はてなキーワード: 手塚とは
漫画は雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌と女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。
それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛とイケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。
けれども雑誌文化ということであれば日本の近代文学も雑誌文化です。同人誌です。
しかしラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。
それについて調べてみると文学はそもそも女が見るようなもんじゃなかった時代に販路なりが成立したんだろうといいます。
(漫画は手塚がリボンの騎士、赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画が分岐していた。 )
男しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。
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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画や音楽も小説と似た事情だと思います。
映画や音楽を男や女しか楽しまなかった時期があったとは考えにくいですね。
「映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています。
(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化の目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)
音楽にしてもそう。伝統音楽が典型的でしょう。ケルト音楽やケチャや中国の音楽を男女の一方しか楽しまなかったということがあったでしょうか。
(まあ中国の音楽はドラマで悪の皇帝が宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)
他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなものは部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから、目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。
現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。
ちなみにゲームの場合はハクティビズムが源流にあってこれはギークの趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います。
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映画や音楽の場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います。
けれども娯楽本位だから、チープな文化だから男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。
映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛を主題としてきた多くの映画が別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたから作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別を凌駕したのでしょうか。
そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います。
映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます。
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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノの即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画や漫画との違いはありません。
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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。
その意味では音楽を除き映画と漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます。
また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在の美術に男女差が見られない理由を過去の販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。
映画は実写。小説はデフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。
また小説との比較では、小説は文が主体で漫画は絵が主体という違いがあります。
これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味で排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。
しかし問題は主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います。
ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。
「漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題でしかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。
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ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。
もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います。
しかしたとえばNHKのゴールデンタイムのバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテンや日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。
それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。
名前の雑学とか医学知識とかいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。
人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難なルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。
男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。
しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれてしまうと思います。
逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサーや適当なバラエティータレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的な番組が生まれるのだと思います。
マジで知らんのか
立憲民主党に騙されないで!
立憲民主党で二次公認をいただきましたが、手塚よしお議員とその秘書、東京14支部から立候補予定木村たけつか元議員に、密室で幾度も選挙辞退するようにと、パワハラをうけました。
木村たけつか元議員は、タクシーで私の手を撫でるように触りそして握ってきました。
https://twitter.com/yamakawayuuna/status/1381877394307342338?s=19
これを、立憲民主党の都連に相談しましたが、都連のTOPが手塚よしお議員の為、幹事会で20数名いる東京の幹事は見過ごし、わたしを辞退においこみました。
https://twitter.com/yamakawayuuna/status/1381877459230978048?s=19
塩村さんに至っては同じ女性であり、都議時代にセクハラパワハラ受け、現在では参議院議員になりましたが、男性社会で生きてく女性の術を見つけたようであります,#立憲共産党
#手塚よしお
#木村たけつか
https://twitter.com/yamakawayuuna/status/1381877861481504771?s=19
庵野ってバトルシーンとか爆発シーンとかがやたら取り上げられるけど
今となっては普通のストーリー・演出なんだろうけど当時としては斬新かつ衝撃でみんなの記憶に残ってる
ストーリーだけなら手塚がいろいろやってるし過去のアニメにもあるけど
これに演出を組み合わせてるのがなかなかないんだよね
4号機から運び出されるまでトウジが乗ってるかどうかはっきり分からないような演出は普通できんと思うんだけどな
シンゴジラにしてもゴジラが内閣総辞職ビーム吐くあたりとかはシナリオもそうだけど演出が上手すぎる
冒頭からあそこまで日本人が震災で経験した非日常の様子をアリアリと再現してて
妙なリアリティがあってからのゴジラの絶望感っていうね ホント上手い
エヴァの新劇は破でトウジじゃなくてアスカ乗せるとかマジで天才かと思った
もう暴走するのが分かってるエヴァにヒロイン的なアスカ乗せるとかどうやったら思いつくのか
シンエヴァはそういう意味でストーリー・演出ともにかなり良かった
「え?マジで?」とか「ああ、そういうこと」みたいなのが多くて良かったし
庵野の才能は涸れてないと感じた
なんか感想とか批評を見るとこういうストーリーと演出に対する話ってあんまりなくて
アニメ的なクオリティとか世界観のディテールとかそういう話に終始してるんだけど
そんなこと言い出したらエヴァを始めとした庵野作品って昔からそんなに凝ってたか?っていう気にしかならん
庵野はそのストーリーと演出で「今の人」に刺さるように作品を作るのが本当に上手い
シンゴジラを震災を知らない人が見ても大して緊張感が沸かないだろうし
旧エヴァを今見ても若干の古くささがあると思う
エヴァ破とかシンエヴァを旧エヴァを知らない人が見ても楽しさ半分だろう
シンウルトラマンも期待してる 早く観たい
グイチャルディきましたか。1802年にピアノソナタ14番《月光》を献呈された女性。ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか。
ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェン→ナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。
そしてウィーンの王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブな自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルトは英雄だよ、という表現か)。
ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか。
かつらをかぶらない"芸術家"爆誕。宮廷や教会に雇われずに自立して生きた最初の作曲家ベートーヴェン。
難聴。クララ・シューマンの映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマンの病気の表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェンの難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。
きましたな。
ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」
ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。
きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。
!うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。
シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)。感情の自由と人間性の解放。ロマン主義の先触れ。小説の出版は1774年(ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。
謎の女=死
第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。
ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」
月光ソナタの呼称はベートーヴェンの死後、ドイツの評論家、詩人のコメントに由来。
実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレンベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタを作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。
ふむ。ハイリゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。
ハイリゲンシュタットの遺書は難聴とグイチャルディとの恋愛の破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。
王侯貴族の使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的に結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。
耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。
【回想】
ベートーヴェンがウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないかと青木やよひ氏は推測しているらしい。
ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺もキーワードだったか…。
ウェルテルと同じ。
バレキス何周年……?こわ………シングル出してなくてもボーナストラックで歌ってる人も数人いるから20人近いプリンスがバレンタイン♡キッスを歌ってくれている……おそらく毎年カバーが送られてくるであろう国○さゆりさんがどう思っているのか聞きたいところ。
発端としては跡部と手塚のシングル売上対決のご褒美CDとして跡部(というか中の人)が希望してバレキスを歌ったらしいんだけど、次の忍足もノリで出したらあれよあれよと年間行事になるの普通におかしいやろ…… 書いてて気が付いたけどCDシングル売り上げ対決ってヒプマイの投票券対決みたいなものか。ほんと先進的だなテニプリは……。
なんかTwitterで呟くとフォロワーに感染症やばいのに劇場よく行けるなぁって思われたくないのでここに日記。
まず手と靴裏の消毒と検温と、劇場内私語厳禁(すごい厳しい)、最前席空け、ステージ近い人はフェイスガード、時間差退場、物販通販、で感染症対策はちゃんとしていたことを明記します。
かれこれテニプリにハマったのは今年の5月ぐらいの話で、テニミュに全く興味がなかったんですが、こんな時代に家にいる時間が増えに増えて見事にアラサーにしてテニミュ初参戦となりました。しかも新テニミュから……。
2.5舞台自体は何回か見ていて、テニミュといえば若手の登竜門だなぁと思っていたんですが、新テニミュはちょっと違った感じでした。高校生組と、特にコーチ陣がものすごい歌が上手い。テニミュかなこれ?別の舞台かな?ぐらい。新テニミュ新キャストさんたちも下手なわけじゃなく、どんどん上手くなってることを肌で感じることができるですよね。これだから舞台に通うのやめられない……。
新テニも連載が始まって長いので特にネタバレとかには配慮しないんですが、今回スポットライトが当たったのは大和vs手塚、入江vs跡部だったんじゃないでしょうか。自分のためにテニスを楽しむといういい意味で子供らしさを取り戻せた手塚と、それを導いた大和部長、劇中歌で互いのリスペクトが重過ぎてジンジンきました。しかし手塚が小さく見えるマジック。大和部長でっか!
一方前者に比べ入江と跡部の試合は全く爽やかではありませんでした。入江くんは中の人の関係でどうなんだろ〜凱旋が本物の中の人来ちゃうから……と思っていたらこれがその心配を覆すほどにすごい。入江の演技の演技、かわいさの中の圧の強さの表現、ものすごいです。もう一回見たい。入江の実力に対抗して進化を続ける跡部の跡部王国の完成、まさにドラマチック……泥臭く齧り付く跡部様が見たい人にオススメです。生の人間だとますます跡部様を応援したくなります。
負け組、黒ジャージ組も居たわけですが、え?!このキャラ出すの?!という人がちらほら……。なんだよ公式そういうの書いておいてくれ……。ボーイズ(バックダンサー)だと思うけどやっぱそれっぽく見える演技力すげぇ!ってなりす。真田いた。松明は持たなかったけど。一言で持っていった名演技。負け組の出演は一応お楽しみってことで伏せておこう。この日記誰も見ないだろうけど!
以外書き散らし
鬼ニキ超かっこいい抱いて
鬼ニキvs桃ちゃんの試合中に跡部の横でわさわさする金ちゃん(やや睨まれる)
極妻泣かせ そとみちおにいさん すげぇ
そとみちおにいさん「テニスに逆転ホームランはない」(当たり前体操)
クラウザーめっちゃ嫌がってたのにクラウザーの仇を討つ!って言い始める赤也くんは結構天使 あと尻が可愛い
白石のオサムちゃんの回想死んだ人みたいになってて一人で笑った(誰も笑ってなかった)
やや聞いたことのあるリズムのえっくしーの継承ありがとうございます
個人的に獅子学もっと掘り下げてくれ〜〜〜〜いいけど〜〜〜〜〜さ〜〜〜〜〜
スポーツマン狩りやるんだ…しかしなんてパワハラ(?)特訓なんだ こんなん仕事だったらやめてるぞ
金ちゃんの筋肉がタンクトップだから余計目立ってバキバキだった
三船コーチが桃ちゃんと金ちゃん両脇に従えてるの可愛かった 「顎」って言われてちゃんと顎乗せる金ちゃんはかわいい コーチも可愛いって言ってた かわいいね
いやクラウザーでっか……
徳川くんと対戦できて楽しそうなリョーマはかわいいし鬼ニキと対戦できて楽しそうな金ちゃんもかわいいので可愛がりたい気持ちがよく分かった
なんかまだある気がするんだけど思い出したら書きに来る
東京公演は12/24でおしまいで、これから彼らは大阪公演に向かうわけですが、本当に何事もなく終わって欲しい。東京凱旋もちゃんとできますように。G20が登場するの楽しみだなぁ
マジで言ってんのか反論したいだけなのかといえば、多分君は後者だろうなあ。
ロジックは頭の中で組み立ててるみたいだけど、事実はもっと単純だよ。
さっきったとおりジャンルがまるで違うから比較対象ではない、というだけ。
リアルな絵が微妙さを表現できると言うなら劇画時代はさぞ優れた表現があったに違いないと思う?
ないよ。硬い表情の筆ペンキャラが硬い動きで立ち回ってるものがほとんど。
翻ってあなたの大好きな出羽守方面だとアメコミ、バンドデシネなんかだけど、カッチカチで動きのないものも多いよ。
むしろあえて動きを消しに来てる。ジャン・ジローなんてあえて無機質にしてるし。
アニメの話に戻そうか?
大友克洋はリアルな作画、リアルな表現の中に大胆なデフォルメと動きを融合させることができた第一人者なんだよ。
彼は劇画やバンドデシネが大好きだった。それなのにあんな奔放な表現ができる。
金田の飛び回る表現なんてメビウスにはできないよ。だからメビウスは大友にも衝撃を受けて模写までしている。
彼は堅苦しい劇画の中から出てきた鬼子だったんだ。そしてAKIRA最後のページで誰にあてたと思う?
手塚治虫だよ。ディズニーに影響を受けまくってデフォルメキャラばっか描いてきたあの手塚にだよ。
この意味わかる?
一旦全部目を通してから再度考えてみたけど作者の意図としては「チヒロさんの物語」であってた。どうも誤読っぽいので前の増田(https://anond.hatelabo.jp/20201016133252)は訂正します
と、構造が対称的になってる
更に『3人~』5ページ目でミノリさんとチヒロさんの成長法の差を確認したいという意図が示されている
これらの証拠から、『2人~』と『3人~』で物語のメインテーマの人物がミノリさん→チヒロさんと変ったと読むべきだ
例えばハルヒシリーズではハルヒがメインテーマで感情移入先はキョンだっていう構造はわかるんだけど
今回うっかり感情移入先であるチヒロさんがメインテーマだと思ってしまった
理由は、『3人~』の中に含まれるチヒロさんの曲作りへの動機の上がりかただったり、
カナメさんから与えられる報奨の大きさだったりが
ここは前段落に書いた通り作者の意図するものではなかったと思われる
作者の意図としては『2人~』と『3人~』で別々の人物が別々の手法でカナメさんからモチベーションをもらう話を描きたかったのだが
自分のように一貫してミノリさんがテーマだと思っているとこのシリーズはただただミノリさんが超人的な存在から精神報酬を貰う話だと読めてしまう
ただこの読み方もあるのではないかと思っていて、
その根拠として、作者のてつなつ氏は超人的な天才から自分が明示していない願望を見通して叶えてもらうというテーマの話を繰り返し書いているというのがある
こちらの『才能と自由まんが』では天才小説家ハジメさんを制御できる唯一の存在になる編集者を描いている
https://note.com/tetsunatsu1/n/n21e0d31efb3f
こちらの『本読みの出会いまんが』から続くシリーズでは超人的な記憶力を持つ有能弁護士の一番の友人になる主人公を描いている
https://note.com/tetsunatsu1/n/n814443643c1f
よく稼ぐ妹に養ってもらう『原付ほしいまんが 』も同じ構造かもしれない
https://note.com/tetsunatsu1/n/n13cdf11589fb
※話は反れるけど、この漫画を見て「作者が美大生にコンプレックスを持っている」という読みが間違っていたこともわかった
こちらの漫画の主人公は等身大の悩みを持つ美大生だし自分がよく知っている閉塞感を抱えがちな美大生と描写が一致する
んで、この読み方は作者の意図どおりではないので上手に楽しめないのはその通りだけど炎上するまで嫌悪感は抱かないはず
問題はメインテーマも感情移入先もチヒロさんだと思ってしまう読み方で、
この人物は感情移入できるようには作られていないので奮起の際に凹まされた精神をフォローする場面が用意されていない。だから辛い
一方でちゃんと天才に癒されるミノリさんもきちんと描写されているので不公平感だけは身に染みる
スポ根もので理不尽に痛めつけられる主人公なら全員が痛めつけられているから公平に試練を受けとめられるんだけど
2人いて1人だけ褒めて伸ばされるスポ根は読んでて辛いでしょう
まとめとして
例の漫画に限らずこの作者の漫画の読み方として、承認を与えてくれる超人(この話ではカナメさん)へのフェティッシュに共感する必要がある
ここがうまくはまらないと作者が好き勝手に振る舞う願望を持っている話に読めてしまい辛い
これも手塚は別に鳥のように勝手に人を断罪したいのではなく、その逆で美しくて強大な存在に人生ぶち壊されたいというフェティッシュをもって書いた話なんだけど
それに乗れないとコズミック害獣(https://togetter.com/li/1196554)とか呼ばれて辛く当たられる
赤塚やちばてつやが少女マンガからきっかけをつかんだという話はよく知られている。
少女マンガという言葉も定まっていない時代に手塚や石森が少女マンガの礎を築いたという話はもう耳にタコができるほどの神話だ。
少女マンガにも男性作家の影響があることはわかっている。けれど、現在の雑誌に男性作家の名前が載ることはまずない。少女誌の作家は女性ばかりだ。
巴里夫が活躍していた時代はもとより、弓月光や立原あゆみが少女誌に描いていた時代は私の生まれる前だ。見覚えがあるのはせいぜい赤座ひではるくらい。
それが悪いと言いたいのではない。でも多様性が叫ばれる時代にあって、この男女のバランスはちょっと悪すぎやしないか。思春期の価値観形成に片方の性別のみの作品ばかりを集めるのは健全とはいえない。