はてなキーワード: クリティカルとは
ABCDEFG♪ HIJKLMN♪ OPQRSTU♪
で知ってる人は多いかもしれない。
私は小さい頃通ってたヤマハの教室と幼稚園でこうやって歌っていた。
正しくは
ABCDEFG♪ HIJKLMNOP♪ QRS♪ TUV♪ WX♪ YandZ♪...
と続く。youtubeでABC songと検索すればいくらでも出てくる。
非英語話者には、このLからが非常に歌いにくいので、教育上の配慮からNで一度切った歌詞が採用されたようだ。
オリジナルではなぜLからPまでいきなり圧縮されているかというと、韻を踏んでいるからである。
G(ジー)
P(ピー)
V(ヴィー)
Z(ズィー)
S(歌うとエー(ス))
X(歌うとエー(クス))
てな感じ。
だから、いくら歌いにくいんじゃ!という理由であっても、Nで区切ってしまうのは違和感がある。
むしろ、妙に日本語的な歌詞に作り変えることで、子供が英語っぽさみたいなものを知る機会を奪ってるとすら感じる。
クリティカルピリオド(MAXで15歳くらい)を超えていない小さな子どもなら
原曲の歌を何度も聞かせていれば、日本人の大人は少しむずかしい「LMNOP」だってすらっと歌えてしまうものである。
とあるゲームで日本上位に入ったので、大事な部分を書いておく。
知識と書いて、どの程度と思うかもしれないが、「その分野で公開されている情報のすべて」と思ってくれればいい。
ネットでその分野での著作や有名なサイトなんかは、すべて漁る。
そしてそこで公開されているものはすべて知っている状態にする。
この時点で、現状の上級者より知識が溢れていないとだめだ。(なぜ上級者でなくても上級者を超える知識が必要になるかは後述)
これだけが、中級者と上級者を分けている唯一の部分です。 ほとんどの人は、「ある程度の情報」を得ているだけで、「その分野全体を知っている」わけではなく、その情報の不平等性だけで、勝てます。
トップ10%になると、回りもかなり強いでしょう。
ここを抜けて、トップ1%になるには、これまで以上に大変になります。
なぜなら、「基本技を打っているだけでは勝てない」からです。
ここが味噌です。
上級者の基礎っていうのは、「その人自身が使うのにフィットした形」になった基礎であり、基礎という体をとったオリジナルになっています。
データーをとって、客観的に自分のどこが弱いのか、どこが強いのかを理解しましょう。 積極的に上級者の意見を聞きましょう。
そして、データーからてらした、自分の個性、不得意を埋めていき、「基礎的なワザ」の中で、自分にあったものを「工夫を込めてレベルを上げて」いきましょう。
ただ練習するだけではだめ、ただ上級者の意見を聞くだけでもだめ、ただデーターを見るだけではだめ。
人それぞれの体のつくりや思考の速度、得意不得意が違うので、どこで戦略で相手に差をつけられるのか? 相手もすべての基本技を使えるのに、どうやって差をつけるのか?
しかも、その「差」というのを、「基本技」で作るわけです。
「基本のレベルで絶対的な差を相手とつける」
基礎であるから、絶対に追いつけない差になり、基礎であるから、オリジナルが付けば絶対超えられません(それぞれの人が違うので、自分にあったオリジナルな工夫というのは、自分の体、脳みそ、心でしか使えないものだからです)
では、最後の話です。
これは、どの分野でも通じるわけではありませんが。 僕の競技人口が2000万人程度の競技では一応通じます。
これは、できるかどうかは運しだいな面もあります。
「相手に得意技を出させずに、弱点を突き続ける」
これです。
いうだけは簡単なのですが、対策をするしない、というだけで、かなり違います。
ですが、1つのクリティカルな弱点突きをするためには、何百回ものトライアル&エラーがあります。
それほど、「超上級者の弱点を突く」というのは難しいのです。
ですが、超上級者の中で、確実に回りに差をつけるのは、これしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20130703112311
ああ、なんか溜まってそうだね…。
おつかれさまです…。
まあ、でも愛されていたとしても、どういう状況だったとしても文句がなくなるということはないのではないかな。
文句がクリティカルでなくなるとか、
文句の頻度が減るとか、そういうことはあるだろうけれども。
あと、まあ、やっぱり一人がほんとに大好きなひとって少ないと思う。
たいてい、一人で専業主婦やってると、
「ダンナと自分」という狭い宇宙で生きていくはめになるから、十中八九、主婦にとって気に付くものといえば「ダンナの態度」オンリーになる。
だから、やっぱりオーソドックスに言うと、専業主婦で、一人の時間が多いというのは、
どこかで「ダンナ」以外の人間のつながりをもっていたほうがいい。
そうでないと、唯一の人間関係である「ダンナ」へと、全ての感情が蓄積する。
そういうわけで、嫁には嫁でコミュニティに属させるのがオススメ。
大学時代からの男友達と久々に連絡を取ったら嫁とセックスレスになっているらしく、内心クッソワロタと思いながら相談に乗った。
色々と下世話に突っ込んで聞くと、
こんなことをしているらしい。
アホか!老化をイジられてしたくなる女がどこに居るか!
鬼のごとく説教してやったらこんな言い訳を繰り出してきやがる。
はい来た。来ました。「俺なり」。
なぜ失敗してる方法を繰り返す。アホか?アホなんだな?
これを実行したところ、見事男友達はレス解消に成功したとのことです。
「愛情表現を素直に」が一番難しく、なかなか出来なかったらしいけど、まあそれでもレス解消できたわけで、よかったね。
ここでやっぱり一番問題なのは、イジってる側は愛情表現しているつもり、イジられる側はけなされてると感じて落ち込む、この食い違いだと思うのです。
そもそも「けなすことで愛情表現」というのが狂ってるように私には感じられるのですが、これは男友達のような奴に限らず、実は一部の女にも見られる行動。
ありがちなのが、オタ女界隈。好きなイケメン二次元キャラをボロックソにけなしながら「愛」と言い張ってるオタ女が、実はtwitterとかにいっぱいいます。
あとはヴィジュアル系界隈、ジャニーズ界隈、K-POP界隈なんかもそういう行動が見られる。愛情の対象をけなさずにはいられないファンの存在がある。
面長のメンバーに「馬」、歯茎の出たメンバーに「歯茎」、最年長のメンバーに「爺」なんてアダ名をつけて、ファン同士キャッキャ笑ってたりするんです。
それを彼女たちはメンバーへの愛情表現だと思ってる。言われた側は絶対嬉しくないと思うけどね。
こういう行いがオタ女界隈でメジャーなせいで、「けなし愛」なんて言葉も生まれています。私のすごく嫌いな言葉。
なぜ素直に美点を褒めるのではなく、けなして笑いものにする形で愛情を表明してしまうのか。
私には全く理解できないので分析不能ですが、きっと彼女たちをそうさせてしまう何かがあるのでしょう。
でもそれが相手に受け入れられるはず、とは思わないで欲しい。ぶっちゃけ、夫や彼氏に対して「けなし愛」をやったら、インポになってもおかしくないよ。
愛情表現をこじらせた事情もそれぞれにあるのかもしれないけど、パートナーとの関係を良いものにしたいのであれば、直せ!と。私はそう思います。
何もかも犠牲にする必要はないが、子どもという他人のやったことややれてないことを自分(や配偶者)がひっかぶらなきゃならないことはある。
ひっかぶるにあたって「自分」に合わせていたリソースの配分基準が変わらざるをえないとか、「子どもにリソースを割かない」という選択肢が多くの場合存在しない、ということはある。
割かなきゃならないリソースが自分にとってかなりクリティカルな部分のそれである場合もある。
面白くなってきたところなのに仕事を辞めなきゃならないとかそういう普通にヘヴィなものから、車で移動するときにはアニソンメドレーオンリーでジャズ聴けなくなったとかそういうちっちゃいかもしれないけど地味にキツいものもある。
でも子どもから逆にリソースをもらうこともある。かもしれない。
「これこれこういう感覚で居れば、子どもを持っても大丈夫!」みたいなのって無いと思う。
「子どもを持っても大丈夫と思ってるなら子どもを持っても大丈夫」みたいなところに帰結しそう。
ただ「子どもができたら変わる」ってのはあるかな。覚悟の問題というより単に体感が変わってくるのでマジになる。
想像は所詮経験のつぎはぎなんだから、経験するより先に想像を根拠にあらゆることを納得して覚悟しておこうとしても上手くは行かない。
(参入障壁が低い)低賃金(単純)労働市場しか雇用先は残りません
(新聞配達女子は、10代にして、下側に行ってしまったということです)。
上側は、参入障壁が高い分賃金も高いのですが、しかし雇用の絶対数が少ない。
下側は、参入障壁が低い分賃金も低いのですが、雇用の絶対数は多い。
一見すると、一長一短に見えるかもしれませんが、重大な側面を見落としてはいけないと思います。
そう「下側は、競争が極めて激しく、世界中の労働者がライバルとなる」という事実をです。
都内のコンビニや居酒屋の店員はほとんどが外国人になっていますが、その領域がどんどん拡大すると思ってください。
で、俺が「脱社畜のブログ」を見るたんびに思うのが、まさにこれな訳。「脱社畜したサラリーマン」が「(参入障壁が高い)成長産業市場」にほんとうにいけますか? ってはなし。断言しても良いけれど、日本のサラリーマンの8割は、そっちにいけないよ。
上の文章では、「(参入障壁が低い)低賃金労働は競争が厳しい」みたいなことを書いてるけれど、「(参入障壁が高い)成長産業市場」だって別の意味で競争が激しくなることは予想に難くない。+いままでよりもそっちに行きたい人が増えるんだから、ハードルがあがる。そう、まさにその「行きたい人が増えて、ハードルがあがる」という時点で、キツイと思うよ。
何らかの技術を身につけるってのは「(参入障壁が高い)成長産業市場」にいくための手段なんだ。そんでもって「(ほぼ自明である)手段を選べる」ってのは、これはもう、性格とか性向の問題。日本人は「毎日競争の中で生きる」ことに、あまりにも慣れていない。それは戦闘能力ではなく、むしろ、緊張感を持って生きるという、サバイバリティに近いものだよ。
いま、経済的に格差があるという現実、いわゆる格差社会問題というものがある。その事実は認める。それを解決したいと思う人が相当数いて、さまざまな側面から望まれているのは、判る。俺だって穏便にそれが解決されるのであれば、解決したいと思う。
しかし、この問題のポイントは、アホなやり方で解決しようとするとかえって格差が広がり、その格差問題を社会にまき散らかしてしまうことだと思うんだよ。経済的な格差をへたくそに解決しようとすれば、経済的な格差は社会のあちこちに飛び散り、より大きな問題になるだろう。さらに悪いことに、そのとき経済的な格差はさらに大きな毒を連れてくると思うよ。
「脱社畜のブログ」に頻繁に現れる「イノベーション」ね。経済雑誌にも良く登場する。あいつら本当に「イノベーション」なんて起こせると思ってるんだろうか? もちろん、確率的な問題で言えば、世界中でイノベーションは起きてるし、起き続けてるよ。絶え間ない改善だの革新だので世界は進んでいる。でも、まさに個人の問題として、本当に引き受けるつもり、あるのかな? たとえばある増田が「(参入障壁が高い)成長産業市場」になんとか潜り込むことが出来たとする。そこで言われる「さあ、イノベーションを起こして下さい。そしてこの会社の(企画の、プロジェクトの、業界の、部門の)生産性を150%にしてください」と。
断言する。それって、才能なんだ。8割以上の人間には「イノベーション」なんておこせない。
俺は幸いそういう業界にいたこともあるし、周辺で「イノベーション」が起きるのを見たことがある。自分でも小さいながらいくつかのそれに参加したよ。「イノベーション」ってのは、ざっくりいってしまうといま日本で考えられているいわゆるサラリーマンのする「仕事」じゃない。サラリーマンという身分の中で行う「クリエイターのデザインワーク」に近いものであり「政治的な構造改革」だったりする。その事実の重さを、「脱社畜のブログ」だのはどうにも茶化しているようにしか見えないんだよ。
話をがらっと変えるけれど、Pixivを見てみる。
この20年で「イラストを描く」という行為の敷居はぐっと下がった。パソコンによるデジタルな彩色なんかのと有情で、効果な消耗品である絵の具などはすっかり減ったし、なによりイラストSNSなどがこうやって大きくリュウセイし、人に見せる環境がととのって、ネットには教材が溢れた。日本の創作系の力は、全世界で見ても異常だよ金ももらってないアマチュアがこんなに上手で、しかもその数が莫大なんて、ちょっと珍しい。まぁ、それはいいとして、システムが整備され、敷居がすごく下がって、参入者が増えた。
で、そこに現れたのは、平等な楽園かというと、そんな事ないわけだよ。
創作系ってのは非常に無慈悲に出来る、出来ない、魅力のあるなしが峻別されてしまう。いまや、イラスト1枚書く障壁は神のように薄い。てもとにあるノートの切れ端に落書きをしてスマホで撮ってUpしてもいい。WinだのMacだのに標準付属してるようなお絵かきソフトをつかいマウスで20分でかいたのをUpしてもいい。事実「そんなもの」が大きな魅力を持って人気を集めるなんてままある。その一方で、Photoshopをはじめとしたン10万円のソフトを使っても、ブックマーク数1だの2だのって現実も同時に存在するんだ。
現れたのはこういう現実だ。
日本の労働環境は確かに劣悪かもしれない。むかつくかもしれない。ある種の地獄かもしれない。でも、それを壊したからってマシになるとは限らない。「社畜が自己弁護」とか「ブラック用語」と言われるかもしれないけれど、これが素直な感想だよ。ブラックで使われてる人たちの、少なくない割合は、ブラック企業に守られている。身体だの精神だのを切り売りさせられてるかもしれないけれど、少なくとも「俺は本当ならもっとクリエイティブですごい仕事が出来るんだ」という幻想は、守ってもらえている。「イシキタカイ系」の人たちは、その事実をもうちょっと考えた方が良いと思うぜ。
工場にしろ何にしろ、人一人働かせるには、場所や工具福利厚生、 一人あたりの固定費ってものはある。
一人あたりの労働量が高ければ高いほど、 固定費の価値は相対的に下がるんだよ。
言い方を逆にすれば、群体で見た時の競争力が下がるっていってるんだから、国際競争に負けて、社会がシュリンクするだろ。
あとは、すでに書いたけど、ミッションクリティカル(クリティカルパス上の作業)な作業でかつ、代替要員が十分に確保できない場合、これはクリティカルに効率が下がって競争力が無くなる。
ミッションクリティカルでないか、代替要員が確保できる現場なら問題ないが、この2条件が揃っている場合は、現状の社員が休みは取れない。
お前は反論なんてできないよ。できるならとっくにやってるはずだしw
シャドーボクシングってことにしたいみたいだけど話が逆でしょ。クリティカルだから困ってるんでしょ?
何気なく書いた増田記事から差別意識を暴かれちゃった、ホントは非常識な人間だってバレちゃった。さあたいへーん。
だけど全部自分で書いたことだから反論しようにも糸口がなくて、話を脱線させて誤魔化そうとするので精一杯。
大丈夫だよ、ここは増田だから。ヨソで言いさえしなけりゃお前がどんなに自分勝手で上から目線の不快な人間かなんてバレないよww
差別主義者の与太に割く時間はないからこれ以上のトラバは要らないよ。
どうせまともな内容じゃない。
いい子だから静かにしてなさい。
筆者は合同コンパ(a.k.a 合コン。普段は仕事に重きを置いた生活をする20代、30代が、視野と交友関係を広げるため、知人の紹介によって様々なバックグラウンドを持つ人々と交流する会合の総称。異業種交流会とも言われる)
に今年のGWに初めて参加し、それ以降2月に1度程度の頻度で同様の会合に参加してきた。幹事を務めたことさえある。
筆者は特にそこからMaking Affairできたことはいままでない。
それどころか合コンで知り合った人物と友人としての関係を築けたこともない。
言うまでもないが我々に残された時間は有限であり、今後すれ違うことのない出会いを繰り返すことに意味は無いし、もっと自分にとって大切な人々と過ごすほうがはるかに有益だ。(筆者友人の同僚談)
では筆者はなぜ合コンに参加するのか。それは未だ見ぬ素敵な出会いを求めるからであり、友人の紹介する人々はその友人の為人(ひととなり)によって担保されているからに他ならない。
先述した通り筆者は合コンに可能性を感じつつも、これまでコンパ時間を漫然と過ごしてきた。
「おれは...反省すると、強いぜ...」(音石明/ジョジョの奇妙な冒険)
筆者は合コンに臨む姿勢に至らない部分があるのではないかと反省している。
このエントリでは合コンで何を目指し、そのために具体的に何を達成すれよいかを明らかにし、今後の活動に反映させていきたい。
現状:
合コンは「会話」「お礼のメール」という2パートに大きく分けることができる。
思うに(あるいはこの主観にすでに間違いがあるのかもしれないが)、筆者がこれまで経験してきた合コンは会話自体は難なく続いている。
それなりに盛り上がっている状態だ。しかし、クリティカルな盛り上がりには欠ける。(ここで言うクリティカルとは「今後も交友関係を築きたい」と思えるほどの、という意である)
また、筆者は相手に対して合コンの「お礼のメール」を書くことが苦手だ。それはクリティカルな深さまで会話を掘ることができていないからではないだろうか。
目的:
男女関係もしくは今後「バントを打つ」土壌となる交友関係を構築する。
(「バントを打つ」とは次はその相手とともにさらなる合コンを開催することである。ある種の有限を無視すればねずみ算式に出会える計算になる)
戦略:
「お礼のメール」のための「会話」
お礼のメールの中で、次回の個人面談にもっともスムーズなかたちで進める文章を盛り込む。
ご存知の通り合コンの間に何かが始まることは稀で、多くの場合、その後の個人面談などによってことが進む。
そのための試金石となるのがこのお礼のメールである。お礼のメールでお互いの興味や共通点が合致した内容を盛り込むことで、その後の進展が期待できそうだ。
実行:
ありきたりで非常になさけないのだが、一言で表すと「きどにたてかし衣食住」に沿った会話となるだろう。または自分の得意な分野に引きずりこんでも良い。
き・・・季節
た・・・旅
て・・・天気
衣・・・衣類
食・・・食事
ここで注意すべきは漫然と会話するのではなく、常に共通項目を探し、次回につなげるアウトプット(お礼のメールにおける個人面談への誘い文句)を考えながら会話することだ。おそらくマイナーな趣味ほどハマるのではないだろうか。
また、相手がおよそどのような属性を持っており(出身、故郷、年齢層、職業...etc.)、どのような指向(趣味、興味、服装、性格が外交的か内向的か...etc.)などを類型分類しながら把握できると少ない情報から相手との共通項をより多く発見できるかもしれない。
・相当ゲーマーらしいですね。モンハンで今度温泉行きましょうよ。
反省:
補足:
もしお互いの共通点が全くない場合はどうしたらいいのか...!?
それはこの本が教えてくれるでしょう。旬やシチュエーションに合わせたデートを演出してくれるはずである。(まだ実践できていない以上エントリがまとまらないので付け足した冗談ですが、旬の食材や風物詩をきっかけに女性を誘い出す手法には目からうろこが落ちる。物語のちからを強く感じる一冊。)
女を求める欲求
仲間を求める欲求
女を遠ざけたい欲求
どれがメインかなんてのは結局その個人の切実なリアルに起因するものなんじゃないかな
「女性が共感しあう事を一番に行動する」ことを馬鹿にして男が仲間と共感しあったからといって
その男の全体の行動の中でそういう「仲間と悪口言い合って共感する」って活動が月の1%の時間すら費やしてなければ
それは「お前たちだって共感しあってるじゃないか」って言い方がクリティカルにはならないだろうし
統計もとらずにAはBに違いないってのは強引が過ぎるかもしれないってのは思う
でも実際問題としてこういう批判がめっちゃ当てはまるような
そういうのは益田の文章読んでどう思うんだろう。
結構気になる
改心するのかな
http://b.hatena.ne.jp/entry/p.twipple.jp/JfSVb
とかバカにしてるコメントが多くて組込屋さんとしては少しもやもやしました。
30-40億かかるかは中のシステムわかんないので何とも言えませんが
乗車駅~降車駅の運賃*消費税とかいう式で毎度計算をやるなんて計算コストが大きすぎて
論外なんじゃないかなぁ。
ブコメにもあったけど運賃テーブルを参照でもしないとやってられんはずと思って
ソースを探したところ
http://blogs.itmedia.co.jp/morisaki/2011/12/1040-be7c.html
以下引用
首都圏の鉄道では運賃計算のための経路が10の40乗を超えるそうです。その内訳は、単純に乗り降りの駅の間の運賃を計算するだけでなく、定期券の併用を考慮し、定期券の前後で通常の運賃を支払う場合や、乗り継ぎでいったん改札を出た後で時間をおかずに別の改札を通った場合に割引がある場合(首都圏では同一駅で東京メトロから都営に乗換えるような場合、関西では東梅田、梅田、西梅田へ乗換えるような場合)のように、かなり複雑なパターンを考慮する必要があるそうです。
運賃計算が正しく実装されているかどうかを確認するために、実機用と検証用のプログラムを別のチームで作成し、2つの結果を突き合わせるそうです。実機では、計算機リソースの制約から運賃テーブルを使ったり計算時間を50ミリ秒以下にする必要があったりします。場合によっては、それらの制約が原因となって運賃計算を誤って実装される場合があるそうです。一方検証用はそのような制約がほとんどないので、運賃計算のルールに近い形での実装が可能になります。2つの結果が異なる部分があれば、いずれかが間違っていることになります。
やっぱりこんな感じになってるようです。
これを改修して誤徴収0を担保する為の評価ってものすごいコストだと思います。
たぶんバカにしてる人達に任せたら要求されてる応答速度返せないシステム作りそうだなぁと。
というわけでPC上で動くプログラムの常識があてはめられない組込み世界のリソース制約と止まってはいけないクリティカルなシステムにかかるコストについて
もうちょっと知ってもらえたらなぁと書いてみました。
その文章の書き方だと自分が無知だったことをメディアのせいにしたいととれる。
糖尿も虫歯も高血圧も医者にかかって治療受けるなり薬もらうなりしなきゃ治らないじゃん
増田はどうして自分の生活習慣病=不妊について調べなかったの? 調べればすぐわかるのに?
ちょろい問題だと思ってたの? 妊娠しないのに?
自己責任って言葉大嫌いだし妊娠望んでるのになかなかめでたくならない状況は気の毒に思うけど
てきとうなところに責任転嫁して「あたし悪くないもーん!」って言ってるようにしか見えんよ
メディアの罪がどうとか言ってるけど
今日のレシピやゆるふわロハスで癒しがどーのなコンテンツの女性誌になに求めてるわけ
アホか
買ってる雑誌がなんだかは知らないがその雑誌買う客層はシリアスな話題なんて求めてないんすよ
娯楽や癒しや、少なくとも自分にとって毒にならない話題を求めてるの
そういうふうに生まれついちゃったあなたのせいですねとか
この病気にかかってるとちょっと妊娠難しくなるんすよ残念すねとか
お気の毒ですがあなたのご主人は………なんてそんなクリティカルな記事が
仮に載っていたとして増田はその記事信じた? 信じないでしょ
載っていたとして増田の友人達はその記事を話題に出すと思う? 言うわけないでしょ下手すりゃ仲壊れるわ
不妊が増えててそれは(母体の)高齢化のせいだって記事を載せてんよ
「新聞なんてとってないし」「女性誌が悪い。新聞とか関係ない」とかいう言い訳はNGな
「増田がそういう情報をほしがったから(雑誌だの口コミだのの)媒体を選び、結果、情報に踊らされた」だけの話
詐欺師だの片棒だの言ってるけど騙されたがってる人は自らすすんで自分を騙してくれる情報取りにいくもんなの
乙武氏周辺騒動のアレコレを見ていて思ったことを。傍観だけど。ツイッターのアカウントないから。
具体的にはこういうの。
基本的には自分は乙武さん批判派っつうの?きのこ派?っていうのか?探耽求究さんという人がものすごいド正論言ってるように見える派っぽいなという自覚があるんだけどたけのこ派の批判が嫉妬がどうとか努力が足りんとかばっかりで全然クリティカルにキてないのでなんか延々もやもやしていて、
そこでふとこれを見たらちょっといろいろ繋がった。
kyamonohashiというひと?のツイート、
手足が無くても頑張れる、と言う希望を示そうとしている乙武さんだけど、例えば手足の無い他の方がそれを見て「あいつは恵まれてるから」「例外だから」と妬んだり嫉んだりする可能性だったあるにはあるのか。
手足がなくても頑張れる、という希望がおおっぴらに晒された時、「手足がなくて頑張れない」人間はどういう立場に立たされるかっつうと、努力が足らん根性鍛えなさいの精神論教信者に食いつぶされる側にしかなれないんだよね。それか従来の「かわいそうな障害者」枠。
現に乙武さん応援派で非乙武さん的障害者をそこから出してやろうとするやついねーじゃん。むしろみんなそこへ叩き込もうとばっかりしてる。
だから叩き込まれる側は、大人しく叩き込まれるか、「努力が足りない」とかいう問題じゃなくて向こうが恵まれてんだっつうのー!という論を組むぐらいしかなくなる。
「恵まれてる人を妬んで、それで誰が幸せになるの?」とかほざいてるのがいるけど、少なくとも不幸自己責任論の渦中にブチ込まれるのは回避できるよ☆
恵まれてない人は恵まれてる人と違って、誰も助けてくれないという点でサイコーに恵まれてないことがほとんどだと思うんだけど、
誰も助けてくれないのならば自分で自分を助けてやるしかないじゃないか。
っていうのをなんか判ってないしたぶん許さないのですねたけのこ派は。妬みとか言っちゃうんだもんね。
うぜえだろうなあ。
「誰も助けてくれないのなんて当たり前、みんな同じ」「そこで助けてって言ったり、障害を個性にしてネタにするくらいのとっかかりを作ってくれないとこっちも手が出せない」とか言う奴が出てくるよ。出てくるっていうかすでにいるのよこの胸の中に。
一匹ならともかくハエの群れのようにわんわん湧き出てきて声が延々こだまするのよ。
えー話を戻すが「そこで助けてと言えない、ネタにできない」ってとてもデジャヴなフレーズじゃございませんか。
そう、ちょっと前のNHKの三十代無職男性が生保とれないだの餓死するだのっていうあの騒ぎでございますよ。
言えねんだよな。何故か。何故だか。いや何故って他人の負担なんかなりたくないからに決まってんだが。
何なのかな。何なのでしょうかねこのテニスボールをネットのあっちとこっちに分ける何か目に見えないくせに決定的な要素のようなものがある感は。
ジョジョだっけこのボールがどっち側っての。ジョジョでは「運命」だったっけ?
何処ってそりゃボールの落ちどころがどっち側でもいいようなところに決まってるんだけど、それはつまりたとえばこの俺がネットの両側を行き来できる必要があって、最悪俺一人でもラリーをかませるようなことになってないと話にならんのだけど、たとえを外すと要するに「お前助けるのなんか別に負担じゃねーよ」っつって軽々と誰かに手を差し伸べられねばならないってことなんだけど。その手を払いのけられること前提で、手がダメなら他のもの、人脈でも金でも選挙権でもなんでも使ってやらねばならないってことなんだけど。
なんか乙武さんには無理そうですね。手ないし。物理的にもないけど、いじめられっこに関係するツイートがアレじゃ義手つけても厳しい。根っこがアカン。
いやその実俺にもムリだけどね。少なくとも人脈と金と選挙権は厳しい。
ツイッターもミクシーもフェイスブックもやってない真性ぼっちのワープア、しかも都政はあの小心者が担うのを食い止められなかったレベルの一票。
正直に言うと手自体厳しい。ワープアは身体と心が資本なのに手を払いのけられるついでに豆腐メンタルが潰れそうで、いちいち成形しなおすのに他人の手が要るレベル。
でも「誰も助けてくれない」。いやいいけど助けとか。俺の豆腐はまだ平気なんで、誰か他の砕けたガラスハートの欠片を集めて火にかけてまた作り直してやっておくれ。
どうでもいいけど何か昔のディズニーアニメで一人ラリーするウサギいたよね。イソップ寓話アニメ化したやつで『ウサギとカメ』に出てくるウサギで、レースの前座に俺こんな足はえーんだぜーっつってカメに見せつけるためにボールより素早くコートを行き来してた。肝心のレースでは確かカメがクビ伸ばしてゴールインして勝った。
追記:
さらにどうでもいいんだけどツイートまとめ読み返してたらものすごい気持ち悪いのが結構いてマジ引いた。いわゆる「信者」ってやつですかあれは。
ちんちんをまんまんに入れるだけがセックスなら、ちんちんがついてるのとまんまんがついてるのの組み合わせなら何でも成り立つけど、
こういうプレイが好き!こういうプレイが嫌い!っていう好みをそれぞれ持ち始めたら、すごくくっつく確率が減らない?
だいたい男女の相性は容姿や趣味や性格や雰囲気や育ちや収入や知性や、とにかく色々な要素で決まっているわけで、
そこにさらにプレイの相性みたいなことが加わったらすっごくくっつきにくくない?
しかもプレイの好き嫌いって容姿みたいに会った瞬間わかるもんじゃなくて、最後の最後まで隠し通すような種類のもんだから、
最後の最後に相性が最悪ってことが判明して破局とかめちゃくちゃ非効率じゃない?
つまり様々な性的嗜好に合わせたアダルト創作が作られて、たくさんの人間がそれぞれ自分の望むプレイに目覚めることが、性的な関係の構築を困難にしてない?
小学生の時聞かされた。
変だよね、こんなの。
遊郭としてたと言っても、すぐ前の世代ではなく、その前にやめて地主になって、それをある宗教に寄付して、無一文の状態になって・・・と色々あったらしい
その色々が続いてない事も無いから、こんな事を言ってくるのかもしれないが ( 精神的にいろいろあるからかもしれないが、別に親は生活やお金には困っていない。全然余裕なのに・・・ )
それにしても・・・・
昔から私に関する事だけ、洞察力が欠落したような事を平気で行う人だった
実の母親から、お前の幸せを願ってません と宣言されるようなものだし
普通の健全な家庭の特に専業主婦の人が聞いたら嫌がるようなことを好んで言う傾向もあった
(別にエロい事と言う訳じゃないです。エロい人ではないと思います)
言わなくて良い事実とか、厭世的になるような事とか
例えば、森村誠一氏の小説を読んで、なぜそんなものを読むのか聞いたら、「私は本当の事が知りたいもん」と言ったりされたりとか
森村氏は優れた小説家だと思うけど、年若い人が見ると、厭世的になったり人間不信になる可能性もあると思う。私に勧めてきたわけではないけど、こういう事も踏まえた上での答えとしては適当ではないと思う。
本当の事と言っても、小説はフィクションなので、本当の事が知りたいなら、ノンフィクションのドキュメントかルポを読むべきだと思うし。
言うとしたら、氏は、厭世観を持つような事実を扱いながらも、それだけではない深い何かがあるとか、それを超えたものもあるとか、何とか言えないものなのだろうか、と思う。
世の中にあるものを無批判に肯定的に受け止めるのではなく、時には皮肉や風刺も、クリティカルな思考をするために必要なように、社会の暗黒面を描くのもより良い情況を目指すためには、有効だとか、視点としては、そういう目も必要だから、とか何とでも良い言い方は色々できると思う。
しかし、彼女の場合はそんな事をわかって読んでいたのではないような気がする。
これは離れて暮らしている今もそうだが
どういう人間だったかと言うのが、チグハグすぎて思い描けないし、人に説明もできない。
これは父にも言える事だが。
それで、トラバはしてないけど、さっき書いた恋愛に夢が描けない話
これに繋がらない事もないわけだが
人様のお嬢さんを金にものを言わせて攫ってきて、性的搾取をしてきた先祖・・・と考えると、他人にそんな事をした人間の子孫は、恋愛なんてできない、と思いつめてしまった部分は、小学生だったので、少なからずあると思う。
小学生ごころにはきつすぎる。
ある程度、自己防衛的な思考や論理的な判断力が、育った状態でしかも安定した身分の状態の大学生くらいになってから、先祖の歴史として話すのなら、わからないでもないと思うが・・・
遊郭というのは、気になるから、何かの折に目に触れたものを読んだり、本を立ち読みしたりして、調べた範囲でも、摩訶不思議な構造になっている
江戸時代とそれ以降での違いというのもあるし、江戸時代でも、遊郭というのとその他のものでは、だいぶ違ったようだった
病気で亡くなった江戸を描く漫画家の杉浦日向子さんは、このあたりちゃんと書いていた。(ただ地名を正確に書いてたというだけだけど)
明治以降国家神道として神道を流行らせたりする時に、その町のイメージが悪くなってはいけないという配慮からなのか何かはよくわからないけど、映画でも何かの作品でもその町を舞台にしたものは、江戸時代は心中モノが描かれたりしてたけど、今は全然ない。他の町も吉原以外は似たようなもので、特にタブーだかたというわけではなく、吉原が通俗的にそのような場所として有名だからわかりやすいからかもしれないが。( 江戸時代の吉原と今のとではだいぶ趣が違うけど )
有名な江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎の演目で、伊達の殿様に切り殺されてしまう太夫の話がある。実話かどうかは定かではないらしいが、その太夫の死体が流れ着いた淵や、亡骸が祀られたとされている寺か神社もあるらしい。この話は、武士より武士みたいな形で亡くなってしまった遊女というところが皮肉なのだと思う。 創作だとしたら、こういう人身売買に誑かされて鼻の下を伸ばしている武士に対する皮肉もあったのではないかと思う。
遊女の腹から生まれた大名 で検索すると 23人もいたと記したページも出る
http://kkubota.cool.ne.jp/saihouji.htm
皮肉だ
江戸時代でも人身売買は悪いとわかる倫理観はあったと思う。わからないわけがないと思う。
それなのに、簡単に誑かされてしまう。
ハマちゃんとTKの15年くらい前の曲、モトカノが好きだったんだ。
俺30モトカノ35。
6年付き合って、その内の3年間は一緒に暮らして、その内の2年間は俺が欝でヒモになってて。
付き合った当初、25にもなってもまともな社会人ではなかった俺をここまで導いてくれた。
付き合って2年後くらいに欝になった時に一緒に住んでくれて支えてくれた。
俺のことを大切に思ってくれる女性はもう他にはうちの母やんと婆やんくらいしかいなんじゃないか。
それも分かってたけどフってしまった、更に上を見てしまった、欲が出てしまった。
恋人として見てほしかった、結婚したいと一緒に思ってほしかった。
もうお金は返してくれたんだからヒモ時代はなかったことにしよう、とか言ってほしくなかった。
近くにかわいそうな人がいたから助けたと言ったけどそれが嫌だった。
そんなに気にするな、ということを言いたかったんだと思うが、
俺にとっては「恩を受けたからその金額を返して終わり」じゃないんだ。
これでチャラになったとかそういうのじゃないんだ。
俺はずっと今のままは嫌だった、次に行きたかった。
ステップアップかどうかはわからないけど、引越しなり結婚なり今までより大きな決断を一緒にしたかった。
いや、別に結婚も引越しもしなくても良い、ただ、あなたの人生に俺がいるんじゃなくあなたと俺の二人で一緒の人生を歩みたかったんだ。
それは確かにリスクかもしれないし、それの定量的な意味や価値はわからないんだけど、
あなたとだけは理屈抜きでそうしたかった、俺にとってあなたは唯一理屈抜きに一緒に考えたい相手だった。
更に言い訳する。
俺の欝は甘えだった、4年前の当時あなたはいつも甘えじゃなくこれは病気だと言っていたが、俺の欝は甘えだ。
診断書も出されて薬も飲んでたけどアレは欝じゃない、病気じゃなかったんだ。
確かに当時の職場はブラック企業だったかもしれん、でも全ては俺の甘い性格が招いたことだ。
そして、そんな俺をあなたが隣で叱咤激励してくれたから、俺はまともになれた。
あなたのおかげで何も考えずにダラダラと生きていては駄目だと分かったんだ。
あなたと別れずに一緒に無双したりHAGEX話で盛り上がったりしながらとりあえず付き合っていくことも出来たけど、
考えて考えてクリティカルな決断をしていくことで俺はまともになれたんだから、今になってまた決断をせずにいることは出来ない。
俺にとってそれは昔への逆戻りなんだ、仕事はしてるし給料も月40近くまで増えて貯金もできたけど精神的にはまた元に戻ってしまう。
それが怖いんだ、すごく怖いんだ、元に戻るのがすごく怖いんだ。
もうあなたに迷惑かけたくなかったんだ。
彼は真面目そうで誠実そうで朴訥としていて、俺とは違って全くトリッキーではなかった。
35の女子を、とても世話になった女子をフッた罪悪感から逃れたかったから見た夢かもしれない。
でも、でも幸せになってほしい、あなたのことだからやっぱり彼氏はいらないと思ってるかもしれない。
たまたまGoing Going Homeを聞いて色々と思い出した。
この1ヶ月間、胸に溜めてたものを出したよ。
もう勝手に選曲されることも一緒に歌うこともないけど、、、
もうないけど、ないけど、ないんだけど、、、がんばるよ。