はてなキーワード: 壮年とは
歴史上で女性が国を統べた例は男性が国を統べた例と比べるとあまりにも少ない
まあ女性は生理的な問題でどうしても最高指導者にはなりにくいという事情もあるのかもしれない
世界で一番有名な女王はイギリスのエリザベス女王だろうか?御年94歳、後6年で生誕100年になるそうな
それはさておき、現実に女性君主が少ないのは現実的な問題だから仕方ないにしても…創作物語の世界でも女王や女帝と呼ばれる人物は少ない気がする
「王様」という言葉を聞くと大抵の人は髭を生やして頭に冠を乗せたお爺さんを連想するだろうし、
「皇帝」という言葉を聞くと今度はやたら偉そうで覇気に溢れた壮年の男性を連想するんではないだろうか?これは自分だけかもしれないけど
これはもう王様や皇帝が一般的に男性を指す言葉になっているという事なのだろうか?男王や男帝なんて言葉はあまり耳にしないし…ダンテェーイ
大抵女性の権力者といえば王様のお嫁さんである王妃様や王様の子供である王女様として登場する事が多い
何故だろう?せめて空想の世界でなら女性が最高権力者として国や世界を統べる作品がもっともっと多くても良い筈だ
不思議な事に女性自身も女性が最高権力に位置する事より最高権力を持つ男性と親密な仲になりその配偶者になる事を望んでいる節がある気がしてならない…全く不思議だと思う
×苦み走った顔 ○苦虫を噛み潰したような顔 前者は渋い壮年イケメンだよ 気に触ったときの表情は後者にしてくれ、若いキャラクターをむやみに老け専向けにするな
×辟易とする ○辟易する これは有名ソシャゲがやらかしたからだな 辟易が動詞なのでそのままするつけていい。「運動する」を「運動とする」って書くくらいのうんざり感
推敲→する
鬱々→とする
とかかんがえればわかるんだが、もともとこの手の漢字熟語は中国語だったため、動詞か形容詞か名詞かで品詞がかなりはっきりとわかれている
日本語で「とする」とそえると形容詞になるし辞書引けば使い方のってるから勝手に品詞かえてつかわんといてほしいねん
キャベツ…野菜炒めにすると水が鬼のように出てくる。それと一緒に旨味や栄養も逃げてしまっていないか心配。
食感は悪い。シャキシャキとしたみずみずしい食感はなく、フニャッとしたやわな食感に変わってしまっている。
味は、そこまで変化は感じられなかった。若干甘味が増したかも。
ネギ…斜め切りで保存したが、全部変わらず
きのこ…エリンギを保存。冷凍初心者だったので、カットせずに丸ごと冷凍してしまった。あの長い円柱状のものを、そのまま食べるのはさすがに食べづらいと思ったので、冷凍庫から取り出した後、包丁で切ろうと試みた。親の仇の如く何度包丁を力強く振り下ろしても、無惨に1ミリほどのキリ傷が残るだけだった。半ばやけになって、少しでも小さくするべく折ろうとしたら、切断面が壮年期の山のように凸凹になってしまったが、やや二等分に折ることができた。
食感は、変わらない。変な切り方(折り方)をしてしまったので、一般的に調理されてる薄っぺらい切り方のエリンギと比べて、4倍ほどブニブニしてたが、薄く切ると多分同じだろう。
店に入ると、マスターが迎えてくれる。
「お、マスダくん。いらっしゃい」
マスターは口ひげを蓄えた壮年の男性で、いつも白いワイシャツに黒いベストを着こなしている。
どちらかというとバーテンダーの方が似合いそうだ、と店に来るたび思う。
「ホットの水出しで」
意味もなく気取ってはみたが、実のところ俺はコーヒーが好きじゃない。
いや、厳密には好きでも嫌いでもないというべきか。
コーヒーは美味いだとか不味いだとかいう次元で語る飲み物ではないからだ。
香りがどうだとか、苦いだとか酸っぱいだとか、厳密な評価基準なんて知ったこっちゃない。
コーヒーはコーヒーでしかなく、後は砂糖が入っているかミルクが入っているかの違いだ。
そんなものをなぜ飲みたがるのかと聞かれても、「コーヒーってそういうもんだろう」としか言いようがない。
「作り置きがないから抽出中だよ。うちの店で水出し頼む客なんていないからね。しかもホットだから尚さら時間がかかる」
言葉の響きだけで選んでしまったが、どうやら「水出し」は時間がかかるものらしい。
深く考えずに注文した俺の責任とはいえ、焦がれてない黒水のために何十分も待たされるのは予想外だった。
しかし「せっかちな人間にコーヒーは飲めない」と言ってしまった手前、今さら注文を取り消すなんてできない。
「暇なら本でも読むといい」
そういえば、ここはブックカフェでもあったんだ。
店内の半分以上が本棚で埋め尽くされているのに、マスターに言われるまで全く気づかなかった。
たぶん読書に関心がなさすぎるせいで、認識の範囲外だったのだろう。
「そうさなあ……」
学校の課題以外で本なんて読みたくなかったが、それでも何もしないよりはマシだ。
俺は重い腰をあげると、恐る恐る本棚の群生に近づいた。
そしてタイトルを読むこともなく、手ごろな厚みという理由で一冊の本を引きずり出した。
「……ん?」
その瞬間、本から細長い紙切れが滑り落ちた。
どうやら栞のようだ。
・日本財団の野戦病院案は20日たっても進んでないっぽい。っていうか「なみはやリハビリ病院」の「PCR陽性看護師を感染病棟で働かす」くらいでないと実行できないんやろなぁ ひどい話
・ほぼほぼ医療機関が新規クラスター源になってる。はよ防護服あげて。あと日本郵政もヤバいときいた
・鼻奥でなく唾液で発見できるというイエール大のPCR唾液法をちょっぱやで日本にも導入してほしい。そりゃそうだ3密の要因は鼻水でも喉でもなくつばだ。疫学的抗体検査とCTと併用してほしい。なぜ韓国でできたドライブイン検査が先進国日本でできないのか
・厚生労働省ホームページで帰国者接触者相談センターに電話をかけていい症状として「37.5度×4日」というアホクソ条件しかなかったのが「風邪様の症状」もようやく追加されたけど(路上死者が発見されたからだろう)だからってホントにPCRマジでやる気あるの? どうせかかりつけ医から紹介状もらえば・・でしょ、かかりつけ呼吸器内科医はコロナ相談はインターホンではなしかけてくれっていってるぞ、いくら7ひきのこやぎにでてくるこやぎみたいなバカでもかかりつけ医(男性・壮年・喫煙歴あり)にオレは移したくないぞ
・オンライン処方も予約がいるけど場所によってできるはできるらしい ただうちのアホかかりつけ医(以下略)
・感染がわかったらホテル借り切ってロボットで飯だけあたえてラインでモニターして唾液PCR陰性になるまでとじこめて順次地方に疎開させてくれ。東京マジでもうむりでしょ 医療関係者、芸能人、政治家秘書がニュー3密になりかねない
・できないなら「にほんには原発やウイルスをまともに扱える技術力がありませんね
・ただHIVとの合成具合がおかしいとノーベル学者から指摘されてるし変異も酷いとのこと。おいおいマッチポンプ度高まってきたぞ。もしかしてあれだけ戦争賠償金を払わされてた日本はしかえしにコロナ禍(生物兵器漏洩)賠償金も請求できるのかもしれんな
・何度も言うけど一般市民が国庫の財源を気にする必要はない。もらえるものは堂々ともらえ。反緊縮できない日本を早めに脱出するいいチャンス
・子供にしわ寄せがいくのは「アビガン使用可能性のために不妊治療が中止されていること」「実習系授業ができないこと」「小学生の休校分の補講なし」だ なんでオンライン授業できないのか
・家庭内自己隔離者が増えると部屋数が増えるので冷房負担が例年より増えるのではないか。工場がとまっているかもしれないがそれでも電力が足りないなら命にかかわる。その意味でも疎開できるように東京のパニックを先にどうにかしてほしい
・はやめにやりはじめないと徳山徳島警察が勝手に市外ナンバー車両をとめて鎖国しだしたぞ 里帰り女性が破水してもPCR検査なしでは入院を断る岩手病院。県境検温岡山・山形。https://www.sankei.com/west/news/200424/wst2004240012-n1.html https://www.topics.or.jp/articles/-/354994
https://www.bs.jrc.or.jp/th/bbc/2020/04/202003_kyokyu.pdf
https://www.bs.jrc.or.jp/th/bbc/2020/04/202003_kenketsu.pdf
細かいことは良く分からんが、昨年比本数ベースだと昨年比で99%程度の微減、献血者数では111.6%てことになってる。
今緊急事態宣言が出されている自治体在住で、ここ数ヶ月、2週おき火曜日の朝に献血に行ってるのだが、今日は今までで一番ベッドが埋まってた。いつもはあまり居ない(普段は女性とリタイア目前かそれ以降の男性が多い)壮年男性が多めだった。前回(2週間前)は特に少なくて、今日の半分もいなかった気がする。年度末だったからかな?血液供給が心配されているけども、必死の呼びかけなどもあってそれなりには人が集まっているようでちょっとうれしい気分になった。別に自分に恩恵があるわけじゃないけどね。
3月頭から献血ルームの入り口にアルコール消毒薬が置かれ、手指の消毒が求められていたが、今日行ったら付け加えてマスクの着用が求められていた。万一キャリアだった場合まき散らさないための施策だろうから布マスクでもいいやつだと思う。献血行く際は忘れずにマスクをしていくか持っていくかしてください。
諸君、私は現パ ロという文化が大層気に食わない。掃いて捨ててしまいたいくらいだ。実に滑稽な代物である。文化と呼ぶにもおこがましい。元来、己の押しカプいう輩は極めて脳不足である。人気カプ共のように元より関係のあるだけの者をくっつける鬼畜よりはまだマシと言えるであろうが、推しカプ信者共の解釈というのは得てして幼児以下の代物である。境遇が似ているからとか、価値観が合いそうとか、塵以下の頭脳で考えた結果である。気狂いの所業と呼ぶ他はない。そんな推しカプ信者共の考えた二次創作というのは言うに事欠かず現パロである。現パロというのは現代パロディ、 つまり過去の時空にいた二人を無理やり現実世界で生活させるということである。一体何を考えているのか、私には皆目見当がつかない。しかも この現パロという醜態、推しカプ界隈では当たり前のように蔓延している。もはや、苦手な人がいるかもしれないという気遣いを乗り越え、それが当たり前になっているのである。これには流石の私も、辟易した。 しかし現パロをここまで忌み嫌う私も、現パロを描くことはある。苦々しい思いをしながら、壮年の男二人で同居している様を描くのである。な んという地獄絵図か。私は咽び泣いた。こんなものは推しカプではない。平和な世界で睦みあっている二人のなんと恐ろしいことか。原作の人物達の危うさ、妖艶、憐憫、全て丸潰れである。しかし私は何時の間にか、この最も毛嫌いする現パロを描く鬼畜生に成り果てていた。現パロというのは、考えることを放棄した代物であるからして、とてつもなく描くことが楽である。自分の知らない明治の遺物を調べる必要もない。訳の分からない建物を書く必要もない。自分の知っている事象に人物を当て嵌めれば、なんてことは無い塵芥が完成する。私は非常に気楽さを感じた。周りの推しカプ信者共も、現パロを描くと拡散先で褒めちぎる。やれ2人が可愛いだの、2人でいると面白いだの、感想を呟く。私は大層心地がよかった。もっと現パロを描こうとすら思った。
しかし、半月程前から、私の中の自然がこれを拒否した。本当に2人はこの生活を望んでいるのか?私が描いているものは瞞しなのではないか?ーいや、実際に瞞しではあるのだがーそう思う度、私は手が動かなくなった。しかし、2日に1回くらいは作品を上げないと、見てくれる人が減るやもしれない。いいねの御零れが貰えなくなるやもしれない。私は苦虫を噛み潰しながら作品を描き続けた。なんの価値もない作品である。それでも感想はくるし、いいねも増えるのである。果たして、私は推しカプを好きでいる自信をなくした。
程なく、大学の後輩と話す機会があった。
私はその時、先の某催事で出る推しカプ共の新刊を確認していた。見渡す限りの現パロに、私は閉口した。しかし1冊だけ、過去の時空の推しカプ本があった。その新刊案内を読んで、私はえも言われぬ感情に襲われた。きっと私は推しカプが嫌いになったに違いない。だからこの本に対してとても辛い感情を抱いている訳だが、何故かこの本を買わなくてはいけない気がするのだ。そう後輩に伝えると、後輩は『それは好きなのではないか』と発した。
私はハッとした。この感情は、嫌なのではなく、欲しくてたまらない、推しカプの可能性を信じたいという感情が昂りすぎたものなのだと気付いた。何故そこまで高ぶったのか、それは紛れもなく、そこに存在するのが原作軸の推しカプだからである。
やっぱり私は推しカプが好きだ。そう繰り返し、私は泣いた。限界御宅である。バカ。しかし、私の心は澄んでいた。原作軸推しカプのなんと尊いことか。この危うさ、妖艶、憐憫、全て2人のものである。私は大層喜んだ。
それから、私は1日1枚描いていた〇〇の日をテーマにした落書きを描くのを辞め、これからは原作軸の推しカプのことを考え、現パロの推しカプは描きたくなったら描くことにした。
現パロというのは、人物達があるべき時代では到底付き合えないという考えの裏返しである。現パロを描き続けることは、その二人を愛しているようで実はその二人を遠ざけているのである。その事実には、その二人が嫌いになった時にしか気付けないのだ。
現パロは、気楽に使える良薬と見せかけて実は遅効性の毒である。用法用量を正しく使わないと、私のようになってしまうかもしれない。
ここ数年で報道された「警察官(等)による制圧中に死亡した事件」をリストアップ。
「酔って暴れる壮年の男性に対して力尽くで制圧した結果、力が入りすぎて…」という状況が想定されます。被疑者の死亡自体は、あってはならないことですが、警察官も大変な仕事ですよね…。
あと、それはそれとして、事後の処分や裁判はちゃんとやって欲しいです(ちゃんと確認していませんが、書類送検以降が報じられてないので、不起訴になっていると思われる)
乳幼児スナイパーの主戦場は主に交通機関の中だが、俺のようなプロともなると「親が身動きできない状況」は概ねすべて戦場に様変わりすることも珍しくない。まさに常在戦場。かっこいいなあ、もう一回言ってみよう「常在戦場」。
ここは埼玉県でも有数のとある歓楽街。世を忍ぶ仮の姿で底辺リーマンである俺は仕事の打ち合わせを終え、乗り慣れない黄色の電車を降り、飯でも食って帰ろうと西口から出た。俺が子供のときに観てた、略すとプロレス団体みたいだったタイトルのドラマの舞台ともなった界隈。道行く人たちも何かそんな雰囲気である。俺は身長だけ長瀬智也に似ているので自然と口を開けながら歩いてしまう。
このあたりを歩いていると、黄色い電車の中にもいたが、制服なのになぜか化粧がプロ並みにバッチリ決まったアンバランス女子高生が散見され、大人の俺としては「きみもしかしてコンプライアンスにていしょくするバイトしてない?」と素朴に尋ねたくなるのもこの地ならではである。
立ち並ぶ飲食店の中、大人の疲れを癒してくれる居酒屋を物色して俺が彷徨っていると、おおよそこの界隈に相応しくない赤ん坊の声がする。やれやれ今の俺はオフなんだけどな。常在戦場の身としては仕方ないか。
とある飲食店の前で、泣いている赤ん坊を抱いて一生懸命あやしている父親の姿が見えた。傍らには赤ん坊のお姉ちゃんとおぼしき少女もいる。父親はスーツでお姉ちゃんもちょっとよそ行きの恰好をしており、俺のプロとしての経験則が素早くプロファイルする。「おそらくお出かけ帰りである」と。そして食事中にこいつが急に泣き出して周囲に迷惑だからと父親が抱きあげて席を立ち、お姉ちゃんは「あたしもいく!」とでも言いながら父親について来たのだろう。俺は大人だから瞬時に脳内で映像付きで再現された。もちろん4Kだ。
OK、周囲に迷惑をかけないよう赤ちゃんを連れ出す気配り。さらに嫁さんに食事のゆとりを与えるその思いやり。俺は嫌いじゃないせ。この子のママであるあんたの嫁さんは、あんたの優しい心遣いに安心して今頃好物のエビチリをザトウクジラがオキアミの群れを一気食いするように貪ってるんだろう?素敵な奥方じゃないか。
プロの出番が来るかどうかはわからないが常在戦場を信条とするプロのたしなみとして俺は漠然と戦略を立てていた。もちろん彼が自力で事なきを得た場合「いや俺大人なんで初めから関心ないっす」と言う顔で通過できるようゆっくりではあるが歩みを止めず距離を詰めていると、俺と同じような動作で対象との距離を詰めている者がいた。二十歳かそれを少し過ぎたくらいの女の子だった。む!同業者か?
前述のアンバランスJKの先輩かと勝手に錯覚させる雰囲気。キノコみたいな金髪。モヘアニットのワンピースからべろーんと出ている肩、妙に光沢のあるトートバッグを持っている。俺の経験則ではこういう風貌の女が同業者だったケースはまれで、むしろ赤ちゃんの泣き声に舌打ちするタイプのはずだが人は見かけによらないのかもしれない。なお、信仰上の理由なのか眉毛がない。
(蛇足ではあるが俺が生まれた西の地には「キャンディ☆スパッツ」と言う、主に壮年のご婦人のみで編成された大規模かつ凶暴な乳幼児プレデター軍団が存在するのだが彼女たちもおおむね眉毛がない)
「びゃぁぁん!けほっけほっびゃぁぁぁん!けほっ」。この咳込みながらの泣きに、くぐり抜けてきた修羅場で培った俺の本能が危険を知らせる。これは狙撃では間に合わないかもしれない。そしてこの父親はおそらく赤ん坊を独りであやすのに慣れていない。あの毛布みたいなタオルみたいな赤ちゃん用のふわっとした布が垂れ下がっても気づいてないあたり間違いない。そろそろ来るぞ!回避は間に合わないから衝撃に備えろ!
「っびゃぁぁぁれろろろろろ」そう、泣きゲロだ。
後編へつづく
一通り話すことを話し終えて、ちょいちょい投下される燃料をちょいちょい燃やすだけになった昨今。
こんどは全体的に「ツイフェミって奴らはどうしてああなんだよ」のコメントを見る事が多くなってきた。実社会でモテないんだろうねとか、自己肯定感の補填としてフェミってるんだろうねとかいう話ね。
それらはまあ、明らかに素人の自己完結分析なので外れたり当たったりするんだろうけど。
思うにこれは、かつて「ネトウヨ」に対して起きた反応と同じなんだよね。
だから今後、ツイフェミを取り巻く環境は、ネトウヨと同じになるだろう。
①それっぽいことを言うとすぐにネトウヨ/ツイフェミとレッテルを貼られるようになります。
②反面、独自の熱い支持層は全く消えないので、ネトウヨ/ツイフェミ代表の論者にそこそこ大きな市場価値がつきます。
④議論が内輪で煮詰まり、言説がデマまじりの専門性を帯びてきます。
学生運動が一番盛り上がっていたころからそろそろ50年になる。
この記事。
校則も生徒会もない理由 麻布、「自由」への高校紛争 : NIKKEI STYLE https://style.nikkei.com/article/DGXMZO50884940R11C19A0000000/?n_cid=SNSTW001
学生運動は1960年代~70年代初頭に盛り上がったまあ何というか、ざっくりいうと権利の闘争だ。中途半端に時期がリアルすぎて(今の団塊の世代が青春真っただ中にあった出来事=当時大学進学率20%以下のエリートたちにとって身近な活動だった)、うまくまとめられないまま、ビックリするほど若年層に歴史が伝わっていない。
調べてみると現在そこそこの地位だったり会社の上層部だったり芸能人だったりは結構かかわっている。意識高い存在自体が大学生だったとざっくり言っていい。
さて、この闘争は当時、大学生だけのものではなかった。ごく一部のエリート高校(中学含む)でもこの動きはあった。これがその一部を書いた記事だ。麻布高校はずっと東大入学TOP10に入るくらいの有名進学校。セーラームーンのタキシード仮面、地場衛(原作版)の母校のモデルで、私服登校ができる。自由だからこそ踏み外す人がいないというか、そういう学校だ。この事実が、ネットニュースをはじめメディアで取り上げられるのを初めて見た。
当時20歳だった当事者たちが、50年たつと70歳になる。
ビートルズがただの若者が好む外国の歌から教科書に載るくらいの存在になるくらいの時間がたった。
そろそろ誰か、当時のモブ学生がみんなそうであるように、今普通に生活していて「今どきの若いもんは」なんて言ってる壮年が、回顧録だとか自伝だとかであの頃を書き出すころだろう。
あの頃は若かった、金はなくとも自由があった、なんていって。
そろそろ総括の時間だろう。いい加減、自由がどうして存在しているのか、向き合うために必要な言葉を”大人”から記してほしい。