はてなキーワード: ファンタジーとは
あのさ
長いレジのレシート24メートルを頭にくくってそれが垂れ下がって地面に触れないようにして走る訓練をしようと思ったけど辞めました。
それ忍者ハットリ君のやつ!って霜降り明星さんの言うようにするところまでが遠足です!って
話変わるけど
お友だちにね、
作曲はしないのか?って聞かれたんだけど、
作曲ってなんか恥ずかしくない?自分の作文読まれてる感じがして私はちょっと恥ずかしいのよね。
恥ずかしいわ。
どっちかって言われたら私は長いレジのレシートを頭にくくって走ることを選ぶことを誓うわ。
そんな選手宣誓ばりの朝の私の主張を言ったところで、
あれは一向にペーパーレスにならないわよね。
レシート入らなくなるし
その詳細は本人は分からなくて、
献立考えるのも楽になるし、
アレイ使ったっけ?って
アイツの頭を鉄アレイで殴った日も覚えてくれてるはずよ!って違う違う
し、し、しれ、しる、しれ、しよ!
もうこれ何回も言ってるけど
いっぴき、にひき、さんびきの
ひき、ぴき、びきをどの数字に付けたら良いのか分からなさすぎて
そこ萌えるわ。
なんかこれ萌えるって使い方あってるかしら?そう思いながら、
花言葉を覚えるんだけど、
秋の花よね!知ってた?って事務所の人に言われたんだけど、
その知識みんな知ってるんじゃない?ってドヤ風吹かせたところで
ふわっさーって私の髪も靡かせることは一切無いからね!
分かってるのかしら?
あ!そうそう
そのドヤ風でレシートぐらいは靡かせることができるでしょ?って
無理矢理繋げてみたら全部の伏線を回収する
私はこれを書き上げたら延々と続くサーガというゲームをマウントヘッドディスプレイをしてプレイし続ける
これって人類にとってのユートピアなのかディストピアなのか分からないけど、
窓枠が空いたようなバケツを頭に被って、
頭が360度ぐるぐる回ってる!ってやってる手品師の人たちは少なくともナポレオンズさんだと言うことは。
そっと閉じておく私のファンタジー物語の締めくくりにはとてもふさわしい演出よね。
膝の左右が入れ替わるマジックも、
うふふ。
今日もなんか出掛けるらしいので、
しっかり食べておかない戸という意味も含めて、
私は平気!
私も粉末緑茶チャレンジしてみたい人体実験を試みたく健康に良いのかしらね?って思いつつ、
実際にはどうなのかしらね?
自分の身をもって体験したことじゃないとってアインシュタインさんがいってたもんね!
やってみようかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
Patreonの一件を見ていてふと思い出したので。
これね。
【#PatreonIsRacist】 Patreon、アニメ顔は体格関係なく未成年扱い。Google Driveまで監視。
https://togetter.com/li/1480967
フェミニストにしてもLGBTにしてもポリコレにしてもリベラルにしてもそうだけど、この手の規制を推進する連中って気に入らないモノを潰そうとするのに失敗したら、次は乗っ取ろうして来るのは常套手段だよねと見ていて思うのよね。
昨今でも日本においても赤十字の一件やJAの一件辺りが記憶に新しいし、集英社辺りのフェミニスト漫画の要求や赤十字の一件の急な掌返しを見ても良く判る事だと思う。
そしてこの手の連中の要求に応じても往々にして碌な事にならないのはPatreonとかの一件を見ても良く判るはず。
Patreonにしてもお気持ちに配慮した結果、今やレイシスト呼ばわりされ出し資金面で悲鳴を上げだしたし、このSCPにしてもLGBTに配慮した結果分裂を招いたし、ポリコレやフェミニスト、LGBT等の要求に答え続けているディズニーやハリウッドのクオリティの低下の惨状をみてもどういう事か良く判るはずだ。
何故作品が下らなくなるかについてはまず思想ありきで作品を作る事になってしまうから。
そしてフェミニストにしてもポリコレにしてもクレームをつけるだけで客になりえないのは様々な騒動を見ていても良く判る事だ。
彼等の言う広く浅く受ける作品を作る事は面白い作品を作れなくする事を意味する。
本来なら一部の深く狭くの人向けに作るのが正解で、それがたまたま世間でもヒットするパターンの方が遥かに多いのは事実なのだけどね。
つーか、SFにしろ時代劇にしろファンタジーにしろホラーにしろ、元は一部のディープな一部の層で好まれていた代物な訳だったんだし。
それこそ少し前に世間様向けで受けていたパヤオさんにしてもナウシカなんて当時は深く狭くの域だったんだし、ドラえもんの作者も火の鳥のあの人も深く狭くの作品を割と多く書いていたわけだしねぇ。
趣味嗜好なんて人それぞれであり、万人向けなんて夢もまた夢な訳だからね。
特化した方が良い結果を招く事も多いのは事実だと思うけどね。
他人の好みにフェミ面でケチつけておきながら自分が同じことされた途端「あれはファンタジーだから」みたいにトンズラこくのは単純にダサいと思うが
アライ面までしようとするのだけは本当の本当に理解ができない
ファンタジー系のゲームやってると鞘への軽視みたいなものが見てとれて悲しい
背中に背負ったデカイ剣を抜き差しする時は当たり前のように刃が鞘をすりぬけるし、台座に刺さった伝説の剣を抜くといつの間にか鞘がついてきてる そもそも描写すらされない作品もまあある
普段は鞘に収まってて姿を見せない刃が、いざという時に抜き放たれるからこそ輝くわけじゃないですか 大事ですよ鞘
評判悪いし確かに面白かった記憶はないけど木を削って鞘を作ってるシーンがあってそこだけすごい覚えてるんだよな 鞘を大切にしてる!と思って…
基本的に剣は抜き身で持ってるのにキチンと鞘まで作っててえらい でも抜き方は雑
武器に合った鞘のグラフィックが作られてるのはいいけど、剣だけ拾って鞘が無から現れるのは納得いかない 特にマスターソードなんて演出付きで手に入れるのに鞘に一切触れないからな
やったことないけど、主人公くんが戦う前に鞘を投げ捨てる演出が多いらしい 珍しくスポットライトが当たる感じで好ましい
これも剣身だけ拾って鞘が無から現れるのでダメ しかもアイテムをぐるぐる回してじっくり見られるモードで鞘は映されすらしない
NTRというジャンルの醍醐味をいままでイマイチ理解できなかったのだが、最近数作品読んでみて、とある共通点があることに気がついた。寝取られるヒロインの彼氏の描かれ方がみな同じ、真面目で正しく、見た目も悪くないイケメンで努力家なのだが、彼女に手を出さないためにブサイクなおじさんに彼女を寝取られてしまうのだ。この共通した展開と描かれ方からNTRというジャンルは真面目な男性像をバカにすることが一つの楽しみ方として成り立っているのではと結論づけ始めている。時には彼氏の側にも非があったかのように描くことで話の流れを正当化しようとしたりもする。
現実に真面目な彼氏よりもKKOおじさんのチンコを選ぶ女性など見た目も内面もロクな女な訳ないのだが、NTRというジャンルでは見た目だけでも清純な美少女として描くことができる。だからsexさえうまければ、こんな可愛い娘がイケメンな彼氏を蹴ってまで貴方を選んでくれますよという夢を見させてくれるのだ。
NTR全部がイケメン彼氏がおっさんに彼女を寝取られる展開というわけではないのだが、割とよく見るので彼氏の男性性を馬鹿にすることもこのジャンルの醍醐味なんだろうなと思っている。
バズりたくてバズりたくて、
時事ネタを調べたり、
お涙頂戴を入れてみたりとあらゆることをやっても
言及0
ブクマ0
いう事を何度も経験した。
頑張って書いた増田が流れないようにトラバで自演してみたりしても反応が無いことも星の数ほどある。
俺のブクマだけが寂しくポツンとついていてこっそり外した事もある。
逆にちょろっと書いた愚痴とか体験談が翌朝にブクマされてる事もある
で、一つ分かったのは100%の作り話はほぼバズらない。
50%嘘もほぼ無理。
これ。実話にちょいと誇張、脚色を入れてあげる。
二つ合わさったときに実話のリアリティとフィクションのファンタジー感が共鳴して最強になる。
やっとたどり着いた。俺の勝ちだ!
今年は俺の年だ!
その答えをずーっと求め続けているのが、ミステリという界隈なのだと思う。
新たな証拠によって前の推理が否定され、新しい推理が発表される。
でもそれも次の証拠によって覆される。
そしたら真相ってのは何なんだ。どうしたらそれが真相とわかるのだ。
本格推理には「読者への挑戦」がないと成り立たないという人もいる。
要するにミステリは作者と読者の戦いで、フェアな戦いにはルールが必要なのだ。
読者への挑戦はそれを保証する。
或る頁において、ここまでに集めた証拠で謎は解けますよ、これ以上の証拠は出ませんよと宣言するのだ。
でもそんな作者と読者の戦いに巻き込まれる作中人物はたまったものではない。
ミステリは戦いである前に小説の一ジャンルだ。小説は作中人物が織りなすものであり、物語であるのだ。ドラマが作中で完結していなければならない。
読者は読者への挑戦を読めるかもしれないが、探偵は読めない。じゃあなんで探偵はそれが真相だと理解できた?
ここで探偵は「一人の人間」であるのか、それともただの「舞台装置」に過ぎないのかという話が出てくる。
初めのうちの探偵はだいたい舞台装置だったが、最近は探偵だってただの人間だというスタイルが増えている。
じゃあ何のために推理しているのか、推理とは何で探偵とは何なのか。そういう議論があった。
この辺の話をだいたい煮詰めたのが「後期クイーン的問題」である。
クイーンより前からこのような話の萌芽は山ほどあったのだが、クイーンがそれを明確に作中に表してしまったのだ。
で、日本人は後期クイーン的問題が大好きなもんだから、多くの作家はある程度その辺の話を意識している。
その解決は多くの場合、「この推理があってるとは限らないけど最も妥当性が高いよねー」みたいな感じになっていった。
日常の謎や安楽椅子ものではそのまま終わることも多いし、もっと重大な事件なんかではここから先は公的権力がしっかり調べるからねーみたいな感じで探偵は身を引いたりする。
ところがそれがもうちょっと洗練されたのが割と最近の話で、「聴衆を納得させるのが探偵の役割だ」みたいなテイストの台詞が妙に増えた気がしてる。
つまり、合っているか合っていないかは聴衆が決める。その基準は「納得」であって、「真実」ではない。
もっと言うと、この聴衆はある特定の一人なんていうこともある。『氷菓』では、折木が「必要なのは真実ではない、千反田が納得することだ」と何度もモノローグで述べている。
ラノベっぽかったり、化物語っぽかったり、一見ミステリではないようにも見える。
だが、ミステリ読みからしたら内容は日常の謎・ライトミステリ・ファンタジーミステリ・伝奇ミステリなど最近の傾向を取り込んだ「ザ・現代ミステリ」であるうえに、
上述の「聴衆の納得するものが、探偵のしなければならない推理だ」を構造の中に入れてしまっている(聴衆が怪異の仕業だと思えば怪異が活性化し、物理的に可能だと納得すれば怪異が消える)
のが如何にも凄い点だ。
真実も虚構、推理も虚構、でもちゃんとその骨格はミステリの流れを引き継いでいて、これがミステリでないならば、ミステリであるものなどない、と1ミステリ読みは思うよ。
ぶっちゃけると異世界関係の作品は飽き飽きしている。でも、やらないといけない。
こうした方がいいかもね、こういう表現が良いかもねって指示していくわけだけど、うんざり過ぎてどうしようもない。
あの系統の作品はみんな同じなんだよ。スタートが違うだけ。登場する名前が違うだけで中身はほとんど同じ。
なろう系で見つけては金になりそうって感じで本にしているんだけど、ほぼ9割が同じ。一番ひどいのは他作家の作風をそのままぶっ込んできているなろう作家。
どう指示してもどこからか拾ってきた内容を言葉だけ変えてるだけ。昨今はパクリですぐに炎上するっていうのに、本人は全然わからないと思っている。分かるよ。読者なめんな。編集なめんな。
上記の件もあって、よくわからない自信を持っているような子は、まず採用しない。たいがいどこかにパクリが混在している。
持ち込みや応募してくる子も質がどんどん落ちている。まずPCが使えない子。原稿を手書きで持ってくるのは良いんだけど、字が汚い。読めない。字を間違っている。その他etc
とにかく酷い。そして作風もどこかパクっている。さらにやっぱり異世界もの。お前もか。
ファンタジー作品はイコール異世界転生で、それがデフォルトって考えている作家のたまごが多いのは本当に驚いた。最初からファンタジー世界スタートは考えないんだな。
異世界転生で許されるのは、オリジナリティが存在しているのが前提だよ。
たとえば『この素晴らしい世界に祝福を!』はスタートが極めて間抜けなスタートだろう。乗り物に轢かれても居ないのに死んで転生というのは面白い発想だ。ああいう作品はね、まだ分かる。
と…いうよりかは、作家のたまごさんたちに言いたいんだが…なぜ『異世界転生』に拘るんだろうかな。転生しなくたって良いんだよ。
たとえば、ゲームソフトを起動させたらファンタジー世界に召喚されたでも良いわけだよ。ありがちな設定だけどね。
それなのになぜか異世界転生に拘るんだよね。『転生じゃないと駄目なのかい?』と質問したことがあったが流行りだからの回答だった。
そうだね、流行りだよね。それで量産するだけなんだね。そこにオリジナリティは存在しないんだよね。
流行りを自分で構築したいって考えの子は居ない。みんな、同じ内容の作品ばかりで応募してくる。
そろそろ異世界転生という都合の良いワードに甘えずに自分で考えてみようと思わないかな。
そうしないと受け取る側は『またか…』で目を通すのを止めてしまうんだ。
追記:
とりあえず月2-3冊でほそぼそとやってきた業界を月10冊とかやって その上であきたといわれても ちがうだろ
だからやりたくないんだよ。飽き飽きなんだ。次から次へと量産された作品を見てみると良い。うんざりするぞ。
すごい構図の写真を見てすごいなぁ絶景だなぁ芸術的だなぁって感動するけど
あっこれ合成でもスタントマンでもねぇやって気づいてヒュンってなる
まぁ侵入登頂出来るってことはおそらくプロスタントマンに準ずる活動をしている人だと推測されるので、
あとはその国々の法律にお任せするとして、
日本にもいるので欧米にいないわけがないとは思っていたけど、野生動物やレンタル動物とあんなにくっつけたらシャレにならないと思うんだ
明らかに光源や動物の体格サイズがおかしい微笑ましい合成写真もあるけど
これ合成と違うよな?ってのもチラホラ
これら全ての写真はフォトショッパーが本気を見せたもの!!野生動物やレンタル動物と濃厚接触したキッズたちはいなかった!!!それ含めてファンタジー!!!だといいけど
合成元にする写真もキッズらをどんだけ拘束したら撮れるの?って写真なのよね
ママパパが喜ぶから頑張ってるんだろうなって思うとすごく微妙な気持ち
欧米は日本と比べものにならないくらい子どもの権利が強い国じゃない?
でも都市部以外は底が見ないなって改めて思いました
んでそれを求めてるのも概ね似たような地味系女子
要はまだまだ皆婚文化で彼氏なし一生独身は肩身が狭い、でも男に興味持てないから
別にそんなことはないだろ。男である俺はセックスファンタジーを求める(ただしそれはフィクションであって実在のセックスや女性には求めない)から、女性がセックスファンタジーを求めることを否定しないって態度は、筋が通ってるわけで。フェミが喧嘩腰だからといって男の側も喧嘩腰になる必要はない。
上記にあるのはDnD3版系におけるファイアーボールの解説みたいだが、それにも絡んだ解説(ソース確認とかめんどいんで仮説ということにしておく)をしておく。
前提:元祖RPGであるDnDにおいて習得できる有益な範囲攻撃呪文の代表がファイアーボールであり、ここから広まった
ちなみに「火球」を習得できるのは魔法使い5Lvの時。ちょうど一端の冒険者として名が売れてくるLv帯であり、ここまできてようやく手に入る範囲攻撃呪文という点でもファイアーボールが重要かつ知名度の高い呪文となった原因の1つであろう。
仮説1:DnDに大きな影響を与えたジャック・ヴァンスの小説における描写の影響
ジャック・ヴァンスのファンタジー小説「終末期の赤い地球」はDnDの呪文システム及び命名則に大きな影響を与えたが、その中の呪文の1つ「無敵火炎放射術」の描写が元ネタとなった為。
(まあ無敵火炎放射術はファイアーボールというよりもメテオ・スウォームやマジックミサイルに近い気がする)
仮説2:DnDの原型であるミニチュアウォーゲーム「チェインメイル」における魔法使いユニットの影響
「チェインメイル」では「ドラゴン」「ヒーロー」「魔法使い」などのファンタジー的ユニットが追加ルールで登場したが、ここで魔法使いにマップ兵器ないし攻城兵器、つまり大砲のような役割を割り当てようとデザインしたのは想像に難くない。
ここで言うのは、知能が3歳児くらいで止まった人の事を言う。
でもこの「知能が三歳児」という所に注目して欲しい。
つまり誰しも、生まれた時は知的障碍者だったわけだ。そしてなぜ僕らが成長していくかと言えば、そっちの方が幸せだからだ。
三歳児にいつまでも居るのが幸せだったなら、たぶん全人類は3歳児で終わってると思う。
他人や自然からの厳しさから自己を守るため。そして生殖や学習、発展と言った人生のコンテンツを楽しむための知能。
障害者も僕らも、同じ人間だ。同じ人間だからこそ、三歳児で止まった知能を持つ人間は、他人に危害を加えないように施設に閉じ込められ、
外の世界を知らず、外の世界に出れば迷い不安になり、恐怖の目線で見つめられ、皆避けていく。
僕らや彼らの親も、心のどこかで「知的障碍者だから、そんな事は気にしないだろう」と思っているだろうが、
恐らく感じてるんじゃないか。「知能という檻」に閉じ込められて生き続けるのは、果たして幸せか。
足が無ければ、足に代わる何かを見つければ、成長しても幸せに生きる事が出来る。
でも今のところ、知能に代わる何かは存在しない。足が無い人に、義足や車いすが無かったら、彼らは行きたいところに行けず、トイレに行くだけでも這って行かなければならなかった。
いつも隣に人が居て自分の事を監視してもらわなければ、食事もトイレも難しいだろう。彼らが幸せになれるのは、「義足や車いすという、自分を補強する何か」があったからだ。
買おう思っているが、なんかモヤモヤする。
自分はリアルタイムにFF7を体験してはないので、発売当初の爆発的な盛り上がりがどうとかは知らない。
ただ、FF7をプレイしたとき、確実にファンタジーではあるがどこかリアリティのある世界観、物語を進めるほど人間性が浮き彫りになりどんどん魅力的になるキャラクター、何よりps1のチープな映像表現で(まぁ、発売当初は映像自体も高品質なものだったんだろうけど)ここまでワクワクさせられることがスゴイと思ったのだ。
そんなFF7が、映像が比べ物にならないくらいキレイになって戻ってくるのだ。
戦闘システムは変わってるっぽいなぁ。でも、マテリアのシステムは変えないで欲しいなぁ。
とか、なんか期待と不安がないまぜになってるけど、自分が一番怖いのは、
みんな期待もしてるけど、その期待が裏切られるのが怖くてそんなことを言っているのだと思う。
だが、自分が大好きなゲームのタイトルが発売元の崩壊の誘因になってほしくないのだ。
有名タイトルのリメイク版というのはとてもハードルが上がるし、多分イチャモンをつける人は少なからず出てくると思う。
なんやかんやで自分が一番望むのは、FF7リメイクどうか面白くあってくれ、という事。
頼む。
子供の頃、まだルールがシンプルだった遊戯王カードに比べ難解で、絵もかなり子供受けしない怖いものだったことを覚えている。また、英語で書かれたものも日本で多く出回っており、トモヤくんなどは「このカードにはこう書いてある」などと嘘を言って当時の俺や他の友達を騙し無双していた。
トモヤくんはよく卑怯な事をしたり動物を虐めたりするような奴だったので別に驚く事はない。
彼の和訳には当時から半信半疑だったが、さっきようやくそれが嘘だったという確信に変わった。あの時のカードを見つけたからだ。マジックザギャザリングの公式サイトに全てのカードが絵と文章付きで載ってある。その中から探し出した。俺もよく覚えていたと思う。トモヤくんに対し今更怒りはわかない。ただただスッキリしたというだけだ。
さて、サイト内の他のカードを見ていると、これがなかなか面白い。本格的なファンタジーの設定集を見ているようだ。昔はこの手の古典的なファンタジーに対する知識も興味も無かったが、今はとても面白く感じる。全部英語なのは残念だ。読めるが、やはり日本語で読みたい。それでもこれがただで見られるのはいい世の中だと思う。
FF7のリメイク発売が迫ってるわけだけど、なんかイケメンファンタジーになりすぎちゃって面白そうって気持ちが半減している。
かっこ悪くしろじゃなく、戦うという前提があるのだからもう少し泥臭さを表現しても良いと思うんだよな。
妙に小奇麗な格好したイケメンが苦戦しているようなシーンでも全然戦ったっていう小汚さが見られないから、マネキンが動いているようにしか見えないんだわ。
そこに頭部の長い召喚獣が追加され、イケメンファンタジーなのかギャグファンタジーなのかわからんようになってしまった。
今のFFは田舎臭さとかそういうものは全然無くて、ただひたすら綺麗なイケメンが戦うだけという緊迫感も何もなくなっているな。