はてなキーワード: カウンセラーとは
顔がすごく好きなんです。それに優しい。
でもいざ話してみると本当に優しくて感動しました。
それに加えてかわいい!
目をなかなか合わせられない私に優しく語りかけてくれる。
無言も許してくれる。ネガティブな話題もポジティブにしてくれる。
そんな最強の存在に可愛いという要素がプラスされてるんですよ!
こりゃもう惚れる以外にないでしょう。
うひょー!大サービス!
鬱と統合失調症のダブルパンチを受けていた絶望から生まれた新たなる希望。
でも罪悪感も覚える。下心満載で会っていいのだろうか。向こうは仕事で真剣に取り組んでいるのに、
私ときたら恋をしてウキウキしているだけ。もっと真剣に話さなければ。
偏見で申し上げると、あれは学内の問題というかいざこざを事前に察知し、もみ消すための施設だ。
教授とうまく行っていないんです、ハラスメントじゃないでしょうか、という旨の相談をすると、それが教授に筒抜けになって翌日から教授に虐められるようなことが当たり前に起こる。
あるいは問題を抱えた学生をリストアップして教授会で晒し上げるような非道を平気な顔で遂行するスパイみたいなやつらだ。
カンセリングと称して学生をだまし討ちにするような、言語に絶するとんでもなく悪質な組織なのだ。
そなたの苦しみはよく分かる。信じて裏切られるのは悲しいことだ。カウンセラーの所業としては決して許されるものではない。だから今度はまともな病院にかかろう。
そなたが生きづらいとしても、そなたは悪くないぞ。そなたの存在は、かつて人類が生き残りをかけて獲得した形質の巡り合わせなのだ。幕府が潰えた後の侍の寂寥は、武士たちの責任によるものではなかった。その事を忘れてはいけない。
カウンセリングに行った。
小さい頃からずっと自分ってみんなとちょっと違うんじゃないか?と思ってきた。でも「マイペースなんだね!」ってよく言われるからまあそんなものかと自分をごまかして生きてきた。
中学生の時に「増田さんって浮いてるよね」「おかしいよね」ということが原因で部活の先輩にいじめられた。元々苦手意識のあった集団生活が完全に無理ぽょ〜になった。
高校生の頃は先生に「テストだけきちんとやったって内申点はあげられません」と言われた。別にいらなかったけど、なんでそう言われるのかわからなかった。
で、知り合いが誰もいなかったらもっと上手くやれるんじゃないかと思って、地元から進学した人が誰もいない土地で大学生になった。手に職をつけたかったので医療系の学部に進んだ。
そしたら、ビーーーーーックリした。
ADHDとされる子どもが幼少期のわたしそのままだった。ビデオで見たことある、幼稚園時代のわたしそのままの行動を取っていた。その後に出てきた特徴も、みんなみんな見に覚えのあるものだった。
・いつもきょろきょろしてしまってじっとしていることができない
・ケアレスミスが多い
・別のことに気を取られて本来やるべきことを完遂できない
他にも色々あったけど、特にこの5つがわたしにとってどうしてもできないことだった。そして、ADHDの主な症状としてあげられるものだった。わたしがどうしても解決できなくてつらかったこと、全部説明できた。
でも、みんなこんなんなんじゃないかな?って思って「こんなのみんな当てはまるんじゃないかなあ」って友達に聞いてみた。みんなきょとんとしてそんなことないでしょ?って言った。
アーーーーー完全にこれは、わたしはADHDの傾向があるんですねぇ!と思った。
ネットで調べたチェックリストみたいなのをやった。真っ黒だった。
4つ以上マークがついた場合は専門家に相談を、とあった。だから、カウンセリングルームに怯えながら電話をかけて、予約を取った。
あと、母親に連絡した。遠回しにその話題を振ってみたら、小2の時に担任からADHDかASDの疑いがあると言われたことがあるらしい。
今までそんなことを言われたことがなかった母は驚いて専門機関にかかるべきか聞いたが、特に大きな問題が見つかっているわけではないから大丈夫でしょうと先生は言ったらしい。最終的には確かに忘れっぽいし集中力がないところはあるけど元気で優しい子に育っているから大丈夫、また生活に不自由するようなことがあったら考えましょう。と、母親は結論を出したらしい。
そして、カウンセリングに行った。何をするかわからなくて怖かったので、一応不安に思っていることをまとめてから行った。
まとめてきたから言いたいことは上手く言えた、けど、話してる間にどんどん涙が溢れてきた。なんでか全然わからなかった。全然いうつもりなかったのに、しんどくなると家中の食べものを食べまくってしまうとか、嘔吐するまでやめられないとか、眠れない夜があって辛いとか、冷蔵庫にお酒がないと不安になるとか、大きい音が苦手ですぐ驚いて頭が真っ白になってパニックを起こしてしまうとか、朝どうしても起きられない日があって学校に行けない時があるとか、無意味に涙が止まらなくなることとかまで話してしまった。
カウンセラーさんはいいとも悪いとも言わず、ただ、そうなんですねとだけ言って相槌をうってくれた。やさしかった。
みっともなく泣き崩れるわたしに、カウンセラーさんが「次回は発達障害に詳しい先生がおられますから、その方にお願いしたいのですがどうですか?」と言ってくれたのでよろしくお願いします、と返して次回の予約を入れて帰ってきた。
泣いたのは恥ずかしかったけど、誰かに辛いという気持ちを聞いてもらうだけで楽になることを実感した。
2回目のカウンセリングに行った。
この前のカウンセラーより年上の女性だった。メモはもらっているけど、もう一度自分の口でお話していただけますか?と言われたので前回と同じような話をした。
途中で先生が「ふんふんふん」「あーはいはい」「それでそれで?」とかいうのがなんか怖かった。
わたしが話し終わると、その人は「あなたは自分の口で辛いことを説明できるので、大丈夫です!」と言った。
は?何がどう大丈夫なんだ?と思ってぽかーんとしていたら「わたしだってイライラしたらお菓子とか食べすぎちゃいますよ」「でも大丈夫ですよ、その気持ちを自分でコントロールしましょう!」とか言い出して、ますます唖然としてしまった。
わたしは別に過食について相談に来たんじゃなくて、もっと別の、その原因の生きづらさについて誰かに助けて欲しくてここにきたんですが?と思ったしそう言ってみたけど、馬鹿にしたように「それは大丈夫ですから」と言われただけで終わった。
次回の予約はいつにしますか、という質問になんと答えたかは覚えていない。
カウンセリングルームを出て、学校から家に帰っている時間、唖然とした気持ちは怒りになって、最終的にわたしの苦しみは甘えなのかー、という悲しみになった。
家について、もう、うわーとなって御釜にあったごはんを全部食べた。釜から直接。気持ち悪くなって全部吐いてしまった。
いま、トイレの前の床に座り込んでこの文章を書いている。もうどうしたらいいかわからなくて、ただただぼんやりしている。
このような状況に陥った人いたら連絡ください
・自分より仕事ができる人に一切反論してはいけない(でも、自分より格下だと思ったらすごく横柄な態度や発言をする)
・どれだけ理不尽な扱い(暴力暴言)を受けても耐える必要がある
という思考回路を持った部下がいて、本人の話によると幼少期から社会人になるまでずっといじめを受けてそうなってしまったらしい。
とはいえ職業上、専門職の立場で意見を言わないといけない場面もあり、どうしようかなーと思って調べていたところ、学習性無力感という言葉を知った。
大人になってから仕事の人間関係でそういう考えになってしまったのなら少しは力添えできるのかもしれないが、幼少期からというのならカウンセラーではない私には無理だ。
「米山知事はどのようにセックスしていたら世間に許されたか」の補足です。
夫婦生活、結婚を前提とした真剣なお付き合い、内縁の夫婦といった名目で一般に広く堂々と行われている形式のセックスです。
「結婚は合法的な売春である」という言葉がありますが、男が金品を与えるかわりに女がセックスを提供するということは世界中で当たり前のように行われています。
あるカップルの関係が、真剣な交際、セフレ、パパ活、援助交際、売春といった言葉のどれにあたるのか判断するのはそれほど簡単なことではありません。
相手が複数人になると真剣なお付き合いというより遊びの意味合いが強くなり、世間の目は厳しくなります。愛人を囲っているなどと言われるとかなり印象が悪いです。妊娠や中絶といったキーワードが絡むと更に厳しいです。
一般女性とのプライベートなセックスという名目になり直接に金品の授受を伴わないので多分セーフでしょう。
50歳の独身男性が余暇に風俗店を利用しているというのは人聞きは良くないですが、それだけではニュース性は低いです。
売春防止法違反という指摘がありますがナンセンスです。なぜなら、パチンコが「賭博」でないのと同じように、日本の風俗店では「売春」は行われていないからです。
特殊な性癖が暴露された場合は、世間から好奇の目を向けられてしまうので風あたりは強くなるかもしれません。
小学校の先生がパチンコで100万円使っても特に問題になりませんが、違法カジノで10万円使ったのが発覚したらちょっとした騒動になるでしょう。
同じように、出会い系サイトやリフレ店を使い、正規の風俗店を介さない形で性的なサービスを受けると世間の目は厳しくなります。不倫に対しても世間の目は同じくらい厳しいですが私には理由がよくわかりません。
米山知事は交際が真剣であると主張したり相手にはめられたと言い張ったりして粘れば辞職せずに済んだかもしれませんが、真剣な交際のつもりだったと言うだけ言って辞任してしまいました。
この人は自分のちんちんの画像を女性に送ろうとして誤操作で自分のツイッターアカウントから全世界に公開してしまい問題になりました。
議員辞職の後、再起をはかってニューヨーク市長選挙に立候補しますが、問題発覚後もちんちんの画像を別の女性に送り続けていたことが選挙期間中に明らかになり政治人生が終了しました。
依存症は一人で治すのは困難なので、家族やカウンセラーや援助団体の助けを借りてきちんと治療しましょう。あとSNSでの誤操作には気を付けましょう。
権力を背景に部下に当たる人物とセックスしたり、性接待を受けたりするのは原則的にアウトでしょう。
18歳未満が相手でも、16歳以上の女児で結婚または婚約関係にあれば合法であるという指摘はその通りですが、米山知事なので考慮する必要はないかと思いました。
人生で初めて中絶を、しかも海外(先進国です)で経験してきたのでその一部始終等を書こうと思います。
衝動的に書き始めてしまった上に、初めての投稿で思ったより長く、読みにくくなってしましました、すみません。
他に同じような内容をポストされてる方がいるかわかりませんが、似たような境遇の人たちの参考にでもなればいいし、そうでない人たちにも暇つぶしにでも読んでもらえれば嬉しいです。
やばいと思ったので12時間以内にスーパーの薬局で緊急避妊薬を購入
(私がいる国では薬局で処方箋なしで緊急避妊薬が買えます。値段は4000円ほど。)
3週間経っても生理がこないので妊娠検査薬で検査したら妊娠発覚...
確率は諸説ありますが避妊失敗から12時間以内の緊急避妊薬の服用で90%以上の確率で避妊できるのはたしかっぽいのにどうしてこんなことに...
妊娠発覚してから、一般的にみなさんどれだけ悩まれるかわからないですが、私の場合はほぼその場で「中絶しよう」と決心していました。
理由としては3点:
2)経済的余裕がない
じゃあ普段から低容量ピル飲んどけよって話なんですが、そこについては反省しました。
「地名 abortion clinic」みたいな感じでググると自治体のWebページが出て来ました。
基本的に中絶は自治体が承認した少数の病院でしか行われません。
今回私が選んだ病院は中絶・避妊専門の病院で、その病院ではほぼ朝から夕方まで営業時間の間ずっと中絶行為が行われていました。
私の選んだ病院はどちらか好きな方を選べて、私は電話が苦手なのでウェブで申し込みました。
最後の生理からどれくらい経ってるかとか、持病の有無とか、自治体の健康保険に加入してるか否か、みたいな質問が続く問診票を埋めたら仮予約は完了です。
病院からのメールは、プライバシーの保護の観点からメール自体にはほぼ何も書いてなくて、ウェブ上のメールサービスへの招待と、そちらでやり取りをしようという内容でした。
こうすることによって中絶の情報を、特に職場でメールを見る人たちが多いので、他人に見られる可能性が減るのだそう。
費用は無料でした。中絶手術そのものに加えて、手術前のカウンセリング、手術後に始めた低容量ピルも無料でした。全部自治体の健康保険でカバーされるらしい。
ちなみに、保険未加入でも日本円で50000円弱と日本に比べてかなり安いみたいです。
いよいよ中絶手術当日がやって来ました。
予約はお昼でしたが、朝から何も食べるなとの指示があったのでお水を飲んで凌ぎました。
病院に着くと、玄関のドアに鍵がかかっていてインターホンが。押してみると看護師さんが応対してくれて、名前と予約時間を告げるとドアのオートロックを開けてくれました。
びっくりしたんですが、このドア、なんと二重扉になっていました。
1枚目のドアを入ると受付から入った人が見えるように透明な小部屋のようになっている短い通路があって、そこの奥に2枚目の扉があります。
看護師さんは怪しい人間がいないことを確認して2枚目のドアを開けるそうです(付き添い禁止の病院だったので付き添いを入らせないためでもあるっぽいです)。
受付をすませると緑のガムテープを2切れ渡され、スマートフォンのインカメと外カメを覆うようにはりつけろと指示をされました。ここでもプライバシーの保護が重きが置かれていました。
待合室はシンプルです。ソファが並んでいて、ウォーターサーバーがあって。
一つ特殊な点があるとすればサイドテーブルに山盛り避妊具が置かれていて、好きなだけ持っていけるようでした。
15分ほど待つとカウンセラーさんに呼ばれてカウンセリングです。
ここでは手術の具体的な工程の説明をされ、その上で中絶をすることに対して罪悪感があるか、どのように罪悪感に対処しているか、など精神科っぽいカウンセリングを受けます。
このカウンセリングで、日本との中絶に対する姿勢の差を強く感じたのは、そのカウンセラーさんが言ってくれた「あなたはきちんと自分のやったことに対して責任を持っているわ」という言葉でした。
こちらの国では中絶も一つの選択肢である、と認められていると感じます。
もちろん中絶に反対する活動家の方はいらっしゃるようですが、少なくとも医療関係者が患者に説教したり、否定的な言葉をかけたりすることはありませんでした。
「中絶は善でも悪でもなく、医療行為の一つである」という共通認識がしっかりあって、個人の選択が尊重される風潮がある。
これで随分精神的に楽になりました。
トイレで下着を脱いで、妊娠を確認するための尿検査をした後、病院で渡された巻きスカートのようなものに履き替えます
妊娠の確認が取れると、抗生物質と強めの痛み止め・吐き気どめを処方されるので飲んで、薬が効き始めるまで待ちます。
30分ほどカーテンで囲われた大きな一人用ソファでリラックスしたあと、いよいよ手術室に呼ばれました。
まずは看護師さんが採血をしてくれます。これは梅毒やHIVの感染の有無を調べるもので、強制ではありません。その後麻酔兼気分がふわっとする薬を注射してくれます。
そして先生がやってくると、まずは超音波で再度妊娠の有無を調べます。
潤滑剤ベタベタの避妊具をかぶされた直径3cmくらいの器具を挿入されて、具体的にどの位置に胎児がいるかを確認します。
薬で多少気分がぼけっとしていたので記憶が怪しいのですが、子宮口を器具で広げられ、クラミジアや淋病の検査(こちらは必須でした)のために細胞?を採取されたあと、吸引機を挿入、吸引開始されました。
この吸引、めっっっっっっっちゃ痛い。麻酔全然効いてない(個人差があるようです)。5分ほどでしたが、これも報いかと思いつつ人生で一番痛い経験をしました。
手術が終わるとあらかじめ用意していたナプキン付き下着を履かされ、手術前に座っていた大きな一人用ソファに戻され、麻酔が抜けるまでまた30分ほど休憩です。
そして手術後の出血が酷くないことを確認されたあと、術後の注意点が書かれた紙を渡され、すべての工程が終了しました。
注意点としては2週間膣内に何も入れないこと(タンポンもダメ、お風呂もダメ)、出血がやばい時は病院直通電話番号があるのでそちらにすぐに電話することを告げられました。
帰宅に関しては、タクシー帰宅を厳命されたので、タクシーに乗って帰宅、即布団へ倒れこみ次の日の朝まで寝ていました。
術後の経過はいたって良好でした。徐々に出血は減っていき、2週間ほどでほぼ出血がなくなりました。中絶後初めての生理もちょうど3週間後に来ました。
避妊のためもありますが、低用量ピルの服用は中絶で傷ついた子宮の回復と、生理週間を正常に戻す手助けをする作用もあるようです。
特に問題がない場合は術後の診察も必要ないとのことだったので、あれから特に病院へは行っていません。
中絶、めっちゃ辛い(精神的にも物理的にも)。もう二度としたくないですし、するようなシチュエーションに陥らないように対策はしていきたいと思います。
罪悪感はもちろんあります。中絶前・中絶後共に「本当に堕してよい(よかった)のか...この子(胎児)の命を私の勝手で奪ってしまって許されるわけがない...」など考えました。
カウンセリングがなければ精神的な辛さはもっとひどかったと思います。
自分の選択に責任を持って、などと大それたことは言えませんが、自分の意思で堕したということはしっかり胸に刻んで避妊を徹底していきます。
今回海外で中絶をして、社会福祉の一環として中絶がサポートされているなと感じました。
低用量ピルを服用していても100%妊娠を防げるわけではない以上、日本でも緊急避妊薬や中絶は選択肢として、もう少し身近なものになってもいいなと思います。
私はセックスが好きです。彼氏とセックスするときはとても幸せです。スキンシップは大事です。
なので妊娠はしたくないですがセックスはします。もちろん、自分でできうる限りの避妊はしますが、妊娠してしまうときには妊娠してしまうと学びました。
ですが女性の人生プランにおいて、子供ができるということが必ずしも歓迎できることではないシチュエーションは存在すると思います。
中絶は褒められたことではないですが、そういう場面に直面したとき、頭ごなしに否定するのではなく中絶も一つの選択肢として受け入れられていけばいいなと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ふと思い立って書いた文章ですので、思ったより長くなってしまいましたし、表現等変な箇所があるかもしれないです、すみません。
自分の経験、感じたこと・思ったことを書かせていただきました。
賛否両論あるかと思いますが、あくまでも私個人の感想であって、社会がこうあるべきだ!!とか、日本が間違ってる!!とか言いたいわけではないです。
ただ、同じような境遇の方や関係者の方が、本当に追い詰められた時に、中絶が必ずしも悪いことではないと言っていた人がいたな〜くらいに思い出していただければ幸いです。
亮太は今まで見たことないドロドロな物に恐怖を覚えたのか、昨日から全く元気がない。ますます自分が下痢だということを伝えづらくなった。
それと同時に、亮太ぐらいの歳の子でも下痢の恐怖が迫っているのだと再確認した。下痢はいつ、どのタイミングでやってくるかはわからない。一生下痢とは無縁な生活をおくる人間がいる一方、毎朝のように下痢に悩まされている人間がいる。それでも表面上は平等や同じように生きている。
医者にはよく相談をする。最近は専門のカウンセラーを紹介してもらい、日々の下痢の悩みを聞いてもらっている。
それと同時に待合室にはいついっても多くの人が居て、下痢に悩まされている人は多くいるのだと再確認する。
今では下痢への認識が強まっており、不当な扱いを受けることもないが、昔は下痢は死ぬまで治らない不治の病ゆえに、不浄だとか不潔だとかまるで細菌兵器のようにいわれていた。また、空気感染するとも言われており、ウンコマンなどと呼ばれ江戸時代中期から平成の末期までは不当な扱いを受けていた。そう考えれば、医学の進歩や、過去の人の啓蒙活動のおかげで何ら変わりのない日常生活をおくれていることには感謝するしかない。
最近ではほとんどの電車にトイレが備え付けられているが、昔はトイレが備え付けられていない電車も多かったという。今では考えられない話であるが。朝の満員ラッシュで急にお腹が刺すような痛みを感じ、備え付けのトイレに助けられた事は下痢患者になってから数え切れないほどある。
冒頭で話した亮太の友達も、今日もしっかりと登校をしているようだ。
これもひとえに先生のおかげだとおもう。
楽しく飲める方はほんとうにいいと思うけれど。
http://www.dansyu-renmei.or.jp/kazoku/index.html
https://www.ask.or.jp/article/alcohol/アルコール関連問題を知ろう/アルコール依存症とは?/アルコール問題の相談先
お酒のことでお困りの方、悩みがある方、左の相談窓口を押してください。
http://www.dansyu-renmei.or.jp/index.html
こういう有志のが無理なら、
https://s-office-k.com/complaint/alcohol
平成30年4月から新しいカウンセラーさんが火曜のカウンセリングを担当します
https://s-office-k.com/news/archives/132
詳しい方々と相談できるので、
イヤー別にいいのですよ。増田さんには増田さんの考え方がアリます。
これ、カウンセラーしてた父の秘伝なのです。
喧嘩していたのはエリートの寮生2人、顔を合わせずにおれるわけもないのに仲が悪い。
父へ相談が来て、「嫌かも知れないけれど、そこは君がまず折れて、人の大きさを見せよう。まず謝ってみて。」とアドバイスした。
この2人。良い結果になったのだそうです。気になりながらもきっかけがなかったので、話しそびれていて、プライドがあって話せない。
「ごめんね」は和解のきっかけになったというだけの事です。どっちが悪いとかそういうものではないんですね。
「ごめん」に意味が欲しいなら、「あなたの悩みに気付いてあげられなくてごめんね」かなぁ。
あるいは「なんか話しかけづらくて、長い事沈黙しててごめんね、なんで話せなかったんだろう」という感じ。
的確な言葉ですね。
じっさい、お相手が増田さんの気質に対してもう少し理解があれば、こうはなってない気がします。
関係修復できるといいですね。
おせっかいだったら、お忘れください。
1月30日に、新年度に不倫を卒業しますと書いた元・不倫女です。
https://anond.hatelabo.jp/20180130202333
結局1日伸びてしまったけど、晴れて4月2日のランチを持って、不倫関係を解消しました。
気持ちの整理をつけたいこと、彼からのプチモラハラでしょんぼりしていたことなどがあり、今朝電話カウンセリングを受けたら、カウンセラーさんが「とにかく愛されてたのね」と、話していて、彼との楽しい記憶はそのままに、辛い記憶を愛されていた、でも手放せてハッピー! に変えられるようにとの話だった。なるほど、と思っていたけれど、今考えるとなるほどなの? 大丈夫? とちょっぴり不安だ。ああ大丈夫かなわたし。と書きつつ、この3年間私は永遠に不安だった。その場限りの幻想の幸せを追っていた、だからこそ、不安なことが常だったのだ、その不安が急にクリアになったら、不安を含めて私だったのだから、不安という支え、責任転嫁がなくなるのだからしっかりしなくてはいけない。などという謎の感情に襲われている。
彼のことは今日も今も好きだ。元気にやっていてほしいと思うし、仕事を頑張って欲しい、もし彼が奥さんに愛情を注ぐと決めたのなら、懸命に注いで欲しい。では私はいったいどうしたら、と、軽く依存傾向にあったのかもしれないとようやく納得をし始めて、「嫌われる勇気」を読み始めたりしている。
この3年間はすごく楽しかった。週末はもちろん、365日の中、150日くらい一緒に居たんじゃないかなと思う。いや、200日近いかもしれない。それだけの時間を割いてくれたことに感謝したいし、私はゆっくりと歩き出さなくてはいけないと思う。正直実感がないけれど、少しすればわかるのだろうか。不倫をしていない自分であれば、素直に愛せると思う。本当にごめんなさい、もうこりごり。でも、ありがとう
お互いに話せて、きいてあげて、それって良かったのでは?
自分だけ聞いてもらったら、「悪かったなぁ」って感情が沸きますし
双方で話せたなら、お互い様の精神でちょうどいいではないですか?
みんな悩んでるよ。
調べたらこんなのありました。ここなら良くないでしょうか。
・通話料はかかりません。
毎月10日午前8時から翌日午前8時までフリーダイヤル(無料)の電話相談を受け付けています。
※多くの方に公平に利用していただくため、2017年7月から、前月に長時間あるいは多数回利用された方については、
翌月の利用を制限させていただくこととなりました。相談される皆様には引き続き適正な利用をお願いいたします。
0120-783-556
こんなのもあったよ、(評判とかは調べてないです)
じっくり話を聞いてくれるカウンセラーを探す
守秘義務のことは最初に訊いたほうがいいです。こんなご時世だから。
それか、
有料のカウンセリングが、
人生の先輩として教えを乞うみたいな風で、話を訊いてもらうとか。
Daniel Wendler “Improve Your Social Skills“ が良かったので、一部抜書きを共有。
会話の根本原理: “Invitation” と “Inspication”
Invitation は、相手に会話のきっかけを与える。ほとんどの Invitation は「質問」という形を取るけれど、いい質問をするコツもある。短く言うと Invitation は、相手が話す番だと明確にキューを送ることだ。
Inspiration は、良い会話の骨組みとなるもので、会話をより自然なものにしたり、相手との親密さや意見共有を促す。短く言うと、 Inspiration は、相手が自発的に話したくなるような何かを、あなたが話すことだ。
いつも高品位な inspiration を発する必要はなくて、重要なことは、あなた自身について何かを共有し、会話の相手が自身の何かについて共有することができるよう、スペースを作り出すことだ。
まとめ: 何か話すたびに、明確な invitation を会話相手に与えるか、または、相手が返信として何か共有することができるような inspiration を、相手と共有しよう。
1. 社交的な文脈を最初のトピックとして参考にしよう。たとえば、教室で誰かを見かけたら昨日受けたテストについて何か考えを聞くとか。
3. ストーリーを共有する。事実ではなく。「どこで働いているの?」と事実を聞くのではなく、「そこで働くのはどんなかんじ?」とストーリーの共有を促すような質問をしよう。
4. あなたも相手も興味が無いことをトピックとして選択しないようにしよう。
5. 相手の胴体があなたとは違う方向を向き始めたら、相手は会話を終わらせようとしている。
6. 複数の open-ended question を投げかけても、相手が短い応答しかしないようだったら、相手は退屈しているか不快に思っているかもしれない。トピックを変えるか、会話を終わらせる機会を作ろう。
7. 失敗する許可を自分に与えよう。どの会話も完璧にしようと思わないようにしよう。「ときどき勝利し、ときどき学ぶ」。会話に失敗してもくよくよせず、その経験から何かを学ぼう。
8. 会話について問題を感じていて、その原因が社交不安や自信についての問題によってならば、カウンセラーなどの専門家に相談しよう。
お元気でしょうか、先生。
友達はいたけどわたしのことをよく思わない子もクラスには一定数いた気がする。
とにかく人とうまくやれなかった。
たぶん嫌われてはいなかったと思うけど
神経質だし気にしすぎなくせに我儘だったり、自分のそういうとことうまく付き合っていけなくてつらかった。今もだけど。
そんな感じだったので親にカウンセリングに通わされていた。
市のセンターのやつとかスクールカウンセラーとかいろいろ。
その頃から市の大きめの病院の神経科、という名の精神科のカウンセリングにお世話になり始めた。
どんな話をしてたかは覚えてない。
月1回1時間弱、話すだけ。ただそれだけの時間が高校2年生まで続いた。
先生は割と自分の体験談も交えて話してくれるタイプのカウンセラーで、合う合わないはあると思うがわたしはそれで逆に安心した。
優しく聞いてくれるけど、だめなことはちゃんとだめって言ってくれる人で、高校に入ってバイトをし始めたわたしの通帳を親が管理していると知ったときに、それはよくないって止めてくれたのは覚えてる。
わたしは戸惑った。月1だけどここ以外にほんとのわたしを知ってくれている場所なんてなかった。
最終回。
今まで親にはずっと
いつもいい顔ばかりして
みんなわたしが爆発してもどうしてって顔をして
でも、先生はそれでも良いって言ってくれた
あれがあったからここまで生きてこれたと思う。
もちろんそれはわかっている、信用ならないと思っていた、けど
きっとそれだけじゃなかった。って信じたい。
今でも思い出すたびあったかい涙が出る。
うれしかった。とても。
心の奥の大切なものを入れている引き出しに、ちゃんとしまってある。お守りみたいに。
わたしもそんな人になりたくて、今進路を決めている
カウンセラーではないが
すべての人がそれぞれの輝ける道を歩けるように
理想かもしれないけど。
何が起こってもネガティブな考えにしかならないし、小さなことでも悩んでばかりだったし、
なによりそうして頭がグルグル回り続けることが辛くてしかたなかった。
そんな時にふと思ったのが、「あ、いま宗教の勧誘されたら簡単に落ちるな」ってことだった。
なにか信じるものというか、こうしてたら大丈夫ですよ、というガイドにすがりたい気持ちがあった。
ただまあ、結構宗教ってやばいやつが多いし、そんなこと考えること自体ヤバイだろ、ってことで心療内科に行った。
カウンセリングってやつを勧められて、まあ一回1万弱で1時間くらいカウンセラーさんと喋るやつに通うことになった。
そこでマインドフルネスって理論を教えてもらった。なにやらグーグルとかエリート企業でも採用されてる考えかたらしい。
物事をとらえるときに、常に「いまここ」を意識して、それをありのままに受け止める、みたいな。
そうすると過去を引きずったりとか、将来が不安になって仕方なくなったり、とかいうのから脱却できるらしい。
やり方を教えてもらって試してみたら、確かに毎日が少し過ごしやすくなった。
実際に楽になるとそういった心理学的なものに興味が出てきて、色々と教えてもらった。
「自己成長性への信頼」といって、ありのままに過ごしていれば、自然と良い方に物事が転ぶ、という考え方とか。
新興宗教はお金巻き上げられるから怖いと思ってたけど、今も「治療費」として金払ってるし。
なんとなく心理学という学問として体系だてられた権威があるだけで、