はてなキーワード: 永住とは
欧米の多文化共生・移民統合の実態はホワイトフライト・セグリゲーションン・治安悪化・文化崩壊です!
移民・難民が増えると、高所得者・高学歴者が最初に引っ越しをします。
欧米の実情を見れば、多文化共生・移民統合という考えはお花畑に過ぎません。
日本人の高所得者・高学歴者が別の都市に引っ越すJapanese-flight(ジャパニーズフライト・日本人の脱出)・セグリゲーションンが起こるでしょう!
外国人密度が高まった都市が誕生して、その外国人高密度都市の治安が悪化して、周囲の都市も影響を受けるでしょう。
コブラ養殖業者は廃業して、残ったコブラを野に放って、以前よりもコブラが増えた、というお話です。
非ヨーロッパ移民の割合が3〜4%に達したときに始まりますが、
民族の分離は
「極右」
「排外主義者」
といった烙印を押して
tinyurl.com/seiyo-no-jishi
セグリゲーション(segregation)
tinyurl.com/sumiwake
人種または民族文化が多様化しつつある地域からの白人の突然の、または長期的な大規模移住
2004年、英国国勢調査の調査によりロンドンでのホワイトフライトの証拠が示された。
2011年の国勢調査では、初めてロンドンの人口の50%未満が白人であり、
ロンドンの一部の地域では白人の人口が人口の20%未満であることがわかりました。
調査対象地域の小学校から「劇的な」ホワイトフライトが発生した(ダブリン15)。
2009年6月までに、オスロの学校の40%以上が移民の過半数を占め、
2010年1月、ノルウェー放送協会のDagsrevyenのニュース記事は、
一部の都市地区では、人種差別がすでに幼稚園で始まっています」と述べています。
記者団は、「ここ数年、茶色の学校はより茶色になり、白い学校はより白くなった」と述べ、
非ヨーロッパ移民の割合が3〜4%に達したときに始まりますが、
2018年、ガーディアンはブランプトンで発生したホワイトフライトと、
その「73%の目に見える少数民族、最大の民族グループであるインド人」のために
郊外の都市が「ブラムラデシュ」と「ブラウンタウン」と呼ばれていた方法を取り上げました。
記事はバーナビー、イーストバンクーバー、リッチモンド、サウスバンクーバー、サリーなどのグレーターバンクーバー内の
対照的に、ツワッセン、サウスサレー、ホワイトロック、ラングレーなどの大都市圏内の他の都市や近隣には、
同じように大きな白い飛び地がある
ニューサウスウェールズセカンダリープリンシパルカウンシルとウエスタンシドニー大学によると、
その州の公立学校は、
ホワイトフライトは、ニュージーランドの社会経済的十分位数の低い学校で観察されています。
2000年には60,000人のニュージーランドのヨーロッパ人学生が低位の学校(最貧地域にある)に通い、
「北欧の優等生」スウェーデンが一転、犯罪大国に 移民ギャングが暗躍
だが、近年は麻薬や銃密輸をめぐるギャング同士の抗争が激しさを増す。
今年は11月末までに、銃撃・爆破事件が合計約490件以上。
昨年は銃犯罪で63人が死亡した。
英紙フィナンシャル・タイムズによると、
2020年、人口100万人あたりの銃撃による死者数は
EU最多だった。
殺人、
爆破事件、
暴力などが
増え続け
今年の9月30日までの
爆破事件は132件
1052万人の国
警察が入れない
緊急車両が入れない
「みんなの文化を尊重」かえって溝広げた? 「多文化主義」問い直すヨーロッパ
スウェーデン政府が増加する移民犯罪に対処する為に、移民政策を変更して移民削減政策を進めています。
スウェーデン国内で麻薬取引・暴力犯罪を増加させているクルドギャングへの対策が移民規制強化する大きな動機の一つ
保護が必要な移民には一時的な保護を与える。しかし、永住許可は段階的に廃止する。
麻薬取引の覇権を巡って2つのギャングが争っている事が関係し、
犯罪急増、選挙の焦点=首相「移民の社会統合失敗」―スウェーデン
「あまりに多い移民と、あまりに足りないスウェーデン社会への統合」(アンデション首相)
「並行社会」を生み出した
tinyurl.com/tabunkakyousei
性犯罪が500%増加し、
ストーカー行為やハラスメントも6000%近く増加している事を
そして更に彼は言った。
tinyurl.com/7h8wtxkf
多文化共生は失敗した
tinyurl.com/tabunkakyousei
tinyurl.com/hk29w4a4
tinyurl.com/Detroit-America
賃金が下がっている事を
認めた。
tinyurl.com/yu5zudes
tinyurl.com/ynb6nrcd
tinyurl.com/tokutei-ginou
川口市の外国人住民は、現在約4万人と市人口の約6.7%を占めています。
tinyurl.com/233m5tvr
tinyurl.com/2n5azte2
川口市内の
tinyurl.com/5fv62ve4
殺す、殺していいと物騒な言葉が飛び交い、機動隊さえ威嚇しています。
tinyurl.com/kawaguchi-shi
tinyurl.com/y78nx32y
外国籍でも町職員に 住民の2割が外国人の町、採用の国籍条項撤廃
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住民2割が外国人の群馬県大泉町 「将来の日本の姿」で共生探る町長
tinyurl.com/gunmaken-oizumimachi
〈リトルチャイナタウン化する竹ノ塚〉足立区に住む中国人は10年間で2倍に。「家賃が安いのが魅力」「1000万円台の低価格帯物件が人気」暮らしやすさを求めて中国から移り住む人も
tinyurl.com/takenotsuka-adachiku
陰謀論にハマると、こういう明らかな嘘を信じこめるバカになってしまうんだろうけど
ただの引っ越しの話だよ?
駒込に住むか青葉台に住むかと同レベルの話に、自己肯定とか選択の正しさの確認とかあるんか?陰謀論に染まるバカって知能低すぎてどうやって日常生活送ってるのか疑問だ
海外在住者は日本にいつでも好きなだけ住めるよ?ビザいらんしマルチリンガルは日本に戻るのも就職するのもめちゃくちゃ簡単だよ?
気が向いたらバケーションとって日本で過ごすのも簡単だし日本で永住するのも簡単
なんか違うなーと思ったら気軽に引っ越すだけだよね
旅行や里帰りでまめに日本に立ち寄る人の方が多いしよく行くんだから日本の治安や住みやすさなんてよーーーーーく体感してるでしょ
英語で会話ができるようになったら短期で行く選択肢の一つに上がるって話をしてるな。
日本より稼げるってところだけ聞いて英語で日常会話も不能な奴がやってきた結果仕事にあぶれて悲惨みたいな事例が存在してる、長期、永住するもんではないって見解がネガ意見の大半。
まさしく出稼ぎ。
海外在住者、特に院留学や駐在ではない永住的な人たちって、日本に住み続けるか海外に移るかっていう非常に大きな決断をしているんだぞ。
そうなると、自分の決断が間違いではなかった、日本は最悪な国でそこから脱出して移り住めたここはもっといい場所だ、と日々確認したい気持ちでいっぱいなんだ。
だから暗数も考慮した上で日本の方が治安がいいとか、住みやすい国だなんてことは絶対に認めたくないし、それを認めるだけで自分が愚か者のように感じてしまうわけだ。
真に自己肯定感や自身の軸が強い人であれば、そういった現実のデータを受け入れた上で自分の決断を正しいと思えるのだろうが、そんなに強い人は稀だし、そんな人は海外出羽守をやったりしない。
彼/彼女達のそういった苦悩くらい、汲んでやれるくらいの人の心を持とうぜ。
https://www.quora.com/What-are-some-risks-of-marrying-a-Japanese-woman-from-Japan
・アメリカやイギリスに永住してくれるかは、難しいだろうと思ったほうがいい
・日本人女性はあんまり旅をしないが、自分の友達、食べ物、老いた親のために帰国したい、とプレッシャーをかけてくる。
・思っていることを言ってくれない。本当の思いを言っているのか、確認しないといけない。コミュニケーションが鍵。
・そうした夫婦間の関係性の空洞化が生んでいる、結婚してるのに夫は夜の店、妻は不倫、というナゾの現象
・困ったな、と思って夫婦カウンセリングを受けようと思ったがカウンセラーがオン・ザ・ジョブトレーニングしか受けてない。
・子供にインターナショナルスクールにいかせてあげられるお金がない場合は、子供が日本語しか話せず、親子で話ができなくなってしまう。すごく真面目に日本語を勉強しなければならない
・離婚後共同親権制度が存在しないため、子供に会えないまま養育費を払い続ける羽目になることも。父親の権利は離婚と同時に消滅してしまう
・結婚すると、モンスターマミーになるか、虎マミーになるか、結婚後は夫は子供に席を譲らざるを得ない、子育てと妻の今の生活を維持するためのATMマシーンにならざるを得ない
・年を重ねても美しくすごくお肌綺麗!
「日本ガー!!日本の男ガー!!」と言うわりに海外でも同じことして批判されてるやんけ!
今年の夏に転職で大阪から東京に越してきた身として、東京って街がどんだけデカいかっていうところを初めて知った。修学旅行とかでも行ったこと無かってんけど、「ぶっちゃけ大阪とそんな変わらんやろ笑」としか思ってなかったからその違いに驚いたわ。
梅田と同じぐらいの規模感の町とかゴロゴロあるし、何ならそれが特定の駅じゃなく一帯として広がってるのが凄い。局所的な地域で見ると大阪も同じくらいの栄えてる所はあるけど、東京のそれはほんまに場所というより圏とかエリアとか言ったほうがええレベルで広い。遊ぶ所もめっちゃあるし、やっぱ日本の中心はここ東京になるっていうのは疑いようの無い事実なんやなってのに気付いたわ。
ただ、そんな日本の中心の東京やけど、正直コテコテの大阪人の僕からしたらめちゃくちゃ不満に思ってる事が一つある。関東圏に永住したくないなぁとさえ思う理由、それが「何でみんなそんな冷たいん?」という話やねん。「東京の人は冷たい」みたいな話はよう聞いてたけど、まさかここまでとはなって思った話が一個あるから、それちょっと聞いてくれへん?
状況は朝、皆ダルいなぁ〜って思いながら満員の通勤電車に乗ってる時やった。俺も普通に揺られてて、会社の最寄りまで何事もなく運ばれて行っててん。ほんでその駅はあんま大きくないから、降りたらホームミッチミチなって歩くん苦労すんのよこれが。まぁそんな中で会社向かってたら、なんか目の前に変に空間空いてんのよな。「うわ、もしかして誰か吐瀉ってそれが落ちてたり?」とか嫌な予想しながら流れに身を任せて近づいたら、20代ぐらいの女性が明らかに膝抱えてうずくまってた。
いやいやいやいや!!!!!スルー!?!?!!?!?!?と思ったけど、まぁ朝やしあるか、と思って女性に「大丈夫ですか?どっか苦しかったりします?」って聞いたら「すいません、、、目眩で、、、」ってめっちゃ苦しそうな顔で言うねん。そんなんほっとかれへんやん?やからとりあえず「駅員さん呼びますわ」言うて周り見たら、さっきまでその目でこっち見てた癖にだ〜れも歩み止めへん。だ〜れも。結局すぐそこに居た駅員さん捕まえて「お姉さんしゃがみ込んではるんで来てくれませんか」言うて引き渡して終わったんやけど、いや〜冷たかったな、、、、
って話を!!!関東の同期に愚痴ったら!!!「まぁ何言われるか分からないからね〜俺もそうする、てか痴漢扱いされたらどうするの?そういうのはスルーが一番だよ。」って言われてん!!!
他の同期もうんうん言うてて、それ以降マジでこの点だけで同期との関わりをかなり減らしてる。というか、関東の人との関わりを減らしてる。満員のホームでうんざりするほど人間が居る中で、何で動いたんが僕だけやねん。大阪やったらおばちゃんが「お姉さんどないかしましたか」言うて声かけてたり、それみたおっちゃんが「姉ちゃん大丈夫か?」とか言うてるシーンまで過去見た事あるくらい当たり前に声かけが発生すんねん。もっと助けたれよ他人を。
ほんで痴漢扱いてなんやねん。普段からどんだけ他人に怯えて生きてんねん。目の前の苦しそうな人に対して声かける事さえでけへんって、お前の自尊心なんぼほど臆病やねん。断られたら恥ずかしいからって無意識に合理的な理由を持ち出してるだけやからなそれ。そら未だに山月記の話擦るわな。
てな訳で、この一件以降、目に見えて困ってる人には片っ端から声かけてる。電車でおっちゃんの行きたい電車スマホで調べたったり、明らかに重たいキャリー持ってる人のを代わりに持って降りたり、子供が泣いてたから電車で変顔したり(ただコレに関してはめっちゃスベってたし子供も引いてたから二度とできひん)、とにかく色々するようにしてる。このまま冷たい人間にならへんように。
高いビルと高いビルと高いビルがたくさんあるし、多種多様なお店もたくさんある。
でもその内の、マンションとオフィスビルは全て、あなたは入る事すらできない。
多種多様なお店も、あなたの永住の地ではなくお金を払ってせいぜい数時間いるのが関の山。
人とビルが夥しくあったところで、それらの全てはあなたには何も関係してくれない。
原宿や渋谷の活気溢れる女子学生達も、同性でも同類でもないあなたには目を合わせるのすら危険になる。
家族と一緒に住んで知り合いや友達がいるなら違うかもしれない。
無敵女子高生なら違うのかもしれない。
G&Wは、私有財産は宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民の伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:
このような神聖なものは、多くの場合、存在する唯一の重要かつ排他的な財産形態である......神聖な文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的』財産も同様である。このような社会では、私有財産の概念と聖なるものの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除の構造なのである。(p. 159)
ここで「絶対的なもの」が「私的なもの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。
この混同は、著者が宗教と私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的な定義を持ち出している:
デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たちが絶対的な私有財産について語るとき、その根底にある論理と社会的効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。
そして著者は、アマゾンの原住民と仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種、リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在の神聖な所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋の私有財産の概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。
G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである。現代の私的所有権を、超自然的存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理と社会的効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?
先住民の活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖なものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社に所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。
デュルケムの洞察の中で最も強力なもののひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるものが神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれたものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。
デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブーの起源を説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性の隔離する力は血の力であり、聖なるものの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。
デュルケムにとって、「分離」という原初的な概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女の親族は、彼女の所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり、彼女を男性との付き合いからも世間からも隔離した。彼女の隔離は、特別な儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女の身体は神聖なものであり、それに関する彼女の選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団的行為と関連して、人間の意識、言語、文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。
もしG&Wが現代の進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム的洞察が、血のように赤い黄土色が、男性に女性の肉体が神聖なものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類の進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代の考古学的説明を、いかに先取りしていたかを認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)
さて、『万物の黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたからである。
人類学を学んだことのある人なら、エスキモーのアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義を実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルをヨーロッパ後期旧石器時代の氷河期文化に適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権と権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。
この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期の天才政治家たちは、革命で得たものに永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性の反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人が支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである。
私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類学グループが狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理と酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカで進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学的理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法で権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。
G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である。狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要な儀式は、女性の月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。
コンゴの熱帯雨林では、女性たちは男性に勇気と潜在的な支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力の振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:
単一のパターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実そのものと、その結果としてのさまざまな社会的可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等の起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである。
もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。
この最後の質問は実に深いものである。しかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的な認識を深めてからでなければならない。私たちの先史時代の祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?
中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性の立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代の比喩(Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶものが確立している。このような社会における親族関係と居住のパターンは、月経と排卵、兄弟と恋人、親族関係と結婚、共同体の連帯とセックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。
このようなパターンが古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史の過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロックを説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係のパターンや結婚後の住居の多様性を理解することも重要である--これも決定的に重要なトピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。
非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性は一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンははるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカの狩猟採集民の女性は、母親のキャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係と結婚生活の間を交互に行き来する。
母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫からの圧力で住居を変え、夫とその親族と永住せざるを得なくなることもある。このような場合、子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的な支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。
これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケアが強制的なコントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀のヨーロッパと北米のウェンダットにおける処刑と拷問の光景を描写している。国王が臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長の義務をモデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダットが囚人に長時間の拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的に区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。
そうしてG&Wは、ケアと支配の区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明を見出したのである:
私たちは、ケアと支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身を自由に再創造する能力を私たちがいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり、私たちがいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要なことなのだ...。
狩猟採集民の研究やジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人の軍事指導者、拷問者、ヨーロッパの君主の経験に限定し、これらの人々の心理的葛藤を想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉に意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定の権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的に支配することを混同してしまったからだと示唆しているようだ。
これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉で提示されているだけなのだ:
外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たちが事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?
この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。
(続く……)
かなりの割合の地方自治体が立ち行かなくなるって予想が出ていて、住宅価格なんか人口考えればこれから下がる一方、もし下がらないような状況になるならそもそも現状の日本の形を保ってないわけじゃん、一輪車の上で逆立ちしてるような現状のバランスを見て永住の地を決めるって無理じゃねえかなって思うんだが、皆はその辺どういうジャッジで決めてるの?
あと食料危機や戦争の問題考えたら「土地」や「建物」を資産にするのって結構リスクあるんじゃないかなと思ってしまうんだが、どう?
ついこの前めでたく3つ上の彼女が出来てハッピーハッピーかと思いきや、
同棲→住宅探しと今後のことを考えなきゃいけないフェーズがいきなり来て戸惑いを隠せません。
彼女の住む場所までは車で片道3時間ほどの距離で、遊ぶ分には対して問題はなかったけれど、同棲することを考えると非常に困ったことに今更気づきました。
自分の住む地域は、地方都市未満のロードサイドな田舎で、看護師の彼女に来てもらうとなると、市民病院一社ぐらいしかまともな職場が見当たらない。(求人調べたら額面10万代がザラで本当に、本当に、、)
僕自身、今の会社を辞めたら他に良い働き口がないせいで将来ここに家を構えるのはかなり覚悟が必要。正直、離れたい。
仮に彼女の地域で働こうとすると、これまた大手企業なんてない田舎で働き口が非常に少ない。(前職で住んでたので身に沁みてる)
でもそうなると、二人で夢見てるワンコロ迎え入れるって目標は一体いつになっちゃうんだ!!??
転職したらすぐローンも組めなくなるし、どうすればいいんだってばよ
たすけてくれーーーーーーーー
色々試してはいるけど、ここに永住しよう、と思えるところは見つかっていない。
リアクションが豊富で、FF外でもリアクションする文化なのは楽しい。
ハッシュタグの文化があまりなく、検索機能も弱めなので(多分)、ある事柄について言及するノートを探そうとしても難しい。
費用と手間をかけて運営していただいてることには感謝しかないが、運営が変な方向に走りそうな時に是正する力が働くかは、やや不安。
中学生を描いたイラスト(非NSFW)に「ハイエース」のリアクションがたくさんついたりする空気はちょっときつい。
Misskeyのアカウントで個別のユーザーはいくつかフォローしているが、全体の雰囲気は知らない。
いま入ってるサーバーは、①なんでも話せる少人数の内輪のものと②特定ジャンルの大規模なもの複数。
なんでも話せる比較的規模の大きなところがあれば入りたいが、探しきれてない。
良さそうだが、個人運営なので、より大規模になってきた時にどうなるかの不安はある。
はてなハイクの後継。
雰囲気は良さそう。
私の環境だと、注目のキーワードを一瞬しか見ることができず、全投稿のTL的なものを眺めるしかできない。
(使い方が間違ってるのかもしれない)
Twitterの代替の地位を確立して非キラキラ系アカウントもたくさんいるようになったら、試してみたい。
(現状どうなのかはよく知らない。)
気に入ってはいる。
当たり前だが、元記事がないとコメントできず、日常的なつぶやきができないので物足りない。
増田よりは個を出したいし、はてなブログよりは気楽に書きたい。
知り合いもまだたくさん残っているので、しばらくは使い続けるつもり。
ただ、今後、サービスが悪化する気しかしないので、引越し先は確保しておきたい。
いつまで経ってもリリースされない、というネタすら古びてきた感のある幻のSNS。
※参考
元増田です。
貴重な経験を教えていただきありがとうございます。
海外移住は、海外転職とセットで考えた時期もあったのですが、今は主にFIRE(アーリーリタイア)後のオプションとして捉えています。
物価の安い地域にして生活費は投資からの収益で賄う、仕事する場合はリモート前提、ゆえに就労ビザは不要、のイメージでした。
ブコメにもあったのですが、「移住=永住」というイメージもあるんですね。言葉足らずでした。
私の感覚では取れるビザで滞在できる国に行って、いられるだけ/いたいだけ居て、想像と違ったら帰国すればいい、半永久的に滞在できる国もあるし、家具付の物件を気軽に借りられる国もあるし~という感じで。
おっしゃる通り永住したい場合は話がいろいろ変わってくるので、大変ありがたい知見でした。
記事、編集します。ありがとうございます!