はてなキーワード: 成人式とは
http://blogos.com/article/77836/
自治体は成人式をやらなければならないという法的義務は確かなかったはずです。自治体がやらなくても良いのならやらなければいいじゃないかと思うんですが。
私は、税は「民の生きるを守る」に直結する対象にのみ使うべきと考えています。成人式がなければ、死者が出るかと言うとそうは言えないですね。
冒頭で「成人式に全く関心がない」と断っているひとの意見にマジレスすんのもあれなんだけど。
まず、成人式ってそもそもなんなのか。
例えば学校の入学式だったら、主役は入学する皆さんで、学校の皆が入学を祝い、これからはこの学校の一員なんだから頑張ってねと励ますものだろう。
成人式は、主役は申請人を迎える若者たちで、社会の先輩たちが20歳という立派な年令になったことを祝い、もう未成年じゃないんだからしっかりやれよと激励を送るものではないか。
「『はたちになったねおめでとう』を伝えたいからお金ちょうだい」とかアホか。
20歳まで生きてこれた、その民の生命を祝う気持ちはないのか。
税がもったいないという気持ちはわかる。おめでとうというこっちの気持ちも知らず暴れるやつに、カネかけてまで式典を開きたくない気持ちはわかる。じゃあやんなければいいじゃん。税を使わないんなら、新成人からとるんでなく募金活動をすればいいんだ。
おそらく、新成人の数は、男性何万人、女性何万人、という報道がなされるだろう。
その際ぜひ注目して欲しいのだが、おそらく男性成人数の方が、女性成人数よりも5~6%は多いはずである。
あまり知られてないが、実は新生児の段階で、男児の出生数は、女児出生数より、5~6%は多い。(日本における数字)
そしてそのまま、成人時点、或は適齢期時点でも、男性数は女性数より5~6%は多い。
この男女の同世代における個体数比を、人口学的には「性比」という。
女性の方が長生きなので、年齢を重ねるにつれ、性比は男性過剰→女性過剰へシフトし、日本全年齢平均では、多少女性過剰である。
人口置換水準出生率が「2.07」とされ、「2.00」じゃない理由は、男性が過剰だから、2.00では男性過剰分が
性比の話だと、中国韓国インドベトナムの極端な男性過剰問題があって、それは相当深刻なテーマなんだが、今回はその話は割愛する。
自分は長らく「適齢期性比はどの社会でも男性過剰である」と信じていたが、先日1970年の国勢調査人口を見て、目を疑った。
その時点の20代後半の性比は、実は女性のほうが過剰だった。
その時点で20代後半というのは、1940~1945生まれ。
おそらく、乳幼児期に大戦等で栄養状態が悪く、或は感染病の影響などで、女児より男児の方が「自然淘汰」された
結果と思われる。
(徴兵される危険性がある男児を間引いた、という説も考えられなくもないが、おそらくそれはないだろう)
しかしよく考えたら、人類の長い歴史の中では、今のような「飽食」「感染症の心配がない」時代の方が、
極めて珍しいのである。
その過程で、多くの乳幼児が生殖適齢期になる前に死亡した。(特に男児が死亡)
となると、長い人類の歴史の中で、生殖適齢期性比が男性過剰な時代はごく一部でしかなく、男女同数、
ないし女性過剰の時代の方がメジャーだった、と言えるのではないか?
逆に言えば、人類という生物種は、乳幼児における男児死亡率の高さを前提として、
予め新生児時点で、5~6%は男児過剰で生まれてくるように「進化」してきたのではないか?
今の「男児新生児が女児より5~6%多く生まれてくる」のは、長い人類の生物種としての進化獲得の名残である。
先日「男児が女児より多数生まれるのは、ヒトの生物種としてのプログラムミス、バグである」という趣旨の本の
生きるの死ぬのって話じゃないけど。
そんなしょーもないことが原因だったと思う。
結構楽しかったし、なにより輪に迎えてくれたことが心底嬉しかった。
落ち着いたら、また顔出してみなよ。
セミフォーマルのドレスなんて初めて着たから、成人式後の同窓会の席でビールをかけられた時、わたしが最初に考えたのは「クリーニング、どうしよう」だった。
「この人殺し! 阿婆擦れ! お前のせいで、洋子ちゃんは死んだんだ!」
振り返ると、グラスを手にした女の人が泣きながら叫んでいた。はじめは頭の中が真っ白で、それが木下先生だと気づくまで少し時間がかかった。そしてようやく、わたしは二次会のカラオケで歌う曲だとか、久しぶりに会う男子と何を話そうかとか、そんな心配が必要なくなったことを知った。そうか、これが修羅場か。
事態をどこか他人事のように認識しながらも、友人に気遣われるうちに少しずつ感情が高まり、やがて表面張力は限界に到達して、結局すこし泣いた。
木下先生には中学時代、2年と3年の時に家庭科を教えて貰ったから、まったく知らない間柄というわけではなかった。だけど特別それ以上の関わりがあったわけじゃないから、中学卒業から間もないあの夜まで、先生と洋子姉が同級生で親友だったとは知らなかった。そう言えば4年前のあの夜も、先生は大きな声を出して泣いていた。感情表現が豊かな人なのだろう。
洋子姉はわたしの従姉で、15歳も年が離れているけど、親戚同士の集まりでたまに会う時は優しくしてくれたから、そこそこ親しみを覚えていた。一度だけ、スキー旅行か何かのお土産を貰ったこともある。隣町のナントカ病院に勤めてる、みたいな話を聞いたことがあったけど、お医者さんだとは聞いてないから、いわゆる医療従事者というやつなんだろう。具体的に何なのか、詳しく聞いたわけじゃないからよくわからないのだけれども。
あの日、通夜振る舞いの席で親戚のおじさん、おばさんたちが話していた洋子姉の死因は「もとから心臓が悪く、薬を飲んでいたけれど、突然発作があり、薬を過剰に摂取してしまったことが原因」というものだった。医療機関に勤めている人でもそういうことがあるんだな、と不思議に思ったけれども、余計なことをあれこれ詮索して良い雰囲気でもなかったから、特に尋ねることはしなかった。
さて、修羅場となった同窓会は結局、途中流会となった。騒ぎが収まり、わたしと木下先生がそれぞれ別室に移動したあと、一旦は再開しかけたのだけど、なんとなく白けてしまい、用意していたビンゴやビデオ上映は実施されずに終わったらしい。
翌日幹事の佐藤君から聞いて、わたしは皆に悪いことをしたと思って謝った。だけど佐藤君が言うには、わたしは被害者なのだし、結局二次会のカラオケでビンゴもビデオもしっかりやったし、皆はわたしに同情してくれていたから、謝る必要なんか全然ないとのこと。
それを聞いて「なんだ、じゃあ一切気にしないことにする」と冗談めかして言ってみたら、小突かれながら「今度リベンジとしてミニ同窓会を企画するから、三田も絶対来い」と強引に約束させられた。うん、佐藤君は良い人だ。全然好みじゃないけど。
同窓会翌日の席には、わたし、わたしの両親、佐藤君の他に、中学3年当時の担任だった小林先生と、木下先生のご両親がいた。木下先生のご両親がわたしに謝りたいということで設けられ、実際「娘が申し訳ないことをした」と頭を下げられたけど、理由を聞くと口ごもる。知らないという感じじゃなくて、話しにくいという雰囲気で、空気を察した小林先生が佐藤君を連れて席を外してくれた。
「娘は、親友だった洋子さんが亡くなった原因が、三田さんにあると思い込んでいるようです」
この言葉だけがわたしに突き刺さった。いえ、私どもは娘の勝手な思い込みだと思ってるんですけども、などとフォローなのか言い訳なのかわからないセリフがごちゃごちゃくっついていたけれど、そんなのは心底どうでも良かった。
洋子姉の三回忌の後、木下先生は形見分けとして手帳を貰った。そこには洋子姉の恋人がわたしに興味を示し、心変わりしただとか、自分と別れろと言われただとか、希美ちゃんを仲介しろと言ってきただとか書いてあり、最後に「希美のせいで死ぬ」「希美が憎い」といったことが書いてあったらしい。
木下先生はそれを読んで以来ずっと、わたしさえいなければ洋子姉は死ななかったのだという思いと、わたしには罪は無いという思いの板挟みになっていた。そして同窓会の席でわたしを見た瞬間、感情が爆発してしまった。ご両親にはそう説明したそうだ。
自殺かもしれない、とは思ったこともある。
だけどこんな理由だったとは思いもよらなかった。
両親からは、すぐに洋子姉の両親夫婦に連絡をとって貰い、確認してもらった。叔父夫婦も手帳の存在を認め、遺書の内容も手帳と似たようなものだと語ったそうだ。事情が事情だけに説明するわけにもいかず、だけど本当の理由を誰かに知って欲しくて手帳を渡したのだという。
本当の理由。
本当の。
つまり、叔父夫婦と木下先生の中では、わたしは本当は「洋子姉の恋人をたぶらかし、洋子姉を死に至らしめた張本人」ということだ。
知らない。そんなの知らない。
わたしじゃない。わたしのせいじゃない。
だいたい、洋子姉の恋人なんて会ったこともない。顔も名前もどんな人かも知らないし、年の頃が同じならば、今30歳前後。洋子姉が亡くなった当時も、25歳を過ぎたかそのくらいのはずだ。
わたしはその時、中学生。
なのにみんな、どうかしている。
怖い。
気持ち悪い。気持ちが悪い。
この町には、もういられない。
私の親は常に金がないと嘆いている。その割にはコンビニで買い物をしてるし、外食も多い。
なのに「金がない」って? おかしいでしょ?
塾も、病院代も、成人式の着物も、車の免許も、大学進学も、ぜーんぶお金がないからだめ。
あなたはロレックスの時計買ってるのにね、子には金を使えないのね。
私は低学歴だし身体が弱いから、家にお金を入れるほど金を稼げないだろうし、入れる気もありません。
「普通は高校卒業したら家に金を入れるもんだ」普通なんてよくいうよ、私には人並みのことをさせてくれなかったくせに。
私が「高卒以下の学歴じゃいまどき正社員にもなれないよ。大卒でも厳しい時代なのに」って言ったら何故か怒りだすし、わけわかんない。
性格は悪くない優しい両親だけど、幼すぎる。
これって、俺が最初に書いたことと一緒じゃん。
「天皇陛下に手紙を渡したこと」は、失礼とかマナー違反とか言う意見はいろいろあるかもしれないけれど、少なくともおおっぴらに批判できるようなことではない。
って書いてるよな?
そのままこの文章を読めば、お前は「失礼やマナー違反という意見」をいうことはバッシングで、
おおっぴらに批判することは「罰」ということになるがそれでいいか?
じゃあ、「失礼やマナー違反だ」ということとおおっぴらに批判する、ということはどう違う?
てか、「大ぴらに批判」の方が「バッシング」よりむしろ軽い意味だと言うのが一般的な認識だと思うが、
お前の中で、「バッシング」ってなんなんだよ?
まず、その辺整理してからでないと読む方も読み間違える。読み間違えたのかどうかすらよく分からん。
むしろ、この行為に対して懲罰を与えてしまうと、日本国憲法の矛盾や、天皇制の矛盾とかそんな話をあぶりだすことになってしまう。
ここで、天皇云々を言い出して本気で言ってる様な人達は、特に左右どちらかに傾いている人で、
他の人は、ただただ、彼の行動を国会議員に相応しくない行動で不快だとして批判してるだけだろ?
これが園遊会だからこういう話題になったけど、他にも書いたけど、招待された成人式だとか学校行事とかでいきなり原発どうこうの批判を始めたらそれに対しても同じ様なバッシングをするぞ?
ただ、その場合は左右の人達からの議論が来ないだけで、一般から来る批判は同じ。
勿論、園遊会のがインパクトがでかいから、どこぞの地方の小学校でやったりしてもそれ程話題にならないかもしれないけど、テレビが来るような成人式でやればこれ以上の話題にもなるかもな。
で、その一般の人達も含め、そのような輩のやった行動にさらに難癖が付けられるならいくらでも付け加えるだろ?
それが今回「天皇の政治利用」という分かりやすいものだった、というだけ。
ただ、これを「政治利用」というのはちょっと違うのではないか。なぜなら、「利用」というのであれば、利用する側にもそれなりの権力、あるいは実行力を伴うことが必要であって、単に手紙を渡したことを政治利用というのは難しい。言えるのはせいぜい、「政治利用の意図が込められている」くらいだろう。
だから、政治利用の意図が込められてたら駄目だろ。その時点でアウト。
国会議員が自分の政策に関する事柄を天皇に伝えようとする時点でアウトだろ。それくらい分かるだろ?
一方で
この部分は同意するし、お前らが言うなよ、と言う様な人達も居る。五輪なんかは酷かった。
五輪の件だって、あれで東京都がなんかやらかしたり裏で何かしてた、とか明るみに出たら、
ただ、五輪の招致というかその組織に天皇家に近い人間が居ることがまた問題をあやふやにさせたりするかもしれないが。。。
山本太郎の行動が、いろんなところで批判されていること自体はもっともだし、もっとやれば良いと思う。ただ、批判の方法を間違えないように。「天皇に手紙を渡すなんて失礼」という人間と、山本太郎と、どちらが、天皇の偉大な力を信じているか・・・、そんな非生産的な議論に首を突っ込むのはゴメンだ。
最もだと思うなら、「おおぴらに批判」されることも最もだろ?別に、刑事罰を与えて懲役刑にしろ、とか、天皇への侮辱で犯罪だ、なんてのは一般的には言われてない(言ってる右もいるけども)
単純に、これまでの行動から見ても、彼の国会議員としての資質に疑問をもってやめさせるべきだ、という程度の批判は何もおかしなことではないだろう。
「天皇に手紙を渡すなんて失礼」と言う人間と山本太郎、どちらもどうでもいいし、お前が勝手に首突っ込んでるだけだろ。
他の一般人は、また山本太郎がやらかした、いいかげんにしろ、と思ってるだけの話。
そこに分かりやすい天皇の政治利用とかがあるなら、もう辞めさせる事が出来るならそれも話題にしても何もおかしくない。それは大げさなことではないし、正しいこと。
「天皇」に対する不徳かどうか、そう言った思想的な議論をしてるのはお前を含めた左右の人間だけ。他の一般人はそれを利用してるだけ。そこをいい加減理解しろよ。
馬鹿すぎるだろ。
まず、彼があそこに入れたのは国会議員だからであり、また、あの場にはそのような行為を行わないことを前提で招かれている。
「そのようなこと」とは「園遊会を円滑に進めることを妨げること」。
園遊会でなくても、何らかの会や集まりを、他人が正当な理由なく妨害したら、それは場合によっては威力業務妨害で逮捕される案件。
成人式の会の場で、いきなり壇上に登って会を妨害する、そういうレベルの話。
分かる?まず、天皇どうこうではないの。文明人としての常識に欠ける行為であり、場合によっては罪にも問える行為だということ。
そして、山本議員が天皇に手紙を渡すことにより話題になり、結果その内容が広く知れ渡った、と言うのは事実では?
まあでも、実際の所、ディズニーランドで行われてる成人式にいきなり乗り込んで勝手に演説でもしたらそれなりに話題になったと思うけど。
その上で、さらに罪のウワ重ねとして、「天皇の政治的利用」をしている。
それは別に、これによって陛下が何か行動を起こしたとか、何か皇室側から発信があった、とかではない。
単に、「天皇」に関わる事によって話題を作り、彼の政治的思想を広めた、話題にした、と言うことがすでに政治的利用。だから憲法違反。
で、自分としては、じゃあ、オリンピック招致は?とか、他の皇室の行動は?ということに関して、それに反論する気は無いし、むしろ、何利用してんの?くらいに思ってるし、
単なる「文化」として残したいんだとしたら、逆に政治的な利用を完全に禁止してる憲法というのは現実に即してないしその辺は変える必要はあるとは思う。
ちょっと仕事に待ち時間が出来て、昔のことをぼんやり思い出したので書いておく。
バイト先の別高校の男の子と付き合ってたAちゃん(唯一のモテ?彼氏持ち)
NちゃんとAちゃんが特に仲良しで、二人とも勉強も運動もそこそこ
私とF子は勉強も運動もサッパリだったけど、オタク気質で話が合った。
私は部活の仲間ともよくツルんでた。でも一番長い時間を一緒に過ごしたのは同じクラスのこのグループ。
でも周りから浮かないように適度にギャルギャルしく、ラルフのカーディガンと、
まだ大人しかったルーズソックス(ようやく90cmとかが出てきた頃だった)を履いて
スカートは校則では膝丈だったけど、3回折り曲げて短くしてた。
化粧はしないけど、身だしなみはそこそこ整えて。
就職組のF子と、進学組のその他3人。
頭が一番良かったAちゃんは、絶対に大学に行くんだろうなって思ってた。
ケンカの愚痴とか聞きつつも、離れたりくっついたりしてる当時の彼氏と結婚するんだろうなって思ってた。
Nちゃんが、他県の大学に推薦で受かって、私は地元の大学に進学することが決まって
F子は無事に就職が決まって、Aちゃんは…一番頭が良かったはずのAちゃんは
専門学校に進学した。
大学に入学したら、みんなバラバラの人間関係になってしまって、
特に連絡を取り合う事もしなかった。
1回だけ成人式のあとに同窓会があったけど、その時私は部活のメンバーとばっかり話してて
F子ともNちゃんともAちゃんとも会わなかった。
バッタリAちゃんと会った。
「あー!」
って声をあげて、懐かしいね!って。
「結婚したんだね!」
なんて話をした。
Aちゃんの旦那さんは、坊主頭でイカツイ感じで、明らかに高校のときの男の子とは別人だった。
「職場結婚だよー」
Aちゃんは言ってた。
AちゃんからNちゃんは他県に住み着いてて、連絡取ってなくて
F子も今何してるかわかんないやーって話を聞いた。
(私はコウモリみたいにAちゃんとNちゃんからのお互いの愚痴を聞いてて
心の底ではお互いがお互いを見下してて、仲悪いっていうのを知ってたから
卒業後、連絡とらなくなるだろうなーっていうのは予想してた)
その場でAちゃんとは別れた。
連絡先の交換もせずに。
私達の友情なんてそんなもの。
その後、ふと思い出した。
Aちゃん、高校のとき、いっつも左の鼻の穴からハナクソと鼻毛出てたなーって。
指摘したら絶対怒って(Aちゃんは若干ヒステリーで怖い)無視されるから
1回も指摘できなかった。
F子と「今日も出てるね…」「言ってあげたほうがいいよね…」「怖いよね」「私達、何も見なかったよね…」みたいな。
もしかしてモテる秘訣は頭良くても鼻毛出してるあたしおっちょこちょいテヘペロ★みたいなキャラ?!
Aちゃんは鼻くそと鼻毛出てても彼氏が居て、結婚も出来たのに、私ってば…!
人生ってままならない。
結婚の予定も相手もいないけど
私も強く生きてこ!
彼女持ちだった時期もある。
初めての彼女だったのと極端にシャイだったのとで手すらつなげず・話すらほとんどできずにすぐ振られたからまあお察しレベルだけど。
そんで旧帝に現役合格で人生バラ色(※女関係除く)って感じだったけど、大学で挫折して引きこもっちゃった。
エロゲーとかアニメとかまとめサイトとかばっかで現実逃避してた。
でも改めて考えても、スマホとかパズドラとかまとめサイトとかが普及しまくった今の時代に高校生じゃなくてほんとよかったと思う。
大学でもフリーダムな環境に対して意志の弱さで挫折したようなもんだし。
そう考えると今高校生でいろいろ頑張ってる人間が本当にすごい人間だと思うわ。
俺のときはただ環境がなかったから仕方なく部活勉強やってたというだけだった。
あればやっちゃう人間にとっては今の環境は甘すぎるネクターに浸かってるみたいで気持ちよすぎて抜け出せない。
結局今はなんとか大学ひーひー言いながら卒業して家でて底辺IT土方やりながらまったりダラダラしてる。
落ちぶれたなあと思うけど、高校生までのリア充がおかしくて本来の自分がこうだったんだって思ってのうのうとなあなあと過ごしてる。
ろくに恋愛経験がないおかげで一人に慣れてるし、気楽で気まま。
でもどうせなら、ろくな恋愛経験がないのと同じように成功経験もリア充経験もなければよかったと昔無駄に輝いてた自分を恨むことがある。
そうすれば今の環境にまったくなんの陰りも後ろめたさもなくお一人様ライフを満喫できるのに。
なまじ成功の味を知ってしまったことがあるから今と比べて一人で落ち込んでしまうことがよくある。
高校の同級生がいいとこに就職してたり公務員なってるの聞くと辛いし、俺がすごく成功してるんだろうなって思われてるんだろうなって考えるとほんと恥ずかしい。
ソーシャルなんて無い時代から、「バレたら罰せられる」ということはいくらでもありました。
捕まってるのなんてほんの一部だけど、わざわざ見せびらかして逮捕される奴らだって居たわけだし
(未だに沖縄の成人式とかで場からやって捕まる奴らもいるだろう)
こっそりやればばれない、ならいいのか、じゃないんだよ。
こっそりやってる奴らだって、いざ見つかってもそんな大したことになるってあたまで理解できてない馬鹿が多いんだよ。
まあ、一方、そのリスクを愉しむさらなる馬鹿も居るから困るが、
冷蔵庫の馬鹿とかは、そういうリスクを愉しむ馬鹿よりも、単なる無知なガキな馬鹿が多いから、
こういう制裁見て怯え上がってでやるやつ減らすのはとてもいいことなんだよ。
そのくらい考えれば分かるだろ?
それにこいつらは、大体、見てみて、って言って楽しんでるんだから、こっそりやったら楽しさ半減だろ?
で、そこからこうやって楽しさの部分を抜き取ってやるだけでもやる価値がなくなるだろう。
そのくらい分からんかね?
大手のフードチェーンやスーパーの冷蔵庫に入って、Twitterで炎上。
その背景に学歴がどうの、ネット教育がどうの、単なる悪ふざけだ、etc...
盛り上がってるけど、結局のところ、これらの若年者にとっては、その行為
自体が小さな祭りなんじゃないのか?
ちょっと前まで、沖縄の成人式でどうのだとか、ねぶた祭りでランチキだの
出てただろ?いまもやってるのか?
そりゃぁ歳とれば、社会性も身についてるし、自分の家族なんかに迷惑が
かかって、結局その先にある経済的損失を意識して動くようになってるか
そりゃ昔も同じようなアホでエネルギーばかり持った迷惑な若者はいたろうよ。
それらをどうやって教育し、社会と適合させてきたか。それが祭りだったん
だろうよ。
日頃、しょうもない仕事と抑圧された感情。それらを年に1度か?2度、村祭り
などのハレの場に参加して発散させる。
祭りと言う限られた一夜限り許される蛮行。
で、いまの炎上騒ぎが治まらないのも、元々の感情がこの世代やこの階
層に鬱積してるのに、その発散する場が無いだけじゃねぇのか?
・今、若者のエネルギーを発散する場ってどこよ?Twitterか?
従来の祭りは、内容がケシカラン!とか言うやつが幅効かせるようになり、
マスコミも加担して社会総出で管理化の動き。そりゃ面白くなくなるわな。
参加する方もヤラサレ感いっぱいで楽しめない。
社会全体としてのガス抜きの場って大事なんだよ。社会が平穏で安定すれば
糾弾してる連中は、その糾弾自体が祭りなのかもしれないが、果たして
発散デキてるのか?そういう意味で主客逆転してるよな。
結果出力として体張って行動してるかどうか?ってだけ。
で、その限定された場ってのが判ってない連中が児童ポルノ発表なんかして
糾弾されるのよ。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20130824/1377362408
にもあるけどよ、俺がチェーン会社の本部お偉いさんだったら、一日店貸し
切ってやりたい放題にさせるな。チェーン全体でイベント企画として募集し
てやってもイイだろうし、アルバイトばかり集めて福利厚生の一環でやって
イイだろう。
その子の両親は世間的に「先生」と呼ばれるタイプの職業に就いており、
生活レベルはおそらく田舎にしてはいい方だったかと思うけど、それらを鼻にかけること、
事あるごとに自分age他人sageしてきたり、とにかく「お高くとまっている」という表現がぴったりの奴。
自分のセンスを疑いもしない所も嫌だったし、そのくせ私が買った漫画雑誌の付録を盗みやがったから嫌いだ。
あとは共通の友達を取り合うよう状況になった際、友達を物で釣るような真似をした所も嫌だったし、
書道でも体育でも学芸会の練習ですらスカートで来るのも鼻についた。
そんな腐れ縁は義務教育終了まで続いたが、奴は自分で言うほどには、外見も内面も追いついてはいなかった。
「歳をとってババアになりたくないから、50歳くらいになったら自殺したい」
などと学校の帰り道に嘯いていたムカツク姿を思い出す。お前は織田信長か。やっぱり嫌いだ。
けどお前、その50の半分にも満たないうちに予定を前倒ししてんじゃねーよ。
あとは名前は知らないけど首都圏郊外とかの私大に行ってたわけじゃん。浪人だか留年までしてさ。
そういえば成人式から1、2年後にあった同窓会に珍しく奴も来ていたけど、
奴の着ていた服は、小学校6年生頃に着ていた服と同じもののようだった。
うまく言えないけど、その服がこの女と自分が会うことのなかった数年間での、この女の人生経験すべてを
表しているかのようで。内心愕然とした。
お前の孤独を慰める気はさらさらないし、ムカツク奴だったから風の噂で近況でもきけば鼻で嗤う位はしたと思う。
「何十年前の田舎の話だよ」的な反応あるけど、案外あるもんよ。少数派であっても極少数ってわけじゃない。今年で21になる俺も、ここまでひどくないけど似たようなこと経験したし。ただ、学歴というより環境の差だとは思う。
地方出身で上京した大学生は誰でも程度に差はあれど、成人式で同じような衝撃受けてるじゃないかな。
高校の同級生は元々同じような学力持ってたからみんな大学行ってるとして、久々に中学の同級生と会うと「住んでる世界違うな」ってなった。
当時と同じようなメンバーで当時と同じように遊んでる。悪い意味で刺激が少ない環境だと思う。元増田の言ってた「趣味が舞台鑑賞のヤツ」じゃないけど、田舎にいるだけじゃそういう刺激を受けることができないんだよ。だから、周りの人間と似たような生き方しか知らないままになる。
もちろん、早いうちから社会人始めたおかげで人間的にすごく魅力的になったやつもいたけど、それは野球少年の中のイチローみたいな存在で、レアケース。
「だから東京が良い」とは言わないけど、生まれも育ちも違う人間が一番出会えて、刺激を得られる機会が多い場所って意味で、上京して本当に良かったと思う(地方じゃ気軽に美術館行けないし)。
不同意とか批判とかいう意味ではなく純粋に論理的に「何言ってるのかわからん」。
もはや児ポ法は理屈抜きで選挙後にはきっちり可決されそうな状況ですが
個人的には国旗国歌でネット世論も教師批判で一枚岩になった時点で
色々決まってたんじゃないですかね。
・一枚岩とは?
憲法に思想良心の自由が規定されているし、
なおかつ強制はしないという国旗国歌法案の規定なんかすっかり忘れて、
卒業式は卒業生のための式だから!とか教師ならルールを守れ!とかいう
まずその話と表現規制の話とどう関係あるのかがよくわからない。
共通点はあなた達にとってどちらもすごく関心があるということだけで、
じゃあ私は「国旗国歌法案に賛成で表現規制に反対なオタク」です。
いまいち、「卒業式で国歌を歌う歌わない」という話と「表現を規制する」話の繋がりが見えない。
何か霊力の篭った歌だというわけじゃあるまいし、1年に1度1分ぐらいその歌歌ったら何がどうなるのか。
単純な話、その件は思想信条が犯されてるとは思えない。
おわり。
あなた方の歪んだ視野では「オタクが敵に回った」ということになってるのかもしれないけど
オタクも一般人も卒業式の国歌歌う歌わないについての一番メジャーな態度は「あんま興味無い」だろう。
現実問題、どっちでも影響無いんだもん。
(あと、反対するのはいいけど自分の学校の式で暴れて荒らすのだけは最悪のやり方だと思う。
罪もない末端管理職の校長の胃に穴を開けて、生徒に嫌な思い出を残すだけ。見てる人の印象も悪い。
もっと上に詰めに行かずに末端で暴れるのは、成人式で暴れる馬鹿と一緒で暴れる本人の高揚感のためなんじゃないの?
そういうのって見抜かれるよ。)
…というのもいま頭で考えてのことで、感情的にはあんま興味はないんだけど。
片山さつきのバカみたいな初音ミク論に憤って児ポ法反対してるオタクは多いんだろうけど、
これは全部あなたたたちの特殊な脳髄では繋がってるだけで、
わかるよ。大人になると確かに幸福感が変わる。子供の頃目指していた大人になれていないし。
子供の幸福感の正体ってなにかな?自由に夢を描いたり、欲しいものが手に入ることなんじゃないかな?
だけど大人になると、根拠がない幸せには不安が芽生えてきてしまう。
これは、棚ボタの幸せに一喜一憂することのバカらしさを学んだからじゃないでしょうか?
“何のために”欲しい物を手に入れるのか、手に入れて何ができるのかを考えだした。それは決してネガティブではないと思います。
例えば、子供は「うんこ」とかのリアクションで笑える。ハラハラドキドキの、ワンパターンな映画でも素直に楽しめる。意味やテーマを咀嚼せず、反応しているだけだから。
でも大人になるにつれて(頭が良くなるにつれて)「うんこの何がおもしろいの?」「あの映画と同じテーマだよね」って気づきはじめる。裏側の意味を楽しむようになる。
ワンランク上がるって言い方は語弊を招くかもしれないけど、意味のないものに楽しさや幸せを見いだせなくなった。ただそれだけじゃないかな?
そして、それを受け入れてみるのはどうでしょう。
と言うのは、幸せになろうとするんじゃなくて
ってこと。
大人の幸せは「今の自分を肯定すること」だと思います。今の自分が未来に繋がってるから。今の自分にしっくりきてないのに、バラ色の未来を描くのは難しい。
あなたはそれがわかっているから、バラ色の未来が描けないでいる。頭がいいんだよ。根拠もなくハッピーな未来を夢見るのは、子供だからできること。
だけど不幸だとは思っていない。自己実現はともかく、ある程度の欲求は満ちている。
可もなく不可もなく幸せです。
とか、そこらへんの考え方の根本的な部分が知りたいのかもです。
「諦め」って言葉はネガティブに使われがちだけど、元来は「明らかにする」って意味だし、悟り。明らかなうえで受け入れる。
妥協は受け入れないで、擦り合わせること。
自分の場合は、暗→明のほうへ人生が180度変わる出来事があった。とは言っても、精神的な変化だから、きっかけらしいきっかけはないけど。
ただ、それ以前が底辺すぎたから平穏を手に入れて嬉しいと感じた。
「幸せって精神的なものなんだ」って気づくと同時に欲が消えた。煩悩が消えた感じ?冒頭の例のように、奥行きが必要になってしまった。
あ、欲がなくなったと言っても食欲と睡眠欲はあるよ。性欲はなくても困らない。
時々「鬱なのかな?」って心配にはなるけど、死のうとは思ってないから大丈夫なんだと思う。
で、気とかオーラとか占いとかスピリチュアルとか、なぜか周囲にそういう人たちが増えて、一般的にあやしいと思われている分野へ足を突っ込んだ。
最初は、あなたと同じで疑り深くて苦手でした。今でも信じてないです。
でも「なぜそう言えるのか?」を調べていくのは楽しい。いずれも元を辿ると西洋哲学や東洋思想にたどり着く。
すると、人が人であるがゆえの悩みは普遍的で、それを整理する方法も大昔から研究され尽くしていて、それなのに未だに人は悩み多き生き物なんだってわかった。
ハードは進化してるけどソフトはあまり進化していないって。だから生きてるんだなって思えました。考える葦なんです。
前者は「内なる子供」で、後者は「高次の自分」と訳されるけど、適当にアレンジして「子供性」と「大人性」で解釈するとわかりやすいかな?
そのバランスを意識しなきゃいけない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。
二十歳になったら成人式やって法的に大人になるけど、本当に大人になる瞬間は、経験によって人それぞれにバラバラで、
あなたが今置かれている状態は通過儀礼ではないかと思います。自分は20~24歳までモラトリアムになって、24の時に脱皮した。
大人性というのは、いつも自分を律したり、自分に指図している自分。
一方の子供性は、ありのままでいようとする自分そのもの。子供は「快・不快」に敏感。
ハイヤーセルフは、自分をあるべき姿へと導いている。だけどインナーチャイルドが時々「私って幸せなの?」と問いかけてくる。
心をないがしろにして自分を律しすぎている時には「素直に泣いてもいいよ」って子供が出てきていて、
ウダウダが長く続けば「あんた、ヤバイんじゃないの?」って大人が出てくる。
ややスピった考えを言いますが、
と考えてみてはいかがでしょう?律している自分も必要だし、駄々っ子の自分も必要。
「よくわからないけど、幸せじゃない。おかしいな」って感じている。今、そういう状態だよね?
今は心の中にいる子供がグズグズしている。そう考えると、啓発より癒やしかなぁと思います。
自分だって考えたら自分を上手く癒せないけど、自分の子供だって考えたら少し優しくなれませんか?
子供だと思ったら「泣くな、元気出せ」って言えないでしょ?
「無邪気に幸せを感じていた子供の自分」を否定しちゃうと辛いです。
それはそれ、仕切り直しの気持ちで「子供の頃はこうだったけど、今の自分はこう」って考える。
今が充たされないと、未来は見えないです。
あちこちのサイトを見るとわかると思いますが、インナーチャイルドとかハイヤーセルフが出てくるサイトには
天使やら偉大なるマスターやら、神秘的に説明されていて、知性面から捉えると「あやしい」ですw
でも、
これも持論だけど、啓発って「気づき」を得ることだから、人に教えてもらうもんじゃないと思います。
啓発本は「こうしたらイケてる奴になれるぜ」ってやつだから、すでに前向きな意志が持てて、契機づけたい時にのみ有効。
「教えやがれ!この野郎」って思える時に読むのがおすすめで、やる気が落ちている時にはあまり意味がない。
啓発本には啓蒙的なものが多すぎるし、意識だけやたら高くなっても、肉体がついていかないと使えないです。
スピ用語を使わずに伝えるにはどうしたらいいかな?と思っているうちに、長文になっちゃいました。
上手くまとめられていないと思うので、わかりにくいところはまた質問ください。参考になれば幸いです。