はてなキーワード: 専門性とは
いろいろ書いてやろうと思ったのに、言いたいこと大体書かれてた。
政治経済・情報等、他にも鍛錬すべき科目やスキルがある中でこれらに比べて古文漢文をあえてやる意味ってなんですかね。教養というには専門性が高すぎる知識じゃないですかね。
そりゃ古文漢文できるに越したことないけど、以下の妥協案じゃダメなんでしょうかね。
・選択科目にする
ブコメ欄の指摘をみてると、高校のカリキュラムとして古文漢文へ時間を割く前にディスカッション・ディベートの時間を設けたほうがいいように思う。
http://mubou.seesaa.net/article/455988153.html
周知の通り、12月6日、Googleが医療・健康分野での前代未聞の規模でのアルゴリズムの変更を実施した。結果、検索結果は大波乱、私が運営するサイトのサプリメント記事も順位を大きく落とし、打撃を被っている。
・個人ブログやキュレーションサイトによる不正確(と判断された)記事の大幅下落(アフィサイトは軒並み下落)
・キーワードによってはAmazonや楽天だけが検索1ページ目を独占するというカオスな状況
・サプリメントで言えば「サプリメントラボ」という運営者不明の謎サイトはなぜかあまり打撃を受けていない模様。
全てのアフィリエイト記事が情報の正確さに欠けるというわけではないと私は考えている。私が執筆した記事もきちんと調べ上げた上でエビデンスに基づいた情報だけを掲載していたつもりだ。だけど、Googleに不正確だと判断されてしまったら順位は下落する。
今後、何が起こるのか。アフィリエイトに未来はないのか。私なりの推測を書こう。
Amazonや楽天だけが検索1ページ目を独占するというカオスな状況はユーザーにとって好ましい状況だろうかと考えればそうではないだろう。従って、これまでと同様、大幅に下落したサイトも幾分かは順位を上げてくる可能性がある。但し、すぐに元の順位に戻るということはないだろう。3位だったサイトがアルゴリズム変更によって30位になり、7位に落ち着くとかそんな感じだろうか。
健康・医療系のキーワードは参入障壁が高くなると予測される。但し、ピンチはチャンスという考え方もあるので、具体的にどうなるのかは不明である。
Googleは特に健康・医療情報においては権威性のあるサイトを上位表示すべく画策している。但し、一般(情弱)ユーザーが権威性を求めているかというと、そうでもないような気がする。彼らが求めるのは「わかりやすさ」だ。
今回のアルゴリズム変更に伴って発表されたGoogleの声明の中に「医療従事者はウェブで情報を発信する際、専門用語ではなくわかりやすい言葉を使い給え(大意)」というものがあったが、これはユーザーが権威性よりも「安直なわかりやすさ」を求めていることを理解していることの証左であるように思う。アフィリエイターではなくれっきとした医療従事者に「正確且つわかりやすい」記事を書いてくれとお願いしているのである。
但し、Googleの言う「権威性」「専門性」がアルゴリズムの中でどのような仕組みで判定されているのかは知る由もない。我々素人でもコツを掴めば権威性を身につけることができるのかもしれない。
とは言え、権威性と正確性を持ち合わせる医療従事者が「正確且つわかりやすい」記事を書くことにすぐさまリソースを割くとは思えない。となれば、Google検索結果はこのまま行けば「Amazonや楽天だけが検索1ページ目を独占するというカオスな状況」が続くか、「難しい言葉が用いれられたわかりにくい記事(現時点での権威性のある記事)」が検索上位を専有することになるだろう。
これはユーザビリティの低下を意味する。少なくとも「安直なわかりやすさ」を求めるユーザーにとってGoogle検索の魅力はなくなるだろう。探してもすぐに欲しい情報(わかりやすい情報)が見つからないからだ。
となると、一般ユーザーのGoogle離れがじわじわと起こる可能性もある。この辺はGoogleのジレンマと言うべきところだろう。「安直なわかりやすさ」を求めるユーザーは安直に買い物をし、安直に広告をクリックするからだ。安直にクリックされた末に成果に繋がった広告によってGoogleは利益を得ている。
エビデンスに基づく正確な情報を掲載すること。雑記ブログよりも専門ブログを運営すること(「サプリメントラボ」の例)。権威性のあるサイトに発リンクすること。
Googleが上司だ。上司の顔色をうかがって仕事をするのは生産性が悪い。であれば、書きたいことを好き勝手に淡々と更新し続けることが精神衛生上良いと考えることもできる。
検索エンジンで探しても詳しい情報が出てこないキーワードや、情報がうまくまとまっていないキーワードはまだまだたくさんある。それらを狙っていく。言わばゼロからイチを生み出す作業なので競合を意識する必要が殆どないのは魅力的だが、収益に繋がらなそうなキーワードが大半を占めるであろうことが予想される。
以前勤めていた某役所に、1人で3人分の仕事をこなす事務のおばちゃんがいた。
なのに、役所がその部署の人員を一向に拡充しないうえに、彼女の異動も見送りまくった。
今や彼女がその役職に就いてから、実に15年が経過しようとしている。
結果、昔でも2人分の仕事量だったのが、彼女が自身の仕事をしやすくするよう徐々に権限を強化していったため、気がついたら3人分の仕事量になっていた。
でも旦那が単身赴任かつ3児の親ということもあり、仕事はめっちゃ速い。15年の積み重ねが仕事の速さをブーストしていることは言うまでもない。
ほぼ必ず定時で上がっている。
そんな彼女には自慢の息子が3人いるわけだが、そのうちの1人、末っ子が高校生にして超絶リア充なのだ。
…まあとにかく「凄い」の一言に尽きる。
この母親あってこの息子ありと言っていい。
勿論「誰にでも優しい」ことが引っかかる人(特に一部の女子)はいると思うが、そういう手合でさえ「憎めないやつ」くらいの位置を確立してそうな勢いである。
しかし、教師の中にはそんな彼を快く思わず、目をつけている教師もいるのだから世の中分からない。
しかも彼が一番苦手な「自分を嫌っている人間がいる」ことをハッキリ示す叱責で責めてくるとか、指導者失格というか人でなしじゃね?
今の御時世「仕事の問題≒人の問題」なのだから、それを率先して解決できる素質を持っている、彼のような若者を潰そうとするとか、どういう了見なのか。
ローソンで1年くらい稼いだ。
疲れて帰宅後何も手に付かなくなるのて割に合わなかった。
辞めてしばらくして、時間の浪費でしかなかったと強く後悔した。
先日、国内旅行の下調べでレビューを漁っていると、ビジネスホテルやファストフードに「接客」を求め、それこそ憤慨している人が多く不思議だった。
学生の貧乏旅なので、接客を期待できるほど高級なところは見ていない。
実際に函館のハンバーガー屋に行くと、たしかに愛想はなかったし時間はかかったが、ハンバーガーが美味しかったので何も不満はなかった。
もしかすると自分も、接客を求めて怒り狂う側になっていたかもしれないと思うと、コンビニ店員をやってて良かったと思えた。
アルバイトは稼ぐ手段でしかないので、愛想を振りまく義理はない。
店の売上も全く興味がない。
それこそ客が減ったほうがアルバイトは楽になる。
コンビニのレジで面と向かって怒り狂う大人を観察すると、「とにかく余裕がない」ことが感じとれる。
グラタンが熱くて落としてしまったとき、もう一つ持ってきて温めるだけの話だが、パニックに陥る客がいる。
グラタンが買えなくてもどうにかなるさ、と思えないのだ。
文章で啓発できる話ではない。
根深い。
ところで、コンビニ店員らしき学生が「誰でもできる仕事ではない!」と主張するツイートを見かけるが、つらさ自慢にしかなっていない。
覚えることがいくら多くても、判断とか理解が要らない単純作業の積み重ねである以上、専門性はなく、誰でもやればできる。
本当に自分が得意なことは何ですか。
waris
モーハウス
ほかにもあります。中小企業でも取り組みが面白いとテレ東とかで結構取り上げられる。子持ちでもパートではなくバリバリ働きたいと創業者自ら起業した企業もあるけれど、同じ学歴の男性が大企業に行ってしまい、それでも優秀な人材がほしいと女性を採用して女性だけでも回せるようにしたところとか、背景はいろいろ。
https://matome.naver.jp/odai/2136058450662247201
資生堂と同じくらいベネッセは女性社員が多いと聞くけど、産休育休のフォローが大変で辞めたという知り合いがいるので、おそらく管理職がうまくやれていないんだと思う。なんか不正もあったし。
管理職個人の力量以上に企業全体としての姿勢も大きいと思う。企業のコンプライアンスにも関係してくる話なので、経営側はこれからいろいろアイディアを出すしかない。個人的にはベネッセの話を聞いてベネッセでは働きたくないと思ったし。
よくあるフォローの仕方として派遣社員、契約社員で穴を埋めるとその人たちの後後の就職どうなるのか問題が生じる(個人のキャリアアップにつながればよいが)。専門性が高い仕事だと穴埋め人材が簡単に集まらない。
時間外の仕事を外注するとその会社はいいけど外部にブラック企業が生じる。
あまり聞いたことがないものとしては、産休育休フォロー手当(フォローした人に産休育休をとった人の分の給料を手当として出す、ただこの場合とてつもなく忙しくお金より時間がほしい人にはあまり喜ばれないかも。あと年俸制などもともと手当が出ない契約だとできない。)
あと、産休育休のフォローしたことを評価して昇給させる。どう評価するかは難しいけど。これら2つは割と簡単にできそうな気がする。
経営陣や管理職がもう何言ってもダメそうだな、という会社の場合は個人ではどうにもならないのだが、変えられる立場の人がうまくやれているアイディアを共有できることを祈って。
はてなの皆さんは愚痴を言う独身社員が悪い、管理職が悪いと個人攻撃に走りいつも結論が出ないけど、どう工夫して回すかというアイディアを共有することが問題解決に役立つと思う。
でも実際は、有能な人材ほど多少割増した所で有期でなんて働かないんだよね。
そもそも専門性が強かったり高度な仕事はそれができる人材自体が希少で
正社員として囲い込んでないとまず確保出来なかったりするし。
あと有能な人材が来た場合、育休者は復帰しても子供というお荷物抱えてどうせろくに働けないわけだから
そいつ復帰させて折角の有能な人材を首にするの勿体なくね?と言う事にもなりがち。
でも「復帰させないとマタハラで訴えられるから」有能な代替要員を首にして使えない育休者を復帰させるしかないんだが、
同僚からしたら有能な人がいなくなって代わりにお荷物が増えた状態となるから不満が増す。
もう人事異動とか転勤とかやめようよ。
営業は一生営業、新宿営業所勤務なら一生新宿営業所勤務で良いじゃん。
専門性が高まって、生活も安定して仕事に専念できる、それに何の文句があるんだよ。
異動すんのは希望者だけで良いじゃん。
来たら来たで、やったこともない生産管理やらされるし、引継ぎなんて形だけだし。
職場って視点で見たとき、前任者レベルの仕事の質に戻るのに何年かかんだよって話だろ。
おまけに家族と離れて、糞田舎の糞汚い寮に押し込まれて、モチベーション駄々下がり。
そりゃ前任者が退職したとか、前の職場は縮小するとかなら多少は我慢もできるよ。
でも実際の理由は、「5年経ったからローテーション」とか、馬鹿かよ。
海外見てみろよ。
たいした理由もなく無関係の職種や勤務地を無理やり変えるなんてしねーよ。
みんな、特定の職種かその近い職種を続けることで専門性高めてるし、単身赴任なんて馬鹿げたことせず住みたい場所に住んでんだよ。
日本の非正規労働者をどうすれば減らせるのか、なぜそれを政策に求めるのか?について考えてみました。
私は正規で働いており、平均以上の年収をもらっていると思います。周囲の人と話をすると、どうしてもバイアスがかかります。
よく周囲に「能力がないから非正規なんでしょ?」と切り捨てる方がいますが、それも違うんだろうなと思ったため、整理したい次第です。
頭の中にある前提
⇨正規労働者になれば、会社からの保証も手厚いし、生活の安定性がます
しかし…、正規労働者の枠は限られており、現状は非正規でしか働き口がない。かといって働かないわけにはいかないから、非正規でも働く。
賃金は需要(企業側の労働力の要求), 供給(労働力の提供)の間で決定されます。労働側の供給が多ければ企業は安くでその能力を使えますし、逆なら賃金は高くなりますね。
ここで問題なのは、多分本当に専門性が必要な仕事は、全体の10%ぐらいしかないと言うことです。
ここで言う専門性とは、能力を取得するまでに期間が必要な仕事のこととします。 *1
そうなると企業側は「雇いたいけど誰でもいい」という状態になって、安く雇おうとします。その1個の手段が非正規になるわけですね。
しかし、その非正規を雇うという選択肢が最強なわけではありません。労働者側には「働かない」という選択肢があります。
現状だとできるけどやらないという視点が正解だと感じました。*2 働かない場合の選択肢は生活保障です。
企業側は生活保障の支給額よりも高い額を支払わない限り、労働力を購入できないというのが経済学的な視点です。
しかしながら、生活保障を受給する上での信用力の低下、世間体、その取得の難しさ(個人ではなく家族も含めて収入を見られる)から、実際の価値は目減りします。
結果、額面上は生活保障より少ないけども非正規(正規でも)で働き続けるという状況が起こります。
以上を踏まえて、どうやったら解決できるでしょうか。経済学的に労働者側が弱いため、企業の力では変わりません。株主の価値に反するため、企業が不必要な人件費を払うことは基本的にできませんし、やりません。*3
ならば、政策はどのようなことができるのでしょうか。
非正規労働者数を減らす事だけを考えると、最も得策だと思いますが、色々な影響が及びます
企業が支払うことのできる人件費は、それなりに決まってしまいます。1人あたりのコストが上昇した場合は、数を減らすことで対応する可能性があります。
(もちろん、賃金が10%上がったから人数が9.1%下がって人件費±0というわけには行きませんので、必ず人件費は+になりますが、概ね下がります)
また、賃金が増えることにより費用を圧迫するため、倒産件数も増えます。よって失業率が増加します。
結果として、職が無い人が増えるため、失業保険費用と生活保障費用の国の費用が増加します。財源を圧迫しますね。
労働力の需要と供給の、供給側の力を増やそうという考え方です。
生活保障システムが、そもそも企業の人件費の下限を作るために作られたものでは無いため、おそらく財源がパンクします。
つまり、政策にこの辺の問題の解決を求めてもみんななんかいまいちな感じなのは、「正直結構難しい」からなんですね。
その場しのぎでは無い考え方をすると、日本の産業をもっと活発にするにはどうすればいいか?という考えに帰着します。
世界に向けたプロダクト・サービスを作り、日本に外貨をもっともたらす企業があればいいんだなと言う結論に至りました。
話が飛びましたね。直接的な政策で解決策が無いのであれば、その裏側にある部分を変えようと言う話です。
一つ上で話をした、企業に非正規雇用割合の規制をする話ですが、企業側の人件費にもっと余裕があれば、規制をしても生き延びられます。
国内の人件費の総額 = 各企業の人件費 × 企業数 ですので、売り上げがもっと伸びで規制をかけても大丈夫な会社が増えるか、企業数が増えればいいですね。
なお、企業の稼いだお金は基本的には株主と次の設備投資にまわりますので、実際いくら売り上げが増えても、人件費は企業自身では上げないかもしれません。
そのためには政策の力が必要ですね。もしくは、新しい企業がもっともっとたくさんできて、もっともっとプロダクトができれば、それだけ日本は豊かになりますね。
私は日本を牽引する立場にはありません。これまで日本を豊かにするって言葉の意味が正直わからなかったし(正直日本は豊かですし)、その方法もわかりませんでした。
だらだら書きながら、考えをまとめてみました。
全部想像なので、重要なインサイトも抜けているかもしれません。何か気づいた点があれば、ぜひ教えてください。
'*1 詳しい専門性の定義とや、どうやったら専門性を獲得できるか。どうやって判断されるか?も書いたのですが、話がずれるので消しました)
'*2正規雇用側の話ですが、昔はストライキと言うものが存在したみたいです。今時聞きませんね。
'*3ちょっと決めつけになっていますが、株主は投資目的でその株を持っているという考えが多数派のためです。非正規雇用に対して独自のルールを持っている企業もありますが、それは社会的責任を担うことにより、企業価値を高める効果を狙っており、結果的に株価へ影響します。
おそらく誰であろうとも、一般常識として税金の簡単なことだけは知っておいて無駄にならないであろう。
問題となるのは、「一般常識」よりは難しく、しかし、税理士合格できるレベルではない、という程度の税金の勉強して何になるのか、という話である。
そもそも専門性に没頭している人であれば、そういう中途半端な知識を身につけることに時間を割くべきではない。
物理学者が、物理学をやる時間を削って税金の細かいことを勉強したり、あるいは司法試験に挑戦しても愚かでしかない。
ではそういう物理学者のような立場にいない人にとって、持て余した閑暇を使った手遊びとして、税金の小難しい勉強をしても無意味なのか、という話である。
たまたまどこかで役に立つかもしれないが、メリットには直結しないからである。
こういう「一般常識」以上で「専門家」未満の実学を、実学的な教養と呼んでみることにする。
文学部的な教養は自己表現の世界であるから、趣味として好まれることもある。
基本的には意味もわからず暗記することになるし、自己は疎外されている。
無味乾燥な細則であっても、その官僚的な文面の背景に浮かんでくる制度趣旨を察することはできるし、自分なりの解釈を加える愉しさもあり得る。
社会制度が人間を存在させているし、制度を踏まえてわれわれは存在しているのである。
もしくは特別に偉い人でなくとも、われわれは誰しもルールを策定する立場になりうる。
たとえば売春宿を経営するとしても、その店のルール設定は、人間の下半身の行動パターンを色々と勘案して考えなければならない。
いつでも制度趣旨については考えており、なぜこういうルールなのかと語ったりしているから、どのような実学であれ、
なぜそういう仕組みなのか、という思考の遊びはできそうであるが、やはり文学と比べると自由度が低いということになるのであろう。
採用情報サイトのエージェントの人から「会社見学のお誘いが来ています」という話があった。軽い気持ちでオフィスを訪問すると急に会議室に通されて何かがプリントされた紙とペンを渡された。
何かと思ったら「筆記試験をする」とのことだった。その時点で話が違うので帰ればよかったのだが,普通に了承してしまったのが運の尽き。
蓋を開けてみると禅問答のような、人間性を見極めるようなテストだった。はっきり言って苦痛だった。もともと強い興味があった会社ではなかった。名前は知っていたし,見学に当たって相手の会社のことは一通り調べた。その上でオフィスを見学しつついろいろな話を聞くつもりで来たのに,いきなりテスト,しかも自分の専門性を活かすものでもない不思議な問題に1時間ほどだっただろうか,費やすことになったのだから苦痛である。
この一件でその会社に対するイメージは一切悪くなってしまった。採用サイトが悪いのか会社側が悪いのか,或いはコミュニケーションの問題なのか,これはさっぱりわからないけれど。
一体あれはなんだったのだろうか?
言わんとしている事はわかるけど、理系と文系の対立構造にするのはちょっと違和感がある。
この記事で言及されている高給の職業は「地頭が少しだけ良くないと出来ない職業」であって「文系の専門職」ではないと思う。
理系文系関係無く、そもそも学問的な専門性が求められていないということでは。
むしろ理系の方がそれぞれの専門性を活かせる仕事については(必ずしも高給ではないとはいえ)充実してるのではないかという気さえする。
ただ、理系の方が大学以降に勉強しなければならないことが多いので、「地頭職」につくなら文系の方がコスパが良くて不公平感があるというならまあそうかなと思うし、
新たな価値を創造する研究開発職の給与水準が他国に比べて絶対的にも相対的にも低すぎるというのは完全に同意する。
そんな事は多くの人がわかっているにも関わらず、誰も変えられないのがとても悔しい。
狂っている。
そもそも、有期契約は専門職のためのものだった。雇い止めの問題は、その原則を無視して派遣労働を拡大させた政治の問題である。大学教員、研究員ははなから高度な専門性が求められるので、雇い止めの問題というのは定義からして存在し得ない。これ以上万年助教を増やしてどうするのか。
これに関連してポスドク問題というのもよく叫ばれるが、これは地方大学や高専等でのポスト拡充や、企業による受け入れなどで解決すべき問題であり、東大や東北大の雇い止めとは一切関係ない。厳しいことを言うようだが、東大や東北大クラスの大学ならばそれに見合った能力の研究者を置くべきであり、能力の閾値を下げるのは間違っている。
事務職員に関しては、そもそも彼らの仕事の多くは無意味だと思ってよい。科研費絡みのクソ業務をなくすだけで、半分以上は首を切れるはずだ。もちろん今はまだクソ業務ばかりであるが、大学を責めるよりは文科省やJSPSに責任がある。
一応前提として身バレ防止用にいろいろとボカすのとフェイク混ぜて書く。
離職期間はあるものの、実質3年ほど派遣社員として在籍した会社から直雇用のオファーをいただいている。
プログラマーとして勤務していたのだが、元々ソフトウェアエンジニアが少ない会社ということもあり、重宝してもらった。
が、現実はそう甘くなくて人が少ないゆえに様々な事が降りかかってきた。ソフトウェアに理解のないハード屋さん、無理難題をふっかけてくる上席、仲間がいない孤独感・・・。
離職期間というのは現実から目を背けたいあまりに逃げ出した期間だ。
当然現実から逃げただけではお財布は寒くなる一方でまがりなりにも大企業ということもあり、在籍中は派遣社員ながら結構もらえていた(と思う)
あまりにもお財布が寒くなりすぎてカードが止められたことで現実に戻ってきて、前の上席に泣きついた。ら、割と簡単に戻れた。
だけども周りが頭いいこともあって付いていくのが精一杯でやっぱりしんどかった。
最近は頭のいい人たちの真似をしたらソフトウェア周り以外のことはそれなりに取り繕えるようになってきたんだけども、その段階になって派遣期間満了が近づいていることに気がついた。
色々と揉まれたこともあって、フリーランスとしてやっていこうと考えていたんだけども、なんとなく中途採用の話を上席に聞いてみたら結構本気で動いてくれたようだった。
ようだったというのは裏が取れないのと確約はされてない(コンプラだの考えれば当たり前の話というのと派遣元の手前そうなる)からだが、人事関連に手を入れるのは昨今の情勢を考えると結構リスクあるように思う。
そもそも私がいる部署はプロパーが基本で事務のオネーチャン以外で派遣社員は片手で数えるくらいしかいない。
というのも専門性や新規性が高い領域なので、私みたいにフクザツな経歴の持ち主以外は好き好んで派遣社員でくる必要がない。
ということに気がついたら派遣でやっているのが馬鹿馬鹿しくなりフリーランスになろうか他にいこうか考えていた所、上述のような状況になった。
正直金銭的には色々と周りがぶっちゃけてくれたこともあって、今より確実によくなる。というより経歴考えたらほぼ奇跡に近い。
会社の信用、額面の給料、福利厚生、職場環境、一緒に仕事をする仲間・・・。マジでこんな話あんのかっていうくらいだと思う。
んだけど、ハイリターンではないことがどうしても悩んでしまう。ハイリスクではあるけども、生き様としてそれでいいのかと。
学歴、キャリア双方ともに訳がわからない(と実際に言われてる)ので、ここまできたら寧ろその訳のわからなさを武器にのし上がっていきたいと思っていた矢先のことなのだ。
ハイリターンが欲しくて今まで何回もピンチになってきたけど、その度に親だったり友人だったり嫁だったり子供だったりに助けてもらってきた。たまたま運が良かった。野垂れ死ななかった。
でももうそんなラッキーは限界に近いことも悟ってて、だからこそ確実に勝てる方にベッドすべきだという考えだった。
けどそんなので俺の人生おもしろいのか?ソフトウェアというよりプログラミングは人類史上初めて共通のAPIとして使える最高の技術じゃなかったのか?そしてそれを武器に裸一貫で勝ち抜いて今まで否定された生き方に復讐するんじゃなかったのか?
ケツの青いガキの考え方が未だに抜けていなくて未だにこんなことを考えてしまう。
俺はどうするべきなんだろうか。
いつもウンコ漏らしてる増田諸氏のクソみたいな助言はクソの役にも立たない事ばかりだが今日に限っては俺が下痢ピーのようだ。まったく話にならないな?