はてなキーワード: 区切りとは
彼氏と別れると決めた。いい彼氏だと思っていたし声も身体も好きだったし食べるのが好きな点も好きなことも似ていた。いい彼氏だった。
彼氏と揉めて、別れる、と決めては少し日にちが経ち もういいか、と怒りが収まってだらだら付き合って、ということを繰り返していた。身体をくっつけて寄り添えば幸せに何事もなく付き合えている気がしていた。
先日、喧嘩をした。喧嘩というほどのものでもないのかもしれないが、喧嘩だった。このような喧嘩は初めてのことではなかったのでうんざりしていた。彼氏は頭に血が上ると勢いや焦りで筋の通らないことをいう癖がある。そうなると私は会話が成り立たないことにイライラする。その話は筋が通っていないが話を聞いているのか?と聞く。煽りのように聞こえるらしい、彼氏がブチ切れて心無いことをまくし立てて切れる。数日もすると 俺が悪かった、別れたくない、と連絡が来る。
馬鹿らしいな、と思った。今まで飲み込んでいたものが、飲み込もうと思っていた心が折れた。もういいや、と思ってしまって、そこからは早かった。多少なりとも揺れるタイミングはあったが、わたしはもううんざりしたのだ。
彼氏は短気だ。喧嘩になるとすぐに嫌なら別れたらいい、という。例えば筋の通らない話について、こういう所が嫌だ、という話をすると そういう話をさせるのはあなたも悪い、と言われる。ではどうしようか、と聞くと そっちがもっとうまくやってくれたら、と言われる。彼曰くわたしの話し方が悪く短気になるらしい。筋の通らないことを言いたくなるらしい。わたしに怒られたり詰められたりすると負けたくない、と思い心無いことを言うらしい。笑ってしまった。馬鹿じゃなかろうか。
仮にも好き合って付き合っているのだろう。これから先も一緒にいたいね、という話をするのだろうが。なのに負けたくない、なのか。考えのそういや喧嘩をして、そっちがもっとうまくやってくれたら、と突っぱねるのは負けた、と感じるからなのか。
くっだらない、と思った。勝ち負けに拘って人と付き合うならもっと素直で柔和な人間と付き合えばいい。わたしと付き合って、それを言うのか。意見を変えずに じゃあ別れたら、そっちがうまくやれ、を伝家の宝刀のごとく振り回すのはそうしたらわたしが黙るからか。
それが負けないための術なのか。
そうやって自分のプライドを守るために吐いた言葉なのに、3日もすれば別れたくない、どうにかして悪いところは治すから、と縋るのか。
どっちが恥ずかしいんだよ、それ。
こうしてくれ、と頼んでいることに勝ち負けはないだろう。好きな女じゃないのか、わたしは。
わたしも悪いのは間違いない。主義主張は相違があって当たり前で、それをうまく折り合いつけるのが彼女の役目だ、と私は勝手に思っていた。男を立てる自分、がいい彼女であると思っていたかった。
けれど私が付き合った彼氏はただの子供だった。負けたくないだけの、その場がよければどうにかなると考えている、短気でわがままな子供だった。
だからもういいや。付き合っている間は楽しかったです。わたしに自信をつけさせてくれてありがとう。デートの楽しみを知りました。今までありがとうございました。
どっかでこの文章を読んだら気付くかな。まず読むことがないと思うけど。
次にどこかで会った時、もっといい人間になってたらいいな。暴言を吐いても謝れば帳消しになる、なにごともなかったかのように元通りになる、という幻想が、そうでないことに気付くといいな。
好きでした。好きでしたが、側にいるといつまでも甘えさせてしまって、わたしがしんどくなります。とてもとてもしんどくなります。あなたはいつまでも甘えっぱなしで、わたしばかりが割を食う。
泣きながら本当に嫌だ、と伝えて、できる限り直すけどできるかはしらん、としか返って来ないあなたとはこれでさよならです。
約束をしたのに、俺の気が変わったからしゃーない、と平気で裏切るあなたはもうわたしの人生には関与しないでください。
これから先も、気が変わったから仕方ない、という伝家の宝刀を振り回して生きてください。好きにしてくれ。
横だけど。「弱者を護るのは社会であって男性ではない」みたいな主張が出るなら
あとはもう、女性だけの町を自力でつくって頑張ってくださいよ。
男性は協力しても感謝もされない、犯罪者予備軍として見られるのみなら、戦争を始めるのが男性って、理由になりますか?戦争を始めない男性の方が多いんじゃないですかね。
最近のアウンサン・スーチーさんどうですかね、ロヒンギャ問題は男女関係無く起きませんか?
日本語の現在の表記方法は、表記ゆれが多かったり、入力に手間がかかったり、学習コストが大きかったりと、問題が多いという認識がまずあります。
この認識が共有できないと、多分問題意識も共有できないと思います。
入力に関しては、コンピュータの入力ソフトの進歩によって、少しづつ改善していますが、まだまだ英語や韓国語などの変換のない言語に比べると、入力速度は体感できるほどの違いがあります。
日本語の入力システムは中国語に似ているというイメージがあると思いますが、実際には中国語の入力システムの方がシンプルな方法を採用していて、その分、母音を省略して入力できたり、スペルミスを自動修正してくれたりといった機能がよく整っています。(何がシンプルかというと、日本語入力ではまずローマ字がひらがなに自動変換され、そこから手動でかな漢字に変換するという二段階の変換システムになっているのに対して、中国語の入力システムでは、ローマ字から直接普通の中国語に変換される、一段階の変換システムだという点です。)
また、そのようにして入力された文章に関しても、違う単語が同じ表記になってしまう(例:「行った」)とか、曖昧性があったり(例:「この先生きのこる」)など問題が多いです。
ローマ字を採用する利点があるのは、後者についてです。ローマ字は、ひらがなよりも使えるパターンが多いです。ひらがなで表現できるモーラのパターンはたった115です(参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/日本語の音韻 )。ローマ字であれば母音5種、子音21と子音がないパターンで合わせて22で、これだけで110になります。私がやっている方式では、母音にはアクセントがあるものとないものがあるので10種類であり、さらに子音は2文字重ねるもの(shなど )があるので、使えるパターンは200をゆうに超えます。
一口にローマ字で表記するといっても、やり方によってその成果に大きな差が出ます。訓令式のローマ字をわかち書きするだけでは、違う単語が同じに表記されてしまうケースは減らず、むしろおそらく増えるでしょう。
そのため、どんな方法がいいかを探求するために、色々と考えたり試したりしているわけです。
今のところやっているのは
などで、まだ決めていないことはたくさんあり、例えば以下のようなことを考えています。
などなどです。
「違う単語が同じ表記になるケースがゼロ」の状態を「完全な表記法」とした場合、表記の完全性と学習コストはトレードオフになる場合があるので、どのへんがちょうどいい具合かも探っていく必要があると思います。
論点が散逸してる感があるのでまとめると、ゴールは次の二点です。
加えて
先日、彼女と話していて、なにかの折に結婚を申し込んだ。電話で大事なことを軽く言うのもどうかと思うけれど、つい口を突いたのだった。
彼女は困ったようにう~んと唸り、ぽつぽつと話し始めた。別の男性から結婚を申し込まれたこと。そいつが僕の友達だということ。色々な将来のことを考えると、あなたと居るのは不安を感じてしまうということ。でもあなたのことは間違いなく好きだということ。
素直に、そっかあと思った。実のところ、結婚を申し込んでおきながら、僕はその生活を真面目に想像したことがなかった。彼女と一年ほど暮らしたけれど、生活が整頓されているとは言えなかった。僕は大学を留年していて、彼女は社会人だった。僕は好き放題飲み歩き(飲み放題歩き好きだった)、彼女は厳しい職場で帰りが遅かった。
彼女と暮らしていなかったら、今も大学生をやっていることは間違いない。僕はそのことを一生かかっても返せないような恩に感じている。今もそうだし、この先もそうだろうと思う。彼女はずっと最愛の恩人だ。
一方で、彼女は僕の素行を少なからず心配していた。心配というよりも、その点に関しては若干引かれていたし、諦められてもいたと思う。心のどこかで、この人と平穏無事な家庭を築くのは無理だろうと思っていたはずだ。彼女にとっての区切りは、僕が大学を卒業したことだったと聞いた。僕が東京に引っ越すことになり、最後の朝に彼女は新幹線のホームで泣いた。僕はそれを寂しさだと思ったけれど、彼女にとっては最後の区切りの涙だった。
彼女に結婚を申し込んだ男のことも、輪をかけて複雑だった。彼のことを僕はとても尊敬している。誰にでも頼られる、世話好きのお人好しで、怒ると怖いのだ。そう、怒ると怖いというのが一番尊敬しているところだ。人は誰かに嫌悪感を持ったり、苛ついたりする。大抵の場合、そこには大義名分はない。なんとなく嫌いだし、なんとなくムカつくし、そういう気持ちは大勢には支持されないから、仲間内で悪口を言ったり、茶化したりして溜飲を下げる。その点、彼は怒るとき、本当に怒る。なぜ怒っているかを明確にして、それを正さない人に正直にぶつけて、なお直らないようなら完膚なきまでに言いくるめる。そういう怒り方をできる人なのだ。僕は彼が人として大好きだ。たまに彼に怒られたいと思うくらい、好きなのだ。
彼女の心配することの一つは、彼から結婚を申し込まれたことを僕が知ったら、彼と僕の仲が悪くなるかもしれない、といったことだった。話を聞いた瞬間は、僕は友人と恋人を同時に失うのだと思って、黒い稲妻が自分の一生涯を照らしたように感じた。それと同時に、すべてが冗談なような気もした。人のいい彼が、そんなことを言うだろうか。どうしても気になって、夜中も3分の2が過ぎた頃に彼に電話を掛けてしまった。もちろん、出なかった。
彼からのコールバックは、翌朝だった。真面目な話が僕は苦手だ。真面目に話すことが苦手なのだ。真剣な話をするのに、どうして眉をしかめなくちゃいけないのか分からない。真剣な態度じゃなきゃ伝わらないことなんて、この世になくていい。あるいは、伝わらないならそれでいい。だから、おちゃらけて話すことにした。
しばらく話していると、彼の彼女に対する想いは、真剣なのだと伝わってきた。十分おちゃらけに付き合ってもらった。彼は僕に嫉妬することさえあったらしい。そうだろうな、としか思わなかった。僕に言えることなんか、せいぜい彼氏の座にあぐらをかいてすまなかった、ということぐらいだ。彼女についての僕の想いがどれだけ強いものなのか、そんなことを誰かに証明する必要があるなんて思っていなかったから、面食らってしまった。ただ彼の話を聞いて、聞いただけだった。
僕は彼のように怒れない。人の彼女に勝手にそんなことを打ち明けといて、こちらには黙っているとは筋が通らないじゃないか、とか。僕と彼女を応援する気持ちがありながら、それでも彼女が好きなんて理屈が通じるのか、とか。幾らでも怒ることはできたと思うけど、怒ってどうなるのだろう。誰が得するのか考えたけれど、僕も彼女も彼も、誰も幸せにならなかった。それでもそのとき、僕は少なからず怒りたかった。誰かれ構わず、殴りたかった。
それから、彼女とまた電話して、別れることになった。彼女は、これまで僕と遊びに行った場所をひとつひとつ挙げて、鮮やかに話した。あれは楽しかった、あれは辛かった。色々な話をしたけれど、僕が思い出として記憶しているのは、半分くらいのようだった。思い出せなくて、悲しくなった。その時々で、たしかに楽しい瞬間があったはずなのに、彼女のように語れない。こんなに好きなのに、何一つ言葉が浮かんでこないし、怒ることもできない。自分は情のない人間なのだろうか、と思って寂しくなった。
彼女は、今後も僕を好きでいてくれる。形を変えた「好き」だけど、僕はそれがとても嬉しい。距離感にはそのうち慣れるだろう。忘れるのは得意なのだから。彼も、たぶん友達でいてくれるんじゃないかなと思ってはいるが、僕はどうしたらいいのか分からなくなる。彼女たちとの付き合い方を探って、寂しさを掘り当てたら、それが最後なのかなと感じている。
A子ちゃんとB男くんは一度付き合って別れた関係だった。かつてはお互い人生一番の恋愛をした同士だった。しかし2年の交際期間を経て別れ、友達関係に戻った。仲はよかった。
ある時2人は他の友達と一緒に朝まで飲んだ。酔っ払ったB男は、A子にこれから泊まりに行こうよ、と誘った。「絶対何もしない、本当に寝るだけ。俺はこのあとこの辺で用事があるから、家に帰るよりもシャワー浴びてここで寝たいんだ。」と。
A子は恋愛に対して真面目で、元彼と体の関係になることは絶対に嫌だったため強く断った。しかしどんなに断ってもB男は引かず、1時間以上固く手を握ったまま誘い続けた。別れて以来初めて手を握っていた。A子は眠気と疲れで判断能力が鈍り、断る気力も無くなって、朝の7時半頃「絶対に何もしないからね」と言いながら、ついにB男に手を引かれるままにホテルに入っていってしまった。
はじめは約束通り寝ていた。しかし途中から様子がおかしくなる。B男からの手が伸びて来た。話が違う、そう思ったA子は抵抗した。B男の手を振り払った。やだ、やめて!と叫んだ。しかし必死の抵抗虚しく無理矢理キスされ、服は脱がされた。そうしているうちに、好きだった時の記憶が蘇ってくる。B男の匂い、キスの感触、触れ合う時のドキドキ、楽しかった思い出、色んな感情が複雑に混ざり合って込み上げて来て、遂に抵抗出来なくなってしまった。それと同時に、「ちゃんと話もせずにこんなに適当な流れで体の関係に持ち込むなんて、それを良しとするなんて、きちんとやり直す気はないの?ただセックスしたかっただけ?私は都合良い女として扱われているの?」という不安が溢れ、涙がただただ流れた。B男はそれに気付かずフィニッシュし、そのまま一人寝てしまった。
A子が眠れず一人泣いていると、B男が目を覚ました。泣いているA子を見て「どうしたの?」と尋ねる。A子は勇気を振り絞り、「どういうつもりでこういうことしたの?」と聞いた。するとB男は黙ったままA子の頭を撫で、また眠りに落ちた。A子は訳が分からずいっそう泣いた。
それ以降、A子はB男への恋愛感情を思い出してしまった。「うまくいかないからもうやめよう」と思って忘れたはずなのに、その気持ちは復活してしまった。二人の仲は親密になった。泊まった日を境に、ラインは毎日するようになり、長電話も、3,4日に1度デートもするようになった。手を繋がれても、キスされても、そしてたまに泊まりに誘われても、A子は受け入れた。本当に仲が良かった。「付き合いましょう」「良いですよ」という言葉での確認をしていないことを除いて、別れる前の状態に完全に戻っていた。関係性の表面だけを見たら自分がただの都合よくセフレにされた女である事は分かっていたが、B男を見ているとどうしてもそのようなゲスな心があるとは思えず、B男だけはそんなことしない、と信頼していた。B男は実質的な彼氏だと思っていた。告白のないアメリカ式なんだ、と思い込んだ。
もともとA子は恋愛に対してかなり真面目だった。多くの男性と食事デートこそすれど、付き合っていない人とキスしたことも、セックスしたこともなかった。好きじゃない人とそのような行為をすることに強い抵抗感があったため、付き合った人数も少なければ経験人数も少なかった。相手が自分のことを本当に愛してくれていて、自分も相手のことを本当に愛している、そんな関係であって初めて踏み出したいと思っていた。だからより一層この状況は不安だった。
B男はA子に性的アプローチをし続ける割に、はっきりとした告白、誠意のある意思表示はしてくれなかった。その上、「俺のこと好き?」なんて調子に乗ったことを聞いてみたり、他の女の子に好意を寄せられている話をしたり、泊まった際に「やっぱり性格キツイんだね」などと嫌味を言ってみたりして、「遊びだよアピールをしているのかな…やっぱり本気でやり直す気はないのかな…」とA子の心は揺さぶられ続けた。
関係を積極的に決定的に縮めてきているのはB男であるにも関わらずなぜそのようなことをするのか、A子は分からなかった。仮にA子のことが好きで、やり直したいがためにアプローチをしているのであれば、全て受け入れている時点でA子からの「脈あり」サインは感じ取れているはずだった。ここで誠意を持って押せばいける、そんな状況だった。にもかかわらずその感情は全く表に出してくれないB男のことが分からなかった。
追うなら追うで、最後まで追い切って欲しい。それが普通の恋愛の流れだ。それにもしB男が本気じゃないなら、ザ・都合のいい女A子から好意を見せるなんて迂闊なことをしたら傷付くだけだし、相手をより調子に乗らせるだけだ。A子は割とモテてきたため、自分から男性に好意を見せるなんて人生で一度もしたことがなかった。そのため、A子はB男からの決定的なアクションを、誠実さの表明を、待っていた。
そんな中、A子の誕生日が迫ってきた。もしB男がA子のことを本気で好きでやり直したいと思っているなら、または言葉がないだけで実質的に「彼女」だと思っているなら、A子の誕生日を祝わないはずはない。こんなに好意を伝える絶好のチャンスはない。このカップル同然の状態で祝わなかったらA子がショックを受けるのはB男の目にも明らかなはずだ。つまり、祝わないとしたら、それはA子のことが本気ではなかったときだ。A子はその日に祝われ、気持ちを告げられ、きちんとやり直すことを期待していた。
そうは言っても不安もあった。だから、さまざまな言葉で「当日に祝う」というゴールに繋がるレールを敷いた。A子のことが好きならば祝わない選択肢はない、そんな状況に持って行った。「当日は祝日で混んでいるから別日にしよう」と言われた時は、混んでいる位で後回しにされるほど優先度が低いのかと不安になり腹も立ったが、「当日じゃないと誕生日じゃないよ」と言っておいた。
誕生日の前日一緒に遊んだ夜、B男は「眠いからA子の家で昼寝させてほしい」と言ってきた。A子は何かあるのかな、と少し期待した。家に誰もおらず、一人で誕生日を迎えるのも寂しいので、泊まって行きなよと言った。これで誕生日一緒に過ごせる、なんて思惑もあった。B男は「お金がないんだよね〜」という話をしていたが、A子は別にお金を求めているわけではないので気に留めていなかった。A子は高いご飯が食べたい訳でも高いプレゼントを求めている訳でもなかった。ただ、B男が一緒に誕生日を過ごしてくれるだけで、一緒に家で夜ご飯を食べてくれるだけでよかった。帰り道に買ったケーキで祝ってもらうだけで良かった。その気持ちが、誠意が欲しかっただけだった。B男からちゃんと愛されていることを確認し、安心したかったのだ。
そしてB男はA子の家に泊まり、誕生日当日を迎える。その日の朝、B男はA子に出されたご飯を食べ、一緒に学校に行き、「最近お金がないんだよね〜」なんて話をし、授業のために別れ、そのまま連絡が取れなくなった。
夕方くらいまでは期待していた。授業が遅くまであるのかな、なんて僅かな希望を抱いていた。しかし、18時を過ぎても、20時を過ぎても、23時を過ぎても連絡は来なかった。
あ、ヤリ逃げされた。裏切られたと思った。目の前の出来事が信じられなかった。世界が白黒になった。くらくらして、重力が100倍になって立ってられなくなった。やっぱり本気じゃなかったんだ。私は遊ばれてたんだ。家に泊まっておきながら誕生日を祝うという恋人関係を決定的にする行動は避けるんだ。お金がないなんてどうにでもなる理由をつけて誕生日にヤリ逃げできる位の存在なんだ。今までの数ヶ月はなんだったの?というか今までの2年半はなんだったの?あんなに信頼していたのに?私は一体何をしていたの?なんで心を開いちゃったの?あの行動は、あの言葉は、全部嘘だったの?あーでもやっぱり客観的に見たらただの都合いい女だよな?でもだったらなんであんなに時間使ってくれたの?なんで優しかったの?なんで?なんでなんでなんでなんでなんでなんで?あーもう死にたい!
布団から出られずずっと泣いた。泣いていたらお腹が空いたから一人賞味期限切れの納豆ご飯を食べ、虚しくてまた泣いた。こんな誕生日は初めてだった。
A子がお昼に不安に襲われながら送った「ご飯食べよ!」というラインに既読がついたのは日を跨いでからだった。
翌日、「ごめん電源切れてた、おめでとう!」との連絡が入った。その調子の良さにA子の怒りと悲しみは爆発した。頭がおかしくなり、怒っては泣き、泣いては怒った。最低!と罵倒した。本当は、「ごめんね、そんなつもりじゃなかったんだ、好きだよ」って言って欲しかった。
しかしB男から返ってきた言葉は、「だって俺たち付き合ってないじゃん」「今までの期間はA子がまた付き合える人間かどうか試してただけだよ」「就活の時間を割いてあげてたのに無駄にされた」「俺は別にすぐ他の女の子に行ける」という、A子の頭を駆け巡っていた最悪の予想を裏付けるものだった。
やっぱりそうだった。私はただの都合のいい女だった。本当は分かってたのに。なんて馬鹿だったんだろう。
人生で一番好きになり、信頼していた相手にこれだけの仕打ちをされ、あまりの辛さと自己嫌悪でA子は1週間布団で泣く以外のことができなくなった。
落ち着いてきた頃A子は気持ちを懇切丁寧に説明した長文ラインを送った。すると、B男は理解したようで謝りたいと言ってきた。
会うと、B男はプレゼントを渡して謝ってきた。以前デート中に、A子が値段を見て諦めたものだった。
B男の言い分は、「付き合っていないから祝う必要があると思っていなかった」「誕生日当日の重要性を理解していなかった」「就活後でお金が本当になかった」とのことだ。
正直あまり意味はわからなかったが、B男は悪気なく本気でそう思っていたことが伝わった。A子はB男のことが好きで信じたかったため、なんとか納得した。
B男はそれと同時に、A子とまた付き合いたいと思っていることを伝えた。
A子は嬉しかったが、誕生日という一年で一番楽しみにしていた日に地面にあれだけ強く叩きつけられた直後のことだ。心の整理がまだ付いていなかった。B男のことを心から信頼することができなかった。誕生日ディナーをやり直すと言ってくれていたので、一度そうしてB男の誠意をきちんと見せてもらい、ひどく傷付いた心をリセットしたいと考えていた。誕生日の思い出を塗り替えたかった。A子のことが本気で好きであることを目に見える形で表明して欲しかった。
また、やり直すならばしっかり区切りをつけてからやり直したいと思っていた。別れる前、喧嘩が絶えず話が永遠に平行線となり、どうにも上手くいかないと思ったから別れたのだった。そんな二人がやり直すなら、建設的な話し合いが必要だと思った。
まずご飯に連れて行ってね、その時に話そう。そう伝えた。
それ以降仲直りした。A子はB男がすぐにご飯に連れて行ってくれると、そこで一からやり直せると、そう信じていたからだ。
しかし、待てど暮らせどB男はそれをしてくれなかった。たまに「今年まだ誕生日ケーキ食べれてないの寂しいな、ケーキ食べたい!」なんてアピールをしてみたが、B男は笑うだけで何も言ってくれなかった。
そんな中、B男が「俺たち付き合ってるってことで良いよね?」と聞いてきた。結局まだご飯にも連れて行ってくれていないのになんだそれ、と思ったが、誕生日から1か月ほど経ちA子は意地を張るのも疲れてしまっていた。やけくそで「良いんじゃない、もうそれで」と言ってしまった。
そうして晴れて「付き合う」という体裁を得た二人だったが、A子の不安は増すばかりだった。
どれだけ時が経ってもB男はご飯に連れて行ってくれなかった。A子はいつまでたっても心の傷が癒えないまま、B男への不信感が拭えないままだった。その頃には頻繁に「ご飯いつ連れて行ってくれるの?」と聞いていたが、B男は「お金がない」と言って頑として連れて行こうとしなかった。A子は何度も「自分にとってはご飯に連れて行ってもらうことがどれだけ重要か」を説いたが、やはり約束をしてくれることはなかった。
それほど大金が必要になることを要求しているわけではない。バイトを1日すればできることである。しかも、お金がなくなった元凶である就活の時期はとっくの昔に過ぎていた。「お金がない」という言い訳をするのは、A子のためにバイトを1日多く入る、または友達との飲み会を1回我慢する、それすらもしたくないという意思表示のように思えて、B男への不信感は募っていく一方だった。
A子はだんだん普通なら許せる小さなことすら怒ってしまうようになった。何かあるとすぐにそれが起爆剤となって「まだきちんと誠意を見せてもらっていない。あの時辛かった気持ちをリセットできていない。自分からした約束を守ってくれていない。これだけ私の辛い気持ちを伝えているのに、あんなに訴えたのに、それでもなお、ご飯に行くというただそれだけのことをしてくれないなんて、私は結局蔑ろにされている。」という怒り・悲しみがこみ上げた。A子が怒るとB男も必ず応戦するため、喧嘩が絶えなくなった。かなり傷つけあった。何度もひどい喧嘩をし、その度A子はご飯に連れて行ってくれないから誕生日の時のまま辛い気持ちであることを伝え、B男は最終的には決まってご飯に連れていくね、と約束してくれた。その度A子はB男を信頼し、仲直りした。しかしその約束は果たされないまま同じことを繰り返し、時は過ぎた。
誕生日から3か月ほど経ち、何度も喧嘩を通り過ぎ、なんとかようやくご飯の約束を取り付けた。A子は嬉しかった。この辛かった日々がようやく精算できる、そう思った。すごく楽しみにしていた。
しかし当日、A子がカフェで約束の時間まで暇を潰していた時、B男から「体調が悪くなった」との連絡が入り、延期となった。
事情はわかる。わかるが、なんでこの日なんだ、なんでこの日の夕方なんだ。ここまで信用して我慢して泣いて待って待って待ち続けて、結局ドタキャンなんて。一言言いたくなったA子は、数日後B男と電話した際に自分の気持ちを涙ながらに語った。すると、電話口から寝息が聞こえてきた。
信じられない。そう思ったA子は、怒りのラインを送った。自分の気持ちを荒々しくぶつけた。それ以降、B男からの連絡は来なかった。
連絡が取れないまま約束し直した日になった。その日の夜、A子から電話してもB男は出なかった。やけになって何度も何度も何度も電話した。途中から着信拒否された。そうしてその日が終わった。
そして翌日、B男から連絡が入った。
見てみると、「A子は自分に甘く人に厳しい。人間として尊敬できなくなったからもう終わりにさせて」との内容だった。
もう涙は出なかった。
ある日目が覚めたらホテルにいた。元カノのA子が横に寝ていた。酔っ払っていたため前の晩の記憶は無い。でもそれ以降A子がやけに親しげに接して来るようになったから、きっと流れで上手いこといったんだと思う。
B男はA子がまだ好きだった。未練があった。だから、電話もしたしデートもしたし、相談にも乗ったし泊まりにも誘った。なぜならそうしたかったし、楽しかったから。
しかし、A子は全く感情を表に出してくれないため、B男は不安だった。B男は一度振られている状況だ。ここで告白してもう一度振られるのが怖かった。泊まった夜、勇気を出して「俺のこと好き?」と聞いてみたが、「ううん」と言われた。それ以降、何も言えなくなってしまった。
A子の気持ちはよく分からないが、一緒にいるのは幸せなため、その関係を続けていた。
そんな中、A子の誕生日が近づいてきた。A子はよく誕生日の話題を出し、楽しみにしているようだった。B男はA子のことが好きだったため、祝おうと思っていた。しかし壊滅的にお金がなかった。付き合っている訳ではないし、A子が自分のことを好きであるかどうかも分からないため、当日に祝う必要性があるとは思わなかった。そのため、「当日は祝日で混んでいるから次の週あたりに」と苦しい言い訳をしてお金が入る頃に約束を取り付けようとしたが、「当日じゃないと誕生日じゃない」と断られてしまった。A子はB男に祝われることをそんなに期待していないらしい。
A子の誕生日の前日遊んだ際、眠かったし少しムラムラしたので「ちょっとA子の家で昼寝したい」と言ってみた。すると「家に誰もいないから泊まって行きなよ」と言われたため、その言葉に甘えて泊まりに行くことにした。一応「お金がない」という話はしておいた。
翌日、A子は誕生日であると盛り上がっていたが、B男はお金が本当になかった。期待されることを避けようと、一緒に登校してそのまま別れ、A子からの連絡には既読をつけなかった。
翌日「電源切れてたごめん、おめでとう!」との連絡を入れたところ、A子はなぜかブチ切れた。「人として最低!!」なんて、すごい剣幕でB男のことを責めた。
正直そこまで切れることか?と思った。なんで彼女じゃない人間の誕生日を祝わなかっただけで、ここまで人格否定されないといけないのか。しかも別日に祝うつもりはあったのに。A子が自分のことを好きじゃなかったとしたら祝うお金は無駄になるけれど、それでも祝うつもりはあったのに。付き合ってもいない人間に、誕生日を当日に祝わなかった、ただそれだけのことでここまで責められる義理はないはずだ。
A子が自分勝手なことであまりにも怒るから、B男もつい応戦してしまい、「また付き合えるかどうか試してただけだよ」とか「就活の時間を無駄にされた」とか「俺は別に他の女の子にすぐいけるけど」とか思ってもいないことを言ってしまった。
その後、ひどく泣きながらどれだけ誕生日を大事に思っているか説明され、想像以上に傷付けてしまったことがわかった。後日無いお金をはたいて買ったプレゼントを渡して謝った。当日お金が本当に一銭も無かったこと、誕生日当日の重要性を理解していなかったこと、付き合っていないから祝う必要性があるとわかっていなかったことを伝えたら納得してくれた。
そしてまた改めて食事に連れて行くね、と約束し、同時に付き合いたいと思っていることも伝えた。しかし、その答えは保留されてしまった。
それから仲直りは出来たが、告白の答えはなかなかくれなかった。
そのくせ、「ケーキ食べたいなぁ」なんてアピールはしてきた。付き合う気が無い男に対して、高いご飯を奢らせようとしているのか。B男は不安だった。そして、お金は本当になかった。
A子は告白の返事こそくれないものの、自分のことが好きなように見えた。1ヶ月半ほど経った時、いよいよその関係性に耐えかね、電話をしている時に「俺たち付き合ってるってことで良いよね?」と聞いてみた。すると、「じゃあもういいんじゃない、それで」なんて適当な言葉が返ってきた。B男はその適当さに不安を覚えたが、何も言わなかった。そうしてヌルッと寄りを戻した。
時が経つにつれ、A子は細々したことでキレるようになった。B男のほんの小さな間違いに対してひどく怒り、決まって最後には誕生日を祝わないことを責めた。
B男はA子の悪いところもたくさん許しているのに、なぜ毎度毎度こんな小さなことで強くキレられないといけないのか。この喧嘩の繰り返しに、B男は疲弊していった。A子のその自分への甘さと他人への厳しさに、A子への不信感が募り、恋愛感情がだんだんと冷めていった。どんなに言われても、いや言われれば言われるほど、お金をはたいてA子の誕生日をやり直してあげる気力が起きなくなった。
そもそも、誕生日プレゼントもあげているのに、未だにこんなことで強欲に怒り続けているのが理解ができなかった。A子は強く怒ってばかりで、B男は想われているようにも、大切にされているようにも感じない。なぜB男ばかりが与え続けなければいけないのか。
あまりにA子がご飯をおごれとうるさく言うので、約束をした。しかし運悪く約束の日に熱が出てしまった。悪いことをしたとわかっているが、B男も体調が悪く辛いのに、電話でA子はそれを気にかけることもせずにB男を責めた。やはり人にばかり厳しい人間だ。自分ばかり辛い辛い言うのを聞くのも疲れたな、なんて思っているうちに寝てしまった。
起きるとA子から沢山のラインが入っていた。B男を責める内容だ。B男はもう疲れてしまい、連絡する気が起きなかった。そのままリスケ日になったが、このような精神状態でご飯をおごる気にもなれず、自己中なA子に会いたくもなかったため無視していたら、沢山の着信が入った。その自分のことしか考えていないメンヘラ具合に怖くなり、着拒した。
女4人(たまに増えたり減ったり)で、結構楽しく活動していた。
まあいろいろあって、続けるのがしんどくなったので
区切りの良いところで脱退したいと申し出た。
急に言い出したわけではない。
更に自分だけではなく、他のもうひとりのメンバーも同じタイミングで脱退することになった。
話し合ってお互い納得して、いったん活動休止になるということで企画した
ライブイベントもなかなか盛況のうちに終えることができた。
円満脱退だと思っていた。
が、実際はあるメンバーが
「増田は彼氏ができたからバンドやめる。やってらんねえよな。」
と吹聴していたらしい。
できてないし。初耳だし。
なんか嫌われてんなーと思ってたが、ここまでだったとは。
そういうことにして単に私の株を下げたかったのか。
そんなこと言われてたのか。
そういえば
「増田はビ○チだ」とか
面と向かって言われてたな。
鈍すぎか。
うらまれるようなことした覚えないのだけどな。
今となっては、どうでもいいけど
へーんなの。
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/020600201/020600002/
「40歳定年なのになんで54歳で働いてるんだ」みたいなブコメが多いが、提唱者は「40歳を過ぎたら働くな」なんて言っていない。
提唱者の職歴を見ると33歳あたりで慶大から東大に移っているので、本人は40歳どころか33歳定年制に近いこと(33歳で慶大を定年退職して東大に再就職し、そこで2度めの定年である65歳まで勤める)をやっている。
そもそも、40歳で定年を迎えた後、同じ職場に再就職しても構わないわけで、同じ職場に残りたい人はそうすればいい。
転職と40歳定年(中間定年と呼ぶほうが良いかも)の何が違うかというと、中高一貫校の転校と中等部卒業の違いを考えるとわかりやすいのでは。
中等部でこの学校は自分に合わないと感じても、途中で転校するのはハードルが高い。
しかし、中等部卒業という区切りで別の高校に進学するのなら、比較的ハードルが低いので、より自分に合った高校を選べる。
学校側としても、人が入れ替わりやすいタイミングが中等部と高等部の間だとわかるので、それに合わせた教育計画を立てられる。
正直なところ卒業してほしくないって言う気持ちはあるけど、声優でもないアイドルが最長5年もやってるんだしアイカツスターズの辺りでも一瞬そうなるんじゃって気持ちがちょっとあったりしたので悲しいけれども大きく動揺とかはなく、これからもアイカツ以外のお仕事頑張ってくださいってしか言えない。
ここに書きに来たのは卒業することで動揺してるファンについて思うこと。
アニメやアイドルなんかの界隈で「卒業」や「引退」、「交代」なんてワードが出てくると自分と同じく悲しんだり、次に切り替えて前向きになろうとしてる人なんかが大半だと思ってるんだけど、それと別にキレてる人がいるのがこわい。
怒ってコンテンツが続投したりアイドルが引退取り消したりと何かが変わるんだったらまだ良いんだけど、普通そんなことは無いと思うし、冷静に復活するための行動をするってわけでもなくオラついたりしてるっていうのがもう…。
コンテンツ、アイドルに触れ始めて思い入れが強くなりすぎてやり場のない怒りとかなら全く理解できないわけではないんだけど、アイカツだけに限らず例えばお隣のコンテンツのラブライブだって、アイドル界隈だって例えばモー娘。やもっと昔からこんな事が有り続けてるんだからもう少し落ち着いて悲しめないのかなって思う。
周りにもプラスになるとは思えないので。
後、アイカツだけなんだけどシリーズ自体は来年度新シリーズ決まってるし、歌唱担当もアイカツシリーズからは離れるとは言え、ディアステージからまだ卒業しますってわけではないのでアイドルとしてはまだやっていくはずなのでアイカツが好きならアニメにゲームにと追いかければいいし、歌唱担当が好きなんだったらSTAR☆ANISだったら秋葉原ディアステージやAIKATSU☆STARS!だったら舞台とか通って欲しい。
「最後の区切りとして」でも絵を描こうとしてる時点でやめるつもりはないとしか思えない
描こうとしても描けないかどうかを確認しようとしてるんだろうか
自分はそんなこと思う間もなく描くのをやめたし、10年ぐらいしてからふと思いついてまた描きはじめたよ
そんなに気負わなくていいよ、自分に必要なものが年齢を追うごとに変わっていくのは当たり前だ
絵を描くのがうんざりなら写真でも動画でも造形でも音楽でも裁縫でもやればいいと思う、物作り云々言い出すには視界が狭すぎる
そのどれもやる気が起こらない、なにを作るつもりにもなれないならそれはもう「最後の区切り」とかいう話じゃない
まあ、個人的には「コミュニケーションの手段」と認めた時点で諦めてるようにしか見えないんだけど、それをコミュニケーションの手段ではなく純粋に描けるようになりたいということなら、なおさらなにアホなこと言ってんだと
増田が決着をつけるべきなのは物作りではなくて、コミュニケーションに他人との過剰な比較を持ち込まずにいられなかった増田の空虚さだと思うよ
1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、
せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます。
ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。
物心ついたころから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に
「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。
それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、
自分=絵を描く人間だという自己イメージは自身の中で確実なものとして定着していました。
幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール、
赤ずきんチャチャ、折原みと先生の漫画、くりた陸先生の漫画をこよなく愛し、
よく真似て絵を描いていた小学校低学年。
高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、
その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。
ちょうど6年生になったあたりのころから、
自分でイラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。
あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。
そこにはたくさんの同世代のイラストを趣味とする子たちが集まっていて、
同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)
ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、
本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。
私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。
そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。
ドラゴンボールのファンサイトの管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、
毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。
そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。
絵チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、
一方で「9091P」という1990年生まれの絵描きを集めた同盟が立ち上がり、
同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。
その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と
中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。
いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。
同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?
そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います。
絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校は美術を専門とした学校へ進学。
デッサンや油絵、水彩、彫刻、プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。
課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生からの評価も高いのだけど、
その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。
それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…
わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、
なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。
課題ではいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。
同人活動で売れ始めた人。
絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。
成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。
でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。
絵の話だけするのはつまらなかった。
恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分だからか?
そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか。
一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。
仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、
でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?
気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。
相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、
「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京の美大でデザインを学ぼう。」と思い、
絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと
点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います。
絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。
デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。
ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。
デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。
でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。
付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、
そもそも大学は研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間は評価すらされない。当たり前のことですが。
そして最終的には就活で完全につまづき、希望の企業には就職できず、
かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています。
書きたい絵なんてのはもともとなかった。
誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。
誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、
コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、
私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか。
新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。
なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?
物作りから離れることは、自分の人生を否定すること、アイデンティティが崩壊することという思い込みが、
未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。
やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
以前、anond:20180123164304この日記を書いたものです。
この記事にコメント下さった増田さん達には感謝しかないです。嬉しかったです。本当にありがとうございました。
自分が発信したことに反応。言葉を貰えたのが本当に嬉しくて嬉しくて。
一日と少しいろいろ考えました。考えた結果、やめることにしました。頑張ってと言ってくださった方にはごめんなさい。
でも悩んで悩んでツイッターで嬉しそうにお返事してる人を見て妬ましくなる自分にも疲れてしまったし、フォームや質問箱置くことで感想乞食と言われること。そこまでして感想貰えないのは下手だから下手はこのジャンルから消えろって言われるのも辛いから。
幸いイベントへの申し込みもしてないし、もしかしたら過去の自分や神様がちょうどいい区切りを用意してたのかもしれないと思えるからね。
やめることはどこにも明言しないでいようと思う。だってこのジャンルがまだまだ好きだし、もしかしたら他の作品でまた描きたくなって戻ってくるかもしれないし。なんかやめる宣言したらそれも出来ない気がするから。
最後に、あんな日記に言葉をありがとうございました。最初は驚いたけど本当に嬉しかった。あと、こんな自分が作った本を手に取ってくれた人。アップしている作品にブクマくれた人。みんなに少しでも楽しんで貰えてたならいいな。
テニミュがテニミュたる所以、それは「テニスの王子様」の物語から独立した「テニミュ」としての物語の存在だと思う。
「テニミュ」の始まりは、やはり初代青学メンバーだ。さらに言うなら、初代越前リョーマだ。(現在は芸能活動をしていないため名前は出さない。)
彼が不運にも事故に遭い、生死の境をさ迷いながらも再び舞台に立った。それが「テニミュ」の始まりであると私は思う。ミュージカル・テニスの王子様のスタート、彼の事故、彼を抜いての再演、彼の復帰、そして卒業。ここまでが「テニミュ」の序章である。
第1章は序章と並行する部分もあるが、青学2代目、3代目である。
卒業した初代に代わり登場した2代目。しかもメンバーの大半がミュージカル初心者。中にはデビュー作になるという新人も。
これが現在まで続く「若手俳優の登竜門」というテニミュのスタイルを築き上げることとなる。
当初は不評だった2代目も少しずつ人気をつけ、惜しまれながら卒業していった。不二役と海堂役が残り、3代目も同じキャストが演じた。(正確に言うと海堂役は2代目で卒業するはずだった。そのため立海公演からは新しい海堂になっている。詳しくは「黒歴史海堂」で検索ください。)
この、キャストが代をまたいで続投する形式は後述する2ndシーズンで「タスキ」と表現されることとなる。
第2章は青学4代目、5代目、そして1stシーズンの完結までだ。
ここではダブルキャストと海外公演が始まる。テニミュの最盛期と言っていいかもしれない。キャストの人気は高く、チケットは入手困難に。ストーリーとしても全国大会に突入し、終わりが見えてきた。
目前に迫った終わりに向けて「テニミュ」は加速していた。キャストも、観客も、全てひっくるめての「テニミュ」は最高の形で終わりを迎えようとしていた。実際、「テニミュ」の第2章はここで終わる。ここで本を閉じても何の違和感も無い。
しかしまだ続きがある。テニミュ2ndシーズンという物語が。「テニスの王子様」の舞台化ではなく、「ミュージカル・テニスの王子様」の再演となった2ndシーズンが。そしてこの第3章の主人公は間違いなく小越勇輝だ。
第3章は、「テニミュ」の文脈に沿ってガラガラの客席から始まる。そこから再びチケット入手困難になるまでの物語だ。
小越勇輝は、タスキとなってテニスの王子様(無印)のストーリー全てを演じきった。卒業していく6代目を涙とともに見送り、7代目の仲間達と笑顔で卒業していった。16歳から20歳までの「青春」と表すに相応しい期間を全てテニミュにつぎ込んだ。彼のためなのか元からの予定なのか、2ndシーズンは約4年で終わる。1stシーズンが約7年であったのに比べて非常に高速だった。
そして高速であるために、1つの公演が終わりきらないうちに次の公演の発表が来る。観客はいつしか恐怖感を忘れるようになった。「終わってしまうかもしれない」という恐怖感を。
それは公演の区切りだけでなく、シリーズの区切りでもまた同じだった。第3章がまだ終わりきらない、小越勇輝がまだ主人公をやっている頃、第4章の発表が来た。テニミュ3rdシーズンである。
第4章もガラガラの客席から始まった。しかし「テニミュ」の登場人物達はそれをもう知っている。同じ物語が繰り返されると無意識的に知っている。
青学8代目の卒業と9代目の登場も、寂しさと期待を感じながらも無事に通過した。
現在のテニミュは安定期にあると感じる。ガラガラというほどではないが、チケット入手困難というほどでもない。「行きたい」と思った時にいつでもいける、安定して楽しめる。「テニミュ」はいつしか観客にとっても帰る場所になりつつある。
演出家を変え、積極的に海外へ行き、キャラを増やし、新しい公演を増やす。キャストの素を押し出してみたり、ブロマイドをキャラショットにしてみたり、一貫してない行動が多いがこれは先に進むためのトライであると思いたい。かつての熱気を取り戻すため、安定ではなく刺激になるための第4章である。
第5章がいつになるのか、そもそもあるのかはわからない。ただ1つ言えるのは、「テニスの王子様」や「ミュージカル・テニスの王子様」が終わったとしても「テニミュ」の物語は終わらないということだ。キャストが、観客が、映像が、残っている限り、物語は続いていく。
尊敬する社長の役に立ちたいからバリバリに仕事した。陰で「増田さん、なんか堅そう」とか「真面目すぎ」「華がない」と言われても、ちゃんと成果を上げていたし、毎週休みになれば社長とデートできるから平気だった。私は20代後半で社長は30代前半、さらにお互い独身で、2年間そういう関係が続いたこともあり、私はそろそろ結婚も…とか勝手に想像して舞い上がっていた。
半年くらい前に、私と同い年で未経験の女子社員が入ってきた。この女子社員は「私は専門的なことできないから」と言って簡単な事務作業しかやらないし、専門的な仕事を勉強しようともしない。私や他の女子社員にはすごいそっけない態度なのに、男子社員の前では「さすが〜」「知らなかった〜」「すご〜い!」と割と大きい声で言う。合コンさしすせそか!しかも宇宙人みたいなバレバレの黒コンと、風が起きそうなつけまつげを毎日装着していた。そんなもん会社に着けてくるなよ…会社へ何しにきてんだコイツ…と半ば呆れてた。しかし気づいたら、私の大好きな社長はその子と毎晩一緒に帰るようになって、業務時間中に頻繁に何時間も2人で外出するようになった。
痺れを切らして、たまには私と一緒に帰りませんかと社長を誘うと「いや増田さんとは付き合ってないし」と言われた。2年間デートしてたのは「断るとかわいそうだから、仕方なく週末相手にしてあげてた」ということらしい。
惨めだった。
それからは「社長のことは関係なく、会社のことは好きだから」と自分で自分を無理やり納得させて、とにかく仕事に集中して忘れようとしてたけど、相変わらず未経験の女子社員は簡単な仕事しかしてないのに可愛がられてて、業務時間内に2人で何度も外出する。女子社員が社長にピッタリくっついて「外出いってきま〜す」と声高らかに言う。
ある日、家に帰ると朝までずっと玄関に座り込んでいた。もう耐えられないと思った。
先月、プロジェクトに区切りがついたところで辞表を提出して、それからは有休消化でずっと家でダラダラしてる。完成したプロジェクトはなかなか好評だったおかげで「や〜い優秀な社員逃しやがって、ざまあみろ〜」と一矢報いたような気分に浸ろうとしたけど、結局女としては負けたんだと思う。虚しい。
何もやる気が起きない。
昨日は雪が降ったから2人でどっかに泊まったりしたのかな〜、私も「さすが〜!知らなかった〜!すご〜い!」って言える可愛い女子に生まれたかったなあ…