はてなキーワード: 役場とは
普段は都内に勤めており、自宅は千葉県内だが海辺まで行くのに毎回2時間程度はかかっているのだと思う。
ご存じの通り、先日、千葉県を含む7都府県に対しコロナウィルス感染拡大防止の為、緊急事態宣言が国から発令された。
しかし、父が言うにはサーフィンに行くことは自粛すべき行為に当たらないとのことである。所謂”三密”に当たらないからである、と。
私は「国からの要請だから」と深く考えず生真面目に不要不急の外出を控えていたこともあり、父の主張に違和感をおぼえた。
だが、ランニングが自粛を求められていないように彼の主張を頭から否定するものではないと思い、自分なりに調べ、考えてみた。
私の結論は、やはり今、東京近郊から海へ遊びに行くことは避けるべきであるというものであった。
身内の不届きな行為は気持ちの良いものではない。一度、彼と意見を交わした。
好きで東京に行き来しているわけではない
また、国や業界の要請と、自分の考えのどちらが正しいのか現状ではわからないのだから、自分の考えを最優先するというようなことも言っていたように記憶している。
もし考え、というか行動を改めてくれれば(というのも私のエゴなのかもしれないが)と思ったが、私では力不足であった。
海辺にお住いの皆様には申し訳なく思います。父に代わり深く謝罪致します。
https://www.town.ichinomiya.chiba.jp/emergency_info/439.html
それを友人たちに報告するときに自然と口をついて出たのがこの言葉だ。
改めて考えてみても、この一言に尽きるな。
しかしこの博物館では「信夫」の読み方がググらないと分からない。
市内で一番詳しくなきゃいけないはずの学芸員でさえ。
それで何の支障もなく誰も疑問に思わないのがこのムラなのだ。
「折口信夫を知らない学芸員」は、小さくみればその職員の力不足と無関心ゆえ。
だが大きく見れば、それが問題視されない、職員にそれを理解するだけの余裕をもたせない、或いは理解してる者をそのポストに就けない行政の構造的欠陥でもある。
(初めから学芸員として採用するのでなく、一般採用の職員を間に合わせで回すからこういうことが起こる)
ここではムラの偉い老人の顔色をうかがうことが最優先事項となっていて、彼らの気まぐれに多くの職員が振り回される現状では「歴史」もまた顔色の延長にある。
専門家であるはずの学芸員にもさして専門的な知識・能力は求められていない。
それよりも根回しや忖度の技術の方がはるかに重要とされる。(尤も、だからこそ学芸員の肩書をつけていられる人もいるだろうが…)
そういう所に自分みたいなのがポンと放り込まれても、そりゃどう使いこなしていいのか分からないよね。
こいつは学芸員の部下のいち嘱託にすぎないくせに、学芸員より学歴が高く歴史の知識もある。
おまけに偉いとか老人とかに関わりなく全然顔色を読む気がなく、カギカッコ抜きの歴史にしか興味がないんだから。
これまでは郷土史家の本を引用して市の公式見解とすればそれでよかったのに、こいつはなまじ原史料(くずし字)が読めるものだから、その郷土史家が何の史料を根拠としていてどこを読み誤ってるかまで気がついてしまう。
業務命令を与えてもないのに勝手に色々と調べて余計な口をはさんでくる。
おまけに市の公式の歴史認識に異を唱えようとする、使えないうえに集団の輪を乱す問題職員。
都会から来たよそ者の若僧よりも地元で長年教員を勤めた〇〇先生の方が偉いに決まってるのに!!!・・・てな調子だ。
「言質を取られないように語尾を変えろ」や「私(上司)はそう思わないから研究結果を変えろ」あたりにはじまって、
「郷土史家の先生に喧嘩を売るつもりか」や「下手したら市長の首が飛ぶぞ」が脅し文句(より穏当に言うなら、行動を制限する説得材料)として投げつけられるあたりに、自分と周囲との認識のズレの大きさがよく表れている。
例えば何か研究論文を書く場合、「先行研究批判」という研究の世界ではごく当たり前の用語でさえ、ここでは"検閲"にひっかかる。
「研究における「批判」に、人格攻撃や非難というニュアンスはありません」
と口をすっぱくして説明しても、「私はそう思わない」の一点張りで却下されてしまう。
結局、そういう言葉狩りを受けてできあがる文章なんてのは、誰からも因縁つけられる余地がない代わりに、誰に向けて何を言ってるのかよく分からない玉虫色のお役所作文になりさがってしまう。
なるほど、彼らが求めていたのはこれだったのか。
たぶん彼らは「歴史の専門家」を、先祖自慢お国自慢にお墨付きを与えてくれる装置、町おこしや観光のネタ製造機くらいにしか考えていないのだろう。
自分たちの信ずる(しかし根拠はない)歴史認識をもっともらしい言葉で修飾してくれるロボット、それのみを求めているのだ。
ところがそのロボットが主体的な意思をもち、自分たちと異なる歴史認識を提唱するなど、許しがたい「反逆」としか彼らの目には映らないのだろう。
専門家が組織の一員として働くことと権力のロボットに徹することは、似ているようで全然違うと思うのだが、それはこのムラでは理解されなかった。
そりゃ自分にも落ち度はある。いち職員として使えない点は多々ある。
(未だに「社会人」の概念が理解できないので「社会人なら言われなくても分かるだろ」と言われても分からない)
とにかく解雇した側にも言い分はあるだろう。結果から見て自分がこの職場に適応できなかったことは明らか。
だがそれでも言わせてもらえば、
どうしても適応しなければならないのだろうか?
「その人は家よりも大きく見えました」
『戦争は女の顔をしていない』を読んだ時、この言葉が胸に深く沁みこんだ。それに倣うなら、
と言いたい。
仕事だからしゃあなしで歴史に関わってます、本当は全く興味ありません、ムラに波風立てないことが一番です……。そういう生き方は自分にはできない。
仕事を通じて自己実現ができればそれは素晴らしいことだが、それ以前に適応したいと思える、適応する価値のある場所を見つけることが重要だ。
この檻を出ても、より大きな檻の中であることは変わらない。
女の子たちは「女子高生二人の~~~‼‼‼‼‼なんちゃらかんちゃら(判別不可)」と何度も叫んでいたから。
女子高生二人は横断歩道の両端から真ん中に向かって走ってきて、
ど真ん中に到達したら二人揃ってジャンプして上記内容を叫んでいた。
横断歩道上でパフォーマンスしてた女の子は勿論のこと、撮影者の男の子も車道出てんのな。
映えるのかもしれないけどそこは遊ばんといて。
轢いてしまったらさすがに車の方が気の毒だ。
どこかのSNSに動画上がってないかとざっくり検索してみたけど、それらしきものは見つからんかった。
やってることはみっともなくてでもすごく眩しくて、
自宅近くに幼稚園できそうな老人の気分を味わった。
当該少年少女に届くといいなあ。
日本にしちゃ珍しく致死率高めで感染率も高いってちゃんと言ったからな
発熱や呼吸器症状が1週間前後つづくことが多く、強いだるさ(倦怠感)を訴える方が多くなっています。季節性インフルエンザよりも入院期間が長くなる事例が報告されています。
罹患しても軽症であったり、治癒する例も多いとされています。一方、重症度は、致死率がきわめて高い感染症(エボラ出血熱等)ほどではないものの、季節性インフルエンザと比べて高いリスクがあります。
https://www.mhlw.go.jp/index.html
<感染経路の特徴>
◆これまでに国内で感染が明らかになった方のうちの8割の方は、他の人に 感染させていません。
◆一方、スポーツジム、屋形船、ビュッフェスタイルの会食、雀荘、スキーの ゲストハウス、密閉された仮設テントなどでは、一人の感染者が複数に感染 させた事例が報告されています。
逆張りする自称専門家のおかげでノーガード戦法を実践する若者が生まれ流通や役場を混乱に陥れて
感染率に年齢差は無いが正解
その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それに高森先生がぼくらに連体詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
すごく暖かくて、よい天気だった! 森の外れではツグミが鳴き、原っぱでは、製材所の向こうで、アメリカ兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも連体詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、アメリカ軍政庁の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋の親方が、ぼくに向かって叫んだ。
「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながら高森先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、高森先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
ところが、そうじゃない! 高森先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
「さあ、早く席について、ジソン君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な羽二重の紋付袴を着込み、細かいひだのついた帯飾りをし、刺繍した黒い絹の絹の帽子をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったスニル老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてスニルさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、高森先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。朝鮮の学校では、これからは朝鮮語だけを教えることという命令が、アメリカ軍政庁から来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後の日本語の授業です。熱心に聞いて下さい」
その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後の日本語の授業だって!…… ぼくときたら、やっと日本語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や歴史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。高森先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまた高森先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい連体詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。高森先生の言う声が聞こえた。
「怒りゃしないよ、ジソン君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わが朝鮮の大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちは日本人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなジソン、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
それから高森先生は、次から次へ日本語について話を始めて、日本語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そして日本語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
課業が終わると、次は習字だった。この日のために、高森先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「日本、朝鮮、日本、朝鮮」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれも日本語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
「いまにあの鳩たちまで、朝鮮語で鳴けと言われやしないかな?」
時々、ページの上から目を離すと、高森先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「五十音」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、スニル老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
突然、学校の大時計が正午を打った。それに続いて鐘の音が。それと同時に、教練から帰って来るアメリカ兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… 高森先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
「天皇陛下万歳」
それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
「おしまいです…… 行きなさい」
都民増田のホームアイランドは式根島だよ。行政区としては東京都新島村になります。
といても増田、山手線内で産湯を遣い、わずかな期間以外は23区内を転々と暮らしているので、些かその「ホーム」は勝手にこっちが思っているだけだけどね。後述するよう、向こうにとってはかなり迷惑な客であることは認めざるを得ない。ただし一応まだ客のうちだとは思うけど。
ちなみに、小中あたりの地理では「東京に村は一つだけ、桧原村」と教わります。うん、つまりなんだ、島嶼部はあんまりやらないんだよね。都領土に島嶼が含まれるのはトリビアルな知識、例えば沖ノ鳥島が東京都だとか、そういうことで意識する気がする。そしてそれはトリビアルであるがゆえに全員必修ではないわけさ。
さて、なんで式根島をホームアイランドに据えたのかというと、単に学生時代に増田所属のパーティでキャンプしに行ったことに始まるわけです。この島、4平方㌔ほど(つまり2キロ×2キロに収まるってことさ)で、形としては天気予報の地図位デフォルメした北海道に似ている。方角も同じだ。そのサロマ湖あたりがフェリーがつく港、釧網線沿いに民家・学校・役場(支所)が密集し、その外れの釧路あたりにアウトシーズンのキャンプ場がある。道南・道央辺りは人もおらず開発されていない(と思う)。襟裳岬あたりに2湯3カ所の露天風呂が湧いている。オンシーズンのキャンプ場は天塩辺りに存在し、町からやや離れる。で、肝心なのはキャンプ無料、温泉無料、狭い島だから歩けばどこでもたどり着ける、という手ごろさにあるわけです。シーズンなら人がいない=超きれいな海で遊び放題だ。海水浴は皆入り江で安心感がある。釣りもいいらしいけれど増田にそれは判らない。
かといって、全く社会から途絶したところでもないので、飯酒生活具の類はパッと買うことが出来る。電波もバリ3。これは楽。交通は船だけで、これは夜行便で寝てる間に着いちゃうし、パッキングしておけば仕事終わりでも突っ込める。船賃は値切る手もあるし、何より船旅はそれが近代化されきったフェリーとはいえ、旅情があってよろしい。
なので、暇を見つけてはテントかついでソロで通ったわけです。就活疲れもここで癒したし、付き合ってたねぇちゃんを連れてったこともある(その時はさすがに民宿を取って俺も出世した屋根のあるところに入ったと思った)し、その別れの傷をナメに戻ったこともある(このときはテントに逆戻り)。特に震災のちょっと前は数年連続で年越しキャンプまでしていた。
ただねぇ、このフリーさが島にとっては仇になった。増田が数年年越しを欠席していた間に、年末キャンパーが火の粉を飛ばしてあわや火事になるというインシデント(と伝え聞いたが本火事だったかもしれない)で、冬季のキャンプがダメになりました。冬場は風が強いんだよここ。まあ、しょうがないね・・・。あと、キャンパーなんだか、プロの野宿者なんだかわからない人間が数人伊豆諸島を回遊している、という話があってこれもキャンパーがうさんくさがられる理由であった。2・3カ月すると役場の奴がやんわりと追い出すのだという。それを4・5島で繰り返して一年過ごすんだそうだが・・・。こっちはニアミスしたことがある。古い馬鹿でかいテントがキャンプ場の奥にあって異常に生活感があるんだが、動いている気配がない。あと、こういうところに遊びに来るような奴は挨拶ぐらいはできるんだけど、一切そういうの無し。これが噂のそれか、と感服した(が、持ち物の管理は厳しくやった)。
あと、航路にジェット船が投入されてオフシーズンは夜行船がなくなった。加えて増田は小金を持つようになり、他のところに行けるようになっちゃった。休みの数に限りがある以上、他のところに行くとどうしてもご無沙汰になっちゃうわけで(というほどの顔見知りがいるわけでもない)。
無論、東京都の伊豆群島はもちろん、他の県の離島なんかも行ったことはあるけど、思い入れがあるのはやはり式根で基準も式根。だからまあ、増田の中ではホームアイランドは式根島、ってことになるわけです。まあそんなきもいの設定してる奴はそんなにいないと思うけど。
あと、都民的な興味では小笠原も一回は行きたい(都民でなくても多分行きたくなったと思う)んだが、あそこは、ほれ、"日帰り"で行くのは勿体ないじゃない? だから当分は無理だねぇ・・・。
まだ停電地区もあるが、実家は電気はついていて屋根のブルーシートでの仮補修も済んでいた。それでも昨日の雨で雨漏りが酷かったよう。
支援物資はお陰様で豊富にあるようで、ブルーシートは役場で制限なく貰えた。無料炊き出しのホットドッグ屋さんがいたので、両親と自分の分をもらおうかなとお願いしたんだけど、それが最後の分だと言われて、後ろにも人がいたので譲った。増田自身は被災者じゃないし、実家には親戚や知り合い、増田が食料を届けているので食べ物に困っていたわけじゃないし。
地元のスーパーおどやに行ったけど、普通に営業していた。品不足も特にない。
食料支援を役場でする必要性は高くないように感じた。まだ停電している山間部や被害の大きい岩井袋とかで食料支援があれば喜ばれるかもしれない。
車が使えるなら、とりあえず生きていくのに大きな支障はなさそうだ。
ただ、雨漏りしないで安心して安らげる家がなきゃ日常なんて取り戻せない。
世間がこの話題に飽きてボランティアの人手が足りなくなるのと、復旧復興とどちらが早いか。
あとさ、家の補修とか壊れた家財の購入とかって10月になったら増税なんだよね…
雨で水浸しで建物としてはもうダメでも建ってさえいれば全壊にも半壊にさえもならないんでしょ?保険で補修費全部なんて賄えないだろう。補修は何百万の話だから2%は大きいですよ。10万円くらいは変わっちゃう。
あとさ、なるべく頻繁に実家に行ってやりたいけどさ、ガソリン代高速料金が結構かかる。社会福祉協議会を通したボランティアは高速代無料になるらしいけど、被災地の実家に帰るのはダメなんですかね…
報道だと雰囲気わからんと思うけど、まだまだ地震とかの被災地の感じですよ。実家の本格的な補修が完了するのはいつになるんだろう。
私の見識だと、クリエイター(例:作家)やそのパートナー(例:編集者)としてそれなりに働けている人間は、流行に敏感で且つ常にこの先何があるのかということをよく考えている人間が多いように感じる。
おそらく、それは創作者に限らず役場の人間やオフィスの人間でも同じことで、ある程度の時代の流れを感じ、上手に乗れる人が器用に世渡りできる。
ミーハー、という言葉がある。当時、どの立場の人間が発した言葉かは知らない。ミーハーであることを敵視し、いわゆる「ガチ勢」を賛美する風潮は、けっこう良くないと思っている。働く上で必要な知識なんかは、それは仕方がない。だが、「トレンドなんかに流されない」ことを賛美する風潮は、結局生きづらい人間を多くうむ。個人がどうあろうと、時代を作っていこうと前進する人間はいつの時代もいて、彼らがいる限り潮流は止まらないからだ。
一昨日地元の友達と会って酒を飲んだとき「俺らは古い」という話をした。
彼とはアニメや漫画の趣味が合い、中学時代から数えてもう七年ほどつるんでいる。私も彼も大学に在籍しているが、なんとなく、そこにいる人間たちに背を向けて、自分の世界を追求する傾向が共通している。なんなら好きなアニメも00'sものばかりだ。結局我々はお互い以外の人間とアニメの話がしっかり合うことはあまりなく、家は近くない割には会う頻度がけっこう高い。
流行に乗ろうとした時期が何度も何度もあったが、結局いつのまにか興味を示さなくなっていた。飲まれないでいいから、せめて、追いかけるだけでもしていた方が、自分は楽に生きられるなと思っているのに、多分2ちゃんをやっている間に過去の賛美者になってしまったのだろう。
そういう生き方を否定することはできない。事実、それで上手に生きている人間も知っている。しかし自分の中途半端さを考えると、やっていける自信はない。仕事も見つからず、女も捕まらず、友達もできず、部屋で一人腐敗する未来が見える。
それは「滞納者」です。
滞納すれば督促状を郵送します。
督促状でも反応が無ければ、催告状を送ることもあります。
では、
その郵送代は誰が払っているでしょうか。
その紙代は誰が払っているでしょうか。
その紙を作る人の人件費は誰が払っているでしょうか。
すべて税金です。
滞納をすることによって本来かからなくて良い税金がかかっているのです。
お伝えしたいことがたくさんあります。
よくある質問1
税金が高いんだけど。
国に言ってください。私たちは、国が定めた金額を集めているだけに過ぎません。
私たちにはどうにもできません。
よくある質問2
いきなり差し押さえするのか。
必ず督促状が出ています。出ていないなら、その差し押さえは法的に無効です。違法行為です。
よくある質問3
督促状なんか届いていない。
住民登録が正しくなされていて、届いていないのなら郵便局に問い合わせてください。
届かなくても、役場に返戻されていなければ地方税法第20条第4項で「到達すべきであった時に送達があったもの」と推定されることになっています。
返戻されたのなら調査して役場の掲示板に掲示します。掲示から7日を経過した日に送達されたものとみなされます。公示送達という仕組みです。
転居転出した場合は住所変更の届出を行わないといけないのです。
よくある質問4
テレビみたいなガサ入れ(捜索)なんてしていないんでしょう?
Yahoo!官公庁オークション(インターネット公売)を見てみてください。
実施中行政機関一覧にあるような自治体は少なくとも捜索をしています。
https://koubai.auctions.yahoo.co.jp/list
ヒトゴトではないのです。
でも予告無くは来ません。督促状を出しているのですから。
よくある質問5
じゃあどうしたらいいの。
自分で考えてください。
心臓がぎゅうっと握られるようだ
あんなに綺麗なものも優しいあの子も自分の人生には影も形もない
隣人を優しいあの子だと信じられるような心も持ち合わせていない
どうせ、運命の相手でも何でもないその辺の街コンかなんかで知り合った奴とくっついてさ、それでも運命だと信じ切れてるんだ。ブスとブサイクが腕組んでさ。そんで幸せで2人だけの国なんだろ。
なんで手に入らないものばかり見せてくるんだろう
役場の人と上手く話せたとか、鶏肉が4割引だったとか、タクシーで人間扱いされたとか、つまらない幸せがすっかり色褪せる
こんなガイジのつまらない人生なんて歌われることなんかになくて