はてなキーワード: 蛇足とは
毎日のように「私のこと好き?」だの「別れたほうがいい??」だのメッセージ送ってきてた元カノ、確実に病んでいたと思うのだけど少し気持ちが分かった。
今付き合ってる人が連絡を送っても翌日から翌々日返信のタイプなので、重要視されていない感じが凄く、自分なりに時間や労力を注いでいる割に関係性が良くなっていないような気がする->不安。みたいなプロセスをたどってる。
ただ交際前からそういう連絡出不精みたいな節はあったのでそれが彼女の普通と感じることができれば特に何も感じないと思うのだけど、不安感というかもやもやする気持ちがある。
多分元カノも同じような感覚をどういう機序であれば持っていたような気がしており、なるほど連絡をされない側はこんな気持ちなのかと初めて理解できた。
連絡しない側からするとこれが普通なんだから信頼してくれなのだけど、連絡されない側からすると信頼できるほど人間性が分かっておらず、ないがしろにされている->不安という感情が芽生えるのだなぁという。
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後これは蛇足だけど不思議なことにこうして連絡頻度が低くされると妙に執着心みたいなものが芽生えてしまっている気がする。
何かの本で足りないと感じるものほど執着するみたいなのを読んだ気がするのだけど、自分が求める連絡頻度より低いとある程度気になっていることが前提ではあるけど、より執着してしまう感じがする。メンヘラ製造の一つの手法かもしれん
つまりさ、偏差値70ぐらいの子じゃないとここにある能力は身に着けないままで高校を卒業して、そのまま大学生活はサークルや専門バカやって過ごして、結局身についてないまま社会に出るってことでしょ?
怖くない?
偏差値70未満の人≒日本人のほぼ全員がこれ身に付けないまま社会で暮らしてるらしいですよ。
怖いですねぇ……
引用開始
【国語】
【数学】
【理科】
【外国語】
1) 英語による受信力
2) 英語による発信力
引用終わり
引用元
蛇足:
たとえばですよ。
文系の多くの人が「自然現象の本質を見抜き、原理に基づいて論理的にかつ柔軟に思考する」ことが出来ないわけですよ。
なんか良く分からないけど学者先生が言ってるらしいからそうらしい……で理解を終えているってことでしょ?
逆に理系の人は「地歴公民についての総合的な知識、それらを関連付ける分析思考力、その結果を論理的に表現する能力」に欠けているってことでしょ?
まあ理系の人って「後半二つは出来ているもん!分析力が高くて論理的で表現力だもん!」って言いそうですけど、そもそもの総合的な知識がなかったらガベージインからのスタートで結果は推して知るべし。
いやいやそりゃ政治について頓珍漢なこと言う人があとを経たねえわけだよ……。
まあでも体感で言えば、文章を筋道立てて読み取る読解力の時点で既にダメそうな人も多いですからね。
いやー偏差値70の壁は高いなー。
より具体的に言うと、これぐらいのことは偏差値50かせめて55ぐらいの世の中になって欲しいけど、そこに行くまでに人類が乗り越えないといけない壁はまだまだ残りまクリスティー。
まあ俺も「じゃあ今すぐセンター試験で8割でいいから取れよ」って言われたら泣いちゃいますけど。
もう覚えてないからな―。
指導要領変わった部分とか初耳も多そうだしなー。
いやいや人の悪口言ってる場合じゃないだろって話じゃなくて―、アンキパンみたいな感じで全人類自動的にこのレベルに出来ないもんすかねーって話デスタムーア。
マッチングで女とやり取りした話。
マンガやアニメを中心に趣味が合うことや、家がほどほどに近いことなどで会ってみようという話になった。
(蛇足だがあっちはギヴンの映画を見たというあたり腐女子の匂いが漂っていた)
あっちの仕事のスケジュールNGや日にち間違いに合わせる形で2週連続リスケ。
昨日の日曜に今度こそ会う予定になっていた。
その前の先週日曜のリスケ後も普通にメッセージやり取りをしていくつもりが こちらから 月曜日に送ったメッセージが土曜日になっても未読。
ブロックでもされたかという確認でスタンププレゼントをしようとしてみて、
女がおおよそ持たないだろうと見つけたのが、ザコシショウのスタンプ。
そのザコシスタンプはプレゼントできそうだったのでブロックはされてないことを確認。
しかし翌日日曜にマッチングサイト上でアカウントブロックをしていたのを確認し
いい年した大人がすっぽかしとかありえねー、どういう人格してるんだ的なボロカスメッセージを送る。
すると未読が既読になった。
これにてジ・エンド。
というのも、数年前。仕事において労働環境がとんでもなく劣悪になり、当時の私は心身共に追い詰められていた。解決したくともメンバーや役割を直ぐに変えられるものでもなし、根本的にマンパワーが足りず。そして今後も補充される予定は無し、あまりに絶望的過ぎてこれは退職しか……と抗うつ剤まで飲んで這いずりながら出勤していた。
それでも夜は眠れず、失禁はする、健啖家だったのだが消化器系に影響が出始め食欲も落ち始めていた。あまりに希死念慮が強くなり、毎朝自殺の名所に寄りたくなったし、事実帰りは毎日寄っていた。
だが、自分が死んだら家庭への収入が絶たれる、今まで家族に迷惑をかけた分を返せていない、心配な妹が残されており心配である。諸々考えるとどうにも死にきれず毎日やり過ごしてしまっていた。
ここまで来て、死んでは元も子もないと考えるようになり初めて退職"願"を書いて提出した。
そこで不思議なことは、提出した後は解放感でも、安堵感でもなく、不安と焦燥感だけが激しく込み上げてきた。自分は逃げた、辛いことから逃げた、金を稼げなくなった、仕事が出来ない、いる価値がない。そんな考えが波のように押し寄せ、眠れない夜は更に続いた。
要はだ。自分は、死にそうになりながら働くことの方がまだ良いと思ったのだ。仕事がなければ自分に価値がないと感じ、無職の自分には何の価値も見出だせず、不安感は増すばかりだという気付きを得ることが出来た。つまり、ニートになるセンスがないのだ。
それに気付いてからは"願"の段階であった為、取り下げてもらい、激しく働かせてもらっている。幸い、あの後メンバー等も変わり労働環境も改善された。有り難い、あの時諦めなくて良かったと本当に思う。
我ながら異常な思考だとは自覚してはいるが、自分の価値がそれしかないと再確認出来たのは良いことだと思っている。
蛇足。家族と生活してはいるのだが、当時、誰一人として私に「仕事を辞めたら?」とすすめてくれる人はいなかった。また、「働かない私に価値はないだろう」と家族に問いかけた際、否定も肯定もされなかったのも中々味わい深い経験だ。自分の家庭内での立ち位置が確認できたとも言える。妹は、所謂「繊細さん」というやつで一時期ニート生活も営んでいたことがある。新卒一年目に。そこも含めてセンスだよなあ、と思うのであった。
前編
俺はこの、増田という日記帳に書き込んだのは実は昨日が初めてなんだ。
婆パンジーの教えに「新しいコミュニティじゃ半年ROMりゃなあかん」というものがある。
それがここまで多くの人に読んでもらえるとは思いもせず
交通安全啓発の一助となったのならチンパンジー冥利に尽きるというものだ。
(実際15年くらい2chやらSNSから離れていて頭チンパンジー)
このように書かれており、ニンゲンに従順なチンパンジーの一匹である俺は従わざるを得なかった。
また勢いに任せて書いてしまったこともあり、色々と指摘もあったのでドライバー編にも後日修正を行う。
母パンジーには幼少より口を酸っぱくして
こう言われて育ってきたため、レンタルキックボードくらいの経験しかない。
幼少の頃より憧れはあったものの、運転には才能と訓練が必要らしい。
その中で、チャラチャラしたチンパンジーが通りがかりのニンゲンの女ライダーに
パンクも直せないのならバイクに乗るな、とボコボコに殴られるような描写があったのを思い出した。
確かにバイクでツーリングする場合、山道など自然の多い場所に出掛けている人も多い。
統計的には、クルマとバイクの事故の発生頻度はそれほど変わらないらしい。
ただ、万が一事故に遭ってしまった場合の、肉体へのダメージが大きいということは容易に想像できる。
これは考えてみれば当たり前で、バイクは生身の体が飛び出しているわけだ。
ヘルメットだけでなく、グローブや肘・膝・胸部プロテクターなど最大限の安全装備を整えろ。
分かったな、間違ってもTシャツにサンダルでブロロロするんじゃないぞ、そこのチンパンジー。
近所だからいいとか、田舎だからいいとか、そういう気の緩みが事故の元なんだ。
仮にお前の装備が不十分だったために、亡くならないまでも、一生残る傷を抱えてしまったら?
もちろん、轢いた方が悪いのはそうだが、その人に一生消えない後悔の念を残すことになる。
外気に長時間さらされるということは、当然疲れるということだ。
そういったところでお土産を買うのもツーリングの楽しみ方のひとつだろう。
確かに免許は高い。高いが、免許を取ることは自衛にもつながるから
近所に子供を乗せながら、傘を差しながら、電話をしながら運転しているチンパンジーを偶に見かけるが
あまりに少ない睡眠時間だと、アルコールで酔っ払ったのと同じくらいの脳の反応速度になるらしい。
お前が営業で外回りをしていたとしても、うとうとしたのなら仮眠を取れ。
最近じゃ、俺たちチンパンジーの運転の様子を記録する会社もあるらしい。
「うるせえ!!!!!」
これは俺だけかもしれないが、眩しいと眠くなる気がする。
サングラスを用意しておけ。
夜、見づらくなるやつは、昼夜兼用のドライビングサングラスのようなものがあったような気がするから
そういうのを試してみるのもいい。
どことどことどこのPAまたは道の駅またはコンビニに寄るかきちんと考えておけ。
お前は漏らしてもいいかもしれないが、トイレが近いパンジーもいる。
それを恥ずかしがって言い出せないパンジーもいる。
冷房の温度にも気を使え。お前は毛深いから寒くないかもしれないが、同乗者は寒いと感じているかもしれない。
ブランケットも用意しておけ。
別にドラマの如くドアまで開けて、頭をぶつけないよう手をかざせと言っているわけではない。
だが肉体的な性差への配慮をこっそり行うのは紳パンジーの責務だ。紳パンたれ。
500mでも1,000mでもいい、とにかく車間を空けろ。とにかくチンパンジーだ。
お前はクルマを完全停止させるのにどれだけの距離が必要だか把握しているのか?
俺はしていない。そんなことはニンゲンに任せておけばいい。
俺たちは、とにかく車間を空けておけばいい。
50mでも100mでもいい、ちょっと空け過ぎかな?あれ、後ろに煽られてる?
そのくらいで丁度いい。
イキったチンパンジーが痺れを切らして左車線から追い抜いてくる、その程度で丁度いい。
※そもそも左車線を走れ。
最近職場で与えられたクルマは、よく分からないが勝手に前の車を追随し車間も保ってくれる。
三段階で車間を設定できるのだが、その車間でさえ、イキリチンポンジーはあおり散らかして左からその車間に収まってくる。
高速道路を運転するとき、バックミラーを見ないくらいの王者の風格を見せつけろ。
※ベテランドライバーはバックミラーを10~20秒に1回くらい見るそうです。ちゃんと見ましょう。
お前も、車校でベテランドライバーとチンパンジーの視野の比較映像を見せられたことがあるだろう。
例えば数台前のクルマや、隣や後ろを走るクルマや、はたまたコンビニの駐車場から出そうなクルマなどに
こういったあらゆるモノの影からびっくりチンパンジー!の可能性を常に考えている。
いきなりチンパンジー、またもやチンパンジー、あたかもチンパンジー、ココカラチンパンジーというわけだ。
そしてチンパンジーは"絶対にいる"運転へとアップデートしていけ。
そして伝説へ。
まず気をつけなければならないのが、逢魔が時。
夕方の薄暗くなった時間帯のことを指すらしい。なんと詩的な表現なんだ。
それはさておき、なぜこの時間帯がそう言われるのか。
これは、暗順応という眼の機能が関係しているとか関係していないとか、俺にはよく分からない。
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/anzen/hakubo.html
実際にこういう統計が出ているようだ。
とにかく、夕暮れ時には気をつける。それでいい。お上の言うことは素直に聞いておけ。
例えば、お前が仕事を終えて17時頃にクルマで帰社するとする。
当然お前は疲れているから、注意散漫になっている。
ドラマが始まっちゃうから早く帰らなきゃ?お前はいつの時代のチンパンジーだ。
コンビニに少し停めてコーヒーでもエナジードリンクでもいいからカフェインを入れろ。
すると今度は夜眠れなくなるのでほどほどにな。
ハイビームを使いこなせ。
田舎で鍛えられたチンパンジーは野生動物との邂逅が日常茶飯事だろうから癖づいているはずだが
最近はコンクリートジャンクルで産まれ、一度も森に触れることなくその生涯を終えるチンパンジーもいるという。
道路に寝転がっている酔っ払いをお前が轢いたとしても、お前の責任が半分になることもある。
昼間より気をつけて、ゆっくり走れ。
チンパン社会と同じだ。空気を読んで周りと同じくらいの速度を出せ。
ただし赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなチンパンは辞めておけ。
みんなで作る、平和な交通社会だ。お前だってインドのようなクラクション地獄は嫌だろう。
前回のトラックの後ろをなるべく走らないという話にも繋がってくるが
黒塗りスモーク、見たことないエンブレム(高そう)、○ル○。○、若葉マーク、もみじマーク、教習車、わ・れナンバー、他県ナンバー…
挙げればキリがないし、多少なり差別的な思想になってしまうので
みなまで言わないが、なるべくなら近づくな。
ただしBaby in the car. このステッカーだけはマジで意味不明。だからどうしたオブザセンチュリー。
俺は人生でなんと5回も交通事故に遭っている生粋のADHDパンジーだ。
※身バレを防ぐために、多少盛ったり控えめにしている
なお俺は森の王者チンパンジー。一度も骨折したことはない。野生動物最大のアドバンテージが出たな。
幸いにして運転者としては無事故で、昨年ようやくゴールデンチンパンジーに相成ったところだ
チンパンジーだからこそ運転しないと商売にならないことだってある。
お前たちだってそうだろう?求パン票にも、普通自動車免許が条件の会社も多い。
ただこうした経験があるからこそ、自らへの戒めとして今回筆を執ったまで。
警察官でも教習所の職員でもない、一介の野良ADHDパンジーとしてキーキー喚こうと思っただけで
このふざけた文章にたくさんのコメントやブックマークがあることには大変嬉しく思う。
動物に例えるの分かりづらいという声もあったし
たまにチンパンジーが運転しているのを想像してニヤニヤしながら書いていて気持ち悪いし
書く方も読む方も次第に飽きてしまうような気もしている。
ただ、他にいい書き方が思い浮かばない。
あえてチンパンジーとすることで、書く側も読む側もストレスが少ないようなそんな気はしている。
バーチャル化というか、少し耳の痛いことでも頭に入りやすいというか。うまく言えないが。
これからも試行錯誤していきたいが、チン権の保護を訴える団体が現れたら削除を検討する。
このあたりか。途中で飽きたら悪いな。
続編書きました。
日々コンクリートジャングルをチンパンして回る、お前たちより少し先輩のチンパンジーだ。
お前らはまだブーブーを運転するには早すぎる。
早すぎるが、森を出てここに来たからにはお前らにも運転してもらうしかない。
車校または教習所では法律(ルール)と車両の動かし方(ハウツー)は教えてくれるが、
上手に運転する方法(ハウグッド)までをきちんと教えてくれるわけではない。
ムダに長いこの文章を読み切って実践し身につけた暁には、「運転のうまいチンパンジー」の称号を得ることだろう。
そして普段運転をしないチンパンジーも、知識として知っておくことで事故に遭う確率を減らせるはずだ。
無免許チンパンジーもジャングルに引きこもらずに表に出られるようになるだろう。
これはもう単純な話だ。お前がハンドルを握ったら、ぶつけてはいけない。
他の車は当然だし、カーブの途中にある十年に一度突っ込まれる民家にも
邪魔な電柱や信号にガードレール、オレンジ色のふにゃふにゃした棒にもぶつかってはならない。
未だに裸で暮らすチンパンジーも多い。
痴漢と同じで裸だからといって、それ自体が責められるべきではないし、やる方が悪いのは誰だって分かる。
ただし、この世の中にはわざとぶつかってくるやつもいれば、ヘッドホンに目隠しをしてふらつくチンパンジーもいる。
そんなライアーゲームの中で、お前にできる最大限の対策を行え。
この二つに共通していることは何か。お前が死なないことだ。
死なないまでも、事故を起こしたり、遭う確率を減らすということだ。
華麗で高速でイカレチンポンジーな運転をしたいのなら、ジャングルの奥地にあるサーキットで披露してこい。
お前と、お前の大切な嫁と子チンパンほか同乗者を守るためにもこの二つを徹底しろ。
では具体的にこの二つをどうやって対策するか、ということになる。
ここからはぶつける、ぶつけられない、それぞれに共通する項目もあるから、箇条書きにする。
警察発表の古いデータだが、平成24年に15km未満で取り締まられたのは速度超過違反全体222万件中の40件らしい。全体の約0.002%ということだ。
これを高いと見るか低いと見るかはお前次第だが、高速道路で5km、10km超過するなんてことは
ちょっとした下り坂に差し掛かればいくらでもあるわけで、そういったところでまで速度を厳守しろと言いたいわけじゃない。
そうではなく、特に住宅街や駅の周辺など自転車や歩行者が多い場所、子チンパンが多い学校や公園周辺なんかでは特に厳守しろと言っている。
いや、厳守どころか徐行さえしたっていい。周りに人がいないような時間帯でさえだ。
お前だって同じ森の仲間たち、例えばタヌキやハクビシンやアライグマを轢いてしまって夢に見たくはないだろう。
シカやクマやイノシシ?そいつらは俺たちが森を追い出された原因だ。それらは轢いて鍋にしてしまえ。
そりゃあ、森の中じゃ皆飲みながらフラフラ運転してあちこちの木々にぶつけてただろうさ。分かるよ。
けれどここはコンクリートジャングル。精密な運転が要求されるし、
ニンゲンの取り締まりもとても厳しい。悪いことは言わない、飲んだら乗るな。
もしお前が高級ブーブに乗っているのなら気をつけろ。
そもそも、チンパンジーは車に乗ると気が大きくなるという研究がある。
その上高級外車にでも乗ってみろ。さらに気の大きくなったお前は、信号さえ無視しだす。
そしてお前は横断歩道の前できちんと毎回止まっているのか?
チンパンジーは気まぐれだ。黒い板に夢中になっているかと思えば、突然顔を上げて走り寄ってきたりする。
どんなに急いでいても、全ての横断歩道前で止まるくらいの気持ちの余裕を持て。
例えば親パンが倒れたと聞いたとする。
地方では車しか移動手段がないかもしれないが、焦って車に乗るのはオススメしない。
可能であれば公共交通機関を使え。車しかないのなら、友パンに運転してもらうか
お前しかいないのなら、深呼吸を10回してから乗り込んでいけ。
親の死に目に会えないかもしれない?普段からもっと会いに行け。
お前は誰だ?森の王者チンパンジーじゃないのか。王者の風格を見せつけろ。
俺はチンパンジーだからリセールバリューとやらのお金のことは分からない。
ニンゲンたちがよく話しているのを聞くが、チンパンジーの俺たちには関係のない話だ。
だが、最近の車の安全装置の向上具合は目覚ましいものがあるようだ。
俺達チンパンジーの能力はといえば、数万年来向上しているわけではない。
俺たちは森の覇者ではあるものの、その反射神経なんかには限界があるし、
最近は寿命も伸びており、老チンパンジーが暴れまわっているようだ。
老いたチンパンジーに最新鋭の衝突防止機能。豚に真珠、猫に小判、暖簾に腕押し、糠に釘。
お前の親もそろそろ高齢パンまたは後期高齢パンになってきていないか?
実家のクルマはどうだ?20年落ちで安全装置が何もついていなかったりしないか?
たまには実家に帰ってクルマを見て、多少金があるのなら安全なクルマを買ってやれ。
駐車が苦手なやつも、なんと今は自動駐車機能を搭載した車種もあるというぞ。
年齢や素質によって出来ないことは出来ないで仕方がない。
だが俺達はチンパンジー。知恵と工夫とニンゲンの技術で対処していけ。
車検が切れる3年か、5年か、そのあたりで一度下取り価格を見てみるといい。
最近は納期が長期化しているようだからそのつもりで早めに動け。
いいか。俺たちチンパンジーには運転が許されていない車種に、トラックやトレーラーという車がある。
デカい車だ。こいつらは、デカくて重くて取り回しにくいらしい。
当然俺も運転したことはないが、ニンゲンであっても訓練が必要になり習熟には長期間を要するらしい。
お前らも交尾を他のチンパンジーに急に止められたら困るだろう。
彼らも同じだ。ちょっと隙間が空いているからといって無理に入らないように。
風の強い日などには、その積み荷から小さな石がこぼれ落ちることだってあるだろう。
陰謀論者の中にはチンパンジーを狙った犯行と騒ぐ物もいるものの
真相は定かではないし、たまたま積み荷が落ちてしまうこともあるだろう。
なるべくならばそういった車の後ろは走りたくないものだ。
右折するときだ。右折する時にはたいていの場合横断歩道を横切ることになる。
信号機付き横断歩道はチンパンジーたちが乱舞闊歩する社交場として有名なのは諸君もご承知の通り。
デカいのや小さいの、たまにゴリラやナマケモノ、あらゆる霊長類が数十秒に限って暴れまわる。
ルールやマナーを守る行儀が良いのがほとんどだろうが、たまに斜めに横断してきたり
最近は電動キックボードなどというオモチャに乗るナマケモノもいたり、想像以上に騒がしいとされている。
そんな危険な場所へ進入する際には、きちんと大回りで進入しろ。
カミソリのように鋭く入ってしまった場合、右側から迫るチンパンジーへの注意が向かなくなる可能性がある。
それに対し大回りで横断歩道に対し90度で正対した場合、左右どちらも見えることなり見落としが減る。
ここまできちんと守れるのなら、一人でコンクリートジャングルに繰り出していっても良いだろう。
そうして運転する中で、この先は右折専用だから左に寄っておこうだの
そういう小手先の瑣末事を学んでいってさらなるスマート・チンパンジーを目指すのも良い。
そしてここからは蛇足というか、もし守れるのならキャースマートね、と思われてチンパンジーにはモテモテになるための心構えになる。
お前の生命や財産を守るという観点においてはそれほど効果のないことではあるが、知っておいて損はない。
あるいは、ニンゲンとお付き合いすることだって出来るかも知れない。
助手席、という名前のその席は、古来からその名の通り運転を助手する者の席だった。
しかし、今やそれは形骸化し、運転するチンパンジーの口へバナナを運ぶだけのメスチンパンジーの定位置になりつつある。
電動化やらセンサーやらのおかげらしいが、チンパンジーの長たる俺にもよく分からない。
やることの無くなった助手席のチンパンジーにも運転手を寝かせない、という役割があるという者もいる。
ただ、そんなものはガンガンにユーロビートでもかけて飛び跳ねていれば問題ない話だ。
だから、そこのお前、お前だ。ハンドルを握っているチンパンジー。
お前は一生乗ることもないだろう高級車の後部座席に、ニンゲンを乗せて運転するチンパンジーがいる。
それを、お前もやることだ。そうすればとなりのメスチンパンジーもあれ、わたし寝ちゃってた。運転上手いから…照
と言ってその後の交尾チャンスも増えるわけだ。
この世にはきちんと運転ができるチンパンジーがどれほどいるか知っているか。
適当だがだいたい10%~20%くらいだ。彼らは、仮にルールや信号がなくたって運転することができるらしい。
けれど、それ以外。それ以外の90%近くは、お前たちの知っての通りチンパンジーなわけだ。
ほとんど出来ていないから、必要ある?って思う信号やガードレールや斜線や停止線があるわけだ。チンパンジーのために。
いいか。そんな環境の中で、例えばとろとろ運転するクルマや急ブレーキするクルマや禁止エリアで駐車するクルマや
はたまた横断歩道のない道路を横断しようとする歩行パンジーもいるのは当然なわけだ。
当然なことなのに、それに憤るのは何事だ?
人前に立つ際に、オーディエンスを全てじゃがいもと思え、という緊張感を和らげるためのアドバイスがあるが、あれと似ている。
お前以外の周りのクルマと二足歩行する動物は全てチンパンジーと思え。
そうすれば、ムッキーッ!と怒ったりイライラしたりすることも少なくなるだろう。
そもそも俺もお前もチンパンジー。チンパンジー同士、広い心で森の王者たれ。
別にこれが出来たからといって何も誇れるわけでもなんでもないが、
ちなみに勘違いした「おれ運転上手い」というチンパンジーについても紹介しておく。
例えば都会なら、どっち車線の方流れがいいだの何だのと言いながら
お前、お前一匹の15秒が一体何だって言うんだ?
そういうのはニンゲン様に任せておけ。
森を離れ、車もなしにチンパンジーの運転するコンクリートジャングルを歩くお前たち。
いつ、どこでアクセルとブレーキをふみ間違え、お前を跳ねるか知れない。
ニンゲンが自動運転というものを開発しているそうだが、それだっていつ始まるか俺達にはわかったもんじゃない。
だが、これだけセンサーとやらが発達しても、毎年100万匹もの同胞たちが、同胞たちの運転するクルマによって殺されている。
いいか、俺たちはチンパンジーなんだ。間違えることはある。眠いときもある。ケシの実を食べてハイになってるときだってある。
だから、信用をするな。
最近の若パンジーの中には、変な板に夢中になったり、耳栓をしながら歩いたりするチンパンジーがいるが
いいか、周りの車たちはいつお前を轢き殺そうかと狙っていると思え。
まるで悪魔に取り憑かれたかのように疑心暗鬼さで周りを見て歩け。
横断歩道を渡れ。信号を守れ。止まれは止まれ。スマホを見るな。イヤホンは周りが聞こえるやつか音量にしろ。メガネをかけろ。
右を見て、左をみて、さらに右を見て、左を見て、前を見て、左をみて、右を見て、後ろも見て、前を見てから進め。挙動不審すぎるだろうが。
ニホンザルには出来ないだろうが、お前たちは腐ってもチンパンジーの端くれじゃないのか。
王者たる所以を世に知らしめろ。広く世界にその名を轟かせろ、森の王者チンパンジー。
最近では自転車に乗るチンパンジーたちはヘルメットが義務になったのか、なっていないのか曖昧な感じになっている。
だが、特に若いチンパンジーなど元気の有り余っているやつらには付けさせておいたほうが懸命だろう。
ニンゲン共の話によれば、あと10年か、20年かすると自動で運転するクルマが開発されるかもしれないらしい。
そうなれば、俺たちチンパンジーの役目は終わるかもしれない。
こんなコンクリートジャングルではなく、バナナの沢山生えた緑豊かな真のジャングルに帰ろう。
それまであと少しの辛抱だ、同胞よ。
ブランドイメージが高ければそれだけその企業に対する顧客の信頼は厚くなり売り上げに貢献する。
では企業にとってブランドイメージは高ければ高いほどいいのか?といえばそういうものでもない。
あくまでその企業の製品や実態にマッチしたものでなければいけない。
なぜなら、あまりに高すぎるブランドイメージはその化けの皮が剥がれたとき、
そのブランドが受けるダメージは尋常ならざるものとなるからだ。
そういった意味でAppleのブランドイメージは少し高くなりすぎているような気がする。
もしもAppleが作るものが純粋なファッションアイテムならば、
そのブランドイメージは高ければ高いほどいいのかもしれない。
しかし、違う。
その実像というものが現実的で醒めた視点でもって評価されるときが必ずやってくる。
だから、決してブランドイメージという虚像だけでは勝負できない企業なのだ。
ただ決してすごい製品ではない。
しかし、ネットを徘徊していると時折りiPhoneの提灯記事を読むことがある。
信じちゃあいけない。
Appleの莫大な広告費のおこぼれのおこぼれのおこぼれくらいがああいうところに回ってきて、
でもさ、ああいうのって、どこまで信じてる?
なんかさ、いるじゃない。
多分ね、そういうのはみんな信じないと思う。
Appleの新しい製品が出るたびの風物詩みたいにして楽しみにしている人もいると思う。
と思うじゃない?
提灯記事には騙されないぞ、と思ってるじゃない。
でもね、それは本当なのかよ?って思ったりする時ない?
その他の記事が客観的な評価に基づいたものだと思い込ませるための布石になってるんじゃないか?とか。
まあ、私は知らないよ本当のところは。
ここまで書いてきてなんだけど、全然わからないもの技術的なことなんて。
だからさあくまでこれはブランドイメージを構築する手法としての話なんだ。
って思う人はそれは何を根拠に言ってるの?
それとも誰かが主張していることを鵜呑みにしてるだけ?
このへんのね自分の気持ちを疑ってみる態度というのは割と大事だよねって話。
ただそれだけ。
なんでこんなことを思ったかというと
私が持ってるApple製品ってiPhoneはいいんだけどさ、
その他はあんま長持ちしないんだよね。
何かしらうまく動かなくなって製品として重要なある部分の使命を果たせなくなる。
いや正確にはiPhoneも大概だ。
ヘタったバッテリーの交換をしに行ったら、
バッテリーだけじゃなくて、
これも壊れてます、
それも壊れてますって診断されてさ、
それらがぜんぶ交換になってさ、
と、ふと疑問に感じたんだ。
で、いろいろと考えるにAppleって割と虚像の方が大きくなりすぎてるんじゃないかな?と感じだんだ。
少なくとも私の中では。
大好きな企業だし、
大好きな製品群だし、
でもねそれとは別の話で、
それはAppleだけに限らず。
そういうことを書きました。
みんな、信じられますか?
いま僕40歳で、今年息子が小学生にあがるんですけど、30年以上前に自分が小学校の算数で使った「算数セット」なるものを今も小学校では使ってるみたい。
しかも、こんなちっちゃいものに、全部名前を書くか、お名前シールを貼らなきゃいけない。 ※写真のおはじきにはピンセットで名前シールを貼りました。名前は消しています。
みんな、信じられますは大仰です。ものが小さいがために名前を書かなくてはいけません。
親業をやってきているのであれば、このほかにもこのような作業は当然たくさんあって、
40歳で親業がそこそこになっているのに、それを幾度となく感じずに過ごしてきているわけではないので、
それを思い出して欲しいです。
ちなみに、このおはじきは算数セットのほんの一部で、他にも小さいものがたくさん入ってて、その全てに一個一個名前を記す必要が。
先ほどと同様に親業として行なってきた、
同種の名前書き作業についてのこなしかたの選択を思い出せば良いかと思います。
https://x.com/xusa2023/status/1758005370973454495?s=20
そのほか多くの方がこの問題との自分なりの折り合いについて付けられていて、
それを親業を日々こなされているのであれば、
ネットや日々の親業でつながるネットワークの中でお話を聞いてると思います。
思い出して欲しいです。
名前なんて書かなくてよくね?
どれほど助かることか。
名前を書くことで自身のものが戻ってきた経験を思い出しましょう。
そんな、なくす?
そんな、落とす?
そんな、無くすし、落とします。
親業をされているうちに目にしたことはありませんか。
それを思い出しましょう。
仮に、1つや2つ落としたり無くしたとて、そんな困る?
授業に支障でる?
1つや2つ落としてたり、無くしたりしたとて、
ただし、ここでいう支障を支障と呼称することは
少し待って欲しいものです。
というのも、この落としたり無くしたりという事象が
そういって学校現場ないし学校という世界観は形作られています。
2017年の出生数は94万人ちょい、2018年の出生数は91万人ちょい。なので、今年日本で小学校に上がる子、つまり2017年度生まれの子はおそらく91〜4万人の間。
その保護者が日本中で日々の暮らしだけでも忙しい中、貴重な時間を削り出して、夜な夜なシール貼ったり名前書いてると思うとマジで無駄。愚の骨頂。日本人の生産性が低いって言われてるのそゆとこじゃないの?って思う。
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」という言葉があるように、
発言でデータを持ち出すときは、その奥にある何が言いたいのかという意図に
目を向けなければならないように思います。
効率を重視したいというのであれば、
今までのその日々の暮らしの中で悩んできた中で
それを思い出して欲しいです。
もちろん、同じように考えている人もいるのか、自治体によっては算数セットが学校にあらかじめ置いてあって、貸し出してくれるところもある。ただ、僕が居住している自治体では買わされた。
30年前も同じような状況があったように思います。
どういった事情が背景があり、貸し出すのか否かは個別具体になります。
が、
その地域の貧困率とそれに対する向き合いかたが昔ながらの事情というのであればあります。
現場サイドとして、どう解決していくのかということ中で生み出されたこともあります。
発言者はお住まいの自治体のすべての小学校で買わされることを確認された上での発言のようです。
ここにも、親業として今まで培ってきた情報が生かされていません。
児童の教材についての選定は各学校の実態に応じて、校長の裁量で行われます。
校長が変わり校長が貸し出しが必要であると判断し、校長が判断を起こせば、貸し出しにできるのです。
お住まいの自治体すべての小学校は算数セットは購入となっていることを確認することだったのか、
それとも、校長の現状の判断を変えるように働きかけることだったのか。
「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」
誰に対してどんな知恵をあなたは出し、隣の親や目の前の担任やその他の先生に知恵を出してもらうのを促すのか、
「サンデーモーニング」ではなく、当事者性の高いことなのだから、頑張っていきましょう。
あんま使った記憶も残っていないこの算数セット。日本中で毎年何十万セット買わされている人がいるのか、正確な数字は分からないけど、使われなくなった算数セットはきっと毎年数十万セット捨てられてるんだよね?
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」を繰り返しが行われているように印象付けられます。
意図的に自身が有利になるようにデータの提示をするのはあまり褒められたことではないと思います。
それってかなりのプラゴミの量だし、もう日本中の小学校に必要な数だけ置いといて、レンタルにして欲しいって思うのは自分だけ?
大雑把にプラゴミの量を減らせばいいという発言を無批判に垂れ流すには注意が必要な発言です。
レンタルにして欲しい、どなたからか借りたいという要望はあり、その具体的な解決の方途については返信で行くつも示されている通りです。
ご自身がコスパ、タイパが高いと思われるものに各自の判断で使えばよろしいかと思います。
すごい通知くるなぁと思ってミュートしてたら、ちょびっとバズってましたww
お疲れ様です。
親業として貴重な経験でこのような苦労を親にもかけていて、
その上で自分が今我が子に手間暇をかけてやれると思えて幸せな時間だったと思います。
多すぎて全部は見れてないものの、リプやら引用などをざっと見た感じ、結局算数セットを毎年各家庭に買わせて、名前を書かせることに関して納得できる合理的理由を述べているものは一つもなかったです。
何を持ってご自身が「納得できる合理的理由」と判断されたかを示されていないのでその部分については、なんとも言えませんが、
「納得できる」というところをわざわざ付けておられるところから、首肯しそうになってしまったリプや引用があったのでしょう。
親業って本当にそんなことばかりですよね。そして、通り過ぎると確かにその通りかもなあということ本当に多いです。
親業をやって数年経ち、就学前を終えようとしているステージならば、実感がこもって首肯できることのように思うのですが、
親業における子どもとの関わりって「納得いかない非合理なこと」しかないですよね。
子どもは非合理でしかないですよね。その非合理の最中の中でどうにかこうにか合理的だったり最適化されたりしたものに
日々そんな物心ともに周りとの関わりでどうにかこうにか生かされていることを実感する日々です。
まず、「算数セットをなくすに反対」については、僕は算数セット自体をなくせとは一言も言ってなくて、むしろ肯定派。算数セットが担っていたことをタブレットにしちゃうのも反対。手を使うのって大事だから。なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした。学校に人数分プラス余分に算数セットを揃えておいて、貸し出すのがいいと思っています。
文脈としては、「算数セットをなくす」という思いを持ちながら書いていると読めます。
「手を使うのって大事だ」は返信等を読んだ上で、先ほど書いた通り、うっかり首肯してしまいそうになったものの中から取り入れ、
「なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした」
書き始めを大仰に書くのでなく、修正でないのならば、上記の主張をはじめに明示してから始めると
先に述べた印象は薄らいだと思われます。
「学校の先生が忙しすぎて、今のあり方を変える余裕がない」については、そもそも算数セットを採用することを誰主導で(文科省なのか、自治体なのか、校長なのか、現場の先生なのか)決定してるのかよく知らないですが、文科省主導で貸し出し統一すればいいと思っています。僕は教師じゃないので現場のことはよく知らないし、「知らないお前が偉そうなこと言うな」というのもごもっともですが、教師ではない以上現場レベルの問題解決策までは提案しようがないです。そこまで提案しないと問題提起しちゃだめってなると、たぶん世の中何も好転しない。それは「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」かなと思っています。
ここがいただけない部分の根幹にあり、「サンデーモーニング」です。
算数セットを採用するのは、誰主導の選択肢から言えば、現場の先生の意見を吸い上げた校長です。
親業の中で情報を収集してきた中でそれはご存じであるかと思います。
無知を装うのは、卑怯だと思われかねないので宜しいことではないと思います。
文部科学省からの貸し出しの通知文を出すように要請をしているように見受けられますが、
通知文については効力がどの程度あるのかは不確かなところがあります。
お住まいの自治体の状態を具に調べるほど、親業としての手腕をお持ちのようなので、
「なくすし、おとすし、盗まれるから名前書きが必要」に関しては、だからこそ学校から貸し出すほがメリットは大きい。貸し出しなら各家庭で膨大な量の名前を書く必要もないし、先生たちの名前のない落とし物の持ち主探しの時間も節約できる。盗むに関しても対学校になるので、生徒間・保護者間のいざこざもない。
親業をやられている数年というところなので、
今までご自身の経験の中から「自分の落とし物があったら、名乗り出ることができる」ことや
「友人が落とし物をしたら、一緒に探してあげる」ことなどいわゆる非認知スキルの大切さについては、
実感しきりなところかと思います。それを思い出して欲しいです。
親業をやられていればこれも感じることかと思いますが、
自身の子どもが「盗まれる」だけでなく「盗む」側になるかもしれないということ。
また、その「盗む」ということをする場合に、早期にその行動について変容を促さなければならないことに
そして、「生徒間のいざこざ」が発生し、それを未然防止するために集団の一員としてどうするのか、
どのように全体最適を集団の一員として寄与するのか学ぶこと。これこそが、公教育の公教育たる意味です。
親業をしていく中で育児方針等を立てる上で、目にしたかと思います。
それらを思い出しましょう。
「保護者間のいざこざ」という部分については、まさに「子育ては、自分育て」なのだと思います。
蛇足ですが、小学生のことは「生徒」とは呼称しません。「児童」です。
「消毒云々、数年で足りなくなる云々」の運用上の問題は確かにあるとは思うけど、そもそもみんなで共有してる学校備品なんて他にもあるわけだし、どんな方法を選択するにしろ問題ゼロはありえないので、そこは運用しながら問題解決していくしかない。
学校備品ではなく、消耗品になります。そこは民間と理解は変わりません。
多くの学校では、予算が厳しくなっていることはありますが、消耗品になるので、必要性を論理的に主張することができ、
且つ校長と事務官のモチベーションが高ければ通りやすい部類になるかなあというのが実感としてあります。
もう一つは、良くも悪くも地域からの熱い要望があれば、通りやすいです。
あと珍リプ的なとこで言うと「名前書き不要=お前は子供が嫌いな人間」にまで飛躍したものもあった。そもそものスタートが名前書きに膨大な時間を奪われて、子どもとの時間が奪われていることに起因する主張だったんだよなぁ...って感じ。
語勢からそう読み取るのは容易でありました。子供との時間の中で名前かきをしている方も大勢いるのが返信からもわかったのではないかと思います。
親業をやっているのであれば、知り得る情報についても意図的になのか隠されているところもそう読み取らせることを容易にさせることに寄与しました。
もし、意図的に隠したのでなく、情報を得ていなかったのであれば
「子どもが好き嫌いかはわからないが、パートナーとともに一緒の目線に立って育児をしていない人なのだろうな、パートナー大変そうだな」
ということは言えるかと思います。どちらにしても、ざんねんな感じです。
私も残念なところばかりで、「余計なお世話だよ」と言いたくなることも他人から言われます。一緒に頑張っていきましょう。
「子どもの持ち物に名前を書く余裕もないのか」については、ひとり親世帯数の推移はひとまず確認した方がいいと思う。その主張はひとり親世帯ではない人のものだったけど、僕の姉はシングルマザーで働きながら二人の子育てをしてて、本当に大変そうな姿を見てるから「そんな余裕あるわけねーだろ」と声を大にして言いたい。
姉が睡眠時間を削ってこんな膨大な量の名前書きをやっていたかと思うと...言葉にならない。てか、それが根底にあったから怒り爆発したってのはある。
当事者としてそこに切実なニーズがあることを感じているところのようですので。
頑張って欲しいです。
ただ、結構たくさんの人から「学校から貸し出しでした」という声をお寄せ頂いたので、それは素晴らしいと思いました!ちょっとずつ変わってることを感じました。
学校教育に関する認識の誤解あるあるで十人十色経験は違うのに、自分の経験が絶対だと思うのはよしてほしいです。
30年前から貸し出しのところは貸し出しだし、そうじゃないところはそうじゃないです。それだけです。
算数セットを各家庭に買わせるか否か決定する立場にある人に、この一連のポストが届き、来年以降に小学校入学を控える子を持つパパさんママさんの負担が減り、家族の時間が増えると嬉しいです
自戒を込めて、
「半径0mの世界を変える」には
■周囲のパルワールド熱
Steamのフレにパルワールド買った人が何人かいるけど、かれらのプレイ時間は異常。
先週の連休もすごかった。
3日目はさすがにダウンして夕方くらいまで寝ていたようだけど、
本当に1週間で何時間寝ているのやら。
30代以上の「ゲームに熱中しづらくなった年代」の人もいるはずなのだが、
いつ見ても深夜までプレイしている。
(こちらは〆切間近の案件で深夜まで納品の準備をしているというのに)
やることがなくなってしまったらしい。
見事にプレイ仲間を見つけたのは良いが、
※サーバを借りてそこにゲームサーバを立てる(IaaSのように)というのではなく、
ゲーム用サーバをマーケットのようなところでレンタル契約できるらしい(SaaSのように)
「プレイヤー数が急降下」の話だが、彼のようにゲーム内でやれることがなくなった
というプレイヤーの話はよく聞くので、そりゃそうだろうな、と感じる。
前述のゲームマニアの彼のように一緒にプレイする人を見つけたら、
仲間を巻き込んで、再燃してしまうんだろうなぁ、とも感じる。
■蛇足
私も……と思うが、仕事のことがちらついて中々難しい。
■件の記事
「シャタバリ」と呼ばれる女性向けハーブティーを飲んで2ヶ月だが、日常生活に支障が出るくらい効いている。
主に生理痛の軽減に効果があったのだが、何よりも私に効果大だったのは「性欲が高まる・異性が気になる」こと。
※あくまで個人のn=1の経験なので、シャタバリ飲んだ人が全員こうなるわけではないことをご理解ください。
※当方アラサー女、性欲は割と強い方だと思ってたけどシャタバリ飲んでから「本当の性欲」を手に入れてビビってます。
もうとにかく、性欲が、強くなる。異性に目がいく。
今日も仕事先で会ったおじさんが前髪を払っただけで、セクシーさを感じてキュンとしてしまった。
これまでも男性を素敵と感じる瞬間はあったけど、ここまで下半身と呼応するタイプのキュンは初めてだった。
私はわりとAVを観たりする方だが、シャタバリ前とシャタバリ後では見る量も質も変わってきた。
シャタバリ前は、AVを観なくても(オナニーをしなくても)生活に問題がなかったし時間がない時や疲れてる時は一切そういう気が湧かなかったが、
シャタバリ後は、とにかくこの有り余る性欲を発散させないと……という焦燥感から、時間をとってAVや官能漫画を漁っている。
で、ここでちょっと男女論の話をするんだけど、
これちょっと男性の気持ち分かるようになってきちゃったな〜ネットで男女が議論してるの、話が噛み合わないわけだ〜と、気付きを得たので記しておく。フェミニストの方にもアンチフェミの方にも怒られそうな内容だがどうか読んでほしい。
ここでは性欲が高まってることを、仮に、男モードになる、と言いますね。(仮にでも男と言われたくない方は、Xモードとでも読み替えてください)
男モードの時に異性に「あなたとは関わりたくない!性欲は悪!気持ち悪い!」と言われるのを想像すると、所持金を奪われているかのような、まるでこっちが被害者になったような気分になる。
この、所持金を奪われてるかのような被害者意識が、性犯罪やセクハラの根源にある気がした。
いや、本当に、性欲強い男性、仕事や学校で異性がいる場で普通に生きられるの凄いと思う。
たまにミソジニー男が「襲わないだけありがたいと思え!」みたいな投稿しててマジキモい死んでくれよと思ってたけどちょっと気持ちがわかる(わかりたくないのに)。
男性は襲わない・セクハラ言わない・相手を異性として見ようとしないことに余計なカロリー消費を強いられるのか、と、少し不憫な気持ちになった。
今まで、「ヤレる・ヤレないでしか女を見ない男」「彼女ができる=いつでもセックスOKと勘違いしている男」を嫌悪していたが、男モードのときはその気持ちがわかる(わかりたくないのに!)。
本人にとってはそれが最大の重要事項であり、どうしようもない緊急事態なのだ。
「ヤレない女」は、どうしようもない危機的状況なのに救命を拒否しようとしてくる女に見えてしまうのかもしれない。本当に男になったわけではないので語弊があるかもしれないが。
なんだかとにかく、男モードの時に自分の性欲を否定されるのは、被害者になった気分なのだ。(だからと言って性犯罪をして良い免罪符になるわけでは決して無いぞ。)
冒頭にも書いたが私は他の女性に比べ性欲が強いと思っていて、だからこそ「一時の性欲で人生を棒に振る性犯罪者って馬鹿なんだなw」「性欲なんて家帰ってオナニーすれば良いじゃんw」と思っていた。
しかし、馬鹿にできないくらい男と女で性欲の強さも質も違うのだ、と今なら理解できる。
女モードの時の性欲は、好きな人と特別な交わりをしたい、愛する人にハグされて安心したい、のような、心の交わりを多かれ少なかれ求めているが、男モードの時の性欲はもっと直接的な身体の交わり、端的に言うとチンポのベネフィットを求めているように思う。
結果的に「ヤレる・ヤレないでしか女を見ない男」というレッテルが貼られる。
女性の読者の方、男性に「今夜どう?」的なアプローチをされて、うまく誤魔化して話をはぐらかそうとしてもどうしても性的な話に戻ってきてしまった経験はないだろうか。あれうざいよね。
女は性欲の薄さから、性的な話題とそれ以外の話題に軽重がなく、少し性的な話をしていてもその後「美味しいカフェ」「人気のコスメ」「好きな俳優」の話でもされたら興味がそちらに湧いて別の方向に向かえるのだけど、
男は目の前の性的対象と性欲を解消することがターゲットになると、全ての有象無象の話題はどうでも良くなり、多少話の前後がおかしくても性的な話をして、とにかく「性交のチャンス」を増やそうとしてしまうのではないか、と私は仮説を立てている。
https://x.com/tinsiba_musou/status/1734637858525200565?s=46&t=QuRr4OQU6K9OBht07qV9dQ
先日読んだ神ポストを紹介するが、これ本当にその通りで感動したし絶賛の嵐だったのに一部の男性があまり理解できてなくてリプライでボコボコにされてて笑ったんだけど、まあ確かに男モードになってる時に読むと言葉の意味が分かりづらいことが分かった。
なんというか男モードになってる時は一瞬でも「チャンス」がないか伺っているから、AVや下ネタの話してる異性=エッチな話してる=ワンチャンあるかも、と思ってしまう。
それが、相手自身に向けられてる話かそうでない話かは、男にとってわりとどうでも良いというか、考えるのにコストを要する話なのかもしれない。
いや、怖いのが、女モードのときにAVや下ネタ話してるの、マジで「エッチな話をしている」っていう認識無いんですよ……。
「深田えいみちゃんおっぱい大きくてスタイル良いよね」と「あそこのラーメン屋さん量多くて美味しかったね」は全く同じテンションでそこに性欲は全く介在しない。
これ男モードになると自分の都合の良いように「チャンス」を見つけてしまって、「AV女優」「おっぱい」みたいな単語に脳が反応してる感じになるのでは?男性の皆さんの意見が聞きたい。
上記神ポストは女性から大絶賛されているし私も100%同意なのだが、男にそういう「チャンス」を見せないためにも、AVの話や下ネタは男性の前ではしない方が良いのかもしれないと思った。
これはモラルとか理屈とかで「あいわかった」と縛れるものじゃないのだ。
あと詳しくはないけど、週刊少年誌に連載するときはおっぱい大きい女の子描けって言われる理由もわかった。
女子からしたらそういうキャラがいても全くなんとも思わないor最近のフェミは怒ったりするけど、男モードになるとやっぱり目がいくというか見ようとするきっかけにはなるので、資本主義的にはおっぱい大きい女キャラがいることは正解なのだろう。
少し話を変えるが、この状態で、「身体が男」のトランス女性が女子トイレや女風呂に入ってくることを考えるとますます怖くなってきた。
我々女は銭湯で他人の女の胸や股間を見てもそれが性的なアイコンとは全く思わないと思うが、「身体が男」の場合は、例え男に発情するトランス女性の人でも、性的なアイコンとして脳が誤作動を起こして勃起などしてしまうのではないか?
「トランス女性が女に発情するわけないだろ!差別発言だ!」と思われるかもしれないが、そういった脳の誤作動が絶対に無いとは言い切れない。
「おっぱい」「まんこ」「ちんこ」「裸」「セックス」等が脳内の同じフォルダに入ってる場合、裸を見て、男脳の人がそうならないと断言できるだろうか?
シャタバリを飲んで擬似的に「身体が男」?っぽくなった私個人の意見としては、生で他人のおっぱいを見たらその女性にではなくそのアイコンに興奮してしまうと思う。
私は女体に興奮する性質ではないが、女性のおっぱいやウエストやお尻は、性的な気分を引き起こすのにもってこいの素材である。
その女性自体に発情しなくても、エロい気分が湧いてしまった時、自分の身体が男で、その対象を容易に組み敷ける筋肉を持っていた時、間違いを犯してしまうかもしれない。
※ トランス女性のくだり、不快に思われた方が多く申し訳なく感じます。そして中心として訴えたかった部分では無いので消しました。私が話したかったのはあくまで「性欲の高低によってこんなに世界の見え方が変わるのか!」という部分なので。
まあ色々書いたが、男女の性欲にここまで違いがあるのであれば、男女論などで今まで議論していたことがグラグラと根底から壊れてしまうのでは?今まで我々は何を話し合っていたんだ?と感動半分、落ち込み半分、の気分をここ数週間で味わう羽目になった。
男性と女性がそれぞれ考えている「性欲」は同音異義語と言っても良いくらい全く別のものなのだ。
最後に、全ての女性に効くとは思わないが、PMSや生理痛で悩んでいる女性はシャタバリを試してみても良いかもしれない。(本当に悩んでいる場合はお茶なんかじゃ治らないから病院へ行ってね)
また、女性の性欲の薄さと質を男性にも味わってもらいたいものだが、今のところ良い案が思いつかない。
女性はあなたたちが考えてるほどセックスのことを考えていませんよ、何なら一生セックス無しで生きても全然OKなのよ〜ということを身体で理解してもらいたいが難しいだろう。
気づいたことをメモしてそれを文章にしているので(何せ、男モードになっている時にメモしないといけないので)読みにくいところがあると思うが、もしも何か思うところがあったら意見が欲しいです。
多くのコメントありがとうございます。はてな匿名ダイアリーを使うのは初めてなので、ここまで反響があることにビビってます。
普通のハーブティー専門店で買ったお茶です!店名を言うとステマと思われそうだし隠すことで違法薬物に手を染めてると思われるのも嫌だな、と思うので、有名ハーブティー専門店の“女性リズムを〜”30包3400円のお茶を毎日2杯ずつ飲みました、とだけ伝えておきます。
ごめんなさいテンションの高さはオタク特有の早口です普段からこんな感じですごめんなさい……危険なハーブ飲んでるというコメント多くて逆に心配になってきました。コメントで、女性ホルモン系の疾患がある人は控えた方が良いかもとおっしゃっていた方もいましたので、本当に生理痛やPMS困ってる方はレディースクリニックへ行くことをお勧めします。お茶なんかで病気は治らないよ!
・プラセボでは
プラセボだとしてもPMSや生理痛がだいぶよくなったのは有難い。性欲がここまで高くなるかは正直かなり個人差があると思います。
・連れに飲ませちゃおう
絶対にやめて!生理辛いって言ってる彼女にプレゼントするのはアリかもしれないけど。性欲高まるは絶対個人差。あと、 一杯飲んだからってAVの媚薬みたいに効くものじゃないぞ。それは薬や。
・味はどう?
私が飲んでるのはブレンドティーなのでそんなに不味くないです。ハーブティーではなくシャタバリの粉を直飲み?してる友人は不味いと言ってた(がめちゃくちゃ効いたらしい)
・性欲を低めるハーブティーを男が飲むべきだと思う
まあ、できることならそうですね。
私はこの記事で「男性の性欲は仕方ない!ヨシヨシ」と言いたいのではなく、「男性の性欲は理性だけでコントロールが難しい時もあるのでは?ならば、どうするべきか?」と考えたいです。
コメント欄見てると男性の性欲が低くなる育毛剤もあるようですが、果たして女性ほど落ちるかどうかは不明ですね……。
以下、目についたコメントの返しです。
・性欲の大小で同じ人間がこうも意識が変わるんだ!という発見をした興奮は伝わってきたよ。興味深かった。
でもほとんどの男性は中学生くらいでこの経験をしてるのでしょうか。
・女ですが生理前は毎回大体そんな感じです。
・内なる獣を飼いならす必要があるってのはそうかもしれないけど、通常は発達や成長に合わせて段階を追っていくので増田が思うほどカロリーを使わない。通常は
そうなんですね!
その理性をコントロールする経験って学生時代とかに培われるものなんですかね。
逆に言えば性犯罪者って、そういう発達が未成熟のまま成長しちゃったんですね……どうしたら良いんだろ。
・男モードを性欲の高い男性とすれば、書いてあることは大体合っていて的確な分析だと思う。
読んでいただいてありがとうございます。
この文章がどのくらい他人に伝わっているのか分からなかったので、このような意見があるとありがたいです。
・チンポ生やしてから言え
生やしてえよ
・中高生男子くらいで何でも性に結びつけて興奮しちゃう感じか。
それです!
もしかしたら、生まれて初めての性欲に対してうまくコントロールできてないだけなのかもしれないです。
男性の皆さんは成長と共にこれを飼い慣らしてるの凄いですね……。
そのコントロールこそ性教育に組み込むべきでは?と思いました。
・エロトーク=OK女の図式はマジなら気をつけないとな。私もエロゲの話してたらOKと思われた事が2回ある…
私も「エロい話しててOKと思う方が馬鹿男!」って思ってたんですが、こちらにその気がなくても、エロ話をしてるだけで相手のスイッチを入れてしまうのなら、そもそも話さない方が自衛になるよなぁ、って思いました。
・病気+加齢でデカフェのアメリカンくらい性欲がなくなったら、びっくりするほど女性を目で追わなくなったな。男モードの増田の困惑はおもしろい。
はい、性欲の強い世界ってこんななの?こんなに異性を目で追うものなの?と困惑しています。
今まで電車や道でじっと見てくる男性キモすぎこっち見るなって思ってたのですが、彼らは異性に反応してしまう生き物なのですね……
・ようやく性欲一合目って所だな。本当の性欲を増田はまだ知らない
声出して笑いましたwww
今の私は精通した男子中学生レベルなので、本当の性欲を知りそれをコントロールできている成人男性を尊敬しております。
・性欲高まってまずやることが男女論とトランス差別か…もっとエッチなことをしてきてください!!!
2ヶ月以上コンスタントに毎日飲んで、やっと効果出てくる感じです。そんなAVの媚薬みたいに一回飲んだり塗ったりするだけでは効きませんよ。現実を見なさい。
本当にそうだと思います。記事の男モードは「性欲強い人モード」あるいは「マジンガーZモード」とでも読み替えてください。
・人に依るが男だって常には発情しない。子供の頃から日々アップダウンの経験をしているので制御もそれなりに出来るようになる。想像力次第では異性の制欲的立場もある程度理解できる人も居るしそれが求められている
これができる男とできない男の差を、ぜひ知りたいです……。
・読み物として面白かった。男女の間には深くて暗い川があるというが、お互いを尊重して理解しようという歩み寄りだけは忘れてはいけない事を肝に銘じて日々を生きたい。
まさに伝えたいことを表現してくださりありがとうございます。
今までは男女平等だと思いすぎて、男女は同じ世界にいると思ってたんです。
そしたら橋を渡った別世界に男の人は住んでた、って感じです。
見てきた。SNSで感想をさっと見たがまだ出てなさそうな話をしたい。
キラがシン達の眼の前で彼らを指して「弱いから」と言うところのキラのいけすかなさが印象的だった。
「サイが僕にかなうはずないでしょ」というSEEDでのセリフと一貫性があって、何かの拍子に出てくる本音で、他人の能力の部分を見下している。
完璧超人だからこその短所であって、キラに人間らしさを持たせるために必要な短所なのだろう。
それがアンチを作る要因でもあるかもしれないが、当時も今も新しい主人公像だろう。SEEDを新しいガンダムたらしめた特徴ではないのか。
劇場版本編の話にもどると、あの場ですぐ殴ってくれるアスランの相棒としての価値がですね。
頼もしくもありエンターテイナーでもあり。言い換えると今回は葛藤のないキャラだった。
SEED DESTINYでも途中までゼータにおけるクワトロの立ち位置だった。
黒背景でゆっくり動くズゴッグを見てキラが「アスラン?」と気づくのはオマージュというより笑い要素を含んだパロディかと思った。
真面目にツッコむとキラはズゴックのどこからアスランを見出したのか?これが人の愛?
キラと殴り合うのはよく考えたら逆襲のシャアの殴り合いシーンから来ている?これは考えすぎか?
ただ、吹っ切れて戦えている姿が良い。自分の目的と合致した戦いができていることが良い。
ステラがシンの心を守ったところ、「どんな闇を抱えているんだ」⇒SEED DESTINYでのシンの物語の積み重ねが無駄じゃなかったところにグッと来た。
劇場版の物語はキラとラクスが中心だったが、キャラクターとして報われたのはシンとルナマリアだと思う。
アグネスの物語上の役割は、SEED DESTINYでアレだったルナマリアの恋愛部分を着地させること。
正直アグネス周りの話は蛇足に感じたが、よくよく思い返してみればあれはクエス・パラヤのオマージュだ。
アムロに興味を持って、拒絶されたと感じて脱走し、シャアにその価値を見出される。
スポンサーから押し付けられた枠か?Gアーマーの合体シーンやシュラク隊を思い出した。
ジャスティスに至ってはアスランに乗ってもらえずシンにディスられる始末。
デュエルブリッツやデスティニーのカラーリング(これは鑑賞後にSNSで見た情報)など、テレビ版で退場した機体の要素を、そのパイロットに縁のあるキャラが受け継ぐところが良い。
デュエルはアサルトシュラウドないと他より特徴がない部分をブリッツ要素でカバーとしてるので、なんか説得力あった。
でもわざわざ旧型のデュエルとバスターを核エンジンにしてコクピット周りをザク系統にするのは非合理だよなと。合理性よりお祭り感を演出する分には良し。
インパルスのシルエット全部来て良い。カラーリングのアップデートは何か元ネタあるのか?
ミーティアやデスティニーの換装など、外部装備の共有はなんかガンプラ系の番組の表現っぽかった。でもガンダムってそうだろう。
視聴者にとって悔いが残ったところをキチッと終わらせて、キャラクターやメカの見せ場をこれでもかと出し切る。お祭り、同窓会。
復活のルルーシュ、グリッドマン、シン・エヴァンゲリオンなど、最近のTVアニメの完結編としての劇場版は大体そうだし、そういうものが求められているというか、これが完成形なのではないか?
これに言及くれた方ありがとう。恥を忍んで書いた故、正直もっときついこと言われるかと思ってたけど優しい人しかいなくて安心した。
あのあと調べたら10月分までは医療費のお知らせ請求できるかもしれないってことがわかり2月1日に合わせて請求書作るところだ。
去年の年末調整は納税者がきっちりまとめてくれてたり会社の恩恵だったりで滞りなくできたんだが、1月入ってから納税者が加入している法人と県庁から源泉徴収票が送られてきた。
合計しても10万いかないので申告の必要はなさそうだが、これも税務署や市役所の税務課に相談したほうがいいのだろうか。
オカルト要素がなく人のエゴとか欲望とかが絡み合う素晴らしいストーリーが魅力のガンダムSEEDまでオカルトになってしまうとは、、、
20年待ってこんな酷いおバカ映画を観させられることになるとは…(褒めていない)。完全に蛇足。
確信犯的に笑わせに来ているところとか、痛くて失笑ものだった。設定がオカルト過ぎるし、ストーリー展開が雑過ぎる。アクション・メカ描写は質量ともにハイレベル。
言いたい事は山ほどあるし、ツッコミ所多いんだけど、SEEDってガンダムシリーズで一番オカルト要素無い作品だったのに、やっぱそういう感じなの?
ガンダムSEED映画の感想その7。ほぼネタバレなし。ニュータイプ概念の拡大解釈し過ぎで敵キャラがテレパスとか憑依霊みたいになってるし、後半はご都合主義を超越してユニコーンみたいなオカルトガンダムの世界に踏み込んでます。これはそろそろどうにかした方がいい。
https://twitter.com/rein_rainydoll/status/1750772629781565627
種自由の完全版が見たい(あのボリュームを2時間で詰め込もうってGO出したん誰私はもっとSEEDが見たい特に生々しい人間関係とよく分かんねえオカルトでは解決できない限界の世界観が好きなんです)
個人的には盛り上がる箇所は非常に盛り上がったという印象です。
令和の時代にSEEDが公開された事で最高に嬉しいですし、映像、曲、演出共に最高だったと思いますが最後のオカルトパワー全開の展開が残念に感じました。
本日1本目『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』鑑賞終了。
楽しかったけど……いや、なんだこれ。
あと最近のガンダムはどうにもオカルトに走る傾向があって、それは嫌いじゃないけど、今回のクライマックスはやり過ぎ。
流石に若干引いたぞ。
https://twitter.com/44nekozegawa44/status/1751079507044569120
ガンダムSEED映画、ユニコーンの呪いでオカルト化してるのが不愉快。ズゴックの中にあんなもん仕込んでるなんて、まさにオカルト(笑)
https://twitter.com/rein_rainydoll/status/1751191551001473402
ガンダムSEEDの映画はUCのようにオカルトっぽくなって世界観が崩れたように思えたのが残念だった😾
https://twitter.com/sakurav_198605/status/1751309629064392984
※ 始めにこの文は現在公開されている映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の内容やSEED本編には全く関係が無い、ただの人生の半分以上を同人という世界に身を浸してきたオタクの同人懐古話である事を注記する。
20年越しでのSEED映画公開に対して某先生がコメントしていたというのを見て、走馬灯のように思い出した昔のBL同人界と同人誌の話をする。
まだインターネットが一般に普及しきっておらず、当然Twitterやpixivも無く、2ちゃんねるも出来たばかりぐらいの2〇年前の話だ。
当時の情報媒体はまだ雑誌が主体であり、同人誌の頒布方法はイベントか通信販売だった。
書店委託(当時はアニメイトかまんだらけ)で買えるのは一部の大手だけであった。(書店委託できるサークルは大手の証であった時期)
では大多数はどう通信販売をしていたかというと「自作同人誌の情報を雑誌(ぱふ・アニメーシュ・COMIC BOX ジュニア・ファンロード等)に掲載・ペーパーを配布(イベントかアニメイトかまんだらけ)し、欲しい人は記載された住所に手紙を出し、サークルと直接取り引きをする」だった。
前述通り、住所で調べたら行き方や家の画像が出てくるNAVITIMEやgoogleMAPは勿論無い時代で、むしろ住所は載せなければ通販はできない時代だった。(個人情報保護の考えや法案等は勿論無い)
この「サークルと直接取り引きをする」というのは、つまり当時通販作業は殆ど全て作者本人の手作業でやっていたのである。同人誌の梱包作業の為の資材準備から、何十・人によっては何百・何千件の郵送手配まで全て。
当時は資材準備に便利な百均や郵送を遅い時間や土日祝でも受けてくれるコンビニも無かった(コンビニ自体はもうあったが郵送受付は2004年以降)為、生まれた同人界のマナーがあった。
「通販を頼んだ同人誌は1ヵ月以上待つ事もある、だからと言ってサークル主さんにせっつくのは辞めよう!貴重な時間を使わせているし様々な事情もあるだろうから」
ここまで前提として話した上で、当時同人界隈の問題の一つとしてあったのは「サークルで予告された同人誌が出ない」だった。
中には予約まで受付して代金を徴収していたにも拘らず、作者がやる気を無くした、または別ジャンルに移る等様々な事情で発行できなくなったケースがあり、仲間内で話されるも表沙汰にはなかなかならなかった。
何故かというと前述した理由により、何ヶ月でも待つ方が多かったというのと、予告はサークル側の口約束であり、法に問える可能性は少なく、被害額も一人何百円程度が殆ど、そもそもが同人活動という一種のグレーゾーン社会の中での出来事と有耶無耶になってしまい、結局は通販を頼んだ側の泣き寝入りになっていたことが多かった。
某先生の話に戻す。
某先生は既に商業誌で活躍されていらっしゃる中、漫画ジャンルのかなりマイナーなカップリング(A(攻)×B(受)と表すると、B受自体が少数派の中、B受の主はC×Bだった)の同人誌を出されており、高い画力と美しい表紙で人気だった。
シリーズ長編として銘打たれた分厚いA×B本を発行し、「続きは次のイベントで発行します!」と宣伝。
売り子さんだったとは思うが発行延期になったという話にガッカリはするも楽しみに待ち続けた。
Bはその当時、最愛キャラとして推していた(当時は「推し」という単語は無かったが)のと、某先生の美しい絵での貴重なカップリングでの重厚な物語にすっかり虜になっていた。
友人も某先生の大ファンであり、その本については予約もしたと得意気に話していたのを覚えている。
自分の中での妄想を(今でいう三次創作になるだろうか)ノートに綴ったりもしていた。
その後、ペーパーにて「発行が遅くなってすみません」の言及で、出す気はあるんだと少しの安心と、「○○の本は出すのにこっちの本は出さないんだな」とモヤモヤした思いを抱き続けていた。
月日は経ち、ペーパーからはその本の発行予定は消え、ガンダムSEEDが放映され人気ジャンルとなり、人気サークルの中に某先生の名前をお見掛けし、ガンダムSEEDの推しキャラAへの愛を綴っているのを見、自分の中で
「あの本はもう出ないんだ」とやっと諦めが付いた。
あの当時同人誌を出されていた方々で、今では一般誌やBL商業誌で活躍されている方も多数いる。
この件についてはとっくに時効でもあるだろうし、自分も今更問い質すつもりは毛頭無い。
当時の同人界隈ではサークル規模の大小拘らず「良くある事」だったのだ。
ただ、某先生の名前を見かけるたびに未だに思ってしまうのである。
「あの本は出なかったな、せめてどんな話だったかは見たかったな」と。
※2〇年前の話なので勿論齟齬や記憶違いも多分にあるかとは思うが、記録として残したいとも思い投稿した。訂正、指摘は歓迎する。
勿論、「某先生を侮辱するな、あの本は発行されている」の話があれば喜び勇んで検索の旅に出てこの文は全消去する。
※また、蛇足ではあるが、当時同人誌の通販をした人が何ヶ月でも待つ方が多かったというのは、決して我慢強い方が多かったという訳では無いと言っておく。
そしてその経験があるからこそ、自分は今の同人文化については「良い時代になった」という思いでほぼ占められている。自分の欲しいカップリングやジャンルの同人誌を探し手に入れる為に作者本人に手紙を出し、通販希望のみだと作者に失礼に当たるからと感想を捻り出し郵送を時には何ヶ月も待つ、あるいはイベントでのパンフレットのサークルカットの絵やジャンルカップリング表記だけを頼りにするしかなかったあの頃になんて戻りたくない。
今回のAdoの件、ブコメ等を見ていても基本的にはAdo側に同意する意見が多く、自分も同じような意見なので、
それに反論する側にさらに反論する必要は本当は無いのかもしれないけれど、ちょっと考えた事が有ったので書いてみる。
自分が違和感を持ったのは以下の「Adoのお気持ち表明内容に違和感を覚える」等の意見。(この増田は一例で、大雑把にこの辺の意見)
その中でも「創作者に対しマイナスな意見を言うなという事か」「周りをイエスマンで囲いたいのか」といったタイプの意見に違和感を覚えた。
こうしたタイプの意見が前提にしているのは、例えば以下の増田の文のような、「創作者はマイナスな意見も許容すべき」といった価値観。
それに、クリエイティブを世の中に公開したときにマイナスの反応が出ることを押さえつける、否定するのって提供側としてあるべき姿なのか?
クリエイティブやってれば思ったとおりに受け取ってもらえないことや、逆に迷惑に思われちゃうことだってよくあるじゃん。
表にアウトプットを出す以上、そういう反応が出ることもひっくるめて覚悟キメる必要があるんじゃないかなーって思った。
さよなら絵梨でも主人公の父親が言ってたじゃん。創作やってれば自分が傷ついちまうこともあるって。私はこの感覚・価値観大事だなあって思うんだよな。(今回は創作物自体というよりコラボについてではあるけれど)
なもんだから、クリエイティブをやってる側が「私が正しい、お前たちが間違ってる、正せ」ってよう言えるなあって。
自由な意見を配慮に欠けた言葉として区別して、攻撃された傷ついた、傷つけた人間は悪、ってドツボにハマってるのはAdoの方なのではと思ったりした。
「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」とか、畜生ムカつくなあ今に見てろ、みたいなマインドが大事というか。
「私は嫌だからブロックする」っていうのと「こんなやつはブロックされて当然の人でなしだからブロックする正しさが私にはある」ってのは全然違うというか。
この増田については、まずおさえるべき点があると思う。
・Adoは「コラボに対してマイナス意見を言ってる方やそれに賛同してる方々へ」今回のツイートを書いているという事
増田はあたかも「Adoは創作物へのマイナス感想も表に出すべきではないと言った」というような書き方をしているけど、そうじゃないんだよね、あくまで「コラボに対してマイナス意見を言ってる方やそれに賛同してる方々へ」なんだな。
創作においてたしかにマイナスの感想を拒絶し、イエスマンだけで周りを固めることには一定のリスクが有る。つまりマイナス意見をきっかけとした成長ができなくなる、という事だね。
けれど、「コラボに対して」に限定している今回の件ではこれは当てはまらない。
それに今回の件についてはさらに話がずれるっぽい。どうも、Adoのファン(自称)がコラボ相手に対し「パクリコピー」だのなんだのと誹謗中傷した、というのがきっかけらしい。
「自分のファン(自称)が他者(コラボ相手)に迷惑をかけている、困った」という事態で、ファンに自制を求めるのは常識的な対応だと思う。むしろやらないほうがどちらかといえばまずい。(ただ、やる義務があるかは微妙かな? やったほうがいい、程度か)
さてここで、通常のイエスマンはまぁ大雑把に以下の様に定義できるわけだけど
今回のファン(自称)がこれに対するノーマン(?)かというと、むしろ形を変えたより厄介でトキシックな別のイエスマンの様に見える訳だ。
トキシックイエスマン:対象に対してはプラスな意見(本人の中では)しか言わないが、その周囲に対しトキシックな言動に出る人
で、言いたいのは、このトキシックイエスマンに囲まれることは、単なるイエスマンに囲まれるより更にまずい事態になるんじゃない? ということ。
そして厄介なのは、往々にしてこのトキシックイエスマン自身の自認は「自分は対象に対しマイナスな意見も言えてる」だったり「自分はイエスマンに囲まれる事態を防いでる」だったりすること。
しかし実際には、その人の言動が創作にプラスに繋がることはないし、単なるイエスマンに囲まれるより更にまずい事態しか引き起こさない。
ただのイエスマンは自分の成長が阻害されるだけだが、トキシックイエスマンの場合周りに迷惑を掛けてしまう。周囲を巻き込む以上、問題の大きさも質も段違いになってしまう。
VTuber等を見ていても、こうした「本人に対しては全肯定に近い態度だが、その周囲やコラボ相手に対しトキシック」な人はたまに見る。厄介だなぁ、と思う。
それがファンではない外野から見ると「本人に対してマイナスな意見も言える非イエスマン」に見えているとしたら、更に不要なこじれが発生してしまっている、より厄介だ。
こうした厄介さは「イエスマン」という既存の語彙だけでは捕捉できないのが問題なのかな? と思ったので、今回は仮に「トキシックイエスマン」というあたらしい語彙を作って考えてみた。
最後に蛇足。自分も創作者のはしくれなんだけど(この話題で自称するにははしくれ過ぎるが)、個人的には「マイナス意見の効用」についてもあんまりあるとは思っていない。
これは自分がやってるのが小説で、音楽とは事情が異なるというのもあるかもしれないので本当に蛇足なのだけど、
小説の場合、基本的に書くのは結構孤独な作業で、例えば新人賞に作品を送る場合でも誰にも見せずに送るという事もザラで、それで普通に受賞しちゃうケースも勿論ある。(自分がそうかは伏せる)
もちろん編集者の目や校正は入る訳だけど、それはマーケティングだったり専門知識だったりがある程度入っていて、素人のマイナス意見とはすこし質が違う訳だ。
もちろん役に立つことがないわけじゃないけど、基本的にプロでない人のマイナス意見やマイナス感想がその作品やその後の作品の役に立つと思うのは、少し希望的観測が入り過ぎかなぁ、と個人的には思っている。
それに、逆に自分がほかの人の作品に対し「有益なマイナス意見」を言えるかというと、真面目に考えるとムズイよなぁ、と思う。プロ同士でもそういうのは難しい。
だもんで「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」も、あの漫画の話のようなプロの批評家の場合ならともかく、素人のマイナス意見にそのまま適用しちゃうのは、ちょっと微妙かなと。
もちろん感想を言う側としては「自分の感想が自由に言えて、しかもそれが役に立つ」となったら嬉しいのだとは思うけど、それって「チートスキルで自分を見下してた奴らを見返す」みたいな一方的な都合のいい話でしかなく、
基本的にそんな都合のいい話は無いよ、と感想を言う事もあれば言われる事もある側としては思う。基本的に「お客様は神様」的なご機嫌伺いよね、あれ。
ので、じつは「イエスマンで周りを固める」ことの方のリスクも、(デビュー済みで既に才能が確約されている場合は)思われているほど高くは無かったりするかもな、と。(特にAdoのような天才の場合は、Adoのような天才の役に立つマイナス意見を言うのって、その為の才能が無い限り無理ゲーかなと)
むしろそのリスクが高いと「思いたい」のって、非イエスマン自認の人の方で、それは実は自身を守るための希望的観測または願望に過ぎないのかもしれない。
とはいえもちろん、有益性の問題と自由の問題は別なので、「自分の感想は特に役には立たず、有害なだけだが、自由なので言う」という態度はアリだとは思う。ただ誹謗中傷にはならないように気を付ける必要はあるね。
ぶっちゃけ災害現場に立ったことの有る無しで、あまりにも見えてるものの違いがある。
イメージだけで闇雲にボランティアを危険視したり(あるいは手放しに称揚したり)党派性イザコザの種にしたり、そういうのはつまり「ボランティアとはどういうものか」がいまだあやふやなままだからだろう。
行政の一元的な指揮監督のもとでシステマチックに動くのが本来なら理想であるみたいな勘違いがある。
行政がやるべき支援の人員不足をタダで補う予備軍、代替物のイメージ。そのイメージに合致しないものは、先進的な取組みをしてる団体も迷惑Tuberも十把一絡げに叩かれる。
どんなに福祉制度が整備された社会にも必ず取りこぼしはあり、それに気づいた者が自分の責任で手当する、創意をもって気付きをかたちにするのがボランティアの領分なのだが。
本質的には個人の集団だからこそ高度に連携しなければならないし、自発性に立脚するものだからこそニーズの扱いについて考えるべきことが多くある。
今回の能登の震災の報を見ていてあらためてそういうあたりのことをいろいろ考えていたところだったので、思いがけず経験者の人とやりとりできて、刺激になってよかった。
前述のような「ボランティアとは」の基本レベルのことをみんなわかってなくて嘆かわしいってことじゃなくて、そうした認識はスタート地点にすぎないので、今後自分でどれだけ動けるかはわからない(能登にも行かない)が、考えては行きたい。
あとこれは全くの蛇足だけど増田とかでボランティアの話してもダメだな。
経験者にあったのすらほぼこれが初めてだし。
年齢おかしい件などについてブクマ指摘があったので蛇足を追記*****
https://anond.hatelabo.jp/20240124115643
蛇足ばかりの人生…そしていい加減なことばかり書いてごめんなさい
リアクションに返答はしたものの「松本サイドのコメント強気すぎない?について一般的にどうなのかは分からない…一般的にはあのコメントの強度は強すぎないだろうか。誰か分かる人教えてください
以下本文*************************************
松本サイドは、
今後、裁判において、記事に記載されているような性的行為やそれらを強要した事実はなく、およそ「性加害」に該当するような事実はないということを明確に主張し立証してまいりたいと考えております。
とコメントを出したけど、こういう強気な宣言(性加害に該当する事実がないと明確に立証する)って、訴訟の時に普通にするものなんだろうか。普通やで?こういう作法なんやで?ってのなら、まぁいいんですけども。
増田としては、「明確に立証」は、あったにしろなかったにしろ、8年前のことだし、どちらの側にとっても裁判の場で立証するのはとても難しいことだと考えている。松本サイドがそれが明確に立証できると言い張るなら、たぶん被害を言っているA子さんも明確に立証できると言い得ると思うんだよな…。まじでセックス同意書でも有れば簡単だったんだけどね。
どうやって「明確に強要してない」を立証するんじゃろか。新井浩文は出張マッサージ嬢をレイプして有罪になったわけで「プロ女性を自宅に呼んでても無理やりやったらアウト(レイプ)」。タレントの卵や素人娘をホテルに呼んだらセックスオッケー、とは簡単にはならんよたぶん、現代。ソープランドだってあくまでも「個室のなかで嬢と突然仲良くなってセックスしてもいいわよ?ってなった=突然発生した自由恋愛」という建前なので(この建前もどんなもんだよとは思うが)。
それはともかく、要するに増田は、そもそも松本サイドの「セーフ/アウト」の線引きがひどくアップデートされてない可能性もあるんじゃと思っている。
SNSでのあの様子、日ごろTVやラジオや本で見聞きした人柄からして、アップデートされてへん感が強い。ワイドナショーは1回目の途中でもう直視できないなと思って挫折してそれ以来見てないけど、クレイジージャーニーのようなミソジ毒の出しようのない番組ですら、たまに小池栄子に諭されたり躾されたりしている。現代の現在進行形の「アップデートされてない…」をTVで目撃してるので。うーん。
本人がすでに、後輩を使ってヤリモクコンパをしていたことはSNSで認めている発言をしているわけだが、今後訴訟が進んでいく中で、「性加害があったかどうか」についてだけでなく、たとえば現段階では疑いでしかない、パンクブーブーやたむけんについての「地元TV局で松本人志をアテンドする番組」を作って貰える『番組バーターヤリコン』的な構造とかも、裁判の中でなんとなく透けて見えてくるのでは。
邪推でしかないが、「大阪(博多)でもヤリコンしようや、地方の方が週刊誌もうるさくなさそうやし、せや大阪で街歩き番組でっち上げて、その打ち上げで後輩にセットさせたらええやん」みたいなことだと思うんだよな、なんかザコシのような口調になってるけども私。
松ちゃんは、ハマタが「ごぶごぶ」をやってた時、「浜田は大阪の番組でうまいことやってる、さぞ羽を伸ばしてるに違いない、週刊誌は狙え狙え」みたいな軽口をラジオで言ってた記憶があるので、「そういう方法がある」ことは頭にはあっただろうと思う。
で、増田はまぁ、そういうシステムは倫理的ではないけれどお笑い芸人に倫理性をあんまり求めていないから、まぁお互いそれでハッピーなら(ヤリモクコンパが大好きな女も当然いるわけで)好きにやってりゃいい。ただ、できれば人目の多い(もうあんまりダウンタウンを見なくなっていた私もうっかり見るような時間帯のTV番組とか)では、そういう、ノット・コンプライアンシャスでベリー・ホモソーシャルな部分はちゃんとジップロックのジッパーをきっちり、ホモソ・ミソジ汁が垂れないように閉めといてくれたらいいけどな、と思っていたのだけれど。
なんていうか、あのコメントにも、松ちゃんがTVやラジオでよく見せていた俺様系癇癪「ウッサァァイ!俺が世界で一番偉いんじゃ!ワレェェ!」な感じを受信してしまうんだよな。それはどこまで通用するんだろう。つらいなこれ本当に痛々しくて見てられない。おもしろお笑い芸人としての自分はもう捨てるつもりなんだろか。面白かったのになぁ。
訴訟のコメントを読んで、ホモソ・ミソジ汁を法廷でうっかりぶちまけそうまである、とうんざりとした悲しい気持ち。
ところで。
増田はお笑いに倫理は求めていないが、その代わり、権威やカッコしいも全然求めていない。むしろ格好悪かったり権威に興味のないような顔ができてこそ、お笑い芸人として結果的に一番恰好いいと思っている(これは個人の好みですので)。
立川談志は議員をやった時はだせぇと思ったし、戻ってきて「全然だめだった」とつぶやく談志はかわいくて結果的にかっこよかった。たけしは2度の自爆を経て、離婚したり変な女とくっついたり、今でもへんてこな映画(首、笑ったなぁ駄作なんだけど愛おしい駄作)作ったりしてるけど、そういうところが結果的に格好いい。今でも「世間がどっちに転ぶかなんてわからないんだから」と言えてしまうところも、結果的に格好いい。
鶴瓶なんて始終ノーガードでパンチドランカーのような芸風だけど、それがすごく格好いい。鶴瓶は凄いお笑い芸人で落語家で俳優でほとんどすべての(テレビでちんこ出したりするところも)仕事が格好いいが、鶴瓶で一番笑ったのはダウンタウンにさんざんからかわれて「おもろなりたいーーー!」って叫んだ時がもう本当に腹抱えて笑った。あの時の鶴瓶も格好良かったがダウンタウンも素晴らしく面白かった。のになぁ。
「すべらない話」は、パイロット版は地下酒場みたいなセットでお仲間の芸人たちがクスクスやっていた番組で、まぁ初期は「滑ってもなんとか面白くできるはず」みたいな面もあった。いい時間帯に移って「地下格闘技を見に来ているセレブ」みたいな演出をし始めたあたりで、そりゃゴールデンであのままじゃ無理だろうけどこうなるとなんか違うなーと思ってだんだん見なくなっていった。芸人たちは変な緊張感をアピールしてそれも「だから何?」と思ったし、滑れなくなっていった芸人の話のエスカレートした例の一つが、冷凍チキン投げ付け事件の話とかだったんじゃないかなぁ(番組は見てない、ゴールデン2回目ぐらいでかなり「なんか違う」と思っていて見る機会がなかった)。
IPPONグランプリも、何であんな大仰なセットでやるんだろうと思っていた。まぁゴールデン番組としての形を取るための演出だろうけど、いちいち「権威」よりの演出になるんだよね松本人志のお笑い番組。軽みの方には行かないんだ。M-1だって1回目から何回目からまでは結構チープな番組だったんだけど、だんだん、往年のレコード大賞でもここまで…というような派手な権威付けのある演出になっている。
松ちゃんは何度か「お笑いの地位を上げたい」みたいなことを言っていた。そういう意向を汲んだTV局側の演出だったのかなと思うし、お笑いが権威化すると吉本興業にもオイシイことは多いだろう。松ちゃんも威張れるし皆がハッピーだ。
でも結局、それで40年以上やってきた今の位置は、彼を擁護する人たちですら「やっぱりお笑い芸人なんてこんなもんだろう(だから外野がうるせえ)」「のこのこ付いていった女が悪い」とか言うような、結果的にお笑い芸人の社会的地位を下げるような場所だ。
松ちゃんは「自分は(たけしとちがって)事件を起こせない」と前科者のたけしに言っていたが、実際にスキャンダルが起きたら「事実無根でーす」という形になったのもなんだか皮肉。
もしくはこの訴訟自体が自分の芸能人人生をチャラにするための「事件」のつもりかもしれないなと思ったりもするけども、カチコミじゃなくて訴訟なのも、小物感があってなぁ…。
しかし、ハマタさんがここまで全くのノーリアクションで、それも、昔のファンとしてはやっぱり悲しいなと思う。どこかでいい感じに落としどころ付けてくれるといいけどなぁ…でにハマタも他人事じゃない可能性も全然あるから、コトは厄介。
日頃、ブクマもしてるんですけど、結構前からブクマにも松ちゃんイタイわ、とか言っているので、そういうことではないです。
むしろ「色々イタい人だけど面白いとずっと思っているし、一方で、熱量強く好きだった時でも「この松ちゃんはなんだかなぁ…」といやな気持になること結構あったので、それを、なんかいいように/または悪いように歴史修正されたくないなぁと思って書きました。
昔は天才、セックススキャンダルが起きた今は凡人と言いたいわけではないです。
「(下半身も倫理観も、そしてお笑い能力においても)ダメなところもたくさんある、でも面白い芸人」だと思っている人が、ここにいますよー、と言いたかったのです。
「あの癇癪は面白がらせようとしてやってんだよバーカ」という見解も理解できますし実際そういう側面もあると思う。でも、どちらかと言うと「コントロール不能な癇癪が出てきてしまったが、周囲の協力もあって何とか笑いにできた時もあった」という程度だったんじゃないかなあ。記憶が美化されてない?
そういえばHEY3で誰かとテトリス対決やって勝てなくて癇癪起こしてたこともあった記憶が。私そのころはもう「ダウンタウンの出てるTV全部見る」みたいな状態ではなかったので又聞き&その時に聞いた友人たちからも批判的なニュアンスが強かったんですよね。
放送室のどこかの回で「別の松本が出てくる」というような話をしていた回があったかと思うので、誰か音源を持ってる人が居たら確認してくださると。ラジオ番組のCDを出してたんで、持ってる人は持っていると思います。言うこと聞かないもう一人の松ちゃんがでてきてもーてたな、とか高須っちゃんに言われてた記憶があるので、おそらく「笑わせようとして制御した癇癪」ではないのではと私は思っています。異論ももちろんあるでしょうが。
私も分かんないんですけど、吉本興業とABCが終わらしてくれない可能性は小さくないんじゃないかなと思っています。
もちろん多くの芸人さんにとって「松本人志に高得点を入れてもらいたい」というのは、強いモチベーションになっているとは思いますが、リアルタイムでダウンタウンの漫才やコントを見ていた層はもう審査員席に座っている世代で出場者も当然若くなりリアルタイムでダウンタウンがお笑いをやっている」ところは見てない人たちが大半。「松本さんの評価が高かった」という形骸化されたトロフィーのようなものになっているのかなーと思ったりもするので。
出場者数も馬鹿みたいに増えているてその分「M-1の運営で飯を食ってる人」も増える。あとはM-1は決勝メンバーで営業ツアーをやったりしているらしいし、中川家・サンドイッチマン・ナイツの漫才ツアーという(すごく楽しそうなのだが行ったことがない)、儲かるショーバイとしての広がりも見せている。M-1で稼ぎたい人が多くなればなるほど、松本が審査員から降りようが、大人のショーバイの都合でM-1はマストゴーオンする可能性は高いんじゃないかなぁ。確か、after紳助のM-1再開後の年は、松ちゃんは紳助への仁義もあるし的なことで審査員をやってなかった記憶がある。それでもまぁM-1は行われたし次の年にシレっと松本人志は審査員席に座っていた。松本さんもそういう風にやっていたわけですし。
お上品ではないです。お上品ならダウンタウンでげらげら笑わないと思う。下劣だったり差別的だったりするのもお笑いだし多くは許容できるんですけど、私は女なこともあってか、ミソジニーが強く出ているネタは、ダウンタウンだろうが別のお笑い芸人だろうがちょっと笑われない時があります。それは上品だからではなく、私の「なんで笑いたいのに不快な気持ちになるんだ」という個人的な都合です。
「皆好きだって言ってるけど、どうも乗れない零れ落ちるミソジニー感を受信しちゃってどうも…」ということで言うと、バカリズム、和牛、ニューヨーク、ブラックマヨネーズ、さらば青春のとか、面白いネタも多いしお見掛けするとゲラゲラ笑う時も多いんだけど、なんかどうもなー、もうちょっとちゃんとミソジニーがこぼれないようにジップロックのふた閉めてくれへんかなーって思う時もある。それはダウンタウンの若いころにも思っていました。
でもこれは私が女で、ミソジ強い人がどうにも苦手という個人的な事情であって、上品だからではない。上品な人はそもそもお笑いを見ないだろう浄瑠璃とか見てるんちゃう知らんけど(浄瑠璃も世話物できわめて上品ではない話だったりするけども)
そういえば、寄席で落語を見ていると噺家がよく言うマクラで、白杖の人(目が見えない人)が客席にいたら出来ないネタがある、というのがありますね。師匠から連綿と小さい寄席で続けられてきた芸ならではの処世という感じ。お笑いってのは根本的に上品ではありえないし、それを言えば人間は根本的に下品だしね。
ハマタさんについては、故ナンシー関(消しゴム版画家)の「いま日本で一番メガホンが似合う男」という言葉があって、まさにそれが言い表しているのかなと思います。あとは水ダウの「結果発表~~~~!」の企画とかね。
松ちゃんという天才の相方として諦めたこととかも結構あるのかな、とたまに思う時はある。徹底的に「回答者席」に座ることがないんだよねハマタさんは。その代わり日本で一番メガホンが似合うし結果発表の声がでかい。
たけしが松ちゃんとのインタビューで「相方の能力がすごいのが羨ましい」って言ってたのを覚えている。たけしはなぁ、相方きよしさんだもんな。きよしさんは今回の件でもXでいっちょ噛みしてて笑った。
息子さん(ハマ・オカモト)のベースが死ぬほどくっそ上手くてカッコいいのとしっかりとしたタレントさんでもあるので、ハマタさんはかなり良いお父さんなんじゃないかなと思ったりしている。
愛人がいる報道は定期的に出てるけど女性からの被害訴えが今のところないので、それならば当事者間(ハマタさんと家族と愛人)の問題ですね。まぁどっちかと言うと下半身はたけしタイプ(ヤリコンではなく愛人)なのかなと想像。しらんけど。
(誰も読んでないだろうけど追記)
そういえばハマタさんは「回答席に座ったことがない」どころか、ひな壇や「その他大勢の場」にセットされたことが、ほぼ無いのではと気づいた。松ちゃんは「大喜利の回答者の一人」になっていたけれど、ハマタさんは若手の頃からずっとMCだ。
「ひな壇に大勢の芸人を並べて…」というバラエティのスタイル自体をダウンタウンが作ってきたような面もある(DTDXなど)から、というのもあるからひな壇経験がないということもありそうだけれど、例えば「one of コメンテイター」みたいな場所にいるところも見たことがない。しいて言えば笑っていいともか。そりゃダウンタウンはいいとも嫌いだったのも納得できるし、逆にハマタをひな壇に座らせたらずっとそっぽ向いてリアクションとか絶対に取らなそうだ。
ダウンタウン、好きだったんですよ。
蛇足を補足しました***************************
https://anond.hatelabo.jp/20240116110533
訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24)
https://anond.hatelabo.jp/20240124115643
以下本文*************************************
中学生~就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。
東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだのビデオを送ってもらってクラスの友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回から、ごっつええ感じもパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏とデート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。
面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツに面白かったんだけどね…。
松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間のバラエティ番組で、コントと企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃんは簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。
彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利の番組(ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃんは面白かったが、同時にそこそこの打率でドン滑りもしていた。大喜利のセンスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタントに打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野。ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。
この「松本的ファイトスタイルの大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。
松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタに悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑いの世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう。
大ベストセラーのエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本は自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体の雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生で中学生相手の塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。
知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンはタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあいと出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。
松本人志と高須光聖の放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程の番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒の放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます。
高須氏に諫められた後の松ちゃんは聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題(アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須っちゃんに松ちゃんがだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…
音楽番組「HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。
そもそもあの番組は歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティストが創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんのトークのギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだしゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。
そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。
ごっつええ感じがTV局との複数のもめごとで終わり、コントのDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。
あまり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌で映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミと的外れな評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画は総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本が映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。
そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。
頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙なコメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。
それまでの芸人の世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人の第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。
でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人と対峙し自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。
発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディア、デイリーで流れていくウェブの世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。
若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑いの権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちのハラスメントでしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会面ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。
爆笑太田じゃないが「椅子からコケる王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。
松本人志がお笑いの世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助はレギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いもバラエティ番組もマストゴーオンだ。M-1の審査員も紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。
友達の嫁さんと初めて会ったときに、「奥さんとは呼ばれたくない」と言われた。
そういう人たちがいるのは知っていたけど、実物には初めて会った。
後で知ったけど、そっち系でも知られた人。(国際的な研究業績もあり、掃いて捨てるほどいる単なる活動家ではない。蛇足だが、社会学者でもない。)
「それじゃ、何て呼んだらいいですか?」
ただ、意外なことに、明確な返事が無かった。
意外だったのは、「相手にとってはFAQだろう」と思っていたから。
即レスされる、と思っていた。
「夫の友人に返すような、穏当な返事の用意が無かった」というところかな、と思ったが、単なる邪推。
「友達の相方を、名前では呼びにくいですよね」と友達に向けて言った。
「だよね」と返される。
「奥さん」と呼ぶのは、「あなたは私にとって『友達の奥さん』です」という暗黙のメッセージ。
逆に言えば、敢えて名前で呼ぶことは「あなたと直接の友達になりたい」というニュアンスがこもる。
少なくとも我々の世代は、そういうことは不躾だと感じるのが普通だと思う。
今後、直接の友達になることがあったとしても、初対面でそういう態度はとらない。
友達とは、日本語で話すときは「増田さん」、英語で話すときはファーストネームで呼び合う。
おそらくは奥さんとも、英語で話すときはファーストネームで呼び合うだろう。
英語で話すのにファーストネームで呼ばないとしたら、それにも特別な意味が生じる。
夫婦でマンションを買いに行ったときに営業から、子供の学校に行って教員から、「奥さんとは呼ばれたくない」のは理解できるし共感もできるし賛成もできる。
ただ、夫の友達に「奥さんとは呼ばれたくない」と言ってしまったのは、彼女のミスだったのではないか、と思う。
おそらく彼女はそのときすぐにミスに気づいたが、俺の方はこうして後で考えをまとめる段になって初めて気づいた。
恥ずかしい経験が、また増えた。
正確に情報を精査すると
「奥能登では道路状況がよくなく、また余震が続いているため、二次災害を防ぐために一般ボランティアはまだ来ないよう県がお願いしている」
なんだけど、これを少しずつズレた捉え方をして反論してる人がたくさんいる
主張
・金沢市あたりでは渋滞は発生していないからボランティアに行くべき
→ これは若干は合ってるが、金沢市では物資や人手は足りているのでは。避難者数は1万人。
・「石川に来るな」と言う意味ではないからもっと奥能登以外にはボランティアに行くべき
→ まず「石川に」と言ってない。奥能登以外も募集してないってことは不足がないってことだろ
・歩いていけばいいだろ
→ プロは現地入りしている
ちなみに「石川渋滞はデマ」派に対して反論する奴らも大体馬鹿で
なんか、馬鹿と馬鹿が間違った議論をずっと続けてウロウロしてるみたいな状態に名前ほしい
2ch時代はスレ民の中に数人まともなやつが居るとガラッと空気が変わるんだけど
(だから下手なこと言えなかった、袋叩きにされるから、言う前に裏取りする癖がついた)
馬鹿の特徴として「調べない」「ソースが誰かのツイート」ってのがあると思う
あと陰謀論をほんとによく見かける、前からこんなに多かったっけ?自分がフィルタされてるのを見てるだけ?
「◯◯はやくやれよ!」←もうやってる
みたいなのが散見される、馬鹿は情報がいつの話かも見ないし調べもしない
これははてなーでもよく見かける
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蛇足だけど
「奥能登では道路状況がよくなく、また余震が続いているため、二次災害を防ぐために一般ボランティアはまだ来ないよう県がお願いしている」
って、一個でも認識がずれると簡単に反論できてしまうネタなんだ
・道路状況がよくなく → この認識が抜けて、自衛隊の数が足りないと主張してしまう
・余震が続いてるため → この認識が抜けて、奥能登の孤立地域以外は安全と思いこんでしまう
・二次災害を防ぐため → この認識が抜けて、ボランティアが今すぐ必要という認識が勝つ
特に量の感覚とか、タイミングの感覚とか、誰がどの立場で言ったかみたいなのは本当に抜ける
だからこういうネタは馬鹿の炙り出しとして非常に優秀(同時に議論がぐちゃぐちゃになってカオスになる)
ただ、世の中こういう情報を正確に読み取れない人は結構な割合でいるので
うっかり間違った行動の支持者が増えることもある
それを狙って敢えてそういう行動をする人もいる
なのでカオスは終わらない
情報を正確に読み取れなくても、変な主張しないという選択を取ってる賢い人は大勢居るんだけどね
無知の知だね
正解は「いじめの笑いとそうでない笑い、どっちもある」だよ、当たり前でしょ。
擁護してる側も批判してる側も自分に都合の良いストーリーを作り過ぎだし、自分で気付かないの?流石に頭悪過ぎないか?
ちょっと考えればわかるじゃん、例えば番組でMCしたり出演してる時、(最近は無いだろうけど)ネタを作る時、
「いじめの笑い」「そうでない笑い」どちらもそれぞれの頻度で笑いにするチャンスだったり、思い付く瞬間が無数に有るだろうけど、
その中で「いじめの笑い」だけ選んで披露したり、「そうでない笑い」の時だけ反応するなんて事有ると思うか?
無いよ、当たり前でしょ、笑いにするチャンスが有るならどれであれするでしょ。
偶然たまたま天文学的な確率で「いじめの笑い」「そうでない笑い」のどちらかだけ毎回揃うとか思ってる?何の奇跡なんだよ。
(特に現在の松本の様なMCやバラエティでの出演が大半を占めるようになると、笑いの種類は当人の資質よりも番組内のシチュエーションや場面等に依存するだろうから、
他の芸人より「いじめの笑い」「そうでない笑い」の分布の割合はバラけてフラットになるだろうね)
他の芸人なら避ける筈の倫理的にマズい笑いまで拾う、という批判は有り得るだろうが、俺の見た所批判の大半はそういう言い方になっておらず、
上で指摘した様な勇み足を犯す批判になってしまっている。もうちょっと具体的な場面を想定して考えたらどうだろうか。
あと松本の笑いについて「おもしろくない」とか「笑ったこと無い」も同じ。
正解は「面白い時もあればそうでない時もある」だ。
こういう「正しいが退屈で何の主張にも繋げられない事実」に耐えられるかどうかが、結局己の欲に負けて事実を捻じ曲げる人間かどうかに関わってくる。
ただ、個人的な考えで言えば、例えば松本の笑いの「傾向」を捉えて何か文化的に有用な知見を取り出す様な「批評」においては、そういう「偽のストーリー」をある意味では捏造して論を作る様な事も許容されると思う。
でもそれを他人を倫理的に糾弾する場面や、倫理面を擁護する際に使っちゃダメでしょ。その区別ができない人が他人の倫理をジャッジしちゃダメよ、資質が無い。
(無論、倫理面で罪を認め、笑いに関してのみ擁護するような場合はこれに入らないけど)
はてなにいる人達・・・だけじゃないけど、みんな自分に甘いよね。
そりゃ倫理的に非難したい人や嫌いな人が、倫理面以外の部分(例えば笑い)でも劣っていたら気持ちいいし、胸がすっとするんだろうけど、
そう言う自分の心の動きって自分で分からない?それを自覚した上で、自分を甘やかして偽のストーリーをそのまま信じてるの?今一その辺が分からないんだけど。
実際の細かい事実はまだ良く分からないし、自分は判断保留の部分も多いけど、少なくとも「松本が倫理的に悪い」と「松本の笑いは面白い時もある」とか「他の笑いと違う部分が有る」とかは両立するじゃん、それでいいとはならないの?
そこで己の「批判対象には倫理面以外でも劣っていて欲しい」という欲に負けて捻じ曲げちゃうなら、程度の差はあれ欲に負けて愚かな行為をした(と現在されている)批判対象と同じ様な事をしてしまっているなとか思わない訳?
(因みにだけど、俺個人はまだ判断保留の部分が多いけど、気持ち的には松本を倫理面では黒めに見ているし、もし仮にレイプ等が有ったなら許せない、きっちり罰を受けて欲しい、真面目に)
所謂「人を傷つける笑い」に「面白いと思わない」とか「笑ったこと無い」とか言う人、本当か?って毎回疑っちゃわない?
というのも、その人のブコメを見てたりすると、結構人を傷つけることに特化した言葉選びをしてたり、それを面白いと思ってそうだったりするんだよね(流石にここで実例は上げられないので、与太話として聞いてくれ)
何なら「面白いと思わない」とか「笑ったこと無い」って発現そのものも「対象をなんとか傷付けたい」気持ちが見え隠れするとも言え、それを面白がれちゃう人なら・・・いや、ここでそういう事言っちゃうと上で批判してる事そのものに成っちゃうかもしれないので、この辺でやめておく。