2020-06-27

[] #86-2「シオリの為に頁は巡る」

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店に入ると、マスターが迎えてくれる。

「お、マスダくん。いらっしゃい」

マスターは口ひげを蓄えた壮年男性で、いつも白いワイシャツに黒いベストを着こなしている。

どちらかというとバーテンダーの方が似合いそうだ、と店に来るたび思う。

今日アイス? ホット?」

ホットの水出しで」

ホットの水出し……時間かかるけど大丈夫?」

問題いね。せっかちな人間コーヒーは飲めない」

「か、かしこまり

慣れた感じで注文を済ませ、俺は入り口近くの椅子腰掛けた。

意味もなく気取ってはみたが、実のところ俺はコーヒーが好きじゃない。

いや、厳密には好きでも嫌いでもないというべきか。

コーヒーは美味いだとか不味いだとかい次元で語る飲み物ではないからだ。

香りがどうだとか、苦いだとか酸っぱいだとか、厳密な評価基準なんて知ったこっちゃない。

コーヒーコーヒーしかなく、後は砂糖が入っているかミルクが入っているかの違いだ。

そんなものをなぜ飲みたがるのかと聞かれても、「コーヒーってそういうもんだろう」としか言いようがない。

…………

それから十数分ほど経ったがコーヒーはまだ出てこなかった。

「なあ、マスター。俺のコーヒー忘れてないよな?」

「作り置きがないか抽出中だよ。うちの店で水出し頼む客なんていないからね。しかホットからさら時間がかかる」

言葉の響きだけで選んでしまったが、どうやら「水出し」は時間がかかるものらしい。

深く考えずに注文した俺の責任とはいえ、焦がれてない黒水のために何十分も待たされるのは予想外だった。

しかし「せっかちな人間コーヒーは飲めない」と言ってしまった手前、今さら注文を取り消すなんてできない。

「暇なら本でも読むといい」

俺の貧乏ゆすりを見かねたマスター本棚を指差した。

最近新書も入ったし、よかったら覗いてみなよ」

そういえば、ここはブックカフェでもあったんだ。

店内の半分以上が本棚で埋め尽くされているのに、マスターに言われるまで全く気づかなかった。

たぶん読書に関心がなさすぎるせいで、認識範囲外だったのだろう。

から暇つぶし選択肢にすら出てこなかった。

「そうさなあ……」

学校課題以外で本なんて読みたくなかったが、それでも何もしないよりはマシだ。

俺は重い腰をあげると、恐る恐る本棚の群生に近づいた。

そしてタイトルを読むこともなく、手ごろな厚みという理由一冊の本を引きずり出した。

「……ん?」

その瞬間、本から細長い紙切れが滑り落ちた。

どうやら栞のようだ。

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