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2023-11-14

anond:20231113203358

色んな人間人生リアルに見て経験値上がって視野広く考えられるはずだし

子育てしても色んな人間人生リアルに見て経験値上がって視野広く考えられるよ?

特に小学校以降、PTAに参加してるのもあって子供関係で今までなかった地元の繋りができたわ

もちろん仕事もしてるから社会人としての繋りもある

 

あとこれは経験しないとわからないと思うけど

○○ちゃんのママ(パパ)」

という立場自覚すると、自分俯瞰して見られるようになる

自分中心の視点だけじゃなくて、子供から視点子供を持つ親の視点と3つの観点で考えられるようになって、本当に視野が広くなったわ

2023-11-10

anond:20231110103247

学童野球がないところ、学童の数から3つだでは圧倒的に足りないところなどが断ったなら評価するけどな

問題は何も考えずに(もしくは十分な説明をせずに)、もらう、もらわない、と判断することにあるんだと思うよ

お前も俺も小学校教育委員会PTA大谷に試されているんだよ

大谷グローブ

学校分用意しただけで実際に配るのは希望した小学校だけじゃん

扱いに困るなら希望しなきゃいいだけだから、扱いに困るって批判的外れかなあ

ただ、扱いに困るから希望しないってところのPTAなんかに「なんで希望しなかったんだ!」

かいうキチがいたらそれはそれで困りそう

都道府県教育委員会が全部引き取ることにして、12個セットで学童野球チームに配るのが丸いか

2023-11-08

anond:20231108223752

そうですよ。めちゃくちゃきもい

女を調教して走らせる。

どんな牡馬もなぜかメス化

露出爆乳

全員Pがうっすら好きでPに謎の媚びた言動

すさまじい女性蔑視

男が鑑賞するための女体コンテンツだよ

普通の国でやったら当たり前にクレームで潰れる

日本人クレームを悪だと思ってるし、

デモはうるさくて迷惑だと思ってるし、

騒ぐことをPTAのうるさい人が空気読まずに騒いでるみたいな認識しかできない

人権意識の低い無教養サルから

何も言わずスルーちゃうんですね

これが普通にできてしまうから

日本人ドン引きされて

クズ男の聖地になってキモがられてるんですね

2023-11-03

小学校の好きだったところ

増田出身小学校はいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった

裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林飼育小屋ちょっとした池、テニスコート1面があった

 

田んぼ…6年生が先生監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事おにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる

 

畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいも栽培して、秋になったら1年生の子グループを作って雑木林落ち葉焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たち微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生スイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)

 

ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる

 

飼育小屋うさぎニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田ニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田きょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった

 

ちょっとした池…でかめ金魚と鯉がいた。たまに野生か野良動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた

 

テニスコートテニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間鬼ごっこ会場か教頭先生スイカ振る舞う会場にしか使われてなかった

 

政令指定都市ベッドタウンな町の公立小学校での思い出

小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった

時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる

2023-10-27

PTA役員決めでもめるとか、自治会の持ち回りの役員とかあるけど、

そもそもそういう仕事って"誰にでも出来るような仕事"なのかという疑問がある。

会社仕事をしていても人によって能力の差があるし、向き不向きもある。

ましてや、保護者や近所の住人なんて、レベルピンキリなはずで、

役員になったものの、能力不足で仕事が出来ず大変なことになる…というケースはないのだろうか。

2023-10-23

日本は人の善意に頼ったシステムが多すぎる。

なんでそれを俺がタダでやることを当然だと思ってんの?って仕組み。

PTAとか自治会とか。

2023-10-17

「〜なんよ」はママ友めっちゃ使う

「いややわぁ〜 そうそう、そうなんよ〜〜」

 

こんな感じの会話を保育園ママ友PTAあたりでよく聞きます個人的には、男性より女性の方が使っているイメージがあります

〜なんですよ

「〜なんよ」は共通語に直すと 「〜なんですよ」

 

こちらはちょっときつい印象になります。その気がなくても責めたり咎めたりするニュアンスで受け取られてしまうかもしれません。

「〜なんだよ」は友人同士なら良いのですがママ友くらいの距離感だと使い辛いです

 

ちょっと丁寧で優しい言葉遣いが 「〜なんよ」 なのです

関西では 共通語丁寧語

関東の人たちは普段から共通語を話していますが、関西の人にとっては敬語丁寧語ニュアンスがあります。親しい人とは関西弁で、仕事中は共通語、知らない人と会話をする時も共通語です(地域差あるかもしれませんが)

有名な話だと、幼稚園児は普段関西弁をしゃべっているのですが、おままごとをするときだけ共通語になります。何かの社会役割を演じるときに使うのが共通語です。

SNSでは関西の人たちも周りに合わせて共通語を話しています

これは現実でもよくあるのですが、だれかが関西弁を話し始めると皆が関西弁になります

「〜なんよ」も他の人が使っているのを見て解禁した人も多いんじゃないですかね。人口の半分くらいは西日本でしょう。

 

追記

5ヶ月前の増田ブクマされていてびっくりしました

しか当時「〜なんよ」というネットスラングがムカつく、という内容の増田がバズっていて

その反論として書いたのがこちらの記事になります

追記2:

id:njamota ”〜なんですよ”ではなくて”〜なのよ”では?

id:yamada_k 「なのです」が「なんです」になる仕組みと、「なのよ」が「なんよ」になる仕組みは同じ(撥音便の一種)。ただ、共通語?では「なのよ」を使う男性が減ってきているけど、方言の「なんよ」は違うのかもしれない

 

そうだったのか・・・ありがとう

ルールがあるんだ。面白いなぁーーー

2023-10-12

anond:20231011203212

どこもそうなんだよ

相手商売も、現場が女だらけでも、上に行くとおじさんおじさんおじさんおじさんおじさんワッハッハおじさんノリ、上に行けば行くほど。

なんだよ。

教師保育士看護師、あたりかな、女で上までいけるの。あと鳥取市役所

私は女だけど正直、日本の女が大黒柱になりたがらないのもあると思ってる。自分より稼げない男性を養って家事して貰えば良いのに、しない!それだけは頑なにしない。女の中にも男女差別が巣食っているのに、そこは認めようとしないで、他の理由だけワーワー言う。あるよ女から差別

男女差別で一番問題なのは、男という理由無能ポジションにありつく事だ。それは社会全体の損失だ。なのに、優秀な女が家庭に引っ込んで無能な男が出てきて、無能からうまくできなくてストレスを抱えてパワハラやらなんやらする

いかもっと主夫を増やせよ。ママ友界とか見てるとほんとにイライラする。PTAで「ワタシって有能」と古いエクセル技を炸裂させてるなら、戻れ!会社に!辞めるな。仕事を辞めるなよ…

2023-09-30

anond:20230930131303

民主主義おかし制度は団結して変える義務責任構成員にあるから

義務違反、懈怠なんだよね

まりそういう訳でPTAが手作業なのも自分たち責任だし総意だよ

一人一人は望んでないとか言う言い訳通用するのは子供だけ

anond:20230930131119

PTAが未だにベルマーク昭和的手作業で集めるのも個人個人は心から賛同してそうなってるんだ

そっか

anond:20230930130711

もうこれ以上言及しないけど、建設会社建設業協会は違うエンティティだよね…

学校子供通わせる保護者PTAが同じ個体だと認識してるくらい事実認識が雑だと思うよ

事実をまず正しく認識できない人とは議論ができない

2023-09-22

ゲロをしてもいじめられない子といじめられる子

小学校ゲロをしてもいじめられる子とそうでない子がいる。

これは勉強ができる、スポーツができる、美少年、家柄、関係ないような気がする。

もっと複雑な因子が絡み合って発生しているような気がする。

私のクラスにも一人授業中にゲロをした男子がいて、クラス中が騒然となったが、その子が翌朝学校に来てもいじめられることはなかった。

の子性格がいい子で優しく、お父さんがPTA役員をしていることも関わっているのかもしれないが、それよりももっと何か違う要因があるような気がするのだ。

もしそこで「ゲロゲロ男」とか「ゲロゲロゲロッピ」とか言って馬鹿にしようとする輩が1人か2人いて、その輩に積極的服従するような空気が起きたら、その子は瞬く間にいじめの標的になった気がする。

「偶然にも」その子いじめられキャラではなく、「偶然にも」馬鹿にする奴がいなく、「偶然にも」それに同調する群衆空気も発生しなかった。

これらはすべて偶然ではあるが、もしその子いじめられていたら、小中高不登校になって無敵の人になっていたかもしれない。

この世は無常であるとともに、いかに運が大事かしみじみと思わされる。

2023-09-20

anond:20230920120922

もちろんある程度コントロールは出来るけどな

例えば町内会活動とか嫌いな人は、そういうのがない、もしくは薄い地域に住めばいい

PTA活動とかママ友とか嫌だ、って人は極端な話子供を持たなきゃいい

そういう部分も含めて利口に生きるスキルは誰にでも必要

から飲み会絶対的に嫌な人はそういう職種に就けばいいの

2023-09-15

コラム父親になったらOSを入れ替えよう!」

イクメンムーヴメントも来て、最近男性育児への参加率が増加してきているが、まだ「しなければならない」という義務感が先行している人、企業成果主義のような感覚で「親としての評価」だけを求めてしまう人が多く、育児を楽しむところまではなかなかいけていないようだ。

父親積極的子育てすれば、これまで見えなかったことが見えてくる。子どもの成長はもちろん、家族夫婦の絆が強まったり男性家事に勤しむことで生活力が磨かれるので、将来もし妻や親が介護になったり、一人で暮らすことになっても安心だ。また家庭という枠を越えて学校PTA地域活動へ参画すれば、会社では味わえない仕事の達成感を得たり、一生付き合える隣人ネットワークも持てる。それによって父親自身世界も広がり、人間の幅が出来てそれが本業仕事や老後の人生にも活かされてくるのではないだろうか。

子育て主体的に関わることがこんなに「いいことづくめ」なのに、残念なことにまったく興味がない男性はまだ多い。そもそも父親を楽しもう」「地域父性を発揮しよう」なんて発想すらない。「育児母親仕事。男は外で働き稼いで家族を養うのが父親役割だ」と、思いこんでいる男性はまだ少なからずいるのだ。

そういう僕も20代の頃は仕事に没頭し子ども特に好きでもなく、そんな考え方だったと思う。でも35歳で娘が生まれとき直感的に「育児義務ではなく楽しい権利なのではないか」と思った。子どものいる暮らし自分なりに目いっぱい楽しみたい。「手伝い」ではなく主体的子育てに関わることで、ひょっとしたら親として、大人として、地域社会の一員として自分が成長していけるのではという予感があったのだ。

そのためには、独身の頃と同じことをしていてはダメだ。まずは「男は仕事。女は家事育児」といった古い価値観アンインストールする。つまり自分の中のOSオペレーションシステム)を入れ替えねばと悟った。実際に始めてみると子育てはいろいろなソフト(寝かしつけアプリ、お風呂入れアプリ絵本読みアプリなど)が必要でそれを円滑に稼働させ育児を楽しむためには、古くて堅い父親像を追い出し、新しい時代必要父親OSインストール意識改革)が必要だったのだ。

またOSが古いと「ワーク・ライフバランス」という言葉も捉え方を間違える。子育てをしてみて僕も分かったのだが、「仕事生活か」のどちらかを取る二者択一ではなく、自分なりのハッピーバランスを考えそれらが融合して人生を形作ると考えることが大事なのだ仕事子育て自分人生と捉えるならば、毎日双方がスムースに運ぶようマネジメントすることが大事で、そうすれば段々と楽しめるようになってくる。ただし大概にして子どもの幼少期と仕事責任が増す時期は重なるもの。僕だってそうだった。子どもが生まれたって仕事面白いし、熱血マンガを読んできた世代なので「男のロマン」的なものあるのだが、そればかりを追いかけて家庭を放ったらかしにして仕事一筋では家族幸せになれず、結局自分人生も楽しくないのだということに何回かの失敗で思い至った。幸い、大事にならずに修正できてよかったのだが、危ないところだったと過去述懐して思う。

セミナーや講演で全国を歩いていると「子育てが始まって妻と不和に陥った」という男性が多いのだけれど、そういう笑顔のない男性には「それはあなた能力や向き不向きの問題ではない。OS問題なのだ」と伝えている。

これから父親になったらOSを入れ替えて、自身の働き方や子育ての仕方を見直し子どものいる暮らしを楽しむことで男性だって楽しい人生を送ることができるのだと考えよう。そして自分人生肯定する父親笑顔こそが、夫婦パートナーシップ子ども自尊心を育むのだということ認識して、父親であることを明日からもっと楽しんでいこう。

https://www.gender.go.jp/policy/men_danjo/column/os.html

anond:20230914182217

2023-09-08

中年男性休日

6時に起きてゴミ出し、朝食の支度。

妻と子供を送り出す。

9時いつの床屋

10時イオンモール。お目当ては今日からUFOキャッチャーに並ぶずっと真夜中でいいのにの景品。

開店と同時にゲーセンで筐体を見つける。一人一個までの注意書きがあって、とれる場所には一個しかない。

俺はUFOキャッチャーなんてやったことがない。1回100円、500円で6回。迷わず5枚の百円玉入れる。

2回目でとれた。

店員に頼んで一個置いてもらう。時間で残り1回。今度は取れない。

また500円入れる。

また2回目でとれた。自分の意外な才能に気づく。さすがに遠慮する。

靴屋スニーカー洗浄剤とブラシ買う。

スーパーで夕食の総菜(鴨のロースト茄子の揚げびたし、イカから揚げ、アジなめろうブロッコリー)と昼飯の材料(肉野菜炒め)買う。

ケーキ屋を除くとタルトセット1250円が1000円で売ってて思わず買う。

家に帰ってUFOキャッチャー戦果フォロワーゼロエックスに上げる。

野菜炒めと即席ラーメンで昼飯。

マツダディーラーで年内に買おうと検討してる新車の商談。予算400万、見積もり450万。

今乗っている9年落ち10万キロ越えの査定、35万。でも今月決めてくれるならプラス18万。

さらに値引き15万とのこと。心が揺れるというか、妻がオッケーなら買ってしまいそう。

ネットで見た方法スニーカー洗う。洗浄フォームつけてこすってふき取るだけ。

水洗いよりは汚れが落ちない。

ゲームしてると娘帰宅。何か玄関で騒いでる。

帰る途中で漏らしたらしい。服を脱がしてシャワーを浴びさせる。廊下雑巾がけ。服と靴を水洗いして干す。

夕方PTA役員会。運動会役割について。

15分説明聞いて終わり。

帰って子供と夕食。娘はゆでたブロッコリーだけばくばく食ってお腹いっぱいとか言ってる。

ご飯食べないとタルトやらんとか言って何とか食べさせる。

子供タルト食べる。

妻は残業らしい。

風呂に入って一息ついて増田

2023-09-01

くそ田舎ダメ昭和文化に育てられたかつての少女

私はクソ田舎の、ダメ昭和文化がこびりついた大人たちに育てられた。

一人目の子どもが産まれた頃から、突然、親や親族から言われた嫌な言葉フラッシュバックするようになった。

それは夢にまで出てくるようになった。

夢の中に出てくるのは決まって母だ。少女の私に向かって嫌なことを言ってくる。

夢の中の私は大声で怒鳴り返そうとするが声がでない。泣きながら吠えるように反論しようとするのだが開いた口からはヒューヒューと空気漏れるばかりでそのうち夫に起こされる。

「大声でごめんなさい、ごめんなさいって言ってたよ」

目覚めると冷や汗がびっしりで喉が痛い。現実では怒鳴る事ができたらしい。

なぜか謝罪を。

今年二人目の子どもが産まれた。

ふと、この子たちには、私が親や親族から言われた嫌な言葉を言いたくないと思った。

ちょうど9月になったので、8月のカレンダーの裏にその『嫌な言葉』を書いてみることにした。

そうしたら、いや、これはちょっと子どもに投げ掛ける方がどうかしているのでは?と思った。

小一かそこらの少女に『あなた結婚するのが楽しみ』『あなたの孫をみるのが楽しみ』とそれを頻繁に投げ掛ける大人

よくあるシーンだろうか。

でも事あるごとに言うものではないと思う。

中卒で働いて二十歳前に結婚して出産することが当たり前の時代だったら幼い頃から結婚出産意識させるのも最もだが、こちとら平成(当時)の世を生きていく幼女(当時)である漠然とした未来の私より、当時の私を見てほしかった。

あなた結婚しないでいると弟くんに迷惑になるのよ』

そんな事を言わないでほしかった。

あなたの顔は親族の誰にも似ていないわね』

からどうだって言うんだろうか。

『どうしてクラスの子に仲間外れにされるの。お母さんに恥をかかせて』

当時の母はPTA会長をしていた。

『お母さんの考えていることがどうしてわからないの!お母さんの心の思う通りに動いてよ』

共働きフルタイムで働いていた母は疲れて帰ってくるとよくこうして叱った。

圧倒的に対話ができない大人たちがまわりにいた。

そんな私が産まれてはじめて存在肯定されたのは高校生の時、祖父が要介護状態になりオムツ替えや床に垂れ流された汚物を拭いたりしているときだ。

あなたがいてよかった!」

あー、こういう時だけかと思った。

そして数年たち就職し働き始めた私は職場人間関係自分仕事のできなさに悩むことになる。

鬱っぽくなり母にポツリと現状を話した。

「あ~~お母さんの職場にもそんな子いるわ~~仕事できなくてね、みんなから嫌われているんだよ~~どうしてだろうね」

……そうだった。母は相談を受け止めるのがめちゃくちゃ下手なのだ

小さい頃から悩みを打ち明けてもなぜか母の職場愚痴で終わる。私はずっと聞き役だ。

泣きながら訴えても「お母さんそんな事経験したこといからわかんない。ホントにそんな事があるの?あなたおかしいじゃない?」と言われてきた。

これは駄目だな……と席を立とうとしたら

「辞めるんなら結婚してからにしてね」

なんかこの言葉でプツンと切れた。

私は家を出ることにした。

24歳の時である

くそ田舎故に、女が結婚もしくは同棲以外で家を出ることなど論外である。でもなんだかもうどうでもよくなった。

五万円以下の築35年のアパートを借り、今までの職場を辞めて、工場夜勤を中心に働くことにした。なぜ工場?と思うだろうが、田舎の昼の仕事はめちゃくちゃ手取りが少ないのだ。

荷物をまとめる私に、母は焦った親族は焦った。

24歳。同級生は大抵結婚子どもを産んでいる。それなのにどうしてお前はそんなヤクザみたいな生き方をするんだ恥知らず。と罵られた。

家を出る日、母が駆け寄ってきて言った。

「これからもお母さんを助けてね、お願いね

こうして見るとなかなかの事を言われてきたなと思った。まぁ24歳の時の独り暮らしがなかったら私は今もあの田舎で親や親族サンドバッグをしてたかたも知れない。書いてみてちょっとスッキリした。

結局、親も親族も私もアイデンティティがなかったのだ。自分がないか相手のこともよくわからない。対話ができない。

私は私。あなたあなた

それを大事にしていけば私が言われた『嫌な言葉』を子どもたちに言わないですむ……ようになりたい。

2023-08-30

anond:20230830210325

ボボボーボ・ボーボボ

  アニメ放送時にPTAから教育上悪いから」ではなく「こんなアニメを見ていたら頭がおかしくなる」という苦情が来る

  それを知ったファンから「ごもっともです」「確かに」などと同調せざるを得なかったという逸話がある

2023-08-29

anond:20230829131348

あとあとPTAとかからイチャモンつけられた時に「自分らはちゃんとしてますよ」と反論するためにガイドラインを設定してるだけで、本当に禁止する気はないんだよね😊

わかるわかるー😊

から狂ってるよ

2023-08-25

リベラルが不人気なのは昔の学園ドラマのせい

リベラル立ち位置って昔の学園ドラマ教頭PTA委員長ですやん

学園ドラマ見て育った世代が反発するの当然ですやん

この国を裏で動かしてる組織が長年かけてリベラル反抗的になるように仕組んだ戦略の成果なのです

おそろしいこっちゃ

2023-08-21

anond:20230821114408

仕事育児を両立するのは妻だけじゃないはずだが

増田は育休とったのか?

保育園の送り迎えできるのか?

急な呼び出しに対応できるのか?

PTA学校行事に参加できるのか?

子供が生まれた後に働けるのは育児サポートがある選ばれた人だけだ

今は子供が大きくなったんだから働けるだろってところは同意

働けるなら働かないと

2023-08-17

anond:20230817085206

人間嫌いな人は子供が大きくなると苦労するよ

子供だって人間なので大きくなれば言葉でのコミュニケーションをしないといけなくなるし

子供が大きくなるとPTAだなんだで他の親とのコミュニケーションもしないといけなくなる

2023-08-10

現代の「表現の自由戦士」の本丸って「非実在青少年騒動以降の人々で、実際のところ腐女子率がかなり高いんだけど、「くたばれPTA」とかやってた昭和対立構造をそのまま引きずってる連中には理解できないだろうなと思う。

2023-08-02

レズカップルに育てられた人

一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。

登場人物

自分→女でノンケ

親1→レズメンヘラで血が繋がってる

親2→レズモラハラで血が繋がってない

特殊すぎて身バレしそうだから多少フェイク混ぜます

レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹からまれたので、自分感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる

結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人から父性みたいなのも感じないか父親代わりじゃないな、みたいな?

家族ってある程度は本能理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。

うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。

でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。

私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間おすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。

それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子デリケートから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ

これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかにそもそも親2は出産無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティ友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。

親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitter同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。

話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。

だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。

すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校図書館虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。

あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観すっぴんショーパンキャミサダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。

私の学校生活が全部親たちの幸せ審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。

「こんなに理想的な家庭!ナチュラル私たち子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔PRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。

そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休み男子と外で遊べないようなタイトスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代スポーツが好きで男子友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。

別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。

当時はあまりにも男と話せないから、自分レズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌い寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。

親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズバイ後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。

母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだからノンケ親だけを「同性愛無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。

うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。

話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。

親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業内定英才教育バイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。

結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。

親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。

なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親いるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。

それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。

私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。

差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターン家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピー子供さんもいるでしょう。

でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者当事者子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外暮らし養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。

社会制度を変えることに必死で、普通子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。

圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。

最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。

これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。

2023-08-01

anond:20230801232618

対照用にdeepLの画面で対訳見ながら編集した翻訳和文原稿も吊っておく (deepLが誤解する場所とか主語を補ったりしないとちゃんとした訳にならんのよ)

ここは原文からニュアンス変えすぎでは等の突っ込みも甘んじて受ける。

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「例の件」に関して、彼らは当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもないのに語るべきだろうか、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。俺は長崎の生まれ被爆三世当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者ほとんど残っていないから俺が言う。

長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラー扇風機もない真夏小学校体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺にはそれが辛い時間だった。話をする年寄りもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。もうひとつ辛いことがある。毎年この時期になると、廊下にはずらりと、他所地域ならPTA発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。最近は、原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞く。なので、今も続いているかは知らないが、俺の頃はそこに展示されていた。

小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキング写真だが、それでもどうか見てほしい。どうしてもその写真掲示された廊下を通れなくて、その時期はいだって校舎の別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。

今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の祖父は、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間もっと山ほどいただろう。彼は瓦礫だらけの長崎の狭い道を、handcartを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。当時の祖父子供じゃなかったが、当然それと似たような事をしたこどもたちも居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、兄弟がそれを焼いた話。薪が足りなくて親父の遺体が十分に焼けず、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。

俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。

今は少しだけわかる気がする。

俺が自分トラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。

からひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。

俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。つまり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福人間のひとりだった。祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば、何でもないことなのだ。

記憶は人に語られる度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶も、もうほとんど忘れ去られている。78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが今や墓の下にいる。

老人たちの言葉と比べて、自分言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。自分のような存在がこれを語ることが許されるだろうかと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、我々が口を閉ざした結果があれなのだ

想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。

翻訳者注記: このポストは、日本のある投稿者が「自分広島長崎出身でもないのに原爆に関する言論について発言する資格があるだろうか」と悩みながら、それでもバービー原爆の件について発言した投稿に対する返答である世界に読まれ価値があると考えここに翻訳した。

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