はてなキーワード: 就職氷河期とは
私の家は2004年あたりまでラブホテルを経営していた。男同士の宿泊はお断りだった。
母の話だとラブホテル経営し始めた当初は男同士も問題なく受け入れていた。90年代になって経営し始めたうちのホテルではとにかく客がほしかった。
そのもっと前だとエイズへの恐怖で男同士を禁止するラブホテルが多かったみたいだけど、うちが経営し始めた頃は感染理由も広まり無知の恐怖で断る必要はなくなっていた。
最初は受け入れたうちのホテルだが、すぐに断るようになった。これも母が言うには「すごく汚すから」という理由だ。
清掃費や従業員の精神的負担を考慮すると断るしかないとのことだった。そうじゃなきゃ潰れてしまう。
男同士の客の8割は汚くしたと母は言っていた。そのなかでは宿泊施設がなく友人同士で泊まるケースもあったので男性同性愛者が汚す率は実際は8割を超えてたと思う。
経営者としてとにかく客=金が入ればいいので、差別意識で断ってるラブホテルはあんまりないんじゃないだろうか。
でも差別と訴える人は、そのなかにいた<汚さない人>なんだと思う。彼らにとってはそりゃあ理不尽な話だとも思う。
私は差別と生活が天秤にかかったときにどっちを選ぶかと問われたら差別を選んでしまう。
差別される側としてもその感覚は骨身に沁みている。ラブホテルをやってる家の子供、<ザイニチ>の子供として。
小学校の通学路近くにラブホテルを建てたものだから散々クレームが来たうえに、これだからザイニチは・・ともよく言われた。
金に汚く性的なことを子供にあけすけに話す母親と母の内縁の夫と暮らしながら、家では日本への呪いを、外では日常的な差別を受けてきた。
学校ではあだ名が「姫」だった。ラブホテル=お城=姫ってわけだ。地味でお世辞にも姫っぽさのかけらもない私が「姫」と呼ばれてることを教師たちは問題視することはなかった。
ザイニチの私はザイニチだと言われつつもそれで得したこともある。就職氷河期に短大出の私がそれなりに良い条件でそれなりの会社の正社員になれたのはそのルーツによるコネのおかげだった。
あのとき同じ会社に面接を受けた私より優秀で有能な人たちにとってザイニチは狡い存在だと思う。ザイニチだから結婚を考えた人に振られたけど、ザイニチだから就職できた。
日本人と結婚させたくなかった母や母の夫は私が別れたときに喜んだけど、それから38歳になった私は今も独身で子供もいない。これからもずっと独身でいると思う。
子供は産みたくないしほぼタイムリミットになってきて嬉しい、って
書いてたら何を書きたかったのかわからなくなったので終わります。
いや、差別と生活ってぴったりくっついてるから厄介だなーって生活とか日常を守ろうとすると差別したりされたりって繰り返していくんだなーってことを言いたかったんだけど、途中から考えがまとまらなくなった。
私の嫁さんが東大卒なんだけど、就職氷河期でさ(これは私もだけど)就職した会社も3年くらいで辞めてしまって、ウェイトレスしてた。学歴とか高等教育の意味とは、という感じだが。
で、27歳で結婚して現在男女二人の子供がいる。毎日、笑ったり子供に怒ったりしてる。たまもパパもいわれるけどね。
別に高度な教育を受けたって、それを「仕事に活かさなきゃいけない訳じゃない」でしょ。古典的に家庭に入って、その豊かな知性や教養を育児に使ってもいい。
実際、私の嫁さんは子供に英語で歌って教えてる。楽しそうですよ(高校は英語科だった)
追記
嫁さんも言っていたんだけど、子供が欲しいって決まってるなら早く産んだ方が楽って言ってた。別に妊娠のしやすさ、とかそういう話じゃなくて、体力的に「オールで遊べる位の年齢の方が新生児への授乳が楽」っていう話だった。晩婚化が進むと、育児への呪詛は増えるねー。
別に自分は料理人というわけでもないが、食べ歩きは好きだし自分でもある程度料理はする。
とはいっても某レシピサイトを検索してその通り作る程度のものだ。から自分ではとりたてて料理ができると思ったことはない。
新年会のメンバーは同級生とその知人たちで、40過ぎのおっさんたちが10名程度集まった。
皆一様に腹が出て、日頃うまいものを食べているであろうことを伺わせる。
集合して早々に買い出しに行くという。
聞くと肉は用意してあるがその他の付け合せやつまみなどは特に用意がないらしい。
バーベキューといえば肉を包んだり一緒に焼いて食べる野菜が不可欠だ。
そのあたりを提案してみても、どうも皆の反応が煮え切らない。
今はレタスが異様に高騰いしているのでキャベツを代わりに提案するも反対とも賛成とも取れないような反応だ。
焼き野菜にピーマンやネギ、スティック野菜用にきゅうりや人参、包む用にキムチやらを適当に放り込む。
10人のおっさんたちはそれをただ無言で眺めては後からついてくるだけだった。
目の前に食材を並べても、誰ひとりとして下ごしらえに動こうとしないのだ。
自分は企画者でも主催者でもないのではじめは遠慮をしていたがこれでは埒が明かない。
まな板と包丁を手にして、まずは片っ端から野菜をカットすることにした。
塩コショウすらする雰囲気もないので、肉の質に合わせてタレにマリネするものはさっさとタレと一緒にボールに突っ込んで混ぜるように指示をする。
見るとラムチョップなどという難易度の高い肉まで用意されている。火が通るのが遅いくせに前半に食べておかないと手が伸びないやつだ。
さっさと火をおこすと、鉄板の1/3程度を使ってまずは表面から焼き目をつけるように焼き始める。
次にタンと良質そうな肉を並べて塩コショウして、ようやく肉の準備が整う。
その間も10人のおっさんたちは指示を出されたもの以外はその作業をただ眺めているだけだった。
なのにどうしてだれもコップもビールも用意をしようとしないのだ。
肉が焼けるまでのつまみを開封しながら、「そろそろの飲み物でも用意しましょうか」と声をかけてみる。
するとまた煮え切らない返事が各所から響くだけで、やっぱり誰ひとりとして動こうとしない。
仕方なく主催者に食器の位置を確認して、目の前にいる手の開いているだろう人間に配布をお願いする。
次に飲み物をテーブルに並べて、各自飲みたいものを勝手に注ぐように促す。
10人のおっさんたちはそれにあわせてようやくのそのそと動きはじめた。
疲れた。どうしてこんなにも誰ひとりとして動こうとしないのだ。
ここまでで十分疲れたので焼き場に近づくつもりはなかったのだが、どうも様子がおかしい。
野菜を焼こうとしないし、誰も手を伸ばそうとしないのだ。
予め用意しておいた野菜スティックも、キャベツも、キムチも、一向に減る様子がない。
ただひたすら肉、肉、肉、酒、肉。
それにはさすがに唖然とした。
さっきまで動こうともしなかった人間たちだったのに、まるで地獄の亡者を眺めているかのようだった。
スーパーで反応が悪かったのも、下ごしらえに誰ひとりとして動こうとしなかったのも、全てが納得できた。
彼らは出来ないし、する必要もないと考えていたのだ。
そのくせ偉そうに目の前の食材についてはうんちくやら感想やらを垂れ流している。
自分では何も出来ない人間が、生産者が作ったものには偉そうにしているのだ。
就職氷河期世代として世の中で苦労してきたつもりではいたが、さすがにこれはひどい。
あとで聞くと、主催者が会費を集めたときに野菜を食べなかった人間たちから不満が上がっていたそうだ。
あの時スーパーで断らなかったのはどこのどいつ人か。
青少年期に日中戦争・太平洋戦争を体験し、1920年代生まれは徴兵も経験する。
安定成長期(1973-1991)には34歳から71歳。
バブル時代(1986-1991)には47歳から71歳で管理職および経営トップを担う。
現在は80代・90代。
バブル時代に総理大臣を務めたのは中曽根康弘(1918生)・竹下登(1924生)・宇野宗佑(1922生)・海部俊樹(1931生)。
それ以降も小泉純一郎の就任まで、1920年代・1930年代生まれの総理大臣が続く。
1960年と1970年の安保闘争、ベトナム戦争に対する反戦運動、1960年代後半に過激化した学生運動などを大学で体験した「全共闘世代」。
1940年代後半生まれは戦争終結による第一次ベビーブームで生まれた「団塊の世代」。
高度経済成長期(1954-1973)には5歳から33歳で、主に青少年期を過ごした。
現在は70代。
歴代首相では、麻生太郎(1940生)・小泉純一郎(1942生)・菅直人(1946生)・鳩山由紀夫(1947生)。
1950年代前半生まれは団塊から引き続き人口の多い「ポスト団塊」。
高度経済成長期(1954-1973)に幼少期・青少年期を過ごした。
現在は60代。
歴代首相では、安倍晋三(1954生)・野田佳彦(1957生)。
1960年代後半生まれはバブル時代に就職した「バブル世代」。
幼い頃からマンガ・アニメ・ゲーム・バラエティ番組・洋楽などに親しんだ「元祖サブカル世代」「オタク第一世代」。
高度経済成長期(1954-1973)に幼少期を過ごした。
現在は50代。
バブル崩壊後の不景気に就職した「就職氷河期世代」「ロスジェネ」。
1970年代前半生まれは、団塊の世代による第二次ベビーブームで生まれた「団塊ジュニア」。
安定成長期(1973-1991)に幼少期・青少年期を過ごした。
出生率の低下が問題となりはじめた時期に生まれた「少子化世代」。
1980年代後半生まれは、脱・詰め込みの教育を受けた「ゆとり世代」。
安定成長期(1973-1991)に幼少期を過ごした。
現在は30代。
物心ついた頃からPCやインターネットが普及していた「デジタルネイティブ」。
そろそろかなと思うんだよね。
まあ世代の中でも頭の出来は悪かったから氷河期関係なく正社員とかなれずにここまできたんだけども。
でもあの頃世の中は国内の就職内定を絞っていたかわりに「これからは世界で戦う人材なんだ」「優秀な人間は世界中にいるんだ」って大号令がかかってたのよね。
こりゃたいへんだなと。
まあ俺には関係なさそうだけども、でもきっとこの先凄い事がおきるんだと、漫然と思ってたんだよね。
それから十数年。
銀行がいくつもくっついたり、地震があったり、電気大手がいくつも傾いたり、色々あったわな。
あの頃、あんなにグローバルで優秀な人材確保に必死だったんだもの。
そろそろ、ビッグウェーブが来る気がするんだよね。
私がシューカツした2002年は採用凍結している企業がいっぱいあって、私も上手くいかずに公務員に進路変更した。
自分の選択に責任を持ってるし、正しかったと自信を持ってるけど、まわりの優秀な友だちも苦戦していたし、シューカツに失敗して非正規やフリーターを選んだ仲間をたくさん見てきたから、就活氷河期は社会問題だったと思うのね。
「無能な面接官」が選ぶ「意識高い系」の使えない人材 日本企業の採用面接を問う https://www.nagoyanz.com/japanese-shukatsu-crisis
正直羨ましい。そしてこう思う。
就職氷河期世代(ロスジェネって死語かしら?)を中途採用して欲しい。いっぱい優秀な人間はいるけど、チャンスがなかったの。だから機会を与えて欲しい。まだギリギリ間に合うと思うの。
90年代には日本が没落するのなんて全然想像できなかった。バブルが弾けても、世界経済のビッグプレイヤーといえばアメリカ、日本、EUと(少なくとも日本では)考えられていた。高齢化の問題は当時からとっくに共通認識で、非常に深刻な問題だったけど、まだもうちょっと先のお話だった。日本はお金がある国という認識だった。
それがデフレ不況で経済成長せず、ボリューム層の団塊ジュニア世代が就職氷河期に当たり、そのまま棄民されて社会保障の重荷になることが見越され、日本で働くことがアジアの労働者から見ても魅力的でなくなりつつあるとはねえ。他国に優る経済的繁栄が昔話として若い人たちに語られることになるとは。
80年代から90年代には中国は貧困の暗黒大陸のように見えた。当時から経済特区というのはあったけど、第三世界(という言葉は知ってる?)諸国の経済的躍進の実例が知る限りなかったので、中国がこんな発展を遂げるなんてイメージできなかった。そういえば、当時は中国四千年の歴史という枕詞がよく使われたものだったっけ。101(いちまるいち)という謎の毛生え薬なんてのもあった。
BRICSという言葉が出来て、忘れられた。アジアもアフリカもラテンアメリカも中東も豊かになった。世界の人口比で見る最貧困層も減リ続けている。めでたしめでたし
他の増田を見ると、元増田も私も親に大学進学を喜んで送り出してもらっただけでも良かったのかなと思う。
ただ、最近大学時代の同級生と20年くらいぶりに会う機会があって、お互いのバックグラウンドを話したりして、やっぱり都会のちゃんとしたご家庭のご息女と、田舎の中卒の親に育てられたガキとの感覚は違うのだなと散々気づかされた。
そういう家庭に育っていればもう少し良い大学に入れたのかも、大企業に勤められたかも、と思いつつ、いや、逆に浪人して就職氷河期ど真ん中に突入して引きこもりまっしぐらだったのかも、と色々考えてしまった。
私もいっぱいつまづいてるけど、ある時点に遡ることが出来たとしても、今以上の人生を生きられる自信はない。
私は40代、地方の小さな会社でシステムエンジニアをしている。
就職氷河期だったため就職は厳しいと言われていたが、小学生の頃にあった第一次パソコンブームに引っかかってたおかげでプログラムはまぁまぁできたのが強かった。
とはいえ、ニッチな領域に食い込んでいるおかげでなんとか生きながらえている程度の会社である。
社員数は20名もいない状態だから、部長といっても名ばかりで年齢相応の肩書きが付いただけだ。
妻のたっての希望で35年ローンでマイホームを購入したはいいものの、来年、上の子が中学に進学するのもあって家計が厳しい。
子供が大学に進学するとなったら、学費のためのローンが必要だろう。
残業しても残業代は付かない状態なので長時間頑張ったところで給料があがるわけでもない。
残業していた時間と休日をコンビニのバイトに充てることにした。
コンビニで私に業務を教えてくれることになったのは、フリーターをやっているという20歳の軽そうだがイケメンの男の子だった。
会社ではそれなりに仕事ができる扱いを受けていた私だがコンビニバイトの仕事はきつかった。
できの悪いオッサンという誰もが避けたい人間にも係らず、バイト先のイケメンは優しく根気良く一緒に仕事をしてくれていた。
レジだけでなく、品出し、掃除があるぐらいまでは想定内だった。
(品出しにはテクニックがあるのだというのはコンビニ店長のブログで知っていた)
しかし、公共料金、宅急便の受付、店頭受取サービスとなってくるとキャパを超えた。
何が入っているのか知らないが箱だけでかくて異様に軽いAmazonのダンボールには虚無でも詰まっているのだろうかと思ったものだ。
体力としては厳しいのに仕事と寝るしかない生活に我慢できず、家に帰ればビールを飲みながらアマゾンプライムビデオを見る日々となった。
だんだん会社でもコンビニでもイライラしている時間が多くなっていった。
そんなのとき、気にして声を掛けてくれたのもイケメンバイトだった。
「フルタイムの仕事してコンビニのバイトまでなんて、俺なら耐えられないッスよ」
「最近イライラしてるみたいですけど、ストレス溜まってるんじゃないッスか?」
「これ、すごいッスよ」
気遣いのできるイケメン…彼が教えてくれたのは、ストロング・ゼロ。
これは本当に凄かった。
飲んでいる間はストレスが消えていくのだ。
まあ、他の大抵のものも一緒に消えていくのだが。
ビールだった晩酌がストロング・ゼロに切り替わったのは必然だった。
酒量も増えていった。
俺には何もない。
つまり何でも持っているということだ。
俺は宇宙だ。
しかし、入った場所はデスマーチだし、出るはずのボーナスが突然でなかったりと
兎に角酷いところだった。
結局、そこでは2年働いたけど、残っていたら大変なことになっていたと思う。
そこでの体験はとても苦々しいものだったけど、今思えば悪くない経験だった。
自分のことを守れるのは自分だけということを身を持ってに知ることができたからだ。
自分にとって幸運だったのは、大学時代からインターネットを使っていて
折しも金融ビッグバンで、ネット証券やFX会社が出来て個人にも取引が解禁されつつあった。
自分は会社以外から収入を得ることの重要性について転職したあたりから感じ初めていたので
この話を見たとき速攻飛びついた。
就職したての安月給の小僧がどうこうできるものではなかったのだ。
さらに現在のビットコインのように流動性を心配する必要もない。
その後は、いろいろな紆余曲折があったけど、10万で始めた口座は
追加金額も含めてだけど8桁を超えた。
万人にお勧めできる方法ではないけど、逆転を狙うなら投資するしかない。
就職氷河期世代は正社員に無事なれた人もかなり不遇な目にあってる気がする。
昇進しても仕事が増えるだけで、給料があまり上がらないことに不満を感じている。
それだったら、副業したほうがいいよねという感じで大抵の人は株式やFXをやっていると思う。
就職氷河期世代は、雇用で冷遇され、さらに情報格差でも大きく差がついた。
不景気だから採用絞って就職氷河期、規制緩和で若者の非正規化推進の結果、企業は守れたけど若者の貧困化で第三次ベビーブームが消滅、人口減少で不景気加速
今は景気がいいらしいけど、格差が広がってるし少子化で人手不足、消費増税もするから駄目っぽい感じ
移民で人口減カバーってのも、結局負担を押し付けてるだけだし、外国人実習生並みの待遇しかする気ないだろうから結局貧困層増えるだけじゃねえのかな
40代男。地方国立大学卒。就職氷河期で就活に失敗し、第二新卒で地元の食品卸業者に就職。
30代半ば過ぎまで手取り20万以下(サービス残業込)で課長になる。
いわゆる第三セクターが運営するベーカリーレストランに立ち上げから関わることになる。
入札に参加して案件を取って、メニュー開発から始めて、パン類を一括納入することになった。
こいつはフードビジネスのことは何も知らないのに、気位だけは高く、マイクロマネジメントばかりして、扱いにくかったが、継続的な収入になるこの案件を落とすわけにはいかなかった。
メニュー開発会議の時にも、まったく見当違いのことを言い、無理な価格を提示してきて、困らされてばかりだった。
そんななか、フランスパンを焼く業務用オーブンの選定をしていた。
先方の担当者は、フランスパンのためにオーブンを買う費用を出し渋った。
自分は自分なりに熱弁をふるって説得しようとした。クロワッサン等を焼く普通のオーブンは、コンベクションオーブンといって、フランスパンのバケットを焼くには使えない。バケットを焼くには専用のオーブンがどうしても必要なのだ、これだと、バケットが一度に大量に焼けるので便利だ。
相手はきょとんとしていた。自分の説明がわかりにくかったのかと思った。
だが、おっさんは、「ふっ」と自分を鼻で笑い、あざけるような顔をした。
おっさんは続けた。
「バケットだと、bucketでバケツになってしまう。バゲットはbaguetteという細い棒を指すフランス語だ。きみは食品業界でずっと働いているのに、そんなことも知らないのか」
その後のことはよく覚えていない。シャツの脇にへんな汗が湧いて、粘っこく不快だったことだけをおぼえている。
オーブンは結局納入できず、フランスパン抜きで開店することになった。
その後、正社員の職を探しても、条件が合わず、派遣を続けて今に至る。
結局、結婚して家庭を持つことはかなわなかった。
仕事の後にマックスバリューに寄って、値下げになったお惣菜とストロングゼロのロング缶を買い、YouTubeを見ながら寝るまでの時間を過ごすことだけが人生の楽しみになっている。
80年代の歌謡曲を聴きながらストロングゼロを飲んでいると、だんだんすべてがどうでもよくなってきて、そのまま倒れるように、炬燵で寝入ることも多い。
あのとき、バケットとバゲットを間違えなければ、自分の人生は、もっと別のものになっていたのだろうかと。
ブコメで
マット圧死事件などの校内暴力(今で言えばただのイジメ)がチョイ上世代なので、変なの避けのための偏差値偏重受験戦争世代かつ就職氷河期ドンピシャ世代。渋谷のチーマーは上、池袋のカラーギャングは下世代
マット事件の被害者は1979年生まれの年度(1979年か1980年の早生まれ)。たぶんサイバーメガネの人と同じ年度だよね?
自分は1979年前後くらいが氷河期ドンピシャと思っていたので、ちょっと考えてしまった。
自称ロスジェネ・氷河期は範囲広すぎて、今はウチら悲惨ダヨネーと嘆き合ってるがいずれ細分化し(例えば70-74、75-78、79-83生、新氷河期)悲惨王座の奪い合いになると薄々わかっているので今後も団結しないだろう。
このブコメがわかりやすかったのだけれども、この範囲だと中野富士見中いじめ自殺事件の被害者の同年代も入ってくるよな、と。
本当によくわからん。
私の親は公務員なんだけど。。。親が自営業ってのは、ある意味強いなー、って思った。いや公務員の親をくさしている訳じゃない。私も就職氷河期にいて恵まれた環境にいた。それはありがたい。ただ。。。私が子供を持って育児とかしてると自営業の思考の幅っていうか、責任をおえば自由であって良い、っていうスタンスは良いんだけど勘どころがわからん、というのがある。発想の自由さが私には乏しい、どこまで自由にしていいんだろう、その辺は、正直、「いーなー俺もちょっと自営業の息子に産まれてみたかったわー、でも今も楽しいけどな!!」という感じ。
その辺の発想の幅は親に感謝して良いんではないかな。私も子供が出来てから、なんか小さいけど小さい会社持ちたくなったわ。。。あとなfinalventの「考える生き方」お勧め。あの人も自営業なんだよな。。。。
就職氷河期を経てリーマンショックの後、30歳未経験でSI業界に入って7年。
文系私大卒だったからか英語読めるだろという理由でCOBOLerとして送り込まれ、
都内某所で数十年前からあるシステムのエンハンスを主とする仕事をしている。
システムの性格的に多分あと四半世紀は関わることになるだろう。
前述の理由から仕事に特に思いはなく、食っていけるだけでありがたいものだと感じている。
75歳位までほそぼそと糧を得れればそれに越したことはない。
そんな意識の低いCOBOLおじさんなので、ホッテントリに上がってくる技術情報達を別の世界の事のように眺めている。
時流に乗った新しい知識や技術を身に着けて、仕事に活かしたいとも考えるが、
COBOLと組み合わせると言うような情報はネット上には少なく、
さて何をしたものかと少し悩んでいたりする。
ちょうどリーマン・ブラザーズの影響で就職氷河期だ、と言われていた時に就活をしていたんだけど大概な会社に何社か遭遇した。
もっとひどい面接をされた、とかこんなん序の口だという人もいると思うけど、個人的にその中で印象的だったのを紹介したい。
・オリジナリティをだせ
って感じだったので、それなりに時間をかけて苦労して作成した。
そのかいあってか、エントリーシートは通って面接までこぎつけた。
特に自分は6時間かけて遠方からその会社に来ていたのでそれも含めて和気あいあいと面接は進んだ。
「合否は1週間以内に出ますが、落ちてしまった場合こちらからは電話やメールの連絡はしません。1週間経っても連絡が来なかった場合は落ちたと考えて下さい」
と言ってきた。
これに自分は頭にきたのをすごく覚えてる。
こちらは本気で取り組んで、時間もかけてお金もかけて面接にきた。
受かる受からないは自分の実力だが、落ちたことすら連絡しないのは何様だこの野郎と感じた。
サラリーマン金太郎的な感じでそんな礼儀知らずな会社はこっちから願い下げじゃい、落としてくれ
と言えたのならかっこいいが、こっちも就職難でヒィヒィ言ってたのでそれでも受かるのなら、と一言「わかりました」
返事をした。
少なくとも興味を持って受けにきた学生に連絡すらしないのはいかがなもんか。当時は買い手市場だったのでそんなことができたのか、はたまたその会社の風土なのかしらんがそういうことをする企業もいるので、勝手に内定を辞退する学生がいても非難される筋合いはないと思う。
それこそお互い様だと思う。
ちなみにその会社は落ちた
なぜ「PCができないのにIT業界に来る若者がいるのか」を推測してみた人の話
このまとめとそれについたブコメを見ると、「売り手市場で人材不足だから、能力も経験もなくても来てくれた奴を採らざるを得ない」みたいな内容が幾つかある。
それはまあ正しくはある。
でも、売り手側である就活生の方がウハウハかっつうと、就活生は就活生で、全然わかんねーし興味もねーしつまんねー仕事についちゃうなんて決してウハウハじゃないはずなんだよね。
それが自分で分かってても、向いてない分野に就職しなければならない。
労働市場全体が労働者に有利な売り手市場だったら、自分が多少は興味の持てる仕事、経験のある仕事、何となくいい感じに思った仕事を選べて然るべきだと思うんだけど。
「就職氷河期は終わったぜ! 就活やりやすいからガンガンいっとけ!」とは言われてても、実際のとこ就活生は、新卒(せめて第二新卒)の間にはどっかの企業には滑り込まないとマトモな人生を送れる可能性がガタ落ちしちゃうし、そのためには引く手あまたな期待の新星以外は職業選択の自由は半ば放棄して向いてないとこにでも就職しなきゃないってんで、全然明るい感じじゃないんだよなあ。