はてなキーワード: 頭が悪いとは
幸せだったら面倒にはならないと思います。増田が増田をやるのは楽しいからで、面倒だったらやらんでしょ
親から無条件でありのままを肯定してもらえなかった、親から条件付きの愛情しか与えられられなかった、
条件付きの愛情どころかそもそも親が微塵も子どもを愛していなかったなんですよ
親からフツーに愛されていれば、『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
たとえ頭が悪いが障害のニュアンス(知的障害等)も含むものだったとしても、
『作業所ではなくフツーに正規雇用で働いて暮らしてる。なんなら障害に無自覚なこともある』
一方で、親から無条件でありのままを肯定してもらえなかった、親から条件付きの愛情しか与えられられなかった、
超高学歴・ギフテッドなのに、ニートになったり、ホストやホステスやりだしたり、フリーの立ちんぼ始めたりするし、輩(ヤカラ)を気取り始めたりする
親ガチャをハズしてると、超高学歴・ギフテッドではない、美女・イケメンでも性の安売りを始めます
具体的にはコンカフェや水商売やエロ撮影&販売やアプリで立ちんぼ始めます
DV野郎となぜか付き合ったり、まさかのお手当や仕事の口利き無しで不毛な不倫・セフレもします
性の安売りしてない人は何をしてるのかというとフツーに会社員として働いてます
見目が良い人に対しては甘い人がやたら多いので、あからさまに能力が足りなくても面接まで辿り着ければまず落ちませんし、
血迷って技術畑に来るとひたすらに迷惑な人だけど、営業畑であれば若い間はある一定の成績は確実に出せます
自分を養ってくれる理解ある彼女ちゃん彼くんだって職場や取引先で見つかるかも知れません
わざわざ自尊心すり減らして性を安く売る必要性は微塵もないわけです
もちろん状況や場面で答えは変わってくるとは思うんだけど
自分がやれること・やるべきことに気づいているけどめんどくさくて気づかないふりしてるクズ
どっちも消えてほしいなぁ
ゆうて、『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
たとえ頭が悪いが障害のニュアンス(知的障害等)も含むものだったとしても、
『作業所ではなくフツーに正規雇用で働いて暮らしてる。なんなら障害に無自覚なこともある』って言っても、増田は納得せんじゃん?
根本的な原因は、増田が親から無条件でありのままを肯定してもらえなかった、親から条件付きの愛情しか与えられられなかったことだと思うけど、
そもそも自我や自由意志なんてものは科学的根拠がないもの*1だから、自分で自己肯定しちゃっていいって言っても、それも出来ないっていうじゃん?
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
無職製造機と言われる過干渉ヒスママは学歴厨製造機でもあったという話を、去年の年収が400万超えた私が実体験を元に説明しようと思う。
去年の年収が400万を超えたを何故わざわざ書いたか、それは私が弱者だからだ。
毒親育ちと言う弱者的な要素を抱えると、他人から説教されたりマウントされたりする機会が増える。
だから、「過干渉ヒスママは無職製造機」という言葉に反応して「お前が無職なのは自己責任だろ。言い訳すんなゴミが」と言う言葉が返ってくるのを想定してしまう。
攻撃されることが前提にあるから「25歳の時に年収400万稼ぐ程度には社会に適合してたので説教しないでください。そう言う話をしたいわけではありません。」
ただ、人生を順当に生きてきた人には攻撃されたり説教されることが前提にないため、
「なんでわざわざ年収書くの?自慢したいの?そんな中途半端な金額で??うざ!」という反応になってしまう。
ーーここから本題ーー
私の父親は中小企業の役員で激務だった。対して母親は専業主婦だった。
自分の母親を見る限り、承認欲求が強く他人へ関心がある女性は専業主婦に向かない。
専業主婦のような立場になっても問題が起こらないのは他人への関心が薄く適度に面倒くさがりな人間だ。
「人から褒められたい、頼られたい」という願望を持った人間が専業主婦になると問題が起こる。
この手の女性は子供が赤ちゃんで夜泣きしているうちは(大変だけど)問題が起こらない。
子供に物心がつくと家族との関係よりも学校での友人関係を重視し始める。
すると母親の視点では最悪なことが起きる。誰も母親を必要としないのだ。
父親は仕事で忙しくて滅多に家に居ない。子供は学校での人間関係で満足してるから親からの愛情はそこまで求めていない。
「父親なら働くこと。母親なら家事をすること。そして、子供が悪いことをした時に適切な熱量で叱ること。」
これぐらいのものだと思う。情緒面のつながりとか一緒にいて楽しいとかは家の外で作る友達に求めていることで、親には求めていない。
子供は父親が働き、母親が家事をする様子を見て「そう言う役割分担で結婚したんだな」と解釈するので、
「お母さん、家事をしてくれてありがとう」とはならない。「そう言う役割なんでしょ。」と思ってしまう。
父親はずっと仕事しているので専業主婦のメンタルケアなどする暇がない。
「当たり前のことでお礼を言い合うのは格好悪いだろ」ハンターハンターのキルアが言ったセリフだが、現実の人間でも当たり前のことに感謝している人はいない。
すると母親の視点では「情緒面でも役割面でも誰からも必要とされていない」状況になる。
これが承認欲求の強い女性が専業主婦に向かない理由で、誰からも必要とされていない状況が続いた母親は狂い始める。
そしてトチ狂った母親は「子供から必要とされること」で自分の存在意義を見つけようとする。
当時の私には何で喧嘩しているのか分からなかった。兄に対して「短気でみっともない」ぐらいに思っていた。
この日を境に長男が母親に干渉されることがなくなり、代わりに私が干渉されるようになった。
子供から必要とされたいと思った母親は、子供のランドセルを勝手に触って勝手に時間割したりとか
小学生の私「子供が自分でやるべきことをお母さんがやったら、子供が何も出来なくなるでしょ。やめて」
母親「何?お母さんが悪いんか?何でもお母さんのせいなんか?」
私「責任の押し付けをしてるわけじゃなくて、お母さんがやっていることは悪影響があるからやめて」
長男がガラスを破る前は寝る前に自分で時間割をしていたのに、ある日急に母親が私のランドセルを勝手に触るようになった。
今まで自分で時間割してたのになと思ったが、自分で時間割をできない人間として扱われると自信が無くなってくる。
小学生なりに頑張って筋道立てて「子供の成長を願うならば子供が自分ですべきことを親がするべきではない」と説明したのを覚えている。
私「え、子供の成長なんかどうでもいいから自分の評価が欲しいってこと?」
母親「違う」
私「何が違うの?説明して。」
母親「違う!!」
私「違うなら説明して」
母親「ええか、あんたは小学生だから分からんかもしれんが、大人になれば親の言ってることが分かるようになるんや」
私「子供が時間割を忘れるなら自分で時間割をできるような人間にするのが本質的な解決なのに、大人になると問題を水面下に押しやって解決したことにするってこと?」
母親「違う!!!ああいえばこういう!!上司に向かっても言い返すつもり!そんなんじゃ社会で通用しないよ!!」
母親「感謝して!!!時間割してやってんだから感謝しなさい!!!」
家を出る時間、朝起きる時間、宿題をするタイミング、家を出る時の服装、予定の管理....etc
ありとあらゆることを母親が干渉してきた。専業主婦で働いていないだけ体力が残っていて、その力で全力で私の自立を阻害しようとしてきた。
呼吸の仕方にまで干渉されるんじゃ無いかと思うレベルで干渉された。
干渉を止めようとして筋道立てて説得しようとしたり、怒鳴って拒絶しようとしたり、罵倒したり色々と試したが母親と言葉が通じることがなかった。
「そんなに不満なら言えばいいじゃん」と言われた。
健全に社会生活を送れている人の大半は言葉が通じない人への解像度が低いせいでこういうことを平気でいう。
当時の私は「母親が高卒だから話が通じない」のだと考えだした。
本音をいうと母親がヒステリックなのは学歴の問題であって欲しかった。努力で解決する問題であって欲しかった。
良い大学に言って、言葉が通じる情緒の安定した女性を捕まえて幸せな家庭を築きたいと思っていた。
「過干渉ヒスママのもとに生まれたら学歴厨になった」というタイトルで多くの人が誤解してそうだが、母親から勉強しろと言われたことは一度もない。
まず入塾テストがあり、最低限のラインをこえている人間だけを生徒として迎え入れる。
そして、生徒の成績を伸ばすために成績の悪い生徒を公開処刑に処すことで生徒の成績を伸ばしている。
私は下級クラスも上級クラスも両方経験しているから分かるが、授業内容は上級と下級で全く変わらない。ただ、生徒の競争心を煽るためだけにクラスが分離している。
そして、クラス内でも成績で席順が決まる。成績の悪い人が前の席に配置され、成績が悪いという事実を席に座るだけで後ろから見られる仕組みになっている。
私は自己評価が低かったから、下級クラスの前の席に配置されても問題なかったし勉強すれば良いだけだと思ったが、プライドの高い人が下級クラスの前の席に配置されると捻くれ始める。
塾に入ったくせに「なんで勉強しなきゃいけないんだよ。高学歴でも無能な奴はいるって聞くぞ。」みたいなことを言い始める。
今から思えば、多感な時期の中学生を成績順で配置して公開処刑すると捻くれ始めるのは普通のことかもしれない。
ただ、当時の私はそう考えなかった。
「成績の悪いバカは性格が悪く、無駄にプライドが高いから文句を言い始める」というのが当時の解釈だった。
だから、必死に勉強して上級クラスに行こうとしたが、下級クラスから抜け出せなかった。
ある日、自分が勉強しても成績が伸びない理由に気づいた。無駄なことをしていたからだ。
勉強は良いことだと思ってたせいで、作業量の多いやり方で勉強していた。
無駄なことを増やしたせいで効果のある勉強に時間を避けず成績が悪くなっていた。
だから、作業と勉強を区別するようにして、どうやれば成績が伸びるか必死に考えて、勉強方法に改善に改善を重ねた。
その結果として、上級クラスに移動することに成功し、なんとか上級クラスの平均より上の成績になった。
ただ、勉強したことで自分がかなり深刻な問題を抱えているという事実に直面した。
問題点1)勉強を質の高い労働者になるための訓練と考えたとき「勉強のやり方を改善した」は「仕事のやり方を改善した」に該当する可能性がある
問題点2)仕事のやり方を改善できるのは職場で信頼されている人間である
問題点4)母親の過干渉が悪化し、私が自分でやるべき基本的なことは全て母親がやっている。怒鳴ってもブチギレてもやめてくれない。
問題点5)母親は頭が悪いが有能な秘書なのかと思うぐらい子供の予定を把握している。
問題点6)問題点5から察するに勉強しても頭が良くなっても「基本的なことを当たり前にこなす能力」は身につかない
以上の問題点から母親の干渉を全力で止めようとしたが、止まらなかった。むしろ悪化した。
私の母親は頭が悪く支離滅裂なのにしっかりと子供の予定を把握し、干渉してくる。
頭の悪いしっかり者という母親の存在が、逆説的に高学歴社会不適合者の存在を暗示している。
そして自分でやるべきことを自分でやってない私は高学歴社会不適合者になりつつあるんだろうなという恐怖があった。
勉強して色々と分かるようになった分、恐怖が強くなっただけだった。
「勉強ができても、頭が良くても、頭の良さが求めらる立場まで出世できる人間じゃないと意味がない。」
という可能性が頭をよぎったが、どうやって勉強するかが唯一私に許された意思決定だったから学歴に固執するようになった。
塾の教育方針が変わったてから、今まで自由放任で勉強できていたのに急に干渉されるようになった。
塾の先生がいう勉強方法は会社でいうと現場にいない上司がいう仕事のやり方みたいなもので、的確なものには思えなかった。
自分にとって唯一許された意思決定だった勉強を先生に干渉されるのもが嫌だった。
上級クラスの平均より上の成績だったといえ、地元で一番レベルの高い高校を目指していたせいで先生のご機嫌をとるために
わざわざ先生の指導のもと非効率な勉強をする余裕などなかった。
塾の先生もなかなか頭がおかしい人で「そんなに自分の意思で勉強したいなら、
私の意思はあなたの意思だと思え」とか「じゃああなたはあなたの勉強方法で100点取れるの?」とか言われた。
塾を辞めたいと言ったが親に反対された。必死に辞めたい理由を説明したが日本語が通用しなかった。
先生に親の許可はおりなかたが塾を辞めたいという話をすると「子供は大人が稼いだ金で生活してるから反抗する権利はない」とか言われた。
大学に行けばまともな人間と一緒になれるという原動力に近い幻想が塾の先生という頭のおかしな人と遭遇したことで壊れた。
どこに言ってもヤバい人にヤバいことされる人生が続くと考えた瞬間、精神を病んでしまった。
精神を病んだ瞬間、上級クラスから下級クラスに戻り受験は無事失敗した。
心を病んでから母親に干渉されることが無くなったので、母親は子供が成長して自立するのが怖かったから干渉していたんじゃないかと思う。
ただ、メンタルは治らなかった。
高校時代はずっと中学の嫌な思い出を思い出して、まるで現在進行形で嫌なことが起こってるかのように感じて苦しんでいた。
ずっと苦しい感情を抱えたまま苦しんでいた私には友達ができなかった。
お金が欲しかったわけではなく、友達のいないメンヘラで、基本的なことを親がやってきた人間が社会に適合できわけがないと思っていたから自己改善のためにバイトを始めた。
バイトを始めると高校受験の時に頭のおかしな大人に囲まれたいた弊害が出てきた。
例えば飲食店で料理を作った後手が空いた場合「手が空いたから皿を洗おうかな?」と考えて皿を洗うのが普通だろう。
ただ、私はこうならなかった。
「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」という状態になった。
自分の時間割を自分でやろうとしたり、自分が下級クラスから上級クラスに上がった勉強方法を続けようとしたりすると母親や塾の先生に怒られることになっていた私は
「自分が正しいと思っていることをすると怒られる」という意味不明な経験を積んでいた。
だから「何が正しいか」の感覚と「どうするべきか」の感覚が全く別のものになっていた。
その結果「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」みたいな支離滅裂な思考回路になっていた。
大人の人=自分に対して理不尽に怒鳴ってくるモンスターみたいな認識だったから、職場のコミュニケーションにも支障が出た。
そんなんだったから、バイトを何個か首になった。低学歴のしっかり者だった母親の対義語として高学歴社会不適合者になってしまった。
自分の中の壊れてしまった感覚と向き合って、何とか自己改善してバイトが務まる程度の社会性を身につけたと思ったら大学時代が終わった。
やんちゃしてたとか、身体張ったお笑いをやってたとか、そういうやつじゃなくて、文字通りの意味の頭が悪いね。単純なスペック・パフォーマンスの話
ワイは子どもの頃、夕飯とアニメとマンガとゲーム以外のことを考えてた記憶がほぼないのだが、小学校1年の終わりから2年の頃だけ別のことも考えていた
それは生死についてだ。小2のワイくん、たまたまラッキーだから生きていることに気づいてしまったのだ!!!!
ワイくんは、死ぬのがこわくて仕方なくて、飛行機の音(落ちてこないか)、車の音(突っ込んでこないか)、階段・エレベーター(落ちないか)などに
死に怯えるワイくんに対して親がうんこな対応をしたことは、今でも根に持っているのだが (ワイは感謝は忘れても恨みつらみは覚えているタイプのうんこ)、
なんか小3になったら、自然と夕飯とアニメとマンガとゲーム以外のこと気にならなくなったんだよな・・・・・アレはいったいなんだったんだろうな?🤔
でも小2の頃から中年になっても変わらないことがあって、いまもお化け👻が怖いんだよな
小2の頃、ラッキーでたまたま生きているけど、良いことするとラッキーが強化されて、死なない(死ににくくなる)っていう謎ルールを作ってた
逆に悪いことをすると『ねないこだれだ?』みたいにお化け👻が悪い子を罰しに来る、
あるいは死後大変な目にあうみたいな謎マイルール(たぶん鬼太郎かなんかみた時に作ったルールだと思う)を作ってた
なお、ラッキーを強化するために善行に勤しんでたとか、実際にお化け👻みたことあるとか、そういう盛れるエピソードは特にないのだが、
存在を実証できるなら億万長者のチャンスとか、地球が出来てから死んだものの数がどうこうとか、そういう考えには微塵もならんよね
いや清く正しく生きなさいよ・・・・って言われたら『それはそう』なんだけど、うーーーん、お化けは怖い😱
まぁそんな感じでとびきり頭悪かった(今も悪い)ので、賢い小学生見ると驚愕するよね。『は?マジかよ・・・』みたいな
たった6~7歳の子が自分の感情の制御ができて、しかも周囲に気を遣って、さらには思いやりまで示せるとか、
生まれつきの頭のスペック・パフォーマンスの差以外の理由が思い浮かばない
もちろん親御さんの教育も良いのだろうけど、たぶんこれ教育だけでどうにもならんやつだと思うのよな
『おっ、そうだろうそうだろう、こんなもんだよな?ガキはよ』みたいな
(なお、その子が夕飯とアニメとマンガとゲームのことしか考えていないとは限らない)
とりあえず、『とびきり頭の悪いガキだった。なお今も頭悪い模様』というのは忘れないでおきたい
生まれてから高校までアメリカで過ごし、それ以降は日本で住み就職もしている。今20代前半。
最近X(Twitter)でこんな動画が賛否両論を生んでいた。
https://x.com/sgwhn8727/status/1627815915457839104?s=20
「子どもたちの自己肯定感を上げるため、わたしのクラスでは毎朝affirmationを言います。I am loved, I am brave, I am smart, I am kind, I am a problem solverと言い合って、ポジティブな気持ちで1日過ごせるようにします。これを毎日繰り返すことでポジティブな自分になることが狙いです。」
これを見て、自分が今まで生きてきて感じたことを色々と思い出したので少し書く。
便宜上、「アメリカ」「日本」と大きな主語を使うが、もちろん家庭や土地によって差はあると思う。
アメリカでは↑の動画のように、「あなたは素晴らしい存在である」と言われ育つことが多い。
「あなたは賢い」「あなたは強い」「あなたは愛されるべき存在」と。
日本では謙遜という概念や「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように、素晴らしい能力を持った人でも偉ぶらず控えめであることが求められることが多い。
そんな日本の文化を窮屈に思い、アメリカの文化を羨ましく思う人も多いだろう。
しかし、アメリカの「自己肯定感アゲアゲ」文化には致命的な欠点が存在する。
身も蓋もないことを書いてしまうが、いくら本人が「自分は素晴らしい存在だ」と思っていても、現実は違うことの方が多い。
「アメリカは個性を尊重する」とか言ってる人もいるが、誰だってバカより賢い人の方が好きだし、ブスより綺麗な人の方が好きなのだ。それはどこの国も変わらない。
そもそも、「誰もが素晴らしい」が声高に主張される社会=そう言わなければいけない社会、ということである。
社会に出たら嫌でも自分のランクを思い知らされる。自分の上位互換がいくらでも転がっている。
自己肯定感のメッキが剥がれる瞬間が辛いなら、最初から身の丈にあった感覚を持ち生きたほうがマシではないか。
特に今、日本中国韓国の若者と同じように、多くのアメリカの若者には金も希望もない。
インフレや格差にあえぎ、親と同等の暮らしをすることをあきらめている人がほとんどだ。戦争や気候変動など世界的な問題も山積みだ。
こんな中で「自分は素晴らしい」「人生は素晴らしい」と言われても困るのである。もはや呪いでしかない。
「自分は素晴らしい」という言葉は呪いだ。なぜなら、むしろ自分のクソさに気づいたとき、そのクソさがものすごく大きく見える。
その人は「ブスの戦い方」を指南していた。美人はどうやたって生きていけるが、ブスは工夫しなければいけない。しかし、努力すればむしろブスは美人よりも大きな成果を上げることができると。
その話は「ルッキズムを植え付けるな」なんて批判されていたが、自分は感動した。
自分が美男美女ではないから生きづらいと言っている人に対して、「あなたは美しいよ。素晴らしい存在だよ。」と言うのは正しいのだろうか。
非美男美女としての生き方を提案するのが本当の優しさなのではないだろうか。
もちろん美醜だけでなく、頭が悪い、身体が弱い、など、それを素晴らしいよ・あなたの個性だよで終わらせるのではなく、弱者としての戦い方を徹底的に教え込むべきなのではないか。
そもそも、アメリカの自己肯定感は間違っている。「自分は素晴らしい」と思わせるのは自己肯定感をはぐくむことではなく
どんなスポンジケーキかということを考慮せずに、クリームをゴテゴテ塗ってごまかしているようにしか思えない。
「あなたは素晴らしい」と言われ育ったが、そうではないことに気づいてから人生計画を立て直すのに時間がかかった人はたくさんいると思う。
自分ももう大人になったし今は幸せなので、今まで受けた教育にだらだらと文句をつける気はないが、最初から人生がクソゲーだと教えられていたらもっと楽に生きられたと思う。
自己肯定感とは、どんなに自分や自分の人生がクソでもなんとか生きていける能力だと思う。
でも昨日食べたラーメンはおいしかった。信号ですれちがった犬がかわいかった。昨日より1mmは仕事ができるようになった。だからよかった。
日本の「自虐文化」は批判対象になることが多いが、実際無意識に救われてる人も多いのではないかと思う。
あと、これは書くか迷ったんだけど、アメリカの自己肯定感アゲアゲ文化は奴隷を育てるためではないかと思ったことがある。
日本の詰め込み個性ガン無視教育は批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。
しかし、アメリカは頭のいい子への教育は天才的であると感じるけど、バカへの教育はあまりよくない。最低限の基準に達していないバカに「君は素晴らしい」「我々は強い」と言って、一部の天才の奴隷にしようとしているのではないかと思った事すらある。これは陰謀論とかではなく本当に。まあ奴隷育成に失敗して中身スカスカなのに態度がでかい人間を量産してるけど。
https://anond.hatelabo.jp/20231130130855
こういう記事読んでも
増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう
↑
もし、このように明らかに6秒以上時間が経ってもまだ「怒り」を出力しているようでは、アンガーマネジメントには失敗してるのである。
何が失敗しているのか、ちょうどこの前読んだ本、佐藤恵子『職場でできるアンガーマネジメント:パワハラ、メンタル不調、離職を防ぐ!』を参照しながら見ていこう。なお、この方法がどの程度アンガーマネジメントとして一般的かは流派によるかもしれない。あくまで一例として捉えてくれ。
認知行動療法をベースにしたアンガーマネジメントにおいては、ある人の抱える問題を「外部環境(相手)」と、「個人の反応」としての「認知」「感情」「身体」「行動」との計5つに細分化し、その中から「認知」と「行動」を変えることによって怒りをコントロールするものである。
6秒ルールとは、あくまで「行動によるコントロール」のひとつで、わかりやすいから広まってるがコントロールの手法はたくさんある。10秒深呼吸する、怒りの表出に時間をおく、考えるのをやめる、力を抜く、怒りの気持ちを口に出したり書いたりする……など。方法の例はもっと沢山あるから各人いろいろ探してみることをおすすめする。
ここで「コントロール」と表現したのには意味がある。まず、「怒り」という感情は必ずしも否定されるものではない。怒りは人間として自然な感情であり、コミュニケーションの機能を果たし、うまく活用すればモチベーションに転化できる。怒りを原動力に行動する、など。怒りを完全否定することは得策ではない。
……と、ここまで読んで勘のいい方は既に気づいてると思うが、ここでの説明は既に「怒り」に対する「認知」を変えようとしているのである。元増田にある「怒りの裏側にある感情を見つけよう」というのも、「怒りの裏側には別の感情があるのでは?」という「怒りの認知を変えるための考え方」のひとつだ。
「○○ってこういうものだ」という自分の考えを一度留保し、「○○ってこういうものだと考えてるけど、別の捉え方もできるんじゃない?」と別の角度から物事を捉えることが重要なのだ。その際特に重要なのは、「自分の考え方の癖」を知ることだ。
同書の中では、怒りを抱く自分自身の思考に以下のような傾向がないかを振り返ることを提唱している(「認知を変える」ことは求めていない。あくまで「認知する」だけ)。
怒りを感じたときにその状況と、思考の癖を整理することで、自分自身の感情を認知する。これは「アンガーログ」という手法だ。アンカーログを取り、自分の考え方の癖を知ることがまず大事。
その上で、その思考の癖を一旦忘れ、「別の考え方もできないか?」と考える(あくまで「考える」だけで、まだ変えなくていい)。いきなり変えようとすると大変なので、あくまで「怒りの背景にある自分の考え」の「別の可能性」を認知することが大事だ。
さて、大事なのはコミュニケーションである。怒りをコントロールしながらも、相手とのコミュニケーションを止めるわけにはいかない。そんなときどうすればいいか。
同書では「アサーティブコミュニケーション」を提唱している。相手に何か要求するときに、「事実」「事実に対する自分の感情」「要求」「相手からの返答に対するレスポンス(の準備)」の4つを用意しよう……というものだ。
大事なのは「自分の感情」という点だ。別に、感情を抑える必要はない。感情的に伝えるからコミュニケーション不全が発生するのであり、感情を伝えることは悪いことではない。
結局、アンガーマネジメントで問題になるのは「伝え方」の問題なのだ。なかでも「怒り」は自他を害する可能性が高いのだから、「怒り」を避けて行動するに超したことがないのである。
冒頭の例に戻ろう。
増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう
ここまで説明してきたことを実践し、コミュニケーションを前提にコメントを返すならこうなるだろう。
こんなところである。
読んでみてどう思っただろうか? 茶番に見えるだろうか? アホらしい? なんかむかつく? 長くて読めない? 反応はあなたに任せる。
個人的な話だが、この増田を書いてる中の人間は、同僚に対する態度がかなり悪いということでつるしあげをくらい謝罪に追い込まれた(被害的思考)。半年前の話だ。
正直無能な同僚(過小評価)が悪いと今も思ってる(「すべき」思考)が、それはそれとしてその場で増田が怒りを見せてしまったことは明確な落ち度なので、試しに本を一冊読んでみたわけだ。
そしたらぼんやりとした「コミュニケーションうまくいかねえな……」が、「自分は仕事とはかくあるべきというハードルが高すぎるんだな……」くらいにまでは、自分と周囲に対するギャップを認識できるようになった。
だからといって怒りが消えるわけでもなく、同僚のことも無能だと今も思ってるが、それはそれとして怒りを表出することはなくなった。
感情を率直に伝えることはやってもいい。ただ、「怒り」のかたちを認識して、それを別のかたちに変えることはできる。
怒りはしばしば自他を傷つけるのだから、わざわざ傷つけなくて済むことがあれば傷つけない方法とったほうが、生き方としては無難だろう。
怒りで生きづらくなってる人がいたら、あなたも良い人生のためにアンガーマネジメントを試してみてはいかがだろうか。
次のプリキュアが始まってからやるとプリキュアアンチと一緒にされそうなので今のうちに言っておく。
彼らが悪事を働いたとき、この理論を持ち出してくる連中はその歪みを「きっと理由があるに違いない」と無理やり落とし込んでくる。
犬好きの人間によるイジメを「イジメられる方が悪かったんだろう」と庇い、犬好きの人間による強姦を「相手が誘ったんだろう」と歪める。
こんなことは絶対に許されちゃいけない。
自分の党派性に基づいて決めた善悪を貫くために、そこから外れた人間に皺寄せをするなんて理性のある人間のやることではない。
それは「パクチーが嫌いな奴は知能に障害がある」と同じような暴論、そもそも理論さえ崩壊した世界に住む者たちの妄言だ。
きっと新しいプリキュアでは平然とこの最悪のフレーズが使われるだろう。
だから今のうちに言っておくのだ。
誰かの好き嫌いを理由にその人間の全人格について結論づけるのは最悪の暴言の一種だ。
そして言葉を軽んじるということは、他人との意思疎通を軽んじるということであり、それは相手を軽んじるってことだ。
自分の都合のいいように言葉が伝わらなかったとき「ああこの人は頭がおかしいか、頭が悪いか、性格に問題があるんだ」と結論づける前提で人生を歩んでいる証拠だ。
「子持ち様」と言われた事に対して独身だって自分自身の病気や親の介護で休むかもしれないとか言ってる人達は頭が悪いの?
それみんな子持ちにも当てはまる事じゃん。
子供の病気に加えてさらに、自分自身の病気や親の介護でも休む。
子持ちの休みは独身の休みプラスアルファ。全然イーブンじゃない。
SMプレイ中に誤って愛人を殺すが自殺処理した犯罪者、先祖はヤクザ。日本も誤ってぶっ壊した。
第三位 ひろ○き
嫁も性格の悪い○ジェンヌ。それを指摘されると頭が悪い頭が悪い。と必死になる。詭弁を繰り返していたが最近まとも路線に切り替えつつある。
日本をダメにした社会のごみ。派遣制度を拡大し日本をぶっ壊した。平等に貧乏になる権利があるなどとふざけたことをのたうちまわった。ミサワホーム等の企業乗っ取りにも加担。産まれもった才能を国民からの搾取に全ふりする男
これから日本をダメにするであろうごみ。強化番竹中。老人は集団で死ねとのたうち回っている。普通に差別主義者だが金持ちにサポートされてるためテレビに出まくってる。アメーバでは得意の詭弁で池戸を圧倒的に論破する。さんまの東大方程式によると頭か性格の悪い東大生からの支持も厚い。