古文漢文が現代において必修科目として適当かどうかという増田とそのブコメを読んで思った事を僭越ながら書かせていただきます。
今の日本に足りないのは一言でいうと『引き算』なのではないでしょうか。
増田は古文漢文が不必要と言っているではなく、修得に要する時間に対して効果が薄くそれよりも他の能力の開発に時間を当てた方が良いのではないかという指摘をしていました。
それに対する反対意見として古文漢文の学習時間に対する効果の高さを指摘する人間はおらず、如何に古文漢文の学習が大切かの指摘しかされていませんでした。
これこそ、日本が現在抱える様々な問題の根本ではないかと思いました。
日本の教育カリキュラムの問題と同様に、高齢者の医療費の問題も、日本の家電作りも同じ様な問題を抱えているように思います。
『必要であるか』の議論に終始し、『コスト(費用、時間、複雑性)に見合うほど必要か』という議論がおざなりになっているように思います。
もちろん冗長性を持つ事も豊かな人生を送る上で大切です。ですが、我々の人生には時間に限りがあり、限られた時間で次世代の日本を作り上げる人材を育成しなければなりません。
そういった意味で冒頭述べた『引き算』ができないといけないのかなと思いました。
いろいろ書いてやろうと思ったのに、言いたいこと大体書かれてた。 政治経済・情報等、他にも鍛錬すべき科目やスキルがある中でこれらに比べて古文漢文をあえてやる意味ってなんで...