セミフォーマルのドレスなんて初めて着たから、成人式後の同窓会の席でビールをかけられた時、わたしが最初に考えたのは「クリーニング、どうしよう」だった。
「この人殺し! 阿婆擦れ! お前のせいで、洋子ちゃんは死んだんだ!」
振り返ると、グラスを手にした女の人が泣きながら叫んでいた。はじめは頭の中が真っ白で、それが木下先生だと気づくまで少し時間がかかった。そしてようやく、わたしは二次会のカラオケで歌う曲だとか、久しぶりに会う男子と何を話そうかとか、そんな心配が必要なくなったことを知った。そうか、これが修羅場か。
事態をどこか他人事のように認識しながらも、友人に気遣われるうちに少しずつ感情が高まり、やがて表面張力は限界に到達して、結局すこし泣いた。
木下先生には中学時代、2年と3年の時に家庭科を教えて貰ったから、まったく知らない間柄というわけではなかった。だけど特別それ以上の関わりがあったわけじゃないから、中学卒業から間もないあの夜まで、先生と洋子姉が同級生で親友だったとは知らなかった。そう言えば4年前のあの夜も、先生は大きな声を出して泣いていた。感情表現が豊かな人なのだろう。
洋子姉はわたしの従姉で、15歳も年が離れているけど、親戚同士の集まりでたまに会う時は優しくしてくれたから、そこそこ親しみを覚えていた。一度だけ、スキー旅行か何かのお土産を貰ったこともある。隣町のナントカ病院に勤めてる、みたいな話を聞いたことがあったけど、お医者さんだとは聞いてないから、いわゆる医療従事者というやつなんだろう。具体的に何なのか、詳しく聞いたわけじゃないからよくわからないのだけれども。
あの日、通夜振る舞いの席で親戚のおじさん、おばさんたちが話していた洋子姉の死因は「もとから心臓が悪く、薬を飲んでいたけれど、突然発作があり、薬を過剰に摂取してしまったことが原因」というものだった。医療機関に勤めている人でもそういうことがあるんだな、と不思議に思ったけれども、余計なことをあれこれ詮索して良い雰囲気でもなかったから、特に尋ねることはしなかった。
さて、修羅場となった同窓会は結局、途中流会となった。騒ぎが収まり、わたしと木下先生がそれぞれ別室に移動したあと、一旦は再開しかけたのだけど、なんとなく白けてしまい、用意していたビンゴやビデオ上映は実施されずに終わったらしい。
翌日幹事の佐藤君から聞いて、わたしは皆に悪いことをしたと思って謝った。だけど佐藤君が言うには、わたしは被害者なのだし、結局二次会のカラオケでビンゴもビデオもしっかりやったし、皆はわたしに同情してくれていたから、謝る必要なんか全然ないとのこと。
それを聞いて「なんだ、じゃあ一切気にしないことにする」と冗談めかして言ってみたら、小突かれながら「今度リベンジとしてミニ同窓会を企画するから、三田も絶対来い」と強引に約束させられた。うん、佐藤君は良い人だ。全然好みじゃないけど。
同窓会翌日の席には、わたし、わたしの両親、佐藤君の他に、中学3年当時の担任だった小林先生と、木下先生のご両親がいた。木下先生のご両親がわたしに謝りたいということで設けられ、実際「娘が申し訳ないことをした」と頭を下げられたけど、理由を聞くと口ごもる。知らないという感じじゃなくて、話しにくいという雰囲気で、空気を察した小林先生が佐藤君を連れて席を外してくれた。
「娘は、親友だった洋子さんが亡くなった原因が、三田さんにあると思い込んでいるようです」
この言葉だけがわたしに突き刺さった。いえ、私どもは娘の勝手な思い込みだと思ってるんですけども、などとフォローなのか言い訳なのかわからないセリフがごちゃごちゃくっついていたけれど、そんなのは心底どうでも良かった。
洋子姉の三回忌の後、木下先生は形見分けとして手帳を貰った。そこには洋子姉の恋人がわたしに興味を示し、心変わりしただとか、自分と別れろと言われただとか、希美ちゃんを仲介しろと言ってきただとか書いてあり、最後に「希美のせいで死ぬ」「希美が憎い」といったことが書いてあったらしい。
木下先生はそれを読んで以来ずっと、わたしさえいなければ洋子姉は死ななかったのだという思いと、わたしには罪は無いという思いの板挟みになっていた。そして同窓会の席でわたしを見た瞬間、感情が爆発してしまった。ご両親にはそう説明したそうだ。
自殺かもしれない、とは思ったこともある。
だけどこんな理由だったとは思いもよらなかった。
両親からは、すぐに洋子姉の両親夫婦に連絡をとって貰い、確認してもらった。叔父夫婦も手帳の存在を認め、遺書の内容も手帳と似たようなものだと語ったそうだ。事情が事情だけに説明するわけにもいかず、だけど本当の理由を誰かに知って欲しくて手帳を渡したのだという。
本当の理由。
本当の。
つまり、叔父夫婦と木下先生の中では、わたしは本当は「洋子姉の恋人をたぶらかし、洋子姉を死に至らしめた張本人」ということだ。
知らない。そんなの知らない。
わたしじゃない。わたしのせいじゃない。
だいたい、洋子姉の恋人なんて会ったこともない。顔も名前もどんな人かも知らないし、年の頃が同じならば、今30歳前後。洋子姉が亡くなった当時も、25歳を過ぎたかそのくらいのはずだ。
わたしはその時、中学生。
なのにみんな、どうかしている。
怖い。
気持ち悪い。気持ちが悪い。
この町には、もういられない。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2014/01/11/041240 は人称代名詞の指す人物がわかりづらかったのですが、こちらは固有名詞を使っているのでわかりやすいですね。
俺も成人式後の同窓会で元担任に怒鳴られたわ。 生きるの死ぬのって話じゃないけど。 挨拶したしないとか、幹事手伝う手伝わないとか、 そんなしょーもないことが原因だったと思う...