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はてなキーワード: 足枷とは

2017-09-23

新規同担

はじめて匿名ダイアリー書く。最近色々と自分の中でモヤモヤしてたか文章に書いて整理したくなった。今までの自分思考真逆思考になっているから多分冷静に、客観視してこれを読むとすごくムカつくんだろう、って思う。そういう内容です。書き捨てると思う。

私はジャニーズのある人が好きだ。その子中学生の頃から気がついたら目で追っていて「担当」として応援していた。彼の全てが好きだ。彼が進む道を一つ一つ追って一喜一憂してダンスが上手くなった、歌が上手くなった、はじめてこの仕事がもらえた…そんな軌跡を見ているうちに、私は気がついたら彼の担当の中では「古株」に分類されるのか?というほどの長い時間応援していることに気がついた。それでもコンサート舞台に足を運ぶたびに好きが募っていく日々だった。

同担友達もいた。現場の時に会うこともあれば何もない日常でご飯に行ったり遊んだりしてとても楽しかった。「今日コンサート、◯◯くんのここが良かったよね?」「分かる!◯◯くんと□□くんが絡んでいるところ見た?」「見た見た!絵になるよね〜!」そんな会話が心地よくて楽しくて仕方がなかった。

彼はどんどん前に出てくるようになった。多くの出演者がいる事務所舞台ではメインキャストになるようになった、冠番組が出来た、その分彼のことを知る人が増えた実感もある。コンサートに入るたびに彼の団扇が増えていく光景を目の当たりにした。チケットが当たりにくくなった。嬉しい限りだった。私は彼は「なんで売れてないの?あんなに素敵な子なのに!もっと彼の魅力を知ってほしい!伝えたい!」と思っていたので、手に取るように分かる変化が誇らしかった。

しかし、最近突然「同担」が面倒になった。「新規」が煩わしくなった。

正直、そんな自分自分自身が一番驚いているし戸惑っている。こんなことを感じている自分が嫌いだ。でも感じてしまっているのは事実

SNSで「新規」の方が今の彼を真っ白な気持ちで受け入れているのが違和感だった。「今でこそ◯◯くんはこうだけど、ここに至るまでにああい経験してるのを見てないんだ。」と思ってしまった。心底面倒な奴だと自分でも思う。「新規」の方が「同担」として自分と一括りにされている実感がモヤモヤを加速させた。彼の何を知ってるの?と一丁前に思うようになった。

そう思ってしま自分が嫌で、なんとなく今まで仲良くさせてもらっていた同担友達にも申し訳なくなった。友達自分と同じ時期あたりから応援しているのに、きっと私みたいな感情は抱いていない。そう思うと友達が綺麗で眩しくて直視できなくなった。

ただ単に嫉妬なのだと思う。だって、今の彼から応援し始めたらきっと楽しいもの仕事もある。メインを務めさせてもらえている。ダンスが見違えるほど上手くて目が惹かれる。研究をたくさんしているからこそ舞台映えする。こんなに完璧に近いアイドルになっているんだもの。知らないでしょ、ダンスが苦手で2カウントズレるのが当たり前だったこと、最前線にいたのに突然立ち位置を下げられたこと、突然仕事がもらえなくなって干されたこと。どういう気持ちで見てきて、応援してきたか知らないでしょ?なーんて思ってしまってる。

自分が面倒なオタクであることが嫌だし、きっと私は彼の足枷になってしまっているだろうから、少しだけ離れようと思った。本当は担降りまで考えたけど、きっと今の思考に陥ってるから冷静になれていないんだな、と思って結論を出すのをやめた。

彼を知る人が増えるのは嬉しい。彼を応援する人が増えるのは嬉しい。古株がいるから彼の今があるし、新規いるから彼の未来が作られる、なんて言葉を考えた人は誰だろう。

2017-08-21

景気ウォッチャーを見る限り、景気が回復してきているが

現状の企業社会デフレ特化されたような形になってしまっているため、この点が足枷となっていることが明確になってきた というのがどうも世の中の人一般的認識らしい。

だがはてなブックマークコメントとかを見ていると、「未だに景気は最悪」みたいな認識の人が結構多い。これはつまりはてなブックマーカーには、世の中の平均と比較しても知力体力とも劣っておりどのような状況下においても絶対に最低の人生しか得られない、という人達結構な数いるのではなかろうか。

2017-08-07

住宅に金を使わない

年収700万くらいだけど、家賃は4万円弱。

ボロボロだけどこれでいいと思ってる。

しかし、親、親戚は理解してくれない。

自動車を持って、良い家を購入するか、良いところに住むのがステータスだと信じて疑わない。

そんなものいらないんだ。無意味なんだといっても理解しようともしてくれない。

不動産は極力安くて、行きたいところに自由に移動できたほうがいい。

自由を奪う足枷しかない。

浮いた金で、いろんなサービス買ったほうがよっぽど豊だ。

みんなそう思うでしょ?

2017-07-31

キモくて金のないオッサンよ、早く気付け

キモくて金のないオッサン問題

人生で乗り越えるべき課題をひたすら先送りにしまくってたら、

順調に真綿で首が締まってきた、ってだけの話で同情の余地は全くない。

課題は先送りにするほど重い足枷になり、後の自分を苦しめるなんて事は小学生時分に夏休みの宿題で気付く。

バカでも8月中旬になれば少しずつ焦り出して、後半には渋々着手してなんとか終えるだろう。

でも怠惰キモカネは自分言い訳して誤魔化し、やらなかった。焦燥感は人並みに持ってたくせに。

色々なものを積み重ねるべき青年期を無為に過ごしたツケを、四十路になってからヒィヒィ言いながら払ってるだけだ。

氷河期女尊男卑新卒至上主義・・・言い訳だけは一丁前。なら同級生は全員同じところまで落ちてるか?

社畜なんぞになってたまるか、と開き直って自営業でもして生きる勇気も知恵も無ければ

同じ境遇同士で団結して現状打破に動いたり、相互扶助を目指すような協調性も無いからタチが悪い。

そのうえ非協力的・他罰的・内向的・悲観的とくれば、誰も救いの手なんか差し伸べてくれるかっつうの。

救って欲しいならくだらんプライドは捨てろ。クズのくせに、強がって弱みを見せたがらなかった結果が今の惨状だろう。

それすら出来ないからいつまで経っても底辺のままなんだ。四十路にもなって、あんたらいつになったら気付くんだ。早く気付け。

2017-07-14

転生と転移の違い

https://anond.hatelabo.jp/20170714114846

転生→同一人物として転生する場合(「このすば」「イセスマ」タイプ)と別人として転生する場合(「幼女戦記」「ナイツマ」タイプ)がある。前者の場合転移に近いが、神様転生を挟むことによって、好きな能力を貰ったり、好きな異世界を選べたり、何か目的を与えられたりするので、いわばガイダンス済みで異世界に入ることができ、足枷なく異世界生活するような物語になることが多い。生前の後悔などが物語に反映されることもあるがそうでないことも多い。別人として転生する場合は、赤ん坊からスタートして知識を蓄えながら成長していくので、転移とは全く別のストーリーになる。産まれときから住む場所立場があるので、転移みたいに知らない世界を探索する感じではないし、領主の息子として生まれ領地運営するとか、魔族やモンスターとして生まれる、なんてバリエーションも作ることができる。

転移→前述のとおり、ガイダンスも何もなく異世界に放り込まれるので、まず知らない世界を把握しようとする形で物語を進めていくことが多い。「オバロ」はゲーム実体化タイプだが転移に近い構造と言えるだろう。転生チートが与えられないので、現代知識チートだとか、もともと持っていたスキル活用するなどのパターンが多いか。また「ログホラ」のような集団転移タイプというのもある。異世界召喚転移バリエーションと言えるが、純粋転移と違って「召喚者」が存在するので、その思惑によってたとえば「勇者」としての役割を与えられたり、「ゼロ魔」のように召喚自身パートナーとなったりすることで、物語方向性を持たせることができる。

え、読者の境遇? 何か関係あるの?w

2017-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20170514131214

割とそんなことはないと思うよ

ノンケ自分(ゲイ)の都合で人生を狂わせたかも…みたいな罪悪感にグッとくる腐女子が多いイメージ

ゲイ同士だとエロがメインだったり少女漫画的な“男同士”というより恋愛のものに焦点を置いた話が多いか

元増田が言ってるようなノンケ足枷になるような話は割とシリアスから物語メインの男同士ってとこに焦点が置かれた「好きになってゴメン」系かなぁ

2017-04-09

頭が良すぎる人間は淘汰される

状況を瞬時に把握し、適切な行動を取ろうとする天才意図が分からない奴が世の中にあまりにも多すぎる

このことが天才足枷になっているのでなんとかして欲しい

2017-03-29

自己否定拗らせたメンヘラは最終的に彼氏をフるって話

要するにただの自分語り

高校一年とき、ある男と知り合った。

2つとなりのクラス学級委員長をやっている、見るからにまともではなさそうな男だった。

聞けば1年生になって少しして、すぐバスケ部をやめて少し噂になっていた男らしい。

そいつちょっとしたきっかけで夏に連絡先を交換して、1ヶ月くらいして告白されて付き合い始めた。

そいつにも私にもメンヘラの気があったのもあり、そりゃもう頭の悪そうなカップルになっていたと思う。

けれど私にとっては人生で一番幸福時間だった。

放課後に人目の少ない道を選んでは手を繋いで帰ったし、休日はだいたい彼の家に行って遊んだセックスしたりしていた。

行事ごとのたびに贈り物もしていたし、毎晩のように電話をしながら値落ちしていた。

もちろんメンヘラ同士であるのですぐぶつかり合った。私も彼も気持ちを伝えるのが壊滅的に下手くそだったし、自虐的物事を捉えるのが上手かった。

彼が自虐的に物を捉えて悲観するたびに私は彼に「あなたは素晴らしいひとだから自信を持ってくれ」と言い続けていた。

彼が私の言葉で元気を取り戻してくれるのが何よりも幸福だった。

彼は私の書いたひどい絵をLINEアイコンにしてくれた。

私の知らないところでも私のことばかり話していたそうだ。

私達が付き合い始めたあと、彼は学年全体でも20位くらいの成績だったのがメキメキと伸びはじめ、模試があるたび毎回のように1位を取るようになっていた。

2年生の前半までは私もそれなりだったので、彼と一緒に1位と2位を抑えることもしょっちゅうだった。

本当に楽しかったし、幸福だった。

彼は、彼の自虐癖に対して少しずつ改善兆しを見せていたし、友達がいなかった筈がいつの間にか友人達と良く話すようになっていた。

けれど私の自虐癖は治らなかった。

高校二年の後半に差し掛かるにつれて、彼と私の実力差は目に見えるようになっていた。

別にそれは全然構わなかったしむしろかなり嬉しかったのだけれど、彼は国立大を目指していた。

それも理系結構レベルの高い、いわゆる宮廷と呼ばれる大学だった。

私も最初の頃は彼と似たような大学を目指していたが、ある日ふっと私の学力じゃ努力しても行けないなと気づいてしまった。

私は行けない。そもそも学問にそこまで熱中できる人間じゃないし、おそらく地方ほとんどF欄みたいな国公立に行くことになるだろう。この学校で上位を取れていたのもこの学校が基本バカ高校からだ。

対して彼は本当に頭がいい男だ。このまま努力すれば絶対第一志望くらい余裕で行けるだろう。理学に対する情熱だってある、だってあんなに楽しそうに数学を教えてくれるんだから

じゃあ私はきっと彼の足を引っ張ることになるんだろう。そう思った。

そんな思考半年ぐらい突き落とされて、結局3年生の5月に、適当理由でっち上げて彼をフった。

その半年あいだ、彼と心中してやろう妊娠してやろうとこっそりゴムを捨ててセックスしようとしたり、自殺することで彼の足枷にならないように、かつ彼の心に大きな爪痕を残せるようにしてやろうとしたりもした。

でも結局無理で、いい大学にちゃんと行くべきである彼が合格できるようにするためには私を忘れてもらうしかないとフった。

その後卒業するまで、ちょこちょこ彼から連絡が来た。

でも秋の私の誕生日電話が来たときに、私はひどい態度でそれすらも拒絶した。

その結果、彼は無事に大学に受かったらしい。

噂で聞いた話ではあるが、まず間違いなく受かっていると思う。かくして私の気付きは正しかったらしい。

対して私は受験した大学に全て落ちた。

浪人もやめた。就活こそしているが、4月になれば正式ニートだ。

なんで落ちたかって、彼と別れて一年、ずっとべそべそ泣き続けていたからだ。好きあらば自己嫌悪に溺れて布団の中で一日を過ごした。起き上がることもできなかった。前だったら悲しくなったら彼に電話をかければたちまちに元気になれたのに、ねだればいくらでも撫でてもらえたのに、という具合で。

その生活は未だに続いている。

私の判断絶対に正しかった、でもその代わり私は二度と彼に顔向けできない。

彼は今後の人生でまた恋人を作り、妻を貰い、子を育てることになるのだろう。

私には絶対に無理だ、どんな男に対しても遊びとしてしか付き合いを持てなくなった。

からもう私はこれから死ぬまで、彼のくれた贈り物や写真をたまに眺めては罪悪感と喪失感でべそべそ泣いて生きるのだと思う。

今も、彼のLINEアイコンが、なぜか私が書いたあのひどい絵に戻っているのに気がついて、ぐずぐずに泣いている。

あんなフりかたしかできなくてごめん。ごめんなさい。

お願いだから忘れて、希望をもたせるようなことしないで。ごめんなさい。

2017-03-06

結婚制度が気に食わないだけなのにミソジニー勘違いされる

俺は女が信じられないのではなく、結婚制度が信じられないのだ。

はっきり言ってあんもの、今時何の保証にもならない。

婚姻関係は片方が浮気すれば壊れるし、性格の不一致やら何やらでも破綻する。

まあ、どちらかが一方的我慢するよりは、そっちの方がまだ健全だろう。

そういう時代になってよかったと思う。

しかし、こうもあっさり壊れるものを、必死こいて維持する必要なんかあるのか?

実際問題結婚していようが不倫する奴はするし、本人が望んでいる限り止めることもできない。

芸能人だったら仕事干されて大損害かもしれないが、一般人から取れる慰謝料なんて知れている。

数百万というのは安い金額ではないが、それでも家庭を壊されることからすると割に合わない。

だったら、いったい何のために夫婦の諸々の義務はあるのだろう。

人が自由を得たにしては、今の制度ちょっと重すぎて時代遅れなんじゃないか

別に女の自由否定したいわけではない。

逆に、自由を認めているからこそ、結婚という制度無駄足枷しか感じられないだけなのだ

そこははっきりしておきたい。

2016-12-29

小日本鬼子

灰色の街に 凍えた賑わい

見慣れた景色 消えていく

カメラに映る 現実真実

闇夜の中 もがいて

繰り返される 自由の中で

手に入れたのは 偽りの富

雑踏かきわけ進む 修羅の戦列

獲物を追うかのように

消えた記憶の 欠片に残る

後悔の跡 失った過去

緊迫感の中 立ち尽くす君 霞んでいく

小日本鬼子 内に秘めた衝動 解き放つ

I wanna be destrukted 打ち寄せる希望

鮮やかな絶望に変えて

小日本鬼子 駆け抜ける感情 突き刺さる

I don't need any right 歪な家族愛

この手で砕いて

この世が変わる 動き始めてる

日常世界が 終わってゆく

のしがらみと 足枷を外し

壊れる家庭 戻れない

かめ合った 互いの過去

止むことの無い 暴走衝動

狂わされてた 彼女への愛を

しづつでも 取り戻してく

切り離された 過去未来

置き去りのまま 失われてく

堕ちて暗闇 消える幻

届かないまま

小日本鬼子 暴走する少年少女

I wanna be destructured 打ち寄せる平和

鮮やかな戦争に変えて

小日本鬼子 突き刺さる感情 世界を走る

I don't need any right 仕組まれ運命

この手で砕いて

小日本鬼子 閉じ込めた衝動 解き放つ

I wannna be destructed 打ち寄せる戦争

鮮やかな平和に変えて

小日本鬼子 駆け抜ける感情 突き抜ける

I don't need any right 仕組まれた栄誉

壊してくこの手で

2016-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20161220081320

ブスのつらさがよくわかる文章で心にずんときた。

オレは男で不細工で40超えても彼女はもちろん女友達だっていないけど、そこまでつらい気落ちになったことない。

いじめも受けたけどそれほどひどいものじゃなかったし、すぐに自分世界に逃げ込んで外を見ないという技術を身につけたし、

社会に出てしまえば技能がよければ許されたし男の不細工はなんら足枷にはならなかったし。

女友達彼女結婚はもちろん諦めてるからこのまま孤独に死んでいくつもりだけど、全然それでいいやって思える。

定期的な収入があって、適当趣味があって、サウナビールが美味しかったらもうそれで人生満足だよって今は思える。

女に生まれなくてよかったなと思った。

2016-10-27

車はスピードを出してこそ楽しい乗り物だ。

しかし今の俺はお金もないので軽トラに乗ってる。

たまにレンタカーを借りるときはここぞとばかりに高速道路でビュンビュン飛び回る。

ふと思ったんだが、本来A級妖怪だった蔵馬が人間界だとC級妖怪になってしまってるように、

今の俺は軽トラという足枷の中、生活している。

わりとストレスだが仕方がない。

2016-10-25

高学歴とはただの足枷である

普通のことが普通と思われない。

普通生活が送れない。

2016-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20161009130305

毒になる親 一生苦しむ子供

https://www.amazon.co.jp/dp/4062565587/

という本を読んでみるといいかもしれない。

親は「子のためを思って」子は「親のためを思って」という一見あたりまえに思える事柄を盾に取り「子を縛る親」「親に縛られる子供」はたくさんいる。そのことがいか人生を消耗させるかについて、その解決策について書いてある。

加藤諦三さんの著書もおすすめ

https://www.amazon.co.jp/%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E8%AB%A6%E4%B8%89/e/B001I7H6GA

たくさんあるけど、内容はだいたい似通ってるように思う。とはいえとても重要なことを繰り返し、繰り返し書いてある。ぴんと来る題名の数冊を手に取ってみてください。

文章が長ったらしい」「そんなこともう知ってる」「わかってるけどそれができないから困ってる」「説教臭い」「結局解決策は書いてない」などの書評が少なくないけど、

そういう分かりきったことを再度見つめながら、自分の状況をもう少し深く認識するということも大切だと思う。

「いい子」として生きてきた人はそのことがどれほど足枷になっていたのか気づいてない場合も多いし。

ただ生きているだけで消耗する人生を歩んできた人はどうしたらいいのか。その糸口が見つかるかもしれない。

2016-10-02

大学院進学か就職か迷っている大学3年生へ

  • 結論
    • 明確な将来の目標がないと院進学はきつい


将来のことを考えなきゃ、とぼんやり思っている大学生へ。

院進学すればいい、院卒なら将来安泰、とは思わない方がいい。

明確に、こういう仕事がしたい、という意思がない限り院進学はおすすめしない。

  • 理由
    • 大学の2年間を延長できる訳ではない
    • 将来迷ったときに院卒の箔が足枷になるかもしれない


大学院生になったところで、学部1年や2年の頃のように遊んではいられない。

年に一度は中間発表として研究成果を示さなければならないし、学会発表に出なければならない。

そして、今の就活システムではM1の夏から準備(インターンとか)が始まる。

自由に使える時間は、院生にはほほない。

また、明確な将来の目標がない人(どの業種に行きたいかまらない人)は特に進学をおすすめしない。

院卒には院卒レベル仕事が期待されている。

大学院生は、一点特化した技能とそれをサポートする万遍ない知識必要とされている。

一点特化だけでは駄目だ。

もし自分のやりたい業種が大卒レベル技能でも良かった場合、なぜ大学院に行ったのかを考えなければならない。

大学院に行き、専門的知識を特化させ、その上で就きたい業種がある、という明確な目標のある人が大学院に行くべきである

適当しか人生を考えたことのない人間が、遊ぶ時間欲しさや就活から逃げるため、優良な大企業就職するために院に行くべきではない。

それに、そのような院生に、追加で2年間の研究はつらいと思う。

大学3年生よ、今一度将来についてよく考えてほしい。

大学院天国ではない。モラトリアムの延長期間ではない。

目標のない人間にとっての大学院は、2年間の地獄だ。

2016-08-04

シンゴジラのシン

ゴジラ映画のすべての概要

ゴジラが現れる→人間が知恵を絞って努力して平和が訪れる

この間に「あったこと」が映画になる。

シンゴジラはこれまであったけど省略したところをじっくり描きこれまでの映画であった人の生き死にやドラマをごく薄めにするという手法をとっている。

総理が死んで号泣する長谷川博己心配する妻をふりきって出て行く長谷川博己石原さとみと国を超えた愛に落ちる長谷川博己を描くことはできた。でも、シンゴジラではしなかった。

そのかわりにこれまでずっとあっさりと省略され続けていた法の解釈や人や道理世論を動かすための手順を描いた。その間にもゴジラ東京破壊活動を続けている。ギリギリ気持ち総理東京都内自衛隊への発砲許可を出した。

「こんなことしてる場合かよ」。若い閣僚ファイルをたくさん抱えながら愚痴る。いろいろなものが手枷足枷になり物語の進行を阻害する。その「いろいろなもの」がこれまでとちがうわけだ。

みているあいだ「アルマゲドン」(的な戦意高揚映画)だったら大統領が3秒で「やっちまえガイズ!」っていうところを40分かけてるなと思ったりした。

怪獣が現れ解決するまでを現実のこととして。

上記の話し合いのところも、人の生き死にも、同時にドラマとしてそこにある。

フランスのえらい人がおっしゃってたのを元ピチカート・ファイヴ小西康陽さんがおっしゃっていたのの受け売りなのですが「すべての創造編集である」と。

ポイントはどこをカットアンドペーストするか。どう編集するか。

庵野監督が「やりやがった」とある方のTwitterで称されたのは、実にそこだ。

オタクらが過去パロディバカ話で延々といってた「おれらがみたいマニアックなところに着眼点をおいたゴジラ」ってのをやってのけたんだ。

映画シン・ゴジラ公式サイト <http://shin-godzilla.jp/>

これらを裏付けるのが「脚本編集総監督 庵野秀明」と。

彼はこれまでのゴジラを「編集」したわけだ。そして描かれなかったところを拾い上げて描いてみた。

しかおもしろく。

これまでのゴジラ映画においても実は各人は物語の裏でこのような策略や話し合いなどを乗り越えてそこに立って作戦を実行しているんだと思いを馳せるとまた感慨もひとしおになる。

シンゴジラのシンとは新でも真でもなく芯だ。苦くて硬くて取り除いたりされがちな芯だけど、ゴジラオタク愛によりそれを美味しく調理した。それはかつて味わったことのないごちそうとなった。

そこに多くのゴジラファン特撮ファンが反応したのではないか

2016-07-19

誰かに必要とされるのは生きる糧やら利益にはなるんだろうけど死ぬには足枷だわ

反対に無責任に俺を必要しろなんて生き方をしてきたんだったら無責任にそれを放棄する事なんて許されないでしょ

私は誰から必要にされたくないと思って生きてきたから、楽に死ねるけど

それでもまだ足枷がある

2016-06-24

作品の伸びについて愚痴絵描き

ツイッターpixivで手軽に自分イラスト投稿出来るようになった。

そういったサイト投稿を行うとツイッターならば「いいねRTpixivならば「点数・ブックマーク」などという形で評価が行われる。

自分投稿に対し目に見える形で行われる評価を、殆ど人間が多かれ少なかれ意識していると思う。

大手になるにつれ、意識していようがいまいがそういった人間臭い部分を出さな作家が多くなっていくだろう。

多くの人間はそういったネガティブな部分は見たくない、ということを分かっているからだ。


絵が伸びる作家になりたい、有名になりたい、という思いがあるならツイッターや他のSNS不特定多数人間が閲覧できる環境でそういった愚痴をこぼすのは避けた方がいい。

その発言をする時間を絵に向ければ少しでも投稿できる枚数が増えるし、見てくれる人も少しは増えるはずだ。描く時間が増えれば多少は画力もあがるだろう。

既に余程有名な絵師ならともかく、フォロワー3桁程度の駆け出し絵描きは絵について一丁前に自論を垂れたり、練習方法について人に語る前にに画力を高めた方が絶対に良い。

その時の自分はなんだか立派なことを言った気持ちになって満足するが、その発言は「評価されたい」という目標への足枷になってしまう。



実力の伴わない立派なご意見、周囲の絵師同士のSkypeオフなんかでネタにされてます

2016-06-19

承認欲求がない

承認欲求がないから、やれば他人から承認されるような行動をほとんどしない。褒められる事とか、有名になる事とか、もてる事とか。

仕事上の成功目標にしてるが自己満足のためなので外部にアピールしない。むしろ隠している。

でもこう生きてると人脈はあまり広がらないので、何をやるにしてもそれが時々足枷になる。仕事を手伝ってくれる人や、一人ではできない趣味を一緒に楽しむ人などが、常に足りない。承認欲求って少なければいいってもんでもないのか。

2016-03-12

子孫を残すことは共同体の責務なのか

育休中、ふと思う。

昔の日本で広く許された、圧力を持った価値観(行かず後家、クリスマスケーキ、男は家庭を持って一人前etc)や見合いなどの配偶者形成配偶者以外との再生産が許される風俗などは、再生産を共同体の責務とするならばかなり強力で実効性があったのでは無いか。

個々人の幸福を追求することが許され、古くから価値観を野蛮だと切り捨てたのは良いが、社会再生能力は落ちている。

個人主義的、自由主義的な社会では、政策により企業と個人へ再生産へのインセンティブ付与する必要があるのだが、

古い価値観を捨てる一方でそれを怠った結果が、超少子高齢化社会の原因では。

古い価値観が失せる時代、つまり再生産を社会の責務とするならば、政策により再生産のインセンティブ付与する方に舵をきるべき時代

社会政策決定企業経営方針を決められる立場出世するのは、自身再生産へ時間的リソースを割かずに、仕事を頑張った男性が多かった。

彼らの生存バイアスは今も多くの企業で当たり前の価値観として生き続けている。

多くの政治家企業経営者に対し、彼らは30年後にはいないから未来を見越した選択をしないという批判はズレているのでは無いか。そもそも社会への認識がずれたまま、「良い方向へ」舵を切り続けた結果が今の社会ではないか。

国会での「日本死ね対応を見ても、認識がズレたままなのだと思う。

1人の人間生産と消費は大きく、人口が減れば能力の高い人材は減る。経済的にも人口を減らすのは得策では無いのだと思う。

子どもを持ちたい、育てたい各個人においても子どもを持つことのデメリットリスクコスト障害が多すぎてまるで足枷だ。

そもそも子孫を残すことは共同体の責務なのか?

僕は子どもが欲しいから、作ったし。育休は取れるから取った。みんなはどうしたい?どうなって欲しい?

2016-02-28

ワクチン不要論

私はワクチン賛成派だったのだけど、最近、心の中でわきたつ反対論に負けてきている。

それについて、書いてみたいと思う。

ところで、前提条件として、ワクチンはなんのために打つのか。

私は、天然痘のように、この世から病気を消してしまうためだと思ってる。

理屈でいえば、1人が2人以上に感染させることさえしなければ、病原体はこの世から徐々に消滅する。

コンピュータシミュレーションなどしなくても、だれでもそんなことはわかる。

エイズなど、この世から消すことは理屈の上では可能だ。

極端な話、感染者が全員速やかに死に絶えてしまえばいい。

治療薬の開発など、エイズ撲滅には足枷しかない。

エイズの撲滅が難しいのは、治療薬の開発が困難だからではない。

無症状のまま過ごす期間が長いせいで、症状に気が付かないまま病気をばら撒く、その一点に尽きる。

一方で、狂犬病なんかは、この世から消滅させることは難しい。

野生動物からまれ感染するということは、感染している野生動物を全て見つけ出して、次の感染動物を出す前に処分なり隔離なりを実行しなければならない。

世界中野生動物をすべてチェックするというのは、かなり無理がある。

古釘を踏んで感染する破傷風なんかは、世界中の地面を一度すべて火で焼いたりしない限り撲滅は出来ない。

その意味で、天然痘は撲滅しやすかった。

1.感染すると、速やかに必ずわかりやすい症状が出る。

2.一度罹ると、二度とかからない。

3.動物感染したりしない。

同じ特徴を持つ感染症として、麻疹がある。

ある期間、世界中人間ワクチン接種を済ませてしまえば、麻疹ウイルスは次の感染者を出すことができなくなり、麻疹ウイルスはこの世から消滅する。

WHO天然痘の次には麻疹を撲滅するつもりでいる。

本題にはいろう。

インフルエンザについて考えたい。

なぜインフルエンザに毎年かかるのか、インフルエンザが毎年変異を繰り返しているから、と私は理解していた。

ところがだ

2016-02-24

Why Not Smile

長文になる。削れるだけ削ったつもりだが、長過ぎるかもしれない。あるいは逆に説明不足で削り過ぎたかもしれない。トラックバックコメントを送っていただければ、誤読を誘う箇所に関して付記を施すつもりで居る。

本題だが、とある方が亡くなられた。その方をどうお呼びしたら良いか迷ったのだが、先生と呼ぶことにする。

おれはコミュ障である。具体的に言えば、表情に乏しいと言われている。これはおれが虐められて育ったことや、あまり深く書く気もないのだが発達障害者として(大人になってから)診断されたことも手伝っているのだろうと思う。オフ会で会った方に言われた言葉で一番ショックだったのは、「貴方には喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないように思える」ということだった。こっちは特に怒っているとか悲しんでいるとか逃げ出したいとかそんなことを思っているわけではないのに、このコミュ障ぶりで誤解を招くことも多々あった。

その先生との出会いは、おれがアルコール依存症自助グループに去年の春から参加するようになったことが切っ掛けだった。もちろんおれが依存症当事者で、その先生家族、つまり酒害に巻き込まれた者に対する心のケアを行っておられたのだ。

その日は夏だったのではないかと思う。先生は毎月一度お話しをされていたのだけれど、家族の方に対して色々興味深いことを語っておられた。そのお話自体は良く覚えていない。ただ、漠然とおれ自身アルコール依存症当事者として家族にどれだけ迷惑心配を掛けたかについて考えさせられていた……そんな記憶がある。

本題に入る。おれがその自助グループに参加するようになってまだ日は浅かった頃のことだ。先生は話をひと通り終えるとおれの方を向いて、「ねえ貴方?」と仰った。つまり急に話を振られたわけだ。新参者からだったのだろう。「な、なんですか」とコミュ障らしく戸惑いながら(無表情で)応えると、先生ニコニコしながら「なにか困ってることとかありませんか?」と言われたのだ。おれは迷ったが、自分が無表情で愛想がないことについて悩んでいる……というようなことを咄嗟に語った。「喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないと言われました」と。

するとその先生は急にパッと誰も居ないところを向いて「そんなことを言うのは誰? 放っておいてちょうだい!」と怒って叫ばれたのだった。おれが目を白黒させていると、先生はまたにこやかな表情に戻って「そんなこと気にしなくて良いんですよ」とおれに対して仰ったのだ。「みんながみんな私みたいなにこやかな人間ばかりだと、世の中窮屈じゃないですか」と。

それがおれにはショックだった。青天の霹靂、と呼んでも良いのだろう。それまでおれは笑顔を作れないことが本当に恥ずかしくて、悩みの種としてつき纏っていたからだった。笑顔が作れないコミュ障のおれは最低の人間だ……そんな思いがずっとおれの頭を支配していた。だから先生のその言葉は、そんなおれの足枷を取り除く切っ掛けになったのだった。

おれはその時、笑顔を浮かべたような気がする。それまでおれは何度も作り笑いを浮かべようとして、作れなかった。無表情を貫き通してしまったために人前で笑おうとすると笑顔が引きつるのだった。口元がピクピクと……だから逆に怖いと言われることもあった。先生のその「貴方みたいな方がいても良いんですよ」という言葉は、そんなおれを初めて肯定する言葉として感じられたのだった。

それ以来、おれは人前で笑えるようになった。笑えるようになってからの世の中は随分違う。外国語ひとつマスターたらこんな気持ちになれるのだろうか。ああ、面白い話を聞いて共感の証として笑顔を作れるというのはこんなにも心地良いものなのか……笑顔相手に対して敵意がないということを示す重要サインとなる(もちろん、世の中笑顔包丁を研ぐ人間も居るけれど……)。相手を緊張させなくて済む。明るい雰囲気を壊さなくて済む。それがおれには、酒を止めて身体の健康を取り戻せたとかそういうこと以上に嬉しいことだった。

からどうだ、という話なのだが、今日先生が亡くなられたということを知って、このことをなにかの形で書き留めておきたいと思った。だが、おれははてなブログを営んでは居るのだがこんな「私語り」でブログを埋めるのも気が引けるので、増田住民には迷惑に映ることを十分覚悟した上で(申し訳ない!)ここに投げ込むことにした。これが亡くなられた先生に対するおれなりの追悼……いや増田に書いている時点で「不謹慎なのだろうが、やはり表立って書くのも恥ずかしいのでここに書くことにする。

おれは処世訓を垂れたいわけではない。説教をしたいわけでもない。ただ、そういう出来事があった……それだけを残しておきたいのだ(そこから皆さんがなにを読み取るかはもちろん自由だ)。おれとしては、追悼文にもならないこの拙い文章哀悼の意を表する。合掌。

2016-02-20

[] 仮免修了検定を受けてきた

お昼12から仮免のための検定

一度に受けるの受験者は25人程度

それが 3人1グループに振り分けられ1台の車を共有する

20人の内MTは8割程度

自分を除く男は皆、MTであった

従って自分必然的女性と同じグループとなった

普段学科の座学を観察してると、男でAT限定も少なくないのだが

助手席教官、運転席に受験者、運転席の後ろの席に、同じグループで次の受験者が座る

グループの三人目が運転するときは一人目が後ろに座る

二人目、三人目が後ろに座る場合は、前の人の運転を見て安心するだか緊張するだかがあるけれど、

一人目が、三人目の運転を見るのは何の意味があるのか分からない

一人目にとってはもはや何も得るものはないのだが

運転者にとって、後ろに人が座っているのは、何かしらの足枷になるのだろうか

自分グループの一人目だった

教習所内のコースをただただ走る

左寄りにただただぐるぐる回る

信号もない交差点を右折だの左折だのする

S字・クランクをこなす

脱輪をすると即座にアウトだと事前に脅されていたが、

脱輪しても停止して、バックでコースに戻れれば、それだけで一発アウトというほどの減点ではないらしかった

あと、踏切 (ただ窓を開けて進んで停止して窓を閉める、という手順をこなすだけの茶番) と坂道発進

初めの100mは慣らし走行で、採点対象外となる

100mじゃ数秒だけしかないことになる

採点が始まると、ここから採点ね、と宣言される

さっさと終わらせたい余りに、初めスピードを出しすぎて、

そうするとカーブの手前で速度を落としきれなくて、教官を驚かせてしまったが、

初めの左折を終わらせてからはいもの調子に戻り、

S字なりのイロモノをとりあえず無事こなして終了した

後ろにグループの二人目が座っていたが、バックミラー越しに偶に目が合う以外は別段気にもならなかった

走行が終って発着所と呼ばれるところに停めると、後ろの二人目を降ろして、

教官と二人きりの状態コメントを貰った

最初スピード出てたね。

緊張してました(てへへ

みたいな。

そういえば、

検定は、教習を受けた同じ日には受けられなくて、

必ず新しい日の一番初めに受けさせられる

まり、教習で少し調子を整える、ということができない

スピードをついつい出し過ぎたのはそれがあると思う

教習所側の意図でもあるらしい

グループの二人目が運転してる間は、自分適当な部屋で待たされ、

それが終わると、三人目の運転の後ろに座る

事前の説明で、運転者 (受験者) へのアドバイス絶対にしないことと言われた

何のために座るのかやはり分からない

先に言った事情からグループ自分以外はともに女性であった

人の運転に付き合って、女性の人の運転はとても優しい (つまり遅い) のだなと感心した

自分なら、いくらカーブでもここまで落とさないのに、という速度だった

15キロ10キロくらいまで、カーブの手前までで落とせと習った気がする

速度を落とすときにいちいち速度計はみないが、

自分は、許されるぎりぎりまでしか落とさな

まりせっかちなのだ

から、ここまで、自転車に追い抜かれるような速度までわざわざ落とすのだなあと感心していた

S字・クランクについて、この教習所コースには2つある

1つめは、右折で入ってクランクをして、細い道を横断してS字に入り、左折で抜ける

自分はこの、S字から左折に抜けるときに2回だけ脱輪をしたことがあるので、苦手意識があった

検定では運良く、2つめを一度通るだけで良かった

2つめというのはちょうど1つ目の双対で、左折で入ってS字を通り、細い道を横断してクランクを通ると右折で抜ける

右折のためには左車線を垂直に横断するので、脱輪のチャンスが減り、1つ目に比べて容易なのである

三人目のコースもやはり、この2つめの、クランク・S字であった

初めのクランクで後輪を脱輪した

教官が、バックして戻して、と指示し、少しバックしたが、コースを正さず、全く同じコース前進するものから当然ながら同様に後輪を脱輪した

教官は脱輪を気にせず先に行くよう指示した

検定の事前の説明では、脱輪した場合は、バックしてコースを正せば良いが、

脱輪したまま進んでしま行為は即座に検定を中止する行為だと説明していた

それを教官が指示したということは、そういうことらしかった

その先のS字を無事抜け、その後は踏切坂道のはずだったが、

そのまま発着所に行くよう指示し、終了となった

ネット (知恵袋) の話によると、全てのルートを完走した場合は、またその場合に限り、

検定は合格だと思って良いらしい

狭いロビーで30分ほど待たされる

壁に1から50くらいまでの番号のついたランプがあり、合格者は点灯によって知らされる

(平成時代だというのにね. 趣があって良いが)

残念ながら三人目は不合格であった

3,4人、ランプがついていなかった

ちゃんと数えてたわけじゃないけど

合格した人は教室に集められ、学科試験を受ける

暗記科目はもともと苦手であるが、今だけ (卒業する二週間後まで) 覚えさえいれば良いという覚悟で、つまり一夜漬けの要領で勉強していたので、何とかなった

その日に仮免 (少し綺麗な印刷物ビニールケースに入れられているだけのもの) を交付され、

さっそくその日から路上教習が始まった

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