はてなキーワード: 焦燥感とは
漫画、小説、新書など一般的な人よりかなりの量を読んできましたが、一応漫画に限定して振り返っておきたいと思います。
BADBOYSシリーズの最新作が終了した。正確には連載中に別のシリーズタイトルのKIPPOが不定期連載していたので、最新作というのには語弊があるかも。
でもそんな事は小さな事だ。
焦燥感や欲望、破壊衝動なんかは誰の内にでもある。これを上手くコントロールして飼い慣らし、人は社会で生きている。
暴力を生業としている人間でもそれは例外ではない。人間は群れで生きるのだから、無制限に欲望をさらけ出して社会で生きていけるわけがないのだ。
端的に言えば排斥された上に壊されてしまうのだ。最初から壊れていたとも言えるけど。
排斥された少年達は何にすがって、その後にどうやって生きていくのか。
これは田中宏作品の通底するテーマだとは思うんだけど、寄る辺なく流れてきた少年達が自分の居場所を築き、社会不適合者が寄り合って社会を形成するまでの流れが美しかった。
また、大阪凶連合など、過去作品でほとんど名前だけしか登場していない団体の活躍もファンにはうれしい限り。
女神の鬼が終了するなり、田中宏は莫逆家族から居続けたヤングマガジンから、古巣に帰っていった。
女神の鬼が過去盤のオールスターだとしたらKIPPOは現代版の田中宏キャラ総出演だ。
かつての膨大なエピソードから引っ張り出して、一つずつ落ちを付けていくという芸風は超長期連載で一つの世界を書き続けた田中宏ならでは。
まさか野獣と不良少女の話で生まれた赤ん坊が大人になって登場するとは。ファン歴が長いほどわくわくする。
ただ、仲間とつるみ暴走行為に没頭する。すでに終わってしまった青春の切なさがすばらしかった。
数ヶ月の休載が三年にわたり、もう陰陽トーナメントは読めないとあきらめかけていた。
それが、当たり前の様に昔のままのおもしろさで連載を再開したのだ。
これはサプライズだ。そりゃ空手少女も煉獄を打とうってなもんだ。
内容の方は前哨戦と牽制で一年間を使ってしまったけど、その一つ一つも気にならないほどおもしろい。
ドンケツ……ヤクザ漫画というのは基本、こういう物であるべきだ。
塾生碇石君……これはひょっとすると勉強の仕方の解らない子供に積極的に読ませるべき良書なのでは。
セブンスター……作者お得意のモラトリアムからぐだぐだに迷走する感がない。
・
自分への戒めとして記しておくことにする。
いわゆる「理系女子」の略語である。私はこの言葉がなんとなく嫌いだ。
進路は文系の私立大学を選択した。だがこれは不本意のものだった。
私は小学生の頃から数学が苦手で、定期試験の大問1の単純な計算問題すら満点を取れないような子供だった。
中学に上がり学習塾にも通ったが、私は中学3年の冬の出来事を一生忘れないと思う。
入学試験を控え塾では勉強合宿が行われ、朝から晩まで過去問を解かせられていた。
周りが高得点を取って上のクラスへと上がる中、私は不安と焦燥感でまったく頭が回らず、目の前の数列をただ目で追うことしかできなかった。
空欄が多い解答用紙を見て、鉛筆の音だけが響く静かな教室で、先生は言った。
今まで学校に通ってきた中で、そんな言葉をかけられた生徒は私以外にいなかった。
模試の結果と相談する中で、私は文系以外の道は選択できなかった。
私は理系への憧れを今だ捨て切れていない。
試験としての「数学」は苦手だったが、学問としての「数学」は好きだった。
どのような構造をしているのか。
どんな反応をするのか。
こういった身近な疑問から、果てには宇宙の遠い星々への距離まで計算できるのだから、
それに反して、私がいまやっていることは何なんだろう。
古典の文法を覚えて、昔に書かれた文章を読んで、一体何になるんだろう?
古典作品を研究することはとても有意義なことだと思う。昔の人がどんな生活をしていたか知ることによって、
私達の未来へ役立てることもできるだろう。
でも私がしたいことはそれじゃない。
古典の学習が自分の身の周りに還元されていくことはあるのだろうか?
今私が使っているiPhoneだって、エアコンだって、電灯だって
偉大な先人が発明したからその恩恵を賜ることができているのだ。
今私が学んでいることは、私にとって全く役に立たない。
私は「リケジョ」が心底羨ましい。
そして自分の発見が巡り巡って私の友人達に素晴らしい将来を提供する様を見届けたかった。
多分一生この想いを抱えたまま、私は鬱屈とした日々を送っていくのだと思う。
学生。嫌なのに抜け出せない。
大学は二ヶ月くらい行ってないし、やらなきゃいけないことが全く出来てない。
バイト週一~週三くらい行ってあとは寝て起きてご飯食べて一人で繁華街をぶらついてる。
文字通り本当にぶらつくだけだから、誰かと遊ぶわけでも何かが楽しいわけでもない。
ずっと家にいると怪しまれるから、ひたすら憂うつになりながら歩いてるだけ。
何かしなきゃいけない焦燥感はあるけど、いざやろうとしても結局何も出来ずに終わる。
元々は病欠以外で学校を休んだことないし、大学の単位も必要+αを詰めすぎだろってくらいとる人間だったんだ。
ビビりでチキンだから、サボるなんて怖くて出来なかっただけかもしんないけど、
授業だって楽しかったし、サークルもお遊びながら役職もらったりして、積極的だったと思う。
今は正反対。
もう授業取る必要ないから直接問題があるわけじゃないけど、行かないって行為が負担かかってる。
なのに行けない。気付いたら電車途中下車してて、そっから進まない。
就活しなきゃいけないけど、ちょっと履歴書書いたり説明会行くだけで丸一日寝るくらい疲れる。
このまま決まらなかったらヤバイし焦ってるんだけど、遅々として進まない。
生きてるのがしんどいけど、かといって具体的に死ぬ気も起きない。
前は生きる目標なんかなくても楽しくやる気があったのに、今じゃ何にも見えない。
かくっと箍が外れたみたいに何も出来ない。
こっから抜け出すにはどうしたら良いんだ。
誰か教えて欲しい。
常時俺Sugeeeeeeeee状態の勘違い十代
野心を持ち「俺は新しいものを生み出すんだ」と息巻く二十代
口だけで何もしない奴も、努力して成果を出す奴も、環境に恵まれて勝ち組街道を行くボンボンも、圧倒的な天才も、
三十代に入るか入らないかになり結婚して子供を作ってからは判で押したように新しいことを全くやらなくなるんだよ。
「俺はやってる!」という奴でもこれまでの蓄積の延長線上でちょっと工夫した、みたいなことしかやらなくなる。
絶対に勝てる見込みが立つことしかやらなくなる。リスクを取ることが可能な環境であってもだ。
そのうち実力が減衰していき、よくわからない業界のご意見番みたいな立ち位置に収まって上から適当なこと言うだけになる。
三十代前半くらいの頃は焦燥感もあるようだが、決まって言うのは「吾唯知足ですね」という文句。
お前それあたかも真理を見たみたいなドヤ顔で言ってるけどクソテンプレだぞ。
「田舎に移住して自分らしく生きます」とか「仕事ばかりの生き方はダメだと気づきました」とか「アンチ・反社畜」とか、
新しいライフスタイルみたいな雰囲気出して語りだす奴も増えるが、それ自体がテンプレなんだよ。同じこと言ってる奴どんだけいんだよ。
どいつもこいつも生き方が同じなんだよ。下手なマンガみたいに次に何を言い出すか完全に読めるんだよ。
もっとオリジナリティのある奴はいないのか?昔お前らがドヤ顔で語ってたような生き方してる奴はいないのか?
少しは夢見れるようなことやってくれよ。
15卒ANT文系修士。働くことに対して、ぼんやりとした焦燥感がある。
けどOB訪問とかしてないから、実務レベルでどんなことするのかよくわかんない。
(OB訪問したらわかるなら今からするけど、そんなことない気もしてる。世の中の就活生はOBOG訪問で何を訊いてるのかなあ。)
「新入社員の一日」みたいなコンテンツには目を通したけど、作業・書類作成・打ち合わせ準備とか書いてある。
俺はその中身が知りたいんだよ!
総合職一括採用だから、営業になるのか、専門的な部署につくのかは来年の今頃までわかんないし。
こういう状況で、タイトル。
例えば高校から大学は、例えば勉強→研究っていう変化があるけど、連続的に変化した(と自分は感じている)。
同じように考えたときに、大学(院)から社会人って研究→??。
もう一つの大きな疑問は、大学での結構適当な生活から規則正しい生活に上手く切り替えられるかどうか。
単位も取り終わってるから一週間遊んで一週間頑張るとかも許される環境にいる。
これが、毎日定時で勤務するとかどうなんだろう?
(数年働くと定時なくなるみたいだけど。)
新しい環境にわくわくしつつも、やっぱりもどかしさがあるなあ。
まずは、いま自分の置かれている状況から、どの言語を選ぶべきかを考える。
複数の要素があるなら、優先順位をつけること。
参考として、僕の考える優先順位は以下のようになる。
まずは目の前のことをきちんと片付けられるひとになろう。
焦燥感などあるかもしれないが、雑誌やブログは必要以上に煽る傾向がある。なぜならそれで稼ぐひともいるからだ。
他人が進める技術はポジショントークだと思って問題ない。自分とは立場が違うからと、参考程度に読むべき。
流行は過ぎ去るのが早い。習得したが流行が次に移る可能性もあるので、博打すぎる。
仕事で使われている言語は、採用された経緯が絶対にあるので聞いてみるべき。
「ハードやOSの都合」「パッケージソフト」「社内に有識者が居る」「お客様の指定」のように、だいたいは大人の事情であることが多く、選定される言語は会社や現場によって違う。
また、仕事でソースコードを書く場合は、作成後「保守」「運用」と言った、作ったものに手を加えることが必ずと言っていいほど発生する。保守運用は実装者以外が担当することも多い。それらを想定した引き継ぎや改修のコストも考慮され、言語の選定が行われている。
そのため、仕事で使用する言語はだいたい似たような作りになっている。あまりかけ離れたものだと技術者の確保が難しく、教育のコストも馬鹿にならないからだ。
つまり、ひとつの仕事で使用する言語を「高いレベルで」習得すると、他の言語になっても多少の違和感レベルで移行ができるようになる。繰り返すが、まずは目の前の仕事で使われている言語を修得することだ。
そして次のステップで、余裕ができたときに自分が実現したいものを制作しよう。
まず、実現したいものの要件定義をしよう。どんな環境で動くものなのか。ブラウザ必須?アプリがよい?どんなライブラリを使ったら楽になるのか。データベースは必要なのか。グラフィックは凝る必要があるか。
と、考えていくと、自ずと言語は見えてくるはず。
はじめての場合は、使用ユーザが一番多いものを選ぶとよい。ユーザが多いということは、情報がたくさんあるということ。ググったら出てくるのは素晴らしい。
そして、使用者が多いとバグも少なくなっているということだ。知らない分野であると、自分のミスなのかバグなのかの判断がとても難しい。
着手する前に、作りたいものの技術をどう実現できるかを前もって調べて、詰まって投げ出さないように予防線を張ろう。
部分の理屈は解っていても手を動かさないと見えてこないものがある。
意外に準備が必要だったり、素材作りやデータ入力での反復作業、部品を結合したときに気づく設計の重要性、リファクタリング、テストの観点だったりと。
最初から最後まで見通すことができると、他人から作業を振られた時に、どの部分をやっているかが見えてくるようになる。振られた内容に不備不足を見つけてプロジェクトに進言できる人は、プロジェクトで重宝されて居心地がよくなるのでオススメ。
ということで、まずは規模が小さいものを作るとよいと思う。大きいものにチャレンジしても、社会人になると時間も少ないので途中でやめてしまう危険もある。例えば、仕事中で感じる何か1手順を楽にするようなものとか、ある個人の作業が楽になるようなものなどが、要件が把握できる規模なので、ちょうどよいと思う。先ほど考えた「自分が実現したいもの」は、その後でもよいと思う。僕の経験から、大きいものを作っていると知識が溜まっていくに従って最初から作り直したい病が発生するからだ。
簡単に要点をまとめます。
以上。着手前の心構え的な部分を書いてみました。
なんでも、父が箱買いしたトウモロコシ茶を妹がおすそ分けしたとかで、そのお礼にわざわざ手土産をぶら提げて参上した。
たかがペットボトルのお茶程度で、家に上がりこんであいさつをする、というのはいささか大仰な気がする。おそらくY氏の本当の目的はお礼を言うことではなく、うちの両親に直接会って「娘さんとお付き合いしています」と真正面から告げることにあったんだろう。
兄である僕は29歳の真正童貞なのでその辺りの機微には疎いんだけれど、Y氏は御歳37歳で、妹とは十近く歳が離れているから、交際する上で不安や焦燥感があるんだろう。そうでなければ、交際一年未満で彼女の実家にあいさつに来るとは思えない。
自分が年上の「オジサン」であるという自覚があるからこそ、不安なのだ。いつ妹がほかの若い男になびくか知れたもんじゃないし、家族からも「そんな年配と付き合うな」と釘を刺されるかもしれない。
だから牽制としてわざわざ理由をつけて会いに来た。彼女の親に会って認められれば、家族の心証もよくなるし、彼女の方も気軽に袖にできなくなる。ゲスの勘繰りかもしれないが、アラフォーともなれば、結婚を焦ってもおかしくない。とくに妹は男をとっかえひっかえするタイプの女性なので、なおさら足元を固める方へと気が急くんだろう。
なんてことを考えるうち、だんだんY氏と顔を合わせるのが億劫になってきたので、部屋に引っ込んで顔を合わせることなくわんこを抱いてすごした。正直、家に親戚が遊びに来たときのニートみたいな気分だ。頼むから呼ばないでくれ、と思いながら、布団にくるまってぷるぷる震えてすごした。
とても拙い、どこかで読んだことがある内容が陳腐な表現で綴られていく、思い返すだけで赤面するような文章だ。
確か小学校の卒業文集には「将来の夢:小説家」と書いたはずだ。
C、G、Am、Em…程度のコード進行に捻りのない恥ずかしい歌詞を乗せていた気がする。
ストローク奏法しかできないくせに、HistoryのアコギとかTokaiのレスポールなんか買って舞い上がっていたのもこの頃だ。
途中でDTMにも興味をもち、初音ミクを導入し、MidiキーボードやI/Fを購入したものの、アウトプットされる曲のクオリティは変わらなかった。
大学にはいって自由にインターネットが使えるようになり、またいろいろな人と関わるようになってから、小説を書いていた、とか作曲をしていた、とは言わなくなった。
僕のやっていたことはファッションの域をでていなかった。
ワナビにすらなれなかった。
それでもなお、クリエイターに対する漠然としたあこがれがある。
部屋を見返せば何年も触っていない楽器や機材が点々とし、PCの中には2000字も書かずに筆を投げ出した小説もどきが沢山保存されているにも関わらず。
あと一年すると、僕は働き蟻になる。
vorkersをみると90時間20%だから、自由な時間を確保することは難しいだろう。
この期におよんで、楽器の掃除でもなく、小説の続きを書く訳でもなく増田を書いてしまうあたり、僕の底は知れている。
「きっと何者にもなれない」。
今朝は母と軽い言い争いをした。
母はなんでも我慢する。
言わないで、我慢して震えてる。
私はそれが嫌だ。
辛そうな疲れたかんじで、少しも笑ってない笑顔で「ウン…わかった。わかったよ。もういい。」っていう。
その姿を見るたびに腹立たしい。自分に酔ってやがる。
母はいつもいつも「あなたのため」といって、自分を犠牲にして何か世話を焼きたがる。
私が勉強で1位になったり受験に合格したときは、私よりも泣いて大喜びしてくれた。
でも勉強しろとあまりにも煩く、満点取らなかったらクラス最高得点でも怒られたし、禁止事項も多く、人を見下す発言が多い。
そしてよく「お前は母の半身で大切だ。愛してる。お前の人生はお前のものだけど、母の人生でもあるんだよ」とニコニコして言う。
だから私も母に甘えて抱きついてニコニコしながら、内心いつだってビクビクしている。
精神的束縛だ。
こんなの、居ない父(居たとしても[愛情]が欠落してるような人間)へのさみしさを私で紛らわせてるだけじゃないか!
しかしそれは私も同じなんだ。慢性的な孤独感と空虚感、罪悪感、焦燥感、自信のなさをどうにか紛らわせたくて、母に異常に擦り寄り甘えるのだ。
共依存。
まったくもって、共依存。
わたしたちの共依存には、同居してた父方の祖母の話も必要かな。
祖母は習字教室の先生をしていて、私は幼稚園ときから家の一角に通っていた。
書いた字を見てもらうため順番に並ぶのだが私は「家の子だから」と順番を後回しにされ、私だけ毎週「クズ・おばかで落ち着きがない子・のろまむすめ」などと皆の前で罵られていた。
この人、外ではとても上品そうでいい顔をする。そして典型的な悪の姑。父が不在の家で、母はいつもこの人に虐められてた。たとえば、母が風呂に入ってる時故意にお湯を止められたりとかね。
しかも祖母はアルツハイマーになり性格のクソさ&介護のクソさが日々激化していった。
母の気丈に振る舞う姿をずっと近くで見てて、糞ババアから私が守らなきゃって思った。
ちなみにボケ防止という名目で既にボケ始めてからも数年は習字教室運営は続行された。年々減る生徒。ボケる祖母。タゲられる頻度が増す私。
泣いて辞めたいと毎週母に訴え、忘れもしない、結局2年後の小6冬、罵りに耐えきれず書初練習を途中で放棄したことにより私の習字という苦行は終わった。
私は素直で明るいピュアな優等生というのがポリシーであったが小5くらいには祖母に対して怒りで満ちていてた。第5日曜のオツベルの象な感じ。
高学生のときには痴呆の進んだ頭の回転の早い祖母と激しく罵り合うことが頻繁にあった。本気で殺したいと思うほどに憎く、汚らわしく思っていた。
そんな感情を抱く自分も同じくらい穢らわしくて、もうピュアには戻れないんだろうなって悲しくてよく泣いた。
このとき通っていた進学校の勉強に私は全く着いていけなくて、アイデンティティが砕けまくりで、唯一の癒しの部活を禁止されたりして、遅刻を繰り返して、ゲームに没頭して、自分を諦めていて、勉強しなさいという母に祖母と喧嘩するのと同じテンションで言い返するようになっていた。
この頃から、我慢する母にも怒りを感じ始めた。
母は日増しに疲れていった。
なぜ?なぜこの人はただ耐えるのか。
何度も聞いたけど「耐えるが勝ち」みたいな答えでよくわからない。だってそんなに不幸そうな顔するのに。イライラする。私のせいだ。守りたかったこの人を傷つけてるのは私自身なんだ。
でも母はひたすら耐えてひたすら傷つく。なんでよ?痛いって言ってよ。
私は「辛いなら言って。力になりたい。」といつもいうのに、母は「うん」といいながら全然言ってこない。
悔しい。
私は一体なんなのだ。
イライラする。そうこうしてるうちに、さらにヒートアップしてしまう。止まれない。私には止まれない。耐えたくない。母みたいになりたくない!感情が爆発させる。母にも感情を爆発してもらいたいという希望も込めながら。
母は私を怯えるようになった。
私はいつも怯えて生きてるというのに。
鬱のような。でも鬱じゃないような。
大学1年で一人暮らしのとき、ある日突然涙が止まらなくなって動けなくて、本格的にメンヘラの仲間入りを果たした。
ホームシックだと思う。共依存が抜けないんだ。自立しようなんで思ったことを1度もなかったもん。
薬も飲んだし過食したし不眠したし過眠したし引きこもったし大学もたくさんサボった。鬱とか非定型うつだとか色々考えたけどどれもしっくりこなかった。
アダルトチルドレンだけは当てはまった。親にも言った。伝わらなかった。全く伝わらなかった。
へーそう。だから何?親のせいにしたいならすれば?って言われた。
信じてなくて、どうでも良さげだった。鬱とかACとか相談するたび、朝の星座占いぐらいに信じてなくて、聞き耳もたれなかった。
もう何をいってもダメだ。だめなんだ。
もう私が親から離れるべきなんだ。
ここ最近一番死にたくなったのは、母のためにUターン就職して、ブラックなとこで心身共に疲れて結局すぐ退職して近所の雑用バイトを始めたとき「べつに地元に拘らずに東京で一人暮らしで働いてもいいじゃん?」といけしゃあしゃあと言われたことだ。居てくれたほうがいいって言ってたくせに。
何言いたいか分からなくなったよ。
いいや、とくになにか主張したいんじゃない。
ただ、言いたかっただけなんだよね。
性格悪いよね。こどもだよね。でもこれが私なんだよ。
なにもかも味気なく感じる。ジェットコースターとか乗るときだけ、マジに心が動くってかんじかな。
悲しいな。
待遇がよくてやりがいもあるけど、期待される水準が高くてプレッシャーがつらい。
うまくこなせなくて失望されているのではないかと思うと嫌で嫌でたまらない。
人の視線が怖い。
もういっそ通勤途中に失踪して消えてなくなりたい。
そんなことを毎日考えて2ヵ月以上経ったので、本当に失踪する前に吐き出してみた。
反応をいただけてうれしいです。
心療内科を受診したら、病気ではなく性格の問題という診断でした。
一応出された薬は体に合わず、ゲーゲーはいて苦しかったので、諦めました。
期待に応えよう、いいとこを見せようというのは自分のエゴ。人はできることをするだけ。その期待を抱かせたのが自身の面接時や普段の言動ならその見栄っ張りを改善した方がいいよ、と自戒を込めて…。
みえっぱりは当たっているように思います。
お酒の席で自己開示できるほど器用ではありませんが、こうして文章を書いていると少し気持ちが楽になります。
http://anond.hatelabo.jp/20140108144042
その人の姿を注視したり、触ったり、性交したりすることを許されたなら、そうすることはできると思う。
そう推測する理由は以下のような状態が俺にとって普通(抗うつ薬を飲む前の状態)だから。
エロ動画で初めて見た魅力的な人を見ながら自分の性器を直接触ることによって快を得ることができる。
またその魅力的な人の性器等に触れたりしてその人を性的に喜ばせてみたいと強く望む。
ちなみに一ヶ月たつと強くなる焦燥感は普段の性的焦燥感とは違って、
魅力的な人の姿や声を感じたいとか性器を刺激したいとかいう欲求は伴わない。
とても嬉しかった。
みなさんのお陰で新たに学んだことと、コメントに対して感じたことをこの日記に残します。
知っていれば賢い、ということでもない。使いこなせない知識は有害
* 外面では見えない知識が表に出て初めて人のお役にたてるかも知れないのに勿体無い限りです。
* 週刊実話を読んだことがありませんので楽しい気持ちになれるなら凹んだ時に読んで見ます。
わたしは無知な女/htmarさん&miyashikiさん
* わたしは無知な女です。
いやいや、確かに知っていても適切に引出から出せないと無駄に思われがちだけど、もしも知っていなかったらそもそも引き出すものがないのだから、やっぱり知っているだけでも価値はあるよ。。/quix_queさん
全知全能になれない以上、全ての存在は何かしらにおいて無知であろう。その中で知ることをやめなければ良いのではなかろうか。/ vidさん
知ることをやめなければ良いのではなかろうか
* めげずに励みます。
知っている方が楽しいことと知っていたほうが悲しいことを天秤にかけたら前者が重たくなるためにはある程度の時期までに蓄積をしなければならないんだとは思う。間に合うのであれば知る努力をしたほうが楽しい/ NOV1975さん
知る努力をしたほうが楽しい
* 知る努力をし、みんなと一緒に楽しいと実感できる日々に向かい現在進行中です。
それでも生きて行けるならそれでいいと思うし、無知を恥じているならそれはものすごい発見でもある。読書ははまると楽しいよ。/ vaginallyさん
無知を恥じているならそれはものすごい発見でもある。
私と比べるから
* 沢山の人達に出会うことで自分の無力さを感じてしまう反面、希望があります。
知らなくていい言葉もいっぱいありますよ。気になるなら週末だけでもコンビニで新聞買ってさらっと見ておくといいかも。/ gohankunさん
いま気付いたのならこれから読めばいいじゃん。まあ知らなければよかったってこともあったりするから、ほどほどでいいのでは。/htnmikiさん
いま気付いたのならこれから読めばいいじゃん。
* 知らなくていい言葉が気になります。「さらっ」「ほどほど」具合が分かりませんので、ついでに体験してみます。
「知らない」ということを知ってるのはだいじ。/K-Onoさんへ
「知らない」ということを知ってるのはだいじ。
* 「知らないことは知らない」ただそれだけのことです。大事であるならば大事だと思うようにします。
上から目線で寛容な理解者ぶりたいおっさんホイホイなのかなと開いたが思った以上に色気がない文章だった/zuiji_zuishoさん
* ガッカリさせてすみません。「色気ある文章」というのが存在するんですね。意識して文章の研究をしてみます。
百聞は一見にしかずって言うよ/QJV97FCrさん
本を読むのって、他人の人生を追体験すること。本を読まない人はやたらと「経験」というけれど、自分ひとりだけの経験と、読書で何百人何千人もの人生の片鱗と知識・知恵を経験した人では見える世界が違うよね。/MK3110さん
読書で何百人何千人もの人生の片鱗と知識・知恵を経験した人では見える世界が違う
* 見える世界…。わたしの世界は良し悪しでも「みんな生きている」というシンプルさです。
どういう成り行きで稲川会を知ったんだ…/nekonekonekotoriさん
* 知らなかったわたしは一先ず安心です。ただ、死ぬ期限が不明です。いずれにせよ人はいつか死にます。念のため、20歳未満の人に忠告しておきますね。
P.Sが本編。/bloominfeelingさん
* P.Sが本編だと困ります。本編に捉えてしまった人がいたということに対して後書きする場合は、どのように表現していいのか考えました。
知ったような口を叩きたくないから、知識を取り入れるようにしてる。/waribashiwaretaさん
* パワーを感じます。
知識を仕入れても大概のことは忘れてるけどね。知らないのと忘れてるの、どっちがいいかわからないけど、仕入れて忘れるのも悪くないなとは思う。/ricemountainさん
* 忘れてもどこかしらに残っていますよね。
*「やったーわたし」ですね。
知ってるつもりより100倍まし/mementm0riさん
* 100倍と明確にされるとは、想定範囲外です。むしろ100倍の威力が気になります。
無知な人がはてな匿名ダイアリーなんて知ってるわけないじゃないですか/junglejungleさん
この増田はまとめ、増田、稲川会を知っている時点で無知じゃない。もっと無知な人間がいる世界だってある/miho3783さん
* わたしは、字を書くのも苦手なためパソコンで日記を書こうとおもい「日記」「無料」「匿名」で検索したらここに辿りつきました。
知っている時点で無知じゃないということは有名なんですね。知れて良かったです。
* 時と場合によっては、使い方があるのではと考えさせられました。
私はムッチリな女、、、 が、親父ギャグ的なものにあたることくらいの知識はある。/ imakimamさん
* 恐縮ですが、ムッチリが無知の言い換えですか?だとしたら、親父ギャグにあたるよりも仕事であてたいです。
「増田」の意味は知ってる?/zeromoon0さん
増田(ますだ)【意味:「はてな匿名ダイアリー」およびその利用者の俗称。当初は「アノニマスダ」「アノニ増田」などと称されていたが、現在ではさらに省略した「増田」が一般的であるようだ。Anonymous Diary(アノニマスダイアリー)に由来する。】
* この日記は文字をクリックしたら辞書へ移動できます。そこで調べた限り、人の名前でした。誰のことかと思い追跡したら上記の意味だったんですね。
* 生活面で悪影響を与えてしまったらすみません。タイトルを変えようと考えましたが他に思い当たる節がないので使わせて頂いています。
小説なんてたくさんある娯楽のうちの一つにすぎないのだから消費しないことを嘆く必要なんてないけど、今後も飯を食っていけるだけの知識と技術を保てるよう専門書をたくさん読むなりして研鑽に励む必要はある/pepekyさん
飯を食っていけるだけの知識と技術を保てるよう専門書をたくさん読むなりして研鑽に励む必要はある
* 専門書という発想がありませんでした。小説と専門書を使いわける選択肢ができました。
知識に人生の逃げ道はない。無学な人間には学がないなりの生き方がある。自分らしさを卑下するのは不健全。口を開けばパズドラと酒と女しか話題がない中卒だからこその野性のたくましさを見習い、笑顔を取り戻せ。/limeclimbさん
知識に人生の逃げ道はない。無学な人間には学がないなりの生き方がある。自分らしさを卑下するのは不健全。
* 無学なりにここまで生きてきました。次は博学なりの生き方をします。
いやー、無知な人ってヤクザの話大好きなんだよ。自分は無知だという自覚が半ば無意識的にあるのだけど、「でも俺はみんなが知らない裏社会のこと知ってるんだぜ」って風に相殺して優越感に浸れるのかもしれない。/Falkyさん
* 学んだことは表に出しなさいと教わりました。
* すみません。「新手の埼玉おっさん案件」を検索したのですが意味が分かりませんでした。井手らっきょかと思い再検索したのですが埼玉ではなく熊本でした。
無知の知。一見無駄かもしれない知識が思いがけない場所で使えることもあるから、色々知ってる人は有利だと思う。/ nil-fellさん
無知の知。「そんなこと知らなくても死なないじゃん」と切り捨てないことは言葉の単語=語彙が多いことよりももっと大切で立派なことだと思うのです。/あと知ったかぶりよりいいよね。と自分に言ってみる/ikd18さん
無知の知と言いますし。/richard_rawさん
* なんだか深いお話です。
知らないというより考えない人が増えている気がする。あるいは、知ってることだけで理解したつもりになって新しい知識を増やす気がない人。算数ができれば数学なんていらないという考え方はこれに近い。/nenashigusanoraさん
* 「知らない」と「考えない」のあいだに壁があるのを感じます。
* 他の方の日記を拝見し、読みやすくできたらと思い記法に辿りつきました。まだまだ使いこなせていません。
本は読んでるつもりだけど稲川会知らない。あと、無知であることを自覚してるならわからないことをどんどん人に聞いてくといいんじゃないかな。その方がコミュニケーション捗るし。/sato-gcさん
* リアル世界とは少々違いますが、今こうしている場もコミュニケーションのひとつですね。
銀河鉄道999より:メーテル「ええ、私は時の流れを旅する女。今までに数え切れないくらい多勢の若者と旅をしてきたわ。ともに喜んでともに悲しんで、そして死に別れてきた。私は一緒に旅した若者のことを決して忘れない。一人一人の思い出をこの胸に刻みこんで抱いて行くわ。永遠に。」
* 共感することもしばしばあります。こんなお話があったんですね。
コメントしてくれた人以外の方も読んでくれてありがとうございます。
「わたしは無知な女」をブックマークする意味が分かりかねます。
ありがたく思います。
また、書きます。
わたしは無知な女。
自分と同年代の人がうまくやっているのを見ると焦燥感を感じる。それはスポーツ選手ならまだしも、大学生で自分を同じく就職を控えているとなると、やられた、先を越されたという気持ちになる。
彼らは自分と近い存在でありながら、自分には到底できないようなことをあっさりとやってのけているのだ。明確な目標を持ち、それに向かって毎日努力を続けている。自分が疑問に思わないようなことを疑問に思い、頭を使うことを得意としている。彼らのことを考えると、出遅れたと感じてしまうのだ。
これは生まれつきの能力のさではない。生まれつきの能力で言うならば、自分は素晴らしいものを持っていると自負している。問題は生活習慣だ。これに関して言うと人に誇れるものはない。昼過ぎまで寝て、起きたら惰性でオナニーをし、その後お金がなくなるまでパチンコをする。考えつく中で、最も怠惰で底辺な休日の使い方だ。
あることがきっかけとなって、漸く努力の価値を見出すことができた。しかし時すでに遅く、出遅れているものが数多く存在する。重要なものは考える能力だ。思考は日々の習慣の賜物である。これを怠ってきたのだから出遅れているのは当たり前である。