はてなキーワード: 足枷とは
はじめて匿名ダイアリー書く。最近色々と自分の中でモヤモヤしてたから文章に書いて整理したくなった。今までの自分の思考と真逆の思考になっているから多分冷静に、客観視してこれを読むとすごくムカつくんだろう、って思う。そういう内容です。書き捨てると思う。
私はジャニーズのある人が好きだ。その子が中学生の頃から気がついたら目で追っていて「担当」として応援していた。彼の全てが好きだ。彼が進む道を一つ一つ追って一喜一憂してダンスが上手くなった、歌が上手くなった、はじめてこの仕事がもらえた…そんな軌跡を見ているうちに、私は気がついたら彼の担当の中では「古株」に分類されるのか?というほどの長い時間応援していることに気がついた。それでもコンサートや舞台に足を運ぶたびに好きが募っていく日々だった。
同担の友達もいた。現場の時に会うこともあれば何もない日常でご飯に行ったり遊んだりしてとても楽しかった。「今日のコンサート、◯◯くんのここが良かったよね?」「分かる!◯◯くんと□□くんが絡んでいるところ見た?」「見た見た!絵になるよね〜!」そんな会話が心地よくて楽しくて仕方がなかった。
彼はどんどん前に出てくるようになった。多くの出演者がいる事務所の舞台ではメインキャストになるようになった、冠番組が出来た、その分彼のことを知る人が増えた実感もある。コンサートに入るたびに彼の団扇が増えていく光景を目の当たりにした。チケットが当たりにくくなった。嬉しい限りだった。私は彼は「なんで売れてないの?あんなに素敵な子なのに!もっと彼の魅力を知ってほしい!伝えたい!」と思っていたので、手に取るように分かる変化が誇らしかった。
しかし、最近突然「同担」が面倒になった。「新規」が煩わしくなった。
正直、そんな自分に自分自身が一番驚いているし戸惑っている。こんなことを感じている自分が嫌いだ。でも感じてしまっているのは事実。
SNSで「新規」の方が今の彼を真っ白な気持ちで受け入れているのが違和感だった。「今でこそ◯◯くんはこうだけど、ここに至るまでにああいう経験してるのを見てないんだ。」と思ってしまった。心底面倒な奴だと自分でも思う。「新規」の方が「同担」として自分と一括りにされている実感がモヤモヤを加速させた。彼の何を知ってるの?と一丁前に思うようになった。
そう思ってしまう自分が嫌で、なんとなく今まで仲良くさせてもらっていた同担の友達にも申し訳なくなった。友達は自分と同じ時期あたりから応援しているのに、きっと私みたいな感情は抱いていない。そう思うと友達が綺麗で眩しくて直視できなくなった。
ただ単に嫉妬なのだと思う。だって、今の彼から応援し始めたらきっと楽しいもの。仕事もある。メインを務めさせてもらえている。ダンスが見違えるほど上手くて目が惹かれる。研究をたくさんしているからこそ舞台映えする。こんなに完璧に近いアイドルになっているんだもの。知らないでしょ、ダンスが苦手で2カウントズレるのが当たり前だったこと、最前線にいたのに突然立ち位置を下げられたこと、突然仕事がもらえなくなって干されたこと。どういう気持ちで見てきて、応援してきたか知らないでしょ?なーんて思ってしまってる。
自分が面倒なオタクであることが嫌だし、きっと私は彼の足枷になってしまっているだろうから、少しだけ離れようと思った。本当は担降りまで考えたけど、きっと今の思考に陥ってるから冷静になれていないんだな、と思って結論を出すのをやめた。
彼を知る人が増えるのは嬉しい。彼を応援する人が増えるのは嬉しい。古株がいるから彼の今があるし、新規がいるから彼の未来が作られる、なんて言葉を考えた人は誰だろう。
順調に真綿で首が締まってきた、ってだけの話で同情の余地は全くない。
課題は先送りにするほど重い足枷になり、後の自分を苦しめるなんて事は小学生時分に夏休みの宿題で気付く。
バカでも8月中旬になれば少しずつ焦り出して、後半には渋々着手してなんとか終えるだろう。
でも怠惰なキモカネは自分に言い訳して誤魔化し、やらなかった。焦燥感は人並みに持ってたくせに。
色々なものを積み重ねるべき青年期を無為に過ごしたツケを、四十路になってからヒィヒィ言いながら払ってるだけだ。
氷河期、女尊男卑、新卒至上主義・・・言い訳だけは一丁前。なら同級生は全員同じところまで落ちてるか?
社畜なんぞになってたまるか、と開き直って自営業でもして生きる勇気も知恵も無ければ
同じ境遇同士で団結して現状打破に動いたり、相互扶助を目指すような協調性も無いからタチが悪い。
そのうえ非協力的・他罰的・内向的・悲観的とくれば、誰も救いの手なんか差し伸べてくれるかっつうの。
https://anond.hatelabo.jp/20170714114846
転生→同一人物として転生する場合(「このすば」「イセスマ」タイプ)と別人として転生する場合(「幼女戦記」「ナイツマ」タイプ)がある。前者の場合は転移に近いが、神様転生を挟むことによって、好きな能力を貰ったり、好きな異世界を選べたり、何か目的を与えられたりするので、いわばガイダンス済みで異世界に入ることができ、足枷なく異世界で生活するような物語になることが多い。生前の後悔などが物語に反映されることもあるがそうでないことも多い。別人として転生する場合は、赤ん坊からスタートして知識を蓄えながら成長していくので、転移とは全く別のストーリーになる。産まれたときから住む場所や立場があるので、転移みたいに知らない世界を探索する感じではないし、領主の息子として生まれて領地を運営するとか、魔族やモンスターとして生まれる、なんてバリエーションも作ることができる。
転移→前述のとおり、ガイダンスも何もなく異世界に放り込まれるので、まず知らない世界を把握しようとする形で物語を進めていくことが多い。「オバロ」はゲーム実体化タイプだが転移に近い構造と言えるだろう。転生チートが与えられないので、現代知識チートだとか、もともと持っていたスキルを活用するなどのパターンが多いか。また「ログホラ」のような集団転移タイプというのもある。異世界召喚は転移のバリエーションと言えるが、純粋な転移と違って「召喚者」が存在するので、その思惑によってたとえば「勇者」としての役割を与えられたり、「ゼロ魔」のように召喚者自身がパートナーとなったりすることで、物語に方向性を持たせることができる。
要するにただの自分語り。
2つとなりのクラスで学級委員長をやっている、見るからにまともではなさそうな男だった。
聞けば1年生になって少しして、すぐバスケ部をやめて少し噂になっていた男らしい。
そいつとちょっとしたきっかけで夏に連絡先を交換して、1ヶ月くらいして告白されて付き合い始めた。
そいつにも私にもメンヘラの気があったのもあり、そりゃもう頭の悪そうなカップルになっていたと思う。
放課後に人目の少ない道を選んでは手を繋いで帰ったし、休日はだいたい彼の家に行って遊んだりセックスしたりしていた。
行事ごとのたびに贈り物もしていたし、毎晩のように電話をしながら値落ちしていた。
もちろんメンヘラ同士であるのですぐぶつかり合った。私も彼も気持ちを伝えるのが壊滅的に下手くそだったし、自虐的に物事を捉えるのが上手かった。
彼が自虐的に物を捉えて悲観するたびに私は彼に「あなたは素晴らしいひとだから自信を持ってくれ」と言い続けていた。
彼が私の言葉で元気を取り戻してくれるのが何よりも幸福だった。
私の知らないところでも私のことばかり話していたそうだ。
私達が付き合い始めたあと、彼は学年全体でも20位くらいの成績だったのがメキメキと伸びはじめ、模試があるたび毎回のように1位を取るようになっていた。
2年生の前半までは私もそれなりだったので、彼と一緒に1位と2位を抑えることもしょっちゅうだった。
彼は、彼の自虐癖に対して少しずつ改善の兆しを見せていたし、友達がいなかった筈がいつの間にか友人達と良く話すようになっていた。
けれど私の自虐癖は治らなかった。
高校二年の後半に差し掛かるにつれて、彼と私の実力差は目に見えるようになっていた。
別にそれは全然構わなかったしむしろかなり嬉しかったのだけれど、彼は国立大を目指していた。
それも理系の結構レベルの高い、いわゆる宮廷と呼ばれる大学だった。
私も最初の頃は彼と似たような大学を目指していたが、ある日ふっと私の学力じゃ努力しても行けないなと気づいてしまった。
私は行けない。そもそも学問にそこまで熱中できる人間じゃないし、おそらく地方のほとんどF欄みたいな国公立に行くことになるだろう。この学校で上位を取れていたのもこの学校が基本バカ高校だからだ。
対して彼は本当に頭がいい男だ。このまま努力すれば絶対に第一志望くらい余裕で行けるだろう。理学に対する情熱だってある、だってあんなに楽しそうに数学を教えてくれるんだから。
じゃあ私はきっと彼の足を引っ張ることになるんだろう。そう思った。
そんな思考に半年ぐらい突き落とされて、結局3年生の5月に、適当な理由をでっち上げて彼をフった。
その半年のあいだ、彼と心中してやろう妊娠してやろうとこっそりゴムを捨ててセックスしようとしたり、自殺することで彼の足枷にならないように、かつ彼の心に大きな爪痕を残せるようにしてやろうとしたりもした。
でも結局無理で、いい大学にちゃんと行くべきである彼が合格できるようにするためには私を忘れてもらうしかないとフった。
でも秋の私の誕生日に電話が来たときに、私はひどい態度でそれすらも拒絶した。
その結果、彼は無事に大学に受かったらしい。
噂で聞いた話ではあるが、まず間違いなく受かっていると思う。かくして私の気付きは正しかったらしい。
浪人もやめた。就活こそしているが、4月になれば正式にニートだ。
なんで落ちたかって、彼と別れて一年、ずっとべそべそ泣き続けていたからだ。好きあらば自己嫌悪に溺れて布団の中で一日を過ごした。起き上がることもできなかった。前だったら悲しくなったら彼に電話をかければたちまちに元気になれたのに、ねだればいくらでも撫でてもらえたのに、という具合で。
その生活は未だに続いている。
私の判断は絶対に正しかった、でもその代わり私は二度と彼に顔向けできない。
彼は今後の人生でまた恋人を作り、妻を貰い、子を育てることになるのだろう。
私には絶対に無理だ、どんな男に対しても遊びとしてしか付き合いを持てなくなった。
だからもう私はこれから死ぬまで、彼のくれた贈り物や写真をたまに眺めては罪悪感と喪失感でべそべそ泣いて生きるのだと思う。
俺は女が信じられないのではなく、結婚制度が信じられないのだ。
婚姻関係は片方が浮気すれば壊れるし、性格の不一致やら何やらでも破綻する。
まあ、どちらかが一方的に我慢するよりは、そっちの方がまだ健全だろう。
そういう時代になってよかったと思う。
しかし、こうもあっさり壊れるものを、必死こいて維持する必要なんかあるのか?
実際問題、結婚していようが不倫する奴はするし、本人が望んでいる限り止めることもできない。
芸能人だったら仕事干されて大損害かもしれないが、一般人から取れる慰謝料なんて知れている。
数百万というのは安い金額ではないが、それでも家庭を壊されることからすると割に合わない。
だったら、いったい何のために夫婦の諸々の義務はあるのだろう。
人が自由を得たにしては、今の制度はちょっと重すぎて時代遅れなんじゃないか?
逆に、自由を認めているからこそ、結婚という制度が無駄な足枷にしか感じられないだけなのだ。
そこははっきりしておきたい。
灰色の街に 凍えた賑わい
見慣れた景色 消えていく
闇夜の中 もがいて
繰り返される 自由の中で
手に入れたのは 偽りの富
雑踏かきわけ進む 修羅の戦列
獲物を追うかのように
消えた記憶の 欠片に残る
後悔の跡 失った過去
緊迫感の中 立ち尽くす君 霞んでいく
I wanna be destrukted 打ち寄せる希望を
鮮やかな絶望に変えて
この手で砕いて
この世が変わる 動き始めてる
壊れる家庭 戻れない
狂わされてた 彼女への愛を
少しづつでも 取り戻してく
置き去りのまま 失われてく
堕ちて暗闇 消える幻
届かないまま
I wanna be destructured 打ち寄せる平和を
鮮やかな戦争に変えて
I don't need any right 仕組まれた運命
この手で砕いて
I wannna be destructed 打ち寄せる戦争
鮮やかな平和に変えて
I don't need any right 仕組まれた栄誉
壊してくこの手で
オレは男で不細工で40超えても彼女はもちろん女友達だっていないけど、そこまでつらい気落ちになったことない。
いじめも受けたけどそれほどひどいものじゃなかったし、すぐに自分の世界に逃げ込んで外を見ないという技術を身につけたし、
社会に出てしまえば技能がよければ許されたし男の不細工はなんら足枷にはならなかったし。
女友達や彼女・結婚はもちろん諦めてるからこのまま孤独に死んでいくつもりだけど、全然それでいいやって思える。
定期的な収入があって、適当な趣味があって、サウナでビールが美味しかったらもうそれで人生満足だよって今は思える。
女に生まれなくてよかったなと思った。
毒になる親 一生苦しむ子供
https://www.amazon.co.jp/dp/4062565587/
という本を読んでみるといいかもしれない。
親は「子のためを思って」子は「親のためを思って」という一見あたりまえに思える事柄を盾に取り「子を縛る親」「親に縛られる子供」はたくさんいる。そのことがいかに人生を消耗させるかについて、その解決策について書いてある。
https://www.amazon.co.jp/%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E8%AB%A6%E4%B8%89/e/B001I7H6GA
たくさんあるけど、内容はだいたい似通ってるように思う。とはいえとても重要なことを繰り返し、繰り返し書いてある。ぴんと来る題名の数冊を手に取ってみてください。
「文章が長ったらしい」「そんなこともう知ってる」「わかってるけどそれができないから困ってる」「説教臭い」「結局解決策は書いてない」などの書評が少なくないけど、
そういう分かりきったことを再度見つめながら、自分の状況をもう少し深く認識するということも大切だと思う。
「いい子」として生きてきた人はそのことがどれほど足枷になっていたのか気づいてない場合も多いし。
ただ生きているだけで消耗する人生を歩んできた人はどうしたらいいのか。その糸口が見つかるかもしれない。
院進学すればいい、院卒なら将来安泰、とは思わない方がいい。
明確に、こういう仕事がしたい、という意思がない限り院進学はおすすめしない。
大学院生になったところで、学部1年や2年の頃のように遊んではいられない。
年に一度は中間発表として研究成果を示さなければならないし、学会発表に出なければならない。
そして、今の就活システムではM1の夏から準備(インターンとか)が始まる。
また、明確な将来の目標がない人(どの業種に行きたいか決まらない人)は特に進学をおすすめしない。
大学院生は、一点特化した技能とそれをサポートする万遍ない知識が必要とされている。
一点特化だけでは駄目だ。
もし自分のやりたい業種が大卒レベルの技能でも良かった場合、なぜ大学院に行ったのかを考えなければならない。
大学院に行き、専門的知識を特化させ、その上で就きたい業種がある、という明確な目標のある人が大学院に行くべきである。
適当にしか人生を考えたことのない人間が、遊ぶ時間欲しさや就活から逃げるため、優良な大企業に就職するために院に行くべきではない。
それに、そのような院生に、追加で2年間の研究はつらいと思う。
大学3年生よ、今一度将来についてよく考えてほしい。
この間に「あったこと」が映画になる。
シンゴジラはこれまであったけど省略したところをじっくり描きこれまでの映画であった人の生き死にやドラマをごく薄めにするという手法をとっている。
総理が死んで号泣する長谷川博己。心配する妻をふりきって出て行く長谷川博己。石原さとみと国を超えた愛に落ちる長谷川博己を描くことはできた。でも、シンゴジラではしなかった。
そのかわりにこれまでずっとあっさりと省略され続けていた法の解釈や人や道理や世論を動かすための手順を描いた。その間にもゴジラは東京で破壊活動を続けている。ギリギリの気持ちで総理は東京都内で自衛隊への発砲許可を出した。
「こんなことしてる場合かよ」。若い閣僚がファイルをたくさん抱えながら愚痴る。いろいろなものが手枷足枷になり物語の進行を阻害する。その「いろいろなもの」がこれまでとちがうわけだ。
みているあいだ「アルマゲドン」(的な戦意高揚映画)だったら大統領が3秒で「やっちまえガイズ!」っていうところを40分かけてるなと思ったりした。
上記の話し合いのところも、人の生き死にも、同時にドラマとしてそこにある。
フランスのえらい人がおっしゃってたのを元ピチカート・ファイヴの小西康陽さんがおっしゃっていたのの受け売りなのですが「すべての創造は編集である」と。
ポイントはどこをカットアンドペーストするか。どう編集するか。
庵野監督が「やりやがった」とある方のTwitterで称されたのは、実にそこだ。
オタクらが過去パロディやバカ話で延々といってた「おれらがみたいマニアックなところに着眼点をおいたゴジラ」ってのをやってのけたんだ。
映画『シン・ゴジラ』公式サイト <http://shin-godzilla.jp/>
彼はこれまでのゴジラを「編集」したわけだ。そして描かれなかったところを拾い上げて描いてみた。
これまでのゴジラ映画においても実は各人は物語の裏でこのような策略や話し合いなどを乗り越えてそこに立って作戦を実行しているんだと思いを馳せるとまた感慨もひとしおになる。
シンゴジラのシンとは新でも真でもなく芯だ。苦くて硬くて取り除いたりされがちな芯だけど、ゴジラ愛オタク愛によりそれを美味しく調理した。それはかつて味わったことのないごちそうとなった。
ツイッターやpixivで手軽に自分のイラストを投稿出来るようになった。
そういったサイトに投稿を行うとツイッターならば「いいね・RT」pixivならば「点数・ブックマーク」などという形で評価が行われる。
自分の投稿に対し目に見える形で行われる評価を、殆どの人間が多かれ少なかれ意識していると思う。
大手になるにつれ、意識していようがいまいがそういった人間臭い部分を出さない作家が多くなっていくだろう。
多くの人間はそういったネガティブな部分は見たくない、ということを分かっているからだ。
絵が伸びる作家になりたい、有名になりたい、という思いがあるならツイッターや他のSNS、不特定多数の人間が閲覧できる環境でそういった愚痴をこぼすのは避けた方がいい。
その発言をする時間を絵に向ければ少しでも投稿できる枚数が増えるし、見てくれる人も少しは増えるはずだ。描く時間が増えれば多少は画力もあがるだろう。
既に余程有名な絵師ならともかく、フォロワー3桁程度の駆け出し絵描きは絵について一丁前に自論を垂れたり、練習方法について人に語る前にに画力を高めた方が絶対に良い。
その時の自分はなんだか立派なことを言った気持ちになって満足するが、その発言は「評価されたい」という目標への足枷になってしまう。
育休中、ふと思う。
昔の日本で広く許された、圧力を持った価値観(行かず後家、クリスマスケーキ、男は家庭を持って一人前etc)や見合いなどの配偶者形成、配偶者以外との再生産が許される風俗などは、再生産を共同体の責務とするならばかなり強力で実効性があったのでは無いか。
個々人の幸福を追求することが許され、古くからの価値観を野蛮だと切り捨てたのは良いが、社会の再生産能力は落ちている。
個人主義的、自由主義的な社会では、政策により企業と個人へ再生産へのインセンティブを付与する必要があるのだが、
古い価値観を捨てる一方でそれを怠った結果が、超少子高齢化社会の原因では。
古い価値観が失せる時代、つまり再生産を社会の責務とするならば、政策により再生産のインセンティブを付与する方に舵をきるべき時代
社会の政策決定や企業の経営方針を決められる立場へ出世するのは、自身は再生産へ時間的リソースを割かずに、仕事を頑張った男性が多かった。
彼らの生存バイアスは今も多くの企業で当たり前の価値観として生き続けている。
多くの政治家や企業経営者に対し、彼らは30年後にはいないから未来を見越した選択をしないという批判はズレているのでは無いか。そもそも社会への認識がずれたまま、「良い方向へ」舵を切り続けた結果が今の社会ではないか。
国会での「日本死ね」対応を見ても、認識がズレたままなのだと思う。
1人の人間の生産と消費は大きく、人口が減れば能力の高い人材は減る。経済的にも人口を減らすのは得策では無いのだと思う。
子どもを持ちたい、育てたい各個人においても子どもを持つことのデメリットやリスク、コスト、障害が多すぎてまるで足枷だ。
そもそも子孫を残すことは共同体の責務なのか?
私はワクチン賛成派だったのだけど、最近、心の中でわきたつ反対論に負けてきている。
それについて、書いてみたいと思う。
私は、天然痘のように、この世から病気を消してしまうためだと思ってる。
理屈でいえば、1人が2人以上に感染させることさえしなければ、病原体はこの世から徐々に消滅する。
コンピュータシミュレーションなどしなくても、だれでもそんなことはわかる。
エイズの撲滅が難しいのは、治療薬の開発が困難だからではない。
無症状のまま過ごす期間が長いせいで、症状に気が付かないまま病気をばら撒く、その一点に尽きる。
野生動物から噛まれて感染するということは、感染している野生動物を全て見つけ出して、次の感染動物を出す前に処分なり隔離なりを実行しなければならない。
世界中の野生動物をすべてチェックするというのは、かなり無理がある。
古釘を踏んで感染する破傷風なんかは、世界中の地面を一度すべて火で焼いたりしない限り撲滅は出来ない。
2.一度罹ると、二度とかからない。
ある期間、世界中の人間がワクチン接種を済ませてしまえば、麻疹ウイルスは次の感染者を出すことができなくなり、麻疹ウイルスはこの世から消滅する。
本題にはいろう。
インフルエンザについて考えたい。
なぜインフルエンザに毎年かかるのか、インフルエンザが毎年変異を繰り返しているから、と私は理解していた。
ところがだ
長文になる。削れるだけ削ったつもりだが、長過ぎるかもしれない。あるいは逆に説明不足で削り過ぎたかもしれない。トラックバックやコメントを送っていただければ、誤読を誘う箇所に関して付記を施すつもりで居る。
本題だが、とある方が亡くなられた。その方をどうお呼びしたら良いか迷ったのだが、先生と呼ぶことにする。
おれはコミュ障である。具体的に言えば、表情に乏しいと言われている。これはおれが虐められて育ったことや、あまり深く書く気もないのだが発達障害者として(大人になってから)診断されたことも手伝っているのだろうと思う。オフ会で会った方に言われた言葉で一番ショックだったのは、「貴方には喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないように思える」ということだった。こっちは特に怒っているとか悲しんでいるとか逃げ出したいとかそんなことを思っているわけではないのに、このコミュ障ぶりで誤解を招くことも多々あった。
その先生との出会いは、おれがアルコール依存症の自助グループに去年の春から参加するようになったことが切っ掛けだった。もちろんおれが依存症の当事者で、その先生は家族、つまり酒害に巻き込まれた者に対する心のケアを行っておられたのだ。
その日は夏だったのではないかと思う。先生は毎月一度お話しをされていたのだけれど、家族の方に対して色々興味深いことを語っておられた。そのお話自体は良く覚えていない。ただ、漠然とおれ自身がアルコール依存症の当事者として家族にどれだけ迷惑/心配を掛けたかについて考えさせられていた……そんな記憶がある。
本題に入る。おれがその自助グループに参加するようになってまだ日は浅かった頃のことだ。先生は話をひと通り終えるとおれの方を向いて、「ねえ貴方?」と仰った。つまり急に話を振られたわけだ。新参者だからだったのだろう。「な、なんですか」とコミュ障らしく戸惑いながら(無表情で)応えると、先生はニコニコしながら「なにか困ってることとかありませんか?」と言われたのだ。おれは迷ったが、自分が無表情で愛想がないことについて悩んでいる……というようなことを咄嗟に語った。「喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないと言われました」と。
するとその先生は急にパッと誰も居ないところを向いて「そんなことを言うのは誰? 放っておいてちょうだい!」と怒って叫ばれたのだった。おれが目を白黒させていると、先生はまたにこやかな表情に戻って「そんなこと気にしなくて良いんですよ」とおれに対して仰ったのだ。「みんながみんな私みたいなにこやかな人間ばかりだと、世の中窮屈じゃないですか」と。
それがおれにはショックだった。青天の霹靂、と呼んでも良いのだろう。それまでおれは笑顔を作れないことが本当に恥ずかしくて、悩みの種としてつき纏っていたからだった。笑顔が作れないコミュ障のおれは最低の人間だ……そんな思いがずっとおれの頭を支配していた。だから先生のその言葉は、そんなおれの足枷を取り除く切っ掛けになったのだった。
おれはその時、笑顔を浮かべたような気がする。それまでおれは何度も作り笑いを浮かべようとして、作れなかった。無表情を貫き通してしまったために人前で笑おうとすると笑顔が引きつるのだった。口元がピクピクと……だから逆に怖いと言われることもあった。先生のその「貴方みたいな方がいても良いんですよ」という言葉は、そんなおれを初めて肯定する言葉として感じられたのだった。
それ以来、おれは人前で笑えるようになった。笑えるようになってからの世の中は随分違う。外国語をひとつマスターしたらこんな気持ちになれるのだろうか。ああ、面白い話を聞いて共感の証として笑顔を作れるというのはこんなにも心地良いものなのか……笑顔は相手に対して敵意がないということを示す重要なサインとなる(もちろん、世の中笑顔で包丁を研ぐ人間も居るけれど……)。相手を緊張させなくて済む。明るい雰囲気を壊さなくて済む。それがおれには、酒を止めて身体の健康を取り戻せたとかそういうこと以上に嬉しいことだった。
だからどうだ、という話なのだが、今日先生が亡くなられたということを知って、このことをなにかの形で書き留めておきたいと思った。だが、おれははてなブログを営んでは居るのだがこんな「私語り」でブログを埋めるのも気が引けるので、増田の住民には迷惑に映ることを十分覚悟した上で(申し訳ない!)ここに投げ込むことにした。これが亡くなられた先生に対するおれなりの追悼……いや増田に書いている時点で「不謹慎」なのだろうが、やはり表立って書くのも恥ずかしいのでここに書くことにする。
おれは処世訓を垂れたいわけではない。説教をしたいわけでもない。ただ、そういう出来事があった……それだけを残しておきたいのだ(そこから皆さんがなにを読み取るかはもちろん自由だ)。おれとしては、追悼文にもならないこの拙い文章で哀悼の意を表する。合掌。
一度に受けるの受験者は25人程度
それが 3人1グループに振り分けられ1台の車を共有する
普段の学科の座学を観察してると、男でAT限定も少なくないのだが
助手席に教官、運転席に受験者、運転席の後ろの席に、同じグループで次の受験者が座る
二人目、三人目が後ろに座る場合は、前の人の運転を見て安心するだか緊張するだかがあるけれど、
一人目が、三人目の運転を見るのは何の意味があるのか分からない
一人目にとってはもはや何も得るものはないのだが
運転者にとって、後ろに人が座っているのは、何かしらの足枷になるのだろうか
左寄りにただただぐるぐる回る
S字・クランクをこなす
脱輪をすると即座にアウトだと事前に脅されていたが、
脱輪しても停止して、バックでコースに戻れれば、それだけで一発アウトというほどの減点ではないらしかった
あと、踏切 (ただ窓を開けて進んで停止して窓を閉める、という手順をこなすだけの茶番) と坂道発進
さっさと終わらせたい余りに、初めスピードを出しすぎて、
そうするとカーブの手前で速度を落としきれなくて、教官を驚かせてしまったが、
S字なりのイロモノをとりあえず無事こなして終了した
後ろにグループの二人目が座っていたが、バックミラー越しに偶に目が合う以外は別段気にもならなかった
走行が終って発着所と呼ばれるところに停めると、後ろの二人目を降ろして、
緊張してました(てへへ
みたいな。
そういえば、
検定は、教習を受けた同じ日には受けられなくて、
必ず新しい日の一番初めに受けさせられる
スピードをついつい出し過ぎたのはそれがあると思う
グループの二人目が運転してる間は、自分は適当な部屋で待たされ、
それが終わると、三人目の運転の後ろに座る
事前の説明で、運転者 (受験者) へのアドバイスは絶対にしないことと言われた
何のために座るのかやはり分からない
人の運転に付き合って、女性の人の運転はとても優しい (つまり遅い) のだなと感心した
自分なら、いくらカーブでもここまで落とさないのに、という速度だった
15キロか10キロくらいまで、カーブの手前までで落とせと習った気がする
速度を落とすときにいちいち速度計はみないが、
だから、ここまで、自転車に追い抜かれるような速度までわざわざ落とすのだなあと感心していた
1つめは、右折で入ってクランクをして、細い道を横断してS字に入り、左折で抜ける
自分はこの、S字から左折に抜けるときに2回だけ脱輪をしたことがあるので、苦手意識があった
検定では運良く、2つめを一度通るだけで良かった
2つめというのはちょうど1つ目の双対で、左折で入ってS字を通り、細い道を横断してクランクを通ると右折で抜ける
右折のためには左車線を垂直に横断するので、脱輪のチャンスが減り、1つ目に比べて容易なのである
三人目のコースもやはり、この2つめの、クランク・S字であった
初めのクランクで後輪を脱輪した
教官が、バックして戻して、と指示し、少しバックしたが、コースを正さず、全く同じコースで前進するものだから当然ながら同様に後輪を脱輪した
教官は脱輪を気にせず先に行くよう指示した
検定の事前の説明では、脱輪した場合は、バックしてコースを正せば良いが、
脱輪したまま進んでしまう行為は即座に検定を中止する行為だと説明していた
そのまま発着所に行くよう指示し、終了となった
ネット (知恵袋) の話によると、全てのルートを完走した場合は、またその場合に限り、
検定は合格だと思って良いらしい
狭いロビーで30分ほど待たされる
壁に1から50くらいまでの番号のついたランプがあり、合格者は点灯によって知らされる
残念ながら三人目は不合格であった
3,4人、ランプがついていなかった
ちゃんと数えてたわけじゃないけど
暗記科目はもともと苦手であるが、今だけ (卒業する二週間後まで) 覚えさえいれば良いという覚悟で、つまり一夜漬けの要領で勉強していたので、何とかなった