はてなキーワード: ファンタジーとは
FF7のリメイク発売が迫ってるわけだけど、なんかイケメンファンタジーになりすぎちゃって面白そうって気持ちが半減している。
かっこ悪くしろじゃなく、戦うという前提があるのだからもう少し泥臭さを表現しても良いと思うんだよな。
妙に小奇麗な格好したイケメンが苦戦しているようなシーンでも全然戦ったっていう小汚さが見られないから、マネキンが動いているようにしか見えないんだわ。
そこに頭部の長い召喚獣が追加され、イケメンファンタジーなのかギャグファンタジーなのかわからんようになってしまった。
今のFFは田舎臭さとかそういうものは全然無くて、ただひたすら綺麗なイケメンが戦うだけという緊迫感も何もなくなっているな。
https://note.com/violencetomoko/n/n843596d1358c
https://note.com/violencetomoko/n/nafc93aa9aa0b
読んだ。以下ポエム。
頭をかすめたのは『最高の人生の見つけ方』と『ろりともだち』。そのふたつを同列に並べるなよ、という意見はあるだろうが、人生にどん詰まったふたりの男が旅の果てで互いに救い救われるという点で共通する。前者は家族との和解によって、後者はホモソーシャル的な友情によって。これらの作品を補助線に本作を見るならオチから考えて『ろりともだち』の対極に置くと座りがいい。
ナオキはロスジェネ世代として社会から脱落している。そして他方、ホモソーシャルからも脱落している。いじめられていた過去や痴女アバターから逃げ回る姿は、彼がホモソーシャルに迎合できない人間だということを表している。
何にも救われてこなかったロスジェネ中年おじさんがホモソーシャルにも救われないとしたら何が彼を救い得るのか。それはやはり少女によって、ということになるんだろう。
「ナオキにとって、女性は「ファンタジー」です。自身が男である以上どうしたって惹かれてしまう」。うん、だよな。でも実際に女性が、少女がおじさんを救ってくれることはない。おじさんの苦しみはおじさんが処理しろという社会の要請もあるだろうし、そもそも少女がおじさんを救ってくれるなんてまったくもって信じられない。1ピコも現実感がない。おじさんを救い得るのはおじさんしかいない。それでも少女に救われたい。だからおじさんが互いに少女のアバターをかぶった百合になる。
ホナミは強者で「結局強者が弱者を救う話」だと作者は言う。本人がそう言う以上、そう意図したんだろうけど、ちょっと首をかしげる。単純にホナミがそう見える描写に欠けていたのもあるんだけど、死に臨むにあたって寄り添ってくれる存在の不在はとても強者のそれに見えない。彼もまた弱者だったのではないか。ホナミもまた、人生の終わりに「尊敬し尊重に値する存在」をよすがにしたかったのではないか。やはり救い救われるお話だったのではないか。
とはいえ、割合でいうといくらかホナミが「救う側」だったのは疑いようがない。ナオキが女性経験皆無でそれをプレゼントしようという意識があったのは、つまり「女性」を演じようとして実際そうしたことは、直に逢ったときの恥ずかしがりようからもわかる(逆に、ナオキは常に素を出していたので恥ずかしがったりしない。丁寧な感情描写だ)。
「この作品はなんなんだろう」とも作者は言った。読み手の世代や人生によって受け取り方は様々だろうけど、少なくとも私には「ナオキにとってのクラスの女子」を目指した作品のように思われる。
世界の全てに希望が持てないとしても。どうかこの作品が一時のよすがとなって、あなたの中の絶望に、あなたが殺されませんように。
「あの結末は仮想の敗北であり現実の追認だと感じる」とか「VRおじさんも結局現実に会いにいっちゃったじゃん」といったブコメを見たけどそれはさすがに無体な読みだろう。まあ確かに、アバターは宇宙の果てで心中して、中身は現実で生きてるように見えなくもない。『ろりともだち』しつつ『レディ・プレイヤー1』してるように見えなくもない。でもナオキは、ホナミと過ごした日々を人生の糧にしなかったし、できなかった。ロスジェネ世代のどん詰まり方は、それに対する絶望は、そんなことぐらいでどうにか出来るほど生易しいもんじゃない。VRおじさんが恋をしようが99%閉じてしまった人生はひっくり返らない。「レディ・プレイヤーワンはロスジェネを救えない」。みんなもう諦めてしまっている。できるのは一瞬でも夢を見て、現実から目をそらして、痛みを忘れることくらい。その繰り返し。だってキラキラした未来なんて人生のどこをひっくり返しても出てきやしないんだもん。しょうがないさ、それで。
この作品も読み捨てられ、忘れられ、ネットの海に沈む。きっとそんなもんだろう、現実ってのはさ。まあ、それでも生きてる。急速に閉じていく現実に希望を失いながら、何とか目をそらしながら、今日も壁の前で右往左往する。いつかこの心臓が止まるまで。
ひところエロファンタジーの、オークが美女を凌辱する定番を逆手とったギャグが流行ったじゃん。
種族が違うから美的感覚がぜんぜん違う。人間やエルフの女なんてぜんぜんよくない。襲うわけないじゃん。誤解されて困るわ。
みたいな。
でも、ネットで日本人の白人コンプの話をすると「コンプレックスじゃない。客観的に日本人より白人のほうが美しい人種だ!」って反論が必ず来るんだよ。
日本人で、白人のほうが美しいという美的感覚をもつ人が少なからずいるんだから、オークが人間やエルフをエロいと感じてもぜんぜんおかしくはないよな。
自身の謎イデオロギーに沿って、謎議論をしたいだけなんだよなぁ・・・
なのでそれ海外ニュースでやってましたよ、公開情報としてありますよも
あまり褒めたらアレじゃないよ
楽しい遊びなんだろうけどね
anond:20200220115929 anond:20200220142634 >おそらくインフル以上に感染力あるってさ@CNN
anond:20200220122620 anond:20200221112814 anond:20200221113836 >船内の映像は普通に乗客たちが撮ってたので観れる=誰でもわかるぞ。ただ日本の報道も対応機関も状況について説明はしないが基本スタンスなので見た状況を伝えること自体は意味のあることだった。しかし普段から140文字でやりたい放題なのとケンカ腰なのがね。FBから参戦してきた反対側も同罪。税金でリアリティショー見せてくれなくてもいいぞ。今後どうするかでしょ?大事なのは
anond:20200220130301 140文字で承認欲求を満たさんとしていたのが危機管理を高める方法だったのですね。わかります
セカイ系は2000年代前半にブームだったけど、実のところ作品のブームじゃなくて評論のブームだったから、「あの作品はセカイ系だ!」って決めつけてキャッキャしている奴らがいただけで、ブームとしての実態はなかった(いちおうそのセカイ系論壇のなかで重要な作品というと「イリヤの空」と「戯言シリーズ」が挙がるだろう)。
その前の1990年代後半はスレイヤーズやオーフェンあたりのファンタジーがまだまだ人気あった頃だな。
そんで2000年代前半は異能バトルのブームだった。1998年のブギポが転換点と言われてるけど、本格化したのは2002年のシャナからで、電撃文庫あたりが続けざまに「普通の学生が異能者たちの秘密の戦いに巻き込まれる」みたいな作品を出していた。その一つの成果が2004年の禁書目録。とはいえ今のなろう系ブームみたいなのを想像するのは間違っていて、「なんとなく異能バトルの人気があるかな」程度の話。市場自体も小さかったしね。
2004年にライトノベル解説本が続々と出た時期があって(ライトノベル完全読本とかこのライトノベルがすごいとか)、それで「ライトノベル」という俗称が一般に広まっていったんだよね。それまでは2chで使われてたくらいで(板名がライトノベル板だったから)、出版社や書店はティーンズ文庫とかヤングアダルトとかいろいろな名前で呼んでたわけだ。
そんで2005年ごろからアニメ業界が深夜帯に完全移行していくようになって、制作本数が急激に増えていったことで、原作ソースとしてラノベが注目されるようになった。
そこで大ブレイクしたのが2006年のアニメハルヒ。これで爆発的にラノベ業界の知名度が高まって「いまラノベが熱い」みたいな空気になっていった。雑誌や各種ニュースサイト、果てはテレビでもラノベが特集されたりしてね。
そんな感じで2000年代前半に刊行されたバトル系のラノベが00年代後半に続々とアニメ化されていったんだけど、ラノベのほうではそのちょっと前の2005年ごろからMF文庫Jを中心に萌えラブコメが流行りはじめていた。流行といっても、やはり「なんとなくラブコメの勢いがあるな」くらいのもんだけどな(ひらがな四文字系はこの時期がいちばん多かったかな)。
2009年のはがないと、そのインスパイア元である2008年の生徒会の一存から、増田が言う部活ハーレムが全盛期を迎えていくんだけど、生徒会の一存はコンセプトが「萌え4コマをラノベにする」だったから、実はハルヒよりも、そのあとにやってた「らきすた」などの萌え4コマアニメブームの影響が強いんだよね。これに同じく2008年の俺妹を加えたあたりがラブコメ勢の代表格かな。
そして2009年のSAOからWeb小説時代が幕を開けるわけだけど、このブームはまあ異能バトルブームやラブコメブームとは比較にならないくらい規模が大きかった。
というわけで2010年以降はこっちを読んでくれ。
別に異世界転生でなくても、時代物とかファンタジーでその辺どうなってんだ?と思う事はある
あと現代ものも含めて、捕まって監禁されてるシーンでのトイレ問題
単独ヒロイン全盛の中、複数ヒロインラブコメのトップランナーとしてアニメ化まで辿り着いた五等分の花嫁とぼくたちは勉強ができないがクライマックスを迎えようとしています。
最終回が間近に迫る中で当然主人公が心に決めた相手が明かされるわけですが、ラブコメ炎上の歴史をなぞるかのごとくこの2作もまた荒れに荒れています。
直近でいえばニセコイが記憶に新しいところですが、人気のあるラブコメの終盤というのは必ず荒れます。ネットのない時代は荒れる場所もなかったでしょうが、いちご100%もスクールランブルも神のみぞ知るセカイも政宗くんのリベンジも俺妹も荒れに荒れています。ハヤテのようにグダグダにならない限り、ラブコメの終盤は荒れるのです。
荒れる原因として愉快犯による煽りがあることは間違いありませんが、決してそれだけではありません。選ばれなかったヒロインを推していた読者が展開批判をすることも多いのです。
そのような方々は結論はいいけど展開が雑とか物語としてダメとか言って批判していますが、まあほとんど戯言です。本人の中では完全に正しい批判をしていることになっていますが、要は好きなヒロインが選ばれなくて腹が立つということを、客観的にこの展開はおかしいから俺は批判しているのだと装っているだけです。
かくいう私も政宗くんのリベンジでは師匠派ですが、終盤の展開は酷いと思いますし客観的にも正しいと思っています。批判者の主観では完全に正しいのですが、同じような展開でも推しヒロインが主人公と結ばれていれば批判はしないはずです。同じ作品の違うところを見て俺は正しいと思いあっているわけです。不毛ですね。
このように荒れてしまうのは「愉快犯による煽り」と「自分は正しいと信じる読者の展開批判」の2つが主なものです。
愉快犯による煽りはどうしようもありませんが、ではなぜ読者からこのような批判が起きて、ラブコメの終盤は荒れてしまうのでしょうか。
結論から言えば、他の多くのジャンルと違い、ラブコメは結果が重要だからです。過程は重要ではないのです。
他の多くのジャンルでは重要なのは過程です。結果は重要ではありません。
読者はルフィがワンピースを見つけることを知っています。コナンや金田一は犯人を捕まえますし、信と政は中華を統一します。結果はわかっていてもその過程を楽しむのです。
スポーツなどのジャンルでは一番になるとは限りませんが、目標に向けて努力する過程で何かしらの目標を達成します。結果が明確にわからなくとも、目標を達成する以上、過程に価値があることに変わりはありません。
またスポーツなどの勝ち負けはあくまでその時点のもので、将来的にどうなるかわからないという想像の余地があります。
もちろんこれらのジャンルにも例外はありますが、概ね結果自体は想像の範囲内に収まることが多く、その過程を楽しむためにあるのです。
なお単独ヒロインのラブコメも過程を楽しむものになります。そのヒロインと結ばれることはわかっているので、どう結ばれるのかを楽しむのです。
一方、複数ヒロインのラブコメは違います。このラブコメにおける過程とは女の子の魅力を見せるためのものであり、主人公とヒロインが結ばれる道筋を描くものです。
展開が雑という批判はほとんど戯言と言いましたが、これが展開が雑と言われる余地を生む理由の一つでもあります。ラブコメの特性上、ヒロインを明らかに決め打ちして描くような方法は許されません。どのヒロインと結ばれてもおかしくないような過程を書くわけですから、特定のヒロインのイベントだけに着目していた読者にとって、そのヒロイン以外と結ばれる結末は「雑」と写ってしまうわけです。
ラブコメ読者の多くは推しヒロイン以外のイベントは推しヒロインのそれと比べて軽いものとみなしてしまいます。恋は盲目なのです。だから同じような展開でも推しヒロインと結ばれれば「雑」と思わないし、推しヒロイン以外であれば「雑」と思ってしまうのです。
またラブコメ特有の課題として、将来を想像する余地がないということもあります。様々な事件を経て結ばれた恋人同士が将来別れたとなっては興ざめですから当然です。どんな読者もこれだけは許しません。ですから将来どうなるかわからないという想像の余地はないわけですね。
他にラブコメの炎上が激しくなる理由としては、ラブコメの批判が内向きになることにあります。
バトルやスポーツでは勝ち負けは敵と仲間の間に生まれるものですが、ラブコメではそれまで仲良くしていた少女同士の中で生まれるものです。つまり勝ち負けによる批判が外向きではなく内向きに起こるわけです。コミュニティ内で好きなものを批判するわけですから当然反発も酷くなります。
このようなラブコメが荒れる理由はラブコメがラブコメである以上避けて通れないものです。構造上の問題であって個々の作品の問題ではありません。あれほどちひろを選ぶ理由を積み上げてきた神のみですら荒れるのです。避けて通る方法はほぼありません。
多くのジャンルは結果(目標を達成するということ)がわかっていて、過程(目標を達成する手段、努力)を楽しむものです。
一方ラブコメは過程(ヒロインが魅力的であるということ)がわかっていて、結果(どのヒロインが結ばれるか)を楽しみにするものです。どちらも未知のものを楽しむわけですね。
ですがこの楽しむものが違うことも荒れやすい原因との一つです。読者が期待を裏切られるタイミングが違うのです。
多くのジャンルで未知なものは結果ではなく過程ですから、つまらない過程になればその度期待を裏切られたと感じます。読者によってつまらないと感じるタイミングは違いますから、不満が出るタイミングも読者によって違います。不満があっても分散されるのです。それにこの後また面白くなるかもしれないと思えば今後に期待を持つことも出来ますので、直ちに不満が爆発することもありません。
ラブコメで未知なものは結果ですから、結果が出た段階で一斉に期待を裏切られます。不満が出るタイミングがどの読者でも同じなのです。そのため不満が余計に重なりやすく、また結果が出てしまった以上、今後に期待を持つことすら出来ません。不満が爆発してしまうのです。
これもまたラブコメがラブコメである以上避けて通ることができない構造上の問題です。途中で付き合ってイチャイチャし始めてからも続くのはもはやジャンルが違います。格闘マンガから異世界ファンタジーになったタカヤと同じレベルですから読者はついてこれません。
このように何かと炎上しやすい構造にあるラブコメですが、しかしそれもまたラブコメの良さなのです。
昨今のネットで炎上するのは大抵が政治や不正や犯罪です。負の話題です。そんな中で作品の内容そのもので盛り上がることができるようなジャンルがどれほどあるでしょうか。
個々の作品で盛り上がるものは少なからずありますが、ラブコメほど盛り上がりやすいジャンルはありません。ファンの熱量がどんなジャンルより高いのです。
推しが結ばれたことに歓喜する読者、推しの美しい失恋に涙する読者、推しが選ばれなかったことに納得行かず不満を吐き出す読者。ラブコメのクライマックス時期のネットには、喜怒哀楽の感情が吐き出されるラブコメ特有の熱量があります。このライブ感を感じることもラブコメの醍醐味の一つのように思っています。
ラブコメで好きなヒロインが結ばれれば最高ですが、そうでなくとも素晴らしいものです。
鶫の泣きながら思いを吐露するシーンも、西野の懸垂告白も、八雲の悟った瞬間も、ちひろの頬を染めながら茶でも行かんと誘うところも、吉乃が覚悟しながらもキスをしたことも、桐乃が素直になってはいと答えるところも全てが素晴らしいのです。
単独ヒロインもののお互いが結ばれるまでも見守る優しい空間も良いものですが、やはり感情が大きく揺さぶられる複数ヒロインものが好きなのです。
比較的移行の遅かったラノベ界でも単独ヒロインものが増加しており単独ヒロイン全盛の流れは続いています。
しかしながらカッコウの許嫁のように次世代の芽も生まれています。漫画に比べると影の薄いラノベ界にも幼馴染が絶対に負けないラブコメなど複数ヒロインの人気作が現れてきています。
今更だけれど思ったこと書くね。
エンタメに飽きたら、世界史の勉強をするのがいいんじゃないかな。
この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクターの物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。
それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分も全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート系映画は脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから。
で、この増田は勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。
自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界の歴史」シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。
世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別に、そもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。
それと、このシリーズは、歴史と地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事が複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッドの破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。
それの何が面白いかっていうと、同じ出来事が見方によって評価が全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンはモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハやフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史のシリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴルを担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴルの残酷な行為が若干省かれちゃっているのが難点。
これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言が矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分も現在起こっている日本と中国・韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱に燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。
話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数の物語を併存させておくことで、自然と物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田で表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見を絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆のメンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。
それに、複数の見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史の見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい。
他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい。古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいいものだ。科学や医学の歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分の生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアやインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性の地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。
それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分の歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシア・ローマの歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国の歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマドの時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分がイスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。
あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い。自分が古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれているか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。
自分は通勤時間と昼休みにしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかにも楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。
社会だとかくだらないこと、挙句の果てに他人にそれを押し付けるんじゃなくて、各々が幸せになれる道を選ぶべきでしょ。
一番最初に戻るが、前澤が一体何の事業に出資するのか知らんが、あいつから出資してもらってその事業うまくいくイメージ持てるかね?
技術も一切わからないし理解もしないし成金ゆえの傲慢さと無理強いが効くだろうという押しつけでぼろぼろになってぽい。じゃね?
あとさ、一億総中流なんてファンタジーもう消えてるでしょ。それに加えて、世の中はとにかく残酷で危ない道を歩んで弱い立場になればボロボロにされるというのを理解してきたから起業なんかしないんじゃね。正しいけど。
なるほどな。そういう事例が増えると懸念してるのな。または、そういう事例に囲まれてるのか?
君が50以上なら何も思わない。君の言う通りかもな。
(20-40くらいなら、タフさのが大事じゃね?と呼びかけてしまうが)
年齢等によって違う、、、、ねぇ。じゃあ、君神社の屋台で焼きそば焼いていましたってやつ雇うの?
それでも、儲けて継続している分どちらかといえば勝ち組の方の起業よ?
まあ、すぐ儲かることができりゃいいけどさぁ。そんなんで生まれるのは神社の屋台で焼きそば焼いてる奴らばっかだっての。儲かりゃ幸せだろうけどね。嫌なやつも切りやすいし。
たまたまAmazonでオススメされて買ってみた、ヨネダコウ『囀る鳥は羽ばたかない』が面白かった。
それでいろいろBL系の漫画を読んでみたら、好きなor苦手なジャンルやシチュエーションが徐々に分かってきた。
・ノンケの人が最初むちゃくちゃいやがっているのを無理矢理…みたいなのは苦手
・もともとLiquidなセクシュアリティ(あるいはそもそも恋愛に興味が薄い)人が相手と出会って恋をする、それがたまた同姓だった、みたいのはOK(というか好き)
・過度なギャグ要素は苦手
・カップルの一方が過度にフェミニン、というか幼児体型?みたいに見えるのは苦手
・主人公だけじゃ無く、サブキャラクターの造形がしっかりしているのが好き
『囀る鳥は羽ばたかない』以外だと、市川けい『ブルースカイコンプレックス』が良かったです。
他にもオススメがあったら教えてください。(あるいはこういうキーワードで検索すると良い、など)
【追記・お返事】
レスくれたかた、ありがとうございます!紹介されたやつ試してみます。
プロレスラーみたいな筋肉モリモリのやつは少し苦手のようです。
あと、その後気づいたのは、SFやファンタジー要素が強いものよりは、現実世界・日常に近い設定のほうが好みかもしれません。
「恋がいつまでもはじまらないまま同棲してて、今おもえば通じ合ってたなぁ」のやつがかなり気になるので詳細を教えていただければ嬉しいです!
ソムリエの皆様ありがとうございます。挙げてくださったものをメモ・試し読みリンク
・ラムスプリンガの情景 https://www.cmoa.jp/title/150187/
・Q3 https://comic.k-manga.jp/title/19185/pv
・アイツの大本命 https://www.cmoa.jp/title/23140/
・東京心中 https://www.cmoa.jp/title/104553/
・雷神とリーマン https://www.cmoa.jp/title/103896/
・めぐみとつぐみ https://www.cmoa.jp/title/157036/
・ギヴン https://www.cmoa.jp/title/92972/
俺は確実に1,2ヶ月中に日本が武漢を超える大地獄になると思ってる
家族に長期間の非常食とかゴーグルを送ってやろうとすると俺が陰謀論にとりつかれた統合失調症患者かのように頭おかしい扱いをされてる
リモートワークの体制を整えるよう至急進めてるが、社長はあまり乗り気じゃないようだ 俺は休職を決めた。
「過剰に心配しすぎるのはよくないよ」「テレビではちょっと強いインフル程度って言ってたよ」マジで意味がわからない
この人達は何をどう考えて楽観視してるんだ?いや、この先何がどうなると思ってるんだ?
これが武漢人にしか効かないファンタジーウイルスだと思ってるのか?
未だに中国人観光客を受け入れ続けてるほぼノーガードなお粗末な水際対策がうまく行ってると思ってるのか?
致死率1%以下の疫病であの中国があんななりふり構わない行動を取ると思ってるのか?
日本の医療機関がこの感染力と致死率の疫病の患者をさばききれると思ってるのか?
武漢の人たちの声が聞こえてきてないのか?
各国に国交断絶されて物流が止まり飢餓に苦しむ人たちが大勢でてくるかもしれない
大恐慌になるかもしれない、ハイパーインフレになって円がゴミになるかもしれない
日本だけで何十万、いや何百万人死ぬかわからない、大切な家族ともう会えなくなるかもしれない
あと1,2ヶ月程度で日本がそんな最悪の地獄になるのに、なんでそんな楽観的に思えるんだ?
パニックになっても仕方がないにせよ、今からでもとれる対策はあるだろうに
北京は今厳戒態勢だ。防げるか防げないかはわからないけど、国民一人ひとりが強い意志を持って戦おうとしている
武漢のように医療体制が大きく崩壊しなければ死者数はかなりましになるかもしれない。
本来はこうあるべきだろ
原因はわかってるんだよね、こういうのを啓蒙するのって本来だったら厚労省とか政府だろ?
そんなに国民を殺したいのか?
だって、世界観を理解できなきゃ持たないような違和感だからな。
ゴブリンより高度な知性を持っていて、人語を話せて、意思疎通可能だけど敵対的な悪の勢力が当たり前に存在する世界だろ。
作中でもそいつらの方が重要なのに、ゴブリンにだけ拘ってるゴブスレが異常だと明示されてるし、実際に描写されてるわけ、オーガとか邪教の連中とかな。
普通のファンタジーならそういう勢力を相手にどんどん敵のランクが上がっていくところを、あえてゴブリンをメインモンスターにし、盛り上がらなさそうなコンセプトにも関わらず、手を変え品を変えシチュエーションや道具に凝ったり理由や設定で説得力を肉付けしたりで持たせてる作品なの。作者の意図を読み取るならまずその趣向が理解できないと話にならない。
善良なゴブリン問題のようになっているのは単純に読者のリテラシーが低いのが原因だからネットならバカにされて当然だろうね。
じゃあ、リテラシーの高い読者はどう読んでるのかというと「ゴブリンは弱くて重視されない敵って設定なのに、ゴブスレ読んでるとチャンピオンなどが出てきて、すごく強い種族に見える」なんてツッコミを入れながら楽しんでるよ。この差、ゴブリン脳のお前にわかるか?