はてなキーワード: 接待とは
10年ぶりの消滅自治体騒ぎでまた議論を呼んでるけど、やっぱり本当に議論すべきことは語られない
自治体単位で消滅するかどうかなんてのは、今回の結果でも分かるように変動するものでどうでもいいこと
岸田政権は少子化対策に力を入れるポーズをとっているけれど、子育て支援で急に子どもが増えるなんてことはありえないので、当然に人口は減る
ここで重要なのは、人口が減る中でどうやって社会を維持するかだ
移民とか外国人労働者とか安易な発想をする人が稀にいるが、あれはダメだ
衰退する国にまともな外国人が来るか?
それに外国人は都市にしか来ないから、日本人の底辺層から仕事を奪うだけ
そもそも都市部、特に首都圏は少しくらい人口が減っても問題ないし、なんなら減った方が暮らしやすい
それに対して地方は少し人が減っただけでガタガタになるところが多い
だから、人口が減る中で真に考えるべきことは、都市に集中しすぎた人口を地方に返して、人口が減っても持続可能な社会をどうやって作るかだ
そこで、首都機能移転だ
さらに、そこには政商みたいな税金に集って生きてる人たちや、接待用の高級料亭、施設の維持管理や警備の人など、とてもたくさんの仕事がついてくる
だから、省庁ごとに違う地方に移転すれば、かなりの人口移動になる
今の時代は通信技術の発達で離れているからといってそこまで困ることもない
むしろ災害発生時のことを考えれば政府拠点が分散していることはリスク分散になる
国会は、それも分散してオンラインで繋いだ形にするか、巡業制にするか、どちらでもいい
ただ、どの分散首都でも首都として機能するようにしておけば、危機管理上とても有効だろう
問題は、どこに移すかだ
ここは大変な争いになるだろう
そこで、増田のみんなにも、どこにどの省庁を移すべきか、意見を出してほしい
よろしく頼む
こういうことをするタイプの人間って顔つきがなんか違うから分かるんだよね
そのせいで普段から他人に心から信頼されるという体験が得られないせいで
余計にこういうことをしてまで人の歓心を買おうという発想が生じるんだろう
元から妙な人だと思われているから、それで得られる歓心も建前的なものでしかない
普通の顔つきをした人なら、身を粉にした貢献的な行動ですでに信頼を得ているものだから
仮に本物だとしても金品で歓心を買おうとするのはお互い微妙な気分になることを理解している
なので祝い事など時期を選んだタイミングでしか金品のやりとりはしにくいものだ
おそらく献身的行動を示すだけのスキルや貢献実績がないから、他人からの評価が金品授受に関わる出来事に集約される
それは、友人知人の関係というには歪で、ご機嫌取りをしているようにも見える
他人からよく見られたいという不安に駆られがちな性分ゆえモノを振る舞う人もいるが、そういう人は欺瞞的手法を用いないだろう
金品での接待が常に有効なのは、個人的に親しいわけではないが立派な肩書や権力をもつ賓客に対してだけだ
関係性を深める時間の欠如を金品による誠意で補い、最終的には便宜を図ってもらうことを目的とする仮初めの友好関係だ
一般的な感性ではそういう対象として友人知人を見ているとみなされるだろうし、偽物と察すればそれ以下の、愚弄してもいい道具かアクセサリーのような存在として見ていると受け取られかねない
そもそも信頼関係を築くに値する相手か、結婚相手の候補にしていい相手か、みたいなのをなんらかの手段で試すのって何の問題もないやろ。
そもそもろくに信頼関係もない人と高い店行くか?接待とかならともかく。
失礼とかよく分からんことを言ってる人いるが、そいつらは相手を評価せずに関係を続けて問題が発生したとしても何の責任も取らんし。
孔明も小さな贈り物をして相手の人間性を見定めよみたいなことを書いていたし、同じ店に行くわけだから相手も自分を評価する機会を得られるわけで公平でもある。
EVだからって目的地に早く到着できるわけじゃないし、なんか生活変わるの?
スマホのおかげでポータブル音楽プレーヤーもデジカメも駆逐されたみたいな生活の変化あるんかな?
5Gで世界はこう変わるみたいな話みたいに、充電インフラが整備されたらなんか生活変わるの?
ガソリン車では月に1回給油してた人が、車検の時に充電すれば2年くらいノーメンテで乗れる的なわけじゃないんでしょ?
二酸化炭素の問題はわかるんだけどさ、消費者に訴えてくるようなやつがもっとこうないわけ?
トラックバックとブックマークコメントを読むと、家で充電できればちょい乗りには便利、排ガス、蓄電池として利用、加速等の運転性能あたりが利点らしい。
目新しいネタがないな。
「もっとこうないの?」ってのはさ、スマホ的なイノベーションがないのか?って聞いてるの。4輪車をモーターで動かしたら、すごいことになんかないの?
個室浴場と接待を合体させたらソープランド爆誕みたいなやつってないわけ?
ガソリンで走る車が電気で走るようになったとかより、車にエアコンがついたとか、パワーステアリングがついたとかの方がらよっぽど画期的じゃねーかなと。
あんま興味ない人からすると、3Dテレビみたいな感じ。3D元年とかもてはやしたけど、モノクロからカラーになったのに比べればみたいな。
トラバとブコメで唯一、アリかなと思ったのは、蓄電池としての利用くらいかな。
太陽光で発電してBEVに蓄電、そんで夜は蓄電池で生活、最高じゃないっすか!
でもさあ、昼間に車で出ちゃったら蓄電できないし、夜に蓄電を使い切ったら車として乗れないじゃないと思うんだけど。
まあ、夜使った残りでも街乗りくらいできるのかもしれない。都民は車所有者でも1日に10kmも乗ってないっていうからアリなのかな?とか考えたけど、じゃあ、車所有しないで自転車で生活したほうがエコだと思うんだよね。
ガソリンスタンドに行かなくてよくなるとか言われてもね、時計マニアに「自動巻きだから電池交換不要」って言われてるような感じ。
コミュ取ろうと頑張る心意気は偉いけど
「聞き手に徹する」ってそういうことじゃないで
会話って増田の聞きたいこと(用意した設問)を投げかけることではないんや
相手が話したそうな方向にリアタイで微調整しつつ水を向けること(誘導尋問にならないように)
もちろん、話したくなさそうなら引くこと
また「自分ではなく相手に話させろ」は、コミュ障向けのコツとして巷間に流布しているが、正しく実行・理解できる奴は少ない
そもそも話題のNGリストが脳内になく、知識の引き出しが少なく、鈍臭くて選球眼もカスやから困難なんや(ワイも昔はそうだった)
相手も馬鹿やないし大抵は自分よりはるかにコミュ巧者なので「コイツ俺に話させて楽しようとしてんな」ってのはすぐ分かる
すげえ不快やけど礼儀として乗っかってくれてニコニコ接待してるだけ
増田はネタで言ってるみたいだからいいがダメやぞwどこで出たネタなんやそれw
目覚めちゃった系や某所の新聞とっている人が仮に職場にいたとして、その人がなんか言ってるのを黙って聞いてる分にはいいけど、
適当な相槌すら危険やぞ、それこそ職場の人をターゲットにした愚痴に適当に相槌打つレベルで危険
ただ、社長とかが政治発言しているのに対してなら、周りの人が見ていても、ガンガン相槌打っていいと思うわ
つか、政治発言どころか芸能人やら日常やらの好き嫌いの話題すらも馴染むまでは微妙やで
好きは肯定していいが、嫌いは肯定してはいけない。でも嫌いという感情は否定してはいけない。理想は同調で内容的に無理なら復唱
理想:○○はイヤですね ←XXの固有名詞ではなく理由の方を口に出す
妥協:○○(復唱) ←理由の方を復唱して反応待つ。理想はこのタイミングで一呼吸置いてから仕事の話題で切り替えられると良い
全然崩れてない。理系は、ほぼ物理的技術的要件を達成しに行こうとする。つまり化学/物理学の理屈で動く。一方で、文系は、コストとペナルティを天秤にかけ発注者にOKもらえば達成!として接待したり賄賂を出したり試験記録を偽造したりして懐柔してサボる。お金や心理学やコミュ力の理屈で動く。なので、文系がトップに来る組織では張りぼての建物やコンクリの薄いトンネルとか実際には試験に通っていない自動車ができる。一方で理系の理屈で正面からやっていてはリソースが持たない面もあり、上手にサボらないとダメな場合もあるが、いざというとき用をなさないか、あとの事故処理でより多くのリソースが必要になる場合がある。この2つの価値観は決して相容れない
それはまだ背中の羽根を無くした頃(Webメディアが今よりは多少元気だった時)の話。
今でこそWebメディアの記事=コタツ記事(取材を一切せず自宅から動かずに書ける様な代物)などと揶揄される事が多く
当時も似たような批判はあり実際に「ネットで調べた事をまとめただけ」で書かれた様な記事も少なく無かったが
ちゃんと実際に取材に行って記事を書く事も多かった。まだ多少は元気だったので少々ではあるが予算が出たからだ。
飲食店、美容関係(店舗)の記事が多かったが、実際に記事を読んでお店に行ってみた、みたいなコメントが増えて行くに従って
お店の側から「ウチの記事も書いて欲しい」と依頼される事が増えた。
「そういうのは宣伝になるので…」と穏便に断る事もあったが、結果的に依頼を請けて記事を書く事もあった。
さすがに金銭の支払いは拒否したが、「じゃあ代わり」にと次回の食事代を無料にして貰ったり(実際に行かない事も多かったけど)
美容関係だと実際にサービス・施術を受けてそれを無料にして貰ったり。
商品の宣伝だと、試供品を大量に貰って編集チームの面々で分け合ったりした事もあった。
高価な電化製品だと、自分はやらなかったが、こっそりオクに…という人もいた。
あくまでも「お金」を貰って記事を書いた訳では無いから問題無い――「という事」にしていたのだろう。
まだステマという言葉が一般的では無かった当時でもちょっとこれどうなの?と思う事もあったが
依頼する側も請ける側も特に問題視はして無かったので、「そういうもの」だと割り切る様にしていた。
記事を読む人は、自分達メディアが本当に良い、推せる!と思ったから記事を書いている、と信じていた人の方が多かったと思う。
記事を真に受けて大した事無い店に行って「実際に行って見たけど美味しかったよ!」とコメントを書くヤムチャみたいな人間は良い面の皮である。
ステマが問題になり、遂にステマ規制法なる法律まで出来たが、今でもステマ「的」なネットメディアはそこらにある。
例えば「◯◯先生のあの漫画は凄い!」とか、□□グルメの誰それが今もっとも推している!なんてのは大半がステマ「的」である。
記事を書いて宣伝する事により、別の媒体で誰でも(餃子みたいな坊主でも)書けそうな記事の仕事を「対価」として与えられるか
紹介の「お礼」としてお店で「接待」されるなど、あくまでも「金銭」は伴わない形での利益提供を受けている。
寧ろインフルエンサーやら人気ネットライターやらを標榜する人間が、一切のステマ的行為をした事が無い・利益を提供された事が無いという方が不自然だろう。
某ネットライターが某インフルエンサーを「ステマと指摘されたのは事実摘示の名誉毀損である」として訴えたという話を聞いて
当時の事を思い返しながら罪滅ぼし的に書いた。
話を聞く限りは確かにステマ「的」ではある。消費者庁の定義には引っかからないかも知れない。
しかし一般の目線からすれば「友人からの依頼で宣伝」「(人的資源の)利益提供」
があったという時点で「ステマ?」と思う人の方が多いだろう。
(ちなみに先程帰宅してきた家人に聞いた所「えっ?(それ)ステマじゃないの?」とあっさり言われた。一般人はこんなものだと思われる)
ネットメディアという虚業界人からすればこれが「ステマである」と認定されたら
自分達のやってる事の大半がアウトになるから戦々恐々になっているかもしれない。
既にライター業から足を洗って久しいし、今更自分に火の粉が飛んでくるとは思わないが
当時の自分達が書いた宣伝記事(PRとは書かれていない)を読んで真に受けたヤムチャ達からしたら
狼牙風風拳の一つでも叩き込みたくなる事だろう。
一般的に考えれば、例え金銭の支払い・商品の無償提供が無かったとしても
何らかの利益提供を受けて「これが私の一推し!」などと、さも本人が良いものであるる思って推している
かの如く宣伝している時点でステマ臭いとは思うし、何より読者・視聴者に『不誠実』だよね。
出来れば法律でガチガチに規制するのでは無く、界隈の良心に期待したい所だけど……難しいよね、やっぱり。