はてなキーワード: 委託とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/277057/1/1/
大阪府の入札結果
https://www.pref.osaka.lg.jp/keiyaku_2/e-nyuusatsu/e-kekka.html
府からの案件は万博公園ばかりで、学生招待業務で旅行会社を呼ばれてたぐらい。
(万博公園の資料デジタル化の入札が0.7千万と5千万の2社なの大丈夫かしら)
大阪市の入札結果
https://www2.keiyaku.city.osaka.lg.jp/OsakaCity-PPI/index.html
コンサルでは、交通需要3.5千万、鶴見との連携2千万、花飾り企画0.7千万とか。
物品では、ロゴ入りの色々が買われてるけど、推進局設置は一社入札でよかったんか。
工事では、上がってこない。委託では推進局の害獣駆除。花飾りや諸外国からのファムトリップツアー業務は入札中止になってる。
(花飾り委託がR5/8、コンサルがR5/11なので不調後の予算見直しのため?)
https://www.expo2025.or.jp/bidding/
は応答遅すぎで開かないのでまた今度(土日が無理?)。
数年の間で外部委託者に採用・依頼してきたが、初期の頃は採用を進めていくなかでクソコミュニケーションコストのかかるやつが何人かいた。
そういうやつの特徴はこれ
自分は正直堅苦しいことは嫌いだから要求があってもある程度の融通は効かせるが、本来であればここで融通を効かせてはいけない。むしろ要求してきたら即切るか見送るくらいでいい。最初の内容はなんであれ少しずつ要求がエスカレートしていくし、こちらの不備をお互い様と言ってゆるす懐もない。
要求っていうのは、もっと仕事が欲しいとか、支払いを早くしてくれとか、納期を伸ばさせて欲しいとか、そういうやつな。
こちらが「ハイハイ許す許す、次から気をつけて」「そのくらいなら融通きかせてやろう」なんてやってもクオリティには反映されないし、こちらが何か失敗すれば親の仇のように叩いてくる。なんなら初期に許されすぎてこちらに依存してメンヘラ化する。だからこっちが要求を飲めなくなるとクソほど叩いてくる。
あくまでも想像だが、ほかに仕事がないんだろな。仕事に飢えてるから余裕がなく、自分が食うことばかり考えて相手の事情やコミュニケーションコストを考えない。クライアントの時間給をむだに消費していくから、10万円の発注をしても15万円くらいの追加コストがかかる。だからほかのクライアントにも切られてまた仕事に飢える。しかも反省もしないんだろうな。
そういう件がいくつかあってから、採用するときは友人の紹介や年数に合う実績がある人を選ぶことにした。そうそう、フリーランスで年数の割に実績が薄いやつも地雷だな。
仮にNaoyaとタイマン対談するとなったときは前提条件の置き方次第で議論の進め方変わってくるな
双方が近い規模の事業者として業務提携するケースを想定すれば、技術者側の経営やマーケティング等への無理解はよくないのでそこはちゃんと技術者が勉強すべき
労使関係ないしは会社対個人の事業委託のようなケースなら、技術者側に必要なのはビジネス感覚というより労基まわりの知識で、事業全体の調整主体は受託側よりも委託側なので、この場合はビジネス側によりしっかりした技術への理解をもとめたいところ
食洗機、掃除ロボット、ドラム式洗濯機などの最先端家電製品を日常的に使用している家庭は、その生活水準と経済的な状況から見ても、明らかに裕福な層に属しているという
ある米市場調査機関が2022年に実施した詳細な調査によると、これら3種類の高級家電をすべて保有している世帯は、経済的に豊かであることが示されている
その具体的な数字を見ると、世帯年収の平均は1800万円、中央値では3200万円
世帯の保有資産面では平均値が約1.3億円、中央値が2.1億円
なお、2022年のアメリカにおける世帯収入は平均が1000万円、中央値が1100万円
さらに、この調査では教育水準に関する興味深いデータも提供されている
具体的には、世帯の夫婦が共に大学卒業以上の学位を持っている場合が全体の73%にも上るという結果が出ている
このことから、高い教育水準と高収入がこれら家電製品の保有率と相関していることがうかがえるという
一方で、超富裕層ではこれらの家電製品の保有率が低下する傾向にあるらしい
これは、超富裕層では高価で個別化されたサービスや製品に目を向けているためと考えられるという(人を雇ったり委託する?)
また、これらの家電製品の保有は単に経済的余裕のある証拠に留まらず、生活の質を高めるための積極的な選択とも言えるそうだ
たとえば、食洗機は食後の時間を家族と過したり、趣味や勉強に充てることを可能にする
掃除ロボットによって節約される労力は週900キロカロリーで1時間のランニングに相当する
4人家族の場合、ドラム式洗濯機によって節約される時間は週5時間にのぼる
これらの家電利用は日々の生活をより快適で効率的にし、家庭内でのストレスを減少させ、生活の質を向上させる重要な役割を担っていると考えられるとしている
加えて、これらの高級家電製品の保有は持続可能性への意識の高さを示しているらしい(???)
最新の家電製品はエネルギー効率が高く、水や電力の消費を抑える設計がされているため、環境への配慮と経済性を両立させることが可能であると考える家庭も多いそうだ
つまり、裕福な家庭では、経済的余裕だけでなく、時間の節約、生活の質の向上、環境への配慮という、より広い視野から家電製品を選択していると思われるとのこと
この調査結果は、単に家電製品の保有状況を示すだけでなく、社会経済的な地位、教育水準、生活の質、そして環境への意識など、現代社会における複数の重要な側面を反映しているという
何がなんでも明石市長を擁護するわけじゃないけど地方の役所職員なんて99%がクズだからな
マジで仕事しないし少額の横領なんて当たり前でガチでやって捕まってるのも日常茶飯事
少し頭が働く奴だと身内や仲間に仕事回してボッタクリするのも当たり前
企業と癒着して談合でニュースになるのもよく見ると思うけどあんなの本当の本当に一部
しかも彼らは悪意があってやってるわけじゃないってのが厄介で
年度の初めに予算が決められるけれどそれを使い切らないと大問題になるし
予算を削減しても税額を減らせるわけじゃ無いからモチベーションに繋がらない
おまけに何かを変えようとすると議会を通さないとダメで時間も手間も絶望レベルだし
談合だってガチの入札したら「どこも要件を満たせない」「どこも手を挙げない」っていうのが頻発して何にも進まないから
そういうのが長年続いたせいで世間の常識からはかけ離れた世界になってる
維新にしろ明石市長にしろこういうクソみたいな役所根性をぶち壊すのをまずやったわけで
建前はアーティストがひとりでつくった作品を1ページ毎に買い取ってるって形だが、
実態はアーティストがひとりで仕上げた作品を買い取るではなく、編集と暗黙の二人三脚って文化
リテイクがあるし、指示を受けて制作をしているってことで、
ひとりで仕上げた作品を1ページ毎に買い取りでリテイクとかさせないとかなら
『嫌なら売るな』で終わりでいいと思うんですけど、
だからこういうことやらかすんだと思うわ
海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
建前はアーティストがひとりでつくった作品を1ページ毎に買い取ってるって形だが、
実態はアーティストがひとりで仕上げた作品を買い取るではなく、編集と暗黙の二人三脚って文化じゃん?
リテイクがあるし、指示を受けて制作をしているってことで、
実態に合わせて、正規雇用なり準委託契約・委託契約なり、結べきなんじゃないかな
ただ、その時に排除されちゃうのが、才能はあるけど社会性皆無な人(アニメーターにもよく見られる)
会社員だったらフツーの人が有利よね、クレージーな人を無期雇用するのリスクだからなぁ
でも、現時点でも、当たりの良い使いやすい人が連載取りやすいみたい(尖った才能のある人は誰が見ても圧倒的でもない限り排除されてる)
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。