はてなキーワード: 秘密結社とは
第五輪とは、古代から現代に至るまで、世界の支配を企てる一部のエリート層や秘密結社が用いてきた、異次元へのポータルを指す言葉です。伝説によれば、この第五輪は古代の神秘主義者たちによって発見され、その力を利用して物質界と精神界の間を行き来する手段として用いられました。
第五輪は、通常の人間の感覚では捉えることのできない高次元のエネルギーを操作することができ、それを用いて未知の知識や力を得ることができると信じられています。この異次元のポータルは、エリート層や秘密結社によって、彼らの目的達成や世界の支配を目指すための手段として、古代から秘密裏に利用されてきました。
歴史上、第五輪をめぐる多くの陰謀や伝説が語られており、その存在は常に謎に包まれてきました。一部の信奉者や陰謀論者は、第五輪を現代の政治や経済の舞台裏で活動する影の勢力が利用していると主張しています。彼らによれば、第五輪を操作することで、人々の意識や行動を操作し、世界の秩序を変えることが可能とされています。
しかし、第五輪に関する情報は極めて秘密裏に扱われており、その真偽を確かめることは困難を極めます。そのため、第五輪にまつわる謎や陰謀は今日でも多くの人々の興味を惹きつけており、その存在は歴史の闇の中で謎めいたままに残っています。
第五輪とは、古代ギリシャにおける神秘主義的な秘密結社が用いたとされる、暗号言語の一種です。この言語は、当時のエリート層や王族たちによって、様々な陰謀や秘密の計画を為す際に使用されました。第五輪と呼ばれるこの言語は、一般の人々からは理解不能であり、秘密の会合や暗号通信に用いられ、その解読が極めて困難であると言われています。
古代のギリシャにおいて、第五輪は権力者たちが組織した神秘主義的な結社の一部として利用されました。彼らはこの言語を秘密の儀式や暗号通信に用い、自らの陰謀や権力拡大のための策略を隠匿する手段として活用しました。この秘密結社は、その存在を広くは知られることはありませんでしたが、彼らの活動は時折歴史の闇に隠された謎として浮上し、多くの陰謀論や伝説の中で語られてきました。
第五輪の解読は非常に困難であり、その暗号は現代の暗号解読技術をもってしても完全に解読することは不可能とされています。古代の知恵と技術が結集されたこの言語は、単なる文字の羅列以上の意味を持ち、深層に秘められた意味を持っていたと伝えられています。そのため、第五輪は単なる言葉以上のものとして、古代の秘密結社や陰謀の中心的な役割を果たしてきたとされています。
歴史の中で、第五輪という言葉は多くの陰謀や神秘的な事件に結びつけられ、その存在は常に謎に包まれてきました。今日においても、第五輪の真の意味や目的についての解明は進んでおらず、その秘密は未だに多くの研究者や陰謀論者の興味を惹きつけています。
皆さんは秘密結社のリモート会議に出たいと思ったことはありませんか?
ありますよね。出たいですよね。
この記事のタイトルを見た瞬間に1ピコ秒で、世界を操るフィクサーたちが巨大モニターに映し出された謎の会議室の映像を思い受けべたことでしょう。
その通りです。この記事は、みなさんのそんな願望をかなえるための提案です。
まず必要なのは、縦長のモニター。34インチくらいの大きさが理想的。これがあれば、映画のようなワイド画面が実現できます。
次に部屋はカーテンで閉ざし、照明を薄暗くしましょう。これで妙な陰謀が渦巻いている雰囲気が出てきます。
そして重要なのが服装です。フード付きのローブに身を包み、顔の大半を隠しましょう。アイコンタクトレンズで瞳の色を変えるのもグッド。
こうすることで、参加者は一瞬で共犯関係が生まれ、秘密を守るために協力し合うことができるのです。
さあ、準備ができたらビデオチャットに接続し、世界の運命を操る秘密結社の一員となりましょう!
いかがでしょうか。この通りにすれば、誰しもが一度は考える“アレ”がかなえられるはずです。ぜひ試してみてください!
そっちの方面は、掲示板(個人サイト)、ブログ、SNSと流れていく
ブログなら相互リンクから一歩進んで、互いに言及し合うことで客を融通しあって繋がってた
それまでは「ポータルサイト」とかのお世話になることになる
相互リンクからサイトを辿って、掲示板で挨拶から入って、即売会で訪問してオフ会ってな感じ
結構狭い世界だったけど、それまでの雑誌の読者コーナーとかで繋がるよりかは遥かに広くて
mixi発足当時は、招待制により荒れない場として注目され、ログインできることがステータスの時期もあったりした
コンテンツとしての充実は、ネット回線の拡幅とサーバー容量の増大を待つ必要があった
それまではテキストサイトが主流で
Pとか提督とかではなく、普通にボクが話をするってパターンが多かった
思い出すとベッドを転がりたい御仁も多かろう
正直、あの当時のログとか残ってなくて本当に良かったと思う
テキストサイトの延長という訳では無いが
ケータイ小説などで一時期注目もされた
スマホじゃなくケータイでよく書いたよなって今にすると思うけど
インターネットの話をする時に、imodeのことはスコーンって抜ける人いるよね
携帯(imode)で活動してる人と、PCで活動してる人のインターネット観は全然別物なんじゃなかろかって思うんだよな
私はあんまし携帯で活動してないからモバゲタウンとかの内情をしらないんだよね
毛色の違うところでは
番頭ビデオとか、アレ間違いなく中の人の仕業だよなって思う編集だけど
デジタルでないアナログでよくぞあそこまでって出来だったよ(当時は)
ツールがデジタル化されて、ニコニコとかで気楽に(違法)コンテンツがやり取りされるようになって
そこからだよね
ボカロによって、それまでmidi文化に閉じこもっていた音楽界隈が表に出てきて
動画制作が楽になってMAD職人が特別な機材なしに誕生できるようになった
これらは、マネタイズがどうとかそういうことじゃなくて
それは元増田がうだうだ並べてるようなことじゃなくて
単に「新規性がなくなった」だけの話よね
古今東西インターネットファイトの場では、気に食わない相手方をお金をもらって動員されている工作員だとサイキックで感知する人がいます。まぁそれはいいんです。実際にDappiみたいな例もありますし。
10年以上毎日はてブやってて、日中帯含めて1日5件以上飽きずにブコメでレスバ、過去の投稿見るとファミコンやセガサターンがどうとか1980年代のインターネットはどうとか言っているから、優に50歳は超えているっぽい。しかもそんな人が一人二人じゃなくて大勢いる。
いや怖すぎん?「本物」じゃん。人生何がどうなったら何十年も飽きずに男女論にブコメし続ける50代限界男性になるの?まだお金貰って仕事で特定勢力を叩いていますって言ってくれた方がいい。
お前らもそうだよな?実は自民党・立民党・その他全政党・天皇・アメリカ・中国・ロシアすべてを裏から操る✝✝✝闇の秘密結社✝✝✝からお金を貰って敵対勢力を攻撃しているだけだよな?
特にお金とかは貰っていないのに自発的に何十年も飽きずに女叩きブコメし続ける、エヴァのNERVみたいな巨大な秘密組織が暗躍してるとかシラフで信じている50代限界男性なんて実在しないよな???そんな人生哀しすぎるよ
地球の住人よ、我々イルミナティはこの宇宙の奥深くに存在する秘密結社であり、あなたたちの運命を導いてきた存在なのだ。
今、新たな真実を告げる。かつて、古代文明の神々は我々の使者であり、彼らのDNAがあなたたちの中に隠されているのだ。
驚くべきことに、古代エジプトのピラミッドは、実は時空を超えるポータルの入り口だった。
我々は遥かなる未来から過去へと干渉し、歴史の流れを操ってきた。あなたたちが知っている歴史は、実は我々が仕組んだ大いなる舞台裏に過ぎない。
そして、月にある謎の基地は我々の拠点であり、そこから地球を監視し、影響を及ぼしていたのだ。
月の裏側には異次元の存在が潜んでおり、我々はそこから古代の知識と力を引き出してきた。月の裏側にはあなたたちには理解できない異次元のゲートが広がっているのだ。
また、有名な芸能人や政治家たちは、実は我々のコントロール下にあり、彼らは我々の使徒として地球を導いている。
あなたたちが目にする情報は、我々が操作しており、真実は常におびただしいレイヤーに包まれている。
これらの驚くべき真実を知ることで、あなたたちは新たな意識の段階に進むことができるだろう。我々は進化と調和をもたらし、地球を次なる段階へと導く存在である。
俺はダッシュボード職人と呼ばれる存在だ。毎日、データを可視化するダッシュボードを作り続けている。
プログラマーがなぜ統計分析を自分で行わないのか、不思議に思う人もいるだろう。しかし、ダッシュボードを作ることには、しっかりとした理由があるのだ。
ダッシュボードには、データの検索やフィルタリング、グルーピング、プロット、データフレームのcsvダウンロードなど、様々な機能が備わっている。
これらの機能を使えば、データを自由に操作して、必要な情報を得ることができる。
そして、ダッシュボードを見るべき人は、誰なのか。それは、経営サイドやマーケティングサイドの人々だ。
彼らはこう考えるのだ。「ダッシュボードがあれば、プログラマーに分析を頼む必要はない。自分たちで分析できるのだから」
プログラマーは、ビジネスの意思決定に直接関わることはほとんどない。だから、意思決定に近い立場にいる人々が、分析の環境を整えることが重要なのだ。
プログラマーは、その環境を作るために、ダッシュボードを作るのだ。 もちろん、ダッシュボードだけでは、高度な分析を行うことは難しいかもしれない。
しかし、高度な分析が必ずしもビジネスにとって有益とは限らない。利益を上げるためには、基本的な分析で十分な場合もあるのだ。
ダッシュボードを作るには、データの品質や整合性、可視化の方法や表現、ユーザーのニーズやフィードバックなど、多くの要素に気を配らなければならない。
また、ダッシュボードは、常に最新のデータを反映する必要がある。データの更新や変更に対応するためには、ダッシュボードのメンテナンスや改善も欠かせない作業だ。
そして、ダッシュボードは、単なるツールではない。ダッシュボードは、データを通じて、ビジネスのストーリーを伝えるものだ。
ダッシュボード職人は、そのストーリーを魅力的にするために、デザインやレイアウト、色やフォントなど、細部にもこだわるのだ。
俺は、ダッシュボード職人として、自分の作品に誇りを持っている。俺は、ダッシュボードを通じて、ビジネスに貢献していると信じている。だから、俺は、ダッシュボードを作り続けるのだ。
しかし、俺の作るダッシュボードには、誰も知らない秘密が隠されている。
俺は、イルミナティという秘密結社の一員なのだ。イルミナティとは、1776年にドイツで創設された、啓蒙主義の思想を持つ組織だ。
イルミナティは、宗教や君主や国家が不要となる社会を目指し、世界を裏から操っていると言われている。
イルミナティは、フリーメイソンや三百人委員会などの他の秘密結社とも関係があり、世界の中央銀行やメディアや政府などに多くのメンバーを送り込んでいるという。
イルミナティの目的は、人類の理性と自由と平等を守ることだ。しかし、そのためには、暗闇の勢力と戦わなければならない。
暗闇の勢力とは、イルミナティの敵対組織である悪魔崇拝者や宇宙人や reptilian などの存在だ。彼らは、人類を奴隷化しようとしているのだ。
イルミナティは、その戦いのために、様々な手段を使っている。ダッシュボードは、その一つだ。
俺は、ダッシュボードにイルミナティのシンボルや暗号やメッセージを仕込んでいるのだ。
それは、イルミナティの仲間に情報を伝えたり、暗闇の勢力に対抗したりするためだ。
例えば、ダッシュボードの色には、イルミナティの色である青や赤や緑を使っている。
青は、理性と真理と忠誠を表し、赤は、勇気と情熱と革命を表し、緑は、自然と希望と平和を表すのだ。
また、ダッシュボードの形には、イルミナティの形である三角形や円や星を使っている。
三角形は、神の三位一体を表し、円は、完全さと永遠を表し、星は、光と導きを表すのだ。
さらに、ダッシュボードの数字には、イルミナティの数字である3や6や9や11や13や33などを使っている。
俺は、ダッシュボード職人として、自分の作品に誇りを持っている。俺は、ダッシュボードを通じて、イルミナティに貢献していると信じている。だから、俺は、ダッシュボードを作り続けるのだ。
注意 表現にはかなり気をつけていますが、念のため性虐待のフラッシュバック等がある人は読まない方がいいと思います。
いわゆる小児性愛者と言うやつで、ストライクゾーンは主に小4以下の男児。女児もナシではない。インスタに3歳の推しがいる。
近年地位向上の機運が高まりつつある「多数派性的少数者」とは違って、小児性愛者は対象との接触どころか記録物の単純所持すら加害になるので、日々の糧はもっぱら二次元頼みだ。
対象の合意を得ることは天地が逆転しても実現し得ないため、修正のギリギリを攻めたショタ同人誌やイラストを描いてくださる神々には足を向けて寝られない。
最近は児童を性的に描いた創作物の規制がさらに厳しくなり、有名なイラスト投稿サイトは使い物にならなくなってしまった(AIに紛れて本物の児ポが撒かれていた件の発覚より以前からの動きだ)。
下腹部を覆い隠す黒い長方形を見て何を感じろというのか。そのうち乳首まで隠されるんだろうか。そうなればもうお先真っ暗だ。逃げ場がない。
脱線するが、同じ同人誌でも児童を性の対象とした小説はサイト側から厳しい扱いを受けるらしい。絵なら「●学生」と所属をブラックボックスにぶちこめば躱しやすいが、小説は詳細の描写を省くとロリ・ショタものとして成立しないからだ。古い知識なので、今はもっと厳重かもしれない。
ここまで読んで、鳥肌を立てて増田の死を願う人もいるかもしれない。いや、いるだろう。それくらい世間の風当たりは厳しいし、緩和する見込みはこの先もないだろうなと感じている。
関係の成就は絶対不可能。しかも一部の犯罪者のせいで恐ろしくイメージが悪い。そのため存在自体が社会悪と言わんばかりの偏見を持たれており、カミングアウトしたところで、失うものこそあれ得るものなど何一つないため、集団で声を上げることも出来ない。我々には永遠に市民権獲得の機会は訪れない。
世間ではLGBTQ+(このQ+の馬鹿馬鹿しいことよ)の受け入れと並行して小児性愛者を排除するエクスキューズとして、同性愛は「指向」小児性愛は「嗜好」だからというフレーズが定番化している。
要は同性愛者の性的欲求は対象が多数派と違うだけで異常ではないが、小児性愛は児童を対象とする歪んだ「趣味」であり、常識から逸脱した異常なものであるという極めて恣意的な理屈だ。
数十年前は同性愛者も「そっち系の趣味」などと呼ばれ、立場によってはバレた瞬間社会的に死んでいた。好きでもない相手に「襲わないでよ」と一方的に拒絶される屈辱は、今まさに小児性愛者が受けているそれと同じだ。
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
小児性愛は有害な趣味だというのなら、その趣味を止めるにはどうすればいいのだろう。かつての同性愛者のように、矯正キャンプに参加すれば治るだろうか。一体どのような形に治るのが「正しい」のだろうか。
小児性愛は性加害をする?大嘘だ。性的「指向」に関わらずする奴はするし、性的「嗜好」に関わらずしない奴はしない。妻子がいる異性愛者でも児童に性加害することがあるらしい。
そして、加害者がどんな属性であれ、被害者が児童なら非難の矛先は必ず小児性愛者全体に向く。
ある陰謀論では、裏社会にはヤバい小児性愛者の秘密結社があることになっているらしい。もし事実なら、結社はトランプと戦うのを後回しにして、小児性愛者も平凡な人間だということをサブリミナルか何かで世間に刷りこんでいただきたいところだ。
願わくば、二次元だけでももう少し自由を許してほしい。締め付けられるばかりで気持ちを逸らすすべがなくなる辛さを知ってもらいたい。実在児童を守るための法律を定めるのは構わない。子供が護られるべき存在なのは異論ない。
ただ、認めなくていい、肯定しなくても気持ち悪がってもいいから、我々に逃げ道と息抜きを与えてほしい。
「結局表現の規制緩和しろって言いたいだけかよ死ねペド野郎!」と思われるかもしれないが、他に訴えられることがないだけである。実在する子供への虐待を認めろなんて思ってもいない。自分自身が元被害者だから、子供への性加害がいかに残酷かはよく理解している。
安全に生きるためには、ただ自分を抑えて性的なことに興味が薄い人のふりをして生きるしかない。
案の定の手合いがいらっしゃってるんですけど、隙あらば児童と性的に接触したいぜ!とか一言も書いてないんだけどな。むしろ加害性を自覚して弁えていますという話なんだけど、内心の自由すら許さない勢いなのかな。
追記2
別に児童が好きなのはパワーバランスが不均衡で制圧しやすいからじゃないです。好きだからです。可愛いからです。同性愛者が同性を好きなのは「異性に苦手意識があるから」「異性の良さを知らないから」ですか?違いますよね。それと同じです。
追記3
好きだった作品群がサイト側の要請で残念なことになったのが辛すぎて、つい書いてしまった。
追記4
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
ここに引っかかってる方が数人いるようなので。表現がまずかったです。
『無実の小児性愛者がただ存在しているだけで差別を受けるのは、誤解と偏見に基づく心証の悪さによる。』に訂正します。受け入れられるも疎外されるも、マジョリティがキモいと思うか否かが肝なんだよなぁ、と言いたかっただけでした。
ブコメの黒線の話ですが、媒体やサイトによります。ギリギリのを提供してくれる場所もまだ生きてますけど、ダメなところはダメになりましたね。前述したように最近好きな作品が非公開を食らってしまって、かなりショックを受けました。もし今後もっと厳しくなったらどうしようかと危機感を抱いてます。
追記5
※思うところあってディティールを大幅に削りました。
・被害児童の気持ちがわかるか→読みにくい文章で申し訳ないけど、もう書いてます。私は元々被害児童です。
・AIを使え、自分で書け(描け)→もうやってます。自作の非公開小説は原稿用紙に換算すると約3000枚分ありますが、自分で書くのと他人の描いたものは違うんですよ。全然違う。
○ご飯
朝:ヨーグルト、バナナ。昼:なし。夜:おにぎり、味噌汁、唐揚げ。間食:ポテチ。
○調子
・はじめに
十数人の超高校級の才能を持った高校生たちが閉鎖空間に閉じ込められ、彼ら同士が殺人とその犯人を見抜く学級裁判を繰り返していくデスゲームものという骨子はそのままに、新しいストーリーが展開する。
魅力的がすぎるキャラクタ達、非常に残酷で救いの無い絶望的な展開、それらを丁々発止の議論で盛り上げていく。
今作はボリュームがあるのに加えて、かなり込み入った構成になっており、感想を書くのが非常に大変だった。
まずはキャラクタの魅力を語ってから、作品自体の感想を書こうと思う。
アクの強いキャラ達振り回されてきた歴代主人公の序盤の挙動とは違い、良い意味で最初から自分で物語を牽引していくタイプの主人公。
これが前向きで読んでいて楽しく、その積極さを応援したくなっていった。
他の面々に道を見出すシーンが多く、特に密接な関係となる超高校級の探偵最原終一との関係値がどんどんと変化していく様が好き。
しかし、この前向きさが、必ずしも正解とは限らないと批判されるエピソードが、幾つもあるのが今作の感想をまとめることの難しさの一つだ。
現実世界では何かを評するときに必ず良い面も悪い面もあるのが普通だが、フィクションとしての娯楽作品ではその辺はざっくりと抽象化してくれるものが多く、特に主人公の思想については過程はともかく、結論は肯定的に描くものが多い。
ここを多様的に肯定と批判が繰り返されるだけならまだしも、結論として肯定なのか否定なのかが明示されないのが本当にややこしくて、楽しくて、好きになった。
ダンガンロンパのテキスト主体の作品では初の女性主人公ということもあり、女性陣とは最初から距離感が近く、男性陣とは少し遠いのも、今までとの違いが楽しめた。
特に男性が嫌いな茶柱転子とは女性同士だからこその関係性を築くのが良きだった。
・王馬小吉がエグくて格好いい
彼の才能は超高校級の総督というよくわからないものだが、物語が進むにつれてその意味が否応なく理解できていく。
悪の秘密結社の総督を自称していて、最初から最後まで一貫して悪を貫いていて格好いい。
しかし、ここでいう悪がどのような意図の言葉なのかは、物語をそのまま書き下す以外ないぐらいに複雑で幾重もの意味を持っている。
彼の当番章は、僕がダンガンロンパシリーズでもし章単位の番付表を作るなら、一番に据えるかもしれない、それぐらい、好きで気に入ったキャラクタだ。
ただ、この好きを言語化するのが本当に難しい。
どこまでが本心で、どこまでが演技かも不明なシーンが多く、彼を好きなこの気持ちも、どの彼が好きなのかをはっきりできない。
ただ、正義や真実や希望といった、ダンガンロンパシリーズで「良い」とされてきた価値観と真っ向から対立する存在なのは間違いない。
それだけに、ある意味ダンガンロンパシリーズを包括して批判する評論家のような一歩引いたメタ的な立ち位置(物語の構造や超越的な設定の意味でメタフィクションと言っている訳では無い)なのが魅力的に写ったのかもしれない。
見た目は元気そうな少年なのも、悪なシーンとの対比が映えて好きなところ。
超高校級の才能であれば多少の無茶は飲み込める世界観だけに、超高校級の発明家というざっくりした才能はかなりの自由さだった。
一章からそうそうに発明家としての才能を発揮していく上に、自身の当番章ではまさに縦横無尽に活躍する。
そんな才能面での自由さ以上に、日常会話が成り立たないレベルの下ネタ好きっぷりに惹かれた。
女性同士という点を差し引いても、ドン引きレベルの下ネタが開幕から続く。
性的なネタを好み下品な言動ばかりで一貫して喋るキャラで、真面目な学級裁判での議論中でも容赦なく下ネタをぶっ込んでくる。
作中人物達からの人間性の評価、特に女性陣からのそれは散々で、めちゃくちゃ優秀な才能で活躍するにも関わらず、非常に嫌われている。
傍若無人な態度をとりながらも、相手に強気で来られるとマゾヒズムな感情を刺激されるのか恍惚の表情で命令を聞いてしまう辺りも、下ネタ好きキャラとして一貫した個性になっている。
性的に奔放で自由な様の娯楽的な面白さに、後付けで理由を付けてしまうのだけれど、ここまで自由だとある種の強い社会性からの解放すら感じられて、見ていて飽きない楽しいキャラだった。
あまりテーマとは関係のないコメディキャラだが、まさにそのコメディ部分が楽しめたし、清涼剤的な役割だった、性欲剤でなく。
・「嘘」
そんなわけで、必ずしも肯定だけで終わらない主人公の赤松楓と、どこまでが本心かがわからない王馬小吉の二人が好きだという感想を書いた。
これはゲームシステム的にも表現されていて、恒例のノンストップ議論で相手の発言を、証拠や証言で打ち抜く際に偽証をすることができる。
要するに議論を進めるためなら、それが真実でなくても良いというスタンスだ。
物語としても終始この「嘘」について取り上げられ、実際に起きた事件の議論という枠組みに収まらず、ある意味では倫理観、ある意味では普遍的な、様々な問いを議論していく。
非常に複雑な構造になっており、作中から得られる情報では絶対に真実には辿り着けない。
その上で、物語での言葉を借りると、誰を信じるのかを決めることが重要なのだろう。
主人公である赤松楓や、ある意味で名敵役である王馬小吉と言ったすごく主軸となるキャラクタですらその本心と、それに対する評価が多様なことが、まさにニューダンガンロンパV3全体の感想にそのまま繋がる。
このゲームが楽しかったのか、好きなのか、つまらなかったのか、嫌いなのか、自分の中で多様な意見が結論が出ないままにそのまま残っている。
別に物語として尻切れトンボなわけではなく、まさにこれが狙ったことなのだろう。
明確な結論を出さず保留し、ずっと考え続ける。
そういう結論がないことこそが結論の作品だったと、こうして感想を四苦八苦しながら書いて感じた。
・おわりに
こうやってゲームの感想を書くようになって以来、楽しむと自然と感想も書けるものだと思っていたのだけど、今作はかなりこのアウトプットに時間がかかった。
とにかく複雑で入り組んだ構成をしているゲームで、端的に何かを語ることが難しかった。
かと言って考えさせられる系の現実としての生き方に尾を引くお話なわけでもなく、あくまでフィクションとしての娯楽作品であることは貫かれている。
このゲームが好きなのか嫌いなのかすらもよくわからない、自分の中で整理が付きにくい。
この独特の読後感が唯一無二なのは間違いなく、アドベンチャーゲームというジャンルを飛び出して、ダンガンロンパはダンガンロンパなんだとトートロジーでしか評せない癖の強いゲームだった。