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はてなキーワード: ゲームセンターとは

2016-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20160716001545

こういう悲観的な増田ってブコメで絶賛されがちだけどさ(子供を産むのは地獄だとかも)

これに賛同してるコメントは感動話に絶賛のコメント書いてるやつ並みに気持ち悪いよね。

よくあるコメント

「これに否定的な人とは絶対にわかりあえない」 ← なんだこいつ。お前とわかりあいたい奴なんていねーよ。自分がみじめだと思ってるのに人と仲良くなれると思ってんの?自意識過剰だな。

「俺も早く死にたい増田気持ちがよくわかる」 ← きもちわる。なれ合いクッサ。死にたいオフ(笑)でもやってろ

全体的にうげーきもちわりいってかんじ。

感動話に共感して涙ぐんだりしちゃってるやつと何が違うんだろ。

あげくには共感スターポチポチ(笑)死にたいのわかる~」スターポチッw 死にたい(笑)気持ち共感スター(笑)楽しそうですね(笑)

こいつら共感能力高杉の群れるの大好き人間じゃんw

なーにが「仲良くなれそうにない」「気持ちがよくわかる」「尊重したい」だよw

メンヘラ死にたい死にたい言ってるのと同じじゃん。

こいつらはメンヘラ話に感動話をシェアちゃうような奴らと同じように感動して共感してるただのメンヘラ予備軍だよ。

お前らが馬鹿にしてるフェイスブックの感動する話といっしょで、メンヘラ死ぬっていえば大絶賛(笑)

死ぬのは誰もが避けられない・・・・」「いずれみんな死ぬ・・・」「死ぬのは人間本質・・・・」 ← wwwwwwwwwwwwwwwwメンヘラの戯言に大共感アンド深い分析wwwwwwwwww

根っこはフェイスブックの感動話シェア共感厨といっしょ。

勘違いするやつがいそうだから言っておくが、俺はフェイスブックの感動系も嫌いだし、こういうメンヘラ共感話も嫌いだからな。

人生は素晴らしい」に共感してるフェイスブック

人生は糞。死にたい」に共感してるはてな民

何が違うの?根はいっしょの共感大好き馴れ合い大好き人間(笑)

メンヘラ感動話を絶賛するくそだせーゴミどもはさっさと死ね。黙って死ね。みじめな自分が大好きで大嫌いなら恥をまき散らさず黙って死ね

メンヘラ感動話をシェアするな。ネットごみを増やすな。

昔はやったゲームセンター出会った余命僅かな少女の感動話とこの増田方向性が違うだけで完全に種類は一緒だよね。

お前らはゲームセンター少女で涙流してたやつと同じだよ。

メンヘラ共感話には手放しで絶賛してワーキャー群れる。

挙句の果てには

「これがわからないやつとは仲良くなれない・・・・・」「俺も増田気持ちがよくわかる・・・・」

wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

フェイスブック馬鹿どもと本質的に同じ行動しているのに悲劇的な自分に酔って共感の輪(笑)を広げている自称弱者どもは、実は同調圧力馴れ合いが大好きwwwwwwww

ファッション感覚悲劇ぶる自称弱者もの死にたい僕たちの輪(笑)

しょせん糞雑魚もの馴れ合い。「死にたい~」「わかる~俺も死にたい~」「ね~」ワーキャー 死にたい気持ち共感スターポチ(笑)

楽しそうでよかったね。

雑魚どもが。

くだらね。


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2016-06-29

贔屓にしてるゲームセンターが潰れることに...

もう50円100円突っ込んでゲームする時代じゃなくて、スマホだったりでゲームする時代だったなぁそういや

他のゲーセン行けば良いんだろうけど、少し悲しい

2016-06-20

やっぱりこの世にはアカシックレコード必要

今日実家に帰ってきて、自分の部屋の隅にあったぬいぐるみを見てふと感じた。「怖い……」と。

ゲームセンターUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを何体かつなげて、壁にぶら下げてあったのだ。

別にそのぬいぐるみの形相が恐ろしかったとか、そんなわけのわからないことをした自分が怖くなったとか、そういうわけではなかった。

そのぬいぐるみをつないで、壁にぶら下げた、その行為をした記憶はある。でも、そのとき自分が何を考えていたのか、どういう気持ちだったのか、それをしたあと自分が何をしたのか、まったく覚えていないのだ。

記憶が飛んでいたというわけでもない。単純に時の流れによって記憶から抜け落ちてしまっただけ。

でも、それが怖くなった。その時の自分気持ちを覚えていられるのは自分だけのはずなのに、その自分すら忘れてしまっているのだ。ほかの誰が知るはずもなく、つまり世界から完全に消え去ってしまったのだ。

この単純な事実が途方もなく怖くなった。時が経つにつれて確実に何かが失われていく。そしてそれは、長い宇宙時間の中で、数限りなく行われてきたであろう喪失いくら努力したところで、もう絶対に知ることはできない。

祖母が死んだときに感じた恐怖とまったく同じものだった。

祖母自分中学生とき、百歳の少し手前まで生き、そしてこの世の摂理に従って亡くなった。

それ自体は恐ろしいことでも、悲しいことでも何でもない。むしろよく長生きしたな、大往生だ、よかったよかった、ぐらいのものである

事実親族一同、悼むことはあっても、嘆き悲しむというようなことはなかった。

自分別に必要以上に悲しむことはなかった。だが、ふと彼女人生について考えたとき、途方もない恐怖を覚えてしまったのだ。

彼女の九十余年もの間、いろいろなことがあっただろう。大正に生まれ学校に行き、祖母を生み、戦争を生き延び、戦後経済成長経験し、ひ孫の顔まで見た。

他愛のないこともたくさんあったであろう。その時々で、彼女は何かを見て、感じて、そして思ったはずなのだ

しかし、それらを知ることはもう我々にはできない。数多の物語が、真実が、情報が、失われてしまったのだ。

それが、とても怖かった。

こういうことを音のない夜、ふと考えて眠れなくなることがよくある。

そういうとき、思うのだ。アカシックレコードさえあれば、と。この世のすべてを記憶していてくれる機械えこの世にあれば。

好奇心学問必要性を感じてのことではない。ただひたすら、情報喪失という恐怖から自分を守ってくれるものがほしい、そういう理由アカシックレコードがほしくなる。

今日はそういう夜だった。

2016-05-20

格ゲー相手絶対に負けない方法を知ってるか?」

当時同級生だったナイジェル(本名吉村。純日本人だ。)は相手ガイルが放ったソニックブーム波動拳相殺しながらそう言った。

ゲームセンターに対戦台といわれる背中合わせに並ぶ2台で同じゲームを楽しむ仕組みが取り入れられ始めた頃のことだ。

相手ガイル遠距離ソニックブームを連打し、近づけば中足払いで牽制するというスタイルを徹底していた。

リュウ竜巻旋風脚ソニックブーム対策になる前では、せいぜい中足払いに大足払いを当てに行って、ダメージで優位をとるのが関の山だった。

ナイジェルはガイル鉄壁を崩せず、すでに10試合近く負け続けていた。



相殺された波動拳の隙にガイルの裏拳がめり込む。

最終ラウンド、すでに絶望的な体力差だ。

「そんなの知らねぇよ。それともまさかリュウ真空投げでもできるっていうのか?」

しかしたら当時噂になっていたリュウ真空投げをナイジェルは知っているのではないだろうか。

隣にあるすでに誰もやらなくなったようなパズルゲーム腰掛けていた僕は、ギャラリー視線を気にしながらそんな淡い期待を胸に言葉を返した。

「いいか見てろよ。」

何かを心に決めたように真剣な目をしてナイジェルは続ける。

「それはな、、、」

画面上のリュウがバックジャンプして距離を取ると、おもむろに竜巻旋風脚を放った。

ガイルはそれを対処しようと冷静にしゃがんだ姿勢を維持している。

僕の目は次に起こる出来事を見逃さないようにと画面に釘付けになる。

しかし、そんな僕の期待を裏切るようにナイジェルは叫んだ。

ゲームなんてルールの中で戦わないことだ!!」



突如として椅子を蹴り立ち上がるナイジェル。呆気にとられる僕を背に対戦台の反対側めがけて走りだした。

ナイジェルは無類のゲーム好きだが、じつは柔道の有段者で部のエースでもある。

腹がたったのはわかるが暴力沙汰はまずい。学校帰りにゲーセンいたことが発覚すれば僕の問題にもなるのだ。

吉村!」

僕は焦って立ち上がり筐体の影に消えたナイジェルの姿を追った。

しかし、そこにナイジェルの姿はなく、無防備になったリュウ叫び声だけが悲しく響いた。



なるほど。

ナイジェルは負けなかったのだ。

なぜなら負けが確定するより先に逃げたのだから

この翌日から和風な顔立ちの彼はナイジェル(Nigel)と呼ばれるようになった。

その理由を彼はまだ知らない。

2016-05-17

くにおくん」を育てた男たち

ネットくにおくん話題が盛り上がっても、出来るまでの紆余曲折の話が全く出てこないどころか知らない人が多いのでここに記しておく。

「ふぁみ中 青春ファミコン劇場 激闘編 (綜合ムック)」というムック本にて、くにおくんプロデューサー岸本氏、くにおくんCGデザイナー緒形氏という元テクノスジャパンメインスタッフ両氏にインタビューした「『くにおくん』を育てた男たち」という記事から、要点だけ。

2012年ムック本だし、貴重な資料としての紹介はいいよね?

●「熱血硬派くにおくん」というタイトルテクノスジャパン社長、瀧邦夫から。「熱血硬派」については、岸本プロデューサー高校時代グレていた頃に仲間とよく「誰が熱血硬派なんだ!?」という会話をしていて、その言葉が頭に残っていたから。

●初期のくにおくんスタッフは少人数だが、スタッフ学生時代は不良ブームだったので全員元ヤンキー岸本プロデューサー眉毛が無かったし、特攻隊長だったヤツもいた。

元ヤンキーというのはいくら歳を取っても根はヤンキーなので、いくつになっても当時を懐かしむ

普通だったら、殴って蹴ってだけで終わるが、駅のホームでのケンカヤクザに絡まれる・掴んで投げる・相手にまたがって殴るなどのリアルケンカ描写実体験。ケンカを知らなければ作れない。

●当時はまともな開発ツールが無いので、ゲームセンターにあるようなテーブル筐体でレバーボタンを駆使してドット絵を描いていた。データの保存はカセットテープで、ロムを焼くまでどんな絵になるかわからなかった

●基板は国内では5400から5500個売れた。関西では、店の半分がくにおくんの筐体だったゲームセンターもあった。

●元々岸本氏はデータイーストにいたが、ケンカゲームを造りたいためにテクノスに移籍した。当時は格闘ゲームご法度で、「人を殴ったり蹴ったりしてはいけない」というゲーム業界暗黙の掟があった。「人を殴るのはゲームではない」と叩かれた。当時のテクノスは、空手プロレスゲームを作っていたので、ケンカゲーム企画が通るのはテクノしか無かった(殴るのすらタブーなのに、くにおくん高校生が組の事務所に乗り込んだり、拳銃を撃ったりしてくる。こんなのは他のゲームメーカーじゃ企画すら通らない)

最後にひろしを救う感じになっているのは、ただの後付け。やっぱり、ただ殴る蹴るだけのゲームではダメ

ファミコン移植する時はもちろん許可がとれなくて、3回プレゼンに行った。前年に「たけしの挑戦状」が発売されていて、「たけしの挑戦状通りすがりの人を殴るシーンがあるんだからくにおくんも良いんじゃないですか?」と強引に押し通した。たけしの挑戦状が無ければくにおくんファミコンで出せなかった

くにおくん第2弾は「熱血高校ドッジボール部」。最初普通スポーツゲームで外部から持ち込み企画だったが、それだけだとつまらないので「くにおくん」のダメージ概念や格闘要素を入れた。デザイナーからドッジボールにするなら二等身がいいというアイデアが出たので採用ファミコンの容量的にも良いし、身体をワンパターンだけ書いて、顔を換えるだけで済む。

ドッジボールルールを忘れていたので、作る前に経理のおばちゃんから社長まで総出で新宿中央公園ドッジボール大会をやった。テレビゲームというジャンル確立していない時代から自分の身体で作っていた。

ファミコンで一番売れたのがドッジボール。三年間くらい、何度も追加注文が来て売れ続け、最終的に90万本行った

●続編として協力プレイできるものを作っていたが、不良がモチーフだと海外で受け入れられない。「熱血硬派くにおくん」は海外では「RENEGADE」という名前デザイン一新して発売したが、海外で売るたびグラフィック書き換えるのは効率が悪いので、それで生まれたのがダブルドラゴン

●「RPGくにおくん」は途中まで作ったがボツフィールドを歩くと悪いヤツとエンカウントして、戦うときキーを入れて攻撃する感じ。設定やキャラも全部作ったがボツ。それで「初代熱血」にはRPG要素を入れた。

●「格闘ゲームといえばテクノスジャパン」だったのに、ストリートファイター2が出て、カプコンに全部もっていかれて悔しかった。その頃には「くにおくん」を出せば売れたので、それ以外作れなくなっていた。

時代ファミコンからスーファミに切り替わった時、テクノスは様子見が長く出遅れた。それが最大の失敗。ファミコンだったら、数人で4ヶ月もあれば一本作れるし、くにおくんを出せば最低でも20から30万本売れるので、何億円と儲かる。スーファミ製作費はファミコンの三倍、時間もかかる。それなら無理にスーファミに切り替えるより、少人数でローコストファミコンを作ったほうが利益が出る。

ストリートファイター2ブームの時、くにおくん対戦格闘を作ったがボツダブルドラゴン対戦格闘ネオジオで出した。

●「熱血硬派くにおくん」を出した当初は警察PTAから抗議の電話が来た。「こんなゲーム作っていいのか?」と言うんで、「いいんです!くにおは正義の不良なんです!」ってガチャ切り。

2016-05-05

100億円降ってきたらゲーセンを作って余生を過ごしたい

ゲーセンがない。いや、外で遊ぶビデオゲームがない。



地方を出て何年か余り、出勤前にゲーセンに寄って、退勤後にもゲーセンに寄るような生活からしばらく経ち、ふと地元に戻ってきて最初に思った事はそれだった。



学生の頃は貪欲に外で遊べるビデオゲームを求めていた。自転車で片道1時間くらいの範囲は、ゲームをする為に毎日でも通える距離だった。休日もっと遠くのゲーセンに行っていた。

近所のスーパーゲームコーナーは、面積が数分の一になり、わずかなガチャガチャほこりを被ったようなよくわからないキャラクター物が景品のクレーンゲームけが残っていた、この景品数年前にも見たような気がするけど気のせいだろうか。

郊外の大型激安スーパーの隅の子供向けゲームコーナーに放置されていた変なゲームをやる為にずっと通っていた時期もあったが、もうメダルゲーム(大型筐体ではなく、小さい筐体の、ジャンケンマンとかペン太みたいなタイプの奴(たとえが古くてスマン))ばっかりになっていた。ちょっとやってみたけれどコインを入れた瞬間に勝敗が確定しているかと思うと余りやる気が起こらなかった。

バッティングセンターの隅にあるようなゲームコーナーも全て見て回った。当時は化石のようなゲーム時代の流れに逆行するかのように残されていたが、今ではエアホッケーのようなゲームと、ボールを打ち出すゲームスマートボールの亜種? 詳しくない)ばかりになっていた。寂れたボウリング場の隅にあるゲームコーナーもなくなっていた。いつも建物全体の明かりが落ちていて、俺が行くとたった一人のために建物ライトを付けてもらって気の毒だった。

パチ屋敷地に小さなゲームセンターがあるのも見つけたが、いつしか無くなっていた。古い旅館ゲームコーナーが無いか、泊まりもしない旅館ホテルを幾つも出入りした。学生の頃ずっと通っていた近場のゲームセンターのものは全て潰れたかプライズスロットばかりになったかプライズゲームパチスロ否定するわけではないが、ビデオゲームがやりたくて仕方なかった)、とにかく俺が思っている「ゲームセンター」という言葉イメージからは遠くなったなと思った。



田舎には何もないのか。何をおっしゃるウサギさん、コンビニは増えたし、ゲオだって出来た。大きなカラオケボックスも、流行カフェチェーンもある。それなりに広い敷地を誇るショッピングモールも出来ている。ただ外でビデオゲームを遊ぶ事だけが困難になっていた。俺は時間の潰し方をゲーセン以外知らずに育ってきたからわからないけど、今は外で時間を潰したり、あるいは没頭する趣味ゲーセンって時代遅れなのかもしれないなと思った。ゲームがやりたいだけなら家庭用でもPCでもスマホでも一生かけても遊びきれないゲームが激安で手に入るし、たとえ外での暇つぶしを求めててもスマホを開けば世界中の人とすぐに会話出来るし、一緒にゲームを遊ぶ事だって出来ちゃうし、1回ゲームを遊ぶのにわざわざゲームセンターまで行って何十円とか何百円とか掛けたりするのってバカらしいよな。



地元にいた当時は徐々に変化を受け入れていただけだったんだろう。アーケードゲームという大ブームが去り、家庭用ゲーム機アーケード機にスペック面でほぼ劣らなくなり、消費税が上がり、大型筐体が続々とリリースされ、様々な何かが起こる度に中小規模のゲーセンという業務形態の存続は危ぶまれ、実際に少しずつその煽りを受けていたんだと思う、ビデオゲームがないゲーセンなんてゲーセンじゃないみたいな思い上がった事を昔の俺はよく言ってたけど、ビデオゲームや専用筐体のゲーム田舎の回転スピードでどれだけのインカムを確保出来てるって言うんだろうか、どれだけのゲーセンプライズパチスロインカムに頼る形で専用筐体や採算の取りようがない最新ゲームの基板を購入してきたんだろうか(って、客の目線から店舗経営の話をするのは実情に即してないだろうし、おこがましいだろうけど)。JR東日本の倍近くの高い電車賃を払ってでも何度も通った繁華街都市部の方のゲーセンも次々と閉店の話が聞こえてくる。都会にいる間興味を持っていなかった地元事象が、戻ってきた瞬間にまとめて襲いかかってくる。浦島太郎気持ちってこういう感じだったんだろうか。そりゃ鶴になりたくもなるよ。

2016-04-26

ゲームセンター(アーケード)に人が増えない理由

今日から艦これアーケードが導入されて、

プレイしに行った新規の子が「無制限台」のことを知らずに

ツイッター愚痴って拡散されたらしい。

アーケードってゲーム自体

格ゲーやら音ゲーのように初心者お断りシステムが増えてるなか、

さらに店によって上記のようなハウスルールまであったんじゃ

そりゃ減るのは当たり前じゃないか?

2016-04-14

90年代ネオジオを買えていた家庭の経済状況が気になる

うちは貧乏だった

中古スーパーファミコンソフトを買って、毎日遊んでいた

友達ロクヨンだったし、プレイステーションの家庭の子もいた

セガ・サターンもいた

でも、ネオジオはいなかった

ゲームセンターに行くと格闘ゲームがあり、かっこいいお兄さんやお姉さんが出てくる

1回100円だからやってみて大興奮、本屋さんでゲーメストネオジオフリーク立ち読みして知った

ああ、ネオジオっていうゲーム機で出てるんだって

でも、べらぼうに高いから貧乏なうちでは買えないな

十数年後

私は高卒就職正社員になれたものブラック企業であったためドロップアウト

見事に派遣社員となり、月給は平均して手取り18万円くらいだ

ネオジオソフトの定価は今見ても高いじゃないか

じゃあ一体どんな家庭なら子供ネオジオを買い与えることができるのか?

未だに謎だ

日本人はうちやうちの周り以外、裕福だったというのか

http://anond.hatelabo.jp/20160414151256

異議あり! その幼稚園保育園事業ドメイン未来永劫変わらないという保証は無い! 

行く川の流れは絶えずしてされどもとの水にあらん。

ゲームセンターだった場所がこの前まではパチンコ屋として営業し、つい先月廃墟となったり等等、時が経てば自然と変わっていくものである

2016-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20160412001628

私のようなヌルシューターのために訂正してくれてありがとうシューティング先生

アストロシティブラストティのような筐体はミディというのだね。

不勉強でした。

セイミツ製のジョイスティックが入手しにくい田舎ではHORIのコンシューマー用を買って

部品取りをして取り付けるというところがありました。

ゲームセンターFPSガンシューティングじゃない縦か横スクロールシューティングゲームがしたいなあ。

2016-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20160411153135

スマホシューティングプレイしても心が燃え上がらんのです。

ホリ電子製のジョイスティックが搭載されたアップライト筺体の前に姿勢を正して座り、

ワンコインの命を燃やし尽くさないと満足できんのです。

自宅に置いたゲーム機と専用ジョイスティックでのプレイでさえ心は燃えません。

斯くして街中からゲームセンターが消え

辛うじて生き残ったわずかなゲームセンターからシューティングが消えた今

シューティング魂は消え入り……

2016-03-30

ニコ動衰退の歴史は、ゲームセンター浄化作戦にそっくりでありました

三行で読んでくれないヒトがいるから一行で書くと、店を綺麗にしてコンテンツの非R18禁化を図ることにより、客層のチェンジをねらったのです。




70年代90年代ゲームセンターといえば、暗くて薄汚い喫茶店テーブルタイプゲーム機があるようなところが大半でした。

喫茶店ですんで、タバコも吸えたし酒を出すところもあった。

基本大人が来る場所でしたけどゲームがやりたい中高生もとうぜん出入りしてたわけで、彼らが稀にカツアゲ被害にあったり、喫煙してたり飲酒してたりとかザラにありました。

私はしらないですが暴力沙汰もあったみたいですね。



その後格闘ゲームが出るころになると、テーブルタイプゲーム機は消えて、セガのなんとかCITYなどいかにもアミューズメント用具然としたものが主流になります

このあたりでセガゲーム会社運営するフランチャイズタイプの全国展開型のゲームセンターが登場し、店舗デザイン定型みたいなものができあがります

旧来の喫茶店の中のサービスひとつであったゲームという餓鬼オモチャが、そのものを楽しむためにメインに据えられました。

加えて内装は明るく見通しがよくなり、薄ら暗いイメージは払拭されます

正面入り口にはUFOキャッチャーが設置され、学校帰りの女子プレイするようにもなり、不良とされていた暴力的行為をする連中の足はとおのきます



こんな感じでゲームセンターは客層が入れ替わって現在に至るわけですが、それと同じようなことがニコ動でも行われてきたわけです。

経営に近い連中が変わり、運営スタッフが変わり、コンテンツを持ち込む輩が個人から業者に代わり、アニメ関連を提供する奴が個人の海賊版から製作委員会謹製プロダクトになりました。

しらんうちに中身の浄化作戦は着々と進み、今のような出来損ないのDアニメストアみたいな形が出来上がります

そして気がつけばあのころの連中は誰も来なくなりました。

そんなもんです。



ちなみに現在ゲームセンターには畳がありお茶がでるようなところもあり、年金世代の爺さん婆さんの社交場へと客層をチェンジして生き延びているところもあります

そういやニコ生でも片桐えりりかが大暴れしてた後あたりからリアル爺さんがちらほら配信してたような記憶もあります

2016-03-28

マジカストーンぷよぷよ・レソリューションRMTについて

ぷよぷよが大好きな個人(れそ、レソリューション)がおそらくRTM業務お金を稼いだ

・そのお金を使ってぷよぷよの普及、プロ化を図っている

という流れです。

ソリューションはおよそ成功する見込みのないぷよぷよの発展に個人の資産を相当につぎこんでいます

ここに「源資金がおそらくRMTによるものである」以外の一切の問題存在しません。


ではなぜぷよぷよ通の普及にパクリゲームを作る必要があるのかぷよぷよの現状について詳しくない方向けにまとめると

ナンバリング作品2009年ぷよぷよ7が最後

 2011年ぷよぷよ20周年記念作品が、2014年ぷよぷよテトリスが発売

 その後「ぷよ」にちなんだ24周年記念も期待されたが音沙汰なく次回作の気配がない

現在公式ソフトネット対戦できるのは3DS20th、ぷよぷよテトリスである

  (1) 3DS一般的には配信・録画などができず、宣伝・普及には不向き

  (2)最新作であるPS4ぷよぷよテトリスにおける問題

   1.ぷよぷよのみでのランダムマッチ存在しない(フレンドコード特定相手連戦は可能)

   2.勝敗カウント機能が無い(30本先取を行おうとすれば正の字を書くなどしてカウント必要

   何らかの対戦ゲームをやったことのある方にはこのひどさが理解できるでしょう

一方プレーヤー達は普及や存続のための活動を長く、熱心に続けてきました

本家の練習モードより優れたサービスの開発

http://1st.geocities.jp/mattulwan/puyo_simulator/tokopuyo.html

http://muumu.whyi.org/puyolab/ppsim.html

・超超超多数のイベント開催

 最強決定リーグ戦 http://puyo.in/league_s2015/ http://www46.atwiki.jp/puyotetodannisen/pages/22.html http://pyclleague.web.fc2.com/index.html

 日韓交流戦 http://www.nicovideo.jp/watch/sm1430026 

 多数のゲームセンター大学サークルでのイベント大会  などなど

これらの活動、そしてぷよぷよというゲームが持つ競技性・楽しさが評価されたのかレッドブル主催大会2012年から選出されています http://ultrasupernew.com/ja/portfolio/red-bull-5g-2012/



いままでの努力無駄にしないため、そしてさらなる普及のためにまともな対戦環境必要だったのです

PC版でオンライン対戦が可能であれば海外に広まっていくことも十分に考えられます

これはSEGA利益を奪う行為ではありません

企業が採算を理由に挑戦できないことにぷよぷよの熱烈なファンである個人(れそ)が挑戦しているのです

もちろんRMTによって得たと思われる資産によって行われることには強烈な非難があるべきでしょう

しかし、マジカストーンが「ぷよぷよを存続、発展させるためだけのものであることには何の疑いもありません

  *ぷよぷよでの通以外のルールキャラクター配慮する内容が無くて申し訳ありません

2016-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20160319002444

4ヶ月か。ゲームセンターの係員さんもさぞかし呆れていた事だろう。

2016-03-18

SEGAカードゲームCOJカードランキングオリジナルポイントの変更を行ったのでメールを送った

お世話になります

COJというアーケードタイトルに60万円以上使っているプレイヤーです。

3月18日に行われたカードランキングおよびオリジナルポイントの変更について思うところがありメールを送らせていただきました。

単刀直入に申しますと、オリジナルボーナスSデッキ使用率を下げるためだけの調整はやめて欲しいです。

今回新しくデッキオリジナルボーナス(以下、DOB)6pのカードが登場しました。

変更内容を確認します。

【変更前】

1-100位 0p

101-300位 1p

301-550位 2p

551位以下 4p

【変更後】

1~30位    0p

31~150位   1p

151~550位   4p

551位~   6p

一見してDOBの高いデッキが組みやすくなったように見えますが、実際は違います

説明しなくても調整した側の人間なら分かると思いまずがプレイヤー馬鹿にしての調整だと見受けられるので、

ここで説明することでその認識をいい加減やめてもらいたいと思いあえて行っています

次にDOBランク必要ポイント数です。

【変更前】

S:80p~ (AP獲得倍率:2.5)

A:40p~79p (AP獲得倍率:1.8)

B:20p~39p (AP獲得倍率:1.5)

C:5p~19p (AP獲得倍率:1.2)

D:0p~4pAP獲得倍率:1.0)

【変更後】

S:160p~ (AP獲得倍率:2.5)

A:80p~159p (AP獲得倍率:1.8)

B:40p~79p (AP獲得倍率:1.5)

C:10p~39p (AP獲得倍率:1.2)

D:0p~9p (AP獲得倍率:1.0)

この【変更前】の以前にはSデッキに関してのみAP獲得倍率を下降させる調整を行っています

この時からSデッキに対する調整を入れていきたいという意向があったことは誰でも分かります

次にDOBランク必要ポイント数を満たすためにより少ないカード数で満たすとどうなるかを書きます

【変更前】

S:80p

4p×20枚(残20枚) or

2p×40枚(残0枚)

A:40p

4p×10枚(残30枚) or

2p×20枚(残20枚)

B:20p

4p×5枚(残35枚) or

2p×10枚(残30枚)

C:5p

4p×1枚+1p×1枚(残38枚) or

2p×2枚+1p×1枚(残35枚)

【変更後】

S:160p

6p×26枚+4p×1枚(残13枚) or

4p×40枚(残0枚)

A:80p

6p×13枚+1p×2枚(残35枚) or

4p×20枚(残20枚)

B:40p

6p×6枚+4p×1枚(残33枚) or

4p×10枚(残り30枚)

C:10p

6p×1枚+4p×1枚(残38枚) or

4p×2枚+1p×2枚(残36枚)

これだけでも高いDOBを組もうとした際にCデッキより高いボーナスデッキは、

DOB確保以外のカードを組み込めるカード数が軒並み減ってしまっていることが分かります

オリジナルデッキの制約というのは、DOB確保のためのカードを除いた自由に組めるカード枚数の数の増減です。

自分で好きに入れることのできるカード枚数が減ればそれだけ難易度は上がります

従来の1p、2pであった現在の1p、4pの層が厚くなったため条件を満たしやすくなったかもしれませんが、

Sデッキに関して言えばより難しい条件になり、Aデッキに関しても自由に使えるカード枚数を増やそうとすると

新しい1p、4pを選択しやすくなった状況でより候補から外れやすくなった6pカード

真正銘の弱すぎて6pでも誰も使いたがらないようなカードデッキに組み込む必要が出てきます

まり、1pと4pの層の拡大化により高いDOBデッキを組みやすくなるというのは見せかけにすぎず、

実際に使用率を集計して変化するDOBシステムにおいてはより難易度が上がっただけということになります

DOBの高いデッキを作るために4p帯の使用率が上がれば1p帯とのループ的な入れ替わりを起こし、

今回の調整により、最下層である6pカードさらに日の目を見ない層になりかねません。


なぜ、このような調整を思いついたのか。

なぜ、このような調整に誰も疑問を投げかけなかったのか。

なぜ、このような調整が通ってしまったのか。

私には不思議しか思えません。

誰かに余計な入れ知恵でもされたのでしょうか?

余計な口出しをされたのでしょうか?


Sデッキ使用率を下げたいがために他のデッキ利用者も巻き込む形で調整が行われてしまった。

そのようなことはプレイし始めれば早かろうが遅かろうが誰でも気づきます

そのときに心に浮かぶことは運営への不満や疑問しかありません。

誰も感謝しません。

ここまでの文章を書くまでの間に何度も残念だという気持ちになりました。

Sデッキを調整したいという思いにはとやかく言うつもりはありません。

ですがSデッキを調整するために他のデッキを使う人間にも影響が出るような調整をしないでください。

Sデッキ運営にとって不満であるならばポイント帯を0、1、2、3、4として新たに作った3p

4p帯を分割してしまえばよかったのではないのですか?

4p帯が本当に誰も使いたがらないカードにする調整はできたはずです。

システム的な問題ならゲームシステムの根幹であるDOBにコストを掛ける正当性はあるはずです。

目先の調整や小手先の調整で回そうとしないでください。

無理をしないでください。

プレイヤーは、特にヘビーユーザーにとっては取って付けたような真新しさはそんなに望んでいません。

遊びたくてもお金はあるけど時間が無い人が大半です。

その人たちにとってはプレイ時間が短いために頻繁な更新をされてもついていけません。

だんだん自分の遊び場ではなくなっていくコンテンツを遠巻きに眺めるようになり、

もっと落ち着いたコンテンツを黙って探し始めます

そうすると運営は躍起になって小手先更新に注力して、火に油を注ぐわけです。

もうやめにしませんか?

プレイヤーが求めるのは更新の頻度よりもクオリティです。

更新して売上が上がるのはプレイヤークオリティ確認しようとしているからです。

決して更新自体お金を払っているのではありません、確認するために課金せざるを得ないのです。

それがカードゲームです。

運営更新すればお金が入ると思っているようですが、

プレイヤー側全体は更新が起こるたびに「このゲームを続けていていいのだろうか?」という評価が発生しています

それに耐えうるだけの更新内容なら問題ありません。

しかしそうでないものを何度も行い続けると結果は目に見えています

その代表的な例が三国志大戦シリーズです。

過去から学んでください。

お金が欲しいだけならアバターの方に力を入れてください。

ゲームシステムを変えることなく、安全に集金することが可能です。

ユニットの絵柄を変えるコンテンツはずっと凍結されたままになっています

あちらに力を入れて課金要素を追加してください。

できればフィールド上でも小さな変化があればいいかと思います

特にRPが余りまくってしかたありません。

RP使用させるコンテンツを充実化させればプレイヤーは実際にプレイするほかありません。

プレイする頻度が高ければ高いほどゲームにのめり込むと考えてください。

なるべくプレイヤーゲームさせるような調整がCOJ未来ファンを作ります


また、Sデッキをしきりに警戒しているようですが、

大部分のプレイヤーにとって少し流行ったSデッキを使いランクを上げたとしても元々の実力がない限り維持はできません。

そしてランクの高さがゲームの終わりだとも思っていませんしランクを上げることにモチベーションを感じる層は全体のごく一部だと思います

そういった一部の人間もランクが上がったからといってゲームをしなくなるというわけでもありません。

ランクの上昇は自分ゲームスキルの向上の一種指標しかすぎないという認識は多いと思います

そもそも1対1のゲームのため分不相応ランク突入しても自分が痛い目を見るだけです。

Sデッキを警戒しすぎておかしな調整を繰り返さない前に誤解をやめてください。


ここまで遊んできたのですからCOJよりも面白いカードゲームが登場するまでは最後まで遊ばせてください。

新しいカードが欲しいわけじゃないんです。

新しいカードを使って楽しいゲームをしたいんです。

新しい調整をしてほしいんじゃないんです。

新しい調整の元、楽しいゲームをしたいんです。

大の大人馬鹿みたいに一喜一憂するゲームがしたいんです。

そしてそれができるのはゲームセンターにおいてセガゲームス以外には無いと思っています

失望させないでください。

夢を見せてください。


以上です、どうぞよろしくお願い致します。

2016-02-11

昔は良くなかった

最近よく昔は良かったと見かけるので、良くなかったことを、ざっと30年位前の幼少時代を思い出してみた。

【小中学校

イジメが絶えず、ターゲットをバイキン扱い、バリアー等の遊びが通常に行われていた。

イジメられていた人は、どこにも発信できずに耐えるしかなかった。

プリントは、わら半紙一般的で、原稿鉛筆執筆していた。

教室内にテレビがあり、NHK教育テレビ番組を観せられた。

戦争原爆ビデオを何度も観せらて、酷さだけを押し付けられた。

運動会合唱コンクールの練習が1ヶ月以上前から毎日行われた。

学校アンケートで、クラス名簿リストが配布され、好きな子、嫌いな子を5段階評価していた。

・緊急連絡網で次の人(家庭)に(固定)電話するのに超緊張した。

ゲームセンターや買い食いをすると犯罪者扱いされた。

茶髪ヤンキーカツアゲ、盗みなどが盛んだった。弱小な子は商店街を一人で出歩くと危険だった。

タバコを吸う、シンナーの吸引等がわりと普通に行われていた。

・そして、全校集会で全員が体育館に呼び出され、連帯責任として説教を受けた。

・全校集会が長時間化するため、体の弱い人が貧血で何人も倒れた。

先生と生徒間の争いで、運動会がたまに中止になった。

運動会では、騎馬戦棒倒し、組み体操等を先生に言われた通りにこなし、何の疑問も持たなかった。

部活では水を飲むことが禁止されていた。

部活では先生から体罰が疑問すら思わず普通に行われていた。

・体育の先生剣道竹刀を持って校内をウロウロしていた。

・血だらけになる程の校内暴力普通に行われていた。

社会経済

・1ドル230円PCが30万円くらい。

テレビ新聞から流れる情報が全てであり、疑問にすら思わなかった。

音楽レコードカセットテーブ。録音時間は実時間かかり、針飛びで失敗もよくあった。

パソコン通信をやってる人は、オタクの度を超え、変人扱いだった。

・お父さんが仕事から帰ってくる時間がいつも夜遅かった。

・連絡手段黒電話しかないため、約束時間、待ち合わせ場所にいないと、お店の固定電話を借りた。

会社内、電車喫煙可能、タバコポイ捨て路上駐車等が行われ、マナーは悪かった。

電車ラッシュが今以上に混雑していた。乗車率200%もザラだった。

大型連休中は車の渋滞100km以上がザラだった。

特に学校は、とても昔は良かったとは思えなかった。

2016-01-21

モテる為に音ゲーをやる

ゲーセンにおける人間関係はおおむねコミュニケーションノートによって形成される。場合によっては、 twitter などの SNS や、2ch、したらば等のスレッド掲示板場合もあるだろう。都会や人口密度の高い地域でのゲーセン人間関係プレイ寄与する所は少ないが、田舎ゲーセンは濃密なムラ社会となっており、常連に逆らう事はすなわち論理的物理出禁危険性を孕んでいる。

そういう前提とは一切関係なく、ゲームをやっていて女性と仲良くなれたらとても良いのではないかと思う。何かを始める動機は人それぞれだし、それが不純でも純真でもどうせ100円1プレイ価値は誰がやっても同じなのだから。完全なる主観適当モテそうな音ゲーを列挙していくので、音ゲー警察諸氏は余り目くじらを立てないでほしい。

それと、ゲーセン常連プレイヤーの顔を意外と見ているし、ゲーセンゲーム機公共であるモテるモテない以前に、人としての最低の水準は守りたい (個人的には、ゲーセンゲームばっかりやっている人間自分も含めそもそもに何らかの問題を孕んでいる気もしなくはないが)。


maimai

現在もっと女性比率が高いと思われる音ゲードラム式洗濯機のようなデザインの(というミームの奔流に飲まれすぎた余り公式自らドラム式洗濯機自称するようになった)筐体であり、2台あるうちの片方がプレイ中の場合もう片方も使用できなくなるという設計になっている。

ゲーセンにいる女性交流するためにもっとも適している音ゲーだと思う。

ただ、私事申し訳ないのだが、肩こりがひどく腕が上がらない為ちゃんとやり込んでおらず、どんな評価体系が存在しており、どういう仕組みでコミュニティが出来上がっているのか全く知らない。ただ普段見ている女性比率と、動画サイト等にアップロードされるさまざまな動画からそう判断した。オフで即ハメ音ゲーに漸近している音ゲーだと考えられる。


チュウニズム

maimaiと同じくセガ音ゲーである操作体系が独特で、上空にあるセンサーの間、虚空へ手を振りぬく操作を求められる。これも結構女性客が付いているが maimai と同じ理由で俺には遊べないので不明比較的生まれて日が浅い音ゲーで、このゲームをやりこむ前に「このゲーム長生きするのか」という事を各自考える必要があると思っている。


ポップンミュージック

10年前のカジュアル音ゲー代表格であり、わずかなアニメ立ち絵(ハリアイ絵)と楽曲フレーバーテキストだけで数多の女性スケブ片手に筐体に釘付けた。直線的でシンプルな縦長の筐体、カラフルな9つのボタンがポップでキュートなこのゲームの目印だ。今でこそ「9ボタンとか多くて難しいですよね~」等と言われるものの、カジュアル音ゲーと競技性のある音ゲーを両立させたその功績は音ゲー界の革命児と言えよう。

最近相対的楽曲のパワーが落ちてしまっているのと、流行性の高い版権曲も2~3作で消えるため男女問わず顧客の定着が行われにくくなっている気がする。ゲーセンでこのゲームをやり続けている女子はコアなユーザーが多く、彼女らと警戒されずに話題を合わせるためにはそれなりの上達が求められるだろう。

ゲームシステム的には、プレイヤー技術を一切要求しない昨今の音ゲー事情としては稀なデザインとなっており(技術要求したら大不評だったので、以後撤廃された)、はじめてすぐの段階でもすべての要素を楽しむ事が可能となっており、やりこまないと話題に乗り込めない……というような事態は発生しない。


beatmania IIDX

段々書くの飽きてきた。IIDXコナミ音ゲーで、サウンドブースのような骨組みのデザインに、2つのスクラッチ、14個のボタン、あと正面に謎のボタンレバーのある筐体である

あらゆる音ゲーの中で最も高密度譜面が降り注ぐゲームの為、その内実はともかく非常にアスリート性を高く感じるゲームとなっている。一方で譜面密度が高いだけでもあり、ある段階を経るまではきわめてシンプル構造となっている。

さて、 IIDX には Single Play と Double Play の2種類のゲームモードがあるが、モテるのは Single Play である。本作中にはプレイの腕前を格付けする段位認定というシステムがあるのだが、大体6~7段くらいでたむろするユーザーが多いため、10段くらい取っていれば大体ヒエラルキーの上の方に位置出来るだろう。

このゲームは腕前による人間の格付けが驚くほど強烈であり、段位が自分より低い相手、段位のクリアランク自分より低い相手自分クリアマークをつけている曲にマークをつけていない相手など、とにかく他プレイヤーより一点でも優位性を見つけて精神を上層におかないと即死してしまう人が多い。そのため、このゲームをやっている女性交流しようと思ったらまず彼女らより上手くなりマウント絶対に取らなくてはならない。より強い雄になる、原始的交流と言える。

スクラッチの独特のアナログ操作感、本作特有の高密度には慣れが必要なため、ある程度上達するまでに要する時間は1年程度だろうか。ゲームの要領が良い人ならば、最高段位である「皆伝」まで1年掛からずに到達するだろう。音ゲーのそれなりの上達は見た目ほど難しいものではない。もちろん皆伝の上も果てしなくゲームは続いていくのだが、一般的プレイヤーは余りそういう事を気にしておらず、ランク評価体系の9割に組み込んでいる。


初音ミク Project Diva AC

ボーカロイド本家元祖ではない)、ミクちゃんである。このゲームが出た当時はボーカロイド東方などニコニコ文化音ゲー寄与する部分が少なく、ボーカロイドの持つ集客性は音ゲーにとってまだ不可侵領域である時代だった。太鼓の達人など、一部先んじて目をつけていた作品もあるが、ボカロ音ゲーと密接に関わるようになるのはかなり最近の話である

そういうわけで、ボカロ御大初音ミクゲーセンにいてさまざまなニコニコ動画名曲を遊べるという事、4ボタンしかないシンプルまりない操作性などの理由で一大カジュアル音ゲー地位を築き上げたゲームがこの作品である女性比率の非常に高い作品であり、混雑時は女性行列男性一人だけ混ざるという事も頻繁にあった。

とは言え、このゲームも既にリリースから5年近く経過している上に、もはや初音ミクボーカロイドの主流ではなくなってしまったこと、ボーカロイドはこのゲーム聖地ではなくなってしまった事などの理由で、最近はこのゲームユーザーもめっきり減ってしまい、まだ更新が続いているにも関わらず、撤去されるゲーセンも徐々に増えてきた。兵どもが夢の跡である


jubeat

立方体をくっつけたような小さな筐体があればそれが jubeat であるボタン数は16個と非常に多いが、叩く場所が光るため光った場所を叩けば良く、ゲーム的にはとっつきやす構造となっている。リリース当初こそキー音もなくモグラ叩きではないかなどと揶揄されたが、若い世代を中心としてウケがよく、カジュアル層の開拓に一役買ったゲームであると言える。

出だしは比較好調で客付きも良かったものの、焼畑農業のようなゲームイベントリリースし続けた結果(だと思う)、定着しているユーザー数はほかのゲームに比べ水をあけられてしまった。

最近はややウェイ系のプレイヤーが多く、ガンダム程ではないがプレイ中に騒ぐユーザーをあちこちで見かけるようになったため、女性ユーザーは少し敬遠気味になっているように思う。流動性の高いユーザーセガ音ゲーほとんど移動してしまったと思われ、モテ目的でこのゲームを遊ぶ理由はどこにも存在しない。


Dance Evolution

kinect を利用したアーケード音楽ゲームであり、画面に表示されたポーズを取るゲームとなっている。他ゲーのコアユーザーに見られる機能性に優れた服装プレイするユーザーは少な目で、ミニスカ可愛い衣装で踊っている女性が多く、ほかのゲームをやるフリをしてしょっちゅうチラ見するのだが、イケメンで流麗なダンスを踊れればモテるのではないでしょうか?


プリパラ

同名の女児向けアニメと連動しているアーケードカードゲームである法律上自販機扱いで、スーパーなどのゲームコーナーでもよく見かける事が出来るだろう。他方バンナムアイカツとは商売敵のため、バンダイナムコゲームセンターでは絶対に見かけることが出来ない。

システムとしては、1プレイする度にランダムで服のパーツ(体上、体下、靴)のどれかと、「トモチケ」と呼ばれる自分データ他人に譲るための半券を得る事ができるようになっており、服装データプレイヤーIDに紐づけられているため、基本的に交換などで手に入れる事は出来ない。唯一ヘアアクセサリだけ交換可能となっており、こちらもトモチケと同じように交流材料となっている。

幼女からまり学生主婦OLなどなど幅広い年齢層を取り込む事に成功している音ゲーであり、しっかりゲームをやり込んでいると、女性から声をかけてきてトモチケやヘアアクセを交換するイベントが発生したりもする。

音ゲーマーとしての腕前はほぼ要求されない反面、無数に存在するコーデを組み合わせるセンスキャラクターへの多少の理解、希少なコーデを入手するための財力と暇が求められる。


2016-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20160116164001

すまん、元増田だけど海外在住なので、ニコファーレってのも名前は聞いたことがあるかも…ってぐらい。ゲームバーってのもちょっとからないけど、調べてみるわ。

なんかイメージとしてはカラオケボックスみたいな個室に、ゲームセンターのあの座席付きの筐体(でも中身はコンソールだけ)で全面モニター。みたいなイメージレンタル料金を払って利用するみたいな感じ。

もし日本にもうあるんなら、次回の帰国時にちょっとチェキしてみるよ。

2016-01-12

イジメは人に階級をつける

中学高校イジメられていた。

中高一環の男子校だったため、同じ人物に中高イジメられていた。

まり中学二年生に進級したての頃だった。

当時からチビでナヨナヨしてた僕は、なんていうか典型的イジメの標的にされやすタイプだったのだと思う。

反撃もできなかったし、先生や親に相談することもしなかったため、どんどんイジメエスカレートしていった。

最初のうちは肩を殴られたり、文房具教科書を奪われたりしていた。

その頃はなんていうか、薄く広くイジメられていて、クラスの半分ぐらいが僕に対して危害を加え、もう半分ぐらいが静観していた。

しかし、だんだん暴力の内容がエスカレートするにつれて、狭く深くイジメられるようになった。

そうして、中学三年に進級する頃には、一人のイジメっ子だけが残った。




まず中三になって彼が行ったのは、僕の服を着る権利を奪うことだった。

最初休み時間に何度も殴られながら無理矢理制服を脱がされた。

それも毎時間

制服はもちろん下着まで脱がされ、よくわからない踊りを踊らさせられた。

しまいには、特定の授業は全裸で受けさせられた。

特定の、とはうるさくない教師の授業はという意味だ。

制服は彼の鞄の中にしまわれ、放課後になると投げつけられる。



言葉にするのは難しいのだけれど、みんなが服を着てるのに、自分だけ服を着ていないことは、とても惨めだった。

恥ずかしくて局部を隠そうとすると、腹や顔を殴られるのも辛かった。

一学期の終わり頃には、もう全裸ルーチンワークになっていて、彼が「おい!」と大声をあげるだけで、僕は黙々と全裸になっていた。



夏休みがあけ、二学期に入ると、彼は放課後新聞部の部室にたむろするようになった。

新聞部高等部部員が三年生一人しかいなかったらしく、二学期からは、彼と彼の後輩たちだけの部屋になっただからだ。

僕は無理矢理そこに連れて行かれ、そこでもイジメられることになった。



そこで行われたのは、イジメというカテゴリというよりは、レイプに近かったのだと思う。

より性的なそれになっていったからだ。



彼が男が好きなゲイなのか、それともバイなのか、はたまた誰かをイジメるのが好きなだけなのかは、よくわからないが、

とにかく彼は僕に対して性欲をぶつけてきた。

日々の暴力全裸強制ですっかり反抗する気がなくなっていた僕は、黙々と彼の命令に従っていた。

最初フェラチオからまり、最終的にはアナルセックスまで行った。



誰にも相談できなかった。

全裸で授業を受ける僕を見て何も言わない教師に期待する方が難しい。

親は平日は夜遅くまで仕事で家にいなかったたし、休日は一日中眠っていて、まともに会話が出来なかった。

まだインターネットは普及していなかったし、個人の携帯電話なんてもちろん持っていなかった。

どうすればいいかわからなかった。



高校に進学しても、彼とは同じクラスだった。

クラス面子は変わっていたものの、僕の扱いは学年中に知れ渡っていたため、特に変化はなかった。

しかし、その頃から少しずつ、彼の態度が変わっていった。

レイプするような人間を修飾する言葉では無いかもしれないが、

優しくなった。



顕著だったのは、暴力だ。

昔は僕が反抗的な態度をとろうがとらまいが、関係なく殴ってきたのだが、

その頃の彼は僕が従順にしていれば、あまり暴力をふるわなくなっていた。



彼に始めて休日約束をさせられた。

学校外で会うのは始めてだったし、休日レイプされるのか、と思うと、とても気が重かったが、

その日は普通にゲームセンターに行って、本屋に行って、ファミレスに行って、終わりだった。



そして何より世間話をするようになった。

昨日みたテレビの話や、授業の話、そんな普通友達がするような会話を、

たびたび僕に振るようになっていた。

とは言っても、全裸強制することや、無理矢理アナルセックスをさせられる点は変わりなく、

イジメレイプは続いていた。



そんな彼との日々は高校二年生に進級したときに終わる。

キッカケは「B君」だ。

B君とは始めて同じクラスになった。

B君は僕とは違った意味有名人だった。

まず何より体が縦にも横にも大きいため目立つ。

そしてB君は柔道がとても強かったらしい。



二年生に進級し、イジメっ子がいつものように「おい!」と叫び、僕を呼ぶ。

僕はイジメっ子の元に向かい、そこで服を脱ぐ。

そんないつものルーチンワークをこなしていたら、

B君があらわれた。



B君はイジメっ子に対して「辞める気はないのか?」という感じのことを聞いた。

僕がイジメっ子にイジメられていることは学年中のみんなが知っていたため、B君も知っていたのだろう。

イジメっ子が返事をした途端、僕はB君に引っ張られ、服を着させてもらった。



それから、B君は僕を守ってくれるようになった。

授業も制服で受けられるようになり、

放課後のおぞましい性行為もB君が柔道部に匿ってくれるようになったおかげで治まった。

休日イジメっ子に呼び出されることも無くなった。



僕はB君と一緒に過ごすようになった。

B君は休日柔道で忙しいため、遊ぶ機会はあまりなかったが、

休み時間やお昼ご飯を一緒に過ごした。

しかった。

正直、僕の「自我」は中学二年生で失われ、この高校二年生になるまでずっと無かったのだと思う。

それから楽しいことは全部覚えている。

B君が体育会のわりにアニメが好きで、特にガンダムシリーズが好きだったこと。

格闘ゲームギルティギアよりもストリートファイターKOFの方が好きなことも。

カラオケではDEENを歌うことも。

B君は優しくて、強くて、格好よかった。

全部、全部、覚えている。




B君との繋がりで、ほかにも友達ができた。

みんな優しかった。

けど、やっぱりB君は特別だった。



僕はB君のことが好きになっていた。



高校三年生になり、クラス大学受験科目別で分けられ、

僕はようやくイジメっ子と別の教室になれた。

同時にB君とも別の教室になってしまったけれど、お昼休みは一緒にご飯を食べたし、

B君は部活引退して、放課後も一緒に帰るようになった。



このB君のことが好きだという気持ちを、どうやって処理すればいいのか悩んでいた。

まずもちろん、B君が男性が好きな男性なのか? という疑問を解決しないといけない。

そして、さらにその先にある

責任感の強いB君にそこまで求めても良いのか?」という疑問が一番大きかった。



好きなら好き、嫌いなら嫌いだろ? と簡単に割り切れればいいのだけれど、

なんていうかB君と僕の関係はとても危ういように感じていた。

ハッキリ言って、B君の方が立場が上のようで、ある意味では下になる。

所謂「助けるなら最後まで面倒みろよ」的な論調で、B君の自由意志が反映されない気がしていた。



仮に僕とB君が相思相愛だったとしても、

B君の無条件の信頼と好意によりかかった、僕にとって都合が良すぎる関係なんじゃないだろうか。



まり

『あのイジメっ子が僕に関係強要したことと、上からと下からという違いがあるだけで、実質同じなんじゃないろうか?』

という悩みだった。



力の暴力とはまた違った、関係暴力みたいなことを、B君に押し付けることになるんじゃないか?

僕はB君によりかかりすぎて、これ以上を求めちゃいけないんじゃないか。

イジメっ子が僕に対して無理矢理性行為強要したように、

僕もB君に対して同じことをしようとしてるんじゃないか。



結局、僕はB君に思いを告げることはなく、高校卒業した。

彼は県内大学に、僕は県外の大学にそれぞれ通うことになった。

そして、大学卒業した今でも、彼とは友達であり続けている。



たらればを言ってもしょうがないのだけれど。



イジメっ子が僕をイジメてなかったら、僕とB君は友達になっていなかった?

イジメっ子が僕に性的行為強要しなければ、そもそも僕は男性性的な魅力を感じなかった?



もちろん、イジメっ子のしたことを肯定する気はさらさら無いし、合法的に殺せるなら殺してやりたいとすら思う。

けれど、あの地獄が無ければB君とは出会えなかったし、あの地獄があったから僕はB君を好きになれたのかもしれない。



それでもつい考えてしまう、イジメっ子が存在しなくて、

僕とB君がフラット関係出会えたとき

僕は彼を好きになったのだろうか?

彼は僕を好きになってくれるのだろうか?



僕は今でもB君のことが好きです。

2016-01-10

ガチャ騒動からコナミ会長の事を思い出した

ソーシャルゲームガチャ確率騒動の反応を見て、何が良い、悪いをここで断じるつもりは無いんだけど、なんとなく「ソーシャルゲームは悪いもの」という認識大分根付いた上で大きな騒動になってるな、という印象を受けました。



ところで、ソーシャルという言葉すら無かった90年代、今でこそゲーム脳等という戯言を信じる人はいないでしょうがビデオゲームというもの社会問題になっていました。頭を悪くなるという事もそうですが、ドラゴンクエスト3恐喝事件や、ゲームセンターは不良のたまりであるとか、結び付けられた例はいくつもあり、ビデオゲームのもの問題であるかどうかは疑わしくも、悪いものであるという印象は強まっていくばかりの風潮があった事は否定しがたいかと思います



そんな中、1996年現在CESAであるコンピュータエンターテインメントソフトウェア協会設立されます初代会長上月景正氏。そう、ゲームが嫌いと噂される、コナミ創設者であり元会長その人であります



ゲーマーにはあまり知られておらず、逆に経済界等ではそれなりに名が知られた方で、84年には自身ポケットマネーから教育財団設立し、現在までに多くの教育文化振興に関する支援を行っており、いま活躍するクリエイタースポーツ選手にもこの支援を受けたという人は多くいるかと思います

その経緯もあり、ゲームクリエイター上がりの経営者ばかりで、経済界ロビー活動に疎かったゲーム会社各社を取りまとめ、『コンピュータエンターテインメント産業の振興を図り、もって我が国産業健全な発展及び国民生活の向上に寄与することを目的』としたCESA設立に大きく寄与した訳です。

その後は皆さんもご存じの通り、ビデオゲーム悪者として扱われない為、市場規模アピールゲームによる悪影響の調査CERO設立による自主規制といった活動を続け、ビデオゲーム社会的にも認められる娯楽となりました。



また自身会社のもの健全でなくてはなりません。

コナミは99年にロンドン、02年にニューヨーク、それぞれの証券取引所上場し、現在まで続いています米国凶悪SOX法企業不正行為を行っていないか、財務状況は適正かを厳格に調査されるし、その体制の維持)を乗り切る為、その企業体質はまさに"健全"そのものです。

一方で「最強法務部」と揶揄されるのは、法令順守に取り組み続けた結果負け知らずだが、融通が利かない会社という認知の現れなのでしょう。



ゲームは嫌いだけど、嫌いなゲームを誇れるものにする為に、その健全化に尽力した結果、今のビデオゲーム産業があって、ゲーマーからは嫌われてしまったというのはまあ、幸福王子じゃありませんが、皮肉な話です。アンチヒーローじゃありませんか。

しかしたらソーシャルゲーム会社経営者の中にも、「ソシャゲなんて格好悪い。本当は大嫌い」なんて人が居たら、その人が能力をフル活用して健全化に取り組んだりするなんて、都合の良い話がその後聞けたら面白いなと思う訳です。

2016-01-07

ヲタクはてな民秋葉原に引っ越すたったひとつ理由

それは、精神満足度が異常に高いから

デメリットは、家賃は高いわ生活必要な店は少ないわ鉄道路線や大通りが多いから騒音は大きいわとあれこれ山積みで、普通土地であればわざわざ他のところから好き好んで移り住む場所ではない。

だが、たったひとつメリットがあまりに大きすぎてそんなデメリットなんかどうでもよくなる。

想像してほしい。現在では漫画アニメゲーム聖地と言われるこの地で、全世界ヲタクが憧れ目指す先にあるこの地で、日常生活を営むこの興奮を!

朝、目が覚めればそこが秋葉原末広町駅付近から中央通りを南下して電気街口に至るルート通勤経路。秋葉原に引っ越す前、遠くから秋葉原に通った日曜のあの日……夕暮れでそろそろ帰るかと思って「巡回忘れた店無かったかな」とか「欲しかったアレ、次来た時まだ残ってるかな」とか思いながら電気街口を目指すんだけどいつも改札機前で一瞬立ち止まってしまって。そして意を決してSuicaタッチした後のあの寂しさを毎日思い出して少し悲しくなることもある……。でも、仕事が終われば帰宅という日常の行動で、「今日はどこの店から向かおうかな」という、秋葉原通い時代に感じたあのわくわく気分が戻ってくる。でもあの頃とは違って、方々から聞こえる「おかえりなさいませご主人様」の呼び声を意味の通りに受け取れるのは秋葉原引っ越した後の今の特権だ。秋葉原活動拠点の「会いに行けるアイドルだって、ここに住めば逆にアイドル自分に会いに来てくれる事になるのだ。

そしてゲームセンター同人誌屋、ジャンク屋の誘惑に負けそうになりつつ、二次元グッズで溢れた家に帰宅。もちろん我に返って急に恥ずかしくなることはない。だって俺は秋葉原の住人なんだ。すべては秋葉原に住んでいる事実があるだけで夏冬の特定期間に集中する来訪者たちも自然に納得してくれる。風呂に入る時だって、「秋葉原風呂入るなんて贅沢を許されていいのかな」なんて思ってしまう。ましてやビールを飲みながら深夜アニメリアルタイム視聴しているなんて……もう優越感を通り越して「秋葉原住民としての義務果たしている!」という自分でも何言ってるのかよく分からない満足感に浸ることになる。

コンビニに外出すればアニメ作品とのコラボをやってたり、ハナマサ食材調達に行くだけでそこがアニメ聖地だったりする。風邪気味になって最寄りのドラッグストアに行けばなぜか隣でアイドルが踊り、ファンが大声援を送ってる。もはや何をするにも秋葉原文化がついてくる。

そして就寝。秋葉原の中で布団に入るこの素晴らしさは何事にも代えがたい幸福だ。外から聞こえる騒音だって、今の秋葉原の音だと思うとなんだか安心して眠りにつけそうな、そんな心の落ち着きが得られるような気がしてしまう。

さて、昨年秋葉原引っ越した私であるが、もうこれが最高すぎて毎日のように興奮している。ここで私が言う秋葉原はもちろん東京都が定義する秋葉原エリアのことだ。過去にcyberglass氏が秋葉原に住むメリットを挙げた記事を書いていたが、氏が住んでいた外神田6丁目は秋葉原エリア周辺の住宅街といった趣があり、やはり「秋葉原の中に住んでる」とは言い難い。秋葉原に住むなら妥協せずにここは秋葉原の中だ!と言えるところに住むべきというのが持論。秋葉原の周辺には住んだことはないけど、たぶん満足度はかなり下がっていただろうと思う。マンション廊下や部屋の窓から見える風景秋葉原エントランスを出ればすぐにいつものあの風景、吸っている空気秋葉原かどうか。この差は自分にとってはかなり大きいと思われる。

秋葉原エリア内は商業地なだけあって、そもそも住める物件を見つけるのが難しいし、ましてや自分予算や条件に合ったものを探すのはさらに難しい。でも秋葉原に住みたくて数年間探し続け、ようやくここぞという住処に巡り合えた。臨海エリア、お洒落な街並み、落ち着いた高級住宅街はいくつかあっても、秋葉原らしいところは世界探しても秋葉原以外にないと思っている。多様なヲタ文化にあふれた聖地に住みたい人の目標は明確だ。

みんなで秋葉原に住もうぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20160107012729

たぶん悪質な自虐風自慢

幼稚園児の頃滑り台の順番待ちをしたら年中なのに漏らしてしまった記憶

美人先生に着替えさせてもらって、けっこう嬉しかった。

小学校の出し物会で誰とも組めなくて1人ぼっちで泣きそうになりながら一輪車やったけど緊張で何度も転んだ記憶

→できないもの同士で友達になれた。そして一緒に練習して、最後には乗れるようになれた。

中学校の頃科学部に入ってすぐ実験器具を壊してしまい怖くなって退部した記憶

科学部をやめたあとに入った園芸部で、年配の先生と親しくなった。

高校の頃ゲームセンターに1人で通っていたら向こうから「アイツ1人でゲーセン来て何が楽しいの?」という同級生の声が聞こえた記憶

→あとで「俺といっしょにやろうぜ!」と誘ってくれた。

免許を取ろうとした教習所で何度もアクセルブレーキを間違えて徹底的に人格否定された記憶

卒検合格したときには、「よくやったな」と鬼教官から褒められ泣いた。

会社に入ってから今日までにしてきた大小の失敗の記憶

→その経験を生かして後輩の指導にあたり、今では慕われる存在に。

全然いけるやん!

浸りたい思い出がない

子供の頃の思い出も社会に出てから記憶も恥かい光景漫画読んでゲームやってた光景しか思い出せない。

何を思い出しても「あの頃もっと頑張っていれば」って気持ちしかまれてこない。

幼稚園児の頃滑り台の順番待ちをしたら年中なのに漏らしてしまった記憶

小学校の出し物会で誰とも組めなくて1人ぼっちで泣きそうになりながら一輪車やったけど緊張で何度も転んだ記憶

中学校の頃科学部に入ってすぐ実験器具を壊してしまい怖くなって退部した記憶

高校の頃ゲームセンターに1人で通っていたら向こうから「アイツ1人でゲーセン来て何が楽しいの?」という同級生の声が聞こえた記憶

免許を取ろうとした教習所で何度もアクセルブレーキを間違えて徹底的に人格否定された記憶

会社に入ってから今日までにしてきた大小の失敗の記憶

思い出したい思い出なんてない。

どれもこれも嫌な記憶ばかりだ。

そんな自分でも過去に浸りたくなる時がある。

そういう時はゲーム音楽を聞くぐらいしかない。

それぐらいしかないんだ。

そんな自分が時折とても情けなくな思う。

誰かが同じ曲を聞いて当時の輝かしい思い出や一緒に遊んだ友人の顔を思い出している時に自分はただ現実から逃げてゲームの画面を思い浮かべているだけだ。

辛い。

どうしてこんな人生になってしまったんだろう。

辛い。

辛い。

勇気が足りなかったんだろうか。

それとも単に出来の悪い人間だったんだろうか。

刹那的に生きていたのだろうか。

自分を諦めすぎていたんだろうか。

せめて孤独なら孤独なりに何か現実での楽しい思い出が欲しかった。

でもゲームだって上手くプレイ出来なかったし外出なんて全然しなかった。

ただ時間が過ぎるのを待ちながらいつか何かが変わると信じていただけだ。

素敵な思い出がない人生はこんなに空虚なのか。

でも自分が頑張った所できっと恥の記憶が増えただけなんだろうなという確信さえある。

辛い。

どうすれば良かったんだろうか。

どこまでも恥の記憶が追ってきてそれと相殺できる思い出は何もない。

ただ心の扉を固く閉ざして過去なんてなかったふりを続けるのだ。

そうして寂しくなる。

自分になにもないことがとても惨めになる。

辛い。

2016-01-06

貧困から抜け出すこと

http://m.huffpost.com/jp/entry/8902352

子供貧困から抜け出すことについての記事を読んだ。



私も塾には行かなかったし行きたいとも思わなかったが、仮に行きたいと思ったとしても、行けなかったと思う。



別に黒い服を着たおじさんが家に来たり、親がギャンブル中毒離婚したりはないし、(大学に入って一人暮らしをするまでは)特段ひもじい思いをしたことも記事に書けるようなドラマチックな出来事も何もなかった。

しかし、子供心に塾の授業料を見て、ウチの家計では無理だろうなと思ったくらいの家庭に育った。要するに田舎一般的サラリーマン家庭だった。

周りはあまり裕福ではなく、飯場のようなところで、ギャンブル中毒の親、母子家庭、父親の自殺小学校6年間で4回も苗字が変わった子、夜逃げしたためどこか遠くから車で送られてくる子等だらけだった。

金銭感覚教育観といった観点で)まともな両親が2人とも健在だった時点で、そこでは最も恵まれ環境だった。

そういう意味で、私は当地では最も恵まれ環境に生まれ育ったと思う。



大きなショックを受けたのは、親の預金通帳を盗み見た時だ。

それと当時ねだっていたゲームの値段を比べた。

それ以来、私は親にモノをねだらなくなった。当然塾に行きたいとは言えなかったし、私は小さいこピアノが習いたかったのだが、習いたいと言えなかった。



私は14歳の時、田舎を出ることを決心し、田舎中学を出て、片道2時間以上もかかるような遠い街の進学校へ行き、東京大学に現役で合格した。結局塾には一度も行かなかった。



私自身はそれが当然だと思っていたので全く辛くはなかったのだが、多分傍から見れば相当努力した部類だと思っている。

受験期には文字通り一日中勉強していた。これまでテレビゲームゲームセンターボーリングくらいしかなかった私にとっては、本を読むこと、勉強はとても楽しかったのだが、貧しい体験からくる出世欲と反骨精神、この世に対する恨みのような気持ちは並々ならぬものがあったと思う。



今の私は、東京大学を出て大きな、公共に係わる仕事をしている。

田舎いたころとは比べ物にならない人生だ。世間一般的には、エリートの部類に入るだろう。

給料は、外資に行った同級生弁護士になった同級生と比べたらかなり少ないだろうが、普通給料をもらって生活している。



社会階層を上げるためには大学に行くべし、というのは多分正しいと思う。

日本大学受験(というより東大受験)の良いところだと思うことは、基本的にはどんな境遇人間でも、ペーパーテスト一発、しか普通教科書理解できていれば合格できることだと思う(それが相応に難しいことは否定しないが)。



まりは個人の資質や、やる気次第でどうにかなるものだと思うのだ。

だがしかし、このやる気というのがかなりの曲者で、その大半は環境で決まってしまうと思っている。



私の転機高校だ。


進学校に入ったことが大事だった。

地方進学校だったが、地元中学とは全く違う人種が集まっていた。ゲーセンテレビファミレス以外の世界を知っているのだ。

この世界に多感な高校時代に飛び込み、周りが読むように本をたくさん読み、たくさん考えた。

これが今の自分の基礎だ。



そして高い交通費をかけて、遠い(公立だが)進学校に通うことに、反対せず後押ししてくれた両親の存在も大きい。

親がまともで精神的に安定していること、これは本当に大事なことだ。



不幸にもこのような環境が確保されなかった場合、私は同じように東京大学に独学で入り、今のような人生を歩めていただろうか。

おそらく無理だ。



視座を広げるためには、まずそれができる機会が与えられる環境にいることが重要だ。

テレビ以外の楽しみがある環境必要だ。



モチベーションを維持するためには、少なくとも将来に前向きな人たちの多い環境にいることが大事だ。

負の感情だらけの中で、周りに影響されず自分を貫き通すのは、然して気持ちの強くない高校生の私にはできなかっただろう。



私は幸運にも環境に恵まれ、これから何でもでき、何にでもなれる人生を手に入れた。

最近やりたいことに悩んでばかりで、鬱々としているのだが、こうした経験をした自分からこそできる方法で、世の中を良くしていきたいと考えている。