舎では魚屋ハエだらけで、水洗トイレなんて無く、住宅不足で納屋に住みながら長男家族にいびられる。 そんな世界だった。

それが2000年を過ぎる頃には一般家庭でもインターネットが利用できるようになり、子供を産むたびに市から補助金バンバカ出るし、小中学校にまでエアコンが当たり前。

しか私たち年金負担が大きいことは不満だが、先人が作ったインフラ恩恵を受けている以上は先人を尊重する必要はあるだろう。

本当の不満は今の負担が大きいということよりも、その負担の見返りを将来受けることが出来ないという予測からくる悲観だと私は感じている。

でも、将来に年金を受け取れる社会にするのは私たち自信の責任だと思う。 そういう社会が欲しいならそういう社会を作るのは私たちである

今の老人たちも決して安穏とした生涯をくらしてきたわけではない。 先人の残した恩恵を受けつつも先人の残した (あるいは作り出した!) 社会問題の解決に奔走した。

そんなことは人類歴史上ずっとずっと続いてきたことだし、仮に老人達が悪の権化だという証拠を突き付けても私達の処遇改善されたりはしない。

改善したければ自分でやるしかしょうがない。

不利なスタート地点に立たされてしまったのは腹立たしいが、だからこそ他人事ではなく私達がやらなければならないことだ。

2022-02-19

anond:20220218105455

スマホ電波問題や何にでも使えたりするが故に逆に禁止されることがあり、その場合電子書籍が読めなくなる。

例えばスマホの電源を切らないといけない病院飛行機電車優先席付近最近は減りつつある)、

そもそもスマホ許可されていない中学校高校

大学の持ち込み可能テストでも外部との連絡を取れてしまうためスマホ禁止されるケースなど。

このような場合でも紙の書籍なら持ち込める場合がある。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-17

小学校給食、男女で同量問題

これってちょっと勘違いされている部分があって

かに高校以降の男女で必要カロリーに多大な差があるのは事実なんだけど

実は小中学校での男女の必須カロリーってそこまでめっちゃ差があるとかじゃないのね。

 

年齢
6~7 1,550 1,450
8~9 1,850 1,700
9~112,250 2,100
12~14 2,600 2,400
15~172,850 2,300
18~29 2,650 1,950

 

上記の表は厚生労働省が出してる大体の摂取基準カロリーの表なんだけど

15歳以降で差が500kcal以上の差になってるのに対して

6~14歳までは差が100kcal~200kcalしかない

なので「給食が男女同量で全く全然完璧問題ない」とまでは言えないもの

2倍も3倍も食べさせる必要はないわけ

 

男の子のほうが「傾向として」外で遊びまわることが多いので

エネルギーを多く摂取する必要があることが多いのは事実なんだけど

人体として必要カロリー自体小中学生くらいのときはめちゃくちゃ大きい差はない

2022-02-16

anond:20220216233321

横なんだけど、小学校中学校で思いやり的行動を学んでそれを実践するみたいなのは

教師監視付きの授業だから従うのであって、本心じゃないのでは。

どちらかといえばあれはお遊戯で「子供は思いやりを学んでいる」って大人自己満足するためのマスゲーム

もし本当に思いやりを学んでいるならこういう社会になってないわけで。

教育は生まれ持った性質を変えるものじゃないし。教育に期待しすぎなんよ。

anond:20220216232940

他者への思いやりと弱い人への助け舟を学んだ経験は今までいっぱいしてきたんじゃあないのかなあ?小学校中学校時代はどうだったか思い出してよ。

弱い人にお金を上げた経験は、、一部の学校しかやってなかったかもしれないけど。

お金じゃない手助けならやってたとこも多くないかなあ。

俺のグーグル先生の初期検索候補がひどい

シークレットモードで開いてるからか知らんが

候補の選定の意味が全く分からなくて怖い

 

カムカムエヴリバディ虚無蔵

大塚家具久美子

プリコネrキャルオーバーロー

オモウマい店ミニおばけパフェ

山形県コロナウイルス感染

古塔つみ

三重県名張市中学校

将棋藤井聡太

パズドラハンターハンター

刀剣乱舞強化プログラム

 

何を考えたらこんな候補を並べようと思うねん

GoogleAIはメンヘラかなんかなんか

2022-02-14

東大に受かってから自分地頭がいいと感じ違いしていた

今は自分地頭が決して良くはないことは自覚して生きてるんだけど

大学生社会人の始めくらいまでは、東大自分自分地頭がいいと勘違いしていた。


念の為誤解のないように言うと、「東大生は頭が悪い」と言ってるわけではなくて

東大であるからと言って地頭いいわけではない」ということを言いたい。そして自分地頭がよくない。



思い返してみると受験とき本当に信じられないくら勉強をして超絶がり勉の末に

たまたま受験成功して東大はいった。とにかく時間と労力をかけて合格することができた。



であったにも関わらず、東大に入ると周りから「頭いいんだね」とか「すごいんだね」という

扱いを日常的に受けることになる。そんな環境にいると自分が本当に頭がいいんだといつしか

錯覚してしまう。その上で、「頭がいい=なんでも直ぐにわかる」みたいな先入観支配されるのか

自分はそういう人間なんだと思い込んでしまっていた。思い返してみると大分痛い。



この錯覚がなにを生むかというと、自分の力を過信することになる。

資格試験かにあんまり対策をせずに望んで撃沈する、ということが起きる。

労力と時間をかけて試験突破してきたタイプなのに、そのプロセスを踏まないで

試験に臨むからそりゃそうである



ある日ふと「そういえば自分がり勉タイプだった」と思い出し、そこからなんとか軌道修正することができたが

気づかずそのまま勘違いしていたらと思うとぞっとする。




日本大学受験は物量と対策突破できる類のものである為、地頭の良さの証左にはならないということを言いたかった。

尚、体感的にはいわゆる超エリート中学校みたいなところ出身のひとは大学学歴関係なく本当に頭がいい率がかなり高い気がする。

幼少期に超頭を使うことで知能がグンと発達するのかもしれないし、エリート中学受験ていうのは頭がいい人間選抜できる仕組みが整ってるのかもしれない。

地方出身の私には真相は分からない)

2022-02-13

中学校の色々な指定のやつの思い出

はてブ体操着を男女統一する記事が載っていた。ブクマカたちの多くは「男女別なんてなかった。学年別ならわかるけど」というコメントを残していた。

そうなのか。ブコメの数々を見て、自分は少し驚いていた。

結論から書くと、自分の母校には男女別・学年別の両方で色分けされたアイテムがあった。だから、ああ自分は(少なくともブクマカ間では)少数派なのかと思っただけの話だ。以下はn=1の思い出語り。

 

自分中学校に通っていたのは10年以上前のことだが、体操着の色は男女別に指定されていた。男子は紺、女子は赤だった。どちらもデザインは同じでとてもダサかったが、紺の方が赤よりは多少マシだった。

体操着は男女別だったが、それとは別に学年色というもの指定されていた。青・緑・黃の3色で、入学から卒業まで同じ色にされる。これは学年章(校章の学年版?みたいなピンバッジ)、サブバッグ(通学鞄に入らない荷物を入れる袋的なもの)、スリッパ(いわゆる上履き)、体育館シューズ適用されていた。色を指定するくせになぜか黄色の学年のスリッパ茶色だった。

自分は今も地元に住んでいるので、時々母校に通う子供たちを見かけるが、体操着やサブバッグの指定は変わっていない様子だった。

 

しかしまあ、今になって振り返ってみるとスリッパとかサブバッグとか色なんてどうでもいいようなものまで指定されてるんだな。そういうので守られてる人たちや成り立つ仕事もあるんだろうけどね。

人間関係メンテするよう心がけたら生きやすくなった件

来るもの拒まず去るものわず精神でやってたら友人が少なくなった。中学校を出てから地元友達とは(仲良かった一人除いて)誰とも連絡先を交換しなかったから、地元には友人が誰もいない。高校大学共にSNSでは繋がっているけれど実際に対面で話すことはなく、就職地方に飛ばされてからはやり取り自体しなくなった。友人と呼べる人間はおらず、ソシャゲにばかり時間を費やす日々。

転職を機に関東に戻り、何の気なしに高校の友人に連絡をした。普通にやり取りして懐かしかった。そいつと遊びに行った(このご時世だから軽く飯を食うだけだけど)。思いの外楽しくて、高校大学の友人に連絡を取り、電話や一緒に買い物に行くようになった。

気づけば毎週のように友人と会い、新たな友人関係(友人の妹の彼氏や友人の同僚など…)が次々と生まれた。ぼっちだった過去が嘘のように充実した日々を送っている。

会社の同僚達との関係も、彼らの趣味嗜好、母校や経歴を知った上で適切な投げかけをすると途端に好意的対応に変わって驚いた。人は自分の話を聞いてもらうのが好きだと気づいた。

定期的に昔の友人とやりとりをして、趣味の話をして、同じ映画Netflixで見て、飯を食い、仕事愚痴を言い合い、30を目前に人間関係の維持のコツ、新たな人間関係の構築のコツを学んだ気がする。少なくとも今、とても人生楽しい

大人の発達障害最近ドヤ顔大手振りだが子供発達障害の方が100倍悲惨だろ

幼児期 → 成熟が遅いのかガチ病気なのか分からず親が発狂

小学校 → アスペへの理解度皆無のガキ共にボコられワンチャン登校拒否。運が悪いとヒマワリ学級行きで教育レベル大幅低下。

中学校 → 思春期不安定アスペアンバランスが大幅加速。精神の均衡が崩壊性犯罪者として仕上がる奴らも産まれやすい時期。

高校  → 対人関係ストレスによる学習能力低下が加速。引きこもって勉強に明け暮れたせいで人間としての成熟未完成になるものも。

大学  → 周りと上手く付き合えずにあらゆる面で不利に。自主自立という言葉の元で突き放されがちなのでここで完全にドロップアウトするアスペ多し。

就活  → 普通に就活を始めたら詰み。普通じゃない就活を始めようとしても方法が分からなければ詰み。違和感無視して大手公務員に転がり込むのが実は正解。

大人  → 金という最強の手札を自力で生み出せるようになっているので意外と何とかなることも。ここまで来れた時点でもう割となんとかなんだよぶっちゃけ

若い女性の寒そうな恰好をみると、よくあん寒い恰好できるなぁ・・・

バカなのかな?って思っていたんだが、最近とある妙齢女性から

若いころは全然寒くなかった。平気だったと言われてハッとした。

なるほど。女性は天然の防寒着(皮下脂肪)で覆われている分だけ、男性よりも耐寒性能が高いのでは?

基礎代謝の多い若い時は、体から発熱によってスカートのような寒そうな恰好でも平気だったのかも・・・

と思い始めた。

ところが、今日たこ記事

中学校運動着、男女同じ色に 生徒会提案で「ジェンダー平等」実現

https://kahoku.news/articles/20220119khn000036.html

スラックスをはく一條さん(左)。「寒い冬はスラックスの方がすごしやすい」

なんだやっぱり、スカート寒いじゃん。

2022-02-12

anond:20220212111409

中学校の時は3年でも小学生と間違えられるチビで異性として見られてなかったで

anond:20220212111307

中学校は共学だろうし

高校でも文化祭とか女子来るでしょ

塾にも女性いるし

なんで恋人作ろうとしなかったの

小学校高学年ごろから中学校までの間にクラス内の男女の溝ができる時期があると思うんだが

その互いに離れている期間に、異性への憎しみの芽を育てててしまった人が多いんじゃないか

男女別の運動系部活動特に溝を深めている気がする

男女混合である塾のコミュニティも持つ子はそうでもなかった

2022-02-08

「=」を、「~は」と言うのをやめるべきでは無いかと思う。

小学校で習いましたよね。

1+1=2

ようするに、1たす1は2という、言い方

これが不味いと思うんです。

というのも僕は「=」の正しい意味を、中学校になってやっと知ったんです。

きっかけは、イコールという表現に変わったからなんです。

「なるほど、右辺と左辺は、等しいのか・・・」と

それまで、日本語の「~は」みたいな感じで「=」を使ってたんです。

そうじゃないんだ。左辺と右辺は等しくあるという意味なんだ!とやっと中学生になって理解できたんですw

その事を友人に言って、「えええ!、いまさら?」笑われたのは良い思い出ですし、俺って馬鹿だなぁと思うのですが

自業自得承知のうえで、あえて責任なすり付けたい

まり、この表現のせいだと

そして、この表現をやめたらどうなんだろうと思うわけです。

なぜこのようなことを言い始めたかというと

もしかして、このアホみたいな間違いを、大人になってもやっている人が多いんじゃなかと思ったんです。

今、家庭教師英語を教えているのですが、学生の使っている参考書

I am busy.(私は忙しい)

という文章の、am説明が=になってて、驚いたんです。

「私=忙しいっておかしいでしょ」と、思いませんか?

じゃあ、忙しいを左辺に移動させると、「私-忙しい=0か?」とか思ってしまます

しかもこんなのを中学生に教えてちゃ、英語ももちろんですけど、数学感覚もどうにかなってしまうんじゃないか心配したんです。

考えすぎですか?

2022-02-07

人との距離感が分からない

 職場研修生がやってきた。

 研修生というのは、一定期間、色々な部門に配属されて、実際の仕事場見学したり手伝ったりする人だ。

 とてもふわっとしてるけど、身バレを防ぐためなので、こういう書き方しかできない。要するに、小学生中学生職場体験のすごく本格的なバージョンだ。

 その研修生の一人に、とんでもないやつがいる。

 好意的な態度をとるや否や、「友達になりましょう」とすごい勢いで距離を詰めてきて、ラインを交換してくれと迫ってくる。うっかり交換してしまうと、朝から晩までラインを送りつけてくる。

 その研修生の噂はすぐに広がり、有名になった。距離感のおかしヤバい人間として警戒されている。ただ、研修自体はきちんと真面目に行なっているので、偉い人に苦情を言いつけて追放することもできない。ラインを交換しろといってきても、断ろうと思えばこちから断れる。何か話しかけてきても、ラインをたくさん送ってきても、こちらが塩対応すれば自然と寄り付かなくなる。ストーカー気質だがストーカー行為はしていない。

 というわけで研修期間が終わるまでそいつとは極力話しかけず、離れておこう──というのが現状である

 ところで、その研修生を見てると、私は心がざわめく。

 私も人と人との距離感が測れない人間からである

 中学生の頃、友達になりたいと思って一生懸命しかけていた相手が、別のところで、私を殴りたいほど嫌っていると話していたとか。

 同年代人間友達になれず、塾の講師学校先生とばかり喋っていた中高生時代とか。

 私をからかってくる人に対し、ペシッと足を踏んでやったら(暴力は良くない)、お前とは友達じゃないか距離感を守れとマジギレしてきた人とか。

 他人とどうしたら「適切な」距離感で、「友達」になれるのか、分からない。

 あの研修生は私も近寄りたくない。何を考えているかからないし、ただただ怖い。

 一方で、私は他の人にもこんな思いをさせてきたのだろうか、と思う。

 中学校のあの子や、塾や学校先生、あのマジギレしてきたあいつは、こんな思いをしてたのか?

 今日、私が話しかけた人達は、どう思っていただろう。不快に思っていないだろうか?

 そう考えるたび、苦しくなる。今まで関わった全ての人に謝りたくなる。

 もちろん考えたって謝ったって無意味だし、どうしようもない。

 できることと言ったら、できる限り縮こまって、できるだけ人と喋らないことだ。でも、私は寂しがりやだから、とてもとても難しい。

 誰とも顔を合わせず暮らせたらいいのに。しかし私の職場性質リモートワークはできない。

 できる限り他の人と同じ振る舞いをして、頑張って距離感を見極めていくしかない。

 そしてあの研修生……願わくは、いつか人との距離感を理解してくれますように。

進撃の巨人アニメ見てるけど、比較王道系でストーリーが分かりやすい鬼滅に比べて、

こんな難解な作品あんだけ流行したのって結構すごいと思うわ

かに初期はただ巨人を倒すアクションものって感じではあるけど、すぐにシリアスな展開に入っていくし

当時小中学校にも流行したけど大人が見ても難しすぎて理解しきれないわ

2022-02-06

結局PC使わずプリント配布 オンライン授業に格差 保護者の不満

オンライン授業で、児童生徒はタブレットで黒板の中継を視聴した=さいたま市2021年10月28日午後3時39分、山越峰一郎撮影

 新型コロナウイルス流行の深刻化を受け、埼玉県内の一部の小中学校オンライン授業の導入が進んでいる。学習活動を止めないための対応必要だが、オンライン授業の環境体制地域間格差があるのが実情だ。保護者からは「第6波なのにまだ同じように授業が止まり、自宅でプリントだけの学習となっているのはおかしい」との不満が漏れる。【鷲頭彰子

 さいたま市内の小中学校は3学期開始前、オンライン授業の大規模な接続テスト実施した。教員が校内で、児童生徒が自宅でそれぞれ一斉に接続しても問題なくつながることを確認した。「第5波」に見舞われた2学期の開始直後、対面とオンラインの授業を併用する「ハイブリッド授業」を実施したが、「つながらない」「教材を開けない」などのトラブルが多発したためだ。

 ただ、さいたま市教委は「これ以上負荷をかけるとどうなるかは未知」と言う。1校あたりの回線を増やすことも検討しているが、導入時期は未定という。3日現在小学校56校の179学級、中学校17校56学級が学級閉鎖となっており、市教委は「学級閉鎖となっているクラスオンライン授業をしている」としている。

 教員児童生徒間のやり取りや児童生徒同士が討論できるなど県内でもオンライン授業の環境整備が進んでいるとされる久喜市。市教委は今週から感染不安オンライン授業を受けても出席とする「選択登校制」を市内の全小中学校33校)で取り入れた。当初は「出席停止・忌引等」として扱っていたが、感染拡大を受け、オンライン授業への参加や学習内容の定着が確認できれば市独自措置として「出席」扱いとする。

 市内のある中学校では、合唱調理実習など感染リスクの高い学習活動を行わないことや、授業時間を短縮し全学年5時間授業とすること、感染不安オンライン授業に参加した場合も「出席」とすることを保護者に周知した。市教委は「今までは対面授業を基本としていたが、今週から積極的オンライン授業を選択できるようにした」と話す。

 さいたま市久喜市の取り組みとは異なり、オンライン授業の導入が進まない自治体もある。県東部自治体2月から児童生徒を半分に分け、それぞれが午前と午後に登校する分散登校を始める。オンラインで授業を生配信できるように各学校支援しているというが、ある保護者は「一昨年の第1波の時に各家庭のパソコンPCからWi-Fiで接続しただけ。学級閉鎖になったが、PCも持ち帰らず、課題プリントを配布されただけだ」と話す。

 県中央自治体小学校保護者も「第5波の時にPCが配布され、接続して、会話の時にオン、オフにする程度は練習したが、実用はほぼしてなかった。学級閉鎖になったら授業できるのか不安だ」と話す。別の保護者は「近隣の自治体オンライン授業ができているようなことを聞くと、なぜうちはできないのかと思う」とこぼした。

2022-02-05

anond:20220205215355

経済力教育格差が浮き彫りに」なることへの抵抗感が義務教育だと強いってことでは。

あと、大学だと隣の大学インカレしたり単位互換したりで絡むことができるからメリットが大きいけど、

中学校が並んでても一緒になにかやったりできなさそうだし。片方が公立だと特に

はてなぁって

小学校中学校の頃に遊戯王カード取られて泣いてたやつ多そう。

2022-02-04

anond:20220204025101

高校2・3年や浪人生なら大学受験のためにリモート授業のほうがむしろ好都合そうだけど、

中学校はそこでしか体験できんものがあるからなあ

まあ大変そうだよね

とはいえ全体的には抑えているほうだよね日本

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