はてなキーワード: キャッチーとは
破綻がすごいな。
この件に限らず、おかしなキャンペーン打って開き直って正当化するとかキャンペーンのターゲット以外に通じるわけないじゃん。客は離れるし一部の人しか来なくなるし雰囲気傾くし、まあ長い目で見て寂れるよね。オタクだっていつまでも金があって健康とは限らないんだから。
再生出来るところは地道に人のいる所でもっとおとなしいマーケティングをやったりする機会があるし
そういうのをキャッチーにやればいいんじゃないの?うまく行っている例だってあるんだしそのためのネットでしょ?
コンテンツのターゲットのみに媚びてなりふり構わず金を落とさせるって方法だからキモいんだよ。あの絵とか設定とかどうでも良くて。
えっと、先日から何やら炎上してるらしいってのがVtuberの方にも火の粉がきてるようなんで俺の方からちょっと纏めとく
ちなみに、少しはあんスタも男性としても良いゲームとして嗜んでるし、あんスタ推しの女性?で色々と騒ぐ人もいるが
だが、これも1ユーザーとしての意見だから、そこは勘違いのないように
まず、最初に
今は削除されてるが、作詞家の松井さんの「とこまち」新曲に関しての”世界観”説明のツイート
しばらく様子見てたらまあ騒いだのはほんの一握りとは思うけど
彼の作詞にかける情熱をずっと見かけてたんで、今から書こうと思うけど、いいかな?
名前見てるだけで嫌、とか見えたので、そのあたりの誤解を解いておきたい
「世界線をつないで」の件
あれは調べたらわかることだけど
前にも歌ってみたっていうのを二人で出してはいるけど、事務所が違うと色々とあるかなという事で
(🌈と▶︎という別所属なんだ)
なので今回二人として歌を出すのに、大変だろうな…という気持ちで
「二つの異なる事務所」の世界線をつないで…という表現だったと思うんだ
⬆︎勿論これが本当なの?って思うのも仕方ないし俺も松井さんがそう思ったよね?ってのを確認できないから正解って言えないんだけどな
そして、物議を醸した「愛の共鳴」
これに関しては、素直に ”二人があんスタ好きだからその気持ちを持って歌って共鳴する” 解釈になると思うんだ
勿論これも「あくまで想像」、俺は松井さんじゃないからね、そこは勘弁して
で、こんなの読みたくない!言い訳がましい!って思うかもだけど
彼は本当に偉ぶってないんだ、座ってる間も常にスマホで連絡や気になったキャッチーなフレーズ…
どんどん書き溜めていく
そして、基本「作詞は英語で」浮かぶと言う、そこから訳して日本語にするのが多い
あとはそのキャッチーなフレーズと、その歌い手さんの好きな言語、好きな物、そう言うのをちりばめていく
そうしてその「歌」を「本人の掛け替えのない物」にしていく
ご存知かもしれないが「歌い手さんと共作」する事もある、まさに「プロ」なのだ
そして他にも仕事を抱えてるから、作成したら次から次に作詞、時には作曲をする
個人の活動の他にもユニットであるTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの仕事もあり、何かと色々抱えている
想像できないかもだが彼は「世界基準」なので海外での仕事もあるんだ
そして人がいい、だから出来るだけ、ながらも胸の内はあかせない企業秘密なのも多く
SNSにて説明してみると意外に反響が大きかったため、そちらにシフトしていった…
時間も年単位なため、内容を説明する時に彼もメモを見ながらツイートをするようにした
(以前はそんな事をしてこなかったと言うのもある…)
出演するのかしないのか
または欠席されるのでは?
先日も月スタの時、荒らしに対して視聴者の皆さんは煽る人のをNG設定に自主的にしたりして番組を楽しんでたよな?
だから何?とか厳しい意見が多い中、本当は心の底から楽しみたいよな?
皆が言うVヲタ側からの誹謗中傷も把握してる、そしてV側ファンの真摯な意見も自分なりに汲み取っている
なので土曜の配信も待ちつつ、言い訳がましいかもしれないが、彼のとある一面を感じる事が出来たら…と切に願う
先日からあんスタは記念コラボ等、拡大して色々知ってもらおうと努力をしている
勿論アイドル(中の人含む)も男性側からしての個人的なものは内に秘めてる事だろう
許してもらおうとか(本人じゃないから)一欠片も思ってない
引っ掻き回すつもりは全くない
少しでも作詞家松井さんについて少しでもわかって欲しくて書いた日記なので
何かしら伝わればいいなと思う
長文で申し訳ない、以上
アメリカなどでは代替肉が一般ユーザーに向け普通に出回っているが、日本ではいまだほぼゼロ。
一部外食で試験的に提供は行っているがまだまだ認知度は低く実際食べたことかある人はほとんどいないのではないだろうか。
日本であまり受け入れられないのは、日本の消費者はたいへん繊細で特に食に対する警戒心はものすごく高い。異物混入(金属片除く)で商品回収するのは日本くらいだろう。
その繊細な警戒心をほぐすには、安全性の説明なども必要だがそれよりなによりイメージ戦略が重要になる。
培養とか代替なんて言葉はもってのほか、遺伝子組み換え大豆は大失敗だったことからもわかるように、ちょっとでもケミカルな匂いのする名前はとても嫌がられる。
その特徴が分かり、かつヘルシーでなんとなくおしゃれっぽくてふわふわしててキャッチーな名前が求められている。
このネーミングを決められたメーカーが国内の代替肉シェアを席巻するだろう。
そんないい名前、ありませんかね。
人間の自然破壊がヤバいという普遍的なテーマが垂れ流されていた時代があった。平成である。
『平成狸合戦ぽんぽこ』はまさにその顕著な例だろう。寄生獣もそうかな。とにかくあの時代は、タヌキが自然破壊をする人間を止めるべく戦う姿がキャッチーであった。
そんな平成狸合戦の舞台である多摩ニュータウンは令和を迎え、無事に人口がガンガンと減少し、自然に飲まれつつある。
「人間が来たら狸が住むような自然は無くなっちまう!開発やめろ!」とタヌキたちは叫んでいたが、
何のことはない。時が流れれば人間の開発なんて簡単に緑の中に消えていく。しかも、たった十年かそこらで。
今の多摩ニュータウンは、道路から雑草がグリグリ生えてきて危ない事この上ないし、害獣たちが闊歩しているので最早人の方が肩身が狭い。
「人間から自然環境を守れ」というテーマは、現代の多摩ニュータウンには全く響かない。
むしろ、「自然環境から人間を守ってくれ」と言いたくなる。人間はか弱い。あまりイジメるな。
タヌキはともかく植物がマジでヤバい。なんだアイツらの生命力は。植物には、マジでたくましすぎて勝てる気が全くしない。
なんとなく、植物様に勝てると思っていた時代があった。それが平成だ。「俺は父さんを超えてしまったんです…」とかほざいていたトランクスくらい思いあがっていたのだ。
だがようやく、私達も頭が冷えたのではないだろうか。ヤサイの国の王子にはどうあがいても勝てないのだ。地球人は。変身すらできない種族人間に何ができるというのか。
どうあがいても植物様には勝てない。
我々が共感するべきは『平成狸合戦』ではなく、『地球の長い午後』あたりである。
なので環境問題なんて気にするだけ無駄だし、環境に配慮とか、SDGsとか、馬鹿じゃねえのと思う多摩ニュータウン民なのでした。
サビがキャッチーでいい曲だった
元増田は薄い。薄すぎる。
〇どのブランドのアイマスもキャッチーなキャラに人気と魅力があり、それ以外はほぼモブレベルで魅力がない
結局これよ
イベントとかでフィーチャーされないと深堀されなかったグリマス時代よりかはアイドル一人ひとりのストーリーがあって読みやすい状態にはなっているとは思うかな。
まぁそれよりも、結局
になってるんだよね。
これはミリシタの周年イベントのボーダーを有志がまとめてるサイトね
http://raduga.pgw.jp/mililab/index.php/1stanv/3rdrank
イベント形式やなんでアイドルごとにボーダーになってるのとかは特に説明しないけど、
上位ほどよりキャッチーで魅力があり人気、それ以外はひどい言い方だけどわかりにくく魅力がみえてこない。
例えば100位ボーダー中1位の望月杏奈なんかはファーストルックは根暗だけど、アイドル活動中はハイテンションになるというめちゃくちゃわかりやすいギャップという特徴を持っている。
反対に51位の福田のり子はファーストルックや1話ストーリーを読んでも金髪ボブでフィジカル高い……?くらいしか読み取れない。(担当の人はすまんやで)
ちなみにミリシタからの新アイドルである桜守歌織、白石紬は上位20位以内に入っている。これも「わかりやすい」と言えると思う。
あと「わかりやすい」の例で言うと、デレマスの総選挙かな?もう10回やってるけど50位以上に1度も入れてないアイドルもいるだろう。
んで上位だったりシンデレラガールになったアイドルは総じて「わかりやすい」なのでキャラクターがわかりやすい方が魅力があると言える。
ただ、これがミリシタよりデレステのほうが人気かというと、ちょっと分析不足ではあるが、やはりブランド内に占める人気キャラの割合が多い方が人気っぽいような気もする。
これ以降展開している、
SideMは前職との関連付けての性格やビジュアルのわかりやすさ、
シャニマスは少数精鋭で練られたキャラクターによるユニット売りとゲーム的に必ず読むであろうストーリーでの深掘りがアシストしているのだろう。
やっぱりミリシタはストーリー周りでの深掘りが浅いのが問題で、そうなると必然的にユーザーはキャッチーな方に目が行きやすいのが問題で、
アイマスをしない友達との会話で、アイドルマスターミリオンライブ!をプレイしていることを話したり、好きなキャラクターについて語ったときに、
「え? ミリオンってぱっとしない方のやつだっけ?」
「シャニマスの子ならやってなくてもなんとなく知ってるけどミリオンは君の話からしか知らないなぁ」
みたいな反応をされることはありませんか?
もしくは
複数人での会話の際にシンデレラガールズやシャイニーカラーズの話題は出るけれど、ミリオンライブの話題が出ることはない
だとか。
(私の周囲はアイマス好きの多い環境ではないのもあると思いますが…)
ミリオンのアイドルたちが好きでプレイしている身としては、よく苦々しさを感じているところです。
「なぜこんなにも魅力的な子たちなのに広まらないんだろう? 認知されないんだろう?」
今ミリシタアプリ内でアンケートをやっているいうことで、ミリオンに盛り上がって欲しいという気持ちから知恵がないながらも頑張って考えてみました。
そこで考えた一つの仮説が
「ミリオンのアイドルたちって、実は魅力が無いんじゃないか?」
というものです。
「何を馬鹿なことを」
「アイドルに魅力がない?そんなわけない。魅力的に決まってる」
「Loadingが長くてもミリシタを遊んでるのはアイドルに魅力があるからだ!」
ミリオンのアイドルたちが好きな方であれば「魅力がない」なんて戯言でしか無い阿呆の駄文、
もしくは「さてはアンチだなオメー」と感じるでしょう。
私自身としては長年
「魅力はあるんだけど見た目がキャッチーな子が少ないから、すぐにはわからないのかも。触れてもらえればハマる人ならハマるよ~」
と思っていたのですが、ここ数年ファンの間でのミリシタの盛り上がりが低調なことや、ミリシタを辞めてウマ娘やシャニマス、Vtuberに移って行った人たちを見たり、それらがミリオンと違って大きな盛り上がりを見せている事から、
と考えるようになりました。
ではどこにあって、どこに無いのか。
それは
です。
「いや、ゲーム内にあるだろ」
「ミリシタはようやっとる」
もちろんそういう意見は当然あるでしょう。
私が無いと感じているのは
です。
「ミリオンのアイドルはスルメ。どんどん良さがわかっていく。沼だぞ!」
という考えの方も多いと思います。
ここが実は肝です。
この噛めば噛むほど味が出るスルメみたいな魅力、何をもってそのような認識に至るのか。
ゲーム本編だとか、ミリラジだとか、声優さんのライブだとか、公式漫画だとか、はたまた二次創作だとか。
そういったものを「断片的」に拾い集めて、ユーザーが独自に考え咀嚼して、そして構築してミリオンのアイドルたちに魅力を感じているのではないでしょうか?
ミリシタはゲーム本編を通じて、人物の魅力の表現は非常に薄味です。
要因は様々あるとは思いますが、ひとつはライターによってキャラクターに対する理解が異なるため、内面に深く込み入った話作りは難しかったりもあるのでしょう。
ユーザーはアイドルの断片的な情報を収集し、自分の心にキャラクター像を作り上げ、悪く言えば独りよがりで身勝手な解釈をして、それを魅力として昇華している事が多いのだと思っています。
SNS等でミリオンのキャラクターに関する話題が上がることは多くありませんが、それもここにあるのではないでしょうか?
各々の心の中に抱いている魅力はそれぞれ異なっていて、それを表面に出した場合理解されることもあるでしょう。
しかし異なった解釈で言い争いもしくは嫌な気持ちを抱く可能性もある。
というものがない。
これはミリシタ未プレイの人がミリオンのキャラに魅力を感じにくいと捉えてしまう事にも通じるかと思います。
勝手に抱く都合のいい魅力の例として一つ。
志保は所有している黒猫のぬいぐるみを「ネコさん」と呼んでいます。
この「ネコさん」が「キティちゃん」のようなキャラクターグッズであったとか、居なくなった父親が当時付けてくれた名前だった(志保のネコさんはカード台詞から父親がまだ居た頃から所有してる事が判明しています)とかならその名前で呼んでいても当然かなとも思いますが、今の所描写がないのでわかりません。
前提として、子供が自分の所有物に名前をつけるという行為は、「自分だけのもの」「特別な存在」などといった心理が働きます。
そんな中で志保は自分のぬいぐるみを「ネコさん」という非常にパブリックな名前で呼んでいます。
「もしかしたらこの子って割と大変な生活を送ってきたことから、どんなものであれ自分にとっての所有物であるという意識が希薄な子なのではないか」
という解釈をし、であれば彼女がより14歳らしく、楽しく過ごせるようにサポートできれば、支えたいと思わせる魅力があると私は感じました。
けれど公式からはそのような提示は北沢志保というキャラクターが世の中に公開されてから8年経ちますが、一切ありません。
これは私が彼女に「勝手に自分にとって都合の良い解釈をした魅力を押し付けている」だけなのです。
もしかしたらそういう側面があるのかもしれないけれど、いや全くそんな事は無いのかもしれない。
断片的な情報を膨らませて、違うクラスの子に片思いをしているような状況です。
こじらせてしまった場合、触れる月日を重ねるほどその想いは膨らむでしょう。
反面他の人には益々理解される事のない勝手な解釈になっていきます。
『ミリオンの子は見た目は地味めではあるけど、読み込めば深い』
ただ漠然とゲームをプレイしたならば、そこに描写はなく、深いと思ったりしないのではないでしょうか。
「アイマスにも声優さんにも興味を持っていないけどミリシタから始めてみました」
っていう私の周りの友人の多くは、今はもうミリオンの子たちの話題をすることすらありません(シャニマスのほうはゲーム性で辞めたという発言をしつつもキャラは追っているっていう友人は多いです)。
また、深く考えている人同士であっても解釈違い等で喧嘩するのが怖くて魅力を共有できない、変に絡まれるのが怖くて共有できない。
ミリオン好きな人はキャラクターの魅力について語るより、声優さんの話題で盛り上がることが多いと揶揄されがちですが、これは必然ではないでしょうか。
リアルライブで声優さんが努力したことやパフォーマンス、話したことはそのまま視聴者の目に耳に心に入り、その一次ソースを元に感想を言い合えるのですから。
どこに1次ソースがあるのかわからないキャラクターの魅力について語るより、確実に共感、共有できます。語り合えます。
ミリオンのキャラクターの魅力という点で思い返せば、かつてゲッサンコミカライズが連載されていた頃はよく盛り上がっていた印象があります。
アイルのファンの方も多いと思いますが、これはコミカライズが一次資料として、キャラクターの魅力を伝える媒体として優秀だったからでしょう(出番だとかこれが中学2年生の会話か?とか賛否あるとも思いますが)。
グリーの頃のミリオンライブもやっぱりキャラクターの魅力を伝える媒体としては乏しく、アイドルについてユーザーに開示されていない情報や性格も多く、ゲーム内アイドルについてガッツリ語り合える内容ではありませんでした。
そんな中、全編門司雪先生の解釈で進み、スポットを当てる人物を絞ることで密度を上げてキャラクターの魅力を描いたコミカライズは皆で感想や魅力を言い合える作品になったのだろうと思っています。
とりとめなく書いてしまいましたが、まとめとして……。
私の抱いている
「ミリオンアイドルの“みんなで共有できる魅力”はゲーム内に無いのでは?」
という前提の場合をもとにした場合、ミリオンアイドルの魅力の表現は今のままの展開で良いのか否かですが、
今いるユーザーが現状に満足でミリオンを楽しむのであれば、そのままで良いのだと思います。
ただし、語り合いたいなぁとか、新しい人たちに好きになってほしいなぁもどかしいなぁと感じているならばその想いは解決することは無い、つまり今の展開では良くないのだと思っています。
しかしこの解決はユーザーにできることではなくて、基本的に公式のみが可能な事です。
(一次創作さえも覆すようなインパクトのある二次創作等が生まれれば別なのかもしれませんが)
そんな中、今ミリシタ公式がアンケート内において、実装するかはともかくとしても新モードのアイデアとして「深堀り」や「シナリオ」に言及しています。
ミリオンの子たちの魅力を語り合いたい、外部にも知ってもらいたいなぁと思っている私としてはそこに希望を持ってしまいます。
既にグリマスから8年、ミリシタからの場合4年続いているコンテンツですので、深堀りするにあたって公式側からまったく新しいキャラクター像が生み出されたならば、ユーザー側に拒否反応だって起きてしまうことがあるかもしれません。
しかしそれでも、魅力の共有や新規の人に対するフックの提示として、ミリオンライブのアイドルたちがこれからも輝くためにミリシタの公式に現状維持ではなく前に進んでいってほしいと思っています。
そしてミリオンライブをもっと多くの人にオススメできるコンテンツになってくれたらと願っています。
非常にまとまりの無く読みづらい駄文であったと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
自分が言いたいことを書くということをとにかく意識する。少しでも魔が差して意図的にバズらせようとする下心が生じるといつのまにか本当に言いたかったことよりもふんわりとしたキャッチーなことを書き連ねるになっていきそうだから。
分かりやすさは大事。ただその傾向が度を越すとこれまたバズらせる方向に足を突っ込んでいくことになる。パソコン読者に忖度したような不必要な改行。内容とは無関係な文章のリズムの追求。俺はそういうことがしたいんじゃない。句点で文を区切ること自体は文章をひらがなだけでなく漢字も交えて書くような最低限の様式というものだと思うが、そういうことも度を越すと単に読まれることを目的としたあざとさを帯びるようになるだろう。わかりやすさとバズりやすさは一方が後者を兼ねるような関係ではない。重なる部分もあるが位相がずれている。そこを意識してわかりやすさ、つまり自分の言いたいことが一番正確に伝わるような文章のみをときどきに応じて追及しなければならない。俺の言いたいことに関心があってついてこれる人だけが読めばいいのだ。
バズらせることが目的に混ざっていてはいやしないかと思ったら改行とかしないで書くようにしている。一番分かりにくく書いてる位置まで戻ってきて、もう一度分かりやすさを追及していく方向へ純化していくことができると思っている。
大きくなったら女の子 - 御厨稔 / 【コミックDAYS読み切り】大きくなったら女の子 | コミックDAYS
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/comic-days.com/episode/3269754496472136685
正直自分には合わなかった。
「皆が男として生まれるが、体が一定以上大きくなると10人に1人程度女に転換する」
って設定が消化不良で終わってしまった感。
現代社会とは根本的に違う社会的、文化的な構造になるはずなのに、
整合性をあまり考えずキャッチーになるように、現実の要素を取捨選択しているように見えて、違和感や混乱ばかり。
性別が途中で変わるような世界で、「嵐太郎」って名前があるの?それともこの世界では「嵐太郎」は中性的な名前?
「ママに会うからってわざわざ新しい服買ったんだよねー」「女心わかってるわねー」この世界で言う女心って何?
かわいく着飾るのを好むこと?と思ったら後のページでは、「女の子になったら、もうかわいい服が着られなくなってしまう」と言ってて???
自分はどうも「人間が生きている途中で肉体的な性別が変わることが自然現象として存在し、それを認識している社会」という作品が苦手なようだ。
恐らく自分の中に「ジェンダーは生物学的な性差を基盤として成り立っている」という考えがあるからだろう。
現代社会とは根本的に異なる生物学的な性差をもつ主人公に対して、一体どんな社会や人間模様を見せてくれるのだろうと期待する。
しかし中身は上に書いたような矛盾するような社会描写であったり、思春期にありがちな色恋沙汰だったり、現実世界の安易なジェンダー問題の投影だったりしてガッカリする。
「それ〇〇の設定いる?」と不満を言う。
「この要素を入れれば見てくれると思っているんだろう」と邪推する。
こんな感じでこういう系等の作品が苦手なんだろう。
あれだって有名レビュアーにレビューされたり話題になっていれば絵がアレでもやるって人は大勢いる
完全に無名の人が入り口として見てもらうために、絵は最もキャッチーで有効だと思うよ
という話をしたまでのことだよ
立憲が発表した七つの政策について、「個々の必要性は分かるけどこのタイミングで大々的に発表するほど話題性ねえのが半分くらいあるだろ」って言われてる。
いやまったくその通り。
これって政策の練り方とか議論の仕方とか政治センスがダメってより、視聴者へのエンタメ演出センスがないのが問題であって、広告代理店とちゃんと協力してほしいんだよな。
見せ方が下手。
注目度と期待度の高い、選挙戦が実質始まって最初の情報発信というタイミングにふさわしいキャッチーさがなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210907/k10013248911000.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210908083306
エンタメより政治の勉強してほしいし、エンタメについては広告代理店とかの専門家に外注してくれ。
オバマだってスピーチライター雇ってがっつり演説の練習してるだろ。
自民党は電通とガッツリ組んで、そのやり方があくどいと批判されることもあるけどたぶん効果もあげてる。
立憲は広告代理店と組んでないのかなと思って軽くググったら、民主系は博報堂と仲がいいって出てきたけど、ホント?
今も組んでるの? 博報堂の意見を聞いてたならもうちょいマシになってるんじゃない?
俺は世の中のこと何にも知らねーオタクだけど、音楽のライブでも、ゲームの新キャラ発表会とかでもテンプレってあるじゃん。
ライブなら一曲目にアルバムの目玉になってるようなカッケエ曲をドジャーンとやっちゃう。ゲーム発表会なら目玉の内容を最初くらいにドーンと出しちゃう。
出し惜しみはしないで最初っからテンション爆上げでフロア熱狂、スマブラにスゲーキャラが登場して面白外人は画面も見ないで抱き合って号泣。SNSで一気にトレンドにあがる。
渋い曲とか、こまごまとした情報とかはそこから出していって中継ぎ。
そんでラストの一曲とかアンコール曲でキャリアを通じた代表曲で盛り上がりは最高潮。発表会ならラストに目玉を越える物凄い隠し玉サプライズ情報を投下したりしてウオーー!となって、フロア爆発、リアクションユーチューバーは機材破壊、SNSはそのサプライズ情報について語り続けられるからトレンドにも長く残る。
うまく快楽原則を利用してる。
立憲の七つの政策発表は、ライブがMCから始まったみたいな感じだよな。
政権とったら法改正なしで即やることだけをまとめてるからああいう内容になるんだよってのはわかるけど、そういう理屈を言われてもフロアは盛り上がらない。
法改正なしで即やることを考えたら、必要な話ではあるけどいまいち見栄えしないな、これは二の矢にして、最初の情報公開ではもっとキャッチーな内容にしよう……としてくれりゃよかったんだ。
それを政治家が判断するのが苦手でも仕方ない。だからこそ演出家と手を組むべきだ。
違いますかね。
大体他のSNSじゃ政治問題はタブー視されてるようなもんだし。
数年前はITに興味のある所謂情強みたいな人達が、ユーモアも交えて政治絡みの話もしていた
そこには和やかな雰囲気もあった
ただアメリカがSNSを使う様子を見て政治利用するユーザも増えたように思う。
いかに高密度で正確でキャッチーな情報を提供出来るかがフォロワー獲得の最短の近道だったが
フェミニズム、LGBT多種多様な問題を取り上げ「炎上」させる事で政治的問題解決の手段とする人が増えた。
趣味垢があるように愚痴垢もあれば割り切って投稿する事も可能だが、昨今の政局は国民の生活にもろに影響してるから無理だろう。
https://twitter.com/ngnchiikawa/status/1410894748928253960
https://twitter.com/ngnchiikawa/status/1411681395492102147
ちいかわ、一部読者が勝手に深読みして面白がってるだけ、という向きもあるのかもしれないけど、私は全然そうは思えない。
最新の二回、ちいかわ世界のモブが怪鳥にさらわれ、着ていたパジャマだけが空から落ちてきて、友達のなかで一人取り残されたモブが泣き叫んでいる。
これを読んで、ある日突然さらわれてしまって、命のある姿で二度とかえってはこなかった自分の友達のことを思い出して、ほんとうにほんとうに苦しくなったし泣き叫びたくなった。
私のことは特定されてもいいが事件のことを特定されたくないので時期は書かないが、友達もちいさくてかわいかった。
ちいかわの世界で、きたるべき日のために一生懸命ダンスの練習をしていたモブたちみたいに、本当になんの罪もなかった。
・今までさんざん繰り返されてきた「ウワ・ワ・ウワ」という歌詞が、さらわれた時の「ウワーッ」という叫びの伏線だったこと
・不憫かわいさ
・モブたちが出演するフェスの成否が主眼になるかと思いきや、練習中に謎の鳥にさらわれるという作者以外誰も思いつかないような唐突な展開
が相まり、読んだ瞬間爆笑してしまったくらいで、特に自分のむかしのことを思い出したりはしなかった。
けど、これ書いてる時点での最新回、さらわれたモブたちが着ていたパジャマだけが空からふってくる、それをだきしめ大泣きする取り残されたモブをみたら、昔の自分の友達と自分のことがその瞬間にかさなってしまい、苦しくて苦しくてたまらなくなった。
描かれてることはド直球の誘拐と、それにともなう残された側の心境だ。
前触れなく奪われる楽しかった普通の日々。でも最初は絶対にもどってくると信じていた、この取り残されたモブみたいに。
しばらくたつと、いつか、どこかで折り合いをつけないと生きていけない苦しさがじわじわと現れる。
それから、もう普通の日々じゃないのに、友達が戻ってこないこと以外は全部ふつうの日々。
ちいかわの今回の展開は、(トラウマだとは簡単に言いたくないけど)人の、リアルにふたをしていたい、というかふたをしていなければやりすごせないようなつらい記憶を容赦なく呼び覚ます。
いかにもかわいらしく、キャッチーだけど唯一無二の絵柄と書き文字で釣って読み手の参入ハードルを下げに下げ、(ついでに集金にも成功しながら)その実ものすごい劇物を読ませている。
もぐらコロッケの共食いだって、書いてることは武田泰淳の『ひかりごけ』程度にはヘビーでハードなのに、みんなつるつると読まされてしまう。
・https://kai-you.net/article/74589
ナガノ先生は、上のリンクの中で「何かメッセージを伝えたかったり、重いテーマを描いているというよりは、何かが起こった時の反応や表情を描きたいという気持ちの方が強い」と語っているけど、「何かが起こった時の反応や表情を描きたい」気持ちが彼女をいちばんの『ちい虐』にしているし、逆説的に、そこまで意図してないメッセージを伝えることにも、重いテーマにもつながっていると思った。
今回の話を読んだ時、授業の課題になっていたからいやいや読んだプリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』を読んだときくらいにはしんどくなったし、授業の課題になってたからいやいや観た『ルワンダの涙』を観たときくらいには呆然としてしまったし、いろいろなことを思い出して苦しくなり、今もまだうつうつとしている。
こんなかわいらしい絵がらで、ここまで人の心をえぐることができる、救いのなさを描けるってほんとうにナガノ先生にしかできないことだと思うし、自覚的にやってるにせよそうでないにせよ、間違いなく天才なのでこのまま突き進んでほしい。
重たい文学を読みとおすのも映画を見とおすのも大変なことだが、そこまで大変な思いをせずに、Twitter上でうっかりつるっと同じくらいのしんどい体験ができてしまうのはある意味コスパがいいのかもしれない。
辛いフィクションこそが読み手の心を救ってくれることもあるのを経験として知っているのでなおのことそう思う。
(今回比較で出した作品はどれもノンフィクションだったりモデルの事件あるけど…)
最後に、「絶対に」戻ってこないことがあるのを知っているから、鳥につれていかれたモブたちには「絶対に」戻ってきてほしいし、そういう展開になることを心の底から祈っている。