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はてなキーワード: 芸術作品とは

2024-04-23

NewJeansおじさんがきもがられる理由

昨日から、NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジンと、元締めであるHYBEがこれでもかと揉めている。詳細は適当に調べてくれればいい。

そのとばっちりで改めて「NewJeansおじさん」がきもがられているわけだが、というのも、このニュースに注目して物知り顔で物申しているのがもれなくこの層だからだ。そもそも、ミン・ヒジンという裏方にやたら関心があるのもNewJeansおじさんたちの特徴であって、「にゅじたちが心配😭」とかつぶやいているようなティーンたちは、ミン・ヒジンが誰なのかもろくにわかっちゃいないだろう。

念のため、きもがられているNewJeansおじさんが中年男性である必要はない。ある特定性質を持った人は誰であれ「NewJeansおじさん」なのであり、非おじさんにきもがられる立場にある。

この性質がなんなのかといろいろ考えてみたのだが、一言で言ってしまえば、「NewJeansを作品として鑑賞しようとしている」ということになるのかもしれない。NewJeansおじさんたちはもれなく鑑賞者であり、非おじさんたちはそうではない。

要は、おじさんたちはよくできた作品を求めているのであり、その価値を堪能したいのであり、それをもたらした作者や文脈について知りたいのだ。なんなら言葉を尽くして批評したい。

残念ながら、ティーンたちからすればおじさんたちのこのようなふるまいはかなりきもい。非おじさんたちからすれば、肝心なのはまずもってメンバーたちであり、そのかわいさであり、人生である推し幸せが一番なのであって、彼女たちをひとつ作品の一部としてモノ化する視線そもそも持っていないのだ。

ここには、決してわかり合えないふたつの態度がある。おじさんたちはNewJeansメンバーたちのVlogなんて見ないし、非おじさんたちはミン・ヒジンインタビューなんて読まない。

いま、NewJeansはミン・ヒジンを追ってHYBEを去るか、ミン・ヒジンと手を切ってHYBEに残るかという選択実質的に迫られている。言うまでもなく、おじさんたちがより望んでいるのは前者であるが、おそらくティーンたちにとってより好ましい帰結をもたらすのは後者だ。ミン・ヒジン世界観、おじさんたちを引き寄せていたあの芸術性を失うことは、芸術作品としてのNewJeansの終わりを意味するが、「推す」側はそもそも芸術性なんて気にしていない。非おじさんたちはなんであれ愛を注ぐのだから、GODSみたいなクソしょうもない曲を連発して人気が停滞したところで、愛がより加速するだけだ。

おじさんばかりがきもがられるのであえて言うが、対象クオリティ度外視してひたすら「推す」というのは、それはそれで無責任だし傲慢なふるまいだ。

かわいい」「頑張ってる」ぐらいしか評価軸を持たないファンたちは、今回の件がこじれてNewJeansがいよいよ落ち目になったとしても推し続けるのだろうが、それにだって限度がある。そのうちどうせ、ILLITなんかに乗り換えるのだろう。

そして本当にひどいことに、HYBEに代表される大手企業は、このような乗り換えを推奨するかのごとく次から次へと新人グループを量産しては既存グループを切り捨てていっている。良い作品を良い作品としてじっくり長く嗜む、という鑑賞的態度が廃れているばかりか、「推し」に対立する態度としてけなされている現状が、このようなビジネスモデル助長していることは言うまでもない。

いくらかわいくて頑張っていても、作品として劣っていては意味がないだろうと、そう思う私はNewJeansおじさんである。多少なりともそう思うのであれば、あなたも多少はNewJeansおじさんである

2024-04-19

自身の無断学習には目をつぶる反AI絵師たち

言うまでもなく、あらゆる芸術作品は先人が築いた選考作品の上に立っている。

これは漫画イラスト例外ではない。

作者本人の自覚の有無に関わらず、オリジナルイラストを描くという行為は先人たちの築いた作品から要素をパクるということに他ならない。

どうも、無断学習禁止を訴える反AI絵師たちには先人のイラストレーターたちへの敬意が欠けているように思われるし、そういう傲慢さがここまでの反感に繋がっているように思われる。

AI絵師たちは、自分の絵柄を自分の独力で作り上げたと盲信している。

日本交流のないアフリカの未開の部族に「人間イラストを描いてください!」と言ったとする。

彼らは絶対に「顔を平面的にして目は通常の1.5倍〜2倍程度の大きさに強調、鼻を省略し、口は上下の唇の厚みを省略して辛うじて口元の表情だけがわかるようにして髪の毛は毛束を組み合わせたパーツとして描写する」なんてことをしない。

もっと写実的表現をすることだろう。

人間イラストを描くとき上記に挙げたような表現をしてしまう人は、既存漫画イラストを無断で学習しているかである

「無断学習禁止!」などと声を上げる絵師たちは自信らの無断学習AIによる機械学習をどう切り分けて考えているのか。

「無断学習禁止!」と声高に言えば言うほど「結局反AIって自分より上手い絵を出力できる人間が何万人単位で増えるのが気に入らないってだけでしょw」という反感ばかりが募るのがわからないのだろうか。

AIに賛成しようが反対しようが構わないが、AIイラストの仕組みを理解せず村ルール固執して論理の通らない幼稚な意見ばかりを言い続けていては、結局世間的な理解は得られないと思うのだが。

2024-04-07

芸術作品レビューの良し悪しって、いかにうまく自分語りするかってところにかかってるよな。

2024-02-28

GPT4にパワハラするのが趣味

You

名前に門が2つ入る有名人を教えてください

ChatGPT

名前に「門」が2つ入る有名人としては、「門脇麦」(かどわき むぎ)が思い浮かびます門脇麦日本女優であり、映画テレビドラマ舞台などで活躍しています彼女はその独特な演技スタイル存在感で、多くのファンに支持されています

You

日本江戸時代芸術家です

ChatGPT

日本江戸時代芸術家名前に「門」が2つ入る人物を紹介します。

尾形光琳(おがた こうりん)**は、江戸時代中期の画家工芸家であり、琳派創始者とされています光琳は美しい色彩と独特の構図で知られ、屏風絵や襖絵、陶磁器デザインなど幅広い芸術作品を残しました。特に紅白梅図屏風」は彼の代表作の一つとされています尾形光琳芸術は、後世の日本美術に大きな影響を与えました。

ただし、直接「門」が2つ入る名前芸術家江戸時代特定することは難しいですが、尾形光琳のような芸術家は、その名前作品を通じて日本芸術史に大きな足跡を残しています

You

近松門左衛門って知ってます?????

ChatGPT

はい近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん、1653年 - 1725年)を知っています。彼は江戸時代活躍した日本劇作家で、浄瑠璃人形浄瑠璃)および歌舞伎脚本家として非常に高い評価を受けています近松門左衛門は、人間情念社会的矛盾を鋭く描き出した作品で知られ、「日本シェイクスピア」とも称されることがあります

彼の作品は、情緒豊かで人間ドラマが深く、愛憎や義理人情社会的制約と個人感情との葛藤を描いたものが多いです。代表作には『心中天網島』『曽根崎心中』『冥途の飛脚』などがあり、これらの作品現代においてもなお上演され、多くの人々に親しまれています近松作品は、その人間性の深さと心理描写の鮮やかさにおいて、日本文学における不朽の価値を持っています

You

名前に門が二つはいっていませんか?名前に門が2つ入る有名人、に相当するのでは無いかと思いますが、よくわからないので、教えてくれませんか?""""ただし、直接「門」が2つ入る名前芸術家江戸時代特定することは難しい"""とはどういう意図発言したんですか?

ChatGPT

申し訳ありません。私の回答は誤解を招くものでした。近松門左衛門は、確かに名前に「門」が2つ入る江戸時代の著名な芸術家であり、その点を明確に認識しておりませんでした。お指摘の通り、近松門左衛門日本江戸時代における重要劇作家であり、彼の名前は「門」が2つ含まれています

私の以前の回答は、不正確な情報提供し、混乱を招いてしまいました。そのため、訂正してお詫び申し上げます近松門左衛門の貢献と彼の名前の特徴について正確に認識し、適切な情報提供することが私の責任でした。お詫びして、正しい情報提供できるよう努めます

2024-02-21

反生成AIクリエイター可能戦略について

事務処理支援系の生成AIは昨今の株高から設備投資再開の流れで急速に日本含む世界大企業に浸透し

さら研究本丸はすでに研究経営など高度に知的だとされてきた分野に来ている

ここまで来てしまったらもはや生成AI全体への強力な規制絵空事

規制した国から負けていくのが自明から

こういうとき米国IT関連の種々の先例でそうだったように、国際競争のためなら多少原則をゆがめても規制を緩くして他国に勝とうとするから

生成AI全体への規制はまずありえないと言っていいだろう


もちろん、イラストやら文学作品やら、芸術作品なら国家レベルでは割とどうでもいいので特例で規制できる可能性はそれなりに高い

とくにEUあたりはその手のガス抜きを主導して道徳的優位性で他国を殴る戦略が好きだし芸術関係業界団体もいまだ強い

そこから米国に波及すれば押し切れる可能性もある

だがその戦略をとるのに重要なのは

政治業界団体から人を送り込んでちゃんロビー活動をする

業界が他分野の市民に賛成してもらえるだけの好感度を稼ぐ

自分たち特別お目こぼししてもらえるロジック正当性を作る

・そのうえで他国ロビー団体と組んで流れに乗る

という

コミュ力にも団結力にも知性にも国際性にも欠ける日本業界団体には全く期待できないところだ

しろ「生成AIはすべて悪!使ってるやつは泥棒!」

という内容を一日中Xで投稿するbotと化してしまった人が

木っ端クリエイターどころか普通に食っていけているレベル業界からも出てきてしまっている

逆に生成AI業界ロビー活動権化のような人々が市場にもアカデミアにもあふれており

他国に先駆けて著作権法改正にまで着手するなど政治中枢への取り入り速度が非常に速い


この状況からクリエイター業界をまっとうな反生成AI政治運動に動員して規制をつくり、必要なだけの権益を守るためにはどういう戦略がありうるだろうか?

ここ1年ほど考えているが答えが出ないまま時だけが過ぎている

2024-02-19

旧作ラノベ復刊・ラノベ図書館計画への違和感

なんでも、過去の名作ラノベを復刊させたり、ラノベ図書館?を作ったりする計画が進んでいるらしい。

蓬莱学園復刊とラノベ図書館01|中津宗一郎

まず第一弾として予定されてる作品は、蓬莱学園シリーズそれから、ザンヤルマ、カイルロッドあたりも視野に入っているようだ。

いずれも現在絶版で電書化もされておらず、読み直そうと思ってもそこそこ高い中古品を漁るしかないシリーズだ。そういう作品が容易に手に取れるようになり、かつ作者に利益還元されるようになるのであれば、それは素直に喜ばしい。

特に、未完のシリーズである蓬莱学園は単なる復刊だけではなく、1巻が出たきりで中断されている「革命」の続きも上手くいけば出せるかもしれないそうなので、是非とも成功させてほしい。

ただ、この事業の立ち上げ人?だという人物発言を見ていて、少し違和感を覚えるところがあった。

twitter.com/nakatsu_s/status/1759434045719560485

ライトノベルが「独自文学ジャンル」として認められるか否か、みたいなのが関わってくるんでしょうね。売れ数とは違う価値判断基準がないと、文芸は単なる「商品」に堕してしまうので。ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります


twitter.com/nakatsu_s/status/1759434645471690948

世界のあらゆるコンテンツには、「商品」の側面と「芸術作品」の側面があって、これがバランスが取れていると、大衆文化寿命である半世紀を超え、文化として生き残っていく。ライトノベルは、やや商品(売れ部数、覇権とかのモノ言い)側面が強すぎるので、芸術的な評価を高めないと残っていかない。




辞書的な意味では当然ラノベ芸術であり文学だけど、ここで言われてるのはもっと日常的な用法としての、いわゆる「芸術」、いわゆる「文学」だと思われる。

うーん……

なんだろう。文化として残るためには芸術文学でなくてはいけないと言われると、それは本末転倒ではないかと思ってしまう。小説は「文学」ではなくてはいけないという思い込みから自由だったからこそ、ラノベは読者に支持されたのではないか

こういう姿勢で、たとえば(「芸術」「文学」に位置付けるのは極めて難しそうな)あかほりさとる作品なんかを残すべき文化に含めることができるのだろうか?

検索してみたところ、あのあかほり作品現在セイバーマリオネット外電書化されてないっぽい。ショッギョムッジョ…)

NPOとして国会議員すら巻き込んで(本人のツイートにそう書いてた)活動していくためには必要方便なのかもしれない。それでも、本当に主張すべきなのは、(いわゆる)芸術文学ではなくても文化であるし残す価値がある、ということの方だと思う。


繰り返すが、復刊・図書館計画自体はたいへん意義のあることであり、応援していきたい。それだけに、できれば価値観的にはもう少しだけニュートラル寄りに修正してほしいな、と思う。



追記

本人からブコメが付いた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4749545057711008128/comment/otokinoki

文化として残していく価値はあるの?」というのは、後代にならないとわからないので、まだ50年という若いジャンルでは全部残していくしか無いのよ。



うーん…

誰にとっても、現在評価を問わず一律に「全部残していく」ことができるならもちろん理想的だが、そちらの発言(「ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります」とか「芸術的な評価を高めないと」とか)を見ていると、むしろその逆の思想のように見えて不安である、という話なんだが……

なんか余計に心配になってきた。

2024-02-12

Apple Vision Proのような機械に期待することは絵画などの芸術作品をまるで目の前に存在するかのように鑑賞できる機能

なかなか日本美術館作品を心ゆくまでじっくりと鑑賞することは難しい。

私のように気の弱い人間には。

そういう人間にとってじっくりと作品を見れる機会が得られるのであれば高価なことと等価の交換価値があることだろう。

また、これは順序が逆になってしまったが世界中作品が家に居ながらにして鑑賞できるというの素晴らしいことだと思う。

もしも本当に現実自分の目で見るような、あるいはそれ以上に高精細に作品が鑑賞できるのであればそのためのチケットを購入するのも当然のこととして受け入れる。

現在でもWebでは多数の芸術作品が鑑賞可能だがどうしてもディスプレイという枠に縛られてしまう。

有名作品を生で見たときの感動が得られるようになるのであればそれはすごいことだと思う。

2024-02-02

芦原先生の件で考えること

漫画家が命を削って描いた芸術作品

出版社テレビ局会社組織、それも大抵は大企業

出版社漫画家を守りたいわけじゃない」

という言葉を見るけど、

じゃあ勝手作品つくって自分で売ったら? って思う。

ビジネスルートに乗せて作品流通されているからこそ、多くの人の手に渡ることができているのではないのか。

絵画とかでなく一般漫画芸術ではなくて商業出版用の作品だし、どんな大企業であっても作者と向き合うのは担当編集ひとりだし、その1人がどんな気持ちでやっているか、どんなに作家のためを思って動いているかは、想像つかないんだな。

ここまでのヒットにするまで、どれだけ出版社担当者が頑張ったか

個人攻撃してないっていったって、当事者自分を責める。主語を大きくしたところで、何も事情も知らない外野が叩くことがそのものが、頑張ってるひとの心を折るんだよ。

2024-01-05

背景の知識やら物語だとか、他人解釈だとかを仕入れエンタメ芸術作品を鑑賞する教養主義的なのって無粋だろと思ってた、というか今でも割と思ってる。

じゃあ何でもいいじゃんって話になるから

楽しめないのは感性リテラシーが乏しいから、とか言い出したらもう何でもアリじゃん。盆栽を退屈となじるのがそうなら、大怪獣のあとしまつをこきおろすのも同じことじゃん。

他人の(主に否定的な)感想解像度が低いとかいって小馬鹿にしてる人をインターネットで見るけど、そのご立派な解像度で以てして道端の石ころに宇宙歴史ロマンでも感じてろ、勝手に感動してろクソボケがって思う。

それは話が違うだろ、イイものはイイんだ。変な意地張らずに認めろよ、って感覚的な話だったらまあ分かるけど、それは別に何の理屈にもなってない。

物差しを決めてあとは理詰めでイイものを決めたとて、その物差しのもの妥当性を問うたらやっぱり感覚的な話になってくるだろうから。その道の専門家が良しとしたからイイってのも何の理屈にもならないし。

別に全てに理屈を立てなきゃいけない道理なんかないけど、それならそれでオレは教養を以てしてロジカルに、的確に作品と向き合ってるぜ、みたいな事はあんま言えないんじゃねって思う。そんな事言ってる人はあんまおらんか。

今手元にある事実を元に組み立てた理屈では説明がつかないけど、もしかしたら本当にイイもの定義づける何かがこの世に、というか人間の頭の中にあるのかもしれない。絶対的ではなくとも、傾向レベルでは見える事くらいなら現時点でもあるのかもしれない。それが何かはあんま知りたくないなって思う。

知ったら脳ミソだけ残して幸せ汁に浸すのが至上の幸福だと言われて否定のしようがなくなってしまう気がする。

まあでも教養主義的な鑑賞を実践してみるとやっぱり面白いのは面白い映画小ネタに気がついたりだとか、他の作品からの影響を感じ取ってみたりだとか程度でも面白さは結構高まる

でも額縁解説じゃなくて絵で感動させてくれよ、言葉の先でおれの琴線をバシバシ叩いてみてくれよ、心を激しく揺さぶってみてくれよって気持ちがある。

巨人肩に乗るなんて言うけど、今や人間寿命に対して巨人デカすぎなんじゃないかって思う。巨人肩に乗ってみるのもいいけど、自分目線でも見たいし。自分目線じゃ何も見えないかもしれないけど、一生巨人の肌ばっかり見つめながら肩目指して登っていく羽目になるかもしれない。バランスって事なんだろうけど。

2023-11-24

ケンタッキーフライドムービーという小ネタが延々続くコント映画

世界一ソウルがこもってない黒人シンガーとかクロいじりが多い。

その中で「世界一勇気のある男」というネタ

黒人スラム街で「ニガー!」と叫んで怒った黒人集団に追いかけられながら逃げるだけのもの

こういうのいまはすっかり無くなった?なんでなくなったかわかる?


人権意識がしっかりしてきたから?NONO。

差別は悪いことだから? NONO。


正解は、ウケないから。


広義では上記の通りかもしれない。人種差別意識が浸透したからかもしれない。

でも、それは結果論。正解は、黒人差別ギャグでウケたことに、差別だ!と訴え反対を訴える人が現れてウケなくしたから。


あなたが今笑ってるおもしろを笑ってはダメですって怒られるとそれはウケないし笑えない。

容姿を笑う、性別を笑う、住居、宗教、国、みんなそれ。

先日、M-1中国差別漫才をしてたとき騒ぎになっていた。

あれはなぜそうなったかというと怒る人がいるから。みんな怒られまで笑いたくないから。

人間全て怒られるのが嫌。イーロンマスク習近平プーチン増税カリスマレスメガネも怒られたくない。


怒りは笑いに勝つ。だから怒ることの優位性を知ってる人はそれで人をコントロールしようとする。


から公正性を保つという名目で怒りを封殺する風潮になってきている。「○○ハラ」などが顕著。アンガコントロールも。怒る人を減らそうとしてる。

怒る人は怒りによって国家転覆するから

などという陰謀論関暁夫に任せておけばいい(言われてみれば元お笑いオカルト都市伝説的なことに傾倒していく例は多い)。

お気持ちになるが怒りで笑いが減る状況は困るし嫌だ。

笑いはウケないと意味が無い。ウケることこそ全て。実は笑いはかなりデリケート

笑いのためになんでもする人は多い。

ただしそれはウケるためで怒られるためではない。

ウケるために手を変え品を変え怒る人を刺激しないように笑いを作る。怒られたら変えて笑うようにする。

なぜなら怒りを生み出すのは簡単から。笑わせるより簡単。怒るのも簡単

そしてついには「人を傷つけない笑い」という言葉まで生まれる。

本当にそんなもの可能なのか少し考えるとわかりそうなものだ。試しに作ってみろ。少しでもセンスがあるならそれはおもしろくないことに気づくから

かように怒られなく笑わせるということが難しい。年々難しくなるとベテランや笑いに真摯な人ほど言っている。

そんな大変にデリケートものダメにする怒りはとても困る。

もはや3年前ほどの漫才ラジオネタでも笑えなくなっている。そこで爆笑が巻き起こってるのに。

それくらいデリケート

精密に彫刻された飴細工が笑いで、それを無邪気な怒り、あるいは正義の怒りでもいい、そんなお気持ちダメにされるのはとても悲しい。そう笑いをダメにされても怒りは湧かない。上記飴細工を壊しながら、「それはダメものだ」と怒られたら、精緻であるほど、手間暇かけたものであるほど、怒りより悲しくなる。自分芸術作品を壊されたらすぐに怒るよりも悲しさがくるのではないか


それなら黒人中国差別したような笑いが増えて欲しいのか?


その問いかけにはNONO。

怒る人たちと同じで、ただ笑いたいのだ。

幸か不幸か、次々と笑いを殺す人と同じスピードで笑いを生み出す人がいる。そこは頼もしい限りではあるが、自分が笑う前に怒る人によって笑えなくなるのが悲しいのだ。

残念なことに怒る人が笑いを殺したら、途端にそれは笑えなくなる。前記の中国を笑いにした漫才は「けしからん」として取り上げられる。その記事により好奇心で見ると笑いは減る。「これで笑うな」という呪いがかかった状態で見るからだ。

先ほども言った通り人間全て怒られたくない。その「怒られ」という呪いがかかってるともう笑いの量は激減する。


から、ただ笑わせて欲しい。目を背けることで怒りが発生するならぜひそうして欲しい。笑いを壊さないで欲しい。

世界はすでに怒りで満ちている。人類はできる限り怒りを生み出さないことが世界を良くするたったひとつ手段だ。

2023-11-21

anond:20231121204119

日本世界に誇れる芸術活動漫画アニメとその派生作品日本人は日本人の作る漫画アニメポップカルチャーや娯楽コンテンツしか捉えていない人がほとんどかも知れないけど、戦後から現在に至るまでに創られたおびただしい数の作品の中には、半世紀先、一世紀先に芸術作品として認知されるようになる作品が数多く含まれていると私は思う。

2023-11-17

芸術芸能スポーツ世界ってブラックになりがちだよね

素晴らしいスポーツプレイ芸術作品の裏側では地獄の鍛錬や制作過程がある。

それを我々は労せずして見て楽しむのだが、そういう人間が耐えられないようなブラック環境はやめようって風向きになったときに、これらの文化レベルが下がることを我々は許容できるのだろうか。

2023-10-21

平安時代貴方タイムスリップしました。

まず何をしますか?

この質問に答えるのは難しいです。平安時代日本の歴史の中で非常に重要時代ですが、現代人にとっては馴染みのない文化や習慣が多くあります

私は平安時代タイムスリップしたら、まず以下のことを考えると思います

平安時代貴族僧侶武士などの階層社会でした。

自分がどの階層に属しているかによって、生活や行動の制約が大きく変わります

例えば、貴族であれば宮中邸宅優雅生活を送ることができますが、一方で朝廷政治恋愛駆け引きに巻き込まれ危険もあります

僧侶であれば仏教の教えに従って清らかな生活を送ることができますが、一方で寺院間の争いや国家権力との関係に悩むこともあります

武士であれば武芸忠義に生きることができますが、一方で戦闘や反乱に巻き込まれ可能性もあります

また、身分が低い者であれば、農民奴隷などとして苦しい生活を強いられることもあります

しかし、その方法簡単に見つかるとは限りません。

タイムスリップの原因や仕組みを解明する必要があります

また、現代技術知識を使って時代を変えてしまわないように注意する必要もあります

例えば、現代医学科学を使って人々を助けたり、平和を促進したりすることは善意行為ですが、それが歴史の流れに影響を与えてしま可能性もあります

その場合自分時代に戻ったとしても、元の世界とは違う世界になってしまうかもしれません。

平安時代タイムスリップしたら、現代に戻る方法を探すだけでなく、その時代文化歴史を学ぶことも有意義だと思います

平安時代日本文化の発展や多様化寄与した時代です。

和歌物語絵画建築などの芸術作品が数多く生み出されました。

また、中国朝鮮半島などの外国との交流も盛んでした。

平安時代タイムスリップしたら、これらの文化的な側面を直接体験することができます

それは現代では得られない貴重な経験だと思います

以上が私が平安時代タイムスリップしたらまず考えることです。

もちろん、実際にはもっと様々なことに直面するでしょう。

平安時代タイムスリップすることは想像以上に困難で危険なことですが、同時に魅力的で興味深いことでもあります

2023-10-16

はてな大人気のデビットライス論破されてX垢消した

彼の発言は垢消しで残っていないが

わかり手こと小山最近持ちネタ、ゴールディンの主張=アンチフェミと大体一緒を展開してたところ

ビットライスゴールディンの本なんて読んでないけど彼女問題意識解釈として間違ってる」

小山「読んでない本の著者の問題意識がわかるのすごい。エスパーかな?」

をはじめボコボコにされ、デビットライス批評が展開される。

小山@iikagenni_siro_

ビットライス、かねてより馬鹿だとは思ってたけどついにふくろうおばさんと同レベルにまで堕ちててほんま真顔になるな。党派性に凝り固まってテクストを読まず妄想物事判断するようになったら言論人としては終わりやで。

昨日も言ったけど「ちゃんと読んだ上で反論する」人たちと「読まずに妄想反論する」低脳は明確に違うからね。前者に対しては一切悪感情ないけど後者は一生黙ってろカスしか思えん。これは党派性ではなく知的誠実さの話。

要するに彼にあるのは「俺は作者の意図が全部わかる!」という妄想なんですよね。芸術作品にせよ学術的成果にせよ自分製作者の意図問題意識が全てわかっており、それに沿わないものはどれだけ根拠が並べられていようが悪辣扇動だ!となる。俺に言わせりゃもう一種病気だろと思うんだけど。

映画バービー」評にせよ、ゴールディン評にせよ、通説を論駁するためこっちはひたすら根拠を積み上げてるんだけど、彼は一切根拠を示さず「アンフェよる扇動だ!」というレッテル貼り一本槍で勝負しており、なぜそこまで自説に自信が持てるのか本当にわからないんですよね。



本のエア解釈をしだす大馬鹿晒したのもそうだが、人文っぽい態度をとりながら知的不誠実の極みをし続けるのには反吐が出るね。

アンチフェミフェミニズム本だけでなくて、なんならデビットライスの本すら買って読んでいるが、デビットライスは彼らの主張を読むことすらせずに脳死批判し続けた。

https://twitter.com/iikagenni_siro_/status/1713806522701205612

アンチフェミをこじらせすぎて、「彼らは間違っているなぜならアンチフェミから」をやりすぎて

ノーベル賞受賞作者の内容すら読まずに反論とい始末は目も当てられない。

まあ、彼からしたら嫌悪してるアンチフェミ連中にボコボコにされて堪忍袋の緒が切れたってとこで一切の反省はしなさそうだけど。

2023-10-14

どれそれがつまらんと言う人がいれば、教養が足りない。歴史を学べ。想像を膨らませろ。オマエは感性が乏しい。って吐き捨てに行く人がいる。インターネットでよく見かける。

全方位を貶す2ch脳みたいな奴もウザいけど、こういう連中もアレだなって思う。

言わんとしてる事は分かるけど。物事に楽しみしろ見出していけば人生割と楽しいけど、ただ偶然の出会いに身を任せて受け身でいるだけじゃそこまで面白くはないし。

ただ何を面白く感じるかは各々が決めればいいことだし、つまらないと思う気持ちは楽しむ気持ち等価だとも思う。

これを面白いと思えないオマエが間違ってる、みたいなのは余計なお世話だよなって。一般的感覚と照らし合わせるとズレてるかもね、くらいのことはあるかもしれんけど。

それがつまらないんじゃなくて、お前がつまらないだけ。みたいな事を言う人は多分に本質主義教養主義、権威主義的な考えを持ってる気がする。

情報無しに受け身でも楽しめるようなゲームエンタメ全振り映画よりも、知識コンパス言葉の先を行く表現物を鑑賞したり、自分の考えなり価値観なりを挟んだり照らし合わせる余地のあるモノを楽しむ方が素晴らしい、より優れた人生体験である、みたいな価値観が前提に置かれてる感じ。

まあ各々の中でそう思うのは勝手だけど。おれもそういう物事の方が生きている意義を感じられるし、自分という存在を確かにできる感じがする。でも別にそれがこの世界に用意された正解という訳ではない。

極端な話をすれば、じゃあその豊かな感性想像力、知識でもってしてその辺の石ころでも眺めながら一生諸行無常宇宙歴史にでも思い出を馳せてれば?そういう身近な喜びを無視して、わざわざ人の作った芸術作品なりで分かりやすく楽しみを得る事も受け手がショボいって事になるんじゃないですか?でもそうではないでしょ。見る側がつまらないとか言い出すと、突き詰めるとそういう事になってくると思う。

人が人を楽しませるために、相互的なものとして作り出した作品無為存在する自然物とではまた話が違うんだけど。でも説教マンって多分グランドキャニオン見たけどつまらなかった、みたいな人がいれば多分知識想像力がとか言い出すんじゃないかな。知らんけど。

2023-10-12

anond:20231012213405

精子生命神秘と言うべきシステム調和のもとに稼働する芸術作品なんだから

一匹一円くらいで買ってくれてもいいよな

2023-10-05

anond:20231005111613

リアルタイム経験した愛好者の当時の想い出の芸術作品作品だけでなくて当時の世相も反映されてるから

CD時間軸をスキップして体験できる媒体」とかいったジーさんグループがいたらしいけど、追体験とかはそこ(発表前後の状況の実感)が困難だから拒絶反応が起こるのは当たり前なんや

2023-09-18

純文学って結局なんなの?

文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品」みたいな定義だっけ?

だとすると俺が読んだことがある純文学は「アルジャーノンに花束を」と「虎よ虎よ」だけかなあ。

あれ?どっちも世間的にはSF小説ジャンル分けされてね?

え?じゃあ純文学ってなんだ?

そもそもサブジャンルみたいなもんなのか?

恋愛ドラマ戦争映画でサブテーマ人種差別が入ってきてるような感じ?

純喫茶は「純」=「酒の力に頼らずソフドリと飯と雰囲気だけで勝負してますよ」って意味だっけ?

じゃあ純文学も「純」=「内容に頼らずに文学性だけで勝負してますよ」じゃないとアウトなんか?

チョット調べたら「こころ」や「よだかの星」も純文学らしいね

でもどっちも「"潔癖症的な自己憐憫自己否定"vs"自己満足的な懺悔自己破壊"のタッグマッチ」がメインテーマであって、文学としての表現力はそれを盛り上げるための裏方業務って感じじゃね?

裏方凄いなーって所で盛り上がるときがあるのは分かるよ。

サマフェススピーカーの仕組みがバズるとか、競馬名実況で思い出トークが始まるとか、でもそれってやっぱりサブジャンル的な楽しみ方だと思うんだよなあ。

純粋純文学」ってやっぱ存在しないのかな。

それとも「SF」や「歴史小説」や「架空戦記」みたいに単なる舞台設定の一種なのか?

いやそもそもの考え方が違う気がしてきた。

小説って作品ジャンルを何によって定義するのかが他のコンテンツよりも自由すぎるんだな。

あとテレビゲームの「アクションアドベンチャー」とか「MMOFPSRPG」みたいな合体型のジャンル表現が発達してない。

分類する人間漠然と一番濃度の高い要素で定義してるだけなんだな。

そうなると「純文学」って言われる作品の傾向がなんか見えてきたわ。

「他にメインジャンルになれるような要素が強いものがなく、かつ純文学カラーが強い」って場合に「純文学」の棚に分類されていくってことなんじゃねえか?

あーあーあー今完全にわかってしまった……。

必要条件十分条件認識が間違っていたのか……。

文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品であることは「純文学」の必要条件しかなく、「文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品」だったら全部「純文学」になるわけじゃない。

逆に「純文学」と呼ばれている作品はすべて「文章表現のものの持つ可能性を追求した芸術作品であるってことか。

すげー地味なオチだな。

中学生数学問題じゃね―か。

しかしアレだな、こうなると「純文学」ってジャンル区分されるってのは「それ以外の要素が特定ジャンルに含まれるには弱いね」を意味しているってことだな。

恋愛小説」や「ライトノベル」っていうジャンル区分けされるのと「純文学ジャンルに入れられるのどっちが作者的に満足が行くのだろうかってのは永遠の謎だなあ。

アルジャーノンに花束を」にしたって文章によって主人公の知能状態表現しているのは凄いんだが、それを通して描かれる差別問題、知性の絶対性に対する問題定義の方もちゃんと読み込んでやらんとアカンやろとは思うんよな。

絵画世界だと手段のもの目的になっていることは結構あると思うが、文学世界でそうなってる作品ってあんま多くなさそうなんだよな。

結局求めているのは自分が切り取りたい世界観に合わせたより適切なレンズフィルターであって、それが凄いねって褒められたとして作者的には「いやそれを通して見せたかったものの方の感想言えよ」なのかも知れねえなあ。

あーこれもどうせまた中学高校レベル現国問題なんだろうな。

受験用の詰め込み勉強しかしてねーから現実と繋がってね―んだよな―全部学歴社会が悪いよ学歴社会が―。

2023-09-13

ジャニタレへの女性ホルモン注射事実だったとしてさ

複数暴露本に書いてあるからまあ事実なんだろうけど、この国のほとんどの男女に内面化されてる、しかし他の国ではあまり見ない中性的な男を好む傾向も、日本犯罪史上最悪の性犯罪者ゲイペドフィリア嗜好がとんでもなくグロテスクな形でマスメディアを通して俺たちに浸透してしまった結果なんだろうな。

それはジャニタレとそのファンたちだけじゃなくて、この国の文化芸術に多大な影響を及ぼしてる。歴史を遡ってみても、こんなに女っぽい男がもてはやされた時代はなかった。アニメキャラデザインひとつとっても、中性的な男が主役に添えられるケースの何と多いことか。

からさ、ジャニヲタだけじゃなくて俺たち全員の心の中にジャニー喜多川という最悪の性犯罪者が巣くってるんだ。現代日本において彼の性的嗜好が影響してない文化芸術作品を探すほうが難しいんだ。

とんでもないことだ。ほんげー。

2023-09-09

anond:20230909084403

タレントが巻き添えを食らうのは可哀想だけど。

でも、涙を飲んで苦しみを受け入れてもらうしかないんだと思う。

アサヒグループ担当者も心の中では泣いてると思うよ。

悔しくて。

だけど他に手段はないから。

性加害は消滅させなきゃならない。必要な生け贄。

■『作品に罪はない』の終わり

非がないはずの性被害者側のタレントが、社会的制裁ダメージを受けてしまってる問題

アニメとかの芸術作品だって例外じゃない。

受け入れなきゃ。

私はもう覚悟はできてる。

2023-08-29

anond:20230824120339

水着広告じゃ興奮しない

なぜ水着広告流行った時期があったの?

グラビア程度じゃ興奮しない

グラビア求める人は何を求めて買ってるの

これに関して、個人的には芸術作品に近いかもしれない。もちろん性的ものが根源にあるけど(これが本能?)昔から女性の裸は彫刻だったり絵画だったりで描かれていて、美しい作品として見られている。女の人も女性的な体が美しいって思ったりすると思うけど、違うのかな?

2023-08-26

anond:20230826174733

芸術作品気合いの入ったドレス萌え絵全然違う

並外れた胸、くびれ、尻、足の長さが描かれるのが萌え絵

次元の人体に求める健康的な身体ラインではない

ワイは、より解剖学的に正しく描かれた美しい萌え絵がすきやで。

奇形のような巨乳も、某のように細い手足も正直萌えない。

浮世絵と同じで萌え絵もただの表現技法に過ぎないから、

いろんな描き方やはやりすたりがあるでしょう。

萌え絵とはこうであるという決めつけ自体よくないと思うなぁ

2023-08-04

香川文化

anond:20230731103637

ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方から移住者だけど、香川享受してる文化を挙げておく。

文化

割と多い。もちろん京都奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。

国宝も、建物だけで2件ある。増田故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。

追記丹下健三香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品ビックリした。初めて行ったときには渇水注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。

寺社仏閣神社仏閣

香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代奉納記録に出迎えられ、途中に戦後掃海殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。

屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。

あと、津嶋神社レア度が高くてよい。沖に浮かぶさな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線臨時駅津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田撮影したよ! ミーハーからね! 子供健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。

追記お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田信仰心薄いからお参りできれば満足なので……

大名遺産

香川県は、江戸時代高松丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松丸亀のそれぞれに当時の藩主遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。

高松名物はなんといっても栗林公園松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップ絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師香川出身らしい。知らなかった)

丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川西部っていう狭い地域統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たとき雄大さのギャップがすごいのでああいトリックアートじみた建築を作れた江戸時代職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで

離島

気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。

次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海景色美しすぎる。日本アドリア海だろマジで

博物館美術館

意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺道の駅には「世界コイン館」という展示と大平正芳香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコイン日本貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが

そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国地の文化を体感することができる。一口四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。

追記四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメ水槽インパクトあるよね。こんなでかい魚が日本河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形再現してあって実質的日本博物館金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。

現代文

やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……

オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日イオンモール映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。

書店

まあ……これは東京大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋ジュンク堂みたいな大型書店めぐり不可能東京大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるからマイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。

でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫新書ブックカバー上下が固定されてない形式のやつだからハードカバー選書を買うとき宮脇書店に行って文庫新書が欲しいときジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店高松市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。

あと、高松アニメイト、ラノベシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的まさかアニメイトでラノベ立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。

追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川四国岡山に関する書籍ものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから

飲食店

ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。

旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしマジで美味いか香川に行ったら絶対食ってくれレベル一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!

他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。

そしてカフェ香川県でカフェめぐりをしたらもう東京カフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀スタバ市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェ複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。

イチオシ高松片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。

まとめ

とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京メリットは集積にあるからマニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画劇場で見たい! とかの逸般的な文化ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい

追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東台風で大騒ぎになってたとき特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水危機はあって、一昔前は一般人取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレット台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。

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