はてなキーワード: 土俵とは
そもそもなくせないことを証明したほうが早いのだが、まずは説明を試みる。
基本的な考え方としては2点。
・授業や業務の進行を維持するために、多様性の重要度を全員に理解させるより、一人が犠牲になっていたほうが合理的。
いじめられる側も環境が選べるはずで、どこか一つの環境でいじめられているからと言ってそれで人生全てが否定されてしまうというのは詭弁だ。
自分一人がいじめられることに耐えられないからといって、グループ全体の利益を犠牲にさせるのはいじめに対する報復としては大きすぎると言うものだろう。
それでも尚、いじめられる側が全ての正義を発揮してよいと言えるのだろうか。
ときにいじめの議論を見ていると、個人の幸せというものが全てにおいて優先されると勘違いしている姿を多く目にすることができる。
しかし、生物とは常に淘汰と戦い続けている。それはいじめる側でもいじめられる側でも同じだ。
自らの淘汰の恐れを、いじめという言葉一つを免罪符に相手の淘汰へと置き換えるのはいささかやりすぎているといってもいいだろう。
しかし、いじめがあったほうがいいということを証明するのは私ではない。
今この文章を読んで、その考えの多様性を認めることよりも正しさのもとに鉄槌を厭わないその気持が望んでいることなのだからだ。
いじめがないほうがいいに決まっていると殴りかかろうとするその気持こそが、全てのいじめに共通する正義感という欺瞞に他ならないのだ。
それこそが始めに言ったとおりに、なくせないことを証明するほうが簡単だとした理由である。
いじめられることを恐れる人間よ。どれだけ正論を重ねてもそのいじめを無くすことはできない。
そんなものに正面から向かい合って疲弊するよりも真っ先に逃げよ。
相手は対象が強くなれば強くなるほど強くなる。これ以上相手に武装を与えさせるな。
相手の知らぬところで体力を回復し、相手に知られぬように戦う準備を整えるのだ。
いじめられた経験があるだけ強く優しくなれる。正しい場所で戦えばいじめてくるような相手に負けることはない。
2017年、今年の大河ドラマは「おんな城主直虎」。毎週楽しく見ています。
6年くらい前からTwitterを利用し始めて、作品名のタグで色んな人たちの感想・実況ツイートを見ながら視聴するようになりました。
そこで最近、というより今年になって感じるようになったことがあります。
それは「前作を引きずっている人の多さ」です。
直虎の前作は真田丸でした。キャストも脚本も豪華、有名な武将・真田幸村が主人公なだけあって盛り上がるシーンが多かったように思います。また見ているこっちが大笑いしちゃうようなシーンもたくさん盛り込まれていて、Twitterの真田丸タグは毎週大盛り上がりでした。
年が明けておんな城主直虎が始まって、またTwitterで実況ツイートを見ながら楽しんでいるんですが、そこで頻繁に見かけるのが
「直虎では〇〇はこんな事してるけど、真田丸だったら父上が△△して解決しちゃうよね」
…といった真田丸との比較ツイート。しかも、直虎に対してあまりいい感想じゃないんです。
もちろん、作品というのが全ての人から良い評価を得る訳ではありません。大河ドラマも、毎年ここが良くなかった、という感想は沢山あります。
さらに直虎の生きる時代は真田丸の頃より少し前で、同作に登場した人物も出てきます。そんな二作品が連続して放送されれば、視聴者の記憶も新しく当然比較されます。
だからこそ、直虎に比べて真田丸は良かったなあという意見が目立つのです。
真田丸は本当に沢山の人が視聴し、中にはこれが初めての大河ドラマだったという人も多かったんじゃないでしょうか。
実際、私の友人やTwitterのフォロワーにも、大河には興味がないが真田丸は見た、という人が本当に多かったです。
前述したようなキャストの豪華さや盛り上がる場面の多さ、そして展開の移り変わりのテンポの良さは、確かに見やすかったように感じます。
世間一般で大河ドラマについている、歴史に基づいた渋くお堅いイメージ(あくまでも私の意見です)を覆すような作品だったと思います。
その分、真田丸が最終回を迎え、ロスになったという声も多く見ました。私も、毎週楽しみにしていたものが終わってしまって寂しくなりました。が、それは毎年の大河で感じています。
真田幸村は有名な武将ですし、井伊直虎はそれに比べると知名度も低く、苗字なら聞いたことがあるなあ、くらいの人が多いんじゃないでしょうか(恥ずかしながら私もそうでした)。
ましてや女性で、若くから戦や政治などの最前線にいるわけでもなく、かといって華やかな世界にいる姫というわけでもなく、物語序盤で出家しています。戦国武将の生涯を描く真田丸に比べれば地味です。
でも、大河ドラマって元々地味なものなんじゃないか?と思うのです。
歴代の大河ドラマを遡ってみると、主人公になった人物はそれこそ歴史の教科書に絶対載っている人や武将を思い浮かべたら必ず名前が上がる人など、とにかく有名な人が沢山います。
でも、その中に時々ぽつんぽつんと、歴史の専門家でもない限りこのドラマがなければ名前も知らないままだったような所謂マイナーな人物が主役の作品があります。
もちろんドラマである以上創作要素もありますが、その人がどんな役割をして、どんな生涯を送ったのか、初めて知る人物だからこその楽しさがあるんじゃないかと思うのです。
大きく分けてしまえば、直虎も含めそういった作品はマイナー枠、真田丸のような作品はメジャー枠という感じで、描写する時代が近くても、いわば全く土俵が違うのです。もちろん、同じマイナー枠なら比べても良いのかと言えばそうは思いません。
毎年見ている側の意見としては真田丸はここ最近の大河作品では珍しいくらい展開が常にはっきりしていて、直虎がむしろスタンダードに大河ドラマ!なんです。
悪い意味でなくゆっくり進むのが普段の大河なんじゃないかなあと。もちろん今までの作品全部がそういうわけではないです。
だから、真田丸が面白かったのは重々承知の上で、そろそろ気持ちを切り替えて新しい作品として直虎を楽しみませんか、と言いたいのです。
私が大河ドラマを見たのは小学3年生の時、「北条時宗」が最初です。それからは毎年欠かさず見たり、過去の作品もDVDを借りて見たりしていますが、歴史の長い大河ドラマのファンとしてはまだまだです。ましてやTwitterを使い始めたのはそれよりも短く、過去の大河作品も今年の様に比較する声が多かったのかもわかりません。
なので、ちょっと毎年見てるからって意見するなという方もいらっしゃるかもしれませんし、もっと昔からのファンの方が不愉快に思われるかもしれません。
「毎週毎週直虎楽しんで見てるのにいつまでも真田丸と比較して下げるなよ!(怒)」
の気持ちが募ってしまった結果なので、つまるところただの愚痴で、吐き出しです。
もう1月も終わったのに、いつまでも比較して文句を言うなら見るのをやめたらいいのに…と少々過激に思ったこともあります。
ですが、それ以上に直虎をとても楽しく視聴しているので比較して下げられ続けるのは悲しいんです。
真田丸のことを一旦置いて直虎は直虎!と意識を変えてみたら、違った感じで見えたりするかもしれません。
長々と読みにくい文章失礼致しました。ここまで読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。
最後にこれだけ。
「こういうお店があったら自分なら行くのに。世間的にも需要があるのに。元手があったらやってみたいなあ。」
と夢想していた事がある。
今日友人にその話をし、冗談でどんどんと実現するには…とあれこれなるべく現実的にアイデアを出し合って盛り上がった。
二人とも頭はよくないし、経営の知識経験は皆無だし、現実的な実現方法といえども恐らく妄想の粋を出ない机上の空論だったろうとおもう。
それでもこうして人脈を広げたら、とか、クラウドなんとかを使ってみたら、とか世間的な需要への確信とかとか。
一人で夢想していたものよりも人に話すことでほんのちょっと現実味が湧き、アドレナリンが出ているのがわかった。
まあ、出てきた結論はパパ活で人脈と資金集めどちらも手に入れよう、という冗談でおわったのだけど。
こういう前向きで新しいことを考えるのは楽しい。
実現への試行錯誤は時間、大金、体力、プライベート、社会的信用など、いろんなものを犠牲にしなければならないのだから生半可なノリで事業なんか始められない。
クラウドなんとかについても、ノリだけの企画提案には土俵にあがる資格すらないだろう。
だからきっと、一生はじめの一歩を踏み出すことは無いのだろうと、思う。
実現のために具体的に行動している人は、なんであろうと行動しているだけ、とてもすばらしい。
http://anond.hatelabo.jp/20170130215736
たしかにね、洞察の深さが伺える、流れを変えるようないぶし銀のブコメっていうのはある。
でもそういうのは、ホットブコメとか言ってスポットライトをあてるもんでもない気がする。
大体、星を集めやすい物言いというのはあるし、ホットにするということはそういうのと同じ土俵にあげてしまうことだ。
ただ、それをやるのははてなじゃないだろうな。
はてなが他人のWebサイトに(勝手に)乗っかるサービスだとしたら、
コールドブコメは、ブコメページに(勝手に)乗っかる第三者のアドオン的評価レイヤーだ。
そういうのを誰か作ってくれないかな。頼むよ。
ジョイフルの社長が自民党の議員さんで、長時間労働の規制に取り組んでいるという話。
ホッテントリしていて、自分も説得力のあるいい話だと思ったのだけれど、心のどこかで、今の世の中、きれいな話にはウラがあるぞセンサーが働いてしまって、ほんのちょっとだけ引っかかった。
そしたら、少しずつ疑義を呈するエントリもあがってきたみたいではある。
増田にも、こんなのがあった。
(ファミレス経営の国会議員のところでバイトしてたけど http://anond.hatelabo.jp/20161228001948)
1つ目は、「あれ? この議員、どこか別件で聞いたような?」と思ったからだ。
あのどうみても支離滅裂な教義(って、外部からわかる一般的なことをしらんけど)やら、教祖のうさんくささとか、次々出てくる霊言シリーズとか、真っ当で合理的な思考の持ち主がもつ信仰とは考えにくい。
一方で、カルト(いや、幸福の科学がカルトかどうかは知りません! あくまで一般論)の信者って、本心かくして外部には共感を呼ぶ正しいことをとく場合があるからなあ、とか。
外には民衆のための民主社会の実現をとく組織の中身が、めちゃめちゃ独裁的だったりするのも似てるかもしれない。
引っかかった理由のその2は、なんっていうか、この社長さん、長時間労働という「ルール破り」とか「マネジメントの欠如」のせいで、自分の会社の改革が進まないし、同じ土俵で戦えないといいたいみたいだけど、それって、本当にそうなのかな?ということだ。
富士そばとか、サイゼリヤみたいに、外食産業でも、そんなにブラックって叩かれなくて、成功している会社あるよね?
サイゼリヤなんかは、本部に頭いい人たちが寄ってたかって、業務の効率化に知恵を絞っていると聞く。
店舗の掃除はどういう風にやったら効率的か?みたいなことも、必死でオペレーション考えているらしい。
もし、「うちの会社が儲からんのは、他社が長時間労働させてるからだ! よし! 政権党に入ってライバル企業に規制を加えてしまえ!」という人がいたら、あんまり優秀な経営者とは思えん。
先にあげた増田によれば、社員を自分の選挙に駆り出しているみたいだけど。
【自己紹介】
女子校に通い異性に慣れないまま大学というところにぶち込まれるも、自分の雰囲気に合わない学科もあってかウェイな周りの流れについて行けず、引きこもる。
自己紹介おわり。
喪女を称するということは「自分はモテない存在である」を自認しているわけで、それから=私に魅力がないからモテない=私はブス
この私はブスという自覚は一種の呪いのようなもので、中学高校大学とパコリまくって来たリア充には理解できない感覚であると思います。
①自覚はブスであると強く思っているので、気になる人がいたとしても好意をぶつけられない。
→これは私なんかにアプローチされても相手は全然嬉しくないし、
私なんかがアプローチしても上手く行くことはないであろうという逆タラレバ的思想からやって来ます。
必ずと言っていいほど好意を向けられて嬉しくない人はいないと思うよ!
じゃあお前に聞きたいが猫に好意を向けられたら嬉しいのはわかるけど、ゴキ●リに好意を向けられて嬉しいって思うの?って反論したいです。
【結論】
②恋愛経験が不足しているので、1人で脳内お花畑しているうちに先手を取られる。
→喪女の恋愛話は大体少女マンガから来てるので実践なんてしたことありません。ので少女マンガ風に気になる人ができたらあの人と付き合えたら?!だとか、あの人にアプローチするにはどうしたら?!というifの思考のみ作動します。
脳内お花畑しているうちに、違うやり手の女に奪われてしまうのです。女は怖いです。これを読んだ男性の皆さんは、女性は本命がいたら3人はキープがいると思って欲しい。わりと本気です。
【結論】
③気になる人ができても相手が興味を持ってくれない
→喪女じゃなくてもこの悩みは誰にでもあると思います。レミゼのエポニーヌ役。ちなみに私は誕生日はいつも1人で迎えているのでレミゼを観て号泣するのがここ近年の誕生日の迎え方です。言ってて悲しくなって来た。
・・・余談は置いておいて、喪女は喪女ゆえ、自分の売り込みというのができません。わかりません。今もわかりません。教えて欲しいくらいです。教えろよ!なので気になってもその一歩が進めないんです。①にも書きましたが、自分にアプローチされても相手は嬉しくないだろうと考えて②のように1人で脳内お花畑しているうちに③で記載した相手が自分への興味がないまま別の人と付き合う...鉄板だわぁ〜(大号泣
告白(アラサーになって告白ってあるの?)もしない限りは相手が自分に向き合ってくれるとはわからないんですけど、その一歩が進めないんだなあ、なぜか。
心のATフィールドが強いのかわからないけどもそんなかんじです。
アラサーなので職場で好意を示して拗れたらややこしくなるのでは、だとかそういう自己防衛を前提として考えちゃうのかもしれない。プライドが高いと言うのは一理あるし向けられた好意には真摯に対応したいと思っているものの、なにせ向けられる好意がゼロなので土俵にすら立てていないという。
【結論】
いや無理だから。
にしても、上記の通りあっ、こいつ恋愛経験ないなという雰囲気は察していただけたかと思います。たくさん書いてますが私はアラサーです。通説ですとアラサーはそこそこたくさんの経験もして結婚に踏み切る方も多い年頃です。そのたくさんの経験をした人が10とすると私は1くらい。この経験差を埋められない限りは私はホモサピエンスとしての繁栄を手に出来ないかもしれない。難しく考えすぎですか?とりあえず私は好きな人にアプローチすらできないチンケなアラサーです。
昔の上手い歌手は1セント単位で音程を合わせられたのか?ミリ秒単位でリズムを合わせられたのか?
今はそれができるんだよ。
時々編集した声は気持ち悪いって言う奴がいるけどそれも今は昔。
音程に厳密にならなくて良くなれば他の部分を伸ばせる。音楽のクオリティが上がる。
当たり前だよなぁ?
昔に比べてアマチュアが活躍しやすくなったっていうのもデカい。
最近のDTMってのはすげえもんでな、打ち込みなんて先入観持ってちゃすっ転ぶレベルだ。
演奏家もレコーディング環境も必要ない、おまけに土俵はネットに丁寧に整備してある。
既得権益の上で胡座をかいてる連中を横目に、才能ある奴らがボコボコ出てきてるんだ。
本当に技術の進歩ってのは凄い。実力で評価される、今の世界がそうなっているように音楽もそうなってて、どんどんハイレベルな曲が生まれるんだ。
ソシャゲでコンシューマーから離れる層というのは比較的ライトな層で、数としては確かに圧倒的に多いだろうし、かつての業績はそういう層を取り込んでいくことで伸ばしてきたのだろうけど、わざわざハードを用意しなくても基本無料でできるソシャゲに準備が必要なコンシューマーが勝つのは難しいと思う。
一方、PCゲームをする層というのはわざわざあんなクソ高いゲーミングPCやデバイスを用意して、しかも販売サイトやゲーム自体がローカライズされてなくてもゲームを買う層な訳だから、当然ゲームに対するモチベーションは高いだろうし、財布の紐も緩いだろう。
そして、PCゲームを取り巻く環境はどんどん手軽になってきている。そうなると、難易度的な問題で今まで手が出せなかった層も導入するようになり、ライト層はソシャゲに、コア層はPCゲームに客を取られるという事態が起きるだろうし、もう起きていると思う。
しかし、PCゲームに対してなら、まだゲームで勝負できる分、勝算はある。彼らは併用もできるだろうから負けなければよい。
わかるーー!!わかるよー!!!!砂かけしたくなる気持ちわかるよー!!!!すごくわかる!!
そうだよねー!!!イベントで隣になっても挨拶しないやつばっかだし、スペースはみだしてこっちにガンガンぶつかってくるやつとかもいるし、何よりツイッターで交流してる人間の方が本が手に取ってもらえる。本の中身の実力じゃなくて作り手側の交流の有無で部数決めなきゃいけないのほんと何やってんだろって思うよねー!!!わかるよー!!空しくなるよねー!!わかるよーー!!!
あの頃はよかったって初期を思い出してしまうよねーー!!漫画も小説も上手な人がたくさんいたし、マナーが悪い人ももちろんいたけど、マナーがいい人の比率の方が高かった気もするよねーーー!!!
それぞれの神もジャンル移動してしまったし、今は読む本が無くなったって思ってしまうよねーー!!わかる!超わかるよ!!!
マナーなんて昔から悪いやつは悪かっただろうが。人が多いから見えなかっただけじゃねぇか。
てめぇの大好きな神たちは今ごろ別ジャンルで楽しくやってるよ!!!!!!!
「今のイベントに行きたいと思わないので描くの辞めます」「あいさつもできない人達だけが楽しく続けていくのってどうかと思います」
なんで砂かけするの?そんなに「私悪くないです。変ったイベントやみんなが悪いんです」アピールしたいの?なんなの?
別に砂かけしなくても、あなたたちがちゃんとこのジャンルが好きでそのカプが好きで活動してたの知ってます。
だから本ずっと買ってました。だから感想も伝えました。上手じゃなくても伝えることが大事だと思ったから行動に移しました。
あなたたちが私のことを一人の作り手として下に見てたのも知ってます。
それでも人間性と同人誌は別だと思っているし、真摯に活動してたの知ってるからお金払いました。私のことを一人の作り手として認めてもらえなくても、私はあなたたちが一生懸命だしてくれる誰にも媚びない同人誌が大好きだったからです。
私に見えていたのはほんの一部だったと思います。それでも多発するイベントで毎回新刊だしてるのすごいなって思ってました。そしてイベントの空気にだんだん疲弊してるのも気付いてました。
みんながあがめる神がすごいって思ったこと一度もありません。走り続けてきたあなたたちの方が、毎回一定のクオリティを保って本を出してくれるあなたたちの方がもっと評価されるべきだってずっと思ってました。
真摯にやっているからこそ、交流重視になっているイベントに疲れていることなんて想像に容易いです。そんなこと、ちゃんと知ってたよ。気付いてる人いっぱいいるよ。私だけじゃないよ。ちゃんと見てるよ。みんなちゃんと、知ってたよ。
でも疲れてるのは貴方たちだけじゃないんだよ。続けてる私たちも交流重視とか、マナーのない人間とか、「先生~先生~!」って崇め奉ってキャッキャッ遊んでる人間たちのこと面倒だなって思ってるよ。
それでも何も言わずに続けてるのは結局htrの私が何言ってもどうしようもないし、実力で殴るしか無いなって解ってるからだし、何よりジャンルとカプが好きだからです。まだ描きたいって思ってるからです。
そして、貴方たちは交流シャットアウトしてるだろうから耳に入らないだろうけど、そういう気持ちで耐えるように活動してる人、案外たくさん居ます。少なくとも私の周りにはそういう人しかいません。
そういう人の心を折るのを辞めてくれよ。頼むからさ・・・砂かけよくない。
そんなことしなくてもジャンルに疲れて出て行ったのちゃんと気付いてるし知ってるよ・・・・・・・
すなかけなにも生まないよ・・・あなたたちの品格下げるだけだよ・・・・・・すきな作り手さんが好きな作り手さんを貶してるの見るの悲しいよ
最後に一つ言わせてもらうけどすなかけした時点でてめーらも非常識な人間になったからな!!!!!!!ばーーーーーーーーか!!!!!!!!!
そして私もこんなところで砂かけに応戦してしまったから同じ土俵にたってしまった・・・・・・・
すなかけはすなかけしかうまない
私が橋本奈々未を見つけたのは乃木坂46の第一期最終オーデション。本人はこんな昔の写真やめて〜っていつもの調子で嫌がるかもしれないけれど、完全に、一目惚れだった。
わたしはこんなに綺麗な人を知らない。
綺麗は正義だ、美人は宝だ。そして橋本奈々未はそれを持ち合わせた女の子だった。
顔が整っているから黙ってるとクールビューティなんて言われてるけど、私が知ってる橋本奈々未がクールだったことがない。ふわふわおっとりした雰囲気だけならどこにでも居そうな女の子。 握手会にちょっと変わったネイルをしていけば握手そっちのけでネイルの話をしたり、その洋服どこの?池袋のマルイ。可愛いー帰りに寄ろっかな。なんて話もした。自分が同じ土俵にたってるなんて考えるのも烏滸がましいけれど、橋本奈々未との会話はいつも友達との会話みたいだった。
だから、ハマった。ずるずるずるずる。
橋本奈々未を思い出さなかった日はないし乃木坂46の歌を聞かない日はなかった。
握手会もライブもテレビ収録も、そして同性だからこそできる橋本奈々未を創るキラキラしたものを真似るのも。
今日考えればわたしはアイドル橋本奈々未じゃなく橋本奈々未というひとりの女の子が好きだったのだろうと思う。
でも、橋本奈々未からはアイドル性は感じられなかった。美しすぎてアイドルから得られる多幸感を感じることが出来ない。橋本奈々未から与えられるのは圧倒的な美だけ。全てを殴ることができる、美。橋本奈々未のことを考えると胸が苦しかった。
そして本人もそれは自覚していたんじゃないだろうか。自分はアイドルが天職ではないこと。
散々話題になってるから橋本奈々未の実家が貧乏で弟の学費を払う為にアイドルになったこと、その学費の目処がついたから卒業芸能界を引退することは乃木坂ヲタじゃなくても知ってるんじゃないだろうか。美談だとか嘘っぽいとか色んな意見や感想がうずまくなか私は今月半ばに行われたの個握にいった。
それががわたしが橋本奈々未に会った最後の日になった。もう握手会もイベントも行かない。だって会えば会うほど辛くなるから。
どこにでもいる普通で顔が整っているだけの女の子に戻ってしまう橋本奈々未によかったねお疲れ様といいたい反面、わたしのiPhoneの橋本奈々未フォルダはもう増えることは無いのだ。橋本奈々未と私の関係は終わった。わたしはファンという立場から追い出される。いままで騙し騙し凌いでいた橋本奈々未のことが好きという感情の真理には真正面からはどうやったって向き合えない。向き合ったら私の中の何かが崩れてしまうから、だからすべて思い出にする。わたしは橋本奈々未が好きだった。
ありがとうななみん
この感情は恋だったのか?誰に問えば答えが出るのだろうか
それでもセクシャリティを超えられる日が私に来たら真っ先に思い出すのはななみんでありたい。
そう思う。
35歳になりいじめの記憶を辿るという、かなりどうでもいいことをなぜかしようと思ってしまった。そこまでハードないじめのではなかったのかもしれないがまぁ思い出してみよう
自分の中でいじめだったという認識があるのは保育園、小中?高の4時代、中学はそこまででもないが順に辿ってみる
▼保育園
保育園にはいじめっこが2人いた僕はジャイアンとスネ夫に見立てていたがさながら僕はのび太だった。
ジャイアンと僕は同じ女の子のことが好きだった。彼はいつも「女の子ちゃんは俺のモノだ」と言って誰も近寄らせようとはしなかった。多分、彼女も当時はまんざらでもなかったのだと思う。とてもうらやましかったのを覚えている。(これは嫉妬)
保育園に通っている間は、ほぼその2人に毎日殴られ、泣かされて帰った。これは保育園ながら結構辛かった。ジャイアンとスネ夫は僕とは違う小学校に入った。救われたと思った。
人間失格のくだりではないが同窓会などで保育園の時の話をすると、当時の僕を覚えている人がなぜかいない。存在感が薄かったのだ。写真にはよく写っているようで不思議がられる。
▼小学校
小学校は山側に住んでいる人と、谷側に住んでいる人にわけられた。小学校は20人で1学年1クラスしかない小学校だったが、僕は山側に住んでいた。山側に帰るのは僕ともう1人だけ。残りの18人は谷側に帰る人達だった。おかげで、登下校時の話題に乗り遅れ、ブームに乗り遅れた。また、下校後に山側と谷側で遊ぶ交流もほぼなかったし、おまけに僕はピアノを習っていたため女のようだと言ってからかわれる日々だった。
そのうち成長してくるとクラスにはボスが誕生した。もちろんボスは谷側の人であったため、しもべのような人を数人従えて必ず僕はのけ者にされた。ドッヂボールや鬼ごっこ、サッカー・班決め。チームになるような何かの時には必ずヒエラルキー通りのチームわけになった。なので、勝ったためしがない。多数決では、彼の意見にみんなが賛成したのでかなり不条理な決定がまかり通っていた。先生もなぜか不条理なことを受け入れていた。
あるとき、集団相撲というのが流行っていた。チームで分かれて全員をなぎ倒したら勝ちというルールで、特に土俵などは存在しない遊びだった。教室でやっていたらロッカーの角に頭をぶつけて頭から大流血した僕はすぐに病院に運ばれた。
手当をされて戻ると「あれ?生きてるの?」と言われた。後になってわかったが、僕が病院に行っている間に先生の指導のもと、黙祷されていたようだった。今でも信じられない。
しかし、小6の頃革命が起こった。クラスのリーダー格の女の子が隣の席になると一気に仲良くなった。
その女の子と仲良くなることで女子陣が味方につくようになった。無論、男子たちとは更に距離が開くことになったが、初めて友達ができた感じがして救われたのは間違いない。
▼中学校
中学校では走り出しは順調だった。新入生代表挨拶を自分が読んだためだ。
(とはいえ、新入生代表挨拶は、小学校の時誰もやりたくないということで、ボスが僕を指名したために決まったものだった。誇れるものではない)
入学して3ヶ月頃までは普通だった。しかし、突然風向きが変わった。それまで仲の良かったと思っていた人達が僕を外し始めた。僕が小学校時代の弱者であるという認識が広まったのかもしれなかった。そして、若干名の無視を受けていたものの、そこからいじめが発展したということは特になかったが、中学時代はそのくらいだったので、平穏無事に終わったと思ってもいいだろう
▼高校
高校も走り出し1ヶ月は順調だったが、クラスの人間関係では最悪の高校生活だった。少しづつ友達が増えてきたと思ったら1日にして孤立してしまった。
きっかけは、前の席に座っていた1人の男子だった。ある授業中、居眠りをするととても激怒する先生がいたのだが、彼は居眠りをしていたので、起きなさい的な意味で、冗談まじりに消しゴムのカスを後ろからなげつけた。そんなに深い意味はなかった。起きて振り向いたが、殺すぞくらいのキレ方をされた。
そのことにおいては僕も悪かったのかもしれない。
それからだった。何日もしないうちにみんながよそよそしくなって、気付いたら完全に無視される状況が出来上がっていた。これは高校3年の夏くらいまで続いたので、2年半くらいだろうか。
初期の頃は本当に1日が長くて辛すぎた。特に辛かったのは修学旅行だ。3泊4日の沖縄は最悪の思い出だ。オール無視されながらの班行動。これはいじめ人生の山場だった。
高3の夏に何が起こったかというと簡単で、ターゲットが俺ではなくなっただけだった。そこで、そのターゲットをハブるため、俺に声をかけてくるようになったのだ。しかし彼らと仲良くなろうなどという気も一切なく、うれしくもありがたくもなかった。新しくターゲットになった彼はとても辛そうにしていたが、僕の2年半にくらべたらどうってことないだろうと思ったし、そしてその2年半無視していた仲間がターゲットになったところで、どうでもよかった。
長年無視をくらって、それでも頑張ってくらしているととてもタフになる。もう全然1人でも楽しめるような自分が完成していた。暇さえあれば、写真を撮ったり、美術室で絵を描いたり、学校を抜けて映画館に行ったり、本を読んだりしていた。おかげでちょっと人とは違う感性の高校生になっていたのだと思う。
そして、予備校・大学と進んだがそこはなかなか良い友達ができた。
▼その後
23くらいの頃、高校の同窓会が1度あったので参加してみた。既に俺のことを忘れてしまっている人もいたが、よく参加したものだと自分でも思うがまぁよい経験だろう
きっともう同窓会はないと思うが、あったらまた参加すると思う。おかげさまで強くなったし、自分の感性が活きる仕事にもついた。結婚もしたし、今はよい友達もたくさんいる。
こうやって記憶を辿るのはなぜか自分はわからないけど、今はとても幸せだから、なんか見返せたような気がする。それを実感したくて書いたのかもしれない