はてなキーワード: 神様とは
「なに言ってんですか。そんなのいるなら突風なんて吹いてませんよ。」
「まま起きることなら対策してくださいよ。なにが神様ですか。馬鹿にしてるんですか。」
これが現実。
「禍」はしめすへん(元々は「示」だった)を使った字で、しめすへんを使う他の字は祈るだったり神社だったり、超自然的なこと、神様に関わることがらに使うことが多いです。
「禍」の意味は災いという意味で、病気をある種神様の怒りのようなものと捉える世界観が日本人の中にまだ残っていることが伺えますね。
人が叫んでるのより幽霊のが嫌だわ
存在を実証できるなら億万長者のチャンスなのでワンチャン挑んでみるのも有りだが
和ホラーのお化けは洋ホラーと違って基本的に倒せないし神話の神様並みに理不尽なので
やっぱイヤかも知れない
幽霊(あるいは呪い)によって落命した場合、幽霊相手にふざけんなゴルァ出来るんだろうか?
ゴルァしても返り討ちにあうとか歯牙にもかけられないとかあるんだろうか
世知辛いな
その時の所感を思い出話も兼ね、ここにエントリーを残そうと思う。
拙い文章だしまとまりの無い雑記で恐縮だが、もし興味があれば最後まで付き合っていただけると幸いだ。
そこまで興味ねえよ、って方は『デルタの羊』(著:塩田武士)を読むか、
『アニメーション制作進行くろみちゃん』(制作:ゆめ太カンパニー)を観れば良いと思う。
大分アニメ業界をマイルドに表現しているが、ある程度リアルな現状が分かるだろう。
大学を卒業後、国家資格が必要な仕事でそれなりに安定した生活を続けていた。
そのうち、毎日の仕事に退屈さを覚え、自分の好きなことに関われる仕事をしたいと考えるようになった。
そう決心してから実行に移すまではそう遅くなかった。
一度だけの人生、自分の想いには素直になりたいと思って転職をした。
中途採用の面接は驚くほどアッサリとうまくいき、無事志望していた制作会社に入社することができた。
他にも経験したポジションはあるのだが、書きすぎると特定されかねないのでここで留めておく。
そうして入社したアニメ制作会社に、新卒時代の仕事よりも長い年数身を置くことになる。
一般企業からすれば規模は小さいように見えるが、業界内からすれば大手制作会社といえる。
今の職場で、制作に携わったアニメをオタクじゃない先輩に話したら「あー、あのアニメ作ってたの?」って
言われるほどには結構作品自体の認知度は高いし、結構覇権認定された作品も制作していた。
会社についても、そこそこアニメオタクからは話題に上がるほどだ。
毎年新卒の制作進行が複数人入社するし、抜けた数だけ中途採用ですぐに補填できるほど、
ひとことで言えば「縁の下の奴隷」と称すのが正しい。
制作進行という仕事について、「立派な名前は付けられているが、テレビ番組のADと変わらない」という認識かもしれない。
概ね合っている。
付け加えるとすれば、漫画の編集者の仕事の一端も担っていると言って良い。
漫画の編集者は、大体一人の編集者が一人の作家を面倒見るものだと思う。
アニメの制作進行は一話につき約10~30人の原画担当、そして数人程度の作画監督、
監督の追っかけまでするのはスタジオによってまちまちだろうが、概ね他社も似たような状況だ。
クリエイターからすれば、アニメ自体に何の付加価値も与えていない使い捨ての道具程度にしか見られていないが、
実際のところ制作進行が居なければどんな作品が作られるだろうか。
高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』のように、制作期間と制作費をドブに捨てた「儲からない作品」のできあがりだ。
制作進行、制作デスク、ラインプロデューサー、こういった旗振り役が存在するからこそオンエアのスケジュールに沿ってアニメ作品は作られる。
全く軽んじられている仕事に見えて、実はアニメ制作の仕事においては重要な役割だ。
給料は中堅拘束アニメーターや演出の拘束費よりも、自分の新卒時代の月給よりも少ないのに。
また、大手のアニメ会社といえど、社内の作画スタッフだけで作品を作れるかと言ったらそういうわけでもない。
フリーや他社のアニメーターに声をかけて「うちの仕事しませんか?」と営業するのも制作進行の仕事だ。
これについては、大変なおもいをしてアニメーターに罵倒されつつも満身創痍で人集めしていたかと思うと
実はそこまで酷い目に遭ったことは少なかった。(全く無いわけではない)
結構ウチの社名と参加タイトル出しておくと集めやすかったというのが他社スタジオに籍を置いていた先輩の感想だ。
他にも、「外回り」といって作画担当の上がりをアニメーター宅やスタジオまで回収しに行く仕事もほとんど無かった。
会社のブランドによるアニメーターの集めやすさ、物理的にしんどい外回りが不要であること、これらは大手ならではの強みだろう。
アニメ業界にいる人間は大体低賃金で働かされるという問題が取り沙汰されるのは、業界の外の人間にとっても聞かない話題では無いと思う。
年齢が50代後半を迎えたベテランにも関わらず、相変わらずボロアパートに暮らしている人間は少なくないし、
税金を未納しているほど経済状況に困窮しているアニメーターも知っている中で若干名存在する。
キレイな上がりを出して作品に多大な貢献している人は月に50~100万、中堅でも安定している上がりを出せれば20~30万と、
作品に対して一定以上のクオリティを保っていれば普通に生活できているのが実情だ。
そんな実情なのに生活に困っているアニメーターは、新人である以外に思い当たる大きな要因としては以下の三つだと考えられる。
①病気のためしばらく仕事ができていない(激務だし生活サイクルが安定しないので、結構体を壊しやすい)。
②上がりは平均程度なのに性格に難があるから、次の仕事に繋がりにくい(この手の人は作品の納期がヤバいと起用される傾向にはある)。
③そもそも上がりのレベルが落書きだから仕事を干されている(なおかつスケジュールも守れないパターンも割とあるのでかなりタチが悪い)。
性格に難があったり、上がりを出すまでが遅くても使われ続けるアニメーターって、結局押さえるべきクオリティを押さえられている。
にも関わらず「アニメーターは低賃金だ! 彼らの生活を安定させろ!」と騒ぐのは業界をよく分かっていないモグリの発言だ。
新人アニメーターの生活を安定させろという話もあるが、これについても新人なら新人なりにキャリアの無いうちにフリーにならず、
どこかのスタジオに籍を置けば実はある程度解決できる話に過ぎない。
じゃあ稼いでいるアニメーターって具体的にどんなアニメーターだろう、と聞かれたら真っ先に以下の三点が挙げられる。
①納期厳守
②安定したクオリティの上がり
①さえ守っておけば仕事は来るし、②だけが強みな人も生活できるレベルで稼げる、③については納期を平気で破ろうが高い拘束費を貰って仕事ができる。
③をできる人が居なくても①と②を心がけられる人が居さえすれば生活なんてできるし、一ヶ月程度の休暇を取ったとしても生活している人だって居る。
制作の人間からすれば、あまりクオリティ追求しすぎず納期を守ってくれさえすれば文句は無い。
その理由は次項で話そう。
原画担当が演出指示に従って構図とキャラ等の位置関係等を下描きする工程。
最近では3Dモデルを使ったレイアウトを制作会社が用意して、その上に作画担当が描くパターンもある。
出来上がったレイアウトを演出担当が指示通りに描いてくれているか、
もしくは気が変わったからこういう風に直してくれという指示を挟む。
あまりに酷い上がりだったらこの時点でリテイク指示して作画に差し戻し、もしくは制作進行にブチ切れる。
演出の指示がしっかり作品の雰囲気や世界観に沿っているか確認する工程。
監督が演出を兼任している、監督の業務負担が重すぎる、演出の力量が高い、などの時には
作画監督(作監)が②③の工程で出た修正に加え、絵柄の統一を図る。
基本的に①で出てくる上がりは作監以上のクラスの人間が描かない限り、全く絵柄が作品に合っていないパターンが圧倒的に多い。
というか原画担当にキャラクターデザインの通り描かせたら時間がかかってしょうがないので、
総作画監督(総作監)がキャラを大写しにしていたり、動き方が大事なカットを修正する。
これに関しては、必要最低限なカットだけを修正させることで、総作監の業務負担を減らすことになっている。
④もしくは⑤の工程が終わった戻しのカットを、基本的には①の作業者が清書する。
演出、監督、作監などのメインスタッフが起用NG出したり、作業者のスケジュールが合わないなどの場合は、
別の作業者を制作進行が第二原画担当を探してお願いすることになる。
エンドクレジットに出てくる第二原画はそういった「レイアウト作業者の尻拭いをしている人」という認識でいると良い。
上がった原画がしっかりレイアウト修正を反映しているか演出がチェックする。
問題なければ、動画検査に回して動画会社や社内動画に描いてもらう。
これでも直っていなかったら作監にまた修正をお願いすることになる。
細かい工程は少し省いたが、一覧で見てみてもご推察いただけると思う。
上がりが上手ければ上手いほど、③~⑦の工程で省ける箇所が増えるのだ。
その省ける工程のおかげでアニメ制作がスムーズに動き、それができる作画担当はアニメ業界において重宝され、
貢献度に応じて対価が支払われるようになる。
作画担当のそうした活躍は拘束費の引き上げ、作監以上への格上げ、更には演出や監督デビューにも繋がる。
中にはずっと絵を描いていたいということで、生活が少しくらい苦しくても作画のままでいるアニメーターもいたりはする。
ここが前項で述べた「クオリティを重視し過ぎなくても良い」と言った理由だ。
昔のアニメに比べて、今の時代のアニメだからこその進化がある。
出来上がった作画に光の陰影だとか、無機物ののっぺり感を抑える処理。
これを撮影班や美術担当が加工することで立体的でリアリティや臨場感を与えてくれる。
『鬼滅の刃』を制作したufotableが、自分が思うにこの技術力は随一だと思っている。
あそこは動画については、海外の動画会社に撒いているので動画枚数にこだわりがあるというわけではない。
その分、撮影や特効によってリアリティのあるごまかしで、キレイな上がりになっているように見せている。
少し話題は変わるがtwitterのTLを巡回していたときに「あの作画やべえええええええ」って3Dモデルが動いているだけのカットを
絶賛していて、アニメ観ている人ってその程度の認識でしかないよなあって少し落胆してしまった。
演出助手になっても、制作デスクを担当しても、上がる給料は少ない。
それでも嫁と二人暮らしで、嫁の方もフルタイムで働いていたのでこれまでは問題無かった。
先立つものがなくなる不安で仕事にも集中できなくなり、再度新卒時代に携わっていた国家資格が必要な仕事に戻ることにした。
アニメ業界は、左うちわで稼げるようになるまでの時間が途轍もなくかかる。
特に制作側で入った人間は一層そこに至るまでに苦労を強いられる。
これを詳細に語ると当時を思い出して気が滅入るので、箇条書きで記載する。
・上がりの納期を守ってくれる作画が知り合ったアニメーター数百人中両手で数える程度しかいない。
・今でも当時の罵詈雑言の日々が夢に出てきて真夜中に起きる。
同年代の新卒社員と中途で入った自分とで、自分の方が給料が高い、なんてこともあって
大手の制作会社でも決まった給与テーブルが存在しないパターンがある。
あと、規模さえ考慮しなければアニメ制作会社の面接は驚くほど簡単に通りやすい。
簡単なコミュニケーションや、自分がこれまで経験したことをありのまま受け答えして、
最後の質疑応答でアニメ業界に興味ありげな質問さえしておけば大体通る。
落ちたらよっぽどのコミュ障か、社会不適合者レベルだとも言えるのではないだろうか。
そんな割と適当な業界でもあるので、ある程度新卒で働いてから考え直しても良いと思う。
10社転職してから入った人も居るような業界だし、思った以上に門戸は広い。
それでもアニメ制作会社に入りたいのであれば「アニメが好きなこと」と「アニメを作るのが好きなこと」は違う、
これは肝に銘じておいたほうが良い。
入りたての頃、自分が制作に関わったアニメのオンエアが観れなかったほど、アニメが嫌いになりかけたことがある。
そこを経て色んな感覚が麻痺し始めてから、真のアニメ業界人の一歩だろう。
道のりは前途多難だが、アニメで成し遂げたいことがあるならば健闘を祈る。
さいきん運悪い
なんだろなーーー。。。って気持ちが多い
片道700円、1時間半かけて、改札降りた瞬間無駄だったと判明
なにこれ...今まで爆運女だっただけにこの空回りを不快に思う
なんだなんだ?
いや、もしかしたらめちゃ運よかったのかも、今回も
おけぃ~ありがと神様!ぐどら
私は小説の「沈黙」を読んだが、あれを読んで所詮神様というのはその程度かと思った。信者が神にすがりたいときに、神は助けないし罰も落とさないし、その癖自分は安住する。そんな神のレゾンデートルは道端の石ころ位に等しいのだろう。
でも主人公のロドリゴは、そんな神を転んでもなお心のなかでは信じ続けた。何故なら彼は神の居場所に気づき、それを頼りにしているからだ。あまりにも弱々しい神を。
神は弱々しすぎて、だから世の中の混沌と悲惨さは治まらないのだ。でも、だからこそ神の役割が分かるのだ。神とは世界から唾棄された人間の行き場のない感情を受け止める最後の器なのだと。
昔、同じ著者の「イエスの証人」を読んだがあの時は「この本は何を伝えたいのか?」と疑問だらけだった。だが「沈黙」を読んで点と点が線になった。それは、大袈裟すぎて信仰できない神の否定だと。そして、弱々しくてだから全てを救う神の肯定であると。
人間を見ても分かるが、強い人間はどんなにノブレス・オブリージュや超人を叫ぼうと弱者を救えたためしがない。むしろ、救ったことにして、本当に救えなかった者を都合が悪いものとして抹殺しようとする。彼らは生贄を貪欲に欲しているのだ。これは「沈黙」のキリスト教も同じで、清い殉教という生贄を貪欲に欲する。
私もこれまでの人生で、その生贄を欲する善良な人間を沢山見てきたから、この殺意には敏感である。故に綺麗事や理想には「あー取り敢えず付き合ってやるかぁ」という淡白な同意しか沸かなかった。
だか「沈黙」は違った。このような人間の卑怯さや殺意を漏らさず語り、その上で信じるにたる神様像を組み上げた。私のように普段神様を信じないどころか憎んでいる自分にも、信じられる神様はいるのだなと思えた。自分の気持ちを吐き出せる場所はあるのだと本当に思えた。
おこがましいようだが、「沈黙」は神を信じられない、あるいは色んなものからバカにされているように感じる人に特に読んでほしい。
タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人は神様を信仰していない。私は神様ではなく自分に幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人を信仰している。
私の家系は日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家の仏壇を拝むときだけだ。クリスマスも初詣もするし、お守りを持つこともある。
このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如であると批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。
しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教の恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。
日本人の宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教観である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界の因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様は人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀や信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教や儒家思想、キリスト教などが入ってきても変わらなかった。
このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系と災害の多さに求めた。日本人は古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国に植物や動物の息吹があまねく見受けられるのである。
こうした環境が日本人の精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米や中東のような一神教的な絶対神が日本を征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教の神の国の一部として取り込まれるのだから。
遠藤周作の小説「沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本に根付かず改変されていることを元宣教師のフェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなのである。
一方でキリスト教やイスラム教などの一神教が誕生したのは、砂漠の国の中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。
それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパの民族は合理的で従順だったからである。ヨーロッパは生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャ・ローマに代表される科学的合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。
ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本と一神教が人々を統べる欧米や中東の差異が分かる。そして、これが日本の無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。
一神教的宗教観は日本の無宗教を非難するが、それは無宗教が神様を信仰しないからだ。一神教の神は世界の創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教は非人間的な態度であり、シリアルキラーと同類の存在なのだ。先の私の小学校の先生も無宗教を人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由を無宗教に求めたのだ。
その上で私は一神教的宗教家の方々の私の宗教観への批判に反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。
先ほど私は日本の宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事の因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである。
私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本の土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。
「沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしまい申し訳なさで死んでしまいそうだ。
何か危機に陥ったときにかつては祭祀や加持祈祷に頼っていたであろうが、科学の時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。
今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置や医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。
では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなときに世界が沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。
だが、それは私が世界とのコンタクトを放棄しているからである。世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである。
私は長々とここまで語ったが、私は他人の宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。
私の記事は以上だ。
行為そのものよりスキンシップのほうが好き、とかカッコつけたことを言い出すやろ。
カッコつけすぎなんよ何かにつけて。
本音と建前を使い分けて、実際のセックスの場ではあれしろこれしろと要求できるのなら別にいいのよ。
でもたまに建前に飲み込まれてセックスを楽しむのは何かカッコ悪いことなんやとか、
本当に好きな人にはして欲しいことを言えないとかそういうのあるやろ。
神様からの贈り物やセックスは。ひとつひとつのセックスを大事にしていこうもっと。
変なカッコつけて捨てセックスするのはやめよほんと。
おひさ。
このダイアリー、使い慣れてないから変なところあったらごめん。
初めまして。
読んでくれてありがとう。
.
時に、タイトル通りまた尻の話。
前の日記振り返れるのかどうか分からないから簡単に説明すると、
22歳女、学生、19の時からケツを肛門科に見せまくってる痔主。
「粉瘤腫」と呼ばれるやつで、肛門の周囲で存在感を発揮するしこり野郎を局部麻酔(痛すぎ泣ける)で、切開して、とっちめた。
それが11月末の話。
.
そして、改めましてあけましておめでとう。
立ってても歩いててもしこりが存在感を発揮しまくってて、痛いです(まだ我慢できるよ、長男じゃねえけど)。
.
何回も何回も切開するの辛いし、いい年齢しといてすっげえ泣けるから、本当に気をつけてるし、
ちゃんとデリケートゾーン用のボディウォッシュも買って、毎日洗ってたし、
お腹壊さないように普段からお腹壊すようなもの食べないようにしてたりするのに、
2ヶ月でしこりできましたね。
もう嫌だわ。
.
ワタクシ事だけど、来月国家試験受けるんだよな。
もうケツに爆弾仕掛けられてて、別の意味で人生終わりのカウントダウン始まってる。
.
ケツの神様がいるなら、
知らない人にケツを見せる恥ずかしさったらねえよ。
慣れたけど慣れねえよ。
.
私がごりごりちゃんとした女だったら恥ずかしさで死んでただろうよ。
.
みんなも、尻大切にな。
マジで命脅かされるぞ。
そろそろ終わろうとしている。
足掛け4年、治療期間でいうと3年間。掛けた金額は年収2年分。
肝心の原因は省くが、私たち夫婦はクリニックに行ったら「自然妊娠は限りなく難しく、さまざまなレベルの治療のうち、一番最後の一手『顕微授精』しか取れる手はありません」と言われた。
「顕微授精」とは、卵子を体内から取り出して、精子を1匹、針で注入して受精させる方法だ。まさしく試験管ベイビー。手術も伴い、1回1回の治療が高額なのが特徴だ。
0.00002%~0.00007%くらいだ。
数学が苦手な私でもわかる。
これは天文学的数字だ。
ハッキリ言って、その事実だけで十分に打ちひしがれる。
私たちも打ちひしがれた。
でも、打ちひしがれてばかりでも年を取るばかり。今が、人生のうちで一番若い。
私たちも、そして私たちの卵子も精子も、どんどん年を取る。治療に取り掛かるなら早い方がいいのだ。
いくつかの不妊専門クリニックを訪ね、とあるクリニックで早速、顕微授精のための治療を始めた。
流れは主に以下。
①月経が来たら、受診し治療計画を立てる。この時、ホルモン補充のための服薬や注射のスケジュールも組む。女性ホルモンをあの手この手でガンガン入れて、本来1か月に1個しか取れない卵子を大量生産する。
②クリニックの方針によって、その都度予約しての院内注射か自己注射を選ぶ。(高くても自己注の方が、圧倒的な気楽さが私はあった)
③再び指定の日に受診し、卵子を包む袋が増えているか、大きさなども測り、採卵手術の日を決める。予定通りの大きさ等になってない場合は、ここで何回か受診をして様子観察を繰り返す。(これが仕事のある身には辛い。そんなカンタンに予定を開けることなどできないのだ。)
④採卵手術の日が決まったら、指定の時間に病院に行き、手術を待つ。麻酔は使うクリニックと使わないクリニックがある。使い方さまざま。針を打つ箇所にに限定的に使うところもあるし、希望により静脈麻酔を使うところもある。
(手術自体は10分程度だから、あまり強い麻酔を使って麻酔が覚めるまで院内で休憩しても、お互いあまりいいことがないのだ。)
毎回50万近く払って、私が得たもの。
孫悟空の頭のわっかを締め付けられるようなひどい頭痛。吐き気。脂汗。気持ち悪さ。
ただでさえ、当時はフルタイム勤務と土日の家業の手伝いで疲れがたまっていた。
夫も夫で、こんなに副作用がひどいとは露ほどにも思わず、「土日は休ませてくれ」とお願いする私をずいぶん怠け者扱いした。
今は時が進み、治療期間の私を放っておいた方がいいと理解している。
また、ホルモン補充の注射が自己注射に切り替わったので、夫が見てる前で注射の儀式。
注射の針を見せては、「これをお前にぶっ刺す!そしたら、具合悪くなって私みたいに布団から離れられなくなるんだからな!笑」と脅している。
ちょっとかわいそうだけど、仕方がない。
採卵手術は採卵手術で、手術中の気絶を経験。
採卵手術では、ながーい針をあそこにぶっ刺して、子宮から卵巣まで貫通させる。で、針をぐりぐり動かして、卵子を吸い取る。人によって痛みの差があるらしいが、私は最初の手術で意識を失った。
採卵後には。ホルモン補充により卵巣が膨れ上がり、1週間絶対安静。1日3回ウエストを測り、腹水がたまらないか確認する。尿の出が悪くなったり腹囲が大きくなったら、即連絡。
注意書きが山ほど書かれた紙を持たされて、疲労困憊で帰宅する。
この症状は「OHSS(卵巣過剰刺激症候群)」といい、ホルモン補充療法の一番の副作用だ。
悪化すると、血液が濃くなり電解質の異常が起こったり血栓症を引き起こすこともある。
私は安静だけで、事なきを得たが、本当に色んな事が辛すぎる。
以上の症状は毎回ではなかったが、私を打ちひしがせるのに十分だった。
実際、無理だった。たびたび仕事に穴をあけ、仲間のフォローを受けながらも、フラフラだった。
でも、不思議なことに治療の回によっては、全然大丈夫なこともある。
だから、元気な時は体調もいつもどおり。
「次もこのくらい大丈夫だといいな」と思うし、でもひどい時は目が当てられないくらい体調が悪くなるので、自分でも自分の体調が読めない。
説明すればするほど、自分の状況が克明になるし、人に言われるまでもなく「この治療を続けても、授かれるのか?」という難問にぶちあたる。
近距離に住む義両親に打ち明けたのは、今からほんの数か月前だ。毎週のように会っているけど、絶対言いたくなかった。
ガッカリさせるのも嫌だし、気を使われるのも嫌だ、不妊の原因を話すのも嫌だ、今月は治療だというのも嫌だ、詳しい治療の結果を話すのも嫌だ、全部が嫌だった。
それでも、打ち明けたのは「もう治療を終わらせよう」と思ったからだ。
0%と0.00002%~0.00007%の間には、毎回体調を奪われるような副作用と数十万円のお支払いが待っている。
考えれば考えるほどバカのようだし、実際バカにならないと、こんなこと続けられない。
そして、バカなりに色々考えながら、3年間治療に取り組んできた。
ドクターに相談しながら、治療の順番を変えたり、今できる最善を尽くしてきた。
0%と0.00002%~0.00007%の間には特に何もないようにも思われたし、
今吸っている空気から二酸化炭素だけを素手で取り出すのと同じくらい、困難があるようにも思われた。
そして、今この文章を書いている。
この3年間、不妊治療について何か書こうなんて夢にも思わなかった。
でも、「書こう」と思ったのは「治療を一旦卒業する」ことを決めて、振り返ってみると、
「あぁ、なんだ。私ってすごい頑張ってきたなぁ」と思えたからだ。
私はこの3年間ものすごい困難と向き合い、あるのかないのか分からない0%と0.00002%~0.00007%の間を、行ったり来たりしながら、歩いてきた。
私たちは、治療の度に1つか2つの受精卵を冷凍しながら、ここまで来た。
液体窒素で冷凍された卵たちに、特に何の思い入れもないが、得られた結果といえば、
このいくつかの受精卵。
私の親族には、「妊娠悪阻」で長期入院歴を持つ者と、「子宮外妊娠」を繰り返した者がいる。
私もそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、なんだか確率は高そうだ。
こういう分かりきった結果をや推論、不安を重ねながらも、1回1回の治療を着実に積み上げてきた。
そんな中で、言った本人は心配しているつもり。だけど、心をえぐられるような言葉にも出会った。
ありがとう、うっせー死ね。もう既にホルモン補充で独特の太り方をしているよ。
「妊娠したくて治療を頑張っているかも知れないけど、産んでからの方が大変だからね。」
ありがとう、うっせー死ね。あんたんとこも不妊治療したからって、土足で踏み込んでくるな、ばーか。
むしろ、宇宙に放り投げる。二度と地球に帰ってこないように、大気圏で燃え尽きて死ね。
こういう黒い気持ちになることもある。
一人で打ちひしがれて、誰にも当たれない。相手も悪気0%だ。
無茶を承知で治療を継続しているから、涙が出てくることもある。
それが辛い3年間でもあった。
そろそろ最後の採卵手術を迎える。
この3年間で得たもの。
それは、副作用、期待薄な結果、それでも向き合い続けながら、生活を構成する全てに中途半端になりながら生きてきた証。
こんなことを言うのは大げさだけど、今までやりたいことは努力でほとんど叶えてきた。
行きたかった高校、大学、海外留学、取りたかった資格、それを活かした仕事に就いてきたこと。
でも、この不妊治療ばっかりは、体調・仕事・休養・家業・金銭などなど生活の根幹をなすことがら全てが思うようには進まず、身体もメンタルもボロボロになった。
倒せないものがあること。
努力が何の成果にも結びつかないこと。
それでも、それに向かって進んでいくこと。
そういう今までにない道のりを味あわせてもらった。
別にありがとうを言うつもりは毛頭ないが、この3年間はそれを味わい尽くした期間だった。
カルビ・ハラミ・ホルモン・シマ腸・・・思い浮かべるだけで美味しそうだ。
さあ!全部終わったら、5年ぶりに鶯谷園行くぞ。
(断っておくが、鶯谷には鶯谷園だけのためにしか行ったことがない。)
そう決意すると、
あぁ、よだれが出てくる。
私はブリーフが大好きだ。
日替わり下着が毎日白いブリーフならいいのに…使い捨てブリーフがないのは近くのコンビニの早く修正すべきバグである。
それは「全裸ブリーフ」であるとブリーフ論者(私)から結論が出されている。
まず全裸とはなにか。
人間というのは生きる課程で「汚ねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えば乳首なんて見せる文化もあるけど大体は「ゴミが!」隠される部分である。チク毛が汚いのだ。
大体、乳首・チンポ・腹(毛まみれ)、地域によっては顔周りなど毛が多かったり、エグミがあったら、とにかく「人の目にはまず触れさせねぇ」ってところは恥部と呼ばれブリーフの場合は身体全体が恥部になる。
デザインがダサく、布地が少なく、チンポも浮き上がる。
おまえらが好きな「パンティー」も下着になることもあるがそんなものとは大違いの見るに堪えなさだ。
もちろんブリーフの切り身でつくるワイシャツはかっこいい。なぜならワイシャツはかっこいいからだ。
しかしブリーフワイシャツとブリーフそのものの違いはチンポが関係してくるということである。
チンポ(ぶらぶらちんちん)というのはふんどしだとかボクサーパンツやトランクスを想像してもらえば分かる通り腰から出る。カッツォは別だ。イタリア語はすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり漏らしたうんちにブリーフのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はパンティーでつくったベッドでブリブリとうんちを出したいね。
ブリーフ大根なんて料理あるだろ。あれもブリーフだけで作るのとうんちを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとブリーフに実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなパンティーなんて布地が少なかったら嬉しかった青春時代なのだ。
神様はチンポを皆に見せびらかすためにブリーフの構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
私はパンティーが大好きだ。
日替わり弁当が毎日パンティーの煮付けならいいのに…パンティー弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
数あるパンティー料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。
それは「パンティーのあら煮」であるとパンティー論者(私)から結論が出されている。
まずあら煮とはなにか。
衣服というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えばフリルなんて食える衣服あるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、フリル・ジッパー・タグ(をすいた身)、衣服によっては腰周りなどゴムが多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれパンティーの場合はあら煮になる。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きな「めでタイツ」のタイツもあら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあら煮がおいしいのか。
もちろんパンティーの切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならパンティーはおいしいからだ。
しかしあら煮とパンティーの切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。ガードルは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにパンティーのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあら煮でつくったタレでパンティーの切り身を煮付けたいね。
パンティー大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあらを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとパンティーの切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあら煮を皆に振る舞うためにパンティーの体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ってあまりにも人間に食べられること第一に作られてないか?
私はブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!が大好きだ。
日替わり弁当が毎日ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の煮付けならいいのに…ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!弁当はないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
数あるブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。
それは「ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!のあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮」であるとブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!論者(私)から結論が出されている。
まずあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮とはなにか。
魚というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えば頭なんて食える魚もあるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、頭・血合い・腹骨(をすいた身)、魚によってはヒレ周りなど骨が多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!らと呼ばれブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の場合はあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮になる。
ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の場合はなぜそうなるか。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きなめで鯛のタイもあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮がおいしいのか。
もちろんブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!はおいしいからだ。
しかしあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮とブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。カツオは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!のうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮でつくったタレでブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の切り身を煮付けたいね。
ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!らを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!ら煮を皆に振る舞うためにブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!の体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
「神様、ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!を可食部多く作ってくれてありがとう。」