はてなキーワード: ポータルとは
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北縦貫自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも落選。対立候補の官僚出身の新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設は不要として事実上のイオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端なイオンリテールがオープンした。
八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。
車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街をシャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった
しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である。2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である。
私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテやホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポでたい焼きや今川焼きをもらったり、最終営業日の店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸の中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。
話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸の中心市街地はどうなったのか。
中心市街地には地元百貨店は最近まで2店舗あったが、コロナが瀕死の経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。
さくらの百貨店は若者向けではなく、郊外CSはラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列のホームセンターのサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンはリテールとスーパーのみ。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1993年 六ヶ所村で日本原燃の再処理工場の建設が着工する。原燃PRセンターに家族で行った帰りに、父からこの工場で事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にイトーヨーカドーの郊外型CSが開店、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。
ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターはあちこちにできた。
中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダンな空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間の商業施設は20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街へ商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモールを建設しても問題はなかったと思う。
郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
GMS衰退の潮流は止められず、地方の車社会は市民は無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画の教科書的には正しいことは理解している。
しかし、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設の建設に補助金が投入された。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車でイオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。
元増田の記事と、それに対する皆様のコメントについて、議事録風に要点をまとめてみました。
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・多くの利用者が不満を抱えている
・確定申告作成コーナーをブラウザ以外で提供、自動保存機能の強化などが求められている
・年々仕様が変わるので、使い慣れない
・昔の紙の申告書の方が分かりやすかった
・紙の申告書に比べれば、大幅に楽になった
・マイナポータル連携で、ふるさと納税の寄付証明書を郵送する必要がなくなった
・慣れれば問題なく使える
e-Taxは年々改善されているものの、依然として使いにくいという意見が多い。特に、スマホアプリやマイナポータル連携に関する不満が多い。国は、これらの不満点を踏まえ、さらなる改善を進めていく必要がある。
これは本当にそう。もちろん一回知ったら問題なくはあるんだけど、最初から淀みなく出来た人っているんかな。
多くの人が確定申告期間に集中して利用するという特性や、サインアウト忘れなどの万が一で収入・控除情報が他人に見られた場合の問題などで、各個人のアカウントが作られてそこに保存するという民間のような形が難しいことはまだ理解できるが、入力データセーブファイルである.dataファイルがスマホでは読めないというクソ仕様は何とかならんもんかな。
自分も確定申告をe-Taxでやろうとしたが、自分のスマホがマイナポータルアプリに対応していない機種だったので詰んだ
勤め先の給料以外に副業で50万〜200万程度の雑収入があり、今まで確定申告が必要であると認識してなかったのだが、今年は一応理解して、過去5年分をまとめて申告&納付してみた。
「脱税で何らかの処分を食らうのかな」「やったことないからめんどくさいあ」と思って躊躇してたんだけど、大したことはなかったようだ。
https://www.e-tax.nta.go.jp/toiawase/qa/kanbenka/25.htm#tabs_2
皆様におかれましても、今年の確定申告に向けて申告書を鋭意作成中のことと思います。
すでに散々論じられていることとは思いますが、この度マイナポータル、e-Taxを使用して本当にストレスで禿げそうだったので備忘録と同様の辛さを味わう方を救いたいという目的でこれを残しておきます。
普通アプリとして存在してたらアプリ内で操作してると思うよね!残念!Sarafiでした!
通常使用するユーザーの99%はそのままログインしてしまうのでは?"アプリ内(実際はブラウザだが)"をいくら探してもQR読取りマークがみつからない。ログインする前の起動画面の下にひっそりあるので探してみてください。
これは何かの試練ですか?お年寄り文字見えないでしょ。金額入力部分もタップしずら過ぎる。こんな苦行をさせるならなぜスマホでやらせようとするのか?初めからPCのみにすればよいのでは?
freeeなどデザインもよく、見やすくわかりやすい民間のサービスが存在するのどんな気持ち?ねえどんな気持ち?
マイナポータルのログインが挟まることでアカウント上で作成されていると誤認する。また作成途中データの保存もマイナポータルのサーバー上で行われていると誤認する。保存した途中データの拡張子.dateって…ファイルの中も確認ができないため何かのジャンクファイルと誤認する。作成した人間またはこれでOKを出した人間は非常に対人スキルが低く他者目線で思考ができないか、よっぽどの推理小説好きでミスリードを誘うことに執心であると思う。
「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね
いくつかバリエーションがある
「無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」
……のような
[本]の場合に「聖書」という回答が西洋でメジャーなことから、元ネタは日本以外なのだろうとあたりをつける
調査の初手はとりあえずこれ
Desert Island Discs - Wikipedia
Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]
Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.
Desert Island Discs は、BBC Radio 4 で放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。
番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます。 無人島での生活とその選択の理由について話し合います。
このラジオ番組の存在から1942年時点で「あるあるネタ」であることは確認できる
アメリカの一コマ漫画で「無人島もの」というジャンルが存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない
普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ
『ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日に出版された
これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれた
Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]
ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段を即興で考えなければならないフィクションの文学ジャンルです。 このジャンルの名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説『ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説の成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前はジャンルを定義するために使用され、単に「無人島の物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります。
ということは、探すなら18世紀か……
一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど……
1611年頃
一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある
Uninhabited island - Wikipedia
The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]
無人島を舞台にした最初の小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界からの漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミルを文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]
こういうmeme的というか、とりとめのない雑談のあるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ
残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見できなかった
https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20
……という嘘豆知識
正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは
英wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述
The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]
「無人島」という用語は、社会的に孤立し、物質的手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます。 無人島での行動は、たとえば「無人島の道徳」などの一般的な思考実験です。
これの出典がOEDになっている
ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……
人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンルが一般に認知されている環境……であるはず
へたすりゃギリシャ神話の時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん
『オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない
そうなったら手に負えん
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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
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19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね
近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキルの知識が一般に広まったのがおそらくこの時期
その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない
いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキルの知識関係なさそうに見える……
→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん
サバイバルガイド的な本が19世紀に刊行されてないかを調べてみるか
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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見
無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ
このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。
発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い
『ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな
しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……
さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?
ケーベル博士がロシア出身で日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスのラジオ番組
20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか
本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい
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ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい
この発言の出典元文書がちょっとすぐには見つけられていないのだが
偉人の名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル
ゲーテの生没年は1749~1832
無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種のクローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ
Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島が一般に認知された?
元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする) ↓ Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した ↓ メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった ↓ さらに時代が下り、持ち込めるものはジャンル無制限になった
みたいな流れという仮説を立てれそうだが……
まあまあ、結論を急ぐことはない
まず頭に入れてほしいのが、1500✖️8✖️21=252,000円という数字だ。
これが、「時給1500円未満しか払えない会社は潰れろ」のデッドライン。
https://www.jinji.go.jp/kankoku/r5/pdf/22_5kankoku_kyuuyo_bekki.pdf
(ちゃんと令和5年のバージョンだよ。ここから https://www.jinji.go.jp/kankoku/r5/r5_top.html 持ってきました)
この表の1級10号俸172,000円が高卒新規採用の初任給。1級25号俸196,200円が大卒新規採用の初任給だ。
うむ。完全にアウトだね。
全然足りていない。
まあ時給1000円のラインは超えているから「沖縄でバイトしてた方がマシ」ではないだろうね。
でも、1500円にラインを引いたらもう議論する価値さえない。カスだ。
https://www.kyoinsaiyopr.metro.tokyo.lg.jp/environment/environment.html
初任給はどれぐらい?
なんとビックリ大学卒(2級9号給)だと254,000円で最低ラインを超えるんだ!
でもこれにはからくりがある。
まあ7時半に職場に来て16時半に帰ればいいだけではあるよね。
テストの採点ぐらい自習中に終わらせればいいし、家庭訪問なんてしなけりゃいいだけだ!自助努力が足りないのが悪い!
短大卒の場合は234,100円からのスタートなのでデッドラインを下回っている。
議論の価値なし。短大しか出てないような奴に教員になる資格なし。
そんな奴を雇う連中に教育者の資格なし。あっ、これ俺が言ってることじゃなくて「はてなーが言ってる主張を元に現状の教職員供与について考えたらこういう結論になるよね」って話だから。
俺は別に実質時給1000円未満であっても子供に勉強教えてくれる人はありがたいと感じてるよー。
さて、どうする?
もう一度言う。ゴールポストを今更動かすのはナシだよ。
君たちの考えを教えて?
PS:
サラリーマンやフリーランスで社会にぶら下がってた方が脳みそ使わないで楽ちんな日本社会で経営者やってるの立派だと思います><
最近の記事を散見するに、ニフティや東急が自由にやらせてたつもりだったのに、独立するまで実際にはできなかったことは、
「お金出してくれてる親会社の関連企業じゃない企業を応援してしまうかもしれない記事を書くこと」
いやもっというと
「お金をもらって記事を書いてるのにお金出す人の競合とかを応援宣伝してしまう記事を気づかないうちに書いちゃうこと」
なのかなあって思った。
典型的にはサラダ館の記事だ。取材前には規模は見えないが明らかに特定地方ローカルとかではなさそうで、調べてるうちに「それ東急じゃなくて小田急の関連会社です」ってなったら記事公開前に東急にお伺い立てて「書いていいっすか」みたいなご迷惑がかかっちゃう。
そういうことをしないっていうのが編集長が通したい筋だったのかなあって思う。
第五輪とは、古代から現代に至るまで、世界の支配を企てる一部のエリート層や秘密結社が用いてきた、異次元へのポータルを指す言葉です。伝説によれば、この第五輪は古代の神秘主義者たちによって発見され、その力を利用して物質界と精神界の間を行き来する手段として用いられました。
第五輪は、通常の人間の感覚では捉えることのできない高次元のエネルギーを操作することができ、それを用いて未知の知識や力を得ることができると信じられています。この異次元のポータルは、エリート層や秘密結社によって、彼らの目的達成や世界の支配を目指すための手段として、古代から秘密裏に利用されてきました。
歴史上、第五輪をめぐる多くの陰謀や伝説が語られており、その存在は常に謎に包まれてきました。一部の信奉者や陰謀論者は、第五輪を現代の政治や経済の舞台裏で活動する影の勢力が利用していると主張しています。彼らによれば、第五輪を操作することで、人々の意識や行動を操作し、世界の秩序を変えることが可能とされています。
しかし、第五輪に関する情報は極めて秘密裏に扱われており、その真偽を確かめることは困難を極めます。そのため、第五輪にまつわる謎や陰謀は今日でも多くの人々の興味を惹きつけており、その存在は歴史の闇の中で謎めいたままに残っています。
忍者が「散!」の掛け声でシュバッと解散する表現を最初にやったのはどのフィクション作品なのだろう
気になるねえ
実在した本物の忍者も「散」の掛け声を使用していた……というわけではあるまい(未調査)
うおーこれ調べるの大変だ
これ以前にもあるとは思うんだが……いわゆる忍者ものの歴史は長い、昭和中期ごろから沢山書かれている
うーん、『忍者ゲーム「散!」』というゲームが引っ掛かってしまって思うように検索が捗らない
例えば『忍法帖』シリーズなんかで「散」の掛け声を使っていたのかどうか、とか……内容ほとんど知らないからこれを機に掻い摘んで読むか見るかするのもいいか……
『忍者学大全』という本があるようだが「散」に言及あるかしら……8000円もする!流石にぽちっと買えない値段だ
角川選書から出ている『忍者の歴史』あたりを先に読んでみるのがいいか
あと、こういう初出調べにはこのまとめが役に立つ
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
ずばり「フィクション作品における忍者のイメージの変遷」みたいな先行研究がどっかにありそう
それを一本釣りできれば最高
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そういえばアニメの『忍たま乱太郎』でも「散!」の掛け声だったかどうかは忘れたけれどシュバッと解散するシーンがあったような気がするな……
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私が安楽死急進派になったのは、あるテレビ番組がきっかけだった。
そこには、親の介護のために会社を辞めざるを得ず、チューブだらけの言葉も発することができない寝たきりの親の横で「これでは結婚もできません」と苦笑いで語る30代男性の姿が映し出されていた。
私にとってその番組は非常に衝撃的なものであり、これを機に、介護のために健常者の人生が奪われてはいけないと考えるようになった。
そうして、様々な安楽死の議論を見ていくうちに次のような要件を考えるようになった。
IF 受刑者である場合: IF 要支援1 以上である場合: # 近年、刑務所では受刑者の高齢化が問題となっており刑務官が介護をしなければいけない件数が増え続けている # 裁判における長期の懲役刑や、無期懲役刑の増加が原因であり、そのしわ寄せが受刑者の介護問題に繋がっている GOTO 安楽死 IF 生活保護受給者である場合: IF 要介護1 以上である場合: # 身寄りのない要介護者は老人ホームに入れなければ生活できず、公営住宅は腐乱死体が増加している # また、そういった人が老人ホームに優先されることで、老々介護や子供が会社を辞めて介護する問題が発生してしまっている GOTO 安楽死 IF 要介護認定: IF 事前の本人同意がある場合: # 尊厳死のケースがこれに当たる GOTO 安楽死 ELSE: # 事前の本人同意が無い場合は要介護であっても安楽死はできない # 資産家の親族が遺産を増やすために安楽死させることを防ぐため PASS IF 健常者である場合: IF 本人同意 AND 3親等以内の親族7割の同意: # 健常者の場合、本人がいくら死にたいと言っても親族が同意しなければ安楽死は不可 # しかし親族も同意すれば安楽死ができるものとする。事故や病気などで苦しみが続くケースがこれに当たる GOTO 安楽死 # IF 3親等以内の親族10割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース # GOTO 安楽死 IF 本人の意識が無く回復見込みも無い場合: IF 3親等以内の親族7割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース GOTO 安楽死
この要件は端的に言えば「他人の人生を犠牲にしない限り元気に生きろ」かな。
安楽死の話において「弱者・高齢者は死ねというのか」という指摘がよくあるが、この要件では、むしろ元気な高齢者は自由に生きて欲しいと考えています。
なぜなら、労働者にとって老後はある種の希望でもあるし、定年後すぐに死ねと言われれば働く意欲を奪うことに繋がると考えているからです。
そのため、元気なうちは自分ひとりの勝手で死ぬことはできないルールになっています。死にたくなったら親族に相談しなければなりません。
あくまで介護や世話で誰かの人生の大半を費やすことがあってはいけないという思想で条件を作っています。
条件をこのように変えた方が良い、このような問題があるなどの指摘があれば歓迎します。
IkaMaru そこまで金に固執するのに、なぜ「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」まで行かないの? 自分が入っちゃうから?
こういった拡張論は一部にありますが、私はやりすぎだと思います。
「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」など、ただの恐怖政治です。
レールを外れることくらい誰しもありえることだと思いますので、そこを範囲に入れるのは反対です。
基準が拡大していくことについての指摘・懸念なら私も同意します。過去の歴史や政府への信頼度の低さから同意せざるを得ません。
ただ、だからこそ、別増田が書いていた法律論や曖昧な文章ではなく、プログラムのような条件文にしています。
こういった話は曖昧な感情論などにしておいた方が同意が得られやすいのは理解していますが、過剰な拡大を防ぐためにも基準は明確にしておくべきだと考えます。
genhou このコードだと要介護認定を受けてないと、3親等以内の親族全員が同意したら(本人の意思に関係なく)殺されてしまうじゃないか。 バグ
確かにご指摘の通りです。10割(全員同意)としていましたが、親族が少ない場合は本人が嫌がっていても殺されてしまう問題がありますね。
植物人間状態を想定しているのですから、本人の意識が無い場合に限るべきです。書き直しました。
fugunokamatari 「GOTO 安楽死」がツボる。そもそも介護離職なんてする奴は親の殺処分に同意なんてしないだろうから、増田の問題意識と解決策が全く噛み合ってないだろ。
必ずしも同意する必要はありません。上記条件文では各家庭の自主判断です。
ROYGB 自分が育てられないから子供を殺すのが異常な程度には、親の介護が出来ないから殺そうとするのは異常。極論でいくなら親などほっておいて結婚でも何でもすればいい。
税金払う額より社会保障費などを受け取る額の方が多い人間は全て「他人の人生を犠牲」にしていると言えるけどその点はどう思う?
今寝たきりになっている人間が過去にたくさん納税や寄付を行っていた場合でも安楽死させるべきだと思う?
要介護認定の人間に多額の資産があって、高給で介護者を雇っている場合は?
他人に迷惑をかけさせないことが目的なら、単に援助を打ち切ってのたれ死にさせればいいのでは?安楽死させるにも薬や医者を用意する必要があって金がかかるよ?