はてなキーワード: 障碍者とは
https://anond.hatelabo.jp/20180114104825
この増田を見て。
通勤に利用する駅で知的障害者の男性が若い女性だけを対象に、顔をぐいっと近づけて大声で「おはようございます!」と言っている。
いつものことなので慣れてスルーしたりあいさつを返す女性もいるが、ビビって「キャッ!」と声を上げる人もいる。
かなりの恐怖だろう。
電車に乗ったあとも、社内を移動しながら若い女性を見つけると顔を近づけて大声であいさつを続けていく。
セクハラという表現が適切かはよくわからないが、迷惑行為だとは思う。
この知恵袋に状況がかなり似ている。
もしかしたらフェイクを入れているせいで少し状況が違うが(バス or 電車など)同じ人のことかもしれない。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12109590302
同列に並べるべきことではないが、電車で痴漢をする知的障害者(あいさつの人とは別の人)を見たこともある。
女性にピッタリ体をくっつけたり、駅での乗降の流れに紛れて触ったり。
自分のお店にも来る
多分40代くらいのおじちゃんで、若い女性従業員に世間話を持ち掛ける
でも家はどこ、とか名前は、とか年齢は、とかなんかストレートすぎるナンパ
あと、あれはどこ、これはどこ、って聞いて、女性社員を連れまわし、その売り場に行くまで一緒に歩きながらずっと話しかける
ほかの人に呼ばれたりして、女性社員がいないときはずっと遠くで見てる
警察にいっても、触るわけでもないし、ただ話好きなおじさんが、物の場所を聞いてる、だけだから出禁ゆうても難しいんだよね
店長が、そういうことはやめてくれ、って言ったこともあるんだけど、へらへらしながら聞いていて、意味を理解してないみたいだった
最近は店の中のごみ箱からごみをだして別の場所にぶちまけて、ぶちまけたのを拾ってごみ箱に戻すという賽の河原を延々としている
おきゃくさまーと言ったら辞めるんだけど、次の日には同じことする
親でもいれば親にいうが、もういい年こいた大人だし、明確な迷惑行為もしないのでどーにもならん
悪質なクレーマーに手を焼いているのはわかったけど、
そこから、相手が知的障碍者だから手を出せないという話になるのに、飛躍を感じました。
毅然とした態度を取ったときに、相手が何をするか分からないので手を出せないだけではないの?
一見すると、どこにでもいそうな外見の人物なのだが、明らかに軽度の知的障碍がある。俺は詳しくないのでどういった症状なのかわからないが、誰が見ても「あぁ」とわかる。
その人は入店一番「またきたよー!」と大声で言う。
手近な店員さんを捕まえて延々と自慢話をする。「昔アイドルやっててさぁー」とか。
店員さんが近くにいないときはレジの人に、レジが混雑しているとバックヤードにまで入っていく。
俺はその人をずっと観察しているわけではないのだが、どうやら半日以上店内で店員さんに一方的に話しかけているようだ。
俺がいつ行ってもその人はいる。
お、今日は珍しくいないなと思うと、入り口から元気のいい声が聞こえてくる。
で、やっかいなのが、その人はある程度の知能はあるということだ。こんな言い方をするのはよくないんだが。増田だから書けることだ。
つまり、レジがほかの客でいっぱいの時は話しかけない。俺のような強面のゴツイ奴がそばにいると店員さんへのマシンガントークが少しおさまる、など。軽度の障碍があるのは誰にでもわかるけど、完全に「別世界の人」というわけではない。話は通じるし、受け答えも明瞭だ。
だが、恐ろしく面倒な人物だ。
俺みたいな奴を恐れるが、店員さんや子供のような立場の弱い相手には極めて横柄にふるまう。そういう狡さはある。
以前、店員さんが「申し訳ありませんがお客様…」と会話の応対を切り上げて仕事に戻ろうとしたことがあった。
その時、その人は店じゅうに響く大声で「何こいつ!店員なのにお客さん無視するとかありえなくねぇ!?」と叫んだのだ。その後も延々と大声でその店員さんに罵倒を繰り返した。すごい声だった。これはさすがにまずいだろうと俺の唯一の取り柄の強面を生かして事態収拾に向かうと、先に店長さんが到着していた。
そこで店長さんはクレーム対応の王道、平謝りで事態を何とか収めようとがんばっていたのだが、相手が相手なので一向に沈静化しない。バックヤードで話を聞こうとするも、火に油を注ぐばかり。最終的に、店長さんは最敬礼のまま延々と罵倒を受けるような状態になった。土下座こそしていないが、あれは似たようなものだろう。
さすがに見ていられないので、二人のいるところに押し入り、そこにあった棚の商品を選ぶという行動をして二人を引きはなしてみたんだが、最敬礼店長と罵倒人の間にはいって女性用シャンプーを選び続ける元相撲部という状況は長続きしない。唯一商品名を覚えているラックススーパーリッチを手にして精いっぱいの威圧をかけてその場をあとにするしかなかった。まぁそれで少し沈静化したみたいだからよかったが。俺は坊主頭だし彼女も奥さんもいないんだけどな。すげぇいい香りだぞラックススーパーリッチ。
で、そんなこともあって表題の件を疑問に思ったんだよ。
ネットでたまに見る、「悪質クレーマーに『お前は客じゃない、帰れ!』と一喝するかっこいいお店」の話があるけど、それは軽度の知的障碍者に対して行っても喝采を受けるものなのか?店は客を選ぶことができる、というのは確かにその通り。しかし「別世界の人」ほどではないが極めて面倒な軽度障碍者を排除できるのか?
健常者が「障碍者と共存できる社会」を目指したとき、その想定される障碍者は「別世界の人」なんじゃないか?
健常者に極めて近いけど通常の対応ができない相手を想定しているのだろうか。
俺の近所のスーパーの場合は、もう利用客も(おそらく)店員さんも「あいつにはもう来ないでほしい」と一致しているだろうから、「お前はもうくるな」で済むかもしれない。…いや多分、絶対に済まずに毎朝店の前で座り込みをしそうだけどな。まぁそれも排除してしまって解決!ってなるのかもしれない。
しかし、そうなるとその先は「障碍者は座敷牢に入れて外に出さない」みたいな社会になってしまうだろう。
こういうの、どうすればいいんだろうな?
外国人が日本社会の民度の高さを称賛し、そして日本人の少数派がそれを受け入れた一方で、多数派がそのような現実を後悔する声があった。とある左翼思想家は、"日本人の右派の満足した社会意識"を、市民社会に合意を受入れるよう要請した事で糾弾した。ある大学生は、左派系SNSに "我々は、道徳的な社会観の象徴である安倍政権、現代版のファシズム風潮を変えなければならない"と、激昂して述べた。通常は自公政権を支持しているいくつかの若者や高齢者ですら、道徳的社会に対しては不満だと感じると述べた。ネット上での批判は日々加熱している。
ヒステリックな道徳社会への反応は、日本がどのように非寛容社会を形成し続けているかを示している。あらゆる種類の政治家および空論家達は、単に自らの課題を推進するため、長きに渡って道徳感情を煽ってきた。彼らは、過去から今日まで続いているのこの強迫観念が日本国を停滞させている事を、気にかけるようには見えない。
第二次世界大戦敗戦後のアメリカの保護国化のもと日本は先進国になったが、中高年世代の多くは、1990年代以降の急速な非寛容社会化を体験している。日本が古くから抱える被差別階層などのような内部の実体が、通常、社会の病いの原因だと非難されてきた。しかし、障碍者および在日外国人への感情は、より複雑だ;しかし、彼らとの友好感情はほとんど全員に共有され、社会の物語とされている:日本社会の栄光は、自由な価値観とは反する道徳思想に妨害された。
日本に蔓延する暴走する道徳感情は、社会がきちんと回らない原因になっている(例えばモリ・カケ騒動や不倫なんかがそう)。特定の日本権力主義者たちが、確立された普遍的事実に疑問を呈し、大衆を触発する一方で、彼らから見ての敵はより重要な問題を無視するための、便利な弁解を提供している。
道徳感情はまた、教育や文化の問題を凌駕している。1990年代~2010年代前半の長期不況からの増大する経済改革への要望にも拘わらず、日本は、今日までに経済成長への道を選択できなかった。
未成年あるいは高齢化する貧困や公共インフラの破綻など、その他の国内問題は、脇に追いやられている。政権および野党は、歴史問題などへの政府の懸念を "解決する"と申し出る事で、政府が本当に意味した事について口論している。
アメリカの保護国下による72年間の成長一辺倒の日本社会の影にある犠牲者達は、彼らの主張を押し続けなければならず、そして日本社会とその保護者たるアメリカはより良く謝罪をしてみるべきだ。システムの見直しと検証必要であるという、十分な証拠が有る。しかし、無数の問題のために悪人(と決め付けた人たち)を非難してきた政治階級下の数十年の後、道徳感情は独自の生命を持ってしまっている。日本は、昂ぶった感情を持続的に保持している。その構成員達は、その他全てを犠牲にしようともそうするように見えるが、絶えずこれらの感情に応えようとする。その全ての嫉妬のブーメランが日本社会を傷つけている。
はあちゅうの件に対する反応でさ、
「社内の上下関係のもとで特定個人に対して行われたハラスメントと、童貞という概念・属性に対する言説は同列じゃないし、岸氏の方が悪質」
みたいなブコメやツイートちょくちょく見かけるんだけど、それって結構ヤバい論理じゃない?
その「童貞」って言葉、何かの拍子で「朝鮮人」とか「障碍者」とかになっちゃったりしない?
「童貞」でも「朝鮮人」でもあまりニュアンス変わってなくない?かなり危ういと思うけどなぁ、私は。
っていうか、多くの人は「どっちがより悪質かじゃなくて、どっちもだめだろ」と思って単にそれを表明してるだけだと思う。
今回は両者が同列かどうかはともかく、少なくとも地続きの関係にあるわけだから、そりゃ当たりはキツくなるよね。
そこにはあちゅう女史がガソリンかぶって突っ込んできたから炎上ポイントがずれちゃった、というのが今の状況なんじゃないですかね。
ヨッピー氏が今はタイミングが違うみたいなこと書いてたけど、彼女の言説に傷ついたり腹を立てたりしてきた人たちにとってはどう考えても今がそのタイミングなんだよね。
こればかりは今までの積み重ねの結果と言うほかない。
それでも彼女のツイートが自己正当化じゃなくて反省の弁だったら状況はかなり違ったはずなのにね。
(ってか元電通ならさすがにもうちょいうまいこと言えるだろとは思う)
まあそれでも私は告発を支持するよ。世田谷区在住のヴォルテール(童貞)なので。
でも例の「私はあなたの意見には反対だ、だが云々」ってヴォルテール自身の言葉じゃないらしいね。歴史上の人物の名言ってそんなんばっかりだ。
金を稼いでいる障碍者の方が、金を稼がない健常者より数百倍マシだろ
社会が混乱し、成人化の展望を見出すことができない新社会人や大学生は、成人への通過儀礼にこぎつけた高校生を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか人生を軌道に乗せつつある高校生たちは、いまなお洗脳社会を拒む人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「障碍者」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境で高校生の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。
仕事の出張先で、出張先に近い高校とそれとは別の高校生との間の、バイクを巡るトラブルを取材したことがある。前者は「公共交通の混雑で迷惑かけるな」と苦情を言う。後者は「どうして子ども扱いされているか理由がわかっていない」と応酬する。「免許を必要としていなければ持ってすらいない」「代わりなどいくらでもある。知恵がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。
高校生が二輪車に乗らないものは、公共交通の持続化という側面もあるのだが、大半の高校生は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。高校生が変わり者だったり持病を抱えていると、たとえ本人に礼儀正しさがあっても、大人のほうが嫌悪する。乗らない高校生も自身が半分大人扱いされる社会で暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。2010年代以降にしきりに言われた「18才選挙権で高校生・大学生も大人の仲間入り」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。
こんなにも彼らの心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで子供の世界に生きていた人たちが、一瞬に大人の社会に引きずり出されたネオリベの不条理。それを被った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ、是正どころか日に日に広がっている。高校生以外は、忘れることだけは「熱心」だ。大人があけた満員電車のスペースは高校生のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために退いたのではないかとさえ思う。仕事の合間に取材を続けていると「まだ気に入らないのか」とよく言われる。「お前は中高年か」とも、何度尋ねられたことだろう。高校生に支援も同情もしない、残酷な社会がそこにある。
これらを目のあたりにして、大人を信じられない、頼れない、との絶望感を高校生が抱いた、オートバイを操る高校生の復権は、その果ての人心の荒廃の象徴であること以外に、理由などあり得ない。東日本大震災は、原発事故や津波などによる多大なる爪痕を残したのだけではなく、大人という国民の属性・信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、チェルノブイリ原発事故の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいったソ連の末期の姿と、よく似ている。
大学生や高校生の心がこれだけ荒廃して、一般人が無縁でいられるはずはない。大人の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校社会という場で露骨に現れる。震災後の日本では、免許の有無や車やバイクの好き嫌いがきっかけで、喧嘩になることが増えたという。洗脳社会によるストレスや、格差を生んだ大人社会の眼差しの反映だ。私も以前、二輪車乗りの高校生のいる高校の近くの街で、荒んだ目をした自転車乗りたちに突然絡まれ、無視していたら追いかけられたことがある。以来、そのような高校周辺は、夜のコンビニの前などでたむろしている自転車乗りたちのそばへは、決して不用意には近づかない。
日本の女性は1980年代の好景気時代に本格的に社会進出した。もともとビジネスワーカーとしての生活に慣れていなくて、昭和のドラマを思い出せばわかると思うが家庭環境も相まって世代的なビジネスマンとしての経験地が低い。つまり専業の家事をしていた人が急に職場に顔を出すようになったので、生活スタイルが形成されていないといえる。
大抵の日本国内の男性の社員は、もともと主要な企業戦力として経験地が詰まれており、そういった環境下で健康的な生活が可能な人が多い。障碍者もあるいみでは彼らに倣うことであとからやって来た人たちも高度な生活秩序を形成してきたと言える。ある意味牧歌的に暮らしていた女性が経済成熟期に急増したため、軋轢が生じているのが健康問題の原因だ。
日本人の女性のビジネスマンは適切な健康指導であればここまで悲惨なことにはならないと思う。もともと牧歌的だったことを考えると、中国人はどうだろう。調べてみるとと、案外その不健康度はキツくない。社員の健康意識も意外と悪くもないので、それくらいが日本の働く女性の本来の理想である。
日本の女性は精神性・記憶力・民度の3ポイントで「理想的」なだけであって、ビジネスマンとして十分に活躍できる社会ではない。だが現代は学歴やビジネススキルや語学スキルや成人スキルばかりが評価され、さらにはプライベートへの侵害を嫌う社会なので、人事の人には苦労がないのである。
社畜の正体がまさに社会進出途上の女性だということ。日本社会は上っ面の合理性だけで人材を選ぶ。つまりスキルがあり「仕事になる」ということで障碍者や女性を採る。どの会社や役所の人事の男性が安直な選択をすると、ああいう風にストレスフルになるし、みんな残業などでヤセ我慢する人だから、過労者が出る。
日米韓の「ブラック社会」問題って全部これに集約されると思う。ヤセ我慢をしている人たちの過度なインフレである。たとえば過労死や餓死の多い韓国だってそう。封建的な大企業や公務員ぐらいしか選択肢がなく、日本人から見れば日本が可愛いくらいである。妥協の選択肢だ。選択肢を外資や外国にまで広げれば、回避手段がいくらでもあるのに。
アメリカも同様に労働トラブルが日常的になっているが、ここもある意味で閉鎖的である。欧州のような労働者をカバーする手厚い仕組みがなく、労働者をフォローできる部分が少ない。政治も資本第一である。
「南の日本、東のアメリカ、北の韓国」という感じか。韓国はソウルからちょっと地方都市に行けば農業や工業が残る場所。アメリカもやはり世界有数の資本主義あっての富でしかない。これらの問題はすべてつながっている。つまり、欧州先進国の成熟社会の水準に値しない強引な経済成長、経験値の貧しさがもたらした不幸なのだ。
解決方法はたった1つしかないと思う。それは「健康指導の徹底」である。日本の健康指導はあまりにも適当すぎる。イギリスやフランスと比べても緩い傾向がある。これはいただけない。どうにかして厳しくすべきではないか。
「飢餓女子」という言葉もある。障碍者の食事が不健康であるように、女性の食事は健康的ではない。富裕層ほど健康的で貧乏人ほど太りやすい。微妙にズレた要因が、社会によってさらに串刺しにされたら、健康的な問題がオーバーヒートを起こすのは当然なので、ではその要因を防止させればいい。たとえば女性のカロリー不足を昼食でカバーできたらどうだろう?夕食や夜食に依存している人は、食事の重心が夜から昼間に切り替わる。胃の負担が移動し、睡眠のストレスが軽減されることになる。昼間よりも夜間の方が実は胃の負担が凄い。太りやすい障碍者も同じように逆にすればいい。
しかも今はIT化などによりオフィスが全国的に分散しているので、満員電車の緩和という副作用だって夢じゃない。仕事の科学化もあるわけで、もはや誰がやっても機能するような事務的な仕事を障碍者なり機械に任せるして人間の負担を軽減する方向性にあった方がいいのではないか。
その点は「マレーシア・シンガポール・香港」という成功事例がすでにある。2001年以降わずか10年ほどで経済や社会が成長。国家はそれに恵まれていて、実際の住み心地などもいいのでこれらの国は世界屈指の優秀都市として知られるようになった。
この2国と1都市が他と違うのは、社畜がすべてだからではないということだ。実際に富裕層に仕える家政婦が健在だったり、高度な医療システムがあったりする。そして支配者は多様である。明るい北朝鮮ならぬ明るいアメリカだ。結果的に一方的な社畜精神だけにならずに済むわけである。
こういった地域は都市国家的なわけで、国や民族のつながり以外の市民の「繋がり」があるわけで、やはりそれを見習う必要が今の日米韓の大人にはあるんじゃないか。中国人をひいきするわけじゃないけど、健康指導をもっと厳格化・権威化させる必要があるだろうね。
マレーシア・シンガポール・香港で社畜がいないことはないけど、韓国や日本みたいな話は聞かないし、アメリカみたいな「廃人」もいないでしょ。黄色人種社会だからといって現地の右翼や暴力団が外国人に対して威張っているわけでもない。やはりこれ、イエロー何とかだからとバカにするんではなく、むしろ学ぶべきだな。
上記の認識はごく当たり前のことだと思うのだが色々と不思議に思う。
第一に病名以上の判断材料が見た目であること。第二に障害者自身が健常者と区別されることを嫌うこと。
第一の話。
身体障害者は文字の通り身体に障害があるので健常者と同じことができないことをすぐにでも理解できると思うのだが、問題は精神方面の話。
「××障害」と診断されているならそれはどれだけ健常者と同じ見た目であっても障害者なのだ。
健常者と同じ扱いをしていいものではない。健常者と違うから障害という病名をもらっているのに。
障害の病名を知らないのならまだしも、診断されている結果を知ってなお健常者と同じ扱いを強いてしまうのはいかがなものか。
第二の話。
主に乙なんとかさん方面の話なのだが、健常者と同じことができないのに何を一緒にされたいのだろう。
同じことが同じようにできるならそれは障害者とは言わないし、障害者として特別視するのは同じことができない人間を見る目として当然だと思う。
基本この手の話は身体障害者によく使われる話だが、精神障碍者も同じく、特別視して然るべきだと思う。なにせ障害者なのだから。
いやまあそのあの飢餓で死ねという意味ではなく「生きるにあたって生かすに余力を与える」という意味でいいたかったわけでして
食うべからずは「飢えて死ね」がデフォルトみたいなので言葉がたりなかったのは申し訳ないっす
働いた分だけよりよくなる はたらく目的がみつかる 目的について手段を犠牲にしない 手段の選択のために補助がでる
障碍者でいうなら障碍者には年金がでて暮らせるのがあって 介護士の仕事を選べばつらい部分を金銭の補助という再配分で
介護士になりたいという選択肢を目的のために選択できる 介護したいが手段が辛すぎて生活できないので無理とならないように
というような配分方法でほか全般的に職業への補助で累進的に補助がでればということなんですよ
仕事の評価を会社の評価だけでなく補助することで経営者も資本を裂かなくていい分公共投資に免税で個人の行動量に対して
重度知的障碍者を殺せるような世の中なら再分配がいらないんだろうけど、殺せないならどうあがいたって『働かざる者も生きるべし』な世の中なんだよ。
小学校ではないけれど、発達障害の学生の対応をしないといけない立場にあった。日々どう対応したらよいか同僚と悩んでいた。結構なストレスだった。
なので、増田さんのお子さんのクラスの先生もかなり悩んでいてストレスを抱えていると思う。発達障害の学生の対応は本当に大変だし、親が怒鳴り込んでくるタイプだとさらに大変になる。
親が「いつもうちの子がいろいろやってすみません」という対応をする場合もあるので、その場合はかろうじて我慢できるし、その生徒への対応も「ただ甘やかすだけ」にはならなくなる。ただ、親が怒鳴り込んでくるタイプとか、親も発達障害があるようなタイプだと話が通じないので、腫れ物に触るような対応をするしかなくなる。何か自分に不都合があれば「障碍者差別だ」と騒ぐタイプであれば、やくざの相手をしているのとあまり変わらない。
なので、先生に増田さんのクラスの親、子供何人かで協力して状況を説明しに行って、先生を味方につけたらよいのではないかと思う。発達障害の学生とそうでない学生が両方いる場合、発達障害の学生のほうがどうしても手がかかり、他の学生がなおざりになることがある。他の学生からクレームが来れば、先生はほかの学生のほうに行く大義名分ができる(実際そういうことがあった)。それで人手が足りないということになれば、何かしらの形で人員を増やすとかできる場合もある。私がいたところではカウンセラーに対応をお願いするとか、人員を増やすとか、発達障害の人への対応の仕方を専門家から勉強するとかやっていた。あとは、こういう対応をすると問題が大きくなる、こうするとうまくいく、というのを同僚と共有していた。完全に問題が解決されることはなかったけれど、少し状況がましになることもあった。
子供は「発達障害を持つ人というのが世の中に一定数いる」ということを理解することと、そういうタイプの人達とどうやって対応していけばいいかを学ぶことができる。世の中には発達障害の人に接したことがなく、「育て方が悪い」「我慢が足りない」で障害を片付けようとする人たちがいる。こういう人たちは「発達障害まで障害に入れてしまったら世の中すべての人が障碍者になってしまう、だからもっと厳しく接すべきだ」と平気で言う。実際に発達障害の人と接した経験があればこういう発言は出ない。あと、発達障害の人に接したことがないと、「実は天才なのだから自由にさせればいいのだ」とひたすらポジティブにとらえ、実際に回りにいる人の大変さを理解できないということも生じうる。個性だから寛容に接せよと言えるレベルであればそもそも障害とは言わない。日常生活にたくさんに支障が出ているレベルなのだ。増田さんのお子さんのクラスメイトはこういう想像力のかけた人間にはならない。ただ、日々ストレスを抱えた結果として「発達障害の人と対応するのはとても難しい、正直避けたい」となってしまう可能性もある。でもそれが現実だと思う。
ある日の事。
ネットやマスコミなどにはまる、普通の人であるあなたが統合失調をこじらす。
もし、そんな現象が起きていたならば、真っ先にネットやマスコミから距離を置いて下さい。
貴方の知らぬ間に、貴方が統合失調状態になっているはずなのですから。
もし、貴方が
「現実世界でそうなっているのは精神虚弱者ばかり。俺は大丈夫」
とお考えならば、どうか、これまでの行動を振り返ってください。
マインドコントロールという“間接的に洗脳される現象”の存在を意識したならば、貴方は気付くはずです。
何気ない普通の光景が、“異常かつ害悪のあるもの”として扱われている事に。
些細な生理現象ですら槍玉に挙げる事によって、貴方を統合失調の危険にさらされている事に。
そう。注意深く観察を続ければ、容易に分かる事なのです。
ネットやマスコミが、一般人の一挙一動を無理矢理煽りネタによって誘導しているという事実に…!
異常者、障碍者による問題行動や犯罪のほとんどは、元は、ごく普通の健常者だったという事実に!
ネット上でグレている人々の大部分は異常者ではなく、危険な表現を浴びすぎたによって異常者をこじらせた普通の健常者なのです。
そして、プロ固定に狙われてしまえば、貴方ですらキチガイの一人に変えられてしまうのです。
と笑っている貴方が、明日になれば「障碍者のような異常行動をする」という状況に陥っても、少しもおかしくはないのです。
いいえ、たとえ貴方がならずとも、貴方の親友、恩師、後輩、妻、両親、我が子が、いつかキチガイを拗らすかも知れないのです。
不良コンテンツに嵌る普通の人が、ある日グレて大変なことになる。
そんな事すら現実に起きているのです。
今、貴方が「DQNだ」と思ってネット、いやリアルでも叩いている相手は、実は、もともとは普通の人であるかも知れないのです。
貴方の大切な人が、いつの日か、危険な使い方をして精神異常者に変えられるかも知れないのです。
こんな現実が野放しの状態で、貴方は安心してテレビやネットや雑誌を楽しめますか?
アニメやドラマにはまる青少年が、もし、非行をこじらせてしまったら…?
それを想像し、危機感を感じたのならば、今すぐ目を覚まして下さい。
そして、メディアとの正しい付き合い方を身内や知人に訴えて下さい。