はてなキーワード: 卒業式とは
着崩れなおしたり、足引っかけたり、トイレ行けなくて体調崩したり、普段着用しない物をいちいち借りてまで着るなとかちゃんといえばいいのに
お金が無い、無いって言われて育つってマジで後々まで残るんだよ
中靴を新調するのにお金ないって。身長伸びて 学校指定のジャージが小さくなってもお金ない、買ってくれない 私はつんるてんのジャージ 冬は足首がでててガッサガサだった。いとこのお下がりのへんなトレーナー
今思えば花粉症だったんだろうけど 病院なんて連れて行ってもらえなくてずーーっと咳して鼻水だしてた。
小学校の卒業式だって服買ってもらえなかった おかんだかいとこの服だった
中学進学で制服と学校指定のカバンと靴を買わなきゃいけないときなんか「10万くらいかかる お金ない」 買ってはもらえたけど
途中で少し小さくなっても靴がボロボロなっても買って、直しにだして、って言えなかった
部活の靴も小さくなったけど買ってもらえないから3年間我慢した
いつも待ち合わせに遅れた 行くのが嫌になった
おとんってそこそこの企業に務めてたはずなんだけどなんかお金なかった
お金ないって言う割に見栄っ張りだから自分たちはそこそこの服着てたと思う
なんで私は家を出なかったのかな なんであんなヤツ養ってんの
もう歳だしどうしたらいいの
静岡県民です。
放送回・サブタイトルはWikipediaを参考にしました。放送内容など、細かい部分は記憶違いもあるかもしれません。
他局であるSBS静岡新聞社に潜入して、番組告知をしようという企画。
広瀬アナがSBSラジオに出て、瀧からの無茶振りでスギちゃんのモノマネをさせられる。
モノマネはめちゃくちゃ低クオリティで、広瀬アナが「もう千葉に帰りたい……」と弱音を吐くのが可愛い。
オカマさんたちによる料理対決シリーズ。参加チームは静岡県内のオカマバーが主だが、名古屋からの参加もあった。
「カマ」に関係する料理・食材がテーマとなる(カマ飯、カマンベール、カマあげうどん等)。
オカマさんたちによるショータイムがあり、深夜番組らしいシモネタが次々繰り出される。
冬季オリンピックの開催に合わせて4年ごとに開催される、缶詰を模したストーンを使うカーリング大会。
静岡の缶詰メーカーチームの対抗戦で、出場するのは各社の社員なのでカーリングに関しては全員素人。
基本的にぐだぐだな試合展開だが、偶然うまくストーンが投げられたりすると急に白熱したりする。
元電気グルーヴのまりん(砂原良徳)がゲストとして呼ばれるが、同じくゲストの久保ひとみ(静岡のローカルタレント)のテンションの高さに引き気味になっているのが面白い。
静岡市で毎年秋に開催される大道芸ワールドカップに合わせて行われる。本家には出られないレベルのパフォーマーしか出ない。
おかゆ太郎とハリウッドザコシショウが毎回出場している。
2018年はおかゆ太郎が優勝したが、過去優勝したパフォーマーは次回以降出場しなくなっているので、「この番組が唯一のレギュラー」だという彼は今後出られなくなることを恐れていた。
現状では次回開催自体がなくなりそうなので、彼の不安は的中したことになる。
河原に落ちているエロ本をドローンで探すシーンがシュールで好き。
番組冒頭で瀧が出身校の校歌を歌うのだが、自分は同じ学校を卒業しているため、そのシーンでやたらグッときてしまった。
某CXの番組っぽい企画。以前に行った企画「ちりファミ交換」で集まったファミコンソフトを使って行われる。
瀧は他の仕事のため途中で離脱し、ほとんどザコシ(と、一部広瀬アナ)がプレイすることになる(途中から助っ人を呼んで参加させる)。
広瀬アナが基本的に天然ボケなので、瀧不在だとザコシがツッコミに回ることになり、常識人のように見えるのが面白い。
静岡の団体や企業PRのために作成されたご当地ソングの鑑賞会。3回目はスピンオフ企画として、全国の防犯ソングを取り上げた。
まりんが毎回ゲストとして参加し、音楽的な観点からコメントする。
毎回取り上げた曲を集めたCDを作成して視聴者プレゼントするのだが、まりんはこのCDを大量に作らせようとする。
ローカルグルメ「たまごふわふわ」のPRソングを取り上げた際に、実際にたまごふわふわを試食したのだが、まりんは食レポができないので、変な空気になっていた。
広瀬アナが野球に挑戦する。静岡出身の元プロ野球選手・鈴木尚典がゲストで、コーチとして指導する。
番組終盤、バッティングセンターで打撃に少し自信をつけた広瀬アナが、リトルリーグの少女ピッチャーと対戦する。
相手は子供とはいえ実力のある投手なので、少し練習しただけの初心者が打てなくても当然なのだが、広瀬アナは打てないのを本気で悔しがっており、それが可愛い。
広瀬アナと、番組視聴者から選ばれた女性たちで野球チーム「ポンコッツ」を結成する。
参加者のレベルはまちまちで、広瀬アナ含め初心者が多いため、最初は練習もままならない。
女芸人の野球チーム「ミラクルキッシーズ」との試合を最後に解散となった。
ラストゲームでは、広瀬アナが悔しさから涙を見せるシーンもあり、それを励ます瀧が良い。
初めてのJ2降格が決まったエスパルスサポに、平畠啓史とJ2先輩サポがJ2についてレクチャーする。何故か、J3の藤枝MYFCサポも呼ばれていた。
この企画のときはそもそもサッカーのルールすらよく分かっていない様子だった広瀬アナだが、後にエスパルスの河合選手と結婚することになると思うと、なんというか感慨深い。
エスパルスは1年でJ1再昇格を果たし、その際には「J2卒業式」が行われた。
愛媛県松山市在住の和田ラヂヲをゲストに迎え、愛媛を観光する企画。
松山の写真館で3人の写真を撮り、店頭に飾ってもらっていたのだが、あれはもう撤去されてしまっただろうか。
プレゼンターはアンタッチャブル柴田だが、散々土を食べることを勧めておきながら自分はほとんど食べない。
広瀬アナの誕生日企画。学生時代を過ごした東京でやり残したことをやる。
渋谷の街でハイタッチがしたいということで、雨の中合羽姿でスクランブル交差点に突入し、道行く人に「わたし誕生日なんですー!」と言いながらハイタッチを迫る図は狂気を感じる。
一度行ってみたかったという高級寿司屋で特別料理を出してもらい、板前さんに「これ味見しました?」などととてつもなく失礼な発言をする広瀬アナが良い。
広瀬アナの好きな芸人である若井おさむがサプライズで登場するのだが、2018年に若井おさむに会って大喜びする彼女はなかなかレアな人種だと思う。
広瀬アナと河合選手の結婚式に送られた番組関係者からのお祝いメッセージを鑑賞し、どれが一番良いかを決める。
披露宴の様子も放送されるのだが、ハリウッドザコシショウの余興がまったくウケず、焦ったザコシがネタの最中瀧の方をちらちら見て助けを求めるのが面白い。(新婦の広瀬アナにはウケていた)
お祝いメッセージは全体的に微妙なネタが多い(結婚式なのに、元貴乃花親方のモノマネをして離婚の話題になってしまっていた松村邦洋、いつも通りのおかゆ太郎など)が、広瀬アナにはウケていた。
放送休止前最後の放送回。あまり市場に出回らない貝類を試食して、味をランキングする。
変わった味であるという事前情報のあった貝をまず広瀬アナが試食し、普通に食べた後、瀧とゲストが口に入れるがあまりの不味さに吐き出してしまう。
他、ヤングランド思い出バスツアー、ごはんのお供選手権、ロケ出前、わらしべ長者、ザ・ベストテンシリーズなども好きです。
あまり録画など残していなかったので、もう観られないと思うと寂しい。
19新卒です。
内定先の長がやらかしていた過去の不祥事が公になり、そのせいで会社が潰れそう。
もうこの先どうすればいいのか分からない。
けどこのことを親に相談できない。私的には大満足の内定だったけど、親からは四大卒でこの職に就いて、なんで高給取りにならないの?とか言われたし、親戚も喜ばなかった。平たくいうと、クリエイティブ職なんですけど。
クリエイティブ職で定時上がりとかサラリーマン以上の給料とかって存在しない場合がほとんどだけど、私はそれでもやりがいのある仕事がしたくて、そういうところばっかり受けてた。大手はだめだったけど(早慶レベルじゃなきゃ無理!)、大手じゃ絶対できないような経験を今の内定先はさせてくれてる。
なのにこんなことになってしまってさ...
昨今話題の教員のブラック労働について「さもありなん」と思う部分と「お前らわざわざ余計な仕事作ってないか?」と思う部分と両方あるので書いてみる。あくまでも個人的見解だけど。
1. ムダな「○○だより」が多すぎる。
「学校だより」を月一回ぐらい出すのはまぁいいとして、他にわざわざ「学年だより」を作っているのを見ると「お前らアホか」と思う。まぁ 学年によって読める文章のレベルが違うと言われればそうなんだけど、ほぼ保護者のために作ってるようなもんなんだから同じ学校に何人も子どもを通わせている保護者からすればただの迷惑ではないかと思う。運動会直前の号なんか「いよいよ運動会」とかいって6学年ほとんど同じ内容だ。バカげてないか。しかも全部紙ベース。
なるべくまとめられるものは学校だよりに凝縮して、遠足とか社会科見学とか学年によって内容が違うものだけ「しおり」とかで内容を周知すればいいだろうと思うんだが。
たぶん「保護者に学校での子どもたちの姿を見てもらう」のが目的なんだと思うけど、頻度が高すぎる。保護者が土・日休みとは限らないし、そんなに頻繁に学校に来られるほど暇な人ばかりではない。当然教員の業務も増える。いちおうその分代休が取れる仕組みになってはいるのだが、一週間あたりの勤務時間が労基法の規定を越えるし、教員以外の職種だと「半日だけ働いてその分を他の日に振り替える」制度自体がないから、出勤したら他の平日に代休を取ることになる。が、そう簡単には休めない。完全になくせとは言わないけど、せいぜい一学期に一回ぐらいで良いんじゃないかと思う。
入学式、卒業式などが控えているとやたらと校内の飾り付けに力を入れる。が、来賓や保護者の受付やスムーズな誘導など、イベント運営の基本的なところをあまり考えていない。
いちおうイベント終了後に職員に反省点を紙に書かせて集めたりするんだけど、その反省点が翌年に生かされない。卒業生や新入生の通路をきれいに紙テープとか紙の花とかで飾るのはほどほどで良いから、スムーズに人を誘導して然るべき場所に然るべき人が座れるようにしようよ。
教員というのは学校を異動することはあっても、だいたい毎年同じようなイベントをやって生きていく人種のはずなんだが、そのわりに学習能力がなさすぎないか。「あんたたちアホなの?よくそれで子どもに勉強なんか教えられるね?」と思う。
なお、入学式のときは「○○ちゃん、入学おめでとう。先生たちはあなたと会うのを楽しみにしていました」みたいなメッセージカードが新入生一人一人に用意される。細やかといえば細やかだが、それを転入してきた教員やその他の職員(当然大人)に対してやるのは小さな親切大きなお世話というものだ。そんなものよりイベントをスムーズに運営することの方が重要だろうと思う。
その他にも「6年生を送る会」を3部に分けて卒業式以上の時間をかけてやるとか馬鹿馬鹿しいところを数えあげればキリがないんだけど、長くなってしまったのでこのへんにしておく。昔より保護者の目が厳しくなり、学校に期待されることが増えて教員の仕事が大変になったのは分かるんだけど、上記のような現象を見ていると「あんたら自分で自分の首絞めてるんじゃない?」と冷たい目付きで見てしまう。
AI技術の進展や、外国人労働者の受け取れなど、君たちを取り巻く環境はどんどん変化していって、先が見えない社会になってきていている。
とにかく頑張って欲しい、生きて欲しい
校長を含めて3人くらい登壇して挨拶してたけど、みんなこんな感じ。漠然と頑張れを連呼する調。少なくとも「輝かしい未来」とかいう明るい系フレーズはなし。
三大都市圏から1時間圏内にある地方都市で、学校はいわゆる底辺に近い偏差値40前後。1/3 が進学(と言っても専門学校がほとんど)で残り 2/3 が就職という感じ。進学で就職を先延ばしした 1/3 はもう暫く猶予があるとしても、来春から就職することになった 2/3 の過半数は非正規な職場への就職らしい。もっとも、正規と称されるところだって、初任給15万なら御の字という低待遇だが。
真っ先に外国人労働者とバッティングする層なのよね。あいつらは、時給1000円でも喜んで就業するだろうし、何年かして祖国に帰ったとしても次から次へとやってくる。
「時給1000円でも喜んで働く労働者」が無限に補充される状態だから、恐らくは能力的に彼らと大差のない日本人の高卒の子たちも、彼ら外国人労働者と同じ待遇で固定化されるだろう。
能力を磨けば何とかなる次元でもなく、どう足掻いても太刀打ちできないこと分かってるから、来賓たちは揃って「とにかく生きて欲しい」になるんだろう。
最後のホームルームは写真を撮り合ったり。彼ら彼女らにとっての「学生だった最後の日」になるんだよね。
卒業って、社会に出る、というよりか、社会に放り出す、ということなんだって感じたよ。18歳の若さでこの社会はあまりに厳しすぎるよ。30代になったら年収300万、40代になったら400万、そんなビジョンを絶対に描くことができない未来しか見えないのだもの。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1322777
同調圧力半端なく強そう……
冗談じゃないよ、こんなの。。
子供から聞いて驚いたのだが、卒業式では背筋を伸ばし背もたれにはできるだけ寄りかからず、女子は膝とかかとをつけて足を閉じ手は握って腿の上、男子は足は軽く開いて手は同じく腿の上の姿勢を取り続けなきゃいけないそうなんだが、こんなの何時から始められたの?全国的なの?こんなくだらない殆ど拷問に血道をあげる先生たちが労働条件に文句を言っても説得力ゼロだよね。勝手に過労死しろよ。
1年の時に見た目が好きで一目惚れした人と結局一言も話すことができなかった。卒業式前日のバイトでは言えるわけもない好きの伝え方を考えたりした。本当は昇降口の前に溜まっている卒業生達の中を1人でそっと通り抜けて家へ帰ってたくさん寝る予定だったけど、友達に呼び止められて私の友達と彼と彼の友達の写真を撮ってあげた。最後に彼の綺麗な顔を今までで1番近くで見られて本当によかった。最高にキモい自分にとっての最高の思い出になった。私は私が友達と撮った写真に映り込む彼にいつまで憧れ続けられるだろう。話しかけなかったのは多分、話したら好きじゃなくなる可能性があったからでもあった。私は私に見向きもしないような彼が好きだった。恋愛をするために高校へ来たわけじゃない。高校生活で楽しかったことや後悔していることは他にもっとたくさんある。彼よりも素敵な人は実際他に割といると思う。だけどずっとかっこいいと思ってた、とか、バイバイ、とか、そのくらいは言えばよかったかもしれない。今はもう恋愛の曲とかを聴きたいけど高校生活はヲタクしかしてこなかったからあまりにも知らなすぎる。今後自分に自信が無いせいで一緒に写真を撮ることもLINEを交換することもできないなんてことが二度とないように今よりもマシな人間になろう。
なんだか泣いてしまう気がする。同級生にあまり思い入れは無いが、先生方には大変お世話になった。特に進路について親身になって相談に乗ってくれた担任には頭が上がらない。
別れてしまうのは結構悲しい。激励の言葉でもかけられたら一溜りもないだろう。
しかし、卒業式で泣くやつにはなりたくない。個人的な意見としてやはり恥ずかしい。周りの目というものが気になる年頃だ。なんとかして涙は堪えてみせたい。
明日は上でも向いて歩いていようか。
だが、何を思ったか社会人から専門学校に入り、それもそろそろ卒業。
授業も全て終わり、あとは卒業式を待つだけ。
働いてから学生に舞い戻るという夢のような時間は何物にも代え難かった。
親友、という言葉を使う事自体に少し違和感があるが、そう言えるような友人もできた。
普通なら接する機会もない18歳〜20歳の子達と同じ目線で勉強したり、時にははしゃいだり。
周りはほぼ若い子なのだが、その中でも一際しっかりしている子がいる。
やる気に溢れた素晴らしい子で、学生のうちにやれる事を全てやりきりたい!と自分から様々な事を企画したり、発信したり。もちろん休日や放課後に学校で勉強したり。奨学金を受け、その返済と生活費にとバイトもし。卒業後のビジョンをイキイキと語る彼女はとても輝いていた。自分の若い頃を思うと恥ずかしくなってしまう程に。
びっくりして声が出なかった。
あんなに勉強に打ち込んでたのに??どうしたんだろう?まぁ、まだ若いし家庭の事情や心境の変化もあるよな。この子が自分で選んだのなら、どんな道でもしっかりとやっていけるさ。
そんな能天気な事を思ったり言ったりしていたのだが、原因はセクハラだった。
しかも、みんなから一番信頼されていた人物からだ。私ももちろん信頼していたし、知った今でもその人物とセクハラ行為が結びつかない。それくらい、クリーンな印象を持つ人物。
あんなにイキイキと夢を語り、苦しい環境の中誰よりも努力してきた彼女は、誰よりも一番信頼していた人に裏切られた。将来を潰された。人生を台無しにされた。
同じ学生という立場ではあるが、大人として何かできなかったのか、どうすれば良かったのかわからない。もちろん、知ったからといって出しゃばる権利などないし許されないだろう。
とにかく、とにかく、悔しくて仕方がない。
実は、中学2年から3年にかけて、今にして思えばいじめであろう状態に置かれていた。
きっかけは、俺が入っていた部活とクラブチームでいじめられていた奴のいじめに加わらず、そいつを庇ったこと。その翌日から標的は俺になった。そして俺が庇った奴はそちら側に加わった。
まあ集団リンチ的なアクティブなことには晒されなかったが、無視、そして嫌がらせ。競技に使うものは何かしら隠され、裏の下水道に放り込まれていたり。クラブチームに通うのに乗っていた自転車は、前後のバルブを抜かれ、サドルがカッターで切り裂かれ、果てにはサドルごと抜かれて下水道に。
俺は部活を途中で辞めた。顧問も酷い奴で、職員室で何十分も恫喝されたけど。せっかくなので受験勉強に専念することにした。
で、ここからが面白かったのよ。俺のやってる競技で強いとされている学校が、実は俺の志望校だった。そこは地域で一番偏差値の高い高校だったのだけど、俺をいじめていた連中は、その高校の部活の顧問に賂(まいない)を渡して便宜をはかってもらおうとしたらしい。その顧問は俺の親父の友人で、そういう行為を何よりも嫌う人だったので、親父経由で速攻話が伝わってきて、俺はひぃひぃ言って笑った。バーカ、そんなに入りてぇんなら何故勉強しねぇんだ。俺は勉強する方を選んで、まあそりゃやりましたよ。
で、卒業の時期。俺はそこに合格。いじめに関わってた連中は結局受験することすらままならず、しかもレベルを下げに下げた第一志望にも軒並落ちたらしい。卒業式のとき、体育館の横で群れてるそいつらの目前に通りがかったが、そいつらは誰ひとり、俺と目も合わせなかった。
……と、まあ俺の思い出はどうでもいいよな。こいつらが、俺にしたことを今でも覚えているかどうか、って話さ。おそらく皆、都合の悪いことはけろっと忘れていると思うぜ。大人になってから追及されてもな、こういう手合いは言うのさ。「遊びのつもりだった」とか何とかな。やられてた側にしたら、
「遊びのつもりだった」は、
「殺すつもりはなかった」という、
なのにな。
だから、アンタのことも、集団の中でアンタをどう扱ったかも、おそらく半分位は忘れていると思う。しかし本質は変わっていないと思うぞ。三つ子の魂百まで、ってやつ。だからあえて近付きなさんな。
現在交際している彼女から今度話したいことがあるとLineが届いた今夜。どうともいい予感がしない。
一体何の話なんだろうと思案していると、なぜだか急に昔のことを思い出した、昔した(個人的)大恋愛のことを。
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最初は全くその子の眼中になかったと思う。でも積極的に話しかけたり、時にはちょっとしたプレゼントあげたりと恋愛経験なんて全くない自分にしては頑張った甲斐もあって、徐々に仲良くなっていき、その子からも積極的にスキンシップをとってくれるようになった。
文化祭を2人でまわったこと、相合傘で街を歩いたこと、卒業式の日手をつないで帰ったことetc...これはいけるかもしれないという想いをもちつつもずっと好きだと言えないでいた。
なぜ言えなかったのか。自分がヘタレだったということもある。しかしその他の理由としてその子からメールの返信がほとんどなかったということが自分を悩ませていた。
当時自分とその子はお互いガラケーで連絡はメール、でもほとんど返信がない一方でその子はTwitterもやっており、どうやら他の子に聞くとそちらでは積極的に連絡を交わしているらしい。
現実で会うと、付き合ってると勘違いされるほど仲良いのに、それ以外では全く連絡つかず。自分では誰よりもその子と仲良くしていたつもりなのに、Twitter上でしか連絡をとらないような同級生の○○君の方が実は彼女にとって仲良かったのか。
様々な疑念がずっとぬぐい切れず、心は振り回されるばかり。一体どう思われているのか本当にわからなかった。
そんなある日その子と話していて映画に行こうという話になった。当時、自分の恋愛相談相手にこの話をすると彼女はこう言った「映画の日、告白しましょう」。
いつまでも振り回されるわけにはいかない、ここで決着をつけよう、そう思った自分はその子の提案をうけ、好きな子をメールで誘った。
しかしやっぱり返信は来ない、どうやらその子の友達曰くケータイが壊れて修理にいかないといけないとのこと。ケータイが壊れたのは本当なようだが、意気込んでいた自分にとってそんなことはどうでもよくなっていた。
全て自分の勘違いなんだ、あの子にとって自分という存在は迷惑で、付き合っているように思われていたこと、自分のあからさまな好意も全て嫌だったんだ。
会えば膨れ上がる期待も、連絡をとれば一気にすぼんでいく。もう全てを期待しないでいよう、そう心に誓った..。
しかしその矢先、ある日その子に言われた、「付き合ってください」という一言。
あれだけ待ち望んだ言葉だったのに、信じ切れずに言葉を流してしまい、その日の夜、泣かれ、怒らせ、別れてしまい、次会った時は今まで見たことのないような敵意を持った目を向けられた。
その時はっきり「嫌われたんだ」と悟った。
この話には裏がある。自分が「付き合ってください」と言われた約1ヶ月前くらいから、その子からのスキンシップが特に激しかった頃、その子はずっとTwitter上で知り合ったとある男性に迫れていた。詳しいことは知らない。しかし自分が泣かせたその日以降にその子はその男性と付き合うこととなった。
フラれてしまったという事実、その子に嫌われてしまったという事実、他の人にとられてしまったという事実、全てが自分にとって最悪の結末となってしまった。
もし自分がTwitterをやっていたら、もしあの時あの子のケータイが壊れずに映画に行けたら、もしあのいい感じの雰囲気の時に勇気を出して告白していたら、もしあの時現実のその子ときちんと向き合っていれば...
どうなっていたかは今となってはわからない、でももう少しマシな結末が待っていたのではないか。後悔の念は拭いきれないし、自分が招いた結末だとわかっていても、不運を嘆かずにいられなかった。
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今の彼女は今度一体何を話すのだろう。
せめてインソールをオーダーすれば良いのに、そうしない
何らかの疾患があったり、経済的な困難を抱えているなら、
医療機関/公的機関(門前払いにならないようによくよく制度を調べた上で)に相談すれば良いのに(物によっては高額医療扱いに出来る)
その結果、上級(主に公務員) 無罪
L 様々な制度をわかりやすく説明する義務を果たしていないが何ら責を負わない
顧客の様々なニーズを掘り起こすのは、経営者 や 経営企画 や 商品企画 のお仕事ですし、
様々な公的機関の人たちは、何らかの疾患や経済的な困難を抱えている人、検索やお勉強があまり得意ではない人にも、わかりやすく説明/公開することがお仕事ですが、
それらのお仕事をしない人たちに対して非常にお優しいです
では、この非常にお優しい人たちは誰に対してもお優しいのでしょうか?
いいえ、ちょっとした、サービス業での 不手際/不満足 にネットで文句を言いますし、
同僚の仕事のしなさも 愚痴愚痴 文句を言いますし、文句が言いやすいとこには言います
ハーバード卒業式(2007年)でのスピーチ https://youtu.be/AP5VIhbJwFs
同じ、自称XX や 中二病 なら、「言いやすい」「やりやすい」ではなく、
と二回だけ会話したことを突然思い出した。
私は陰キャブスのど底辺でクラス内の関わりはゼロ、その二回以外で話した記憶は無い。
1回目は遠足かなんかのバス内で、何が起こったか隣の席になったのがきっかけだった。私はその時死を確信したが、その子は実はとてもいい子で私にも差別せず沢山会話をしてくれた。
3時間くらい乗っていたので混み入った話、恋愛とか自分の価値観とかそういう話もめっちゃした。その子は見た目は派手で言動も目立つのにとても繊細で恋愛下手で、でも誰にも譲れないこだわりがあるという漫画に出てくる子みたいだった。
バス内で会話して終わり、それ以降ほんとうに何もなく、2回目の会話は卒業式前日、学校からの帰路で会ったことがきっかけだった。
私とその子の家は近くないけど、私が別ルートで帰ったので偶然出会った。(お互いチャリ通)
大学入学前にトイックを受けたいという話になり、お互いの塾の先生に良い参考書を教えてもらおうと別の塾を一緒にはしごした。その後本を買いに本屋を同じくはしごしまくり、隣の駅まで行ってようやく一冊見つけた。じゃんけんで私が負けてその子が買うことになったが、優しいその子は購入直前まで私に買わせようとしていた。その後一緒にクレープを食べて解散した。
卒業式も特に話さなかった気がするしその後のやりとりもここ数年一切ない。
ただ私は、バスで会話したあの時から、あの子に妙な繋がりを感じていた。だから帰宅途中に会った時もそのまま一緒に帰ることにしたんだと思う。てきとーに挨拶すればかわせたはずなのに、一緒にいることを選んだ。彼女は優しいから私に合わせてくれたんだろうけど、そうではなくて、彼女も同じように私との繋がりを感じていたとしたら、それはちょっと嬉しいかもしれない。
当方、地味な人間で人間関係もあまり良くなく楽しい学校生活は送れなかった。
T先生という人がいた。
数学を受け持つ先生だけど、数学の授業は、できる生徒、まあまあできる生徒、数学が苦手な生徒の3クラスで分けられていて自分はまあまあできるクラスで数学の授業を受けていたが、T先生は数学が苦手な生徒の授業を受け持っていて、自分とT先生は中学校の3年間で一切の関わりがなかった。
中学校の卒業式の日、卒業証書授与とかの一連のプログラムが終わって、自分も含めた卒業生たちが出席番号順に体育館から外へ出ていく。玄関に在校生と先生たちが出迎えてくれている。
みんなそこで仲が良かった人同士で記念写真をとったり思い出話をしている。
自分は他の学年の人とは関わることがなかったし、そこにいても特にやることもなかったので、そのまますぐ帰ろうと思って、ただ歩いて在校生の間を抜けていく。
突然後ろから誰かが僕の肩に手を添えて来た。振り向いたらT先生だった。「頑張れよ」と言っていた。
自分はT先生と関わりがなかったからなぜ嫌われていたのか本当の理由かはわからないが、おそらく嫌われていた原因はT先生の外見ではないかと思う。
太っていて、脂ぎってるくせ毛で、なんとなく中学生ぐらいの年齢だとそういう人を集団で嫌う現象があることに心当たりのある人も多いと思う。
自分は一切面識のなかったT先生に卒業式で話しかけれて、驚きもあり、そのまま何も言わずにT先生から離れた。
離れてT先生の様子を見てみたが、特に他の生徒に話しかける様子もなかった。T先生はなぜか僕にだけ親密だった風な言い方で話しかけて来たようだった。
「一切関わりがなかったのに、なぜ僕にだけ話しかけて来たんだろう」
ちなみにこの時思った↑の疑問の答えはその時も、今現在もわからないし、もう一生謎が解けることはなさそう。
↓
T先生はみんなから嫌われていたから、「自分のことを嫌わなさそうな大人しそうで地味な生徒に「頑張れよ」と言っておけばきっといい先生としてポイントアップする」と思っていたのではないか。
↓
僕のことを地味なやつと思って接してくるなんて、ショックだ、なんてひどい先生だ
↓
それだけでは飽き足らず人をいい先生の押し売りの道具として扱うなんて、最低だ。
↓
それもそんな最低なことを卒業式という最終日にやってくるなんて。そもそも面識にないのになぜか話しかけれて怖い。自分はT先生に対して殺意まで湧いていた。
今の年齢になって思うのは、あの時に思った↑のような考えは、全く自分本位な勘違いだとわかる。
地味でつまらない学校生活を送ってしまった自分。それを受け入れられない、見合わない高いプライドを持ってしまっていた学生時代の自分。
そんな中、嫌われ物の先生が僕を利用して、他のイケてる生徒から好かれようとしてくる。そんな勘違い。
だがもう、自分も卒業してT先生と会うこともなく、考えても仕方がないのでT先生のことは忘れていた。
T先生は僕が殺意を持っていることも知らないし、僕が辛い思いだけすれば、それはそれで良かったのだが僕が高校生になった時にT先生を傷つけてしまう。
僕は3年間バイトしていたが、2回ほどコンビニにT先生が買い物に来ているのを見かけた。
向こうは僕に気づいていたようだった、距離は5メートルほど離れていた、僕はT先生を見た瞬間に、卒業式の日の殺意がよみがえる。
顔に出てしまった、ものすごい形相でキレた顔をしてしまった。そんな僕の顔を見てT先生の顔が曇る。ショックだったろう、ごめんなさい先生。
そんな僕の様子を察してか、T先生は僕に話しかけるようなことはせず帰っていった。
1回目の遭遇から1,2習慣後、T先生がコンビニに来ているのを見かけた。僕がレジにいるのに気づいたT先生からは、ショック、または怖がっているような雰囲気がした。
T先生からしたらなぜ僕が嫌っているのか全く意味不明だろうから、そうなるのも無理はないと思う。
これは僕の予想だけど、なぜ僕が嫌いなのかの理由が知りたくて、2回目来たのではないかと、ちょっと思ったりしている。
2回目も僕はT先生に対して思いっきり嫌悪感を持った態度を出してしまった。それは別にT先生にやり返そうとかいう感情ではなく、ただ単に心の底からT先生を嫌っていて自然と態度にも出てしまったものだった。
先生を傷つけてしまったことを、今の年齢になって後悔しています。
ここまで読んでくれた方なら、なんとなくわかると思うが、僕は頭のおかしな人間だ。だからT先生、僕に嫌われても何も気にするようなことじゃないんですよ、僕が人間として至らないだけなんですよ、先生は何も悪いことをしていないんですよ。
もう何年も昔のことでT先生がどこで何してるかもわからないし、そのことを伝えることはできないわけだけど。
そして自分のこの性格で他にもたくさんの人を傷つけて来てしまった。
後悔の念ばかり、もし人生がやり直せるなら、誰も傷つけずに生きて行きたい。
もし、同じ時代に自分とは別の人間として生まれ変われるなら、僕が誰かを傷つける前に殺しに行きたい。
どうしていいかわからないので、とりあえずユニセフに毎月募金を始めた。
この世には募金ビジネス超儲かるウハウハなんて人もいるだろうけど、そんな人も含めて、僕の金で誰かが喜んでくれるなら本望な気がする。
僕が中学生の頃から、自分の驕りたかぶる性格と向き合って、後悔する努力すれば何か変わっただろうか。
この世に無数にいる人間の中で、自我を感じられるのはたった一人、自分だけ → 自分は特別という勘違い。
全ての人に主観があることに気づけない想像力のなさ、頭の悪さ、出来損ないの自分が恥ずかしい。
自分で考えても間違いだらけだった、今の僕に何ができるか、誰か頼む教えてくれ。