はてなキーワード: 障碍者とは
優生学って、学問というよりは運動だからね。もちろん優生学は科学の知識と技術を使うことを前提にしていたけど、優生学が正しいっていう主張そのものが無知を露呈しているわけだ。
中国ではすでに遺伝子改変人間を作っているという話もあるし、何が倫理的に許されるかは、ホント微妙。
差別についてはよくわからんが、遺伝子疾患を理由に婚姻に反対するのは、まあ一種の差別だろうね。障碍者の強制断種に近いよね。
アスホール総理がむかし「貧乏な年よりは長生きしなくていい」という趣旨の発言をしてるし
安楽死だの老害だの高齢者を見下す言動を散々やってきたお前らもいる
男性専用車両って
ためのものじゃなく
だと思ってました。
いや、実際そうじゃないだろ目ついてんのか?って言われるのは百も承知で。
半分嫌味です。だってあんな車両一つで痴漢が改善されるわけないでしょう。
例えば朝の通勤電車が10両編成だったとして、そのうちたった1両が女性専用車両になっていたとしても。
大多数の女性は他の車両に乗っていて、それをターゲットにした痴漢がいるんだから。
でもたった1両でも女性専用車両があれば、
女性の隣にたまたま乗ってしまって気を使わなければならなくなってしまった
この「無能」の概念がよく使われる「個人的能力」以上の範囲に及ぶから。
例えば障碍者は無能レベルの能力であっても、助ける必要があり保護する必要があるから守られるでしょ?
あと無能だけど愛されるキャラっているじゃん。それコミュ力高いともいえるけど。
でもキモくて金のないオッサンに向けられるのは「自己責任」なの。
誰も「同情してくれない」の。
同情されないから自力で何とかするしかないけど、無能な上に金もないし、若くもないの。
ギリ健常者の能力だから一向に生活は良くならないし年収も上がらないの。
でも働き蟻として一生を過ごすしかない。
同情されたら頼んでもないのに助けてくれるの。
そこがただ無能なのと一線を引くの。
「同情されることはステータス」であるという認識が我々に圧倒的に欠けている。
だから(同情されない状態を表す言葉がない)ので(キモい)って形容になってるの。
そして無能であるから経済的・能力的評価を与える必要もなくキモいまま。
同情されたり保護されたり能力があった時点でキモい条件から逸脱して救いの道は見える。
だけどこれらの条件に当てはまった上で、金もなければ、若くもない。
金あれば金で慰められる、若ければワンチャンある。
KKOにはそれすらない。
昔、何かの実習で、身体障碍者の訪問ケアサービスみたいなのについて行くプログラムがあって
プロの介護士さん?と一緒に、車いす暮らしの男性の家で料理とか作った
それでそろそろ帰る時間かなってなったとき、介護士さんが別の部屋で別のことをしていたせいか
身障者の人が急にドアの方へ行って動かない足を棒のように使って器用にドアを閉め、私を通せんぼした
たぶん何か強引に迫ったりしたかったのかなと思う
でもすぐ介護士の人が気付いて(ドアの閉まる音がしたから当たり前だ)、来てくれた
もしかするとこの身障者の人はこういうの常習犯だったのかもしれない
正直、立ち上がれもしない相手ならガチでやりあえば負ける気はしなかったので、怖くはなかったけど、
ははぁ~これが世の中ってものなのね、と思った
長文。
25のときにプロジェクトがおおこけしてから、課長にパワハラを受けながらのプロジェクトが続いた。終電、タクシー、徹夜を繰り返す毎日。若さと馬鹿さは紙一重。当時は身体など気にせず、心がおもむくまでの天才プログラミングが毎日続いているなどと勘違いしていた。
最終的にそのプロジェクトは、新卒がぶらぶら入ってきて、自分は「あいつらのほうがおまえよりも生産性高いし、まじでいままで何やってんだよ」と罵倒され続け、心がくじけてしまった。最終的には、どうでもいいテスター業務なんぞやらされ(実装屋としてはそのころからテスターは大っ嫌いな仕事)をやらされて、もう気持ちが参ってしまった。
その時まで、いろんな組み込みをしてきた。SCSIとか、USBとか、画像処理とか、JPEGとか、MPEGとか。会社で勉強して、組み込んで、間違えて、直して、テストして、OK/NG見て。心がNGラインの曲線を描きながら、父に殺せ、母に殺せ、と実家暮らしが災いした。死ななくてよかった。(そこから数か月工場に通ったが、朝が早すぎて体力的に持たなくなってしまった。同時にパワハラからのうつが、どんどんとひどくなり、結局持たなかった。(その後パワハラ上司は窓際に追いやられたらしい。)
会社を辞めてから、なぜかコピーライターになりたくなってしまった。そして実際に2つの会社を経験し、泣きながらやめることになる。
一つ目の会社は、有給がなかった。コピーライター養成講座に通いながらハローワークで見つけた求人で、「有給ないんですか」って言ったら「んなもんねーよ」と、確かに誰も文句ひとつ言わずに、有給なし、ボーナスはデザイナーのみ(デザイン事務所だったから)、うつは隠して働かないとで、結局、夜は全く帰れず病気が辛くなり辞めてしまった。
それからもう一社で働いたが、Macの起動音を聞くと辛くなるほど追い詰められ、結局退社。(それ以降、Macでどや顔している人たちにはちょっと嫌な気持ちを抱く)
さあ、じゃあ、自分は売り物があるんだ、結局プログラミングしかないじゃないか、とJava屋さんに転向。この時の身売りが結局今までを何とか結び付けた。
月の残業は20時間程度、終わった後の主な業務は飲み会っていう天国に(一回終電もあったけど、すげえ怒られた記憶もあったけど、一回土曜日出勤してピクニック気分で派遣さんがお弁当作ってきてくれたけど、ほんとにいい思い出しかねえ)。
3年ほどプログラマをしてから、ライターに転向したり、自分にとって屈辱的なテスターに転向したりなどしつつも、幸せな生活を保っていられたのが崩れたのは会社の上場。それによって何もかもぐちゃぐちゃになった。社内政治が生まれ、嫁をとった自分には再び苦しい現実が続き、「あの野郎、ぶっ殺してやる!」という罵声が飛び、結局従い、残る人は残る人、辞める人は辞める人といった選別が行われ、結局辞めざるを得なくなった自分は、何のあてもなく千切れる糸を眺めていた。
そのころ、地震があった。テレビから逃げられず、結局3か月休んだ。フラグは立ちまくった。
その後、何とか働かしてくれる取説の会社があった。まじめに働いててもそもそもの英語力のなさで各方面に迷惑をかけた。
迷惑をかけながら、結局自分は障碍者ではないのか、という疑念がわいた。それをあまり検証せず、もう現状の仕事を続けていくのは無理と感じた。
でも割と給料暮れるし、そこそこ幸せ。いつかは正社員か。などぼやきながら働いている。
落ちて行っているのか、どうなのか分からないけど、誰の参考にもならないけど、生きるって、こういうのもあるんだよっていうのを増田ってみました。
彼らは若者や団塊ジュニアが刑務所並みの食事を強いられている中、豪華な食事を取っていて若者や団塊ジュニアを見下しています。
彼らは若者や団塊ジュニアが貧困的な生活を強いられている中、のうのうと生活しています。
彼らの貧困によるフラストレーションはこれまで、富裕層や赤の他人に向けられていました。秋葉原の通り魔や相模原の障碍者殺戮事件と同じです。
しかし、彼らの怒りのフラストレーションはとうとう理性をも破壊し、政治家はおろか日本の天皇制にまでも向けられつつあります。
このまま放置していけば、次は天皇制に対する誹謗行動、やがては暴動につながりかねません。
統計的には日本人の8割は天皇制を支持していると思われますが、内心では天皇制そのものに憎悪を抱いているはずです。天皇制そのものが日本最大の不公正であると考えているからです。
女性専用車両は相手する人がいるけど、障碍者専用駐車場には普段そこに人がいないから。駐車場だし。まさか、障碍者のために駐車場に1人張り付かせるわけに行かないから。
喧嘩になってめんどくさいからでしょ。店員に通報ぐらいはするが、店も店頭で客と喧嘩なんかしちゃったら店の雰囲気を落とすから及び腰。
警察を呼んで粛々とレッカー持っていって警察が対応してくれるようにせよ!という話ならわかる。警察が動くとなると、立法化が必要だけどね。
体がついていけなくて休みをもらいました。
(増田には書き込みできてんじゃねーかという話はご容赦いただけると嬉しいです)
【辞めたい理由】
・業務内容についていけない。数学が大の苦手なのに金融なんて、選択を間違えた
・プライベートで美術・デザイン方面で評価をもらってて、やりたいことがある
・ただ最近は、ストレスからか「興味」「生きる楽しみ」「生きる意味」みたいなのが感じられなくなり、
・このままだと精神の健康を失うことが目に見えている。完全に壊れる前に辞めたい
・いい上司や先輩に恵まれたと感じたことがない。私以外の人間関係はできあがっており、孤立している
・体調崩した後、労働条件を変えられた(呑めないなら辞めろとも言われた)
①社宅あり→なし
・↑が全員平等な条件ならともかく、うつ病後でも社宅あり首都圏総合職なんてザラにいることを知った
・体調に配慮して業務量を調整してはもらっている(医師の診断書が出ている)。しかし
①「調整」といいつつ普通の業務量(残業代なし)。総合職並み(研修や当番は免除)
②「調整」している(会社としては普通の業務量を任せていない認識)ため、人事評価は普通以下とする旨の通達
③体調配慮の件がヒラには周知されていないため、「何であの子だけ特別扱い?」と反感を買い孤立が加速
【思い留まる理由】
・生活のため。幸い実家は健在だが、想像を絶するド田舎で、働き口はない
・東証一部上場企業の新卒正社員というブランドにしがみついてしまう
・社会全体から見ると恵まれているほうだと思う(4年目事務職資格なしで年収330万、休暇も取りやすい)
会社を辞めてどうするかなんて展望はないけど、とにかく現状から逃れたい。
休職は結局会社に戻らないといけないため、心が休まらなかった。
精神壊したら元も子もないという焦りだけが頭にこびりついてる。
20代前半を完全にどぶに捨てた気がする。
付き合っている人(社内)はいるけど、結婚の話は一向に出ないし、辞めたら自然消滅だろうな。
(こういう悩みは一切話してない。ネガティブなことを話して嫌われたくない)
手帳を取って障碍者枠、も考えたけど、親に泣いて止められた。親を泣かせてまで取りたい手段でもない。
会社は友達作りの場でも、楽しいだけの場でもないことは理解しています。
でも、苦痛のみを味わい楽しみが一切ない苦行の場である必要もないと思ってしまいます。
「生活のためと割り切って、いるだけで給料がもらえると思えば…」→いることで精神が削られる場合はどうしたらいいんですか?
ちょうど1年前に退職を申し出たときは、引止めにあったけど、結局1年間決心は変わらなかった。
甘いですか。もう少ししがみつくべきですか。
追記:4大卒(1浪)、新卒入社4年目、もうすぐ5年目の女、27歳です。反応ありがとうございます。
追記2:【再度辞めようと思い立った理由】先日、若手の間に受けるべき資格試験を全部受け終わった。
「ここまで頑張ったんだし、昇格まで居座るか!」という考えが浮かんでくるかと思いきや、
「逃げずに頑張ったと言う自己肯定感が出来た。悔いはないから辞めてもいいや」って考えになった。やっぱり深層意識で
辞めたがってるんだと感じた。
ど田舎出身のおっさんだけど、40年ほど前のこと考えると知的障碍者への社会的な配慮って進歩したなと思った。
思い返せば、昔も知的障碍者は居たんだけど、「知的障碍者」なんて言葉は一般的じゃなかったから
で、そのキチガイは真昼間から田んぼ脇にぼーっとたってニタニタ笑ってるのよ。
まぁキチガイってのはそういうもんかな、って子供心に思ってた。
それが今やどうだ。授産施設が作られ、立派に仕事もできるようになっている。
もちろん当時からあったかもしれないが、ど田舎に普及するほどではなかったはずだ。
今も配慮配慮というが、社会的サポートってのは地道に進んでるもんだな、と感じた。
(現在進行形で多大な苦労があったとは思うが。)
以下は別に男女差別に限った話ではないがわかりやすさのため男女問題に絞る。
(必要ならば、各自で外国人や障碍者等に読み替えてもらいたい。)
同じ条件であるにもかかわらず男性の方が女性より優遇される現象。(またはその逆)
早くから問題とされたため近年この傾向はほとんど残っていない。
しかし女性は大相撲の土俵に上がれないなど一部には残存している。
男性が女子校に入学できないこと、女性が男子校に入学できないことを差別と呼ぶ人間はいない。
これと「女性専用車両」「女性だけの街」問題との違いはどこにあるだろうか。
女性が子を産むことに起因する区別(女性の坑内労働禁止など)も
差別と言われることがあり、差別と区別の境界ははっきり引けるものではない。
男女は死亡率が違うため生命保険料などが異なるが、日本ではこれは合法であり、EUでは差別として違法である。
もちろん男女の合格判定基準に差はなく、女性が男性より問題を解く力がないわけでもない。
これはそもそも女性が東大を志願しないことによって起こっている結果である。
これに対し、機会均等なのだからあとは志願者の自由で何も問題はないのだとする説と、
そもそも意欲不均等とは過去の機会不均等が根を引いている証拠なので是正するべきとする説がある。
企業が採用者を決めるときなどに、より素晴らしい候補者を選択しようとするのは当然である。
しかし、選定の時間が有限である以上、候補者の能力や人格を一から百まですべて知ることはできない。
この時にどうしても利用されてしまうのが過去の採用者の実績である。
統計的に男性の方が女性より業績を残す(またはその逆)とはっきりしていれば、
候補者本人に何の非もなかったとしても、統計的判断が加味されてしまうものである。
統計的差別は、往々にして、本当に期待する結果を生んでしまう。
個人個人の実力にはブレがあったとしても、何千人何万人と採用した際、
統計データを完全に信頼して選択した企業とそうでない企業にはやはり差が生まれてしまう。
(これに関しては男女よりもむしろ学歴フィルター等の問題を考えればわかりやすい)
これを是正するということはすなわち、企業に「統計データによらず個々人の実力のみを見ること」
つまり今まで以上の負担やコストを強要することに繋がるため、非常に困難な問題になる。
女性の管理職問題は、意欲の不均等と統計的差別が合わさって発生している。
それ以外の者にとっては機会の面で相対的不遇な状況に置かれることになる。
機会と結果を同時に均等にすることはできないという根本的な要因から発生する現象。
意欲の不均等や統計的差別は、もともと過去にあった機会の不均等が原因であることから、
逆差別を積極的に行うことによって強引に結果均等な状況を作り出し、
意欲の不均等や統計的差別がじゅうぶん無くなってから逆差別を解消することによって
最終的には機会も結果も同時に均等にする施策。
途中の段階で差別を一度受け入れてしまうため、これが許されるのかどうか議論がある。
なお、この男女差を打開するために、女性のみ男性より低い基準で別枠のプロになれる「女流棋士」の制度がある
(アファーマティブアクションの一例であろう)。
しかし、この制度が逆に女性プロ棋士の誕生を阻害しているのだとも言われる。
囲碁では女性プロも普通に存在するため、将棋というゲームのみが男性にとって得意な構造になっているのか、
それとも裏側に何か発見できていない差別が隠れているのか、理由は不明。
現実化する結果というのは確率が低かろうが高かろうが関係なく事象する。
むしろ確率がどれだけ低い事象であっても現実はおかまいなしにサイコロを振り続けている。
そして結果として残し続けている。
冷静に考えて欲しいが太陽系があり地球があってこの文章を読んでいるお前が生誕してここまで生き延びてきた確率は宇宙生誕から計算すれば0に等しい程度の確率です。
ところが現実にとっては結果が全てであり確率が高い事象しか常に起こさないと思い込んでいるのは人間の脳だけです。
例えばの話、青信号で横断歩道を渡ってても信号無視のトラックにひき殺される確率は0.001%程度ある中で
お前が渡るときは死ぬわけないと思っているし平気で渡るわけだが、
実際に事故が起こり死んだ人間にとってはどれだけ低い可能性でも現実として結果が残る。
現実というのは人間の期待や計算を平気で無視して現実化してくる。
どれだけ交通整備ができて事故が起きないような世の中に変えても
横断歩道を渡ることで発生する死亡リスクは0%ではなく確かにそこに存在し続ける。
障碍者にしたくないから女児を産みたい、というのも恐ろしく現実への理解力が足りていない。
女児を産んだところで障碍者が産まれる確率は出産という行為に必ず紐づいてくる。
そのあとに出るのは障碍者ではないか、障碍者か、その結果だけしか答えない。
いくら可能性が高い方に賭けたとしても、現実は容赦なくそれを裏切る結果を出す準備ができている。
生きる以上は常に現実側が出す無慈悲な結果とどのように付き合っていくのかということだ。
大きな決断を迫られるとき、弱い人間は常に可能性が高い方へとベットしたがる。
しかし、可能性が高い方に賭けたからと言って必ずしも希望の結果になるわけではない。
もし希望した結果になったらその時は喜べばいい。
しかし現実の出した結果が希望と反対なら?可能性が低かった方なら?
そういった事態に陥ったときに人間として自分がどう行動するのか、
可能性が高い方に賭けたのに運が悪く現実が希望の結果を出さなかったとき、
彼、彼らは真に不幸である。常に落胆の底から出ることはできない。
いかに現実が非情であり、無機質であり、抗うことのできない存在だったとしても、
可能性の高い方だけが結果をもたらしてくれることだと信じ切っている。
ここ10余年の間にも発生するまでは誰も信じておらず可能性も低かった事象が平気で発生している。
タイトルだけだと、何ってんだこいつって感じだけど
病人や障碍者って働けなくても、まぁ仕方ないって思われるじゃん。
でも病気じゃない人、例えば自分がそうなんだけどアトピーの人とかって
居場所がないんだよね。別の言い方をすれば生きづらい。
冬とか乾燥で肌が荒れて辛いし、夏は汗で痒くて辛い。
病状が出ると顔が赤くなったり、皮膚がボロボロして外に出るのが嫌になる。
辛いけど、働けないってことないじゃん? 別に気持ち次第で外にも出れるじゃん?
論理的にはそうなんだけど、気持ち的にそれが出来るかって言われると難しいと感じる。
でもそれを許容してくれる人はそんなに多くない。
いや、言えば分かってくれるんだろうけど、一々すべての人に説明するのは手間だ。