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2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-05-17

一万円札を使う人はレイシスト

一万円札に描かれている福沢諭吉は著書『脱亜論』で「中国韓国人国際常識を身につけることを期待するべきではなく、この両国を見捨てるべき」と主張したレイシストであり、

そのような人物が描かれた紙幣を無批判使用する人も同罪である

よって貴方レイシズムから解放するため、貴方の持っている一万円札無償で回収して差し上げます

2017-04-16

みなさん、こんにちは!ここに来ることができ、とてもうれしく思います。今回の日本訪問で、我々は、日米両国の素晴らしい同盟関係再確認しています。ですので、皆さんに感謝を伝えたく、ここに立ち寄りたいと思っていました。兵士の皆さん、家族の皆さん、ありがとうございます。皆さんは、日米同盟の中核を担っています感謝いたします。

ウォーターボーイ」ことブシェー大佐ガル最上級曹長ありがとうございます大勢の人たちがいますね。下士官上級下士官将校一般兵士国防省文民職員家族の皆さん、声を聞かせてください!

黄川田外務大臣政務官福田市長国会議員の方々、園田海将補自衛隊員の皆さん、この場にお越しいただいた日本の友人の方々に、感謝申し上げます。素晴らしい、岩国市民の方々にも、お礼申し上げます母国を遠く離れて使命を果たしている米国兵士への皆さんからの温かい歓迎は、わが国にとって、非常に大きな意味を持ちます。皆を代表してお礼を申し上げますありがとう

なるべく手短に話をしたいと思います。というのも、できる限り多くの皆さんと握手をしたいからです。先に注意しておきますが、自撮りはご遠慮ください。そうすると、一日中ここにいなければならなくなるからです。

しかし、まずなによりも、米国大統領として、米軍兵士の皆さんの最高司令官であることは、この上ない名誉であることを、申し上げたいと思います。皆さんは米国民を守り、世界中平和安全を促進しています。「戦没者追悼の日」の週末を皆さんと迎える機会をうれしく思います。なぜなら、この日は、危険犠牲が皆さんの仕事の一部であることを思い出させ、自由のために命を捧げた人々を決して忘れず、敬意を払わなければならないことを、再認識させてくれるからです。

大統領として私は、米国が再びアジア太平洋地域で主導的な役割を果たせるよう、取り組んできました。なぜなら、この地域は、我々が共有する安全保障繁栄にとって不可欠だからです。そのためには、安全保障での協力が必要です。貿易協定、人々の間で築かれる関係必要です。そして、優秀な、日本自衛隊員と協力して、米軍兵士域内実施する、誇りある奉仕活動必要となります

ご存知のように、今日の午後、私は広島を訪れます。これは、第二次世界大戦で命を落とした、全ての人々を追悼する機会であり、核兵器をもはや必要としない世界平和安全を求める決意を確認する機会でもあります広島訪問は、最も痛ましい亀裂でさえも埋め、かつて敵同士にあった日米がパートナーとなるだけでなく、最も緊密な友人となり、最も強固な同盟国となることが可能だということを示す証左となります

日米同盟の強さは、ここ岩国で端的に示されています岩国基地は、両国の信頼、協力および友好関係を示す好例です。米国海兵隊は、自衛隊と力を合わせ、平和を守り、域内パートナー連携し、人道支援および災害救援を行っています。皆さんは、フィリピンタイを襲った洪水バングラデシュに壊滅的な被害をもたらしたサイクロン対応にあたりました。2011年東日本大震災では、救助・救援活動で、極めて重要役割を果たしました。日米は共に、域内で、数え切れない数の人命を救ったのです。このことは、我々の大きな誇りです。

ここでの皆さんの奉仕は、自由民主主義人権法の支配といった、今日、日米両国が共有する価値観に根ざしています。その結果、日米同盟両国だけの安全保障にとって不可欠となっただけでなく、域内および世界において、欠くことのできない安定の源であり、繁栄の土台となっています。皆さんは、我々の生活の質を支える礎なのです。

最後に、日米同盟本質を如実に語る、素晴らしいエピソードひとつご紹介します。テッサスノー大尉はどこにいますか? この場にいるはずですが、、あっ! いましたね。スノー大尉は、オスプレイパイロットで、先月の熊本地震の際、自身の飛行隊を率い、被災者人道支援を行い、物資を届ける任務遂行しました。ある日本人一家は自宅の倒壊を恐れ、何日も屋外で過ごすことを余儀なくされました。皆さんの取り組みにより、その一家をはじめとする多くの被災者が、食料や水など必要物資を受け取ることができたのです。

さて、その一家ですが、6月女の子が生まれる予定です。テッサ任務のおかげで助かったことを知り、生まれてくる子どもに、テッサにちなんだ名前をつけると決めたそうです。家族は、誠実さ、勇気責任感、進んで他人を助けようとする気持ち、といったテッサと同じような素養を備えた大人に育ってほしいと願っているそうです。

これらは、海兵隊基本的価値観ではないでしょうか? 幾世代にもわたって、米軍兵士を特徴づけてきた素養であり、日米両国が持つ最も優れたもの象徴でもあります。皆さんの奉仕によって、人間尊厳自由に対する日米が共有する決意は、この地域および全世界で、存続していき、この地域繁栄していくでしょう。そして、我々はどこに行っても、希望を広め続けていくでしょう。私は皆さんを誇りに思います日本側に感謝いたします。米軍をこの上なく誇りに思います

皆さんと皆さんの家族に神のご加護がありますように。そして米国に神のご加護がありますように。皆さん、ありがとうございました。


海兵隊岩国航空基地

2016年5月27日

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412085744

北朝鮮はどう出るかダービー」絶賛開催中のようなので、時流に乗って一口ベットしておこう。

 

初手は日韓国内における同時多発テロ

爆弾BC兵器かは知らんけど、そこそこ死人のでるようなやつを同時に起こす。

ターゲット米軍基地門前町複数大都市

基地のものには絶対手出ししない。

状況から考えて犯人が誰かは明白であっても、日韓政府公式声明を出すまでには必ずタイムラグがある。

日本韓国ではビビった小市民と頭に血が上ったタカ派が喧々諤々の議論を繰り広げて大混乱が生まれる。

アメリカは表向き両国同意になしに攻撃はしないというスタンスを取っているので、両国政府が動揺している間は手出しできないだろうというのが北朝鮮の狙い。

そうやって、アメリカブレーキが掛かっている隙に、間を置かず、いつもの人工衛星」の打ち上げを強行する。

アメリカ迎撃してこなければ万々歳。

体面は守れたとばかりに、あとはひたすら沈黙を貫き通してアメリカが痺れを切らして撤退するか、中国が良い感じにとりなしてくれるのを待ち続ける。

 

とまあ、こんなところでどうでしょう

偉い人、採点よろしく。

朝鮮半島有事日本被害を受けないようにするには?(転載)前編




全文転載しても良いとの事なので、まるごと転載

文章量が多いので、文字数制限の都合から前編と後編に分けて転載した。




ここから以下転載開始



朝鮮半島情勢がきな臭い感じになってきました。

北朝鮮韓国戦争状態突入すると、その二国だけが被害を受けるならともかく、実際は日本アメリカ、そして後述するようになんと中国ロシアまでも思わぬ被害を受ける事になってしまます

戦争になると、北朝鮮韓国は誇張ではなく「双方の国が亡びる」事になります

日本北朝鮮自身が「有事の際には日本ミサイル攻撃する」と宣言しているので全然対岸の火事ではなく、ミサイル攻撃だけでなく国内にいる北朝鮮工作員達による様々な形のテロも起きて被害を受けるでしょう。

ミサイル攻撃については、核が搭載されているか、まだ実用化されていないかはわかりませんが。



アメリカ場合は、北朝鮮ミサイルはまだ届かないと思いますが、日本と同じく全米各地にいる北朝鮮工作員達が一斉にテロをやってきたり、北朝鮮から出港した潜水艦アメリカ本土を直接ミサイル攻撃してくるという事も起こり得るでしょう。


朝鮮半島有事は、「北朝鮮韓国当事者国は双方が亡びるし、関係国も甚大な被害を受ける」という、まったく誰の得にもならない事態を引き起こすため、何があっても戦争になるのだけは絶対回避しなければいけません。

北朝鮮自身日本への攻撃宣言しているので、「日本対岸の火事」だと未だに思っている人はその認識を改めるべきでしょう。



それぞれの国が被害を受けないようにするには、我々は一体何をしたらいいでしょうか?



朝鮮半島アメリカ原子力潜水艦空母を常時配備したり、韓国核ミサイル基地を設けて『武力による抑止』をもって戦争回避するという案もあるとは思います

ただ、武力による抑止は、抑止としてきちんと機能するうちはいいですが、逆に緊張をより高めて戦争状態突入させやすくする事にもなりかねません。

一度戦争状態突入してしまうと、もうお終いです。



武力による抑止」をやるかどうかとはまた別に情報による抑止」もあらかじめしておいて、戦争回避しようとすべきではないでしょうか。

情報による抑止」は、今この文章を読んでいるあなた方もそれに簡単に協力できる事です。




情報による抑止』とは、北朝鮮韓国の双方の人間に、「戦争状態突入すると、どちらの国も必ず亡びる事になる」という『必ず起こる事実』を繰り返し認識させ、何があっても戦争しないように仕向ける事です。

実際に戦争状態になると、誇張ではなく北朝鮮韓国も双方の国が亡びる事になります

「片方の国は被害が軽微」という事は絶対にありません。確実に北朝鮮韓国も双方の国が亡びる事になります

「それがわかっていてもなお、あなた北朝鮮韓国はまだ対立を続けるのですか?もう和解するべきでは?」と、突きつけるのです。

しつこいくらい繰り返し、繰り返し。

また、実は後述するように、『もっと洒落にならない事態朝鮮戦争では引き起こししまう』というのがあります

こちらの方がインパクトはより大きい。




<各国が受ける被害

実際に戦争状態突入すると各国はどうなるか?



まず北朝鮮アメリカ戦争短期終結させようとして、核攻撃も辞さないで本気で総力をもって攻撃し、北朝鮮は壊滅するはめになります



一方、韓国北朝鮮攻撃ソウルが開戦まもなく火の海になり、他の都市北朝鮮の熾烈な攻撃を受け、莫大な数の死者が出て、おまけに韓国経済も壊滅するでしょう。



朝鮮有事は、「北朝鮮韓国の双方が亡びる」という事につながり、その点だけでも北朝鮮韓国人間はどちらも「何があっても戦争にならないよう、もう対立はやめて対話を選ぶ」と改めて認識すべきです。

いまだにお互いがお互いの国を非難しあっていますが、その先には「双方の国の破滅しかない」という事にいい加減両国人間は気づくべき。




実は北朝鮮韓国被害はそれだけには留まらず、もっと洒落にならない事態引き起こします

戦争状態になると、北朝鮮の核処理施設韓国の何十基もある原発攻撃を受けたり、あるいはまともに管理されなくなり、チェルノブイリ福島原発事故はるかに上回る量の放射能放出が起きてしまい、朝鮮半島の大部分を強い放射能汚染で人が住めない地域にした上で、周辺国ロシア中国東南アジア日本などにまで汚染が広がる」と、世界各国の研究機関が『朝鮮半島有事の際にはほぼ確実に起こりえる事』として想定をしています

原発存在をすっかり忘れている人も多いようですが、北朝鮮にも韓国にも数々の核処理施設原発があり、おまけに北朝鮮2015年にも「有事の際には韓国各地の原発攻撃する」とはっきり宣言しています

ミサイル攻撃以外にも、戦争時に南北軍事境界線が大きく動くと施設から人間が逃げ出し、停止させた原発送電施設発電所がやられてしまうとまともな管理者達が逃げた状態では原子炉や燃料プールメルトダウン引き起こします

福島原発事故では燃料プールメルトダウンはなんとか防げましたが、北朝鮮韓国戦争では人が逃げ出してしまいそうはいかなくなります

燃料プールメルトダウンまで起き、放出される放射能の量は福島チェルノブイリ事故とは比較にならないほど莫大な量になる、と世界各国の研究機関で試算されています

北朝鮮韓国が本格的な戦争状態突入すると、朝鮮半島の多くの地域がひどい放射能汚染で人が住めない地域になってしまうのです。

ロシア中国東南アジア日本などその他の国々にまで汚染は広がり、周辺の海までもひどい汚染を引き起こす。




逆に言えば、この事実もっと広く知らしめる事が、北朝鮮韓国の双方の人間戦争を思いとどまらせるための『大きな大きな抑止力』になりえます



そのためには、北朝鮮韓国の双方の国に対して、「戦争状態では原発や核処理施設攻撃を受けたり適切な管理が行えなくなり、チェルノブイリ福島原発事故を大幅に上回る量の放射能汚染引き起こし朝鮮半島の大部分を人が住めない地域にした上、ロシア中国東南アジア日本などにまで汚染が広がってしまう。戦争だけは何があっても回避しないといけない。」という緊急の声明IAEA国連が繰り返し出すのです。

IAEA国連はそのような事態回避したいと本気で思うなら、今すぐにそういう声明をきちんと出すべきです。

そういう事にならないようにするのがIAEA国連本来役割でしょ?

今でさえ福島原発事故によって原発に対しては世界的に風当りが強くなり、東芝倒産寸前になるほどの莫大な損失でもわかるように原発業界斜陽産業になっています

もし朝鮮半島戦争が起き、想定されていたとおり大規模な汚染が実際に起きると、もう世界中原発に対する大きな拒否感が出て、今以上に終わるのは確実です。

IAEAにとっては非常に望ましくない事態を招く事になります

IAEAはそういう事態回避したいのなら、今のうちに緊急の声明北朝鮮韓国の双方にきちんと出して、絶対戦争が起きないようにすべきです。




また、youtubeで「朝鮮半島有事の際には、大規模放射能汚染が確実に起こる」という内容の動画アップロードするという手もあります

ピコ太郎氏がPPAP動画一つで思わぬほどの莫大な富を得た事がありました。

インパクトのある動画なら信じられないほどの再生数を世界で叩きだし、広告収入もすごい事になります

朝鮮半島有事の際には、放射能汚染により朝鮮半島の大部分を人が住めない地域にしてしまう」というのは、相当インパクトのある話です。

そういう内容の動画をアップし、多言語向けの字幕バージョンもきちんと作れば、今朝鮮半島情勢が緊迫している事もあって、世界各国での再生数がすごい事になるでしょう。

また、その動画北朝鮮韓国の緊張が高まるたびに繰り返し紹介され再生数は今後もずっと伸びていきます

残念な事に万が一戦争状態突入して朝鮮半島放射能汚染現実の物となってしまった場合も、「事前に放射能汚染を警告していた動画がある」という事で世界中で次々と紹介され、再生数がものすごい事になってしまます


youtube動画アップロードしている方や、3DCGリアリティのある映像を作れる方は、以下のような感じの動画を作ってみてください。

朝鮮半島戦争状態突入すると、戦争開始からまもなく周辺国放射能漏洩しているのが検知される。北朝鮮の核処理施設韓国原発から放射能漏洩が起きているのが判明するも、もう止める事はできなくなり、汚染朝鮮半島を中心に広がり、朝鮮半島の大部分が人が住めない地域になった上、ロシア中国東南アジア日本などのその他の国の一部にまで汚染は広がってしまう。だから戦争になるのだけは絶対回避しないといけない。」という内容の動画を。



普段から映像制作仕事をされている方、日本の方だけでなく海外の方でもいいので、どうかそういう動画を作ってyoutubeにアップして拡散していただきたい。

あなたが作ったその動画世界中話題になると、北朝鮮韓国の双方の人間に思いとどまらせて戦争状態突入するのを回避でき、ひいては日本被害を受けるのを回避するのにつながります

おまけにPPAPほどではないと思いますが、再生数に応じた広告収入結構洒落にならない額の金が入ってくる事になるでしょう。

私と違って動画を作るスキルを持っている方は、今目の前に転がっている「大金を手に入れるチャンス」をどうかお見逃しないように。

人によっては、その大金で一気に人生が変わってしまう事も。




文字数制限につき、転載の前編はここで終了。後編に続く)




後編はこちら

http://anond.hatelabo.jp/20170412123845




2017-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20170313082254

え、あれがつまらないと思ってるの?

その自分感覚疑ったほうがいいわ

 

 

分かった

あれだ、こういうこと言う人は

ガイドブックとか見て言ってる人なんだろうな

検索能力みたいなものが低くて、その近くにある歴史的スポットなどを見つけられないんだろう

回向院だが、至近に国技館があるのはもちろん、

元祖ジビエももんじや、

東京大空襲記念碑がある横網公園

無料で入れる安田庭園にその裏手にある知る人ぞ知る両国公会堂、

両国小学校にある不知火の錨などなど、

浅草だって時代劇で必ず出てくる柳橋吉原花街を見たり

浅草神社に行ったり、いろいろ歴史的な楽しみ方があるのにね

2017-02-06

[]リゲイーン要塞の反乱

 攻めあぐねるモレツ帝国に対して、テイジー同盟有効な反撃ができているわけではなかった。

建前では彼らは全知的生命自由冬眠をもたらすことを国是としていたが、

赤道地帯の縦深を突破して、モレツ帝国の中枢に迫るだけの国力に欠けていたのだ。

 結果、宣伝工作によりモレツ人民の決起をうながすことや、

亡命者を受け入れることが活動の中心となる。

 皮肉にもゆいいつモレツ帝国転覆可能性があるのは、帝国赤道派遣軍の反乱であった。

 そして、リゲイーン赤道要塞で起こった反乱は未曾有の規模にふくれあがった。

その反乱はいつもと違って南方への移動中ではなく、

軍団要塞に赴任してから起こった。

 しかも、半年間動かなかった。彼らが何をしていたのかと言えば。

寝てた。

「本当に我が国亡命をしなくてよろしいのですか?」

 心配そうなテイジー同盟の軍使に反乱軍司令官は快活に答えた。

「一度冬眠して見たかったのだ。これで思い残すことはない」

 物心がついてから初めての冬眠経験した兵士たちは清々しい気持ちで北へ向かった。

半年間の待機にはテイジー同盟交渉して補給を受ける目的もあった。

 反乱軍司令官はテイジー同盟指導者たちが冬眠から覚めるのを待ったのだ。

だが、同盟指導者たちは密かに冬眠打破の薬を使っていた。

レツ帝国皇族が密かに冬眠を楽しんでいるがごとくである

 鏡の国において禁じられた行為が、それぞれ特権となるのであった。

 リゲイーン要塞反乱軍は三度までも討伐軍を打ち破り、

帝都に迫ったところで多方面から接近する敵軍に包囲された。

 彼らは一昼夜の奮闘の末に壊滅した。

テイジー同盟軍増田アースの反対側でおこなった助攻勢がもっと大規模であれば、

あるいは両国の間にある二つの接触点がもっと接近していれば、

違った結果が得られたかもしれない。

 壮士去って復た還らず。

http://anond.hatelabo.jp/20170205201049

2017-01-26

韓国って大丈夫なのか?

日韓合意によって、とりあえず、両国交流が本格的に再開するのかと思ってましたよ。

韓国映画やKポップも割と好きで、韓国料理は大好きだ。

ヤフコメTwitter嫌韓的な発言には辟易していた。

しかし、大統領弾劾に始まり少女像、そして今回の仏像

日韓合意って何だったのよ。

韓国の人々は、おかしいと思わないのだろうか。

理性的であろうとは思わないのか。

そりゃ色々と思うところもあるかもしれないが、道理よりも感情が優先されすぎでは?

個別具体的には良い人ばかりなんだけどね。なんか流石にイヤーな気分になる。

2017-01-13

韓国民団少女像コメントってどっちの国から見てもいまいちじゃね?

韓国民団少女像撤去求める 「在日同胞共通の考え」:朝日新聞デジタル変更する

http://www.asahi.com/articles/ASK1D5JXGK1DUTFK00V.html

 呉氏は新年会後、記者団に対し、

韓国政治にはできるだけ関与しないというのが民団立場。ただ、この問題で一番の被害者在日同胞だ」と強調し、

韓国政府撤去を求めるなどの活動に取り組むとした。

駐韓大使らの一時帰国通貨スワップ再締結協議の中断といった日本政府対抗措置については

「大変厳しいが、早く問題解決してほしいという日本側の思いも理解できる」と述べた。

武田肇




いや実際難しい立場になってるとは思うけど

そこで「一番の被害者在日同胞だ」とかいう?

ていうかそこで「被害者」って言葉選ぶ?


これじゃ韓国人立場で聞けば

自分達の為の身の可愛さのために母国が道を曲げろと言ってるのか」

「お前らなんか知るか裏切り者

ってなるじゃん。


日本人立場から

「また最被害者争いを始めるのかい

「その論法母国慰安婦で騒いでる人達と全く同じ論法では…」

ってなるし。


そこはやっぱり自分達の身や自分達の都合の話をするんじゃなくて

「我々が身を捨ててでも両国仲裁・橋渡しをしたい」

みたいな言い方するもんじゃない?


あくま公式な話する時のレトリックの話ね。

実際わたしら板挟みで困るわー

っていう感覚や都合まで捨てろって言ってるんじゃないですよ。


日本人からすると引っ掛かるものいいなんだけど

同じ民族韓国人には響く言い方なのかしらん、

と思ったら韓国人にキレられまくってるし。

http://oboega-01.blog.jp/archives/1063723302.html

うーん…

2017-01-06

駐韓大使が帰ってきたことについて

関係者被害者愛国心燃えるヤフコメ民には申し訳ないが、正直、慰安婦問題なんてどーだっていい。

でも、今回のこの政府措置は、興味のない俺でさえも、えっ?ってかんじで驚いた。

いつもなら、官房長官とか外務大臣外務省関係者あたりが「遺憾の意を~」なんてコメント出して終わるでしょ。

慰安婦問題本質的な部分はよくわかんないし、ややこしくなるから置いといて、

両国合意した」っていう事実だけを踏まえると、それをないがしろにする韓国への今回の措置別に変じゃない(ように思う)。

でも、今回はなんか違和感を抱いた。

テレビネットで伝えられる外交ニュースが全てだとするならば、

いつもは、なるべくトラブルにならないようにならないように、波風立たせないように立たせないようにっていう雰囲気

前面に押し出した、日本人的なのらりくらりとした対応なのに、今回はなんか、「普段、怒らない奴を怒らせた」的な不気味さを感じた。

いい加減にしろよ的な。

まー、韓国日本なんて怒らせても大丈夫っしょって思ってるのかもしれないけど。

2016-11-27

ヨナラニッポン(※フィクションです)

2016年日本で働いていた。

日本に行けばお金が稼げる。そのうえ先進国技能技術知識を身に着け、故郷凱旋して自国の発展に貢献できる」

そう聞いて、幼い頃からの憧れだった日本に行けるならと、あまり深く考えずに多額の借金をして日本へ飛び込んだ。アジアのなかで欧米列強に肩を並べるほどの豊かな国を築くほど優秀で、かつ、未曾有の天災が起きても一致団結できるモラルの高い日本の人びとに、最親日国の友として色んなことを学びたいと思っていた。

そんな思いでやってきた自分が置かれた状況は、予想だにしなかったものだった。

彼ら日本人は、私達のパスポートを取り上げて「言うことを聞かないと強制送還だ」と言い、技能技術知識のまったく身につかないキツい労働を半ば強制的押し付け最低賃金を下回る報酬しか払おうとせず(未払いやサービス残業も横行)、「外泊は直ちに強制帰国、違約金50万円」や「恋愛は警告。聞き入れない場合は違約金20万円」などという独自ルールを作り、私達の人としての権利を縛った。

この状況に愕然とした。日本の人びとは日本人同士で助け合うものの、外国人途上国限定)を人として扱ってくれなかった。彼らを友だと思っていたのは自分だけで、彼らからすれば農耕馬かなにかと同じ感覚だったのだ。

騙された。

いや、正直安い労働力として期待されていることは承知していたが、人として接してもらえないとはゆめゆめ思わなかった。

もちろんなかに制度趣旨理解して高い技能を伝播してくださった企業や、友として接してくれた人びともいたようだが、それはほんの一握りで、日本国際社会国連国際労働機関から再三の是正勧告を受けてもなおこの人権侵害労働強制を続けていった。

知っていたら絶対にこんなところに来なかった。

そんな過酷環境に耐えきれず、失踪する者があとを絶たなかった。失踪者たちはパスポート労働許可もないまま窃盗などの犯罪グループに加わった。かばうつもりはないが、彼らには借金があり、もはやそこしか逃げ場がなかったのだ(※日本に来るためにブローカーなどに借金をするが、その額は母国で何十年働いても返せる額ではない)。

年々我が同胞犯罪検挙数が増えていくとともに、日本人の私達に対する態度や扱いはますます厳しいものになり、ますます失踪が増え・・、という憎しみのスパイラルに陥っていった(※2016年国籍別で中国を抜いてトップ犯罪検挙数・検挙率となった)。

そんな両国関係悪化していく状況のなか、犯罪に走ること無く三年間の労働期間を終えて母国に帰った自分に残されていたのは、人を罵る日本語バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ」、それだけ。結局、金も技能もなにも残らなかった。朝から晩まで会話を必要としない農作業で、宿舎と言う名のブタ小屋共同生活同胞だけの暮らしだったので語学を学ぶ機会はなかった。それに、好きになれない国の言葉積極的には覚えようとはしないだろう。

いま思えば、人生いちばん伸び盛りの時期に、なんて無駄時間を過ごしてしまったのだろう。どうしてあのとき日本になんか行ってしまったんだろう、そう深く後悔したものだ。

それから10年、我が国経済成長5〜7%前後を毎年キープし、安定的な発展を遂げた。多くの人々が一家に一台自家用車を持ち、家電嗜好品を買い求めるようになった。運良くこの成長の波に上手く乗った私は、不動産で財を成して国内トップ20に入る資産を築いた。政府関係者とも太いパイプを持つことができ、国政にも多少の影響力を持つようになった。

この一億総中流の消費市場で躍動しているのは、中国韓国、そして欧米各国の企業だ。クールジャパン実態はただの冷徹日本人だったことがわかり、ASEAN諸国からの「憧れ」を失った日本ブランドは各国で輝きを失い、次第にシェアを落としていった。

日本企業自国市場が縮小していくなか、アジアの成長する市場でモノを売っていくしか生き残る道がないことを誰もが分かっていたはずなのに、あのとき私達を隷属させた代償として自らのブランドを毀損し、その機会を逸してしまったのかもしれない。

新聞でチラッと読んだが、高齢化がより一層進んだ日本では社会保障やら国防やら国政の課題もさることながら、屋台骨だった自動車産業米国IT関連企業に食われるなど、経済もいろいろ大変らしいがそんなのどうでもいい。

日本と聞いただけで、あの奴隷主のように振る舞う日本人を思い出して気分が悪くなる。もう二度と行くこともないし、とにかく日本にも日本人にも関わりたくない。日本プロダクトは一生買わない。

ヨナラニッポン。

バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ。

2016/11/29 はてブから

たくさんのはてブありがとうございます

興味を持って頂いてとても嬉しいです。

日本にもこういう皆さんがいることを、あの国の人びとに伝えたいと思います

ベトナム人刑法犯が中国人抜く」中国人件費上昇等諸々の事情外国人技能実習制度対象中国からベトナムに変わった結果。私たちベトナム人申し訳ないことをして、彼らを犯罪に追い込んでいるのだ

ほんとおっしゃる通りで、世界で最も親日国(97%親日である国の人々をわざわざ追い込んで反日を量産している状態です。

ずいぶんとアホだなと思いますし、日本未来(=若い人たちのこと)を全然考えていないですね。

途上国工場でやっていたことが、労働者を招くことで実態が見えやすくなったのだろうね。オチ日本的奴隷労働自国民をこき使う経営者になっていたがよかったかも &lt;&lt;

2016年11月現在ですと、これほど過酷現場だとさっさと辞めますので成り立ちませんね。

人材流動性めっちゃ高いですし、何より残業より家族との食事を大切にする民族ですゆえ。

借金をさせた上にパスポートを奪って流動させないところが日本業者さんのあくどいところですね。

からこそ反発も大きいです。

技能実習制度で学んだ「技能」が母国でどれだけ活かされているか政府が成果を全然アピールしない時点でお察し。

お察しの通り、今まで会った方で「役に立った」と言ったひとは0人です。

日雇いやってるから実際の現場で見る光景は壮絶だよ。若い女の子日本語学習の機会すら与えられずに機械の隙間から噴出するスチーム浴び続けて顔面水疱塗れにして毎日12時間以上5000円の日当で働いてた。

そういうことを見聞きした同国民はすごく怒るんです。

日本人よりも人と人との距離が近くて、血のつながっていない他人なのに親戚の子みたいな感覚で怒ります

また、仰る通り大抵の現場が「日本語学習の機会すら与えられず」なんですよね。

これも結果的に「日本に行った意味はなかった」になる要因です。

>もろノンフィクションやん。 大丈夫だよ、あと数年で 日本人九州の大噴火で 大半死ぬから

いやいやいや。死なないでください。

>これだけ日本語が書けたら金になる

ありがとうございます

もっと上手く書けるよう精進してまいります

さよならニッポン、また来てジャポン

重めのエントリー一服の清涼剤をありがとうございます

>シン・ニホンシネ

もったいない言葉です。

でも、日本に死んでほしくないので書いている向きもあります

2016-11-16

10年前も欧米リベラルが同じような負け方をしている

トランプが勝ったことで様々な言動はてなでもメディアでも飛び交っている。

また、ヒラリーが負けた理由に関しても様々な分析がされている。

だが、これらはどれも非常に既視感のある光景である

細かく見るとキリがないので、大きく2つの敗北を取り上げようと思う。

2005年 EU憲法批准否決

欧州では、「欧州のための憲法を制定する条約」(欧州憲法条約)の批准に関する国民投票が、フランス5月29日オランダ6月1日に行われ、両国ともに否決された。これは欧州連邦国家としようと考え、EU間の国境をなくしたいと考えていたリベラルに大きな精神的打撃を与えた。

また、選挙結果分析した結果、低収入低学歴の層だけでなく女性中道穏健左派も反対票に多く投じていたことが分かった。

国境文化を超越し、EUという大きな枠組みの中で共生しようという思想のものが、一部のエスタブリッシュメント高学歴若者しか支持されていないことを明らかにした。

2008年 アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙

2008年8月25日火曜日から8月28日木曜日コロラド州デンバーで行われた2008年民主党全国大会で、ヒラリー・クリントンを退け、大統領候補バラク・オバマが選出された。

オバマの勝因は中流階級民主党内では比較保守的白人男性票、中立に近い若者票を多く集めたことと言われており、多くの白人エスタブリッシュメント層はヒラリーを支持していた。相対的リベラルでない層に支持された側が勝利したと言えるだろう。

余談であるが、このときリベラル系のメディアが"ヒラリー女性であるから負けた"という類の主張をしていた。実際はヒラリーオバマに対して『shame on you』という親が子に使うような強い表現で名指しの批難をしたことが大きいと言われている。

そして2016年 Brexitアメリカ大統領選挙

10年前のこれらの出来事から欧米リベラル層は成長しているのだろうか。

"それでもグローバル化の流れを止めることはできない"などとは良く聞く言葉ではあるが、本当にそうだろうか。

今回、本題とは少し逸れる為に取り上げなかったが、多くの移民流入テロの影響を受け、EU理念の根幹をなすシュンゲン協定への圧力が非常に高まっている。また、現時点でさえ厳格化が進んでいたアメリカ入国審査移民ビザ審査トランプ政権により、一層厳しいものへとなるだろう。

10年後の欧米リベラルはどのような主張を行い、政治的にどういう立場になっているのだろうか。。。

2016-11-10

[] ひらり

連続テレビ小説第48作目の作品1992年放送

ヒロイン役を演じた石田ひかり出世作となり、また、脚本を手がけた内館牧子を注目を浴びるきっかけになったドラマ

東京両国相撲部屋お手伝いさん相撲部屋力士の卵、自身の恋と新しい自分探しを考えるドラマ

また、このドラマきっかけで渡辺いっけいが注目を浴びることにもなった。

さらに、このドラマでは元相撲力士ドラマ出演している。

なんといっても朝ドラで初めてオープニングソングが歌われたことだ。その記念すべき第1曲目がドリームカムトゥルー

「晴れたらいいね」でドラマのヒットと同時にこの曲もヒットとなった。

放送終了後、総集編が放送された。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%D2%A4%E9%A4%EA

2016-10-22

草案】日露平和条約締結のための沖縄南千島交換条約

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160927145302

なら入隊してアフリカに行く者が何人あるという話である。現状。

国民性として戦場に行く者が今も将来もない。

アフリカ行くのと自国民を守るのとは違うが。

まったくの無意味

沖縄に対する意見を聞かせてほしいです。

夜戻ります

基本は自立自衛平和主義です。

米軍と一体となってる以上、9条は必須

地位協定改善の方向で。

完全にとは言わないが自衛隊割合を高める。

自国防衛ならある程度は集まる。

しかしこれも暴走危険があるので米軍同盟して

お互い監視した方がよい。

米軍にとっては、日本ブレーキ役。

両国9条とって歯止めをなくしたら

そらもう世界は混とんだと思う。

2016-09-01

政府ロシア人の退去や両国による共同統治は困難とみて、日本帰属した場合でもロシア人待遇一定程度保障する必要があると判断した。

馬鹿げてる。

30年あれば資産の引き上げは可能だろうし、特別永住者のような身分を新たに作って、ロシア国民のまま管理することも可能なはずだ。

当然共同統治不可能だろうが、だからって出すには極端な結論だ。

政府内には、より幅広く権利保障し、高度な自治を維持する考えもある。

はぁ…。もうダメだ、自民党は。

日本国家を根幹から揺るがすような提案を、アイヌ人の目と鼻の先でしてしまう。

これが自民党国際感覚だ。というかクリミア半島ロシアがした提案自分からしているだけじゃないか

ロシア人イスラエルウクライナ移住たからと言って狼に囲まれた羊のように大人しくなるとでも思ってるのだろうか?

こんなことするくらいなら北方領土ロシア統治正式承認してやって、その代わりに漁業権と旧島民の永住権でも得た方が何百倍もマシだろう。

…と思ったが、要はジャージーだのガーンジーだのフォークランドだのみたいなものなのかもしれない。ものすごく釈然としないが…。

2016-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20160807071501

日本漁船は立ち入れない

漁船軍人民兵調査員が紛れている可能

 戦争回避どころか、いろいろ危険があるので両国とも何も立ち入らないように、あの事件ちかくまで互いに協定を守ってきたんだよ。

 で日本側だけ、未だに守っている状態っぽい。

 テレビ新聞ニュース、こういう奥さんたちにぜんぜん伝えられてないんだな。

2016-07-25

いい人は天国へ 悪い人は地獄

太ってる人は両国

2016-07-08

anond:20160707234517

日本戦争に向かっていった経緯を知らんアホが「戦争反対」って叫ぶだけ。

何で日本戦争するようになったかというのには産業革命によって自国庶民が皆貴族化することになりそうなると人手が足りなくなり弱小国植民地として貴族による低賃金労働者を得るために欧米列強はこぞって植民地支配をしていたので、日本もビックウェーブに乗ってアジア諸国植民地化し豊かになろうとした、が第二次世界大戦ではナチスドイツ大日本帝国植民地を増やそうと戦争拡大して多くの人間死ぬ結果になったので植民地支配は止めよう、ということで今は戦争による植民地獲得は禁止になったことだし日本戦争放棄した。

けれども今はテロ国家による犯罪は多かった上に日本では過去韓国北朝鮮によるテロが何度もあったんだから韓国北朝鮮に対しては行使すべきだったかもね、両国とも未だ謝罪無いし。

2016-06-30

1年位前にリベラル系でYoutuberやってたんだが

基本的リスナーの多くが10代、下手すりゃ小学生だったりするから

主張の核になる基本的説明すら理解してもらえないんだわ。

まあ、リベラルといっても保守よりで穏健なことばっかり言ってたんだけど、

そういう穏健路線って刺激が足りなくて面白く無いんだろうな。

例えば、「日中全面戦争になることはまずない。なぜなら両国貿易総額は云々」

みたいな話をしても、KAZUYAさんの「中国が攻めてくるぞー!!!」の方が1億倍分かりやすいか

キッズ達の心には全く響かない。「理屈左翼情念右翼」とはよく言ったものだ。

あと、労働問題とかの話をしても、キッズ達はまだ就労経験ほとんどないから、

どういうわけか経営者側に立った意見の方が響くらしい。自己責任論みたいなやつね。

最後はどっかのネトウヨに目をつけられて変な脅しまで喰らったか

正直ビビって半年くらいでアカウント閉じたわ。

半年で246円くらい稼げたけど、豚丼も食えねえよ。

2016-06-18

MLB】盟友グリフィーJr.氏 イチロー日米通算記録に「“世界記録”は名案」(Full-Count)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00010007-fullcount-base


日米の記録と世界記録

多くが忘れてるが張本も日米通算で記録を抜かれた際、NPB記録はあくまで私ですからイチローを認めていない。

あとご存じの通り彼はMLBNPBよりクソだと思ってるから来年にはMLB単独でもイチロー安打数抜かれそうだけど、それも認めなそう。

実際問題それぞれリーグが違うのだからNPB記録は張本、MLB記録はピートローズというしかないというのが正しいかもしれない。

から世界記録イチローというのが最も正しいだろう。

それにMLBシーズン中に違うリーグ移籍すると年間成績が別々に取り扱われるくらいに記録の集計にデリケートから

国もリーグも違うものは尚更同じ記録扱いにされることを簡単に納得しにくいだろう。


日米のレベルの差と記録の難易度は必ずしも関係しない

賛否両論あれどイチローが日米両リーグに跨がって活躍したことはどちらか単独で記録を作ったのは良かったことだと思う。

イチローのようにそれぞれの国で5年から10年以上にかけて長年プレーしながら通算で記録を達成することはNPBだけもしくはMLBだけで記録を達成するより難しいことだと思われる。

日米のリーグ差の問題はあるが率や安打数においてはリーグとの相性も加味されるし、試合数の差も考えると同等程度か、レギュラーをとれる一流選手であればMLBの方が安打数は多く積み重ねやすいのではないかと思う。

イチローも言っていたがNPBだけで4256安打打つことが一番難しいかもしれない。

NPB記録保持者の張本勲が唯一の3000本以上で通算3085安打王貞治世界記録の868本塁打を打ったが2786安打

755本塁打ハンク・アーロンは通算3771安打。714本塁打ベーブ・ルースは2873安打

そのデータを見るとNPBの方が当時はより球場も狭く投手レベルも低いのでMLbより本塁打数を重ねやすいというのは分かるものの、その点からいうと安打数においてアーロンルースより王の方が少ないというのは少し違和感があるし、20世紀前半以前のMLB記録を抜いて考えるにしてもMLBでは3000安打達成者は最近でもジーターらを始め何人か生まれている。

MLBでは4~6番が主で、イチローのように打席が多く回りやすい1~3番の打順試合に出ることが少なかった松井秀喜でもMLB打率.305を記録した2005年には200本に迫る192安打を記録している。

松井日本ではシーズン167安打が最高だったが、MLBで怪我するまでの1~3年目は全試合出場していることもあり、安打数は日本時代キャリアハイより多い170本以上を毎年記録している。

したがって、それなりに打率を残して試合に出続けられる選手ならばMLBの方が安打数は積み重ねやすいのではないかという可能性が考えられる。


日米のリーグレベルの差の疑問点

日米の単純な野球レベル差というのも議論余地が多少残る。本塁打は明らかに日本の方が打ちやすいことが通算上位の安打数における本塁打率の差からも分かる。

ただそれもトップ中のトップになると四球責めになりやすNPBよりは同じ四球責めを喰らうにしてもやはり試合数が多いMLBの方が有利となるが。ソーサマグワイアボンズ日本でやったら毎年のように60本打てたかというと四球責めで減っていただろう。

実際ボンズは476打数で73本塁打の翌年から勝負を避けられて400前後打数で40本台に減っている。

日本だと試合数が少ないしさら勝負を避けられて250打数で40本とかになっていたかもしれない。


通用しやす選手と当たり外れ激しい選手

また、MLBトップなら誰でも日本MLB時代と同等以上に成功するかというとそれも難しい所がある。

オールラウンドに打てる巧打力があればどのリーグでもそれなりの率を残せるが、得意なコースや球種に偏りがあると日本ではあまり打てないということがありうる。

現役メジャーリーガーでもパワーヒッター系よりミート力の高い中距離打者の方が日本では成功率が高い印象がある。

彼らは信じられないほどの成績を残したりもしないが失敗例は少ない。フリオ・フランコシェーン・マック、元西武フェルナンデスなど。

1980~90年代は日米の年俸が近かったせいもあって意外と今よりもMLBの本当のレギュラークラスが多数来日している。

彼らは十分に日本でもレギュラーとして通用した選手が多いものの、センセーショナル活躍をしたかというと、そういう例は少ない。

特にフランコMLB首位打者獲得を経験しており、全盛時に来日したMLBでもトップクラス選手だが日本での2シーズンは.305 10本、.290 18本とさほど目立つ成績ではなかった。

本拠地千葉マリンロッテ所属したせいで本塁打が少なくなった影響はあるかもしれないが、ほぼMLB時代と同じくらいの成績になっている。

シェーン・マック来日前までのMLB通算打率が.2994というバリバリの一流レギュラー選手だったが、日本では2年間で通算.284と打率を落としている。本塁打数と長打率は増やしており安定して活躍したが、NPBMLBそれぞれの通算長打率OPSを見てもあまり差がない。

それらの成績を見るとNPBMLBよりレベルが遥かに劣るとは考えにくい。

また、マックは彼以外の日本成功する外国人選手共通点でもあるが、野球に取り組む姿勢に非常に優れていたらしい。

野球に取り組む姿勢の良さは、日本からMLBに行く日本人選手成功と失敗を分ける要因にもなっていることがいえるように思う。

その姿勢問題でよくネタにされるグリーンウェルバランスのいいタイプの中距離打者だったはずだから、真面目に取り組めばNPBでも通用したと思う。


投手やパワーヒッター系は当たり外れが激しい

日米でも、それぞれ何故か片方で通用しながら片方では通用した選手というのがいる。

日本から帰国後にMLB最多勝を獲ったガリクソン帰国後にMLB本塁打王を獲ったフィルダーなど日本で何かを掴んで覚醒して両国活躍した選手もいたが、その逆は比較的少ない。

井口城島福留西岡などは故障や衰え、メンタル問題などでMLBを去った後も日本活躍したといえるのだが、しか日本での全盛時に比べると物足りない。

岡島五十嵐などはMLBで一皮剥けて何かを掴んで帰ってきて日本でも活躍したが、大家マック鈴木などは結局日本では殆ど活躍できなかった。

日本に出戻りではないが韓国パク・チャンホも衰えていたとはい日本では通用しなかった。その後韓国でも通用しなかったようである

あとは中島松坂などを見ても、今はもはやアメリカ帰りが日本簡単活躍できる時代でもないし、MLBで1.5流程度にやれたら日本韓国では1流以上というわけでもないようである


レベルよりも適性と相性

今までで最も日本に衝撃を与えた外国人選手は多分ホーナーなのだろう。

マイナー経験なしでメジャーデビューしたエリートで、そのまま主軸で活躍していたメジャーリーガー来日し、その肩書き通りに凄まじい成績を残した。

恐らく最もNPBレベル相対的に高かった1990~2000年前後よりさらに日米のレベル差が激しかったと目される当時(1987年)で.327 31本。

故障離脱があり93試合での成績だからかなり凄いのだが、当初は4割60本くらい打たれてしまうのではというほどの期待と恐怖があっただろうに結局はその程度の人間らしい成績に収まったともいえる。

バースマートンペタジーニカブレララミレスロバートタフィ・ローズなどMLBでは大した成績を残していないながら日本レジェンド級の成績を残した選手が多いので日米のレベル差は激しいと考える人も多いが、

逆にMLBで彼らを遥かに上回る成績を残して日本にやってきながら日本では彼らに全く及ばない成績に終わっているメジャーリーガーも上述の打者達のように多く存在するため、レベル差というより相性の問題もかなり大きい気がする。

日本でいえばMLBでも通用した田口壮新庄は、アメリカでさっぱりだった中村紀洋中島裕之以上の打者といえるのか…など。

歴代最強助っ人バースは速球が苦手で変化球が得意だったらしく、そのおかげでMLBより速球投手の少ない日本適応して史上最高の助っ人と呼ばれるような成績を残すことになった。

一方、当時そんなバースに速球で真っ向勝負を挑んだ津田江川勇気と度胸が賞賛されていたみたいだが、そういう事情を考えるとむしろ速球が持ち味の投手が速球が苦手な打者に速球で挑んだのだからただのセオリー通りなのでは…という気もする。

打者に速球は怖いという先入観から変化球勝負で逃げたつもりが逆にバースにとっては都合が良かったというのが活躍の要因かもしれない。

もっとも、日本ではバースが苦にするほどの速球を投げる投手も限られているので速球勝負でも打たれていたのだろうが。


俺流の慧眼

落合はその当時ですらMLBで4番を打っていたホーナーよりMLBで実績のないバースの方がNPBにおいては成績を残せる打者だと評していたらしいが、そのあたりの本質を突ける度胸と観察眼は凄いものがある。

MLB移籍前に日本で圧倒的な成績を残していたイチローだったが、当時は日本専門家の話でもMLBでは打率3割を打つことすら難しいとの声が多かった。

そのMLB移籍前のイチローとの対談において、落合メジャーに行ったらどの打順を打ちたいかという話題を振ったことがあった。

その際、イチローが「メジャー自分より凄い奴がいたら7~9番を打つ」と謙遜することを言ったのに対して、

落合は「(イチローより凄い奴はメジャーにも)いない」と突っ込んでいたのだった。


アジア人選手可能

日本人韓国人選手も今よりももっと多くの選手を輸出すれば、日本韓国では大したことなくてもMLB成功する打者が現れるのではないか

既に投手はそういう例が多数あるし、打者においても韓国チェ・ヒソプMLBレギュラー半でいながら2年連続15本塁打と健闘する成績を残した上でKBO(韓国)のチームに入団したが、韓国では期待に近い成績を残したのは1~2年だけで他はパッとしない成績しか残せないまま引退してしまった。MLBと比べたNPBよりもさらレベルが低いと目されるKBOですらMLBの実績の割にKBOでパッとしない例が散見することからも、少なくとも日米韓数字の見かけ上のレベル差はここ数十年でかなり縮まっていると思われる。

もちろん、主に内野守備球場など、総合的なプレーのスケール文化レベルにおいては向こう三十年以上埋まることがないと思えるほどの差があるが。


韓国レベル簡単には決めつけられない

韓国人選手NPBで通用しなくてもMLBで通用しそうなタイプ打者が多いように感じる。

イ・スンヨプキム・テギュンNPBよりMLBでの方が安定して成績を残せそうなタイプに感じていた。起用してもらえたらというのと、テギュンの場合環境への適応課題だが。

実際に今年は韓国人野手が何人もMLB移籍して打率の面で物足りなさはあるが長打の面では驚くくらいのレベルで健闘している。パク・ビョンホは打率は2割前後ながら既に11本塁打イ・デホは起用が少ないながら10本塁打打率も3割近い。怪我から復帰したカン・ジョンホも打率2割後半で9本塁打

あとはNPBでも活躍したとはいえ、信頼感抜群のクローザーだったとまでは言い難かったオ・スンファンMLB奪三振率が12以上で防御率も1点台で十分通用しているのを見ても、もはや日米のレベルの差は相性と調子が一番大きな要素になる程度なのではとすら感じる。

日本でも落合清原など外角を得意にして速球を得意にしていた打者MLBでやっても面白かったのではないかと思う。両者の日米野球での成績は散々だが、実は松井秀喜日米野球ではあまり打っていないながら通用したので、さほど直接的には関係しないように思う。

また、両者は飛び抜けた才能と技術の塊だから対応力があったのではないかとも思われる。特に体格的にもMLBの強打者に引けを取らない清原は何かの拍子によっては、むしろNPBで才能だけで適当に続けてしまった後の現状より成績的にも素行的にも好転していた可能性すら考えられる。実際清原が若かった頃はMLBからも注目されていたらしい。

しか関西出身野手アメリカ挑戦惨敗率の高さを考えると、清原メンタル的に微妙だったかもしれない。


イチローの唯一無二の偉大さ

つまるところ、全てのリーグ活躍した選手こそ最も優れている選手といえるのであって、MLBナンバーワンになった選手NPBでも必ずナンバーワンかというと怪しいのである

しかしたらマグワイアソーサボンズらはNPBでは松井中村紀、カブレラローズらより打てなかったかもしれないし、松井中村小笠原松中らはKBOではイ・スンヨプイ・デホよりも打てなかったかもしれない。

最近キューバトップクラス打者が何人かNPBに来たがさほど凄まじい活躍をしたといえるほどでもない。

グリエルは62試合で.305 11本、デスパイネも1年目は45試合で.311 12本だから凄さを見せたといえるが、2年目は103試合で.258 18本。十分通用はしているものの目を見張るような成績ではなく、単純にこのレベルの成績の選手MLBに行くと簡単に主軸を打てそうという想像はつかない。セペダに関しては逆に何故あそこまで打てなかったのか意味が分からないが…。

じゃあキューバ打者が大したことないのかというと、彼らとキューバ時代は同等程度の成績だったセスペデスやアブレイユらが亡命して、MLBの主軸として活躍できている。

グリエルデスパイネの成績から考えるとキューバ日本投手の相性があまり良くないのではないかと考えられる。つまりMLBで3割30本近い成績を残しているセスペデスやアブレイユでも、NPBではより成績を落とす可能性が低くないと思われるし、したがって、MLBの超一流なら高確率で、NPBで同程度から同等以上の活躍ができるとは決めつけられないのではないかと考えられる。

ピート・ローズだって試合数が少ないNPBで仮にやっていたらその期間はMLBと同等以上の安打数を稼げなかったことは間違いないし、それどころか、仮に1~2年間NPBにいたとして、通用しなかったりレギュラー争いで他の選手に敗れたりして100本も打てないまま日本を去っていたかもしれない。

推測や期待はロマンがあって面白いが、実際にやって証明した例に比べてしまうと、やってない以上はやってみなければ分からない要素がかなり大きい。

からこそ、NPBMLB両方のリーグで実際に何年もプレーした上で、両方で歴代最高峰の実績と印象的なプレーの記憶を残したイチロー現代野球では歴史上唯一といっていいくらケチの付け所のない世界歴代最高の選手だといえる。

また、それこそがNPB単独通算でもMLB単独通算でもない日米通算最多安打というイチローが残した実績の唯一無二の偉大さを表しているのである

2016-05-15

今日が最終日の展覧会など

浅草 三社祭 -5/15

表参道 根津美術館国宝 燕子花図屏風」 -5/15

上野 東京国立博物館 「生誕150年 黒田清輝日本近代絵画巨匠」 -5/15

上野 東京藝術大学奏楽堂 「サティとその時代 世紀末からベル・エポック今日は一日、サティの日」 5/15

竹橋 東京国立近代美術館安田靫彦展」 -5/15

渋谷神泉渋谷区松濤美術館 「頴川美術館の名品」 -5/15

新宿初台刀剣博物館鈴木嘉定コレクション寄贈品展」 -5/15

清澄白河 無人島プロダクション小泉明郎展『空気』」 -5/15

銀座 教文館ウェンライトホール偕成社子どもの本とあゆんだ80年」 -5/15

銀座 メゾンエルメスフォーラム 「YÔKAÏNOSHIMA シャルル・フレジェ展」 -5/15

両国 江戸東京博物館近代百貨店誕生 三越呉服店」 -5/15

武蔵小金井 中村研一記念小金井市立はけの森美術館 「開館10周年記念 中村研一回顧展」 -5/15

浅草橋 TODAYS GALLERY STUDIO 「ふともも写真世界展」 -5/15

2016-05-11

大相撲が大好きだった

今も大相撲を見ることあるけど、仕事関係休みの日にしか見れない。だからつの間にか新しい力士頭角をあらわしたりしている。

子どもの頃、祖母の家に預けられていた私は、曽祖母大相撲甲子園を見ることが日課になっていた。

今日GWの振り替えでお休み。本当に久しぶりに3時過ぎから見ている。

祖母1908年まれ2007年まで生きた。最後までボケず、俳句をたしなみ、足腰は不自由だったが聡明な女性だったと思う。

北海道開拓の第二世代として大正戦前戦後平成まで生きた。すごい時代を生きたもんだ。

晩年病院で曽祖母の手を握った感触は今でも忘れない。私も、時代は変われどあのように生きたいと思える人間だった。

中入りとか土俵入りをじっくり見ながら、また当時の力士親方になったことを改めて感じながら、昔の、あの、祖母の家での日々を思い出した。



しっかし相撲ってのは非常にゆっくりとしたもんだ。慣例でほとんどの場合時間いっぱいまで仕切る。

から冗長になる。お相撲さんたちは塩を撒くは四股は踏むはやりたい放題である

で、取り組みは一瞬だ。

職場の女の係長なんかは相撲豪栄道)が好きなのに、仕切りのところで「ほらまた豪ちゃんが準備運動みたいなことしてるよ!」とか言ってる。仕切りだっつーの。


そういう所作がまた大相撲のいいところだと思うし、解説がじっくり聴けたり、前の取り組みのダイジェストなんかが見れたりして、それなりにメリットがある。

だがやっぱり冗長だ。

例えばテニス殿堂ウィンブルドンコートが19あるという。これに倣って土俵も5個ぐらい有ると面白いのではないか

幕内十両力士が取り組むセンター土俵幕下土俵、観客が自由参加の土俵なんかを配置すべきだと思う。

幕内でも同時に三番くらいやっちゃうのも面白いコートを分けるように、土俵も分けるのだ。

しかしたら両国には場所がないのかもしれない。その場合国技館を改造して、縦に5段土俵を作ればいい。上の土俵は中空に浮いているわけだ。国技館を立体化すべきと言うこと。領国で無理だったら蔵前でも良い。

もちろん白鵬横綱陣は最上級土俵相撲を取る。最新鋭の土俵設備はもちろん、伝統バリアフリー配慮した土俵にすれば、批判は起こらない。塩も深海のもの使用しよう。

かつて角界は、江戸場所大阪場所があり、それぞれ横綱があった。このように相撲伝統的と言いながら、賭博問題などさまざまな課題も抱えつつ、激動の変遷を経ている。

そして漫画などでわかるとおり、相撲はなぜかSF親和性が高い(『五大湖フルバースト』など)。ヴァーチャル相撲は、実は角界未来を考えるためにも役に立つ。

テレビで見てる相撲が、未来そのままであるわけではないだろう。どんどん相撲も変わって行っている。立ち合いの際の手を十分につくルールなんかもそうだ。ちょっと前までそんなことなかった。

私が訴える土俵を縦に5個積んで取り組みと一度にたくさん出来るようにすることで、全日本選手権とかも楽になると思う。

再び蔵前国技館が出来る際には是非バビロン庭園ならぬ空中土俵を実現してほしい。

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