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2024-04-09

理部科学省に名前変えろよ

理武両道だ

Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology

文の要素は文化カルチャーだけ

2024-04-06

「99.9%は再発見」の法則

新規発見というものは珍しい

大抵はすでに発見されているものを再発見した結果である

しかしこの数字の罠に騙されないでほしい

まり0.1%新規発見なのである

この1000に1の逸材こそが、斬新なものを作り上げていく

残りの99.9%については、伝え方や質の改善ぐらいしかやることは残されていない

なぜ映像キレイ作品がつまらいかというと「既存アイデアの組み合わせ」をキレイに見せているだけだから

本当に高IQの人たちは「クソ」と評価された作品を好んで見る傾向にある

これは「クソ」な映画作品が、実際には新規アイデアの宝庫だから

以下の記事でも高IQ者がクソ映画を好むことについて詳しく説明しているので参考にしてほしい

Love of trashy films linked with above-average intelligence, study says. Preferring Mega Shark versus Crocosaurus to Citizen Kane doesn't make you a cultural retrograde – it actually suggests you have above-average education and a preference for arthouse cinema. https://www.wired.com/story/trashy-films-clever-people/

2024-04-05

SDGsってさ

おかしくねえか??

俺は毎日毎日Eテレを見ているので、そんじょそこら大人よりはSDGsに詳しいつもりだ。

 

SDGs17目標、これな↓

1:貧困をなくそう (英: No Poverty)「あらゆる場所のあらゆる形態貧困を終わらせる」

2: 飢餓ゼロに (英: Zero Hunger)「飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能農業を促進する」

3:すべての人に健康福祉を (英: Good Health and Well-Being)「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」

4: 質の高い教育をみんなに (英: Quality Education)「すべての人々へ包摂的かつ公正な質の高い教育提供し、生涯学習の機会を促進する」

5: ジェンダー平等を実現しよう (英: Gender Equality)「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児能力強化を行う」

6: 安全な水とトイレ世界中に (英: Clean Water and Sanitation)「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能管理を確保する」

7: エネルギーをみんなに、そしてクリーンに (英: Affordable and Clean Energy)「すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能近代エネルギーへのアクセスを確保する」

8: 働きがいも経済成長も (英: Decent Work and Economic Growth)「包摂的かつ持続可能経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」

9: 産業技術革新の基盤をつくろう (英: Industry, Innovation and Infrastructure)「強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能産業化の促進及び技術革新の推進を図る」

10: 人や国の不平等をなくそう (英: Reduced Inequalities)「各国内及び各国間の不平等是正する」

11: 住み続けられるまちづくりを (英: Sustainable Cities and Communities)「包摂的で安全かつ強靱で持続可能都市及び人間居住を実現する」

12: つくる責任 つかう責任 (英: Responsible Consumption and Production)「持続可能生産消費形態を確保する」

13: 気候変動に具体的な対策を (英: Climate Action)「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」[注釈 2]

14: 海の豊かさを守ろう (英: Life Below Water)「持続可能な開発のために海洋海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」

15: 陸の豊かさも守ろう (英: Life on Land)「陸域生態系保護回復、持続可能な利用の推進、持続可能森林経営砂漠化への対処、ならびに土地劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」

16: 平和と公正をすべての人に (英: Peace, Justice and Strong Institutions)「持続可能な開発のための平和包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセス提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」

17: パートナーシップ目標を達成しよう

 

お前らもSDGsが何の略蚊くらいは知ってるだろうと思うが、(S)ustainable (D)evelopment (G)oal(s) すなわち持続可能な開発目標と言ってるものだ。

俺の理解するところ、持続可能性、というのは、究極のとこ地球リソースは有限に決まっているのだから、それを使い潰さず、人類が恒久的に存続し発展していける可能性を残している状態ということだ。

俺はその究極目標は気に入っている。人類無限未来までその足跡を残せるよう、俺たちは最大限努力すべきだろう。それが先祖と子孫と、人類が見つけてきたすべての叡智のために、現在の我々ができることだ。

 

しかるにSDGsである

6、7、8、9、1112、13、14、15あたりはわかる。

公衆衛生エネルギー持続性、経済雇用産業都市インフラマテリアルリサイクル気候変動対策生物多様性……

いずれも人類地球上で存続していくために欠かせないものだ。

1、2、3、10、16もまあわかる。貧困だの飢餓だのを放っておくと人間死ぬし、社会がある程度公正でないと戦争が起きたりする。

17はまとめみたいなやつだから別にいい。

 

俺が意味わからんと思うのは、4と5だ。高い教育ジェンダー平等だ。これが人類の持続可能性に資するかどうか、まだ誰もわからなくないか

いやもろちん、高い教育ジェンダー平等まこと結構だ。やったら良い。より良い社会のために、是非とも必要なことだ。

だがこれ、持続可能な開発目標か??こいつら無理やりねじまれてないか??

もちろんすべての目標は未だ人類社会で達成されてないことばかりだが、それにしたって、この4と5が持続可能社会を作れるかは不明すぎやしないか

 

(おまけ)

また、正直なところ、俺は特にジェンダー問題については、このままやって本当に大丈夫か?と思ってもいる。

率直に言って、ここまでの人類の存続は、男女の役割という苛烈人権制限の上に成り立ってるんじゃないだろうか?

特に女だ。狩猟時代が終わって男の肉体の役割はずいぶんマシになったと言えるだろうが、女の肉体は相変わらずとんでもない無理をして次の世代を作っている。

こんな状況では、ジェンダー平等なんてのは土台無理な話なんではないかと思っている。

万年前と同じように、俺たちは女たちの本能に期待する以外に種としての持続可能性を持っていない。

ジェンダー平等が達成された世界で、古い男女の役割(女の役割)をやってくれる人間たちだけで人類を持続させられるのだろうか?

ジェンダー平等はいずれ達成するべき目標ではあると思うが、人工的に人間を生成する方を何とかしておく必要があるだろう。

2024-02-03

microsoft educationに入れる。いつからはいれるようとなったのだろうか。

情報人材うんたらかんたらのからみかな?

2024-01-08

ブルガリアブルマー台湾ルーマニア手塚漫画少女漫画

近況

令和6年能登半島地震ガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。

ブルガリアブルマーについて

以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。

https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508

明確にブルマー姿の女の子確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。

記事にはこんなことが書いてある。

Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.

翻訳するとこうなる。

黒か青のレオタードに白のTシャツを着た女の子たち。

このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードブルマー区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉表現される水着翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツ意味する。「бански」だけでも水着意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。

上の記事のものは次のサイトから引用のようだ。

https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1

グーグル画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。

冷戦時代ブルガリア学校ではブルマー採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本学校では考えられない。

https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php

男の子みえる子がブルマーはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)

こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。

https://bg.legaltechnique.org/articles/istoriya/samie-yarkie-vospominaniya-o-sovetskoj-fizkulture-bull-novosti-v-fotografiyah.html

前にもリンクを貼ったサイトブルガリア語版かもしれない。

ルーマニアの状況

まだ見つけられていない。戦間期運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。

ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm

学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtube動画特にない。

コマネチの生まれた国なので(現在米国亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。

台湾の状況

次で見るように、大学大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーのものではない。

https://blog.udn.com/fuping3713/15062824

それより前の時代、完全な提灯ブルマー画像はあった。

https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641

https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840

また、こちらは運動会だが、男女問わずパンだ。

https://www.sohu.com/a/409071189_482071

それから訳語一定していない。

JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋服装フェチ文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉アングラ用語だったのに、いつも何かカジュアル台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。

ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262

排球燈籠褲、つまりバレーボールブルマ」としている例もある。

何かが「無い」ことを証明するのは難しい。

韓国にはブルマはあったが、訳語一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグショーツブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。

その他

同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国少女漫画雑誌がヒットした。

https://www.alamy.com/stock-photo-1970s-uk-june-and-school-friend-comic-cover-98002804.html?imageid=DF552ACD-1B20-4250-A436-F183FCA4DB62&p=1337086&pn=1&searchId=5814b4d8fe078cfdd762a7cf8456796d&searchtype=0

このように、英国漫画にもブルマー表現されていたのだ。

現在世界に残っているブルマー写真だけでなく、当時の小説漫画イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。

それにしても、性的意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。

日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマー何となく好きだった。

これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性エロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性エロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性場合おっぱい特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。

少女漫画の中のブルマー歴史面白そうだ。

漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。

手塚漫画ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題

一般論

過去写真アーカイブの量は、言語によって全く異なっている。

また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。

前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだったしかし、ドイツではよりパンツの形に近いしソ連日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。

これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。

他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール陸上ネットボールバレーボールなど特定スポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。

ブルマー画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。

これだけ長く調べていられるのなら、大学理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事理系素養を全く要求されないし。

とはいえ、僕が学生の頃には東欧言葉自動翻訳で来ていたかは疑わしい。

本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。

これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。

愚痴

台湾韓国女性ブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。

それとも、ブルマー下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?

とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアかわいいと思ったりしている。

Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に結構無法地帯で、全裸女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネス戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸台湾コスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバル女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメパンツ丸出しのシーンとかが載っている。

そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメント散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。

あと、ときどきオススメ動画ジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。

性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解必要だ。

例えば小学生競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣スポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。

そうなると、幼い頃からスポーツやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生選択させるのか。

完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。

誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。

それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画サイトが消えていることがたまにある。動画写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。

まとめ

ブルガリアでもブルマー採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代

今後は旧ユーゴスラビアコーカサス地方ブルマーについて調べるかもしれない。

以上。

重要度が高くないと思われたところはリンクを張っていない。

あと、この記事面白かったら1円からでも募金よろしく~。

2024-01-07

anond:20240107084749

実際の増田のやり取りだけど?トラバリンクいるか

トラバリンクよりも下記の方が有益だと思ってます

 

ワイは発達障害と指摘するのは純粋な親切だと思います

増田の常駐しているある人に顕著なんだが

ちょっと尋常じゃなく文章が読めない(推察出来ない因果が読めない前提知識が無さすぎる)人がいる

 

やっぱそういう人は障がい者手帳取れるなら取っておいた方が良いと思います

 

 

ただ、リアルでやるのは慎重にな

発達障害知的障害で『精神障害者保健福祉手帳』『療育手帳(愛の手帳)』を取る(軽度知的障害認定される)ことによって

法律行為制限されたりは別にしないぞ

しろさまざまな支援が受けられるようになる。だからプロ弱者は診断ガチャしまくる

なにがそんなに理解が難しいのかわからん。今度はまた何にかぶれたの?

 

責めるなら、精神障害者ほぼほぼ判断能力問題あるやろ』って本音では思っていても、

それを表で実名ID付きで口にしちゃアカンでしょって言う一点のみだよ。フツーは我が身可愛くて出来ない

精神障害者として判定されていない人を精神障害者として扱ってはいけないし、
精神障害者であっても自己決定尊重されるべきだし、どこまでの手助けがいるのかは専門機関個別判断することだ

ぶっちゃけほぼほぼ判断能力問題があるのでノーカンでいいよ。黙って従っておけ』とは誰もが本音では思ってるけど

どう考えても表で実名ID付きで公然と言っちゃあいけないよね

 

いいえ、いい加減にして欲しいのは、TPO社会常識インストールしにくい子の特性を知りながら放置したDQN親です。いつでもどこでも子ども騒がしている親と同じ属性
まぁ遺伝が強いので親も似たようなのである可能性は高い

発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識キモヲタ空気読めで片付けない

 

日本には、不幸なことになる前に、セックスについて家庭で話し合っていこう、理解を深めようという取り組みがない。

 

それどころか、日本性的露骨表現に非常に寛容なため、発達障害が間違った理解のまま大人になってしまう。

 

たとえば、オタク間でやっている、紳士仕草

非常にセクシュアルな作品表現を見たときに『・・・ふぅ』と書いたりする。

元ネタ2ちゃんねる(現5ch)やニコニコ動画などのやり取りで発生したいわゆる下ネタである

下ネタ解釈文字起こしするのもなんだかなぁって思うが、アスペ空気読めで片付けないために解釈ひとつを書いておくと、

この作品は 抜ける(性的興奮を高め射精する事ができる) → ふぅと息をついて賢者タイムなるほど、あなた作品表現セクシーだったという、

技巧・表現力を讃える様式スラングひとつである

下ネタを持ち込むことで話を茶化すという目的でも使われるが、大抵はポジティブ賞賛として使われる。

アスペルガーの特性がある人でもここまではニアンスを理解出来ている事が多いが、問題はここからである

 

この表現は、下ネタであり、スラングであり、表現ニュアンス理解し許容している人のあいだでしか使ってはいけないということを

誰かが明示的に説明しないとわからないままアスペルガーの特性がある人は過ごすのである

なので、どんな場面でも『・・・ふぅ』だの『おっきした』だの書いたり、

『素晴らしく性的(な表現が出来ている)』と賞賛を伝えたのに何故喜ばないのか?何故怒られるのか?(ハテナ)となってしまうのである

 

これを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、冒頭に書いた通り、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである

親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな

 

残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、

Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。

 

彼らは、親から兄弟姉妹からも先輩や友人から先生牧師から自然セックス意識を学ぶことはできないとして、
様々な親向けの資料当事者向けの学習資料があるよ。

 

エロ漫画模倣した性犯罪者が既に出てるし、クジラックス先生警察事情聴取受けてるし。何故、レーティングがあるかをちゃんと考えた方がいい

ご本人のツイートをご覧くださいまし↓

https://twitter.com/i/events/874829028212916224?s=20

 

医療機関NPO当事者でも声あげている人いるし

子どもへの性加害経験のある患者の95%以上が、子どもわいせつ写真動画のみならず、マンガアニメなども含め、なんらかの児童ポルノ自慰行為使用したことがあるそうです。

 

小児性犯罪児童ポルノの闇【vol.65】

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0011/topic034.html

ポルノコミックを読んで「求めていた世界があった」

一方で、児童ポルノにあたるようなものを買い集め、実際の加害も繰り返してきた。自身小児性愛障害だと自覚したきっかけは何だったのか。

きっかけは大学時代に読んだ児童ポルノコミックです。ただ、当時は、小児性愛者としての自覚はなく、少年愛というかたちで自分の性の枠組みを正当化していました」(加藤孝さん)

相手気持ちいいだろうとか、大したことないだろうとか、軽く捉えていました。

 

https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A

私が物事判断する基準は、自分が誰かを傷つけるかどうか、または相手に傷つけられるかどうかということです。


しかし、セックスに関して言えば、傷つけられるどころか気持ちがよくなり、快感を得られるなど、私の判断基準からすると、悪いことにはならないのです。

ですからなぜ家族先生セックスをしてはいけないのか、なぜ会ったばかりのよく知らない人とセックスをすることが悪いとされているのか、理解できずにいました。

 

▼彼や夫以外とセックスをしてはいけない理由は? アスピーガール、そして「ノー」と言えない女性のための「アスピーガールの心と体を守る性のルール

https://ddnavi.com/book/4491033293/

 

知的障害発達障害ほか現実フィクションの境が生まれつき曖昧な人、社会通念ガン無視セックスちゃう人の存在無視し過ぎ

現実フィクション区別がつく人、常識が正常に構築出来る人しかいないなら、この世界レーティングなんて必要がないし

この物語フィクションでありとか説明文要らない

 

DQN親やその候補は開き直るのは辞めましょう

2023-11-13

anond:20231113001635

検討していないんじゃなくて、そんな事実はないという主張

it is simply not the case that the SAT is merely a proxy for family income and parental education.

親の財力が高いことによる高度な教育へのアクセス遺伝的要因 などなどについては検討していない

ペーパーテストだけで選抜した子の人生~のヤツ

追記 2023/11/14

ツッコミくれた増田やいろいろ教えてくれた増田本当にありがとう

こういう知らないこと知れるってのはマジで脳汁でるな!!!特に「逆だと思う」って教えてくれた増田!指摘読んでてうっひょーーーなるほど!指摘嬉しい!!ってなったぞ!本当にありがとう!!!

オラはXとかインスタ?とかやってないから、ネット流行りははてなとトゥゲッタースラドしか知れない程度の情弱ボッチだけど、書いたことに対してみんなにいろいろツッコミ受けて、新しいこと知れるのやっぱ楽しいな!って久々に実感した!改めてありがとう


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オッス。オラ英語成績が2だった上に底辺工業高校卒なので、多分誤読してるかも。みんなの知識をオラに分けてくれ!


ペーパーテストだけで選抜した子」の人生を35年間追跡調査すると、ペーパーテストで劣った子と比較してクリエティティ芸術の分野でも上回っていたという身も蓋も無い話が書いてあった😁 さすがピンカー

多分元論文はこれです:https://my.vanderbilt.edu/smpy/files/2013/02/DoingPsychScience2006.pdf

引用元: https://twitter.com/supremeeigo/status/1723484644635783387


リンクされている論文は「Study of Mathematically Precocious Youth After 35 Years」ってやつで、所謂「SMPY (参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Study_of_Mathematically_Precocious_Youth)」 の進路選択における調査の話。SAT-Iの推論テスト高得点をたたき出した13歳の才能ある子供にたいしてどのような教育提供するべきかとかそんなはなしっぽい。 アブストラクトを読む限り、これらの子供にTWA(Theory of work adjustment )を使うことで適切な評価教育提供ができるのでは?また、女子に関しては理系に行かなくてもほかのジャンルでも理系進学したのと同等ぐらいのキャリアを築いてましたよ、みたいな話らしい。


SES(socioeconomic status、つまり実家の太さ)とSATスコア相関係数は0.22でかなり弱い

実家の太さはテストの点数には多少関係あるものの、それ以外の要因(適正など)の方が大きい

https://files.eric.ed.gov/fulltext/ED562860.pdf

引用元: https://twitter.com/supremeeigo/status/1723497832861306930

読んだ人はわかると思うのだけど、ここのリンク先は先の論文とは異なる。

こっちは「SAT」を作っている「CollegeBoard」の調査レポート

アブストラクトから若干キレ気味なことからわかる通り、これはSATスコアSES(socioeconomic status - 社会経済状況:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%8A%B6%E6%B3%81) にめっちゃ依存しててアテにならん、という批判に対するレポートで、まあポジショントークっつーか、結論ありきでデータをかき集めた感じのやつかなって感じ。ただ、俺は学がないのでレポート内の個々のデータ検討はできない。


ただ、元ツイ主の言う「SES(socioeconomic status、つまり実家の太さ)とSATスコア相関係数は0.22でかなり弱い」が書かれている箇所は、恣意的引用というか、ネットユーザーなんて英語読まねーだろバーカって感じで雑にやっていってる感じがする。

元ツイ主の引用個所は以下の2か所

1)「サンプルとする集団によって、SESSATスコアの相関が0.21~0.42とかなりブレがあるんで、データを読むとき考慮しようね」

2)「親の財力と教育SAT得点と強い相関があるなんてことはないよ!」


(1) に関しては特定大学に在籍しているグループSAT受験者全体とかでサンプルする集団属性で相関にブレがあるっつー話。ツイ主の「相関係数は0.22で」ってのは特定大学に在籍しているグループでは相関係数は0.22だったという記述から読み取ったと思われる。でもレポート上ではSAT受験者全体では 0.42 ってなってるんで、そこは検討必要よねって記述なのでここから0.22です!って読み取るのはなんだかなあというって感じ。レポートでこれらをどう検討たか時間が無くて読めなかったのだけど、結論としては「グループ性質や偏りを考慮した相関係数は0.47であるが、SES統計的制御を行うと推定される相関係数は0.44」って結論付けてる。なので制御って何なん・・・?ここらへんが高等教育を受けてないオラの限界って気がするな。


(2)については、そのように書いてあるのだけど、ツイ主の引用してる「In conclusion,~」の前の部分に結構大事なことが書いてある。

Although our work does not address the mechanisms underlying the SESSAT relationship, which may include issues such as access to higher-quality education, access to out-of-school educational experiences, parental role models and support for academic achievement, and genetic factors, it is simply not the case that the SAT is merely a proxy for family income and parental education.

親の財力が高いことによる高度な教育へのアクセス遺伝的要因 などなどについては検討していない。

これ、全部読んでないから何とも言えないけど、要はSATコーチングとかで何とかなるんじゃね?っていう指摘に対する反論として書かれたものじゃないんかな。

USのWikipediaだと、実際にそのような指摘に対して CollegeBoard が反論したみたいな記述もあるし、CollegeBoard自身SAT勉強資料無料配布して低所得者層でも不公平にならないように見たいな取り組みをしている。(え、てことは実際にコーチングってある程度有効って暗に認めてるんじゃ。。。)

https://en.wikipedia.org/wiki/SAT


って感じのところまでを2時間程度で調べた感じです。マジで時間ないのでここまでで。

底辺高卒脳みそで考える限り、元ツイ主は誤読してるか、結論ありきで恣意的引用してるんじゃね?って思うんですがどうでしょうか?

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-07-13

anond:20230713102310

NEETeducation意思が有る者は該当せず。

貴殿学生を名乗るのを認める。(増田教育長

2023-05-23

いいえ、いい加減にして欲しいのは、TPO社会常識インストールしにくい子の特性を知りながら放置したDQN親です。いつでもどこでも子ども騒がしている親と同じ属性

まぁ遺伝が強いので親も似たようなのである可能性は高い

発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識キモヲタ空気読めで片付けない

 

日本には、不幸なことになる前に、セックスについて家庭で話し合っていこう、理解を深めようという取り組みがない。

 

それどころか、日本性的露骨表現に非常に寛容なため、発達障害が間違った理解のまま大人になってしまう。

 

たとえば、オタク間でやっている、紳士仕草

非常にセクシュアルな作品表現を見たときに『・・・ふぅ』と書いたりする。

元ネタ2ちゃんねる(現5ch)やニコニコ動画などのやり取りで発生したいわゆる下ネタである

下ネタ解釈文字起こしするのもなんだかなぁって思うが、アスペ空気読めで片付けないために解釈ひとつを書いておくと、

この作品は 抜ける(性的興奮を高め射精する事ができる) → ふぅと息をついて賢者タイムなるほど、あなた作品表現セクシーだったという、

技巧・表現力を讃える様式スラングひとつである

下ネタを持ち込むことで話を茶化すという目的でも使われるが、大抵はポジティブ賞賛として使われる。

アスペルガーの特性がある人でもここまではニアンスを理解出来ている事が多いが、問題はここからである

 

この表現は、下ネタであり、スラングであり、表現ニュアンス理解し許容している人のあいだでしか使ってはいけないということを

誰かが明示的に説明しないとわからないままアスペルガーの特性がある人は過ごすのである

なので、どんな場面でも『・・・ふぅ』だの『おっきした』だの書いたり、

『素晴らしく性的(な表現が出来ている)』と賞賛を伝えたのに何故喜ばないのか?何故怒られるのか?(ハテナ)となってしまうのである

 

これを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、冒頭に書いた通り、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである

親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな

 

残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、

Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。

 

彼らは、親から兄弟姉妹からも先輩や友人から先生牧師から自然セックス意識を学ぶことはできないとして、
様々な親向けの資料当事者向けの学習資料があるよ。

 

エロ漫画模倣した性犯罪者が既に出てるし、クジラックス先生警察事情聴取受けてるし。何故、レーティングがあるかをちゃんと考えた方がいい

ご本人のツイートをご覧くださいまし↓

https://twitter.com/i/events/874829028212916224?s=20

 

医療機関NPO当事者でも声あげている人いるし

子どもへの性加害経験のある患者の95%以上が、子どもわいせつ写真動画のみならず、マンガアニメなども含め、なんらかの児童ポルノ自慰行為使用したことがあるそうです。

 

小児性犯罪児童ポルノの闇【vol.65】

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0011/topic034.html

ポルノコミックを読んで「求めていた世界があった」

一方で、児童ポルノにあたるようなものを買い集め、実際の加害も繰り返してきた。自身小児性愛障害だと自覚したきっかけは何だったのか。

きっかけは大学時代に読んだ児童ポルノコミックです。ただ、当時は、小児性愛者としての自覚はなく、少年愛というかたちで自分の性の枠組みを正当化していました」(加藤孝さん)

相手気持ちいいだろうとか、大したことないだろうとか、軽く捉えていました。

 

https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A

私が物事判断する基準は、自分が誰かを傷つけるかどうか、または相手に傷つけられるかどうかということです。


しかし、セックスに関して言えば、傷つけられるどころか気持ちがよくなり、快感を得られるなど、私の判断基準からすると、悪いことにはならないのです。

ですからなぜ家族先生セックスをしてはいけないのか、なぜ会ったばかりのよく知らない人とセックスをすることが悪いとされているのか、理解できずにいました。

 

▼彼や夫以外とセックスをしてはいけない理由は? アスピーガール、そして「ノー」と言えない女性のための「アスピーガールの心と体を守る性のルール

https://ddnavi.com/book/4491033293/

 

知的障害発達障害ほか現実フィクションの境が生まれつき曖昧な人、社会通念ガン無視セックスちゃう人の存在無視し過ぎ

現実フィクション区別がつく人、常識が正常に構築出来る人しかいないなら、この世界レーティングなんて必要がないし

この物語フィクションでありとか説明文要らない

 

DQN親やその候補は開き直るのは辞めましょう

anond:20230523102122 anond:20230609172253

2023-04-13

anond:20230413172121

しないが?

 

According to 1, the fees for public child day care (varhaiskasvatus) depend on the family’s income. The maximum fee of municipal early childhood education is US$317 | €295 for the first child and US$202 | €188 for the second child. The minimum fee is US$30 | €28 per child. The fee also depends on how many hours child stays in daycare. According to 2, school meals generally consist of typical Finnish foods such as a warm main course (dishes with fish, meat, vegetables; beans and sprouts as part of vegetarian diet), a side of vegetables (salad, grated vegetables or fresh vegetables pieces), bread and table spread, a drink (skimmed or semi-skimmed milk, buttermilk) and water.

 

  1. https://www.finlandprices.com/education-cost-finland/
  2. https://www.oph.fi/en/education-and-qualifications/school-meals-finland
  3. https://www.infofinland.fi/en/education/preschool-education

だそうです anond:20230413123406

Public education in Norway is free of charge, while kindergartens have parental fees1. According to a report by UNICEF, affordable, quality childcare is accessible in Norway 2. Parents in Norway spend an average of 3,106 kroner per month on pre-school/kindergarten – including free places, food fees, and other additional fees 3.

 

Any child in Denmark under the age of six is entitled to a place in the public childcare system, as long as both the parent and child have a CPR number and registered address 1. Although childcare is not free, it is subsidized by the state 23.

 

Child care in Sweden is considered a public responsibility, and is financed by the state, local municipalities, and parental fees 1. When children reach the ages of 3-6 years, childcare provision is free for up to 15 hours a week 2. Before this time, costs are based upon a parent’s income and can be up to 3% of their salary 2. Parents sending their children to part-time preschools and part-time group care pay no fees, while day care centers, family day care centers, and leisure centers for school-age children receive partial state subsidies 1.

 

It depends on the country in Europe. According to OECD.org, the net childcare costs vary across EU countries 1. For example, in Germany, parents pay between12 to €400 ($14 to $467) per month for day care1. In the UK, single parents are spending 56.73% of the average earnings on full-time childcare (five days a week) at an average monthly cost of £1,249.932.

2023-03-29

Googleは、ChatGPTに脅かされるのを予想できなかったのか?

Googleの動きはこんな所だったかと思う(個人の感想です)

  1. あくまで主軸は検索検索の独占を隠すためにコングロマリット化。エンタメ全体では独占してないですよポーズ
  2. AIについてはGoogle広告クラウドでなければAI性能出ない、というのがGoogleに都合がいい。
  3. 「より複雑、より計算量が必要、そうすれば性能が出る」はクラウド必要なので、Googleに都合がいい。なので計算量が必要モデル論文を出す。
  4. 各国、各社、これからAIだという流れで研究費でクラウドを使う。(研究開発費もGoogle収入になる)
  5. 本命検索は隠し、画像生成など違う方面への論文は公開。検索から目を逸らせる。ただしAI将来有望という期待値は維持必要
  6. 優秀な人材がいれば雇用。(脅かす人材を自社に。それこそGoogle for Educationで優秀人材見つけようと思えばできる)
  7. ネットから大量のデータ収集しているとGoogleは気づける。大量の資金必要でそんな組織は多くない。(Googleからすると予測可能性が上がる)
  8. AIスパコン的なサーバー必要で、Webのような分散処理ではないので、本腰入れたくない。


  1. 単純にネットテキストコード学習させることはGoogleも試したはず。GPTも追いかけていたはず。単語の穴埋めなどは出来ていたはずだが有効性わからず。
  2. 質問と回答という学習データを大量に用意するのは、単純にネットからデータ集めても出来ない。
  3. OpenAIケニア人を雇うなどして(報道がある)、質問と回答の学習データを立ち上げ。勿論途中からシステム学習データを作るのをサポートしているはず。
  4. OpenAIは途中からマイクロソフトと協業。ネットで大量にデータを確保するなど、Googleデータ取れる部分はOpenAIではなくマイクロソフトとして見えたのでは?
  5. ChatGPTコードも生成出来るのがわかり、Google社内でもChatGPTを使いたいと盛り上がるが、Googleとしてはコード出すような社外サービス禁止。なぜGoogle社内にChatGPTのようなサービスが無いんだと不満の声

2023-03-28

anond:20230328103707

87 番組の途中ですが名無しです 2006/07/24(月) 01:38:51 ID:DoJob0Wz0

東大目指して浪人してる俺もニートなの?

90 番組の途中ですが名無しです 2006/07/24(月) 01:41:05 ID:5k+HJayk0

>>87

いや、それならニートにはならない。

ニートってのは、Not in Employment, Education or Trainingの略だからな。

98 番組の途中ですが名無しです 2006/07/24(月) 01:42:21 ID:DoJob0Wz0

>>90

Employment・Educationって日本語で言うとなんですか?

102 番組の途中ですが名無しです 2006/07/24(月) 01:43:53 ID:5k+HJayk0

>>98

やっぱお前ニート

2023-03-10

anond:20230310105348

俺も同じ事考えたことあるんだけどさ、ユーザコミュニティ文化の違いじゃないかと思うようになった。

日本ANSYSやCOMSOLが使われる文化は?

日本のその当たりのツールを使う人は、文化的には製造業文化なんだけど、外国だとIT系文化を引き継いでいる感じがするのよね。

日本のANAYSやCOMSOLなどのシミュレーションツール、あるいはCATIA/CREO/NX/SWのような3D CADツールって、基本的製造業の道具って認識なのよ。だからコミュニティ文化ベース製造業なの。

そうすると、基本的ノウハウを自社の中で秘密にしておくと言う事が基本になるような文化じゃん? 社員に「SNS禁止禁止!!」って通知しちゃうような。

一方アメリカ

ところが、アメリカとかは違うんだよね。IT系のノリなの。これが一番分かりやすく出てるのがユーザカンファレンスね。

ちょうどANSYSの話がでたんでANSYSで話するけど、日本ANSYSユーザカンファレンスは、参加費無料だけれども、各分野1日だけの開催じゃん。
ベンダー講演と、JTCの巨大企業が1社だけ出てきて、お前実施ANSYS使ったことないだろ、みたいなえらい人が宣伝なのか事例なのかよく分からない基調講演し、後はスポンサーが出てきて、みたいなノリ。

ところが、アメリカANSYSユーザカンファレンスは、参加費は有料(数万円かかる)が、一週間とか開催される。日本の様な講演はもちろんあるんだが、それに加えて事例発表がすごく多い。

パラレルであちこちの部屋で講演が行われており、幅もすごく広い。

グローバル企業がDXでサスティナブルなオートメーションを実現してデジタルツインで大変儲かってがっぽがっぽ、と言う話もあれば、
学生が初めてANSYSつこてみたけど、なんかインストールエラーになってうんこ、とか、発表する人のレベルも様々。

雰囲気が違うんだよねえ。

日本ソフトベンダーによる商習慣「代理店ビジネス」の違いも

あと、ANSYSも含め、多くのソフト共通するのが、学生版、学習バージョン日本で購入するのが無茶苦茶面倒になってるってのも影響している気がする。

これは代理店から文句を言われるからだと聞いたことがあるんだが。

英語サイトだと、サイト上にfor Educationみたいなリンクがあって、そこから行くと、教育機関メルアドをぶち込むだけで簡単学生版が手に入ったりする。

一方で、日本サイトだとそもそも案内がなかったり、案内があっても営業まで連絡せよ、と言う形になっていたりする。

ここらへんも、従来と違う使い方を試そうとする層を弾いちゃってる気がするんだよな。

2022-12-08

anond:20221208184056

職業訓練校も実質35歳で足切りしてるから

35歳以上は勉強もしなくていい

Not in Education, Employment, or Training(学校に通わず、働きもせず、職業訓練も受けない)の頭文字をとってNEET

2022-10-25

円安を恐れるべきか

現在、数十年振りの円安です。コロナ禍やロシア侵略戦争によるエネルギー高もあって物価が上昇していますがこれは本当に恐れるべき事なのでしょうか。

私は以下の文を読んで何故円安なのか、それをどう考えればよいか、よく理解出来たので、クローズドSNS4月投稿ですが、書いた人の承諾を得て公開します。

転載開始】

2001年6月以降の日米のコアCPI(なお日本のコアコアはアメリカのコアに相当)をグラフにしたものです。灰色の細い線はその差です。いずれも日記で紹介している内容で、日頃からデータを取っていればすぐに作れるグラフです。

アメリカインフレ日本デフレします(今はそうです。)。

両国ともまっとうな金融政策、つまりインフレになれば金融を引き締め、デフレであれば緩和するという政策をとれば、アメリカ金融を引き締めて金利上昇、日本金融を緩和して金利低下となります

そうなると、それまで円建ての資産を持っていた投資家は、より高い利回りを求めて米ドル建ての資産を購入するために、円を売ってドルを買うので、ドル高・円安になります

パンデミックに直面して、アメリカ積極的過ぎる需要拡大政策をとり、日本あいかわらず庶民の苦境をほったらかにしました。そこでパンデミックから回復とともに、アメリカ供給需要となってインフレ率が急上昇し、日本供給需要となってデフレとなり、インフレ率の差も急拡大しました。現在その差は過去40年で最大です。

したがって、日米ともにまっとうな金融政策を取っていれば、急ピッチドル高・円安が進むのは当然のことなのです。

これを阻止して為替レートの安定を図るには、2つの方法があります

1つめは、資本自由な移動を禁止することです。ただ、こうなるとわれわれは好き勝手に米株や米国債を買えなくなり、アメリカ人も日本株を買ったり日本投資できなくなります中国は、まっとうな金融政策為替相場の安定のために、資本移動に大幅な制限を設けています中国人は共産党コネがある人は別にして、資本第三国自由に移動することができないし、外資系企業中国国内利益を出しても、あるいは事業がうまくいかずに撤退しようとしても、送金規制などでそれをするのが極めて難しい。だから中国めざまし経済成長を誇る世界二位の経済大国なのに、世界第二位金融大国ではないのです。中国株はリーマンショック前の高値の半分程度、15年前と価格は同じです。

2つめは、国内不景気なのに金融を引き締めて、日米金利差を無くすことです。こうなれば為替レートは固定されますが、不景気さらに深刻化します。これはアメリカからみても同じことです。FRBドル高を是正しようとして金融を緩和すれば、インフレますます酷くなります。ところでEU共通通貨ユーロ)は、採用から独立した金融政策実施する能力を奪い取っています。だから南欧ギリシャなどの経済の弱い国にとって金融は常にタイトで、為替は高く、ドイツのように経済が強い国にとって金融は常に緩和気味で、為替は弱い。そうして生まれ経済格差は、貧乏な国から豊かな国に移動する自由保障するから労働者自力で何とかしろ、というのがユーロ制度設計です。

このとおり、①国内の景気のためにまっとうな金融政策を取ること(これを「金融政策独立性」といいます。)、②自由資本移動と、③為替レートの安定性の3つは同時に達成できないのです。

これは国際金融の「トリレンマ」といって、マクロ経済学のどの教科書にも書いてある基本的原理です。

“A unifying theme of this chapter is the international “trilemma”—that it is impossible for any nation to maintain simultaneously (1) independent control of domestic monetary policy, (2) fixed exchange rates, and (3) free flows of capital with other nations (“perfect capital mobility”). Thus fixed exchange rates and capital mobility create a new reason why domestic monetary policy may be impotent. For instance, Europe’s common currency (the euro) has stripped member nations of their ability to conduct an independent domestic monetary policy. “

Gordon, Robert J. “Macroeconomics”:12th edition Pearson Education. (2011).

3つを比較すると為替レートの安定性の喪失は一番弊害が少ないのです。例えば通貨が下落すれば、輸入品は高くなりますが、輸出には有利に働くので、変動したから悪いというわけではない。それに輸入品価格が上がれば財政政策家計を補助する、通貨高で企業が苦しければ減税するなど、他の政策問題カバーすることも可能です。それと比較すると金政策独立性を奪われること、資本移動の自由制限することの弊害はるかに大きい。

からアメリカ日本は、独立した金融政策を取りつつ、資本移動の自由保障し、変動相場制を採用し、為替レートがファンダメンタルズにあわせて動くことを容認しているのです。

そうした経済学の原理無視すると、必ず手痛いしっぺ返しを食らい、その打撃は社会もっとも弱い層がもっとも大きく受けるのです。

その典型例が、経済成長のために資本移動の自由を進めながら、事実上ドルペッグ制を維持しようとしたアジア諸国を襲った1997年アジア通貨危機です。これはドルにあわせたために実力以上に高くなっていたタイ通貨バーツヘッジファンドに売られたのがきっかけです。"強欲なヘッジファンドが悪い"みたいな寝ぼけたことを言う人がすごく多いのですが、悪いのは、金融政策と、外国から投資と、為替レートの安定、3つ全部を同時に手に入れようなどという虫のよいことを考えたタイインドネシア韓国です。ヘッジファンドに目をつけられたくなかったら、外国投資と引き換えに為替レートの安定は放棄すべきだったし、いっそのこと資本自由化なんてしなければよかったのです。

デフレであるにも関わらず金融を引き締めて、超円高を招き、就職氷河期製造業空洞化=「失われた20年」を招いた1990年代半ば以後の日本もその亜種です。グラフをみると、民主党政権時代円高いかファンダメンタルズとかけ離れていたかが分ると思います製造業の壊滅も非正規貧困の増大も、まったくの人災だったのです。

そして、今、ロシアルーブルを維持するために、制裁不景気なのに政策金利17%にしたり、外資資金持ち出しを制限しようとするなど、同じ轍を踏もうとしています

今、円安阻止のために金融緩和を止めよというのがどれだけ愚かな提言か、分っていただけましたかな?

グラフ画像へのリンク

https://imgur.com/7uV6seY

転載終了】

  

 

転載した私の超蛇足

上の説明を読んでからポンド危機」のウィキ説明を読むと、 英国が「ERM」(欧州為替相場メカニズム)に参加するために独自金融政策をとれなくなった結果どんなことになったか為替の安定よりも金融政策独自性を確保することの方が遥に大切であることがよく判ります

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%B1%E6%A9%9F

10月21日発表の消費者物価指数はコアで30年ぶりの3パーセントでした。しかし変動の大きい食料・エネルギーを除いたコアコアは1.8パーセントです。まあまあ、そこそこの景気といわれるものがコアコア2パーセント日銀もそれを目指している)とのことなので、為替の安定性のために今金融引き締めをしたらせっかくおぼろに見え始めた不況の出口が消滅しかねません。

今日日経記事

大卒内定者4年ぶり増加 23年春入社日経調査

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC170XT0X11C22A0000000/

すみません日銀目標は2パーセントでした。訂正します。

追記

賃金があがらないというブコメが多いのでこれ貼っときます

10月9日NHK最近日銀内部で話題のことば 「ノルム」って?【経済コラム】」

これを読むと日銀は何故賃金が上がらないか(どうやれば賃上げできるか)を前々から調べて考えていることがわかります

デフレ不況の長く続いた日本で今、野党メディアや我々一般人がすべきことは賃上げ要求であって、円安是正の為の金利引き上げでは間違ってもないと言えます

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221007/k10013851551000.html

2022-10-23

ある自治体ICTに関する教育行政のはなし

この記事を書くにあたって、はてなアカウント新規作成しました。いちおう、自分所属している自治体SNS利用上のガイドラインかいうので、規定されているので書いておきますが「あくまでこれは個人意見である」ことを念頭においていただきたいです。

まぁこガイドライン自体もたいがいだなんだけれど。まぁ不祥事とかあってできたガイドラインなのでしょうがないだろう。

一応、話の都合上、自分身分について明かしておくことにします。

中学校技術教員です。「教員がこういうことを書く」ことについても賛否があると思うのですが、あまりにひどいので匿名ダイアリーで書かせてもらうことにしました。自分の中でまとまり切ってないので、整理の意味合いもあります

ちなみに、見る方については、こんなこところでこんなことを言っているのが本当に教員かどうかもわかりませんので、話半分に聞いてもらえればいいです。

また、特定商品特定団体が出てきますが、それは営業妨害になってはいけないので、伏せておきます。どの商品団体かはわかりませんよ。

さて本文です。

今、本当に失望しています

ここ何年か、特にコロナ禍が始まってから教育現場では様々なものが導入され、その対応に関して失望しつづけてきました。

もうこの自治体ICTに関する教育行政には期待するところがないどころか、理不尽がまかり通っています。というかデタラメです。

ICT以外も「ちょっとこれはどうなのよ」というところがあるけれど、それは目をつぶるとします。

程度の軽いものから

GIGAスクール端末の導入について

GIGAスクール端末の導入について、令和3年度末には全国の自治体でほぼ完了している旨のニュースが流れたのですが、その時点でうちの自治体一定数の導入はあるものの、一人一台端末にはなっていませんでした。一台の端末を複数人で使い回す状態

ところが、文科省が公開しているデータの中の、整備の遅れている自治体にうちの自治体がない。

おそらくであるが、こういう調査自己申告なので、どのレベルで整備されてるかについては報告者の判断に任されているのだろうと思います。ただ、GIGAスクール趣旨から言って、一人一人に行き渡っていない状態で整備完了になっているところに、不誠実さを感じました。遅れてるなら遅れてるで報告すればいいのに。令和4年度の1学期で整備は完了し、うちの学校は一人一台になりました。まぁこなのはまだ軽い。

・そのGIGAスクール端末の扱いについて

なんか、常時持ち帰りは想定していないんだと。基本は学校で充電、保管をするということで、持ち帰りは「緊急時を想定しての持ち帰りを年何回か行う」のだそうだ。

それそのものはいいとしよう。家に持ち帰ってもWi-Fiが整っていないお家も一部あるだろうし、そういう端末を教育的な方針で遠ざけている家庭もあるわけで、そこにいきなり端末が無理やり入ってくるのも賛否あるだろう。

正直言って、その辺はどうでもいいのだが、持ち帰りにあたっては、充電保管庫に保管されている端末を全部取り外して持ち帰る準備をしなければならないのです。電源タップから各端末のACアダプタを取り外し、端末とラベリングされた番号をあわせて貸し出します。当初、ACアダプタも貸し出さなくてもいいんじゃない?と思いもしましたが、ACアダプタを貸し出して家で充電して持ってきてもらわないと、持ち帰った次の登校日にはバッテリーが残っていない可能性があるので、肝心の授業で使えないことがあるのです。つまりACアダプタも貸し出さないとならない。で、持ち帰りが終了して学校にもどってきたらACアダプタを回収して、保管庫内に再配置必要があります。数百ある端末の一つ一つのACアダプタを。誰がやるの?学級担任か、情報教育担当がやる羽目になる。これが学期に何回かあると、普通に時間無駄に消えていく。これは教員仕事なのだろうか。まぁ授業に付随する仕事だと思えばギリギリそうかもしれないが、そもそも持ち帰りと家での充電を基本にすればいらない仕事では…。そういう自治体もあるらしいし。充電保管庫無駄になるけど。何も生み出さな作業に数時間…。働き方改革とはなんなのか。

ちなみに「ACアダプタを持ち帰り用と、学校保管用に用意したらどうだろうか?」と提案したが、予算の都合で却下されました。まぁわからんではないけど。ということで、戻ってきたACアダプタを再配置するお仕事はなくなりませんでした。

・GoogleWorkspace for Educationに付随するサービスについて

商品名は伏せると言っておきながらバリバリ出てるが、商品自体には問題ありません。話の内容的に伏せたままではよくわからないのでここは出させてもらうことにしました。

GoogleClassroomはよくできています機能的にもうちょっとほしいところはあるけれど、まぁこんなもんだろう。

問題はうちの自治体運用で、Gmail機能が切られています。ついでにいうと、チャット機能も。わからんではない。

無用トラブルは避けたいという意図があるのであろう。しかも、サービス提供者側(使わせる側)としての責任も出てくるからね。

ただ、古くはインターネット掲示板からまり、今ではTwitterInstagramLINEなんかのコミュニケーションツールも、トラブルがあれば学校対応しています別に学校管理下でなくても。それがその子達に必要であれば必要指導をするのです。

TwitterInstagramも、LINEも悪くない。そりゃあ、学習段階にある、日本語もろくに正しく扱えない、ツール使用未熟な者コミュニケーションツールを使ってトラブルが起こらないわけがない。子供の方にも仕方ない部分はある。我々はそれを分かった上で、指導をするし、そういったことを重ねていく中で、子供は、日本語を扱う能力や、ツール使用能力が高まっていくのである。「使わせない」ことが、成長を阻害することもある。

そして、悪いことばかりではなくって、GoogleWorkspace for Educationアカウントed.jpドメインなので、各社が用意しているエデュケーション版だの学生版だのアカデミックパックだのの利用に活用できるはずなんだけど、使わせないことによってこういう利用もできない。

本来なら各種オンラインサービス登録もできる。大抵のサービスメールアドレス登録して、認証させるので、世の中にごまんとある、そのプロセス学習させることもできる。

どうせ、ed.jpドメインでなくてもGmail自体無料作成できるのだし、類似サービスはいっぱいある。だったら、学校管理下Gmailアカウントサービスの利用に慣れさせておくのは十分教育的だと思う。

あと、中学校技術科的にはOnShapeとか、無料CADオンラインで使えるので、Gmail使えればそういう授業展開もできるのにな…。と思っています

セキュリティ意識の欠如(のちに対策

ちなみにそのGoogleWorkspace for Educationだが、当初、「アカウント名がほぼ連番」、「初期パスワードアカウント名+サフィックス」というダメダメ仕様でした。

これがどのくらいダメダメかというと、

例:

自分アカウント 00000@sample.ed.jp

自分パスワード 00000xxx

自分の次の出席番号の人のアカウント 00001@sample.ed.jp

自分の次の出席番号の人のパスワード …なんでしょう?

※当然ですが実運用のものとは違いますほとんど同じですが)

メールアドレスは公開前提だからよいとしましょう。(メールアドレスメールを受信するものから、広く公開されている。公開しなければメールは来ない)

問題パスワードで、自分アカウント名とパスワードから他人パスワードが推測できてしまうところがいけません。アカウントが送付されてきたときに目を疑いました。

そして、さすがにこれはまずいので、校長に進言し、文書まで作成して提出しました。その後も対応はされなかったので、多分、校長で止まっていたのだろうと思います。もしくはその上に届いたけど考慮されなかったか

一応、何回か、初期パスワードから変えさせるように、という通知は来ましたので、自分の進言か、同様の進言が他からもあったか、だろうと思いますが、そもそも、初期パスワードを配布する時点でランダムパスワードを生成して割り当てるのが正解だと思います

自分学校は、全学年技術科の授業でアカウントパスワードの話をしながら変えさせましたが、そもそも、正常に割り当てていればいらない指導だったし、それで週1時間しかない授業内容を持っていかれるのは痛かったのですが、しなければならない指導だったので、涙をのんで(大げさ)行いました。ただ、全ての中学校技術科の先生が同じような対応ができるとは限りませんし、小学校に至っては…。

そして、1年ほど経った頃、別自治体で同様の(こっちはパスワードが誰もが同じだったらしいので、もっとよくないけど)設定でいじめによる自殺があり(これはニュースになっているので引用して、伏せません)、

https://www.asahi.com/articles/ASP9K4D3QP9KUTIL017.html

https://piyolog.hatenadiary.jp/entry/2021/09/17/162639

痛ましい事件です。今回は不適切パスワードの設定が、不正ログインいじめをよび、結果自殺ということで、人が亡くなることとなりました。不適切パスワードの設定が、遠因で人がなくなったのです。もし、パスワードの設定が適切であったなら、こんなことは起こらなかったかもしれません。

この事件の後、もう一度教育委員会の中の人に連絡をして、「町田の件、まずいですよ。うちでも起きかねないですよ。」と言ったら「なにそれ?」だったので、説明をして「担当部署に言ってみる」ということになりました。その後、2ヶ月ぐらい経ってかな?小学校中学年までは強制的パスワードランダムパスワードにするという通知がきて、小学校高学年~中学生は絶対変えるようにという通知が来ました。町田の件が起こるまで事態重要性に気づいてなかったか、軽視していたことが伺えます。何なら起きてから対応が遅いです。ランダムパスワード強制的にできるなら最初からやっとけば…。ちなみに町田の件には一切触れず、今までの運用がどうだったのかについても触れられていません。本当に残念な自治体…。

・某プログラミング学習サイト強制導入

今回この記事を書こうと思ったきっかけはこれです。

中学校技術科では「ネットワークを利用した 双方向性のあるコンテンツ」というのを教えることが学習指導要領で規定されています

この内容を教えることは絶対なのですが、例え技術科の教員といえどもプログラミングに長けている者ばかりではありません。また、教員不足のため、他教科が専門であっても臨時技術科の免許付与されている者もいます

で、今年度、某プログラミング学習サイトが導入されたのですが、これが控えめにいって酷い。

まぁHTMLCSSJavaScript学習なんですが、画面の指示に従って入力していくだけで、その仕組みについて何の説明もなく、「これを入力すると文字が大きくなるよ」「これを入力すると文字の色が変わるよ」と、何の思考も促すことなサイトが完成していくという…。

酷いのは内容もそうなのですが、その導入までの経緯や、導入後も酷くて、

まず、昨年度、教育委員会が一括導入前に無料で使える期間があって、教育委員会が事後アンケートを取りました。それはいい。

ただ、今年度から一定ライセンス料が一人ひとりにかかるということで、昨年度のアンケートの際に、「無料ならまだしも、少なくともうちはいらない。それだけのライセンス料を教育委員会が払えるのであれば、別の用途使用してほしい。その方が有効である。」と書きました。

そして、「好評だったので、導入することになりました」となり、「税金で買っているか使用強制です」となりました。

前項でも書きましたが、中学校技術科は週1時間で、やるべき内容がみっちり詰まっており、そんな教育効果疑問視されるようなものが入る余地はありません。税金で購入しているのは確かにそうなのですが、そもそも「いらない」って言ったよね?という感じです。

で、ずっと使用しないでいたら、「○○先生はいますか?」とその運営会社から電話が。そして、「いつ使いますか?」と使うこと前提で聞いてきて(まぁ会社的には一括導入してるんだからそうだろうけど)、「いや、当該内容の学習は別のもの使用して別のアプローチでやるので、うちの学校使用しません」と答えました。

まず、「○○先生がどの学校にいて技術担当している」という情報教育委員会から流れているのでしょうか。それは運営必要情報なのでしょうか。

そして、教師には教育専門家としての見地から、ある程度教材の選択の自由(どのような教材で教えるか)が認められていて、公権力によって特定の教材を強制されないようになっている(最低限の大綱的事項は強制されるが/これが指導要領)はずなのです。明らかにこれは最低限のラインを超えていると考えられます。もちろん、絶対的な教授自由は認められていませんが、一定程度は保証されると認められています

もうね、これは導入ありきで進んでいて、聞いた話によると(あくまで聞いた話で信憑性は怪しいのでそこは注意)「プログラミング教育はこれから重要からという偉い人(偉い人は伏せます)の意向で繋がりがあるらしいその運営会社のを導入することは既定路線だった」という話。しらんけど。

だってね、まともな技術科の教員だったらこれ好評になるわけないのですよ。少なくとも自分の周りの人たちからは不評。まぁ自分の周り以外が好評だったのかもしれませんが、それはちょっと考えづらいかなと。だから「好評だったので」が怪しくなってくる。

加えて、この会社、いわゆる「~部門 No.1!」広告公式サイトで打っているんです。「~部門 No.1!」広告っていうのは、調査会社に、自社の商品が1位となるような調査をさせて、あたかも自社製品に人気があるかのように見せる広告で、「ある特定の時期のある特定対象のある特定調査においてはNo.1ですよ」というものです。

優良誤認表示に近いので広告手法としてはちょっと…というものです。

仮にも情報教育の教材を扱う会社がこんな広告手法を使うこと自体どうかと思います。まぁある意味不適切広告の例として教材になるかもしれませんが。

No.1根拠となった調査自体も調べてみましたが、「先生が~」で始まる調査調査対象先生以外の対象を相当数含んでいたり(まぁこれは調査会社の方の問題なんだけど)とまぁ胡散臭い

んで、この前、ついに教育委員会側からそこをなんとか使ってくれんかねぇ」という電話がかかってきました。

担当の方は知り合いでもあって、恩もある方なのですが、「多分これ板挟みだな…」という感じなので、その方を立ててユーザー登録だけしようと思います

私自身は「なんで使わないんだ!税金なんだぞ!」と呼ばれても上記記事のように答えるつもりではいたのですが、その人が困るのは本意ではないので、ユーザー登録だけしようと思います

くやしいけど。

ということで、相当黙っていたのですが、そろそろ限界なので、匿名ダイアリーで吐き出します。

本当にうちの自治体ICTに対する教育行政ダメだと思います最初のうちは言えば変わるかな…と思ってたけどもはや期待していませんし、これからも期待しません。ひどい。

意思決定はどこでしているのだろう…。詳しい人がいないのではないかと勘ぐってしまうぐらいにはダメです。

2022-09-14

東京オリンピックスポンサー一覧

次はどこだと思う?

https://spodigi.com/sponsor-list/olympics/tokyo-olympics-2020/

ワールドワイドオリンピックパートナー

Coca Colaノンアルコール飲料

Airbnb民泊サービス

ALIBABA(オンラインモール、決済サービスクラウド・コンピューティング中国

Atos情報技術

Bridgestone(タイヤ免震ゴム自転車

Dow(化学製品

GEエネルギーインフラ、照明、輸送他)

Intel半導体VR、5G)

OMEGA(時計、計時、採点システム

PanasonicAV機器白物家電、電動自転車

P&G(家庭用品)

SAMSUNG無線通信機器

TOYOTA(モビリティー

VISAクレジットカード他決済システム

東京2020オリンピックゴールドパートナー

Asahi(ビールワイン

Asicsスポーツ用品

Canon(スチルカメラおよびデスクトッププリンター

ENEOS石油、ガス、電気供給

東京海上日動損害保険

日本生命生命保険

NECパブリックセーフティ先進製品ネットワーク製品

NTT通信サービス

野村証券証券

富士通データセンターパートナー

みずほ銀行銀行

三井住友銀行(SMBC)(銀行

三井不動産不動産開発

Meiji乳製品菓子

LIXIL住宅設備部材&水回り備品

東京2020オリンピックオフィシャルパートナー

味の素調味料乾燥スープアミノ酸ベース顆粒、冷凍食品

アース製薬(家庭用殺虫剤、虫よけ、肥料培養土及び除草剤

Education First Japan語学トレーニング

airweave(寝具)

キッコーマンソース(しょうゆ含む)、酢、みりん料理酒

KNT-CTホールディングス旅行業務およびナショナルトリップホスピタリティサービス

JTB旅行業務およびナショナルトリップホスピタリティサービス

CISCOシステム合同会社ネットワーク製品

SECOMセキュリティサービスプランニング

ANA旅客航空輸送サービス

ALSOKセキュリティサービスプランニング

大日本印刷印刷サービス

大和ハウス施設建設&住宅開発)

東京ガス (ガス・ガス公共サービス

東京メトロ旅客鉄道輸送サービス

TOTO(水回り備品

東武トップツアーズ旅行業務およびナショナルトリップホスピタリティサービス

TOPPAN(印刷サービス

成田国際空港空港運営

日清食品カップ麺、袋麺、チルド麺、冷凍麺)

日本郵便郵便

日本空港ビルデング (羽田空港運営

JAL旅客航空輸送サービス

JR東日本旅客鉄道輸送サービス

久光製薬(外用鎮痛消炎剤)

三菱電機エレベーターエスカレータームービングウォーク

ヤマトホールディングス荷物輸送サービス

リクルート人材サービス&オンライン学習及び教育サービス

読売新聞新聞

朝日新聞新聞

日経新聞新聞

毎日新聞新聞

東京2020オリンピックオフィシャルサポーター

AOKIファッションブライダルエンターテイメント

Aggreko(仮設電源サービス

ECC教育

EY Japanプロフェッショナルサービス監査財務、税務、プロジェクトマネジメント企画運営管理コンサルティング))

KADOKAWA出版社

GOOGLEIT企業

コクヨ(文具・家具メーカー

清水建設総合建設業)

TANAKAホールディングス田中貴金属持ち株会社

テクノジムフィットネス機器

乃村工藝社空間創造事業

パーク24駐車場事業

パソナグループ人材サービス人材派遣、人材紹介・斡旋、人事採用管理・配置支援サービス企業向け研修オンライン及びオフラインテストサービスなどの語学研修は除く))

ボストンコンサルティンググループプロフェッショナルサービス戦略コンサルティングプロジェクトマネジメント企画運営管理コンサルティング))

丸大食品ハムソーセージウインナーベーコン魚肉ソーセージかまぼこローストポークスペアリブ

モリサワ文字フォントソフトウェア

ヤフーIT

産業経済新聞新聞

北海道新聞社新聞

2022-08-16

男性特権は青メガネなりすましどころか正統派科学概念だよ

anond:20220816132513

anond:20220816163004

これを青メガネ界隈のなりすましだと思ってる向きもあるようだけど、そんなものとは一緒にしないで欲しいね

大学で長年研究実証されてきた「特権理論というのがあるんだよ。

あなたは優位な立場かもしれない 気づきにくい“特権”とは

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/674/

中野アナ:出口さんは、“特権”について研究されていますね。“特権”とはどんな概念ですか。

出口さん:私の定義は、アメリカのいわゆる社会公正教育(social justice education)の文脈での“特権”(privilege)で、「マジョリティー側の属性を持っていることで、労なくして得ることができる優位性」というものです。

大学の授業で学生たちに聞くと、特権という言葉は「学割が使えるのは学生特権」「ディズニーランドが近いのは地元住民特権」「女性専用車両って女性特権」という風に使うことが多いです。でも、それらは“特権”ではない、というのが私の立場です。

自分努力ではなく、たまたまマジョリティー性を持った側に属していることで、下駄を履かされていることはないでしょうかという視点です。

男性女性に対して、シス女性トランス女性に対して、日本人外国人に対して、白人黒人アジア人に対して、それぞれ特権を持っている。

中野アナちょっと自分点検してみたいと思います。まず人種は、僕は日本国籍なので日本人です。次に、出生時に割り当てられた性は、男性です。

画像(出口さんが示した特権チェックの図。「アイデンティティ」について、マジョリティーかマイノリティーをチェック。「人種」は日本人と、外国人在日韓国朝鮮人アイヌなど。「出生時にわりあてられた性」は、男性女性、他。「性的指向」は、ヘテロセクシュアルに対して、レズビアンゲイバイセクシュアルアセクシュアル等。「性自認」は、シスジェンダー身体性自認が一致)に対して、トランスジェンダーエックスジェンダー等。「学歴」は、高学歴低学歴。「社会階級」は、高所得低所得。「身体精神」は、健康に対して、病気障害を抱える。「居住地域」は、大都市圏在住と地方在住)

ひとつずつチェックしてみると、中野アナウンサーは、すべての項目でマジョリティー側にあてはまりました。“特権”を多く有しているということになります

マジョリティ特権自覚して、やがて成長し、マイノリティのために立ち上がり、特権を捨てるという理論

正しいことが科学的に実証されており、既に実践に移すフェーズになっている。

出口さんのアドバイスは、差別に触れたときマジョリティーの心理は6段階で推移するという、アメリカ心理学者・ヘルムズの「白人人種アイデンティティ発達理論」に基づいています

これは、アメリカで圧倒的特権もつ白人が、みずから特権に向き合うことで、マイノリティーに対してどう変わっていくかを示したものです。

画像(人が6段の階段をあがっていくイメージイラスト

それによると、最初マジョリティーは「①“特権”に無自覚な段階」にありますが、“特権”に気づくと「②罪悪感を抱く段階」や「③周囲のプレッシャーに負けてマイノリティーを避ける段階」に移り、その後「④マイノリティーのことを知ろうと、一歩を踏み出す段階」へ進みます

しかし④の段階は、まだ確固とした信念があるわけではなく、迷いや不安から、前の段階に戻ってしまうことも少なくありません。中野アナウンサーのように、相手に関心を持ち取材しながらも葛藤を抱えるのは、この段階にあたりますさらに進んで「⑤自身を見つめ直し、現状を知ることに没頭する」や「⑥抑圧のない社会を実現するため、自主的に行動する段階」に進むためには、仲間が必要だというのです。

2022-04-19

HL(へテロラブ)よりCL(男女いっしょにラブ)にしないか

自作ガチャについての説明記事です

https://odaibako.net/gacha/5976

CLとは※

Co-ed Loveの略。

Coは共同・対等

co-edは男女混合の意味

もとは英語でco-educationで男女共同教育を表していたが、現在は略したco-edのみで「男女混合」や「男女いっしょに」という意味で使われるようになっている。

そのため混同しないよう男女共学と表す際にCoed schoolと表記することもある。(韓流アイドルでもCoed schoolという男女混合グループ存在した)海外アパレルブランドのマ/ル/ジ/ェ|ラにもco-edという男女共用ラインがある。(男女混合として表す語はミックスが多いですが、メンズラブのMLがあるためこちらにしました)

※Coed対義語はsingle sex(男女別)です。

ヘテロ(異性愛)は対義語ホモ(同性愛)として使われているため「ヘテロラブ表記をすることによりBLGLも同性愛者と決めつけてしま創作バイキャラクターが暗に含まれない意味」となりますが、

「co‐ed対義語同性愛と決めつけることなく単純に男同士の愛、女同士の愛、男女の愛という意味を差す」ことになり「より表現したい原義に近い」言葉だと言えます

また男女いっしょだけでなく男女共用の意味もあるため、男か女かどちらか一方の性を断言できない方も含めて使えると言えます

CoLはHLタグ語源がへテロセクシャルとして使われてそのへテロ悪口ニュアンスで使われている以上、HLの中に入ってくるバイトランスジェンダーにも悪口を浴びせていること、異性愛者全体へのヘイト用語として使われることもあること、へテロ性的少数者差してないなど、

そもそものへテロラブ表記の抱える直球の差別につながる要素を解消するための表記です

テロ以外を排除したり、

テロ悪口として使われているのが、

特定の性を否定するような価値観だな~

それは差別に繋がる根本的なやさしさの欠如だな~

それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。

なによりHLを広めてる方でへテロ悪口罵倒語ニュアンスとして使ってらっしゃる方が、少なくない数見受けられます

罵倒として使っていらっしゃる方本人のセクシャリティスルーしているのではなく、単純にオタクという対等な属性として考えたらマナー的に考えてよろしくないんじゃないか・・・

(特定の性への罵倒を堂々と行うのはどんな立場セクシャリティであっても人として根本的にマナー違反ですし…)

ノーマルアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的差別なくせてない…のでは…

個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます

テロホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、差別用語ホモセクシャルと対称であることを使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。

感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…

きっと私の主張を見て「世間の扱いとして差別されておらず釣り合いが取れてないか悪口として使われていてもスルーしていいし差別じゃない」と思った方もいるでしょうが、それは正直危険な考えではないか・・・自分は思います

だってその異性愛表現のもの悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ

アセクシャルパンセクシャルトランスジェンダーもいます

そういうの考えもせず異性愛描写からって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別が発生せず配慮されていると言えるのかな…って

構造ヘテロホモは対称であるには事実」でも「立場が違うため同一に扱えるものでない」ということは、「だから差別を作り出さな言葉になるということとイコールにならない」です。

異性愛の中にも少数者がいてその人たちを無視しているのは事実ではないでしょうか。

推奨している方々でもそのことを頭の片隅で一度は意識したことがある人はいるのでは・・・

マイノリティを日頃から意識されている中でそれらに言及した方もいたのではいでしょうか

対照からというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…

ヘテロホモ対象言葉で、悪口として使う際は「同性愛と違って差別用語とされない差別孤独と無縁な無自覚な人たち」という意味合いなんですよね

それって異性愛の中でセクシャリティ孤独を感じてる人に対して「結局はあなたの悩みはお遊びでしかない」とバイパンセクに言ってるのと同じじゃないでしょうか。

あなたの苦しみなんて気遣う価値がないものだと言ってるのと同じじゃないでしょうか。

実際実在の該当者に対してそのような(結局はヘテロかよというような)悪態を吐く場面を見たことがあります

それって無視していいことなんでしょうか。

それは差別でないと言えるんでしょうか。

そのことに気づかず善意で使っている方が、NL使用についてよく言われる「人を踏みつけているのに気付かない」を一番守りたいと考えている性的少数者結果的に行ってしまっているのは悲しいことではないでしょうか・・・

平等のためと言っている方が多い中、意識して他人を踏みつけることが目的なわけではないでしょうし…

そのような考えの方がいらしても、それは性的少数者が悲しむのを自分のことのように受け止め悲しんでるからであって、個人感情のみで発散の大義名分にされている方は少数だと思うので…(それがおもな理由でもそれはそれで何か理由があると思いますから適切な発散ができるとよいなと思います)

全体の大きな目的のためにふるい落とされる存在を瑣末なこととしてないもの扱いで無視されるのなら、それが差別意識っていうものなのではないかな…と

多分そう遠くない未来バイトランスアセクシャルパンセクシャル、その他さまざまな少数派のセクシャリティジェンダーの方からHL表記から暗に排除されていることや悪口としての使用について意見が出る可能性は高いのでは・・・

実際数年前からぽつぽつそういった当事者から意見もお見かけしました。本当に少しですが・・・

逆に出ないほうが問題かなーと思います・・それは当事者が痛みに声を上げにくい社会になってしまっているということなので・・

そもそも悪口として自分認知しているにも関わらず人に勧めるのはそれが少数者であっても良識的にアウトではないでしょうか。

もちろん声を上げて自分普通だ、と主張することは自分は対等な人間であると表明するのに必要なことですが、悪口として自分が率先して使うこともある用語事情について詳しく伝えず「正しい言い回しである」として勧めるというのはそれこそ「普通から外れ良識が欠如した異常な行動」に該当するのでは…

自分達はアブノーマルでも良識から外れているわけでもなく、たただ当たり前に人を愛しているだけだ」と主張する行動を損なってしまうのではないでしょうか

ヘテロ悪口罵倒ニュアンスで使いながらHLを勧めている方は、自分達は異常者でないと証明したい意図から外れ、過去に抱かれていた「良識がない異常者」というイメージを覆すどころか、差別を抱かれていたイメージ根拠を与える行動になりかねない、一部では既にそのようなイメージが強化されている人もすでに出ている印象です・・・

分断を生む要素が多く悪口としての用法イメージを抱いている人が少なくない以上、平等のために掲げる表記としては不適切な部分の方が多くなってしまっていると思います

また悪口として避けられている側面があるのでは、区分けして平和を保つのための表記という本来意味をなしていないので…

(思想がめんどくさくてすみません)

NLもこのガチャでは使っていません

メジャーですが問題提起されるのが多い表記ですし…平和的でないという理由で…色々論争の的となっていて判定が難しいところがある…浸透していて変に変えるのは混乱が起こるし…と思います

直球で悪口として使われてるわけではないですが、人より異常でマイノリティオタク趣味からこそと楽しむ時代ではもうなくなっており、それぞれ平等人間として扱いたい流れがあるので…

なのでそれらの問題解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edlove提案します…!

他の方も使って頂けますと嬉しいです…!

もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。

海外ブランドのマ◯ジェラにも男女共用ラインでco-edがあります

これならバイセクシャル性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。

現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(男女CP) 、字数がきついならCo-ed Love(NL)などでもいいので分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります

※ただし使う際はハイフンを入れてco-edにしてください。coedloveだとTwitterでは男女混合のスポーツタグとして使われてます

HLを広めてくださってる方にも

世間に広まりにくいというのはNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!

差別を無くすためにHLを使ってらっしゃる方でとくに

・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方

LGBTの中で性自認で悩む方の権利に関心がある方

・「マイノリティマジョリティ関係なく性を揶揄したり否定することを容認する、差別根本的な価値観」を問題とされる方

(※マジョリティ関係なくというのが重要で、多数派BLジャンルの方が揶揄されがちなのもこれらの価値観が欠如してるため起きているのではと思います。)

何よりも

・異性を愛することもある性的少数者で、世間マジョリティに不満を抱えている者同士で関わってみたものの異性の恋愛になるといくら叩いてもよい、悪口であることを

スルーしてもよいという風潮に苦しんでどこにも行き場がないと感じてしまっている。でも痛みを主張しづらいと感じている当事者の方

・または上記マイノリティの中のさらマイノリティの方の痛みをどうでもいいことだと決して考えていない方

はぜひ広めてほしいです。

社会的弱者であれば排他してよいという考えはいつか全ての人間を追い詰めるだろう、という論で配慮を促す意見をよく見ます

それと同じく、世間的には被差別でなく差別する側であれば配慮がいらないという考えもまた、いずれ自分に降りかり追い詰めていくものではないでしょうか。

なによりお互い踏みつけることになるのを「配慮」と称して推奨するのは配慮定義とは外れると思います

そういった状態ナチュラル肯定し、HL表記を勧めている方も見られる以上、争いの火種になってしまます…できれば共有いただけると幸いです。

よろしくお願い致します。

追記:ぽつぽつツイートしてくださる方お見かけしまして大変嬉しいです・・・

でも表記や使っている方そのもの批判的な発言しながらの引用はしないでいてくれるとハッピーに変われていいと思います

HLが広まらないのは強く薦めてる方がNL使ってる人を侮辱的ともいえる悪口批判したりNL表記は完全に悪で白い目で見られるものだ!って極端な考えて不快にさせるような物言いをする方が目立ってしまうことがあるのもかなり大きいと思うので・・・

HL使ってる人にこそ問題提起をしてほしくて記事を書いたので批判する内容にはなってるのですが、HL表記を広めたいって方の考え方は優しいし大事にすべきだと思うからあんまきつい言い方しないで広めてやってください〜

自分の言い方でHL使いたい人の気持ちのものを悪いものだって言われたみたいに感じさせてたら自分文章力なくてまこと申し訳ない気持ちです・・・

あくま悪口罵倒語として使われてるのをスルーして広めることをに私は問題提起したいのですが、うまく伝えれれてなくてすみません

ただやはり現状が問題提起される空気がないのは危ないと思うので、できればまだ浸透率が低い今のうちに軌道修正をはかったほうがいいのではと思います



異性愛のみをノーマルとする考えが差別の温床であり撤廃すべきだと言うのなら、

異性愛の中に入ったのならマイノリティであっても罵倒してもいいという考えを補強するような用語を、

人権について語る人がいたずらに広めるような動きも撤廃しなければならないと考えます

そもそも男女の創作なら悪口スラングで元々使っていたものを使わせるのはむしろいい気味という考えなら、何をそんな小さいことを言ってるんでしょうか。

そんな平和平等、悲しみをなくす為の活動らしくないことを言わないでください。

全てのLOVE平等に扱いたいかNL表記に疑問を感じていたのではないですか。

それは本来の優しいあなたちらしくないです。

悪口として使われることが多い用語であるのなら、

それを広めることでどうなるか、広めようとしている方や

ノーマルという呼称で傷ついて来た方々ほどその痛みをよくご自覚なさっているはずだと思います・・

悲しいことの繰り返しはもうやめませんか・・・

マジョリティ世界ではホモ差別用語ヘテロはそういうカテゴリに未だ認定されていないです。

でも、マイノリティマイノリティコミュニティを主に生きているのではないですか。

その中で排除されている方はどこに行ったらいいんでしょうか。

マジョリティの中でも配慮をされず、マイノリティの中でも配慮必要なしとされる

そういう人がこぼれ落ちることを無視するのは優しい世界とはけして言えないと思います・・・

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