はてなキーワード: 空洞化とは
企業も国際化していかなければならなかったのに、時代の変化にあわせられず、新たなビジネス展開もせずに、国内でなんとか自分らが退職するまでの間なら企業の器が持つだろうと考えて前世代(昭和前半)の資産を食い潰した感じがする。
新しいことをどんどん取り入れよう、チャレンジしようとする人が少なかった。(ITについて社会、周囲を見ると「機械苦手だから」で理解しようとせず取り残されてるよね…)
いわゆる、2代目が会社を潰す、というような社会になっていたように思えます。
それを見た3代目が盛り返すという時期だと思いますが、経済界はともかく、政治が1代目から2代目に移っているだけなので足を引っ張ってくれちゃってるのではないかと。
よって、経済界は国外に逃げますね(逃げてる最中)、日本は空洞化が進み、この先は国内でノマドをやってるより、世界的ノマドが進んで、海外に出られる能力or気力のある人は幸せになれるんじゃないかと。
何で天皇は自分の心がつまらないことも理解できないのか。明治憲法にしろ現行憲法にしろこういう子供に何の夢も希望も与えない保守的なものを作るべきでない。私が公民で初めて憲法を見たときは「何が平等だよつまんねえこと言うな」「何だこの古色蒼然とした漢字の羅列は」と思ったものだ。「君が代」も歌詞が意味不明でつまらない。とにかく全体的に退屈で、なぜこんなものが日本国家の礎になるのか、その発想自体が理解不能だ。また天皇の実施する学校制度も極めてつまらない上、ここ30年は失敗している。これでは救いようがない。他方、民間の作るものは実に面白い。天皇が大学入試競争の存在を認めない反面、予備校や出版界は入試競争や偏差値差別の存在を認め、学生の心を明るくする情報操作に満ちている。こういう面では、天皇より、民間やヤクザの方が優れている。しかし、天皇制にはかなりの程度支配力があって、楽しんでいる者の邪魔さえする程度に達している。今の日本の真っ暗さをみれば明らかだろう。つまり天皇制とは鬱の象徴であって、せっかく躁状態になっている社会を脅かす存在なのである。日本は常に躁状態で世界制覇を目指せばよい。ところがなぜか日本の歴史には常に天皇制という厄介なものがあって、つまらない真面目腐ったことを言って楽しんでいる人の邪魔をしてくる。しかもその程度が尋常でないのは裁判所の長ったらしい判決文や警察の取調べをみても分かる。精神を殺しにかかってくるレベルなのである。なぜこうなるのか。それはもともと日本社会に鬱的傾向があって、それが支配的だからだろう。民間やヤクザのように、差別のある明るい躁状態の社会は例外的で、日本人なんて何をやってもだめだし、どうせ地道に生きるしかないという本質的な諦念がこの国に鬱という原則をもたらしている。それがここ数十年のグローバリズムで、何が何でも躁にならなければいけないという風潮が、天皇制を抑圧し、民間やヤクザの価値観の伸張を可能にしてきたが、二度の経済失敗によって再び日本全体が鬱状態になり、天皇制にすがろうという空気と、ここまでやったからには諦め切れぬという民間やヤクザの勢力が拮抗状態になっているのが現状である。しかし、鬱の天皇制と躁の民間ヤクザが戦争をするうちに、日本人の精神はズタボロになって、様々な紛争や事件が起こる中で絆を喪失し、気がついたら精神が空洞化した地獄が現出していたわけである。このように鬱と躁が戦争をするとろくなことにはならない。しかも鬱勢力の執拗さはすさまじいものがある。日本はそろそろ鬱の天皇制をかなぐり捨てて、差別のある明るい躁社会のデザイン設計をしなければならないのではないか。それにはまず受験競争を認めたうえで、東大を中心とする帝国社会へと再編成して、学力により人間を序列化することだ。それによって日本は極めて面白い社会になるはずだ。
年収200万円以下の給与所得者、5年連続で1000万人超 小泉構造改革で「ワーキングプア」増大が社会問題に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-20/2011092001_02_1.html
ワーキングプアの問題も、それはそれであるが、プログラマとしての実感は
小泉構造改革で「プログラマーの質が全体的(平均値)に下がった」
である。プログラマーだけでなく、IT関連全体に言えるかもしれないが。
ついでに格差問題で言えば、以前からIT関連の技術格差はレンジが広いと言われていたが、小泉構造改革でさらに広がったと感じる。
ひとくくりにプログラマーの特定派遣が質が悪い、とは言わないが、いい人に滅多に巡り会わなくなった。
金の切れ目が縁の切れ目、という事で、製品知識の継承が出来なくなった点。
プログラミングは、今、コンピュータの中がどうなっているか、通信がどういう状況か、などのイマジネーション力が無いといい物が作れない。もちろん、最終的に製品がどう使われるかにもよってプログラミングの仕方も変わる。それが分かっていない。だから、単価が安いからといって派遣や小さなソフトハウスに一時的に請け負いででも出すと、技術の継承が全く出来ない。
まぁ、現に、うちの会社では、今まで丸投げしていた結果、ソフトハウスが来なくなって、技術が空洞化、製品のメンテナンスが出来ないというお馬鹿な状況になっているわけだが。
大メーカーの某ライジングサンコーポレーションでは、正社員はほぼプログラミングしない。動作原理や周りの環境がどうなっているかを知らないまま、上流工程に行ってしまう。そして、プログラミングという下流工程を経験しない。非常に嫌な感じがするのは、この会社でよく使われる「上流」「下流」という言葉。本来、技術者レベルで見れば、単にウォーターフォールモデルの名前でしかないにもかかわらず、この会社や管理職・経営者から見ると「上流」が偉い、「下流」が下っ端、ととっているようだ。似た言葉で「上層(レイヤー)」「下層(レイヤー)」「高レベル」「低レベル」もあるが、我々技術者から見れば、アプリケーション層が上層、物理に近づくにつれ下層という意味でしかないが、会社や管理職・経営者からみると「上層」が偉い、「下層」が下っ端、と取られる。
話がずれた。
ワーキングプアも問題だが、技術格差も問題になっているよ、と言いたいのよ。
(あとは分かるよね。不具合・納期遅延発生→出来る奴に仕事集中→鬱→退社・自殺→まじめそうな奴に仕事集中→鬱→退社・自殺→必然的に出来ない奴が生き残る)
原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)
裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋な学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。
大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会で成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラーの仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学の教育・労働力センターが最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴と収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人の生涯賃金は360万ドルだが、高卒の場合はせいぜい130万ドルでしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年の研究では、大卒は高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。
しかし、過去というガイドは未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事と教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会の大卒需要低迷という事象も構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造的破壊の強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。
大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジアの大学に在学している。経済的新興国、中でもとりわけ中国は欧米のエリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社は新卒生を世界クラスのコンピュータープログラマやコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。
同時に、教育を受けた労働者の需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀に工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアにプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語的曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。
Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業化社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金の仕事よりも、大卒が伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマの仕事ならインドに頼むことができるからだ。
大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルドは前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益を目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞はブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインでアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。
MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミスの工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業はますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderはITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスのコーダーに分配するという方式を採用している。
このような変化は間違いなく知的労働者の生産性を高めるだろう。消費者はサービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事を外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。
消費するだけで社会に貢献している。
正直、役に立たない人口が増えてどうなるのかについては中低進国の現状を見ればよく分かることだろうし
新たな付加価値を生み出さない地方にさんざん投資して消費を増やしても国の借金積み上がるだけだし。
はっきり言えば、都市部の住民は納税額が公共サービスからの受益額より多いのに対し。地方の中高卒は
公共サービスの受益額より納税額が極端にすくないのが問題なのだよ。
いくら消費消費と言ったって国からの資金援助なければ地方は成り立たないし
国の借金が上限額に達し、地方交付税払えなくなったら地方産業壊滅するけど、それでも消費できんの?
今必要なのは肉体労働レベルの人材ではなく、地方から新しい付加価値を生み出せる人材なんだよね。
まあ、そういう人材を育成してもより給料の高いところに流れて空洞化する可能性もあるけどさ
また、内需内需っていつたって、コスト競争で既存セグメントの企業はどんどん海外に出てくわけ
地方ってのは、川や海や山で仕切られていて、そこへ行くにもそこから出るにも時間やコストがかかったんだ。
一日の生活時間の中で、買い物にかける時間として合理的な範囲が商圏として成立していた。この障壁がある意味、地方の繁栄の源だったのかもしれない。
君たちはカレー粉を買いに一時間も電車にゆられたり、車を飛ばすこともないだろう。
この一般の人にとって有効な時間で買い物ができる商圏って概念は、便利な生活道路や高速道路や新幹線や空港ができて、大きく変わってしまったんだ。
商圏の外からモノを持ち込みやすくなったんだ。言い換えるならば、物流に大きな風穴が開いてしまったってことなんだ。自由に使える車の数が増えたことも商圏を広げてしまった。
それと並行して土地改良区が農地の宅地や商業地への転換を許可し始めた。
商業地が希少な存在であったからこそ、商店街に価値があった。商業地が増えるなんて思ってもいなかった。
郊外の農地を埋立てて、ロードサイド店やショッピングセンターが造成されていった。
複雑な権利関係が存在する間口の狭い細長い土地は再開発しにくいよね。時代に合わせて駐車場も作れない。アメリカで成功したビジネスモデルを取り入れるなんてどだい無理な話だ。
行政の立場からすれば、商店街と新興のお店が重複して出店されている瞬間は、お店の数的にも売り上げ的にも街が発展したと見誤ったのかもしれない。税収が増えているからね。
大規模店舗規制法というショックを和らげる緩衝期間が設けられたけど、圧倒的な物量、合理的な発注、的確な接客ノウハウを持った大手資本を相手にパパママストアから発展できなかったお店は、撤退を余儀なくされたんだ。
結果、無事に廃業できたところは、中途半端な住宅として残り、無事に廃業できなかったお店は、銀行に土地を取り上げられて、更地になったり、良くて駐車場になって、街の空洞化を進めてしまった。道路の拡幅工事やバイパス道路の建設も混雑や渋滞による賑わいを失わせた。
無論、これはみんなが望んだ選択と自由競争の結果だろう。
より便利なものを選択した消費者、商業地の稀少性を失わせた行政、商店街のパブリック性に気がつけなかった商店主たち。この3者それぞれの思惑から、外からの資本の流入を許してしまったんだ。
実はもっと困ったことが起こっている。日本の高齢化を先取りしている地域を見るといい。
外の資本のロードサイド店やショッピングセンターでは撤退が始まった地域がある。これは10年後の君たちの国の姿かもしれない。
今は便利だと思って使っているお店がある日突然、消えてしまうかもしれない。
未来永劫、巨艦型ショッピングセンターの時代が続くわけでもないと思うんだ。彼らは君たちよりもはるかに合理的な選択をするのだから。
今すぐ原発を止めるとしたら、足りなくなった電力は既設の火力発電で埋め合わせることになる。
LNG火力発電、石炭火力発電のコストは原発と大差ないが、石油火力発電は原発の倍以上のコストがかかる。
「原発を止めても、休止してる火力発電所があるから発電量は足りる」というのは、
コストが高くて使われていなかった石油火力発電を再稼働すれば足りる、というだけの話で、
代替エネルギーを見つけるまで、またはLNG発電所を新設するまでの間は、今の1.5~2倍位の電気代を払わなきゃいけなくなるだろう。
エネルギーコストの上昇で物価は上がり、工場の国外移転が進んで産業は空洞化するだろう。失業者も大勢出ることになる。
普通に考えたら政府がこんな馬鹿なことをするはずはないから、原発に変わる発電所が新設されるまでは原発を動かし続けるものだと思っていたし、
点検停止中の原発も、地元自治体が反対しても政府が説得して再稼動させるだろう、と思っていた。
ところが、今の政権は浜岡原発を止めてしまった。「浜岡だけが例外的に危険で、他の原発は問題ない」とは言うものの明確な基準を示さず、
浜岡以外の原発立地自治体に対して説得力を持たない形で政治決断してしまった。
今の電気代が変わらず、今の電力供給量が維持される前提でなら、誰も原発を止めることに反対する人はいない。
将来的に原発から他のエネルギー源へ移行していくことにも反対はしないが、今すぐ全ての原発を止めるべきではない。
円高だから輸出が伸びないのではなく、輸出先に購買力が無いから、輸出が伸びないのである。
円安にする為に、去年の9月に円売り介入をしたが、その結果、どうなったか。輸出したくても、相手先では食料や燃料の高騰によって可処分所得が食われ、工業製品の購入・更新は先送りになっていて、輸出は大幅に減ってしまっている。せっかく円安に誘導したのに、輸出先の在庫がだぶついていて、出荷したくても受け入れてくれない状態となっている。
つまり、通貨の切り下げ競争をやっている相手国に、輸出をする為に同じように通貨の切下げで付き合っても、相手国の消費者はエンゲル係数が上昇している為に購買力が減少し、輸出しても在庫が積み上がるだけで、利益に繋がらないのである。
通貨の切り下げで輸出が伸びて相手国の産業を空洞化させる事ができるのであれば、国際的経済戦争の手法としては有効であるが、相手国に購買力が無い場合や、相手国の国内産業が生産する製品よりも高性能で安価な製品を作り出せない状態では、通貨の切り下げは間違った政策となる。
後進国・中進国は、この間違いを実行してしまい、輸入物資の高騰を発生させ、国内経済を疲弊させてしまい、政情不安を招いている。
食料や燃料といった生活必需品のコストが高騰していて、工業製品に対してお金が回らない状態は、当分続くであろう。工業立国を続けるには、少なくなったお金を吸い取れるだけの信頼性と利便性を実現した製品を供給する事でしか、成立しないわけで、かつ、後進国・中進国に出て行った工場ではコピーできないような製品でなければならない。そういう製品を生産し、そして、国外に余計なお金が流れていかないように、低レベルな製品も国内生産に戻す事が必要となる。
購買力が小さくなっている市場においては、営業マンを送り込み、その国内のメディアに宣伝を流して製品を売るというやり方は、通用しない。市場規模が小さすぎて、営業所や支店を置けるだけの売り上げが維持できないのである。宣伝はインターネットで行い、個人輸入の形で購入して貰うという手法へとならざるを得ない。
宣伝は個別の製品の宣伝だけでなく、企業の信用度を上げる宣伝も同時に行わなければならない。個別の製品の宣伝については、過去の手法が使えるが、企業の信用度を上げる宣伝については、過去の手法は使えない。親戚が従業員になっているとか、本社ビルや工場といった物件が目の前にあるといった信用創造が通用しない顧客に信用してもらうにはどうすれば良いかというと、その企業を支えている株主やユーザーといったソーシャルネットワークの広さ、実存を、その企業のwebにおいてアピールするとなる。インターネット上の既存コンテンツをミラーして、投票によって入れ替えを行っていくという手法は、その手段の中の一つである。
リストラによって親戚が解雇されたとか、工場が廃止されて海外に出て行ったといったことで、社会の中における存在感が希薄になっていくと、外資と信用度に差が無くなり、余計に過酷な競争に巻き込まれるというのが、日本の産業が陥っている失敗の原因の一つと言える。
対策は、企業側だけではなく、政治の側においても、行う必要がある。食料や燃料を生産する方が、はるかに楽なように見えるが、それらで養っていける人員の量には限界がある。日本にとって、工業立国は、当面は過大な人員を食べさせていく為に必要な選択であり、特許権や著作権等の知的財産権や、懲罰的賠償制度、許認可、立地制限といった制度を改廃し、起業を行いえて、しかも、競争が活発化するような産業育成が必要となる。
それ、資本主義と一緒。 資本主義とは決して良策ではないが、他に方法がない。なぜならば、社会主義のほうが望ましいが、人間は愚かであるから社会主義を適用することができない。
というのと全く同じじゃね。
分散しようとしても、集まっちゃうんだから。無理だろ。 副都心で都庁を新宿に移転しただけでもえらいよ。
それに、首都圏の人間からすれば、一回 リセットするためにある程度 破綻することは織り込み済みだから(JALのように破綻させなければ構造改革できない例が多すぎるため)
マイナスっていわれても、今更驚かないし。地方だって破綻させてリセットと考えてる人は多いと思うよ。
言い方を変えれば、破綻せずに回復してもよし、破綻してリセットしてもよし。でしょ。
破綻させないことに血道をあげるにはもう手遅れだからね。一定の破綻が織り込まれている。
あとは、みんなで努力して、破綻せずにどうするか?というのを 個別に考えるフェーズに来ているだけ。
そういう意味では、戦略というフェーズで、リセットのために破綻やむなし。という所まで来ちゃってるんだから、いまさら、破綻反対、全救済って叫んでも遅いでしょ。
それを叫ぶなら、バブルの真っ只中に叫ばないと。
安い外国製品が入ってきていた頃に、コレでは産業が空洞化する。国内製品を高くても買おうよ!という流れは潰された気がするからねぇ。
あの時、安くて良い物 という フレーズに飛びついた人たちが、自分の給料をめぐりめぐって下げたんだけど。 自分たちで選んだことだからねぇ。
今おきている問題は、バブルの頃にとっくに指摘されていたでしょ。そして、今を選んだ国民がいると。
過去の歴史において、芸術的価値を重視するような謙虚な(?)パトロンはどちらかというと珍しいね。
それこそ一国の君主とか、道楽貴族とか。主流派ではなかった。どっちかっつーと
「(あらゆる経路で)承認欲求を満足させてくれる」
そして、彼らが作っていたのは『商品』ではない。
要求されていたのは雇用主個人への働きであって、
どっちかっていうと、そういう役割を負っていたのは教会だ。
現在のショービジネスの世界だけど、これはそもそも利益を上げることが大前提。
価値の無さの度合いは(見栄や外聞が関与しない分)もっと熾烈。
非常に即物的でカネに汚い世界だよ。
同時に、承認欲求にも汚いけれど、カネを生まない存在に価値はない。
過去の芸術家と、現在の「アイドル」「アーティスト」の違いは、
個人つきの執事と、回転寿司屋の店員の違いって言ったら分かりやすいだろうか。
>プロダクトが定期的に排出されるわけでもない歌手とかを従業員ないし「ファミリー」として迎い入れるっつーのは、
>ソロバン弾いてものを考える人からしてみたら本来ありえないことっしょ。
レコード会社はそうだね。そういう役割を(これまでは)負っていた。
沢山集めた「歌手」を支えることで、その中から所謂ミリオン歌手みたいな存在が出てくる。
そして、彼らの稼ぐ金で会社全体を支える。その余裕の中から次の稼ぎ手が出てくる。そういう産業構造。
ただ、ここでも、能力のある表現者を『保護』するのは、あくまで将来的に利益を上げるためだ。
今は産業自体が空洞化して、そういう役割を期待できなくなっているけれど。
既に雇ったミュージシャンや社員を支えるだけで精一杯で、新しい稼ぎ手を育成することが難しくなっている。
結果的に、今はインディーズなんかで「既に売り上げが見込める」商材を青田買いして売り捌くケースが多い。
でも、ジャニーズ事務所(というか、タレント事務所全般)はそういうカラーは薄いね。
稼げないタレントは即解雇。コネも無ければ、もしくはそれこそ枕営業みたいな方法で残してもらうしかない。
……ここまで来ると、個人に対する奉仕、という意味で、かつてのパトロン制に近いんじゃない。
でもまぁ取り敢えず、「プロデューサー」と「パトロン」はまったく別のものだ。
興行によって金と影響力を得た個人が、金と影響力を持った個人として、「パトロン」に近い振る舞いをすることはある。
今日本に必要なのは消費だ、っていうことだっけ?
コメントしたのは途中からで、指摘があったのはコレかと思います。
物が売れなくなった という 事に対して その主要な要因が国内市場の低迷なのか?海外市場の低迷なのか?というのがポイントです。
私の主張は
昔
海外輸出が伸びた > 輸出業を中心に収入が伸びる人が増えた(A) > 収入が伸びた人が国内でお金を落とした > (A)の人向けに外食産業や衣類・娯楽産業など国内サービスの市場が伸びた(b) > (b)により収入が伸びた人が国内でお金を落とした > (b)の人向けに さらにサービス産業が伸びた (c) > (C)により収入が伸びた人が国内でお金を落とした(以下連鎖)
という連鎖であった物が
今
海外輸出が低下し・海外売り上げに変化していった(産業の空洞化・工場の海外移転) > 輸出業を中心に収入が減る人が増えた(A) > 収入が減ったので国内でお金を落とさなくなった > (A)の人向けの外食産業や衣類・娯楽産業など国内サービスの市場が減った(b) > (b)により収入が減った人が国内で消費しなくなった > これに気がついた政府か 国内消費をのばすために 公共事業を増加した > 赤字国債が増えた > 見かけ上の消費は公共事業により増え続けたが、借金で遊んでいるだけで国としての収入は減った(E) > 公共事業が削減されていった > (b)(c)(d)と連鎖して消費が減った・収入が減った > 国内消費は冷え込み(E)の借金だけが残った
という連鎖だと思います。
つまり、経済の車輪の物が売れなくなったの起点は海外市場での冷え込みがまわりまわって、国内消費に影響を与えている。
したがって、海外売り上げを伸ばさずに、国内消費を上げようとするのは歴史的経緯から非常に厳しい。
という感じの主張です。
言い方を変えると、日本の製品は家電であったり車であったり、石油などでも良いですが規模のビジネスに依存しているところが大きいです。
規模のビジネスとは固定費変動費のなかの固定費が一定の割合を占めており、作れば作るほど儲かる、大量のロットほど儲かるというビジネスという意味です。
海外市場で売れている場合、研究費などの固定費の回収が楽ですが、国内市場のみの場合マスが小さいので固定費の回収が厳しく利益率が悪化します。
こういった、今まで牽引してきた輸出産業の利益率が悪化することで、収入が減り、サービス業などを直撃した結果、連鎖して消費が落ち込んでいる。と考えています。
自分で解決しようと思ってできるなら、野麦峠は起きていないと思うし・・・
昔は、自分で解決できない=死亡だったりしたわけじゃん。労災とかで。
そう考えると、今の、中高年と言うのは、偶然自分でなんとか出来て生き残った組。
だから、それを実力と勘違いして、今の若いヤツラはっていうけど、実際、自分たちがリストラされてなんとかなるのか?っていわれると・・・自殺したりしてるわけで。
まぁ、今の中高年や大人達が、自分で解決しようと思ってできてたのは、さらなる大人たちの力や偶然である可能性が高くて
今の 子どもたちが自分で解決しようと思ってできてないのは、要するに、大人たちが悪いってワケで・・・
怒ったりするのは筋違いなんだよね・・・
俺が思う景気について
1 景気って何さ? そもそも 気って?
世間様はなんとなく、気分でいい時も有れば悪い時もあるさと思ってる気がしている。国民にとって景気とは天気みたいなものではないのか?
俺的には、純粋に経済的な指標で会社の成長戦略のような物だと思っている。
2 景気回復に付いて
世間様はなんとなく、雨の日の次が晴の日になるような感覚で、景気が回復すると思っている気がする。
俺的には、産業の空洞化・少子化をはじめ 純粋に経済的な要因がマイナスになっているので、景気が回復すると行ってもリーマンショック前程度であり、今後もマイナスになっていくと思っている。収入がないのに消費はない。
3 景気回復対策について
世間様はなんとなく、大手 土建業 大手製造業に 資本を突っ込めばなんとかなると思っていると思ってる。
俺的には、だって、大手業者って、自分とこの製品の仕様とか、大雑把なものまで下請けに聞いたりするような丸投げ構造でしょ?それでどうにかなるかと言うと、焼け石に・・・
景気ってなんでしょう・・・。
「人材の流動化か囲い込みか(http://remote.seesaa.net/article/147006872.html)」で示される問題は、SIerの案件であれば1つや2つはよく起こっている。ここまで問題が積み重なっててひどいのはあまりない(...と思いたい)以下は実際にみてきた現場の惨状。
excel方眼紙はよく見かけます。修正にやたらと手間がかかるので苦痛です。継続的にメンテナンスする必要があるドキュメントには向いてません。あと、ソースコードを日本語訳したようなひどい設計書が多いです。そんなもんソースコードで十分だろって思います。
本番環境でコンパイルしたりとか、恐ろしい事をしている現場がありました。それでソースコードレポジトリとの同期が取れてなくてどのファイルが実際に稼働しているコードなのか分からなくなったりもしていました。
ユニットテストがないのはデフォルトです。テスト仕様書が残っていればまあいい方ですが、テスト項目に「正常に動くこと」としか書かれてない場合もあって信用できません。
5.GUIがひどすぎる
RDBMSをつかったシステムで、会社の休業日を管理するテーブルの編集画面にレコード番号が必要かどうかで議論が始まり一時間くらいぐだぐだと会議をしたりします。そんなもん年月日でユニークキーにしておけば十分。いちいちユーザに番号を振らせるという手間をとらせたいんだろうか。
自社で一貫して設計から実装まで担当しているSIerは別として、そうでないSIerには実際にモノを作っている人間は居ない。仕様の検討段階での資料作成から、アーキテクチャ設計、設計、テスト、運用までほとんど外注にたよりきっており、ざっくりなマネジメントをしているだけだったりする。
設計から外注に丸投げしているSIerでは、日本式のやりかたとか言う以前に、そもそもSIerの社内にシステム開発を行ったオリジナルメンバーが存在すること自体少ない。
すでにSIerでは内製することすら出来ない状態まで空洞化している。
元記事のコメントより
コストダウンの名の下に人減らしだけは進みましたが、そのことがどれくらい破壊的な影響をもたらしているかを、上の人が全く理解できていません。上の人ほど開発経験に乏しく、細部を理解できていないのです。
『鉄筋減らしてコストダウン』して住めないマンションを大量生産したマンション販売会社がありましたが、IT業界は減らすどころか「鉄筋も柱も無くしてコストダウン」を目指してる感さえあります。
IT業界は減らすどころか「鉄筋も柱も無くしてコストダウン」を目指してる感さえあります。
ってのは言い得て妙だ。
「SIerはモノを作るのが仕事ではありません、マネジメントするのが仕事です」キリッ!
ってよく言うけど、マネジメントに関しても、技術的な問題が起こっても解決するだけの力がないので、下請けに残業してくれという根性マネジメントしか出来てない。顧客から仕様変更の要求があった場合でも、どういう影響があるかも理解できてないので、全部請けてきて下請けに丸投げとか。
たちが悪いのは見当違いなルールを課して管理したつもりになっている事。
外注に頼り切っているSIerでは、アーキテクチャ設計、ドキュメント整備、ソースコード管理、テストの自働化、GUIデザインは社外の他人まかせになってしまっており、現状の開発方法でどのような問題があるのか気づくことができない。そういった現場から遠い場所にいる連中が現場をうまく回すためのルールを作れるとは思えない。
不幸と情念と無力感とちょっとだけの幻想を原動力にしていると思う。
イギリスのどうしようもない時期にパンクが生まれたりした事を思い出したり。
ということは、日本映画が面白くない最大の理由は、日本にまだ余裕があるからか。
ということは、落ちる一方の日本では映画がこれからどんどん面白くなるだろう。ヤター!
と思っていたのだが、一方で、最近の日本人の若者は、これを言わないと死ぬに死ねない突き進むようなメッセージ性を映画で表現するような戦い方をするのか?
大体、それってシステムに組みすることだしな。
メッセージ性皆無かもしれないけど、自分たちで面白い動画を作って公開して勝手に盛り上がって、結果的にシステムを空洞化させるとかそちらの方が日本人の性に合っているような気がするし、私なんかが指摘しなくても、彼らが意識的にやっているか無意識的にやっているかは分からないが、実際の今現在はそうなっている感じはある。
結局、若者には面白いもの・可能性があるものをかぎ取る鼻があるし、そう捨てたもんじゃないと思った。
日本の映画やドラマや音楽やアニメやゲームや漫画や小説は駄目だ駄目だと言っているオッサン(私もだ)にはそれが彼らの趣味なのだと割り切って勝手に嘆かせて、精々ノスタルジーに浸らせておけば良い。
いやというか、日本の若者自身がやらずにはいられないことをやれば良いだけの話だし、やっている人はやっているし、こんな事を書いている文章も大して意味はないのだろう。
オッサンの役割としては、自分の思い入れのあるジャンルに興味を持った若者に親切にする、くらいしかないのじゃないかなと思った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1430361.html
「ラモスが真の日本人だ」とかいってる人は本当にラモスと同じ意見なんだろうか?
ラモスが移民受け入れ反対なのは、現状では受け入れ態勢が不十分だから。
だからもし受け入れ態勢が整えば賛成になりうるし、或いは受け入れるために体制を整えよう、という主張をする可能性はありうる。
ラモスは真の日本人とか言っている人たちはそういう主張には賛成するのかどうか。
つまり受け入れ体性が整っていようがいまいが、移民を受け入れる事に反対という人は
ラモス賞賛している人は
単に目先の結論が「移民反対!!」で自分と同じだからっていうだけに見えるんだけど。
ちょっと流れとは関係ないけど、ゲーテッドコミュニティと移民の話があったので
(メディア批判が主な内容だけど)
7分以降から
http://www.youtube.com/watch?v=r2DS9t5lzJo&feature=related
後編part10
http://www.youtube.com/watch?v=g1HkKOMhloc&feature=related
ちょっと長いので1分20秒あたりからの気になった内容を文章に起す
宮台
「例えば同じようなメディアでも、まあこれはあのう自転車で行こうっていう、皆さん見ていただきたい、インディーズ系の大阪の生野区ですよね、鶴橋とかがある。
外国人がいっぱい住んでいるところの、その精神障害の人間たちの生き方を、生き様を映している訳だけども。
これは本当に皆さん見るとびっくりするんだけど、まあ生野区ってヘリテージがあるわけですよ。郊外化してなくて凄く地元性が残ってる。
でその地元性の中にコリアンとかチャイニーズ、或いは中南米の人たちと一緒に生きていくっていう事が完全に組み込まれているから、
精神障害の、知的障害の方々がいても、別に女子高生のコギャルも平気で話かけて喋ってるし、街で歩いてりゃたこ焼き屋のおばさんが、たこ焼き奢ってくれるし
その普通なら信じられないようなですね、地元的なコミュニティー的な者と、絶えず出入りする外国人との共生が成り立っている訳ですよ。
で僕はそういうヴィジョンを見ると、メディアはこういう風にも働く事が出来る。
つまり「異質な人間が入ってくると共同体がバラバラになって不安になるんだ」じゃなくて、まったく逆だと。
むしろ共同体が空洞化してバラバラになってるから、異質性に対して脆弱になって神経質になっちゃうんだと。
だからむしろ寛容さっていうのは共同体の強固さの表れなんだ、という様な事をね、ものすごく説得的に、本当だったら描けるわけだメディアでね。
メディアはどっち側にも加担できるわけなんだけど、どうも頭の悪い思考停止野郎が多いせいか知らないけど
ある一方側の、ネオコン的ニヒリズムをブーストするようなタイプの情報ばかりが、メディア空間に溢れるという現状になっている。
これは否めないですよね。」
神保
「一つはそっちの方が取材が楽だから、ともう一つ最近感じるのは、書いてる本人が多分本気でそう思ってるんだろうなっていう感じがして……」
いや、昔から言われているが、産業の空洞化が本当に起きていて、ものづくりができない国日本になっている側面がある。
IT産業は一部を除いてハード・ソフトともに技術水準が上がっていないし、バイオも出遅れ感が強い。
農業関連は規模の問題で輸出できるようにはならないし、土建業は技術水準は高いけど結局現地で人を雇うことが基本になるから、輸出産業じゃないし。
http://anond.hatelabo.jp/20100224230751
竹島問題を解決するために、日韓両国政府は「竹島-任那交換条約」を締結した。
日本は竹島の主権を放棄する代わりに、韓国は任那(慶尚南道)と済州島を日本に譲渡するという内容である。
韓国民は日本の竹島主権放棄に熱狂し、対価の大きさを考えることはなかった。
こうして日本は、敗戦後、西之島新島(1973年、火山噴火による新島形成)以来の領土拡張を果たすことになる。
任那の経営は、国土交通省と財界の共同出資によって設立された、財団法人「任那日本府」が行なった。
これは、財政支出のこれ以上の拡大を避けるために、任那経営を民間に委託するという、
谷垣連立政権(鳩山政権崩壊後に成立)の方針によるものである。
任那日本府の本部は、任那の金海市に置かれ、初代総督には、経団連名誉会長の奥田碩(元トヨタ自動車社長)が就任した。
再度の不況により価値が暴落していた韓国ウォンを任那の法定通貨とし、任那を日本の輸出拠点とすることで、
このため日本の製造業は次々と任那に工場を移設していったが、かわりに日本本土内で産業空洞化が進んだ。
また奥田総督は、安い労働力確保のため、任那で移民を受け入れる意向であった。
日に日に高まる奥田体制への批判の声を前に、奥田総督は、再選の辞退という形で辞職の道を選んだ。
後任の選定は難航を極めた。
任那日本府の実質的な運営主体である経団連は、世論の批判を恐れて、総督候補を出さなかった。
中坊公平など、幾多の名前が挙がったが、どれも決め手に欠けた。
結局、政治判断にゆだねられることとなり、谷垣総理に一任された。
この人事の裏には、森元首相の存在があったといわれている。
任那を日本の産業基地にするという奥田路線を、そのまま継承した。
その代わり小泉総督は、任那に「朝鮮神宮」を建立することで、世論の批判をかわすことを試みた。
本来なら任那神宮とするべきだが、ゆくゆくは朝鮮半島全体を統べるという意図から、
朝鮮神宮には宮司の上に祭主が置かれ、祭主には黒田清子(今上天皇長女)が就任した。
小泉総督は、任那経営の問題の本質的な解決をしていないにもかかわらず、
特に保守層に支持されることとなった。(つづく)
今でも、不要な公共事業とかあるわけで、直接的な意味で経済に貢献している『働いている』人が1割いるのかどうか微妙だな。
あとベーシックインカム8万円ぐらい?では、ろくな生活はできないので、大抵の人は副業するだろ。
比較としてややリッチな生活ができるのはお子様がいる家庭という事になろうが、少子化が叫ばれる昨今それはまぁ有だろう。
とはいえ、経済のグローバル化による失業率の急増は予言されている未来でもあるわけだから、
失業率対策は必要でしょ。それを、どうするかといわれると、どうしても生活保護にするか、公共事業にするか?になって
後者は無駄な利権を生むから、まだしもBIの方がマシでしょう。
正直、話しの根源は、昔から言われている産業の空洞化が本格化して、国内にいよいよ産業がなくなり競争力がなくなってきた。
という団塊の世代が楽したツケの支払い時期が来たという話。
競争力が諸外国と比べてないので、勢い失業率は上がる。富も流出する。
じゃぁ、どうするのって話が先であって。もう働かなくても良いからBIにしよう。というのとは、ちょっと違うベクトルもある。
あと、根源的な目的は、生活のために働きたくない職種で働くのではなく、最低限の生活は保証するので、働きたい職種で足りない分を補って、働きたい職種で働くことで、経済を発展させて欲しいという考え。
トイレ掃除をする人がいなくなるとか言う人もいるが、言い方変えれば、生活する権利を盾に取って無理やり汚い仕事を人に押し付けることは良いのか?という人道的な話もあるし。
程度の話としても、少なくとも長屋、トイレ風呂共同、肉は食えないけど銀しゃりは食える。ぐらいのBIは保証されても良いんじゃないか?
でも、それじゃやぁアレだよね。じゃぁ、何か仕事しようよ。働きたい分だけというのでは、どうなんだろう。