はてなキーワード: 甘ったれとは
受験生なのに文字を読んでいるだけで頭がパンクしそうになる。血管引きちぎれそうで脳みそが熱い。前までできていたことができない。3年で受験資格が消えるのにもうあと3ヶ月しかない。勉強できない。したくないのかもしれない。どっちなのかもわからない。こんなネチネチした言葉は出てくるくせにな。クソ。
このまま生きていても迷惑になるだけだと思うと死にたいのに死ぬのも迷惑だろうと何も行動できない。死ぬのも金か他人への迷惑がかかるのゴミ。ほーんとゴミ。私がゴミ。
早く働きたいけどこんなので雇ってくれる会社があるのか。同年代が就活していたり働いていたりする中私はどうやって生きていけばいいんだろう。
合格もできない。受験生にすらなれない。何者でもない。甘ったれている自分が嫌で嫌で涙が出てきて、冷静じゃないことを客観視している自分もいて、抗不安薬を飲んで頭が動かなくなってまた一日が終わる。死にたい。
ラノベより120パ―セント面白いという長編小説をいつでも書く用意があるのだが、私にその場所を用意できないほど活字界は衰弱しているのだろうか。
noteで書いて稼げばいいじゃん。
有料noteでよくない?
ブログやnoteもありますし、どうしても書籍化したいなら自費出版という手もありますよ。
慈悲深くて金持ってる誰かが場を用意してくれるのを文句垂れながら待つ、大変フェミニズム的で宜しいかと思います。
この方は何故「私の場所は用意されて然るべきもの」と考えられてるんでしょうか?
書けばいいじゃん。場所なんていくらでもあるでしょ。お金貰わなくてもいいのならインターネット上にはいくらでもね。
書けるものなら是非書いてください今すぐ。このTwitterで。
ポリシーとかないから提灯記事書けるけど、金くれる人がいないと書けないのでお仕事プリーズって事かな?
お金が発生しないのに石川優実さんの擁護をするのはキツいという意味になりそうな。
無償で書くほどは支持してないって事かな?
この人の言ってることって既存の作品とか創作を見てバカにしながら「自分ならこれ以上のものできる!」と言い、この時代いくらでも発表する場所はあるのに1文字も描かない自称絵描きや自称もの書きと変わらん。
これフェミの時の勝部先生も「お金がもらえないから発言して助けたりしない」って言ってましたね。
誰かに用意して貰えると思ってるところがいつでも他力本願のフェミらしくて実に笑える。その辺のblogなりnoteなり幾らでも書くとこあるのにこういうとこさえも甘ったれないとなんにもできないし石川氏を庇うこともできないんだねえ
正しさなんてもの100%を超えることは無い基準値次第(立ち位置や視点)で移ろうものが道義的正しさだから超える表現をしたことで、盛ってる嘘がどこかにあると自白してるようなものなので、その正しさは80%如何だろうな
この人はアイヌ民族へのヘイト扇動をおこない、それを糾弾されたのに、説明なく沈黙したままの差別者。活字界の衰弱はしらないが、切通の人権意識が衰弱しているのはまちがいない。差別やヘイトについてなにか書くなら、まずこの6年前の公開質問状への回答文であるべき
「アイヌ民族をめぐる問題」での発言以降信用していない。危うさしか感じない。 https://togetter.com/li/805440
KKOとまではいきませんが、とっくに成人しているのにいまだ交際歴ゼロの人間ですから、恋愛弱者としては上等かと思います。
自分で言うのもなんですが、顔の造形の悪さには自信があります。
性格の悪さにも同様に自信がありますが、性格が悪いゆえに仕事をする上で取り繕える程度には困っていませんし
それも自称でしかないので、実態がどうなのか、それで生活が本当に上手くいってるのかはご想像におまかせします。
弱者男性に随分と憎しみを向けられていたようですが、真摯に文章を読ませていただきました。
読んでいるうちに、以下の2点が頭に浮かびました。
・「理解のある彼くん」をあげつらって批判していたのは弱者男性だけに限った話ではない
・そもそも「理解のある彼くん」持ちは非難されても仕方のないことをしでかしている
今回は「望むところだ」ということで、後者を重視して書いてみます。
あくまで、「理解のある彼くん」持ちとハンデを持つ女性は完全に同一では無いという見解であり、
以下はハンデを持つ女性全てを批判しているものではありません。
これから記載している内容に反論がありましたら遠慮なくご指摘ください。
「理解のある彼くん」は、何も最初から障害や病気のハンデを持つ女性を攻撃するために産み出された単語では有りません。
それは障害や病気のハンデを持ちながらもそれらに向き合いながら生きている、ということを綴った女性達のエッセイから概念が発見されました。
ネットで複数の作者の漫画の「理解のある彼くん」が登場するページを1枚にした風刺画像を見たことがあるでしょうか?
まるで判を押したように展開が同じなのです。
エッセイということは実体験でしょうから、細かいところは省いたりフェイクを挟んでいる可能性があるとは言えど大筋はノンフィクションでしょう。
「なんだかみんな展開が似たりよったりだぞ??」と気づかれだしました。
この指摘については、何も弱者男性だけから発信されたわけではありません。
女性作家から、カウンター的にエッセイ漫画で指摘されているものでもあります。
この指摘で耳が痛かったならば、弱者男性だけを敵視するのは誤りであると言えるでしょう。
あなたがたが敵に回す範囲、軽蔑すべき範囲は本来もっと広いはずです。
それをすることができない、いや認知しようとしないのは何故でしょうね。
全ての女性が「理解のある彼くん」を得られるとは思っていませんし、
「理解のある彼くん」を得ることが誰であっても簡単だとも思っていません。
すぐキレる、情緒不安定になり周囲に当たり散らす、それらが病気や障害によるもので苦しんでいる――――――。
いかにハンデを抱えて生活することが大変か、という点で綴られていましたが、
「自分」が大変である、という視点のみで描かれていることが多いという感想を持ちました。
綴られているケースのうち、同情すべきものももちろんありましたが、
いくつか幼稚過ぎて理解できない行動も含め、都合よく正当化されているように見えました。
(それだけ的確な判断力を持ち合わせられないぐらいに根深い病気である、というのを私が理解できなかったのかもしれません)
しかしながら、作者は過去のことを反芻しエッセイに仕立ててるうちに、再考して思うところがなかったのかなと考えています。
ウソを書けということでなく、ぼかすなり内省の補足をするなりあるはずです。
上記は私個人の感想ではありますが、エッセイ漫画を通して「女性はハンデ持ちでもイージー」というネット上の共通見解が得られたのは、
私と同じような感想を持った人が多かったのでしょう、と勝手に推察しております。
「理解のある彼くんがいるから」ではなく、「理解のある彼くんだって出来る上に、そもそもこんな認識で生きているから」と思っているのです。
「私が弱者男性故に対象が女性というだけで色眼鏡で見ている」、そう思われるかもしれませんが、
他で消化器系を長く患われている女性作家さんのエッセイではその苦労や辛さに深く同情し、何一つ批判的な感想を抱きませんでしたし、
精神を患われている女性作家さんでも「理解のある彼くん」に疑念を持っていた方のものは
特に前後でも病気を理由にした問題行動の正当化を感じる部分もありませんでしたので、
やっぱり「理解のある彼くん」の登場があるエッセイの作家さん達だけが悪目立ちしているように見えました。
本来、努力し、助け合い、思いやりを持ちつつも懸命に生きるハンデを持った女性たちという
決して揶揄や物笑いの種にすべき存在ではないものについて、これだけマイナスイメージを持たれてしまったのは、ここにあります。
ここでは「理解のある彼くん」に絞って女性の話をしていますが、
もちろん「甘ったれた男性」がいることも否定しませんし、弱者男性の中にそういった部類の人間がいることも承知しております。
ハンデを持った女性のリアルを理解する上で、当事者の知り合いがいるという人もなかなか少ないでしょうし、
そもそも当事者はむやみやたらに打ち明けることは無いでしょう。
自分の病気のことを顔を合わせる周囲の人間にベラベラ喋ることがありますか?
そんな「リアル」で認知されることが少ない状態では、ネットの発信力が強い現代において、
エッセイの「悪い意味で最もキャッチーな部分」によって認識を悪い方向に塗り替えられてしまった、というのが今の状況かと思います。
それでも、結果的に「女性はハンデ持ちでもイージー」という結論で
十把一絡げにして非難の対象になってしまった「まともにハンデと向き合っている女性」への誤った非難があったことは否定しません。
何故止めなかったのか、何故助けてあげなかったのか。何故咎めなかったのか。
でもそれは「過去に助けてくれなかったから、同じように助けなかった」ではないです。
そもそも、「弱者男性を助けなかった理由」でなく「〇〇を助けなかった理由」というべきでしょうか。
ですから、「弱者男性は精神障害者女性をサンドバッグにしてきた」という結論で
「弱者男性の指す範囲が広すぎる」という意見も目にしたから、「ある種の弱者男性」としておこうか。
ここで言う「ある種の弱者男性」というのはいわゆる非モテ男性、そのなかでも容姿等の外面的な要素で女性から嫌悪・排斥され、そのぶつけられた嫌悪を内面化した人達のことだ。
容姿がキモい、喋り方がキモい、動作がキモい、、、、女性はまあカジュアルに言い放つ。
そしてそんな言動は一切咎められず、むしろ「不快にさせられた女性こそ被害者」として正当化される。
女性は正しいので悪いことをしないだろう、女性は弱者だから男性というだけで恵まれているだろう、
女性は被害者だから男性に対して加害者にはならないだろう、女性にとって好ましいものこそ善だろう
こうした世の中のリベラルな通念が呪詛となって、後々「ある種の弱者男性」を苦しめることになる。
言われた側の男性は自然と「自分はキモい」「女性にとって不快」、果ては「自分は世の中の害悪」と自己を規定する。
なぜか?女性に不快な思いをさせ嫌悪させるものは「悪」だからだ。
(そうでしょ、フェミニストのみなさん?)
社会の正義に沿おうと真面目に考える男性ほど、こうしてより深く罠に嵌る。
「おまえは『悪』だ」と判定を下されたら、もちろん返上しようとする。だがその成否を判定するのも結局女性でなければならない。
つまり、男性が「善良な存在」であろうとすると、必然と女性ウケ(モテ)を意識せざるをえなくなる構造になっている。
だが、キモい男性がアプローチしても害悪扱い(セクハラ、告ハラetc…)されるだけなので、
多くの場合は徐々に恋愛=女性からの承認、すなわち「善良」であることを諦めていく。
「女性は男性の人格を、外面的な要素から正しくジャッジできる」という信仰のもとに、
「清潔感」という言葉で包められ正当化されたルッキズムにさらされ、(努力も虚しく)女性に好ましい容姿を実現できないというだけで
「不潔で不衛生」「人格が劣悪」のレッテルを貼られては正当化され、それをまた内面化していく。
(そもそも女性のジャッジ次第で人格までレッテル貼りされること自体が不当なのだが、そう思うことも難しい状況にある)
そして「ある種の弱者男性」は、「自分は害悪だ」と思ったまま、自信も自己肯定感も失っていく。
女性のいる場所はもちろん、女性に(人によっては同性にさえも)話しかけることを恐れて所謂コミュ障になっていく。
自信も自己肯定感も物怖じしないコミュニケーション能力も、男性が豊かに生きるには非常に重要だ。
むしろそれらが欠如するのは致命的とも言える。
女性の場合なら自信なさげな態度と言動は奥ゆかしさとも捉えられることもあるだろうが、男性、それも容姿が悪いともなればどうか。
例えば一般的な企業の入社面接を想像してみてもらえばその悪影響の大きさがわかると思うが。
そして流れ着くのは薄給のバイト、ブラック企業、危険を伴う肉体労働。
こうして、学校で女子にキモいと罵られた少年は、弱者男性となっていく。
女性たちからキモい害悪とレッテルを貼られ拒絶され、女性との交際を諦めた弱者男性は、
それでも大抵は「害にはなりたくない」と願い、女性を避けるように生活する。
弱者男性の多くは、女性から承認されない、恋愛できない自分はダメな奴なんだろうかと不安を抱え、SNSやgoogleで検索をする。
すると遅かれ早かれこうした文が目に入ってくることになる。
言い換えれば、「(異性愛者で)女性に選ばれない男は人格的に劣っているに決まっている」
あるいは「女性にとって好ましい男性は人格面も優れているに決まっている」、ということになる。
そしてそんな類の暴論が数百、時には数千単位の「いいね」を集めている。
さらに社会正義を謳うリベラルやフェミニストは、非モテ男性を敵視し、口を極めてその人格を貶める。
曰く、非モテ男性は甘ったれている。曰く、非モテ男性は性欲の権化である。
曰く、非モテ男性は誠実さがないからモテない。曰く、非モテ男性の悩みなど低レベルだ。
曰く、非モテ男性は女性を搾取しようとしている。曰く、非モテ男性は・・・
他でもない反差別を掲げるリベラルからすら平然と差別をされることで、ますます自己肯定感を失っていく。
―――女性たちに外面的な要因で拒絶されることで同時に人格まで否定されてしまうなんて、
それが正当化されるならば、払拭するには女性に承認されお墨付きをもらうしかないじゃないか―――
そのような指摘は、今度は「女をあてがえということか!」と歪められる。
「女をあてがえ論」の他には「ありのままの僕を受け入れて論」なんて言い方もしたりして、
とにかくあたかも自堕落で自分本位な男性が主張しているかのようなイメージを擦り付け人格否定が行われる。
それが例え「同じ人間として扱ってほしい」「外面的な部分だけで排斥しないでほしい」「あなた達と恋愛できないからといって人格を貶めないでほしい」という
願いから出たものであっても、女性に対して批判的だからというだけで「ミソジニー」果ては「インセル」呼ばわりされ邪悪のレッテルを貼られる。
挙句の果ては、「男性というだけで恵まれているんだから被害者面をするな!」と遮断され、
(女性のジャッジは正しい。)(男性なんだから恵まれていると思え。)
(女性は加害をしない、お前に落ち度がある。)(女性に嫌われるなんて悪に決まっている。)
フェミニストたちが形成するこうした世の中の通年は、人格否定された「ある種の弱者男性」をさらなる自己嫌悪と自信喪失、自暴自棄へと追い込み、その人生を淀ませていく。
女性たちはこの呪いのもたらす苦しみと構造の強固さを知ってか知らずか、今日も気に入らない男性へ気軽に「キモい」と言い放つ。
「キモい男は害悪」、そんな女性たちの価値観が正当化され力を得る世の中では、
善良であろうとするほど「キモイ男性」は何もできなくなっていく。
すこし思考実験と言うか、考えてみてほしい。
普段のあなたの行動範囲のなかで、女性(とくに若い人)に遭遇することがどのくらいあったか。
そして女性と遭遇するたび、それだけで自分がその人を不快にさせ、害を与えているとしたら。
場合によっては「キモい!」と面罵され、それに対して異議を唱えることはおろか、反感を抱くことさえ許されない、そんな価値観が正しいと思い込まされているとしたら。
あなたはまともな精神で社会生活を送れるだろうか?程度の差こそあれ、概ねこれが「ある種の弱者男性」の見る光景、生きる世界だと思ってほしい。
おそらく、俺たちのような人間はほとんどのリベラルの人たちの観測範囲には入っていないだろうと思う。
女性からいじめやハラスメントを受けて人生の舞台から転落なんて、そんな少数のレアケースの問題など、いちいち考えてられないと思うだろうか?
念の為に言っておくと、「ある種の弱者男性」は決して少なくない。少なくとも、リベラルの人たちが考えるよりはずっとずっと多い。
全国の学校ひとつにつき数名はいるんじゃないか。心当たりがある人も多いんじゃない?
まあ数が少なく見えるのも当然ではあるかも知れない。彼らは大抵が、社会の下層で怯えながら隠れるように暮らすから。
リベラルたちの視界から外れた社会のはずれへ疎外され、自分は世の中の害悪だとひたすら信じ込まされたまま、
ろくに声もあげられずに死んでいく。俺が同じ境遇ということで交流してた人たちはみんなそうだった。
「ひっそりとオナニーしながら死ね」だったか、フェミニストの偉い教授が言ったそうだが、「望み通りだ」と彼らの末路を見て笑うのだろうか。
女性にとって好ましくない外面というだけで人格まで否定しないでほしい。
同じ人間として扱ってほしい。
今年22歳
友達の学生たちが就活、採用試験勉強、フリーの専門職と進路を決めて頑張っている中私は高卒フリーター3年目なワケ
定時制の高校だったから19歳の時に就活をした。回りの現役高校生たちが眩しくて挫けた。私はアレにはなれないから。
実家暮らしだから引きこもりになるのは容易だった。18過ぎて親に極力頼りたくないからなけなしの貯金を使って数ヶ月過ごした。そもそも貯金がすずめの涙ほどしか貯まらない金遣いの下手さもどうかしてると思う。全てにおいて甘ったれている。
バイトは1年過ぎると嫌になってくる。ただがむしゃらに頑張ればよかった1年目が過ぎると周りのことに目がいくようになって、嫌なところが分かってきたり、当然仕事内容に関しても責任と仕事量が増えたりと変化が出てくる。なにより、1年経ってもパッとしない自分が周りにどう思われているかが怖い。コミュ力死んでるし、仕事を頑張るしか脳が無いから。
今働いているパチ屋が今にも潰れそう。1年半目、嫌だ嫌だとゴネながら毎日働いている。コロナ休業明けからカツカツが続いて1年、最近立て続けに人が辞めて人員が居ないから希望休すら取れない。
早く辞めよう、資格でも取るかと思ってユーキャンを申し込んだ。届いた。手付かずだ。
生まれてこの方勉強なんかろくにしたことないのに、思いつきだけで動くからこうなるんだ。バカだね。
成人してから今までの貧乏コンプレックスが酷くて、お金を気にする割に金遣いが荒くて下手くそなのに、周りと育ちと生活環境を比べて落ち込んで、妬んで自己嫌悪するような性格があまりにも醜い。就活生を見ると体調が悪くなる。
自分が今まで生きてきてトントン拍子で上手くいくことは一切無くて、何かにぶつかる度に諦めてきた。
フリーターになってからは、自分の意思すら捨ててただ働くことしか存在意義が無いんだと思って働いている。やっぱり全部自業自得だから早く死んじゃいたいよね。これからどうしていいのか分からないんだよね。
何も考えたくない。友達が言っていた「敷かれたレールは息苦しいよ」って言葉も、私はちょっと羨ましい。
こんなならやりたいことだけやって生きてくればよかったな。
顔もかわいくないし性格も暗い、仕事の要領も悪い。勉強も出来ないし取り柄が無い。全部自業自得なんだな。気圧のせいにしちゃいたいな。ダメだな。
ましてや女をあてがえなんて思わないし、世間に俺達を馬鹿にするなという主張をするつもりもない。
俺の主張はただ一つ。女も男と同じステージで戦い、負けたら男と同様に退場しろ。
社会で負けたから、強い男に養ってもらった方が楽だから、男が養ってくれるからと甘ったれた根性で子供を産む弱者女性の遺伝子を弱者男性と同様に淘汰しろ。
男女で求められるものが違うから、弱者女性の遺伝子が淘汰されないから弱者男性が減らないのだ。
弱者男性はまさに男女格差の産物でしかない。弱者女性から生殖する権利を奪えば弱者男性()なんて病院で解決できる障害の問題まで小さくできる。
概ね同意。
男性の実在女性や女性キャラクターを性的に見つつ癒やしや母性を求めようとする傾向、見かける度に背筋が寒くなる。
その幼稚な甘ったれた思考を表に出すな。頭の中で考えるのも今すぐ卒業しろ。
この歳になるまでほとんど何一つ真剣に頑張れなかった。大学はあんまり努力せずにそれなりのところに入れてしまった。プログラミングを覚えてIT企業のインターンに潜り込むくらいはできた。でも、大学入ってからは全然専攻に興味を持てず単位を落としまくって留年してるし、プログラミングのスキルも0.1人前くらいで止まったまま。
ある程度のところで満足してしまって、そこから先にたどり着けない。頑張れない。大学受験もそうだし、他のことでも、ある程度まではなんとなくこなせてしまう。でもそこから先に行けない。それでは食べて行けない。なんとなくこなせる見込みすらなさそうなことからは逃げてきた。そうやって逃げても、できそうなことをなんとなくやっていけば食っていけるだろうと思っていたけど、できそうなこともそんなにはできないとわかった。
結局、自分に甘すぎる。人よりちょっと初っ端にできるからって天狗になっていた。ADHDだから逃げても仕方ないんだと自分を弁護していた。
でも人生、どこかで腹を括って努力しないと、どんな分野であれ一人前にはなれないらしい。別にそんなに努力しないでもまあなんとなく生きていっている人はたくさんいるのだろうし、それはそれで一つの生き方だと思うけど、俺はいろいろ事情があってある程度お金を短期的に稼がなきゃならないし、それがなくても、できれば一人前の人間として生きたい。
誰か、俺を助けてくれ。甘ったれた俺を雇って鍛えてくれ。そんなことをする利益があると言い切れないのがつらいところだけど、俺はここで終わりたくないんだ。でもどうしたらいいのか全然わからん。激務で一回ボロボロになってもいいからとりあえず一人前の人間になりたい。
捨てアドだけど連絡先も用意した。思うところがある人がいたら、罵詈雑言でもアドバイスでもお茶の誘いでもなんでもいいから送ってくれたら嬉しい。お茶の場合は、手持ちのお金が全然ないので都内が望ましいが、交通費さえもらえたらどこにでも行く。俺はどうしたらいいのか、知恵を借りたい。
sa241@nekochan.fr
最近増田で弱者男性が話題になっているが、弱者男性の生きづらさは女性の上昇婚が原因というのを見ると首を傾げてしまうし、そもそも弱者男性の生きづらさって男が原因だよね?と思ってしまう。
確かに女性は上昇婚指向があるが、それは所得的な部分のみであって、容姿や年齢に関しては男性の方が容姿が劣っていて年齢が高いことが多いはず。つまり男性も容姿や年齢に関しては広い意味では上昇婚をしているはずだ。
それに女性でも非モテなんていくらでもいるが、その人たちがなぜ男に比べて幸福度が高いかというと、恋愛というものに人生の主軸を置いていないからだ。女性は子宮でものを考えるだの恋愛脳だのよく男から馬鹿にされるが、男のほうがよっぽど、ちんこでものを考えていて性欲脳だと思う。女性は非モテでも同性と親密な関係を築いて趣味を楽しんでいる。それに比べて男は同性と親密な関係を築くことを拒む。
こういう増田があったが、男がおっさんや弱い男を好きになって救ってあげればいいだろと言いたくなる。
なぜ男の問題を自分たちで解決しようとしないのか。フェミニストは貧困女性のために最近も生理用品の無償配布を求める声を上げていた。男だって同じように弱者男性のために自分たちで行動を起こせばいいだろ。女性にばかり救いを求めるな。
コミュニケーション能力の低さも弱者男性の生きづらさの原因だと言うが、それはただの努力不足だと思う。
女性は社会から幼い頃から気配りや思いやりを求められ、温良貞淑な女性像に適合することを強いられるため、自然とコミュニケーション能力は高くなる。もちろん先天的に女性の方が言語能力が高いということはあるかもしれないが、コミュニケーション能力というのは言語能力だけでなくもっと広いものを指していて経験や勉強でどうにでもなるものであり、女性はたくさんの苦労や抑圧を乗り越えて高いコミュニケーション能力を獲得しているのだ。男はコミュニケーション能力が低いから〜と甘ったれるな。
そもそもこの手の人たちはアンチフェミをしている時点で間違いだと思う。なぜマスキュリストになって男性の人権を求めるのではなく、フェミニストの邪魔をしようとするのか。本当は弱者男性の生きづらさなんてどうでもよくて、女性が幸せに生きることを妨害したいだけでは?と邪推してしまう。
断言していいけどそう言う増田が自分の望む生まれや選択肢や才能を与えられたって絶対何もできねえで今と同じように精神病んでブツブツ文句垂れると思うわ
だって無能で怠惰で多分発達障害とかだからそんな地位に甘んじてるんだからよ
そもそも日本の地方格差や教育格差程度で競争にならないとか甘ったれたこというなよな
泥水啜って土粥食って自衛のために丸木弓作って戦うしかないアフリカ人とかに比べたらよっぽど恵まれとるだろ
増田みたいな性根の腐った発達障害の出来損ないのクズなんかマッドサイエンティストとか悪の秘密結社に拉致されて脳に集積回路を増設させられるかトンボかバッタの改造人間にでも人体実験食らうレベルで矯正されないくらいのことでもない限り何やったってダメだと思うわ
表題通りです。
2階の自室にいるときに母の声に呼ばれた気がして慌てて下に降りて「呼んだ?」と聞くと呼ばれてない時がある。でも、気づかないでいると、あるいは気のせいだと思っていると2回目には怒号が飛んでくるから怖くて無視出来ない。
母は声が大きかった。そして常に苛立っていた。
私はただ母が怖かった。
近づくと「来ないで!」と怒られるのでなるべく近づかないよう、話しかけないよう息を潜めて生きた。それでも、子供だから限界もあった。私は毎日母にはしゃぐたびに怒られていた。
いっぱいいっぱいだったのだと思う。子供を育てるのは大変だってネット上でいくらでも見る。
子供は自分勝手で親の気持ちなど知らず利己的で理性が無くて甘ったれで騒々しい。親はそれに苛立つのなんか当たり前なのだと教わった。1日も早く「人間に成れ」と言われていた。
またそれを補完するためなのかネット上の育児ブログなんかもよく読まされた。ブログの中でも概ねそのような内容だった。どの母親も子供の未熟さに悩んでいた。生きているだけで迷惑をかける生き物なのだと思った。
虐待の記録を目の前で読み上げられ「あんたはほんと幸せね」と言われた。
本当は私も虐待を受けていたのだと気づいたのは大人になってからだった。
私は小学校の頃、母に「子供を堕していいか?」と相談された。「お金がないの。この子を産むことも出来るけど、そしたらあなた達にかかるお金がなくなっちゃう。それでも○○は兄弟が欲しい?」
私はそう問われ、何日も体調が悪かった姿や、すでに金銭的な悩みを日常的に相談してくる母のことを思い出して「兄弟はいらない」と答えた。
婦人科まで私も一緒に行った。
母は妹が先に産まれていれば私など産まなかったという。
祖母にお金を借りるのに、母が行きづらくて私が行ったこともあった。
母は金銭的な悩みでよく私の前でだけ泣いていた。慰める言葉の出ない私は黙って「そう…」と言うしかない。
子が近づくことを許さない母に名前を呼ばれる時は、大体悪い出来事の前兆だった。
幼少期から不眠症と夢遊病、また自傷癖があった。口の中は常に血が滲んでいて頭はマダラに禿げていた。
何度も体調不良を訴えては病院で「気持ちの問題ですね」と言われて、いつしか病院に連れて行ってもらえる機会は減った。
メンタルクリニックは「頭がおかしい人みたいだからやめてよ」と言われて行けなかった。成人するまで、保険証は母が携帯していた。
成人してから親に内緒で病院に行きまくった。3ヶ月連続で採血された。
くつろいでいて、隣人の声が聞こえると「呼ばれた」と思って焦って飛び起きるがそもそも母はここにはいない。実家を出る時も見送りも何もなかったし、興味もなかったから、私が住んでいる場所も知らないはずなのに。
過去のことを思い出す時間が増え、不眠症が悪化し、メンタルクリニックで入眠剤をもらおうと思った。
常に思い出す過去のことを一通り聞いたあと、カウンセリングの心理士は言った
「その家庭で育って、よくもっと大きな病気にならないでいてくれましたね」
私の家、おかしかったのか……と思った。
過去を振り返ると、母を、父を助けてくれる人は周りに誰も居なかった。両親も様々な虐待を受けていて、でも子供が産まれてしまったから祖父母に頼らざるを得ない環境だった。
今でも私は「私の家がこうだったのは仕方なかった」と思う。そう思うしかなかった。心の壊れた父や泣き叫ぶ母を見てもっと頑張れなんて子供の身分では言えないししっかりしてくれよとも言えない。
ただ怯えて隅で固まっていただけの役立たずだった私がいまさら言える不満なんてない。
何も言えないまま、助けにもならないまま、大人になって逃げ出した。
ネットで毒親や、被虐待児の相談を見て、回答で言われる「自分の人生を生きて」「子供を産んで優しくしてあげて。自分がして欲しかったことをしてあげれば癒しになる」「子供を産めば親の気持ちもわかる」
そして失敗した両親を私はよく知っているのだ。
色々調べて、家族は要らないなと思った。子供も欲しくない。親の気持ちを理解する努力を20年間ずっと続けてきたから、もうわかっている。
私に出来るのはせめて両親を祖父母にしないこと、もう苦しませないこと、この血筋を終わらせることだけだ。
もう何代前からこの血は虐待を受けているのだろう。親戚の話を思い出しても、虐待、虐待、虐待。戦後の世代から養子を受け入れ兄弟をたくさんもうけても、一人しか結婚しない。親戚には初老にまでなった独身者が異常に多かった。
呪われているんじゃないかとすら思う。
さて、私は血を残さず死ぬまでの自分の人生を歩み始めた結果、このようにいきなりつまづいてしまい薬の世話になっている訳だが、なんとか頑張って生き抜きたいとは思っている。
だが、どうしても、一人で部屋にいると「もうどこにも帰れないのか」「私には頼れる、愛してくれる人は誰もいないのだ」と思ってしまい眠れなくなっていく。
寂しさに負けたら同じ歴史が繰り返されるとわかっているのにただ寂しい。
それだけがまだ辛い。
俺と同じタイプの人だ。俺もアラサーで高卒だし転職できる猶予も限られてる。
俺は自分の能力とストレス耐性の低さに自覚があるから、自分が原因なのはよくわかってる。
「みんな同じだよ」とかいう人がいるけどあれは真っ赤な嘘だよね。そんなこと言えるのは人並みに働けてる人だけだよ。横一列でスタートしてもどこかで優劣は生じるし、職場の人達は最下位の俺を見て「こいつよりはマシ」だと思える心の余裕がどこかにあるわけ。
俺にはそういうのが無いから最底辺で恐怖に怯えてさらに脳機能が落ちる。闘争逃走反応が「逃げろ」と信号を出す。その上ストレス耐性も低いからすぐに動けなくなる。1度この状態になると寝込むんだよな。
俺は身長が180あるんだけど、寝込んでた時に一時期体重が50代になっちゃって肺に穴があいたよ。
こんな事書いても、まともに働ける人は「甘ったれた事言ってんな」「努力が足りない」って思ってイライラするだけだし、イライラする人の気持ちは痛い酷わかる。自分がまともに働けてたら、生産性の低い生きる価値がない俺みたいなゴミをぶっ殺したくなると思うわ。だってその方が社会のためだもん。
俺たちはどうすればいいんだろうね。