「兌換紙幣」≒「ごっこ遊びの道具」なのは紛れもなく事実なんだからさ。
紙幣そのものが持ってる価値なんてのは皆が同じゲームをやることに同意しているから維持されているだけで、もしもそのゲームをやっていた人が皆いなくなったら何の価値も無くなる。
そしてそれは「金」や「銀」といった古典的な価値ある貴金属であっても同様なんだよね。
本当に価値がある金属は「鉄」や「銅」のはずなんだけど、金持ちのオッサンたちが「僕ちゃんの好きな玩具の方が、奴隷の使う実用的な道具よりも価値があるもん!」と始めたお金持ちゴッコによってそれらは「付与価値」を得た。
現代社会ってのは透明な付与価値の存在がすごく重要な社会になっているんだけど、これは社会に余裕がある間だけの幻。
でも社会に余裕があるうちはその幻に価値があるってゲームをしておくのが効率的だから皆それに乗っかってるだけなんだよ。
米(石高)でやってた江戸時代はどうなのかね 貨幣は別にあるけど