はてなキーワード: ズボンとは
女性漫画家の男性キャラの履いているズボンの股間周りのシワの描写が女性のそれになってるケースが多い。
男性キャラの股間あたりに水平なシワが左右の太股の付け根を股間の部分を通って横断している描写になっている人が結構いる。
男性諸氏はご存知かと思うが男性のズボンの股間部分のシワはこうはならない。
底にまとまった体積の物体がついていて布がその面積分盛り上がっているから、シワは太ももから股間に向かって斜め下に向かう形になる。
女性漫画家の描くズボンのシワはちんぽがないようにしか見えないシワになっている。
布がちんぽの体積で盛り上がっていることや、縫製がちんぽのぶん余裕をもたせた形になっている事を分かっていない作家って多いんじゃないか。
女性向けのズボンは平坦な股間にぴったりな縫製になっているがそこの違いに意識が向いていないように見える。
男性は物心ついたときから小便のたびに自分の性器を見るし、公衆浴場やプールの着替えで他人の物を見て大きさの違いなどを実感したりと股間に意識を向けることが多い。
だが女性は便器の腰掛けて尿の出る部分は見えないし、単に平坦な場所なので、せいぜい小学校高学年の修学旅行やプールの着替えで毛が生えたかどうかくらいでそれ以外は他人の股間に関心を持たないのだろう。
生理になったのに生理用ナプキンがない、買えないという状況に何度か遭遇した増田です。n=1ですが、トイレットペーパーは生理用ナプキンの代替にならないと考えています。
■形が崩れる
トイレットペーパーは水に溶けます。血は水分なので、吸水するとトイレットペーパーは脆くなりバラバラになります。人は寝ている間も寝返りを打つなどして動き回るものですから、脆くなったトイレットペーパーはパンツの中で偏り、場合によっては隙間から落ちます。
増田の場合、45分の授業を受けている間にもトイレットペーパーに偏りが生じ(ずっと座っているのに!)漏れました。
結構な量のトイレットペーパーを使っても、血はトイレットペーパーを貫通し、パンツ・ズボンに到達します。水分を通さない層が必要です。
■ズレる
布とビニール袋を組み合わせて代替できるのではと思う方もいるかもしれません。
試したことがあるのですが、ズレてスカートの間から血だらけのものが落ちてきました。
ガムテープで固定したことはないのでなんとも言えませんが、ビニールテープ程度では全然ズレて用をなさないです。
■行動しがたい
上に書いたように、生理用ナプキン以外のもので間に合わせようとするとかなり行動が制限されます。じっとしていても漏れるくらいですので。生理があるくらいの年齢の人は女性であれ被災地において貴重な戦力となるはずです。生理だからという理由で1週間動けないのは損失です。
生理痛などの理由により動けない場合は無理して動いてはいけませんが、体調不良がない人が動かないのはもったいないですね。
■恥ずかしい
説明するまでもないですね。
■血が出たあとだと分かるようなシミがハッキリと残る
経血はシミになります。シミになると、洗っても落ちません。漏れた直後に洗う(すぐにです、ちょっとでも油断するとシミになります)その日のうちくらいに経血用洗剤を使うなどで回避できますが、被災地において現実的ではありません。
増田はテキトーな人なので経血のシミがあちこちについているシーツの上で寝ていますが、引っ越しのとき引っ越し屋さんにそれを見られて大変恥ずかしかったです。通常の羞恥心がある人はシミの付いた服は捨てます。
■固くなる
羞恥心は一旦忘れ、血をだしたままだとどうでしょう。増田は試したことがありませんが「戦争は女の顔をしていない」によると、固まって太ももを傷つけて痛いそうです。
例えばキツキツのブルマーやジーンズを無理して履いたことのある人はご存知でしょうが、股の間の皮膚はとても薄いです。簡単に痛くなり、行動に支障がでます。
他にも生理用ナプキンが必要な理由はたくさんあると思うんですが、今思いつくのはこれくらいです。平常時でも生理用ナプキンがないと困るので、非常時である被災地においてはどれほど困るかと想像もつきません。
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
ジーパンは着こなすのが難しい上級者アイテムの一つだが、おっさんほどジーパンを好むので人知れずどんどんダサくなってしまう。
飛行機事故ペット問題で「人命よりペットを優先する奴はアホ、基地外」みたいな声が相当大きくなってて、実際それは正しくはあるんだけども、いざ自分が当事者になった時の事を考えるとあまり声高に叫ばない方がいいんじゃないと自分は思ってる。
1/2の飛行機事故では旅客機側の人員は全員生存、貨物室および客室に残された貨物および動物は全滅、という結果にたまたまなった訳だけども「脱出時には何も持たないでください」というアナウンスにもかかわらず、リュックを持って出た人/小さめのポシェットやハンドバッグを持って出た人/動転したのか何なのか書籍とペットボトルを持って出てしまった人など様々な人がいたようだ。
元CAの漫画家さんによればそれらの持ち出しは全てアウトで、ポシェットやウエストポーチやカバンはもちろんズボンの尻ポケットなどに入れるのもNG、腹部に巻く/隠すのもNG、持って出られるのは背中や尻など脱出用の滑り台と摩擦の起きない部分のポケットにしまわれた小物だけ(これも多く入れていると出すように言われる)だそうだ。
しかしいくら命には替えられないとはいえ、身分証や保険証を入れた財布、スマホ、家の鍵などは最低限持ち出したいという人が大半だろう。自分のせいでスロープが破損するリスクが生じるとして、じゃあそれを燃え盛る飛行機に全て置いて逃げるのが正しい、『他の人も同じようにしてくれるかどうかわからない、』わかっていてそれをできる人がどれほどいるだろう。
強いこだわりの特性を持つ人が機内にいて、無理に手放させたら大パニックを起こしてしまう物を持っていたとしたら。重い持病を抱えていて、毎日の服用が必須な常備薬をカバンに入れている人がいたとしたら。替えも取り返しもつかない貴重な何かを持っている人がいたとしたら。想像をすればキリがない。
1/1の能登半島地震では道路がそこかしこで寸断されて交通網が壊滅状態となり、被災者の支援には自治体や自衛隊、国から依頼を受けて支援物資を運びにきた企業、救急や消防などの支援および救護の妨げになるので、不要不急の移動は控えるべきと言われている。実際にこれもその通りで大渋滞が起きているという。ボランティア精神を履き違えた頭お花畑どもは死ぬべきだと血気盛んなネット世論は大騒ぎしている。
しかし現実には能登に住む家族や親族のために物資を満載して車を走らせた個人が数多くいただろう。「あなたの車が能登に住む他の皆さんに支援物資を行き渡らなくさせ、助かる命を助からなくさせているのですよ」と誰かに言われたらその通りなのだろう。それでも彼らは承知で大事な人のもとへ向かったはずだ。生きている自分の家族を1秒でも早く飢えや寒さや不自由から救いたくて、その他の被災者の生命を削る選択をしたはずだ。
本当に人命が大事なら、能登にいる被災家族のことは自治体にまかせ、数日の不自由は耐えてもらうのが能登の被災者全体にとって正しいはずだ。じゃあ今苦しんでいる家族を前に何もせず家で耐えているのが正しい、『他の人も同じようにしてくれるかどうかわからない、』わかっていてそれをできる人がどれほどいるだろう。
震災や事故に限らなくてもそういうことが世の中にたくさんある。
人命が大事と言われていても、他人の人命より自分の何かをこっそりと優先してしまうずるさや愚かさがおそらく全ての人間にある。無論私にもある。私は物をどこにしまったかすぐに忘れてしまうので、遠出の時はウエストポーチを身につけている。中に保険証もマイナンバーカードも家の鍵も財布もスマホも全部入っていて、そのポーチを全部捨てろと言われたら自分が誰かも証明できなくなる。だから「最低限財布とスマホと鍵を持って脱出するにはどうしたらいいか」を必死でググっていた。夏場そうなったらどうしたらいいか途方に暮れていた。
そういう自分の愚かさを前に「命が一番大事に決まっているだろう」と他人を指差して非難する勇気は持てない。いつか自分もそうやって他人に指を差される日が来ると思うから。
ペットの命も助けて欲しかったという人、最低限の荷物だけは持って出るのを許して欲しいという人、老親を助けない訳にいかなかったという人、その全員に自分と同じエゴを見て「明日は我が身だ」と思っている。
女って無駄にピチピチした服とかズボン履いてるし、そこら辺の女見ても男より異常に外見気にしてるじゃん
男は機能性さえ要求満たしてれば見た目は気にしない社不のキモヲタが多いから男物はポケット山ほどつけたダボダボの服でも売れるけど
「ねぇ、きもちいい?」
泉はいたずらな笑みを浮かべながら、僕の股間をさすってくる。きもちよくないわけないじゃないか。だけど、ここで認めてしまえば、僕は泉に逆らえなくなる。僕は泉の手をそっとどかして泉の顔を見つめた。
「それはどうかな」
精一杯抵抗した。泉は詰まらなさそうな顔をしてぷいっと拗ねてしまったようだ。僕はちょっと笑ったあと、泉の前に移動して、強引にキスをした。
「ん・・・!」
泉はびっくりしたようだ。僕は泉の唇に舌を入れた。泉は僕の舌を受け入れて、僕の舌と絡み合った。僕は泉の胸を揉みながら、泉の舌を吸い上げた。
泉の腕から力が抜けていくのがわかった。僕はそっと右手の中指を、泉のスカートの中に入れてみた。泉のパンティ越しに泉の秘部が濡れているのがわかった。泉は興奮している。僕は泉の秘部を指でなぞった。
「あ・・・」
泉は甘い声を出した。
泉は僕の手をそっとどかして、僕の顔を見つめた。泉は僕の顔を見つめながら、僕のズボンのベルトを外して、僕のズボンを下ろした。そして僕の股間のあれをじっと見つめて咥えてゆっくりスライドさせた―。
―
「だめだ!」
エロ小説家を目指すゆうたは、ここまで書きあげてきた原稿をくしゃくしゃと丸めた。次のコンクールまであと2週間。しかしゆうたは、まったくアイデアが浮かばない。ゆうたは、原稿を丸めたまま、机の上に置いて、机から立ち上がった。ゆうたは、部屋を出て、全裸でオナニーをし始めた。
「うう!!」
ゆうたはホテルの廊下に射精した。しかしそこには多くの人がいたのだった。ゆうたは恥ずかしくなって、すぐに部屋に戻った。ゆうたは、部屋に戻ると、すぐにシャワーを浴びた。ゆうたは、シャワーを浴びたあと、部屋のベッドに横になった。ゆうたは、ベッドの上で、原稿を書き始めた。先ほど起きた自らの体験を―
(タイトルが攻撃的になってしまった。別に何かを主張しようという意図はない)
いい歳してお母さんが買ってきた服を着ているオタクは実在する。俺だ。
なぜ自分で服を買わないのか。それは服について知識がないからである。
パーカーもわかる。紐とフードがついてるやつだ。
シャツもわか…。いやもうわからない。ワイシャツはシャツだ。これは下に肌着を着る。でもTシャツは着ない。この違いはなんだ。
調べるとスウェットシャツというのもあるらしい。なんだそれは。スウェットとはあのパジャマや部屋着みたいなものを指すのではなかったのか。種類ではなく材質の話だったのか。これは下に肌着がいるのか。
フリースはわかる。と思っていたがこれも材質の名前らしい。なんかフワフワでジッパーがついたやつを指すのだと思っていた。もう何も信じられない。
ジーパンはわかる。オタクの味方だ。でも洗濯についてよくわかっていない。
あとはなんの種類があるんだ。わからなすぎて「服 種類」でググった。こんなの調べるのはオタクだけだ。カーゴパンツは聞いたことがあるぞ。勿論中身は知らない。
普通は一度にどれくらいの量を買うんだ。
似合う/似合わないは何で判断しているんだ。
相場はどれくらいなんだ。Tシャツの値段すらわからない。Tシャツくらいはわかると自分でも思っていた。アニメのグッズで買うからだ。しかしオタクがグッズを買う時に値札を見ているわけがなかった。
裾上げとはなんだ。いやそれ自体はわかる。スーツを買った時に何かされたからだ。でもこれは任意のパンツで必要なのか。種類で変わるのか。
知ってる風に「パンツ」と買いたがなぜ「ズボン」ではダメなのかもよくわかっていない。
もう何もわからない。俺は自分でよくわかっていないものを肌に身につけているわけだ。それでも不自由なく生きていられる。感謝。
スマホや財布はさすがにポケットに入れてても許されるんだよね?
でも、実際持ち出したからといってそれが人命を左右するとは思いにくいのも事実。特に小型ならなおさら。
あくまで「あらゆる荷物をあきらめるという決意を示し、周囲や今後の教訓とする」という考え方なら納得いくかなぁ。でも、大型スマホとか折り畳みとか、キーボードカバー付きタブレットとかになってくると、境界は曖昧だよねぇ。
川端康成の『雪国』は読んだことがないけれども、その文頭はあまりにも有名だ。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
暖かい南国で生まれた。積もった雪は見たことがなかった。大学が近くになかったので、進学組はみんな強制的に一人暮らしになる地域だった。雪が見たくて、ただそれだけで積雪がある某県に進学を決めた。
学生だから車は持てなくて、雪の積もった日は徒歩で30分以上かけて大学に向かった。自転車なら10分もかからない距離だ。泥混じりの雪が跳ねて、着く頃にはズボンの裾と靴下が真っ黒に濡れてしまう。それで丸一日過ごす。一年生の年明けには、雪を見るだけでうんざりするようになった。
雪の朝は、目が覚めるとすぐにわかる。妙に静まりかえっていて、ほのかに明るくて、身体の芯から冷えるような寒さの朝は雪が深々と積もっている。心底うんざりする冬の一景だ。
大学最後の年、私はすっかり暗い冬も鬱陶しい雪も大嫌いになっていた。
ある夜、何かの用事で車に載せてもらい、峠の方へ行くことになった。しっかり整備された高速道路を降りて、ろくに除雪されておらず街灯もない一般道に出た時、ふと窓の外を覗くと、月明かりのない真っ暗な夜空と真っ白な雪原が目に飛び込んできた。そして「夜の底が白くなった」ことに気がついた。
私は文豪のあまりにも的確な表現に言葉を失い、雪原が終わるまでずっと、ぼんやり白い夜の底を眺め続けていた。
その後上京して何年も経つが、美術展にも行かず、バーにも通わず、流行の最先端にも触れず、およそ文化的とは程遠い怠惰な日々を過ごしている。これといった趣味もなく、美味いのかわからない飯を食べ、友人も少ない。都会の片隅でドブネズミ的生活を送っている。東京で文化人になるにも能動的努力と磨かれたセンサーが必要なようである。
私は生憎地元でも東京でも「文化」とやらを感じることはできなかった。「印象派展」や「知る人ぞ知る日本初上陸ブランド」に興味はなくもないが、疲れた週末に電車を乗り継いでよく知らない場所に行き、人混みに揉まれて行列に並ぶのは雪と同じく心底うんざりする。
このように都会暮らしでも文化を楽しむにはそれなりの素養と体力が不可欠だ。感受性が錆びつきセンサーが腐っているドブネズミがあの冬の夜、ど田舎の雪原に「文化」を強烈に感じることができたのは教育による知識の下地に偶然が重なったおかげである。私はあの一景を生涯忘れることはないだろう。
発射もされなかった
コーチはサラダ油かなにかを使ったらしく、大量に腸内に入れられたようだった
誇張して覚えているかもしれないが、帰り道に油が肛門から垂れ流しで気持ち悪かったのを覚えてる
遅刻が多いから後で残るようにと言われてコーチと二人きりになった末のことだった
平成生まれだし怒鳴られることはあっても体罰は受けたことがなかった
でも知識として、お尻ペンペンの存在、その際に脱ぐこともあるとも何故か知っていた
何発か手じゃなく、多分冊子を丸めたもので叩かれた後で肛門をいじられた
なんだろうと思ったが不思議と抵抗はせず罰の延長と思ったままレイプされた
特に口止めもされずそのまま帰された
家には、泥だらけで帰ったら裏口から入って、シューズなど汚いものを洗う専用の洗濯機に汚れた服を突っ込み
パンツ一丁でリビングを横断してる時も油が垂れてて気づかれないかスリリングだった
それまで気づかなかったが、肛門に傷が入っていて洗うと痛かった
でも耐え難い激痛ではなかったし、寒いので湯船に浸かった
1週間経たないぐらいで親に病院に連れて行かれた
理由は言われず、その年は出てなかったと思うがたまに冬季喘息があったのでそれかなと思った
親は俺がレイプされたことを何故か察していたらしくその検査だった
コーチのやったことは何か良からぬことではないかというぼんやりした問題意識はあったので素直に全部話した
多分警察の人だったのか、日を分けて何人かの人に同じことを話した
親は別に泣いたり怒ったりなどせずいつもと変わらない態度だった
野球には行かなくなった
気になってコーチの名前で検索したが特に出てこなかったので事件になっていないようだ
中学生になり野球ではない部活に入ったら、かつての他校の野球仲間が先輩にいた
コーチはホモで小6に手出して辞めさせられたんだぞと先輩は面白話のように話してきた
俺のことは知られてなかったのか、俺がいないところで噂されてたのか
俺一人だけがレイプされて伝播するにつれて小6ということになったのか、何人もレイプされたのか
物理的傷はとっくになく、心理的傷も大してないが、コーチの犯行の全容は気になっている
今更親に聞くのもなあー