はてなキーワード: 頭脳明晰とは
お腹空いた感じがして美味しいものを食べる妄想夜ご飯あれ食べたいこれ食べたいって想像するんだけど、
食べていると寝る時間が減って無くなるので、
ってお腹が減りまくりまくりすてぃーって言えないぐらいお腹が空いているのよ。
なんか豆乳だと優しい感じがして
なんだか美味しいわねって。
またリピしよーって
遅く帰ると、
ご飯にするかお風呂にするか卓越した選択肢の中から一択しか選べない、
いや選ばないと言っても言いすぎの過言ではない感じなんだけど、
寝る時間優先でとなると、
そういう感じになっちゃうのよね。
お腹がぐーっと鳴るわ。
ここ最近続けているお昼なんか食べる気力が無い、
別に食欲がないというわけでもないし、
おうどん屋さんの素麺定食でも食べに行こうかなーって思うけど、
なかなかしょっこいしょーいちとは腰が上がらないのよね。
億劫だわー。
そんな時期なのかも知れないわね。
早く帰れるときは本当にゆっくり銭湯でも浸かってとかしないとヘトヘトだわ。
ふー、
もうひと頑張り一旦ここでシーエムを挟みたいところだけど
なんだか
お腹空いている方が頭脳明晰って感じのゾーンに入れるかと思ったけど、
なんか実際これバテ気味なのかしら?って思うほど
何もかもが超億劫よ。
まあとりあえず、
なんだかメロンの取り合いにはなってなかったけど、
あー、
でも沖縄時代に賢秀にーにと豚足の取り合いで争った形跡があるので
やっぱりこれは
って私はそう分析するわ。
すっかりもうイタリアンレストランオーナーが丸くなっちゃってるじゃない。
暢子がリーダーを任されて上手くお店が回らなくても怒られなかったことにも
嵐の前の静けさを感じ得ずにはいられないわ。
あのオーナーが優しいと逆に恐怖よね。
まあそんなわけで、
バテたらだめよね。
バッテラは美味しいけど。
うふふ。
あいにく中のあいにくで品切れだったのが心残りの笹舟にのせて流したいところね。
もうすぐ七夕だしさ。
あのチマキみたいに笹の香りが良いにおいのする
笹の葉ウォーラーが出来るのかしら?
味は想像つかないけど、
何つってそんなことを思いながら水出し緑茶ウォーラーをキメたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
脱出編から読んだから結末も知ってるんだけど、それで結末だけ聞いて「これ超つまんなそうだな」と思ってた。
ポーカーっていうゲームのクソゲーでしかない部分を暴き出して、結局このクソゲーの中で如何に戦略っぽいことやるかがテーブルゲームなんだって話になってる。
たとえば麻雀なんて究極運ゲーのゴミだけど、さも見事な打ち筋、完璧な思考、頭脳明晰、全知全能とばかりに漫画では描かれる。
よくよく考えると実際には単なる運ゲーでしかないし、その運ゲーの中でそれほど多くもない選択肢の中から半ば運任せで勝負してるだけ。
でもそこにブラフやハッタリが加わることで辛うじてただのくじ引き勝負やジャンケンにならずに済んでる。
でも普通のポーカーだって麻雀だって、今回のゲームでは降りるしかないなって手番がしょっちゅう回ってくるし、逆にひたすら押してりゃいいだけの手札も来る運ゲー。
ようはブラフの部分以外は頭良さげに見せるだけの贅肉でしかないんだよね。
贅肉っていうかデコレーション?
たんぽぽ山盛りの刺し身っていうか、サンタのフィギア差し過ぎのクリスマスケーキっていうか。
そこから本体だけ取り出したら、確かにワンポーカーみたいになるわな。
これには既にインディアンポーカーっていう別ルートでの正解もあるんだけど、あっちはもう剥き出しだよな。
ケーキのスポンジもイチゴも邪魔だって生クリームだけにしたようなもの。
せめてスポンジは残そうってスポンジの上にクリーム絞ったのがワンポーカー。
うーむ、なかなか考えてるわ。
才能どんどん枯れていってる中でこんなの出せたら、そりゃもうギャンブルは一度置いといて別の話したくもなるんじゃね?
同時に、このような男性を容赦なく振り、傷つける女性を心から軽蔑します。
私は、20代前半の学生ですが、現役ではないため、周囲の全員が年下〜同世代...、年上好きの私にとって、胸がときめく出会いがありません。
私の最も好みのタイプ(現実で付き合える相手かどうかは別とします)は、「中肉中背〜ややぽちゃ、堅実、無口で暗い、控えめな性格で容姿も飾らない、目が大きすぎたりと中性的な容貌ではない、純日本人」といったものです。云わば平々凡々な男性で、且つ内気で暗い感じの男性が好みなのですが、案外そのような男性は私の周囲にはいらっしゃいません。
そのドストライクゾーンの対極にある男性は、陽気な体育会系、ジャニーズ系、韓流系などですが、現実の私は、殆どそのような男性からしかモテません...。暗い男性が好みだと言ったら、逆に全く興味のない年下男性からメンヘラアピールをされ、依存やLINE連投をされ気持ち悪いと感じ逃げたことがあります。暗い男性が好きと言っても、会話が苦手だったり、多くの人との交流をすることを好まない方が好きなのであって、そのような方は芯が強く女性に依存しないので、メンヘラっぽさはありません。そこは誤解しないでいただきたいものですね。
そんな中、なかなか胸がときめく好みの男性と出会う機会に乏しいため、インターネットで好みの男性を探していたところ、非アダルト掲示板で、30代後半地底卒年収500万で純日本人の会社員男性が目に留まりました。何となく好みの男性である可能性が高いかなと感じたため、お声がけしました。お互い写真を登録していないことが不安でしたが、「顔みて嫌なら帰ってください、僕もあなたを見て苦手なタイプなら堂々と帰るつもりですから。」との男らしい毅然としたお言葉に胸がキュンとときめきお会いしたら、期待に応えてくれるような素晴らしいお方でした。
まず、会ってから聞いたのですが、私が上述した最も好みのタイプの条件を、漏れることなく全て満たされていて、なんて素晴らしい男性なんだと驚愕しました。
顔はイケメンではないけど、ブスメンフツメン好きな私にとってはちょうど良かった。無口だけど、いろいろお話して相手のことをもっと知りたいと思うような大変魅力的な男性でした。
まずは駅前で待ち合わせ。久々の出勤でお仕事帰りだそうでスーツ姿で待ってくださり、最初は緊張からか表情や会話力のない方という印象でした(逆にそこに萌えますが)が、こちらが和やかな雰囲気を作り、ご趣味やお仕事などいろいろいろいろ質問してみたら、趣味の小説やアニメに関してお話してくれました。
また、経済に関心がある方で、自身が行っている投資信託のお話をしてくださいました。「私も投資信託はぼちぼちやってますよ」と話したら、おすすめの銘柄を教えてくれたのですが、勧める理由が合理的で、頭脳明晰なことが容易に窺えました。最近趣味で経済学の論文を読み漁っている私からしても、頭の回転が早く聡明で、知見のある方という印象でした。また、「趣味や投資の話なんて会社の同僚には話しづらいから、話聞いてくれて嬉しい」と言われ、胸が高鳴りました。
お仕事の内容までは当然伺いませんでしたが、「今はコロナのおかげでないけれど、それ以前は飲み会が面倒で...上司に趣味の何とかのことを聞き出され...」など他愛もない愚痴を話してくださり、聞いていてとても楽しかったです。多分、奥手で話が苦手なだけだけど、ほんの少しでも心を開いてくださると、どんどん会話が楽しくなる男性なのだと思いました。控えめな性格だからこそ、奥ゆかしく、噛めば噛むほど味が出る男性であると思います。
内気で会話嫌いな男性が少し心を開いて自分の事を話してくれるのは、本当に嬉しい。
堅実に貯金もしていらして計画的な方ですので、婚活でもしないのですかと訪ねたところ、「実家の両親に結婚しろと言われていて、俺は結婚願望あまりないけど、全くしたくないわけではないから一応婚活サイトに登録してる。」だそうでした。しかし、女性からオファーをいただいても、お見合いした女性全員と交際に到っていないそうです。もちろん彼のモチベーションが低いこともあるでしょうが、そこそこの年会費を払い登録した入会先で、このような素敵な男性が、「女性に選ばれる立場」なのはなんだか少しもどかしいな...と無関係ながら思った所存であります。
本人の婚活モチベーショは別として、婚活サイトのスタッフは、このような素敵な男性の魅力を引き出してくれたりしないんでしょうか?私が仲人なら、優良物件として様々な女性におすすめして回ります。
好みの男性が、女性からオファーをもらい、話に行き、断られるというのを考えると辛いですね。
彼は芯が強いから何とか一人で生きていくのかな...。
婚活女性の損得勘定で彼のような素敵な男性が断られてしまうだなんて、私は久しぶりに胸が張り裂けそうで、その男性が夢にまで出てきて早朝起きてしまい、寝不足になりました。
婚活女性があまりにもバカなことはこの件でわかりましたので、仕方ないかもしれません。
しかし私のメンタルが、二次受傷しそうなので、何かこの男性を救ってあげる方法はないでしょうか?本当に胸糞悪くて胸が張り裂けそうです。このような感情に陥ったのは滅多になく久しぶりです。
言葉で言い表せないほどに本当に素敵な男性で、仮に私が高級婚活クラブの女性会員でこのような男性を紹介されたら、「こんなに素敵な人材がいるんだ」と納得するほどです。
本当に、婚活女性ってアラフォーになるまでまともな恋愛もしたことない、しかし理想だけはバカ高い負け組女性ばかりなんですねw
こんなに素敵な男性が女性から選ばれ捨てられるなんて、日本の恥だと義憤に駆られました。
アラフォー婚活女なんて理想高いだけの馬鹿です。所詮羊水腐ってるだけのババアなので気にしないで強く生きて欲しいです。どうか彼が素敵な女性と出会えますように...。
なんかネカマと言われてますが、違います。本当にドンピシャな方でした。大学の友人にも言えるはずなく、匿名の場以外に発散する場もなく胸が苦しいんです...。こんなに素敵な方を振る女性に対して何故か怒りが湧いて仕方ないです。私に彼氏がいるのが付き合えない理由です。もう少し早く出会えたらなと思っています。彼氏がいる事実は隠していますが、どうにかしてもっと会いたいし彼のことを知りたいです。ですがお相手は殻が硬い。どうしたら良いんでしょうか?共通の話題もないので相手の話を聞くだけしかできません。私の祖父が大学教授で、偶然その方の母校で教えていたこともありますが、学部が異なり話題提供に失敗しました。私も恋愛下手な女です。
いつも自分に何かが足りないような気がしている。
高校入試のときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。
大学に入ってからも、トップの学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。
その一方で、努力をしてこなかった。
頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。
高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。
図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。
計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。
実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。
何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。
学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。
もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。
医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。
ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。
成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。
とはいえ、成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。
自分は社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまり恵まれた職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。
だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。
自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。
仕事を見つけるにしても、自分が就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかないからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験はお断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。
フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。
それなのにいつも夢を見てしまう。
実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライフクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスだからこれは違うのか。
それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまったことだ。
いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。
自分の人生はこんなもんだと、得られたものに感謝して生きることができない。
あれはこんな感じなんだろうか。
あの話がミッドライフクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。
研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事に必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。
なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。
頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分。
そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。
後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。
どうすりゃいいんだ。
こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかないか。
もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。
なんなんだ自分。
本当に馬鹿だな。
こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのときは一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。
どうして自分のことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。
これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨な自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想と自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分の価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。
人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。
どうだろうな。
何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。
だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。
今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場で幸せに働けるって思っていたいんだ。
適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。
どこかに自分の理想の職場があって、理想の仕事がある。自分の天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。
仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそう理想の仕事なんてないんだから、仕事は仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。
でも、なんで自分の人生の時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分で自分を不幸にしている。
頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。
いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。
この映画は2016年……つまり5年前に放映されて爆発的ヒットを記録した。もちろん、当時の私も観に行った。
面白かった。
昔観ていたゴジラの記憶がチラついたが、「災害(ゴジラ) vs 日本人」というわかりやすい構図は、東日本大地震を乗り越えた日本人にとって心に響くことも多かっただろう。
だが、面白くなかった。
映像や内容自体は何も変わらない。変わったことはただ一つ……いまがコロナ禍だということだ。
コロナウイルスの流行によって世界が一変したことは当然のことながら、皆さんもご存知であろう。
その「コロナ世界」の私にとっては、シンゴジラは全く面白くなかったのである。
劇中では、少し頭が固いけど責任は取れる政治家たちと、有能で頭脳明晰な官僚たちが頑張りまくってゴジラを退治する。
そしてゴジラによって破壊された街を前にして「日本人は何度だって復興してきたんだ」的なことを言って終わる。
保身と欲望に塗れた後手後手の対応、全く追いつかない旧式のシステム、税金に群がるシロアリたち、不透明な意思決定プロセス、「雰囲気」で全てを決める無能な政治、硬直的で汚職に塗れた無能な官僚たち。
これが私たちが実際に目の当たりにした「災害に対応する日本人」の姿である。
この現実を見てしまえば、劇中で一致団結して災害(ゴジラ)に立ち向かう姿が滑稽に見えてしまう。
いちいちシーンごとに「いや、この官僚は左遷させられるんだろうな」「いやこの作戦は中抜きされてうまくいかないんだろうな」とか思ってしまう。
やぱ「4年制大学の話題に反応するのは在学生か卒業生」な可能性が高いのかな。自分は知識が無いので、わからないので反応しようがないんだ・・・。なんか、なんだろう違う国の言葉に感じる。
「講義」「教授」「単位」「D進」など、よくわからん専門用語がいっぱいあってよくわからない・・。
まず勉強の進み方がわからない。高校までとはなんか違うんだよね。あと夏休みが2カ月あるらしい。
いうて日本の全人口でいったら半分以下でしょ、4年大学経験者って。知らない人のほうが多いやんマウント論法は可能。
あと高学歴ワープアを見ると、僕の最終学歴は職業訓練校ですが何か?(年収nnn円)っていう低見の見物マウントを取ることができる。正確には「低みの見物風高みの見物」かも知れないが。
あと、ちょくちょく話題になるけど大学に行くと階級の再生産、ひいてはエリート遺伝子の高純度化をまざまざと見せつけられてしまって下剋上系の遺伝子から見て絶望するらしい。
いや誇張表現に聞こえるかも知れないんですが現実なんですよね、エリートの子はエリート、頭脳明晰容姿端麗同士で結婚するので、いい遺伝子を受けついだサラブレットが、エリート大学へ行く。