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はてなキーワード: 背中とは

2018-03-12

anond:20180311152235

私は子供産んでからそんな感じになった。まるで憑き物が落ちたかのように心がさっぱりした。

単に子供との物理的なふれあいに心癒されている感がある。子供をだっこしたり、背中に寄り掛かられたり、頭をなでなでしたりするとほっこりする。なんか生きるのが楽しくなる。

2018-03-11

anond:20180311194610

勇気を出して一歩踏み出せ。

関係が壊れるとか後先気にしてると機を逃して一生後悔するぞ。

かに背中を押して欲しかったんだからそんなこと書いたんだろ?

行け。同じシチュエーションは二度と訪れないぞ。

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

2018-03-09

背中バキバキに凝ってる

鬼が現れそう

anond:20180309015126

こんばんは、牡蠣です。正確には、前世牡蠣でした。無脊椎動物のため、当時は考えるということができず、ただ感じていただけでした。

あなたに教えてあげられることとしては、リズムについてです。海には大きなリズムと小さなリズムがあり、その波のなかで波に打たれ揺らぐ自分の体(身)は肺もないのに呼吸をしているようでした。私は穏やかな入江暮らしていましたが、あまりに波が静かになるリズムの只中では、体が刺激を求め、どんな些細な水のゆらぎも感じ、その微細な振動の中にさらリズムを見つけることができました。まれに、その整ったリズムを破るように私の背中ガリッ、ザリッという衝撃をうけることがあり、あれはおそらくイシダイなど立派な魚たちが私を噛んでいたのだと思います。食いちぎれなくてさぞかし悔しかったでしょうね。

私は、ある日体が溶けはじめ、それで命を失いました。波のリズムが遠のき、些細な刺激も消え、ほんとうの静寂の世界がやってきたと感じたのです。それは新しく、むしろ刺激的な体験でした。

今願うこととしては、私の体が海に溶け、海の旨味成分がわずかでも濃くなりましたように。私達は海からまれ海へかえる、そのリズムの一つに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない生き物としての振る舞いを、自分が達成できていたら夢のようです。

人生を豊かにする上で、ドーパミンなんかより、よっぼど大事もの

以前こちらの増田を書いたものです。

https://anond.hatelabo.jp/20180302021808

ドーパミンサプリメントを手にした私が今思うことを、まとめてみました。

ご一読くださいm(_ _)m

人生を豊かにする上で、ドーパミンなんかより、よっぼど大事もの。」

よく夢を見る。

それも、皆が想像するような素敵な夢などではなく、とんでもなく、吐き気がするよな最悪な、悪夢を。

タワマン引っ越しからというもの、僕の生活は快適そのものだった。

れいに清掃された、広い内廊下。冬でも暖房が行き届いた、美しい内廊下

玄関を入ってもその暖気が感じられる、素晴らしい内廊下

なんなら、部屋より玄関のほうが温かいくらいだ。

いや、褒めるべきは内廊下だけではない。

以前の部屋より、(ずっと)明るい室内。十分に換気された空気清潔感のある床板に、浄水機能付きの水道

洗面鏡の下に取り付けられた間接照明… etc

すべてが僕のあまりあニーズを満たしていた。

ただ、一点を除いては。

そう僕は、引っ越しの前に寝具を捨てた。

寝具というのは、東京引っ越してきて以来、4年間ずっとお世話になり続けた、セミダブルのベッドのことだ。

こいつは、僕が東京最初の家に入居するときに買ったもので、

家に来たときから僕を困らせる、問題児だった。

部屋に似合わず大きすぎる、フレームサイズ合成樹脂でできた組み板の悪臭

ベッド下についている、引き出しの雑な作り。その結果起こる引き出しの引き出しづらさ。

すべてが、僕の洗練されたモノへのニーズを、阻害していた。

ずっと嫌いだった。そんなやつを。4年の節目、タワマンへの引っ越しという

光輝く栄光への大革命(とでも呼ぶべき大きな変化)の折に 捨てた。

タワマンにピッタリの、もっと素敵な寝具との出会いが、僕を待っている。

新しい生活に、心を躍らせる当時の僕は、そう信じていた。



引っ越して数日が立ったある日、夢をみた。

今日までつづく例の悪夢だ。 体は呪われたように重くなっていた。

その時の僕の寝床は、床に布団だった。

シーツは新調した、枕カバーも新調した。

気持ちのいい朝を迎える準備は整えた。(つもりだった)

しか現実は違っていた。 首は痛み、背中は痛み。

日に日に、不調は目に見える形で僕の体を蝕んでいった。

不調を訴える、ギリギリのなか、僕は逃げ道を求め、あの記事を書いた。

ドーパミン最強説。」

すべてを変えられる気がした。

テンションを変えられば、痛みなど吹き飛ぶだろう。

藁にもすがるような願いをこめて、ドーパミン投資したのだ。記事に書いているとおり、サプリ大量購入した。


かの記事を書いた翌日、偶然兄の自宅に行くことになり、そこで3泊した。

寝床は同じく、床に布団だった。

驚くべきことに、その3日で、首の呪いのような痛みはすべて解け、

体は見違えるほど軽くなっていた。

僕は、焦った。

この違いはなんだ。床に布団、構成は同じハズ。

なぜこんなにも、パフォーマンスに差がでるんだ。

この時点でドーパミンサプリ摂取していない僕は、パフォーマンスの差が、ドーパミンではないことだけは確かに理解していた。

間違えた間違えた間違えた。ドーパミンじゃない。必要なのはドーパミンじゃないんだ!

違いはなんだ。この部屋と、僕のタワマンとの。違いは一体なんなんだ!

焦りを、抑えながら、寝起き、今までにないくらい軽い体で僕は、

寝ていた布団をきれいに整える。

ふと気づく。敷布団の下に、何かがいる。

慌てて掛け布団を投げ捨て、枕を蹴り飛ばし。敷布団をめくった。

そこにやつがいた。そう。それは……

マットレスだ。

敷布団の何倍もの、豊かな厚みを蓄えた。クッション性抜群のマットレスがそこにはいた。

こいつだ! こいつだったんだ。

すべての源はここにあったんだ。

思えば、僕の旧来の寝床。今はなき親愛なるセミダブルのベッドちゃん

それを有していた。 マットレス。 

思えば、あのとき多忙な日々のなか睡眠時間は削られ、多少の疲れはあったものの、

これほどまでの首の痛み、背中の痛みは、経験しなかった。

それもこれもすべて、 この マットレスのおかげだったのだ。

今まで僕の体を、優しく受け止めてくれていた。 親愛なるマットレスよ。

僕は間違えていた。 その辛さに耐えきれず。薬(サプリメント)にまで手を出して……。

僕は急いで持ち込んでいた、Apple社製 Mac book Ari 13インチを取り出し。

フィット感のいい、黒の純正内蔵キーボードを壊れるほどに叩いた。

タカタカタっ……!

その速さはゆうに光の速度をこえ、僕のPC光回線をつうじて、いつもどおりの速度で

検索結果を表示していた。

高反発 マットレスhttps://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E9%AB%98%E5%8F%8D%E7%99%BA%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9

これだぁ!私が欲しかったのはテンションでも、ドラッグでも、ましてや、酒によった20分間の泡沫のような快感でもない!

一日を充実させる最高の睡眠が、摂取できるマットレスだったんだ!

有無を言わさず。迷わず。即座に、その検索結果の最上位に位置する。マットレスポチった。その速さはゆうに光の速度をこえ(ry

兄の自宅から、タワマンに帰ってきた。

私は、この週(今週)のアタマから毎日マットレスのことだけを考えていた。

マットレスよ。早く私のもとへ届いてくれ。 そうして、一刻もはやく素敵な睡眠と、悪夢毎日から私を脱却させてくれ。

月曜日商品発送のメールがとどいた。帰宅すると不在届が入っていた。いよいよマットレス出会える。

期待と不安が入り交じるなか、仕事での多忙職場への寝坊がつづき。

受け取れないまま、火曜、水曜と過ぎた。今日木曜日

やっと来た。待ちに待った。マットレスが。 午前中 泥のような睡眠悪夢を取っていた私の部屋に。

宅配ボックス商品投函された通知音が、鳴り響いた。おかげで目が覚めた。(会社には遅刻した)

これで、ようやく悪夢から開放される。

期待を、胸に、朝、部屋の玄関をでた。

そうだ、ついでに、僕の充実した睡眠ライフへの夢が詰まった、

宅配ボックスを、確認していこう。(とりあえず会社いこう。)

そう思いながら、マンションのホールに出た私だったが、うっかり確認は、忘れ、そのまま会社へと向かった。

でもまあよい。 今日帰宅すれば、最高の睡眠保証してくれる。厚さ6cmマットレスが僕を待っている。

今日睡眠には十分に間に合う。大丈夫だ。落ち着け。慌てるような時間じゃない。


仕事を早々に切り上げ。初恋の人との運命の再開のような高揚感を胸に、宅配ボックスに向かう。

408。

僕の部屋番号が表示される。 宅配ボックス電子音が鳴り響き、いかにも頑丈そうな鉄製の扉が開く。

…………。

そこに、マットレスではない何かがいる。入っている扉のサイズからしても。こんな小さいボックスに、あの豊かな厚みをたたえたマットレス

収まるわけはない。

こいつは一体なんだ!!

A5サイズの厚みのある茶封筒。振ると中からジャラジャラと音がしている。

これは、まさか

封を切ると、見慣れないどくどくしい色使いに、英字がプリントされた、見るからにヤバそうな容器が5つ出てきた。

そう、以前買った、ドーパミンサプリが届いたのだった。

ドーパミン最強説。 そんな理論は今の僕の中では見事に崩れ去っている。

ちがう。欲していたのはこれじゃない!!もうドーパミンなんてどうでもいいんだ。僕は叫んだ。

ぼくがほしいのは、柔らかくて、ぐっすり寝られる。 ちゃんとした、ちゃんとした寝床なんだよおおお。。

くそそおお。

寒さと怒りに、震える手で、僕は送られてきた、大量のドーパミンサプリメントを仕方なく頬張った。

人生を豊かにするうえで、ドーパミンなんかよりもよっぽど大事もの。それは上質な睡眠

提供するマットレスではないだろうか。

おっと、サプリが効いてきた。このテンションのおかげで、今夜の悪夢は乗り越えられそうだ。

2018-03-08

anond:20180307232313

ブコメみて思い出したのはコナン包丁を氷につきたててそこに自分背中をたたきつけるようにして自殺したってやつ

体調不良電波した話

私が原因不明体調不良で休んだ。(背中の激痛で病院行きました)

翌日、左隣の上司が休んだ。

翌日、右隣の先輩が休んだ。

翌日、前に座っている契約社員が休んだ。

翌日、斜め前に座る契約社員が休んだ。

モグラ叩きのように私の周囲が休んでいる。

部署の人に「最近必ず誰か休んでるよねww」と言われた。

anond:20180308083735

口の利き方がなってない。おれが若いころはそういう生意気な口の利き方した日には恐ろしくて駅のホーム歩くとき背中を壁に沿わせるようにしたもんだけど思えばいい時代だった。

2018-03-07

anond:20180307035057

50ccカートはどう?

マリカーみたいな違法スレスレじゃなくてクローズドサーキットの方

快感や緊張感はスノボに負けないと思うよ

免許不要だし

時間走っただけで腕肩首背中筋肉痛になるほど体力使うから夜もぐっすり眠れて気持ちいい

anond:20180307084930

ありがとう

痛みが続くようだったら、土曜に整形外科行ってレントゲン撮ってもらうよ。

ついでにエコーもやってもらおうかな。

やっぱり、病院ハシゴするしかないよね……

同じように背中が痛くなった先輩が痛んだけど、その先輩は

十二指腸潰瘍だったみたい。もしかしたらそれじゃないか?って言われたけど良く分からない。

anond:20180307083644

あらゆる病気を疑うこと

可能検査を全部やってみること

それだけ強い症状がでてるなら原因ははっきりする

背中場合はとくに放散痛の場合があるから痛む場所と原因の場所が異なることも多い

背中痛いんだけど、似たようなことになった人教えて

内科に行ったものの、原因不明(一応胸部のレントゲンは撮った)


症状

背中の左側が痛い。

 左腰の上部分、肋骨背中側とでも言えば良いのかな?

・寝て2,3時間すると痛い。痛さが2時間ほど続く。座ると痛みが少し和らぐ気がする。

・臓器をつかまれてギュ~っと絞られているかのような痛み。

 1秒感覚ギュッギュッとされてる感じもする。チクチクとも言うのか?

 (背中を叩いても押しても痛くないし、捻っても痛くないので臓器のものだと思う)

・今飲んでいるのは、花粉症の薬(コンタックZ)のみ。

・2年ほど前にも同様の症状になり、深夜3時激痛で目覚めたことがある。

 (どの体勢をとっても痛くて苦しみながら2時間程度過ごした)

病院に行った

内科に行く(2度目)

 原因不明と言われる。

 2年前内科では、治りかけて来ているときに行ってしまったが

 「胃が荒れてたんじゃないかな~」で終わった。

 今回行った内科では

 「喉が痛いとか併発(?)しているものがあれば内科なんだけど

 これは整形外科じゃないかな~。

 なんもないと思うけど、とりあえずレントゲン撮るか」 だって


気になること

・叔母が尿路結石?になった

叔父糖尿病

・両親共に高血圧(私は未だ高血圧ではない)

似たようなことなった人いたら、何だったか教えてほしい。

やってるだけで楽しいって儲けもんだなと今年スノボをはじめてみて思ったんですよ

ターンができるようになってから急激に楽しくなった

もう滑ってるだけで楽しい

最近コース外も滑ってみた

木があまり生えてないターンができるところでタイミング見計らってターンすんの、いつもより丁寧に

本当はやっちゃダメだったらしいけどすんげー楽しかったのよ


ほんで、夏の間もやってるだけで楽しいことがしたくて、バイク乗ってみたいって思ってる

はいっても、二輪なんて原付すら乗ったことなく、スノボよりも遥かに命の危険があるものに軽々手を出していいんだろうか、と悩んでる

性格は年々慎重になっていってるという自信はあるけど、かつて愛車を単独事故で廃車にしたことがある身としてはやっぱり不安が大きい

こんな人間が始めちゃっていいんだろうか

入校しようか迷ってるから誰か背中を押すか貶すかして欲しいです


ってさ、他人にどうにかして欲しいって思ったる時点でダメだっていうのは百も承知で、とりあえず意見がききたい

迷った時はみんなどうやって決断してんだろう

2018-03-06

この鬱屈とした思いは自分だけのものじゃない

でも作品共感したところでどうする

そもそも対等ではないし

作品こちらに伝わってきているという時点で相手は上の存在

作品生産を通して ちゃん人間として社会活動をしている

大人しく背中を押されろ

行動しろ

引きこもったまま自分作品を作ろうなどと愚かなことは考えずに まずは人と関わらなくては

もしかしてケツのせいなのでは

おっぱいを押されたら痛いという事を知らない男性が意外にもいるらしい。

人体なんだから痛覚あるに決まってるだろ!と怒る人も居るがその表現はややズレているように感じる。

なぜなら明らかに腕や背中を押された時よりおっぱいを押された方が痛いからだ。

痛覚がどうこうという話ではない。急所なのだ急所から強い刺激はやめてほしいのだ。

さて、急所である事を知らないのは仕方ないとして、何故男性の中にはおっぱいは無痛であると考えてしまう人がいるのだろうか。

人体なのだから、神経が通っているのだからある程度の衝撃を与える=痛いになるのは当然である

しかし確かに思い返すと男性の描くおっぱい描写からは痛みを全く感じさせない描写もある。むしろ多少の衝撃も吸収してくれそうな気さえする。

もしかしてそれはケツのせいなのではないだろうか。

男性が誰しも持つまとまった肉なんてケツくらいのものだ。

だがケツは他の場所に比べて痛覚が鈍い…。気がする。完全に個人の感想だが。

多少叩いても、ぷにぷに揉んでも、ツンツンしても痛くはない。ぷるんと軽やかに受け止めてくれる。それがケツだ。

自分に無い物を想像しようとする→似ている物で代用して考える→間違った理解をする。

こんな流れでおっぱいは誤解されているのではないだろうか。

まりケツが悪いのであるけしからん

2018-03-04

詩織愛海の「らぶ!」」第59回放送女の子モテまくりのあの子話題パート1書き起こし

詩織「この番組は海を愛する…… 瀬名詩織と」

愛海「お山を愛する棟方愛海が」

詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」

愛海「この番組は磯端交流提供でお送ります

詩織「いや…… もうね……」

愛海「どうしました? 始まる前の打ち合わせからずっとそんなモドカシイ雰囲気だしてますけど」

詩織「あの子のあの話題って公表してよいかしら……」

愛海「どの子のどの話題ですかね」

詩織「うちの事務所の五人ユニットリーダーの子……」

愛海「数多くていい感じにわからないですね、していいです!」

詩織「まあ…… 話題的に…… どうかんがえても…… いいわけないのだけれど……

……します」

愛海「おー」

詩織「その…… 私海が好きでしょ……」

愛海「ちなみに愛海は好きですか?」

詩織「今そういう話してないから…… 茶化さないで……」

愛海「ごめんなさい」

詩織「それでね、海を見ようと電車で移動していたの。

そしたら、電車の中で気分が悪くなっちゃって……」

愛海「たいへんですね」

詩織「そうなの。ひとまず途中下車して、ホーム椅子で座っていたのだけれど……」

愛海「こういうときアイドルやってると、辛いですよね。長居すると人の目を集めちゃいますし」

詩織「ええ…… だから早くタクシーでも捕まえようと思ったのに、体が動かなくて……

そしたら、たまたまの子が通りがかってね」

愛海「すごい偶然ですね」

詩織「そうね…… それで自動販売機でお水を買って来てくれたり、横にいて背中をさすってくれたりして……

すごく助かったの……」

愛海「あたしも詩織さんの背中さすりたいです!」

詩織「だから…… 茶化さないで……

そんなことがあったから、後日事務所で会ったときにお礼を言ったの」

愛海「ここまで体調を崩した詩織さんには悪いですが、不穏な話は一つもないですよ」

詩織「そのときは、彼女も気にしないでみたいなことを言っていたのだけれど……

その、私が軽口で「恋人あなたみたいな頼れる人が欲しいわ」と言ったのよ。

そしたら、実はそこにはそのユニットの子たちがいてね……」

愛海別にいいじゃないですか。あたしもそれぐらいよく言います

あわよくばお山を登らせてもらいたいので」

詩織「ところがね……

なんだか、あのユニット……

リーダーの子を巡って残りの四人が恋の鞘当てをしてるらしいのよ……」

愛海「ええええええええ!!!!!!

そ、そ、そんな、そんなことってあります!?!?

詩織「あるのよ…… この業界って意外と異性との繋がりがないし…… なによりその子格好いいし……」

愛海「格好いい系ですかあ」

詩織「それでね…… 私の態度が彼女に媚びてる…… みたいな……」

愛海「これはよくないです! これはよくないです! そういうドロドロよくないです!

ラブアンドピースラブアンドピース

……まさかとは思いますけど、柑奈さん関係してませんよね?」

詩織「共演はしたことあるけど…… そのユニットではないわ……」

愛海ちょっと! なんでヒントだしちゃうんですか!」

詩織「もうそれでね…… 私も困っちゃって……

だれかに相談したくなって、そのリーダーの子と一番仲が良い子に相談したのよ……」

愛海「だからそのユニットの中に一番仲が良い子はいないみたいなヒントを出さないでください!」

詩織「そしたら

「え…… 嘘でしょ…… アタシがアイツのことを一番…… おいてかないでよ!」となんか彼女気持ちを揺れ動かしちゃって……」

愛海「いやいや、いやいや、もう、これ、いやいやいやいや」

詩織「ほんともうね…… 乃々ちゃんといい、幸子ちゃんといい、14歳女の子ハーレムを築きたがるのかしら……」

愛海「! こ、こらこらこら! こらこららこらこらこらこら! だ、だめでしょ! もう数人しかいないでしょ!」

詩織「声はまだありません」

愛海「声はあるよ! 全員声はあるよ!」

詩織日本人です」

愛海「それで除外される子一人だけだけども! 少しでもヒントを出さないで! 特定されちゃうでしょ!」

詩織属性言って良いかしら……」

愛海「だめに決まってるよお…… もしクールって言ったら一択だし、キュートって言ったら二択だし…… それに柑奈さんと共演の話とかもあるから……」

詩織「それにしても…… ああいう子ってモテるのね……

あなたもああいう格好いい系目指したらいいじゃない……」

愛海「えー、あつみはー、可愛い妹系アイドルだしー」

詩織「そうは言うけどね…… 妹系アイドルに惚れる子って少なそうよ……

少なから女性はどこか力強さとかに惚れる部分もあるわけで……

だいたいね…… あなたはすぐ肉体関係を結ぼうとするでしょ……」

愛海「いや! ですからスキンシップラブリーな愛のスキンシップ! 肉体関係とか言わないで!」

詩織「そういう浅い態度がお山登りを失敗させるのよ……

どうせなら結婚を前提に口説きなさいよ……」

愛海「なんだか話飛んでません?」

詩織「とんでないわよ…… なにしろ、その子、そのユニット四人全員をもう抱いたって話だから……」

愛海「嘘でしょ!?

詩織「嘘よ……」

愛海「え? ……どこまで?」

詩織「そんなドロドロハーレムの五人が今日ゲストに来てくれています

愛海「嘘でしょ!?

詩織「嘘よ……」

愛海「もー!」

詩織あはは

愛海「というコントにして終わらせようとしてるけど、これ本当の話であっても、嘘の話であっても、しちゃダメだよ!」

詩織「ははは……」

愛海「もう!」

2018-03-03

天涯孤独になった。

母ひとり子ひとりの家庭で育ち、先日母が亡くなったため天涯孤独になった。

母方の祖父母は既に鬼籍

父親は生死も知らない。親戚というのもおそらくどこかに存在しているのではないかと思う。その気になれば調べられるのは知ってるけどその気はない。

母子家庭になったのも親戚と縁を切ったのも、父親暴力が原因なので。

幼い頃からいずれこういう状況になることはわかっていたので覚悟はしていたつもりだったのだけど

いざひとりになると、心もとなさがすごくて驚いている。

悲しさとか寂しさは想定してたんだけどな。

背中を預けられるものがない。足元がふわふわしている。

まさに根無し草になった気分だ。

病気がちで最後は寝たきりの母だったけど、思っていた以上に頼っていたのだと知った。

葬儀の時、母の友人に

あなたはこれで自由の身だ」

と言われてハッとした。

今まで母の介護のために上京も就きたい職種我慢していたけど、もう何でも好きにやっていいんだ、と。

でも、今は会社が私にとって社会との唯一の接点のように感じられる。

年齢的にも微妙から、もし転職なりの行動を起こすなら今しかないんだけどな。


結婚して子供を産んで家族を作れたらいいんだろうけど

これまでは要介護者付きの母子家庭の女なんて…と、そして今は身寄りのない女なんて…と尻込みしてしまう。

しかも進学費用や介護費用借金も残っている。ネットで言うところの地雷物件だよ。

ひとりになったら自由に動けるかと思ったけど、案外ままならない。

でもこうしてつらつら書いてみて気付いた。理由は全て私の内面にあるんだよね。

幸か不幸か、迷惑をかける人はもう自分以外いないので、やりたいようにやってだめだったらそれまでの精神で生きてみようかな。

(もちろん借金ちゃんと返します。)

元々一人になる恐怖から逃れるために「母が亡くなったら自分も後を追えばいい」と思って生きてきたので、ちょっと寄り道するくらいの気持ちで。

吐き出しのつもりだったのに、書いているうちにすこし前向きになってきた。不思議だ。

いじめは良くも悪くも人生を変える

文章で伝えるのはとても難しいし、

みんながみんなに同じように伝たわる

っていうのは不可能だと思います

ただの私の勝手な考えなのでその辺はご了承ください。

いじめで命を絶つ子供達のニュースを度々目にするといつも思うことは「もったいないな」ということ。

例えば人に自分はこういういじめを受けていると話したら

「そんな事で?」と思うこともあるかもしれないけど、自分にとったらそんな事が辛いことなんだよね。

だけど私は本当に本当に学生時代のまだ人生の半分も生きていない子達が自殺をするともったいないと思ってしまます

私は小中学生の頃いじめられていました。

初めて自殺を考えたのは小学三年生の時です。

今日楽しく話していた友達明日には仲間を作り集団シカトをし始めたり

わざと背中を突き飛ばしてきたり

聞こえるように悪口を言ってきたり

思い返すといい思い出はほとんどありません。

中学時代は2年生の時にある一人の男子から

キモがられてそれをクラス男子全員、女子もほぼ全員に言われて

みんな私をいじめの標的にしてました。

ほぼ毎日泣いていたし、2年生の頃は殆ど学校には行ってなかったと思います

高校はあえてわざと遠くの学校を選びました

中学時代人達は0人という環境で、

1から自分人生スタートさせました。

お陰でそれなりに楽しい高校生活を送れました。

高校自由への第1歩だと思っていて、

バイトも出来るし、髪も染められるし、

今まで出来なかったチャリ通電車通学や

メイクだったり自分の中の可能性がかなり広げられる時期だと思っています

この時、いじめ受けてたとき自殺しなくて良かったなと思いました。

私は今21なんだけど、

歳をとるにつれて好きな物だったり思考も変わるし

行動範囲も広がって、視野も広くなる

出来ることがたーーくさんある!

働いていれば自由になるお金も出来るし

食べたいものも食べれる。

まぁとにかく何が言いたいかって言うと

小学校中学校高校

こんなもの人生の通過点にしか過ぎないから。

学校なんてたかが小さい狭いコミニティ

いじめをしてくる奴は絶対に1人じゃ何も出来ないから、これは絶対

集団しか行動を起こせない愚かちゃん

私はとにかく小中が嫌だったんで

作品集とか成績表とか全部捨ててスッキリしたぞ。そんなもん無くても生きていけるんだよ。

学生時代の思い出がなくても趣味で繋がった人達や新しい環境で知り合った人達と仲良くしたりすれば十分。

小学校は6年耐えればサヨナラ!だし

中学高校なんてたったの3年間でサヨナラ!だし

卒業したらほぼ会うことなんてないしね。

で、こやつらはいじめてた事なんて忘れてるから。そんなもんだよ。

から自分も忘れてる奴に対して思い出す必要もない。

学校なんて行きたくなったら行かなくていいし、その分 最低限 家では数学やらドリルやったりしたけど。

図書館行ったり、映画館行ったり、家にいてもいいじゃん。作ろうと思えば逃げ場はどこにだってあるよ。

考え方1つで何かが変わるかもしれないよということを伝えたかったんです。

2018-03-02

3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話をしよう

突然だが私はアイドルマスターSideMのS.E.Mというユニット担当Pだ。

自分語りのような事が苦手なタイプなので上手く話せるかわからないけれど、とにかく今消化しなければと思ったので、これまでの話と、2018年2月3日、記念すべき3rdライブ初日に起こった事、感じた事をそのままダラダラ書こうと思う。備忘録のようなものなので、見るも見ないも自己責任でお願いします。

タイトルにもある通り私は現JK小学校の頃高校に上がれば自然にできると思ってた彼氏は勿論いない。ただのオタク

通っているのは中高一貫自称進学校と言われているタイプ学校偏差値釣り合わない勉強スピード、量。それに加え人間関係重要になってくる部活。(詳しく書くと知っている人にはバレそうなのでやんわり言っておく。)

中学に入ったばかりの頃はそれまでと違った環境にわくわくしつつ必死にくらいついて勉強していた。受験後の先取りもあり成績は中の上。この時既にアイマスには出会っていた。真ファン律子Pをやんわり続けていた。突然だけど初星二日目の律子ヤバかったな。その調子で2年が過ぎた。

段々あれ?と思いはじめたのは中二の冬。勉強モチベが上がらない。(この時、SideMにも出会っていた。元某サッカーアニメオタクショタコン私、ホイホイWともふもふちゃんに釣られました。かわいい。)

英語文法なんて覚えなくても教科書の例文を丸暗記で最低限必要な点数が取れる。

数学は、担当教師が某有名大卒業生プライドエベレスト質問しても何故か違う話に飛躍する。(私達の偏差値が某有名大学に間に合ってないのもあると思うが)教え方は教室満場一致でド下手という評価しかも間違いを指摘すると逆ギレ…という人間性で、単純バカな私は数学のもののやる気が削がれていた。

その他理科社会etc…もただただ暗記。理科はもともと苦手意識があったのでこの頃から少し逃げていたかもしれない。

ぼやぼやと今やってる勉強って意味なくね?と思い始めてしまっていた。

キツイな、と確信したのは中3入りたて。(ここらへんで趣味嗜好が180度変わったヒゲおじさん大好きウーマン私、本格的にS.E.M&山下次郎Pに。)

学校教育方針で、数学英語中学の間に高1の内容をほぼ終わらせる事が目標だった。

そのおかげで内容は急加速、もともと集中力も無く勉強理解人一倍時間を要する私は秒で置いて行かれた。

成績はほぼほぼ地に落ち、補習、小テストの追試常習犯夏休み3分の1を奪われるらしい特別補習はなんとか免れたものの、遅刻もしばしばしていた。

一つできなくなると全部芋づる式にできなくなるタイプなので普通にヤバかった。

担任もそういったことにとことん追い討ちをかけるような人で何度も「このまま進級する気ですか?」「あなたがこのまま高校生になれるとは思えない」と面談等で散々言われた。ちくしょう、思い出してちょっとカムカしてる。

お世辞にも信じ切れる、と言える先生には出会えていなかった。

5月頃、既にリリースされていた「ST@RTING LINE-06」を購入した。SideMのはじめての担当の曲が入ったCDだった。

キドキしながらCDケースの蓋を開け、pcに取り込み、はじめて「Study Equal Magic!」を聴いた時。

私はただただひたすら驚きで固まっていた。

こんな世界もあるのか、と単純にびっくりしたのだ。小学校私立で、受験が確定していたため、小学一年生から塾に通い受験勉強をする毎日。結局行ったのは六年間の努力虚しく落ちた第一志望では無く全く今まで知っていた校風と毛色の違った滑り止め。

それでもなんとか喰らい付こうと頑張るも突然虚無感に襲われ全く手をつけられなくなった、「それ」=辛い、という私の中のイメージが、一瞬で粉砕された気がした。

けれど、私の中に根付いた勉強から離れた習慣、実際相手をする教師、そんなもの達はなかなか簡単に私の苦手意識を振り払ってくれなかった。

成績は若干持ち直したものの、それ以上もそれ以下も無く、ずるずる引きずったまま高校に上がってしまった。

高校に上がるとついて来たのは単位。進級。受験

そんな話を新しいクラスにもまだ慣れていないような時期にされ、あまりそういった事に実感が湧かなかった。

しかし割と直ぐに嫌という程実感する事となる。

一学期勉強どころでは無く新しい環境に慣れるのに半分ぐらい要したが無事終了。

そして、2017年6月4日

グリーティングツアー東京公演、私の初めての、現地でのSideMライブ参戦だった。最高だった。生のS=Mを聞いた時、初めてCDを聞いた時の鳥肌が返って来た。夢中になってペンラ振ったし、タケノコ生やしたし、しゅくだい!わすれない!!もした。山下次郎も中島ヨシキも最高だった。産まれて来てくれてありがとう。そのあと一週間は余韻が抜けきれなかった。現地って最高だな……

悪い方に進展があったのは夏休み中盤だった。思わぬところでダメージを受けた。部活合宿だった。

はじめて思うような結果を出せず、目標を果たせなかった。追い討ちをかけるように、新学期になり練習に対する価値観の違いによる部活内の対立と、その中立的立場になってしまった事。

ぶっちゃけ死ぬかと思った勉強も、二学期になり急に難易度が上がり例の如く取り残される。受験の重圧、周りの去年とは段違いのやる気。

そんなものが一気に重なり、私は学校に行く日が少なくなった。

メンタル弱いなとか思われてても仕方ない。というか私も自分で思ってる。

学校に行けなくなったというのは朝起きて、「学校行きたくない…」と震え、結局その日一日結局動けなかった…というような感じでは無く、単純に、朝早く起きれないのだ。

精神科に行くと、精神病と診断され、自覚がないままメンヘラJK突入かよぼんやりとか思っていた。

親にもお前の気持ちが弱いから、とだけ言われ続け、午前の授業の欠課数だけ増えて行く。

科目を二つ落とせば留年、今のところあと欠席可能回数が一桁しか残っていない科目が二つ。

今年に入って朝のHRから出席した日は一日しかない。なんというか、疲れてしまったのかもしれない。

勉強に追われ、部活に追われ。大半は自分責任だとわかってても、もう考えるのも疲れていた。

さて、めちゃめちゃ長くなったが2/3。

3rdライブも、お金問題遠征はできず幕張を狙ったが落選。それ以降は実はSideM自体アニメは見ていたけれどゲームをあまり開かないぐらいには、私の中では薄れかけていた。そんな中、ギリギリで取れた3rdライブLVチケットを握りしめ、豊洲pit以来出していなかったS.E.Mのペンラと共に友人と映画館へ向かった。

そして開幕した3rdライブ。久々に見る担当の姿に感動しつつ夢中になってペンラを振った。全員揃ったのはマジで感謝しかねえ…

S.E.Mの最初の曲は、S=Mだった。やっぱり、最高に楽しかった。

恭二に唐突に求婚されたり所々爆弾を投げつけられながら、合間のトーク

次の幕に移ろうとしていた。しゅごんが話の流れを持っていく。

先生達の指導必要だな!(うろ覚え)」みたいなことを言ってたきがする。S.E.Mだ、と思って大急ぎでペンラを持ち替える。

めちゃくちゃドキドキしながら待っていた。

会場が暗転。ピンクの光がちらほら増えていく。

ドン、と太鼓の音が聞こえて、あ、と思わず声が出た。

会場からも歓声が上がる。

S.E.Mのアニメでの新曲、「From Teacher To Future!」だった。

先生が歌い出す。るいが続く。次郎ちゃんもそれに続く。そして全員でこう言った。

「君は出来る 何だって出来る

君はなれる 何にだってなれる」

瞬間私は泣き崩れていた。そこには確かに中学生の時始めて私の背中を押してくれた、あの先生達の姿があった。

それまでごちゃごちゃ考えていた事が一気に流されたような感じだった。

S.E.Mがずっと私たちに伝えようとしていた事が、本当に今更だけどその時はじめてわかった気がした。

「頑張ろう、一緒に行こう!」と言ってくれた先生達に、私はたぶん、一生感謝するだろうなと思う。大げさかもしれないけど、それぐらい、今の私はS.E.Mというユニットに救われた。

ペンライトもロクに振れないぐらいボロボロに泣いて、「がんばれ」って横でずっと支えててくれてた友達にはマジで感謝しかない。

受験休みが終わって、明後日からまた学校が始まる。ちゃんと朝から行けるか不安もあるけれど、少しでも前に進むためのエールをあの時S.E.Mから貰ったので、私はその分、頑張ろうと思う。

以上、3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話。

2018-02-28

anond:20180228171824

いつもは起きたら、指先(手)、首の後ろ、背中とかがもう凍ってるのってくらい冷たいんですが。

デコルテより上が、めっちゃ熱い。冷えピタ貼って少しましに……。

冷たいのは指先だけ。

寒いとき背中あたりに力入れるやつ

どこの筋肉に力入れてるのかわからないけど、じわ~って少しあたたまるやつ。

なんていうのあれ。

女性専用車両乗ってみた

ラッシュ時の女性専用車両はじめて乗ってみました。

背の高さがそんなに変わらないから、鼻先1cmに誰かの背中なんてことがなくて呼吸が楽!

でも長身の人だって罪はありませんしどうしようもないですよね。

ただ物理的に楽でしたという話。

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