はてなキーワード: インタラクティブとは
囲碁入門してから何していいかわからんままフェードアウト、挫折する人多そうだと思ったから書く。
囲碁知らんやつは始めてみようぜ。
入門サイトが色々あるからそこ見よう。おすすめは「インタラクティブ囲碁入門」。
Q.どこが地なのかわからない。
A.前提として石の生き死に(二眼とかセキ)を理解しよう。相手が生きた石を作れないところがあるなら、そこはあなたの地。
Q.どうなったら終局?
A.自分が得する手(自分の地を増やす、相手の地を減らす)がなくなったとき。
最初は、ネットならCOSUMIか囲碁きっずのぽかぼっと。cpuだから負けても悔しくない!
俺強くなったんじゃね?ってなったら対人やってみよう。
まずはシチョウ、ゲタ、オイオトシ、ウッテガエシあたりの基本手筋を覚えよう(ググれ)。
19路盤やってみよう。最初は打ち方わからんだろうから、適当に他の人を観戦してなんとなく真似ればいい。
基本定石を覚えよう。絶対の正解ではないし、定石覚えたら弱くなるとかいう格言があるけど、初心者のとりあえずの打ち方には良いから覚えて使ってみよう。
楽しくなってきたら碁盤と碁石買え。プロの棋譜を入手して実際に碁盤の上に再現しよう。最初は150手ぐらいまでを何となく並べるくらいでオーケー。何となく打ち方が身につく。
読みの練習。
goproblem.comに大量の問題があるから、レベルに合ったものを繰り返しやろう。
基本手筋、基本死活を手が覚えるくらいやろう。手が覚えると思考のショートカットができる。
初段になりたいならヨセの価値計算方法を習得すべし。これは書籍を買ったほうがいい。
石の強弱(生きの確度)を意識しよう。弱い石の周りは価値が高く、強い石(厚み)の周りは価値が低い。相手に価値の低い手を打たせよう。
対局後はできるだけ検討しよう。
石の形には良し悪しがある。急所に打って悪い形を作らせよう。
相手の大きい模様(地になりそうなところ)は消しに行こう。カタツキとかサバキ
定石は状況に応じて使いわけよう。複数の選択肢を用意しておこう。
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抜けてるとこありそうだけどこんなもんで初段にはなれるよ
教養講座。
プログラミングの仕事をしてて、それなりには知ってるから、飛鳥のリアクションが新鮮に感じる。
コメントしたらかなりダイレクトに反映されて、ニコニコ動画のインタラクティブ? 性を強く感じたシリーズなので、大好き。
卑猥なのが多い。
ノベマス+MV。
確かに「ありすちゃん」でも考えるとしっくりくるんだけど、第一印象で「ん?」と思ってしまった。
ノベマス。
お、おう。
みじゅさないい……
みじゅさないい……
ノベマス。
(念のためいうと、そういう役のキャラだからであって、フレデリカというアイドル自体へのそれじゃないからね)
【単発】亜美真美と春香と雪歩がスーパーマリオカートで遊んだようです
架空戦記。
面白かったけど、完全に動画外の話になるけど、動画の説明文のところで現実に返されるのツラい。
ノベマス。
完全にアイマスの話でも、このPの話でもない話になるけど、
http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima
ゲームの企画書というサイトで、ジャンプの伝説の編集長だった鳥嶋は
http://www.4gamer.net/games/075/G007535/20160422129/
FFの開発者も、ここ最近のFFが微妙であることは認めつつ、昔のFFはよかったみたいなことをほざいているわけだ
それ何時代の話?って感じ
しいていうならば、FF3くらいまでは対ドラクエに対して見せ方の工夫というスタイルで対抗していた部分があるから
サイドビューの戦闘画面とか魔法のエフェクトとか、飛空艇だのジョブシステムだのと
ドラクエにたいするいろいろな工夫はしていたとは思う。
でもそれは見せ方の話で肝心のゲームは至極ありきたりな、敵たおしてレベル上げてお金貯めて武器買ってボス倒すってやつだ。
FF2の熟練度なんていうせっかくのユニークなのシステムもやめたしね。
とにかくFFのゲームシステムってそこまで斬新で最先端ってわけではなかったわけよ。
でもそれが良かったわけで、だからこそ大衆に受けたわけでしょ?
FFが生き残って、ロマサガがマニア受けどまりでシリーズが終わったのも
そもそもRPGって見せ方のジャンルだよねって思わなくもないし、それでもいいのかなって思ってたよ。
ゴリゴリにマニアうけするFFってのもそれはそれでおかしいとは思うしね。
とにかくいいたいのは、FFはグラフィックはこだわるけど骨格のゲームデザインはかなり保守的なゲームだったという話。
任天堂やその信者にやたら64時代に馬鹿にされてたのもそのあたりだったよね。
噂だけど、SFCのマリオRPGでインタラクティブを重んじる任天堂スタッフと反りが合わなかったという話を聞いたことがある
それからしばらくして。スクウェアがPS参入して任天堂との確執は決定的なものになるわけだ。
N64とPS時代の話といえば任天堂対スクウェアのインタラクティブVSムービー(ゼルダ対FF)という感じだったよね。
武蔵伝などやった当時のオタクたちは、スクウェアってアクションゲーム作るの下手だよねと評していた。
でも、当時のスクウェアはそれでいいとおもってるくらいの堂々としたものだった。
おそらくそれで売れてたからだろうね。勝てば官軍売れれば官軍ってことなんでしょうね。
それが時代が過ぎてなにやらFFは馬鹿にされるジャンルになった
しかも馬鹿にする人は任天堂派の人たちだけじゃなくなったわけよ
馬鹿にする根拠はまぁあのヘンテコなホストな髪型とかそういうのも含めてなんだろうけど
なんつーか今のFFを腐すために過去のFFがやたら持ち上げられてるんだよね。
だからもう一度言う
それ何時代にあった話なの?ってね
過去の美化された記憶じゃないんでしょうかね。少なくともFFがゲームデザインで先端だったことはないよ
今も糞だが、昔も糞だ!
はてなブックマーク - 将棋の初心者がたった10ヶ月でアマチュア1級を取る方法 - コスパ最強!!一人暮らしの簡単節約料理レシピ に触発されて囲碁版を書いてみるテスト。といってもVIP囲碁部( おい。おまいら囲碁に興味ないか?@Wiki - トップページ)とか囲碁板の初心者スレッドに結構まとまってる情報の焼き直し。自分はまだ日本棋院の初段になるかならないか程度だけれど書いてみた。同じく5級は日本棋院レベルの意味です。
囲碁は面白いんだが、その魅力を解説できるほどのドラゴンボールマニアではないので、淡々と上達への参考情報を出すにとどめます。
囲碁のルールは複雑じゃない。とりあえずインタラクティブ囲碁入門を、44級(「2眼作ってしっかり生きる」)までを納得するまで繰り返す。44級が腹に落ちていれば、仮にいきなり実戦に出ても、即死することはなくなる。ここまでで1-3日くらい。
44級を理解したら、一通りインタラクティブ囲碁入門を終わらせておきたい。
iPhone(iOS)環境があり、やる気に満ち満ちていて、先行投資を惜しまない、と言う性格の人には、この時点でEasyGo on the App Storeを躊躇なく購入してしまうのをお勧めする。これは入門から高段までをカバーする神アプリ問題集だが、なぜか日本での知名度はそれほどでもない模様。インタラクティブ囲碁入門で覚えたルールや考え方を何度も繰り返すのに、ぜひ実際に石を置くことのできる環境でおさらいしたい。Easygoでは、こういった問題が"Basic"という問題群としてまとめられている。$12と少し高価だが、あとで紙の問題集にいろいろ手を出すことを考えれば安い買い物と思う。ここまでで1-2週間。
このあたりで徐々に実戦感覚を積んで行く。ここでいきなり19路(19x19)に向かうと広大すぎて何をしたらいいか分からないため、まずは小さい碁盤(9x9および13x13)から、CPU戦を中心に入っていくのが定石。ストIIでも、いきなり対人台に行くとボコられたでしょ。
Windows環境であれば、10年前からあるigowinという小さなアプリがお勧めで、今でもこれが有効なはず。Igowin Free Go Software Downloadより、igowin.exeをダウンロードする。最初はたくさんハンデ(置き石)をもらった状態からスタートするが、勝ち越して行くと徐々にハンデが追いついてくる。負け越すとまたハンデが戻される。これをとにかく2週間ほど繰り返す。手元にwindows環境がなく、どれくらいの強さだったか定かでないのだけど、15-10kを目標に頑張りたい。上記本家サイトによればアイフョーンアプリがあるみたいなので、それで練習してもいいのかも。
Windowsでない環境では、オンライン囲碁ゲーム COSUMI - 無料!を使って実戦経験を積む。これはインターネット接続が必要。右上の"Play"から始める。盤面の大きさを選ぶ必要があり、最初は5路から始めてもいいかも。だんだん盤面を広くしていき、同じく2週間ほど繰り返して、9路のレベル0を目標にしたい。
そろそろ19路デビューしたい。KGS Go Serverでアカウントを作成し、世界の荒波に飛び出してもいい頃合い。申告級を15k程度にし、プラマイ2k差ほどに設定してAuto matchingを有効にし、何戦か戦ってみるといい。序盤はさっぱり何をやったらいいか分からないが、中盤あたりで石が混んでくると、これまでigowin/cosumiで鍛えた石の取り方や切断、連絡といった技術が生かせる場面が多くなってくるはず。これで面白さを感じられるようなら、そのままkgsに居着くと良い。"hi gg (hi good gameの略)"だけ覚えておけば挨拶には困らない。
このまま順調に、毎晩とは言わないが週に数回でも打っていけば、1年経たずに日本棋院の5級、kgsだと一桁級が見えてくるはず。でも順調でないパティーンも多くあるだろうので、以下にいくつか対策を。
対人はいやだ、まだCPU戦で修行したい、というのであれば、19路のプログラムを使う。無料のものだと、山下さん謹製のAyaか、はてなー大好きGNU謹製のGNU Goあたりが定番。
AyaはYSSと彩のページより、「彩のダウンロード(Win98) aya634.zip 846KB」からダウンロードできる。Windows専用。
GNU Go自体は思考エンジンでフロントエンド(碁盤)がついてないので、Go GUIを一緒にインストールするのがよかったはず。囲碁ソフト Go GUI + GNU Goあたりを参考に。
納得して進みたい、理論を知りたい、実戦は訳が分からない、というのであれば、いくつか本を読むのがお勧め。http://info.2ch.net/?curid=2314の「頻出の名著、定番書(総合書)」にあるのはどれも名著。
盤面が広がるほど、一局あたりの所要時間が大きくなる。プロでなければ、9路は5分程度、13路は10-15分、19路だとおおむね30分-1時間が目安ではないか。で、19路を対局する時間がなかなか取れない、という場合にはGo Quest (9x9) - Play Free Online Game Of GoもしくはGo Quest (9x9) - Play Free Online Game Of Goをお勧めする。囲碁クエストは躍進目覚ましい対人アプリで、9路と13路限定だが、iPhone/Androidから対戦ができる相当熱い対戦場になっている。日本以外からの接続も多いようで、早朝以外、相手が見つからないといったことがあまりない。レート1000から始まり、1300あたりを目指したい。
将棋の元記事では、ごく初期の段階から原始棒銀を体に染み込ませる、という流れだった。しかし囲碁の場合、ルールを覚えてすぐに戦法を覚える必要はなく、始めてしばらくは戦法を気にせず、物理(手筋)で殴る、を覚え込ませることが上達の近道だったと思っている。
誰か強い人に、この先をどのように進めると面白いか、書いてほしい。
SNSを駆使して、世界中のマルチメディアをインタラクティブに
7本くらいの指を使った同時マルチタッチで、
渡り歩きたいなって思ってるんだけど。
で、しばらく使ってなかったから案の定パスワード忘れちゃうわけ。
てへ。
と、ここまではうっかり属性でいいんだけど。
で、パスワード再設定しようと思ったの。
で、PayPalアカウントを開設したときの私の性格って今の私の性格と一緒じゃない?
で、パスワードの再設定したら、以前使ったパスワードは使えません、って言うじゃない。
私、再設定しようとしてたパスワードって、
ビックリ!
私って昔と変わってないのね!
ハロー!昔の私!
って、笑っちゃったわ!
前にも、確かこんな下りあったわね。
自分探しなんて、
簡単にできるじゃない。
で、ところでPayPalはどうやって投稿したらいいのかしら?
久しぶり美味しいわ。サンドイッチは手が汚れなくて便利だけど
うまく封が開けられなくて、
みたいな。
梨美味しいわよ、梨。
スッキリオータムね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
5話まで観たけど、これこの後おもしろくなんのか?
ある程度の厨設定は覚悟してたけど、これほどまでとは思わなかった。厨学二年を10回くらい留年したような厨っぷり。
設定がまじで勝手すぎでご都合良すぎなんだけど、まあそれもアニメなんてそんなもんだからいい。
その勝手な設定をぜんぶずーっとセリフで説明してて5話まで来てまだ説明が終わらない。誰もたのんでないのにずーっと説明してんだよ。なんだよこれ。絵が動く必要ないじゃん。
サーヴァントだのランサーだのアーチャーだの聖遺物だの宝具だのなんだのかんだの、ずーーーっと説明。自然な流れでみせる気なんて微塵も感じない。ぜんぶ説明。セリフで説明。
んで、登場人物を職業で呼んだり、そういうなんだかよくわからないわざとらしい名前のアイテムがひたすら出てきたり、もうね、ヲタの友達から「おれがかんがえたさいきょうのRPG」の話を延々と聞かされてるような気分になってイライラしてくる。
そもそもRPGのステータスとかパラメータって、もともとある物語をインタラクティブにプレーヤーが楽しむための“仕方ない表現の方法”だと思ってたんだけど、それが必要ないはずの物語ですごいゲームっぽいパラメータとかの設定が出てくるのが、ゲーム好きの馬鹿が考えたラノベっぽいんだよな。ってこれは元はエロゲなんだっけ?「アレンジして特別な契約を結んだのだぁ!」とか馬鹿かよw
しかしおれは例えばエヴァもまどマギも超大好物なんだよ。あれは良くてこれはダメなのはなんなんだろ。この差は一体どこからくるのか。このFate/zeroのダメな感じ、何かににてるなーと思ってたらあれだ、コードギアス。あれもくっそキライなんだよ俺。なんだろう、すっごくわざとらしくて、全てが都合の良い結果になるようなむりやり感がある気がするんだよな。「オレンジを!(キリッ」じゃねーだろクソが。「生きろ!(発動」とかそれ言わせたかっただけなのバレバレすぎだろww
でも、そんなのきっとエヴァとかまどマギにもあるはずなんだけどなあ。おれももともとそんなに話の筋とか、整合性とかうるさく気にするタイプじゃないんだけどなあ。むしろ矛盾とかは後からこっちが回収するからべつにいい、熱い方がいいと思っちゃうくらいで。
この差はいったいどこで出てくるんだろうか。 演出の問題かなあ。ああ、あと何話あるんだろ。ダルい。これほど先を見るのもダルいアニメもそう無い。
つってこの後、めちゃくちゃおもしろくなったりして。それだったらいいけど。
ここ3日ぐらい、一日13時間のペースでネットサーフィンに勤しんでいる。正直言って、もううんざりだ。いくらネットがインタラクティブ性に満ちた楽しい空間であろうと、13時間もやっていれば飽きるに決まっている。それでも、止められない。止めるわけにはいかない。もしネットをやめたら僕はなにをして生きていけばよいのか。見えない、分からない。もちろん、やりたいこともやらねばならぬことも大量にある。読みたい本、やりたいゲーム、行きたい場所、撮りたい景色。線形代数、フランス語、scheme。そんなものはいくらでもある。でも、身体が動かないのだ。仮に身体が動いたところで、すぐに面倒になって布団にカムバックするだけだ。致命的に集中力が持続しない。だから、ネットの雑多な情報に身を埋める以外に取り得る手段がない。
書を捨てよ町へ出よう、なんて言葉がある。それに感化されて、家から出ることもたまにはある。けれども、結局行くのはブックオフなのだ。全然書を捨てきれていない。だって、町を出たところで、退屈なのだ。外界の風が心地よいぐらいのもので、あとは全部灰色の塊である。退屈に耐えられる力が若者には必要だ、みたいなことを言ったのはラッセルだったっけ。今まさにその必要性を痛感している。僕は退屈が怖い。だから、今もこのディスプレイから目を離すことができない。
■その1。
前回の原稿で、オタク業界に蔓延している過剰なヒーリング志向について軽く触れたのだが、今回はそのあたりを少し突っ込んでみたい。というのも、「癒し」という言葉が、やたらと濫用され、単にナルシズムを肯定する為の方便に陥っているような気がするからだ。
さて、過剰なヒーリング志向の本質は、常に表層的な感動状態を維持したいという意志で、まあ、完璧に「感動ジャンキー」に陥っているのだけど、実の所、表層的に感動させるのは案外、簡単だったりもする。「心の琴線」というスイッチを押してやれば良いのだから。そして、感動のスイッチを押してくれるのを待ち望む人々の需要に合わせ、感傷的な設定のおたく向けメディアも大量に供給される時代になったけど、その水準には千差万別あるのも確か。
で、今回取り上げるゲームは『終末の過ごし方』なのだけど、このゲーム、インタラクティブ性はほとんどない。あくまで、CGと分岐を加えたデジタル小説というスタンスである。その為、うっかりいつものくせで速読法を使ったら、一時間もかからずにクリアしてしまった。
プレイヤーの視点は主人公ではなく、あくまで読者という第三者で設定されていて、その距離感が淡々としたイメージを増幅している。でも、美少女ゲームのはずなのに、感傷的な気持ちだけが残るというのは、どこか肩透かしな印象も受けるし、ゲームとしては、正直言ってあまり評価できないけど、心の中にひっかかりを残すという点では、上手い作品だと思う。……そして、淡々としたイメージを大事にしたことが、良くも悪くも物語を支配している。
まず、終末が近いのに、あくまで日常の延長を望むという意志を描くには、やがて来る非日常との対比が必要なのだけども、非日常の予兆が感じられるのは、章ごとのプロローグ的なラジオと、登場人物の断片的な台詞だけだったりする。主人公達以外の行動を具体的に描いてしまうと、せっかくの世界観が崩れてしまうという危険はあるけど、それにしても、慎重過ぎた気はする。また「終末」が、実際は「週末」としての意味しか持たず、学校という閉鎖空間への追憶に留まってしまったことに、少々歯がゆさもある。
『終末の過ごし方』は、感傷的な演出や舞台を、意図的に仕掛けることで成功した作品だ。それは、需要に対して忠実な姿勢だと言えるし、作品の水準も高いんだけど……。
■その2。
確かに、筆者は昔、虚構としての学校を描き、虚構の追憶を描いた『雫』を支持した。感傷的ではあっても『雫』には、自分の中の闇や暴力性を見つめる視点があったし、自分が何者であり、何処から来たのか、その理由を解体し、文脈化しようとする意志があったように思う。
最近、ユーザーの嗜好が視野狭窄的になっているというか、感傷的な設定のみに過敏に反応して持ち上げ、他の要素に対しては全く盲目になるという妙な風潮が、急スピードでユーザーとメーカーの感覚を支配しつつあるような気がする。この風潮に乗った作品がヒットを飛ばしているのは、他のメディアでも顕著に見られる傾向ではあるが、美少女ゲーム業界では、更に明確な形で現れている。その責任が誰にあるかは、また改めて書くつもりだが……。
……しかし、それほどまでに「癒し」が必要なのか? 過剰な「癒し」を消費する世界は何なのだ? という疑問は、心に残ったままだ。
話がずれるけども……残念ながら、世界は方向性を失っている。向上心を生むべき壮大な目的は、社会のどこにも存在しないし、怠惰で澱んだ空気が世界を支配している。先日、「児童売春禁止法改正」という事件があって……まあ、それ自体は強行した側も反対した側も、本質とかけ離れたつまらない思惑で動いているのが見え見えで、滑稽な印象しか抱けなかったのだけど、そんな澱んだ世界だからこそ、そもそも少女ポルノが問題となった訳だ。
だいたい、少女ポルノに需要が無ければそもそもそんな話にはならないし、何で需要があるかといえば、少女の瑞々しい生命力を媒介として、一瞬でも澱んだ空気から解き放たれたい=癒されたいという潜在的意識があるからだろう。もっとも、それも安易な幻想ではあるんだけど。
だから、癒されたいという本質が研ぎ澄まされた結果として、ポルノメディアがエロから乖離していくという現象も起きる。元々、肉体性の希薄な二次元メディアである美少女ゲームでは、更に現象が極端になっていくのは当然なのかもしれない。
僕らが置かれている世界は、全体としての方向性を失った為に、社会と向き合う意志を持たなくても十分に生きて行けるし、自分の立脚点を相対化する必要に迫られることも無い……むしろ、それを持っている者、自覚的である者が排除されていくというパラドックスも生じている。
各々が「癒されたい」「楽になりたい」という快楽原則に忠実であるあまりに、自覚的な存在は、快楽原則を脅かす存在として、集団の中から自動的に排除されてしまう。そうやって完成された巨大な快楽原則=システムには、既に評価軸なんてものは存在しないし、結果として、罪の意識を漂白した、商品としての表層的な刺激だけが残ってしまった。
……だからこそ、優雅でも感傷的でもない、痛みを伴う物語が必要になっていると思うのだけど?
■総括。
本当は、それぞれのユーザーが、ゲーム(物語)に対して、どのような意志を感じるかが問題で、このコラムも、あくまで参考資料だと思って欲しいなあ……という訳で、なんだか賛否両論な『こみっくパーティ』だけど、次回、テストプレイが間に合えば取り上げてみようかなあ、と思います。
あと、批判するつもりは無いのだけど、なーんか、批判的な言い回しが多くなってしまう……というジレンマを抱えながらも、同時に、論評に耐えられるだけの水準が無い、つまらないゲームは最初から取り上げないのが、このコラムだったりもするので、ここは一つ、実際にプレイして、自分なりの感想を持って欲しいのだな。
最近、反転教育なんて言葉をよく聞く。今までは学校で講義を受け、家で演習などを行うというスタイルであったが、これを反転させて家で内容を予習してきて学校で演習なりグループワークなりをインタラクティブに行う、というものである。そして、この反転教育の方が身につくから効果的!だとかなんとか言っているのである。
いやはや、本当に21世紀なのだろうか。反転教育の方が効果的だなんて、当たり前じゃないか。
ちょっと勉強ができた人ならすぐに分かると思う。講義なんて聞く価値はほとんどなく、教科書を読めばだいたいのことは分かる。本当に必要なのは教科書を読んで分からなかったことを質問できる場であったり、議論できる場なのだ。特に高校までの科目なんて授業の価値はほとんどないだろう。そんなこと、何十年も前から賢い人なら分かっていたはずだ。なぜいまさら大仰に名前を付け騒ぐのか。なぜ今までそういう風にしてこなかったのか。なぜ今まだそうなっていないのか。
「publicてなに?staticってなに?voidってなに? mainはメインなんだろうけど []ってなに?argsってなに?なんでint main?str mainとかあかんの?たまに*印ついてるのなに?全部意味が分からんし解説もなしにおまじないって言って飛ばしてるケースも多いしなんか詳しく言ってるっぽいのもあるけどその分かる人だけが分かるような言い方やめて私のライフはもう0よ!なんで一言「やぁ!」っていうのにどれだけのことを理解せなあかんのよ!」
スクリプト言語だろうとその辺の物でてくるだろ。
C++とかだってpubclicだとstaticだの最初に出てこないし。最初からは[]もargsも必要ないし。voidもまあ要らんし。
つまりは色々細かいこと出来ないけどなんとなくインタラクティブに"「はろーわーるど」と出力"としたらはろーわーるど、って出したい、
ってだけだろ?
そしたらターミナル立ち上げてシェルでecho Hello World!とかやるのが一番手っ取り早いだろ。
それ以上やりたいなら中途半端なスクリプト言語やっても詰まった時にわからなくなるからC++とかやった方がよっぽどきちんと覚えやすい。
学校の授業がそうだったように、何かを学ぶにはテキストという文字情報と、それを説明する音声情報の二つ以上の感覚器官からインプットする方が効率が高いとされている。
そりゃ多角度から学習した方が覚えられる事は多いけど、それが効率が良いかどうかは疑問な所。
授業にはそれ以上に、やる箇所などをきっちりと説明してくれる、その時間を「授業時間」として強制し、
その学習に当てる事が出来る、と言うのが最大の利点であって、
テキストの上に音声としてインプットする、ものでは無いと思ってるけど。
それなら、ビデオでもテープでも、インプットとして教材があればそれは非常に有用だということ?
勿論、それが無用だとは言わないけど、はっきり言って効率悪すぎて使う人は居ないだろう。
授業の意味を考えた時、インプットとしてよりは、そう言った、時間的強制と、インタラクティブにできる事、また、自分だけで学習してたら見落としてしまう部分を網羅してくれること、
が大きな意味を持つと思うんだけど。
学校の授業ってのはそのばでインタラクティブにできる事が最大の利点だと思うんだけど。
まあ、塾とかで一方的にビデオ流しっぱなし、ってのもあるから一概には言えないかもしれないけど、
そういうのも、基本的には「その時間」を強制的に学習に宛てる、と言うのが一番大きいと思う。
例えば、塾の様子のビデオを、学生に配布して好きな時間に見ておいて、
皆で集まって決まった時間に決まった物を学ぶ、これが授業のもう一つの利点。
だから、ドットインストールみたいな動画で、好きなときに見れるよ、ってのは何が利点かよくわからない。
唯一の利点は、一度作るプロセスを確立してしまえば、作る側の負担は実はすごい低いんじゃないか、ってこと。
自分の得意な分野のを幾つか見てみたけど、やってる事自体はものすごい初歩的なことだけだし、
それこそ何も考えずに実行出来る程度の事が大半だから、ホントに3分なら3分で、一応撮る前に何をするか、ってのを考えとくだけで
すぐ撮れてしまうのでは?と。
ただ、ドットインストールに限って言えば、圧倒的にいろんな分野の情報があるから、単純なコンテンツ力として強いと思うけど。
それに加え、すべて動画!っていう大きな宣伝効果があったのも事実。
これが、すべてスライドベースでも充分流行ったと思う。でも作るのはそっちのが大変そう。
ま、単なるテキストベースだと、その宣伝方法が難しいし、それぞれのコンテンツでみてしまえば他のサイトで充分なものが多いのでちょっと厳しいかもしれない。
まず、高木浩光さんについて。俺は散々彼の批判を行なっているが、基本的には彼を尊敬している。というか俺がセキュリティ批評に本腰を入れ出したのは言うまでもなく彼の影響だし、実際イベントでも何度も会っておしゃべりしている。
しかし彼の行動があまりにも度を越していたので、後輩としてそれはちょっと違うよと言った次第だ。実際、あのブログ記事を書いたあとに飲みに行ってるので、特に仲が悪いとかいうわけではない。
そして、そういう事情を知らない奴らがネットでゴチャゴチャ言うのにうんざりしている。お前らはネットに全ての事実が書かれていると思ってるのだろうが、そんなわけはない。それぐらい分かれ。実際、面白いことはほとんどリアルで起こっている。
とにかく、ネットの外野連中のせいで俺と高木さんの仲がこじれてしまった。全く遺憾である。
お前らは高木さんがセキュリティの世界でいかに第一人者なのかを理解していない。彼に比べれば俺なんて金魚のフンだ。とにかく、俺が彼を尊敬しているということは声を大にして言っておく。
ところで、なぜ俺が最近セキュリティに傾倒しているかについて説明しよう。もともと俺はクリエイティブなことが好きだった。というか活動初期の頃はメディアアートまがいのことをやっていた。そして、徐々に作品でインタラクティブなことをやるんではなくて実用的ソフトウェアでインタラクティブなことをやることに目覚めていった。
しかし、そろそろそれも潮時かなと思ってきた。というのは、世の中的にプログラマーが増えすぎたというのがある。日本だけじゃなく世界中で、ギークに憧れる少年が増えている。そしてスマートフォンのアプリは指数関数的に増えていってる。もはや、飽和状態だ。今必要なのは、「創ること」ではなく「批評」だ。
コンピュータにおける批評行為というのは、セキュリティのことだ。映画なら映画評論、音楽なら音楽評論とあるが、コンピュータにおいてはセキュリティこそが批評なんだ。だからこそ俺はセキュリティの啓蒙に力を入れるようになった。そして、それを10年以上まえからやっている高木さんの先見の明には全く頭が下がる。俺の何歩も先を行っている。いつかあの足跡に辿り着きたい。
「韓国徴兵制における、除隊最終期のリーダー体験」を投稿した増田だが、
「除隊直前にリーダーを体験でき、リーダー・権力者の快感が心地よかった」
「このリーダー体験が、韓国を過度な競争社会にしているのでは?」との筆者コメントが載っていた。
だが、
「コンスタントに徴兵入営させているので、自動的に徴兵期間最終期には、自分より軍歴浅い下等兵が10名程度確保される」
この筆者は、韓国陸軍を経験後、九州大学などで日韓地方自治体研究をしている人なんだが、
実は韓国人にとっては「あまりにも常識」であったので、この辺の強調を「うっかり忘れてしまった」ようだ。
日本人的感覚だと「1年に1回、一斉に入隊させる」と思い込んでしまい、
実際はてブでも、「計算合わないじゃないか、増田よお」というツッコミ投稿を受けた。
なので、本来であれば、この本の筆者が
「韓国徴兵制のキモは、1年1回入隊じゃなく、コンスタント入隊制度によって、
常に下等兵を確保できるような仕組みになっている」と書くべき。
「年1回の方が普通、という感覚の日本読者向けの解説を、忘れてしまった」
というようである。
※別のページで、「大学の学期変わり目に、うまく入隊タイミングを合わせるための苦労」みたいな
エピソードは詳述されている。
日本の読者の中で、
「コンスタント入隊の方がキモなんじゃないか?」とたまたま自分が「発見」⇒増田投稿したため、
それが一躍のはてなーの目に留まって、はてブ数が凄いことになっている。
なので、こういう著書をインタラクティブにして、
「コンスタント入隊のカラクリこそ、本当はキモじゃないの?」という読者指摘を韓国著者にフィードバックするような
仕組みにしたら、もっと著書の内容が深まっていく・・
「いつも同じ本ばかり読むのは、偏った人間になってしまう」と一念発起して、
図書館で日頃読まないジャンルの本のコーナーに行って、たまたま手に取った本を読んでの感想が、
この調子で、自分が読み慣れないジャンルの本を手にとって、別の切り口からの感想を増田に投稿すれば、
また数百ブクマに達するのかな?