はてなキーワード: 頭が悪いとは
仕事から帰ってお腹すいててさて夕飯の支度しようかって時に全く食べたい気分じゃないおかずが冷蔵庫にぎっしり入ってるのが本当にテンション下がる
美味しくない訳ではないけど食べたいものと全然違うおかずが詰まったタッパー大量に並んでるの見ても魅力を感じないじゃん
うちは共働きで普段はいつも私がご飯を作っていたんだけどいつからか夫が気を利かせて安く作れる作り置きおかずをネットで覚えて、休日に大量に作って冷蔵庫に入れておくようになった
好意でやってくれてるのは分かるし、気持ちはありがたいんだけど、私が一人暮らし始めた学生時代から今まで一度も作り置きをしなかったのは「敢えてやっていなかった」んだよ
仕事で疲れて夕飯を楽しみに帰宅したのに食べたくない気分のものが残ってることが頭の片隅にあって、それを消費するように食べないといけないのって本当に気持ちが盛り下がるから作り置きって文化?が嫌いだし、やりたくなかったんだよ
それとなく夫に言ってはみたけど、共働きなんだから贅沢言わないで効率やコスパを考えた方が〜とか、栄養バランス良くお腹を膨らせられて時間を短縮することのメリットが〜、って話にされて丸め込まれた
たまにどうしても冷蔵庫の中身が気分じゃなさ過ぎて、仕事終わりに「今日お刺身食べたい気分だからおかずお刺身買ってもいい?」とか「どこそこの店の何々が食べたいから買って帰ってもいい?」とかラインしてみたら
冷蔵庫に既に生姜焼きのストックと鶏の照り焼きが漬けてあるのに、それ買うの?
デパ地下の惣菜、そんな気軽に買ってたら節約出来ないよ?何のために作り置き用意してあるか考えて?
みたいな事言われて毎回諦めたりする
無駄遣いするなって親に叱られて欲しいもの諦める時の子供みたいな気分だ
確かに家におかずがあるんだから無駄遣いに違いはないんだろうけど、ちょっとぐらい節約とか忘れて食べたい気分のもの買ったって良いじゃん
デパ地下寄り道してちょっと良いお弁当とかお惣菜買って帰る日があったって良いじゃん
食費は折半なんだから効率的に使おうってのは分かるよ?分かるけど仕事頑張って帰ってもご飯が全然楽しみじゃないのって苦痛じゃない?
あと将来のために節約しないといけないのは理解してるけどそれよりも30越えたあたりの結構近い将来に食べたいもの思いっ切り食べられなくなるかも知れないじゃん、肉系や中華系のお惣菜・お弁当とかさ
こうやって我慢してる内に30越えてアラフォー迎えて胃が衰えて脂っこい物や味の濃い物を受け付けなくなったら私絶対「若くていっぱい食べれるうちにあそこのお店の何々もっと食べとけばよかった」って言う気がする
食べる事にそんなに執着ない夫にはきっと分からない感覚だろうけど
けんかしたくないから歳とって心の中でひっそり後悔するパターンだろうけど
そもそも食べたい気分じゃないみたいなワガママは言わないのが当たり前なのか
食べたいものを食べて気分上げるためなら少しぐらいお金や時間使っちゃっても良いって思う私の感覚がおかしいのかも
皆すごいな
発達障害が辛いではなく、頭が悪くて辛いという感情の共有だったら、たぶんこの反応にならない
実際、発達障害がどうこうではなくて、元増田(anond:20231118144522)が頭が悪いという話ですよね
インターネットに毒されてIQで言えば90ぐらいの連中だと思ってたんだが、よくよく人口比率とかそもそも「センター試験を受けさえしてない人達」とかを考えていくともしかしてコイツらでも半分よりは上なんじゃねえかと分かってきた。
そうなるとかなり絶望的だな。
マジのマジで「俺は頭が悪いから現場仕事しか出来ねーんだけどよ―」と言ってる人達って、マジでヤバイぐらい現場仕事しか出来ない可能性あるんだな。
やべーな人類。
思った以上に意外と頭悪いぞ。
もう少し頭を使ってほしいものだね
満員電車が原因だろう。鉄道会社は思考停止してるし。男女完全に分ければよいくらいだね。
ソウルの転倒事故にびびってハロウィンでの対人込み策をしてるけど、電車なんかまったく同じ構造で対策をしないのは頭が悪いよね。
車なら一人多いだけで違法だよ。ま、電車で圧迫死する犠牲者がでたらようやく思考停止から動くんだろうね。
日本人は行動力がなくて動かないのだからどうしようもないよね。
小山@iikagenni_siro_というアンチフェミ論客、最近は社会学批判してるらしい
フェミニズム⊂社会学ということで無意味な学問だと社会学全体を批判してるんだけども、小山の記事を読む限り社会学の手法そのものなんだよな
別に社会学自体の妥当性についてどうこう言うわけじゃない。正直、結論ありきの学問で自分に都合のいい資料だけ採用し、都合の悪い資料は無視する。なんなら曲解までして自分の主張の補強材料にする学問だからクソというのは小山と同意見
でも小山の記事を読む限り(課金してないので無料部分だけだが)、落ち穂拾いの絵を見て女性の労働参画の証拠だと論じたり、イギリスのメイドが増えた理由を産業革命で中間層が増えたからなんて大デマ吹いてるんだよね
小山も自分の主張を補強するためにYoutubeのゆっくり解説でも採用されないようなクソデマを使ってるわけで、こいつこそ社会学のクソそのものじゃないかと
なんなら社会学についてアカデミックな教育を受けてない時点で社会学を学ぶ学生以下の素人論者でしかないんだよな。高校中退してるし、どこの大学かは明言してないけど大学も中退してるらしい
その辺の卒業論文も書いたこともない奴が、他大学の学士、修士論文の形式に対して噛みついてるのは頭が悪いとしかいようがない
というか、こいつは以前大谷翔平に対して高校生みたいな顔だから気持ち悪いと批判した挙句、こいつ自身もほっぺが真っ赤の童顔で「お前が言うな」と炎上してんだよな
取引先の若手の方など10も歳下なのに考えがしっかりしているし、仕事の話をしていてもこちらも勉強になると感じる部分が多く感心した場面もあるし、要は年齢を理由にした決め付けで本人の選択を否定する・コントロールしようとするような考え方の持ち主は頭が悪いと思う。
そもそも例の件でこれは性的搾取だと主張している連中のような考え方こそ実は若い女性を年齢を理由に侮り無自覚に軽んじていると宣言しているに等しいんだよね。結局、若い女性を一番差別してるのも若い女性の意思決定を低く見てコントロールしようとしてる筆頭もフェミ連中だったという話。
君頭悪いって言われるでしょ
これはあくまで強大な権力を持つ国家機関と私人の権力差ゆえに刑事訴訟法上抑制されているというだけ
子供に対する保護の観点から私人がその疑いを持つことに関しては適用されません適当に混同してる自分の頭がとても悪い問題なのに、他人に転嫁して相手が頭が悪いという嘘を言ってしまった事をまずは謝罪しましょうね
問題ありませんよ
大学の学部選んだ時に漠然とあった好奇心はもう全部使い切っているのに、未だに分からないことだらけで目眩がしてくる。
会社のやってることもなんだか他所と色々違うみたいだから転職してリセットした所で良くなるとは思えん。
ただただ金と時間を交換しているだけなのに、どんどん責任は重くなっていく。
テレビゲームのボムみたいな感じで「とにかく助けてください!」でどうにか出来る年齢じゃなくなってきた。
というか自分がそれをやられる側だ。
頼んできた側の勘違いで実際には簡単なことだった時、物凄いホッとする。
いざ自分がやられる川になったら、俺の時間を奪いやがってなんて気持ちが湧き上がるんじゃないかと思っていたけどそんなことはない。
もうとにかく一番怖いのはチーム全体で死にものぐるいで戦わないといけない怪物の発見報告がやってくることなんだ。
昔は後ろの方でビクビクしながら最前線のサポートだけしてればよかったのが、自分が突っ込んでてよく分からんまま口に手を突っ込んで一か八かでトドメをさせないかとアレコレやらされる。
もう嫌だ。
趣味も完全に上手く行ってない。
もう全然楽しくねえ。
膝悪くしてからはスポーツは怖いだけで全然楽しめなくなって、足に負担賭けないようにビクビクしながら筋トレだけやってる。
ゲームも全体的に飽きてきて、大作のとにかく先が見えない感じはもうかったるいし、かといってインディーズのアイディア勝負もちょっと齧った所で昔やった何かと比べてすぐに飽きてしまう。
昔は存在価値の分からなかった「何だか良く分からないものに触ってあっという間に終わってしまうゲーム」の価値が分かるようになってきた。
とにかくアイディアだけサクっと味わえたらもうそれでいいんだって状態なんだ。
映画やドラマも展開は一通り見飽きてるせいで集中力が落ちて話が追えない。
ていうか自分が自分の思ったよりも頭が悪いらしくて難しい話をちゃんと分かろうと思ったら画面に齧りつかなきゃいけないってことを直視できない。
画面の中のテレビショーをちゃんと理解するために必死に画面に食い入ってそれだけやるって人生の使い方がなんだか凄く惨めでやりたくない。
映画館に行って集中して見てたはずでも話が分かってないことが多い。
見終わってから他人の感想を読んで自分が全然話を勘違いしてたことに気づいたりする。
なんだか惨めだ。
私生活も荒れてきて、たまに掃除や睡眠をしっかりやろうと思いつくことがあるけど、そのブームがいつの間にか去って気づくと汚い部屋で夜更かししていることが年の半分ぐらい。
体は膝以外もボロボロで、歯医者で歯石取ってもらってるのにいつも口の中がネバネバしてるような感じとか、ふとしたときに嗅いだ服の匂いの加齢臭みたいなのとか、そういうのもう全部辛くなってきた。
バイキングじゃ全然食べられないのに何でもない日にたくさん食べまくってしまい次の日は夜まで何も食べられずに過ごしたりするような、体のコントロールの効かなさがいろんな所に起きてる。
結婚式や葬式以外でしか合わない従兄弟が今何やってるのか時折気になって、そういやアイツらはこっちよりも大分器用に生きてた気がするなと嫌になる。
人間関係の健全なあり方みたいなのを身に着けられずに来たからとにかく人間と関わりたくない。
いい感じに見下しあえたら友達になれて、一方的にこっちが見下してたら関わりたくない相手、逆に相手から強烈に見下されていると感じたらそのときも逃げていく。
人間が他人と自分を比べるっていうのは当たり前なんだけど、そこにおいて尊重しあうっていうことが道徳的な正しさの上にしか存在してないような感覚がある。
もうなんか人生全部が辛い。
末期がんの患者がモルヒネがいい感じに効いてる時の穏やかな気持ちの中で「じゃあ自分の人生にどういう結論をつけていくか、頭の中だけでも整理してから終わらせたいなあ」と考えているような状態の中をもうずっとずっといつまでも生きてきた気がする。
そこから突然、なにかが変わって人生が好転しだす可能性を信じてた。
世の中じゃこういうのを「人生が始まってることに気づいてない」みたいに言うらしいな。
いつの間にか始まっていた人生がいつの間にか終わっているただそれだけなんだってことを納得しておけばいいっぽいのは分かってる。
生まれた家とか時代とかDNAとか子供時代の過ごし方とか就職先の選び方とか人間関係とかそういうのにたらればを持ち出すのは無意味だってことも分かってる。
少なくとも生まれてきた瞬間に決まるものについてタラレバを考えるのは無駄だ。
「魂の実在を信じているのか?異世界転生するライトノベルみたいに?」って話だ。
科学を進行しているので魂や輪廻転生は信じてませんって考えてるくせに、どこかで「もしかしたらこうだったかも知れない自分」を空想しているのが本当に無駄なんだ。
「生まれ変わったら今度はこういう風に生きよう」みたいなこと館上げるのは、タイムマシンで意識だけを過去に飛ばせる実験がどこかで成功したのを聞いてからにすればいい。
今の時代に生まれた自分たちの意識において、過去に飛ぶとかやりなおすとかは無関係なことなんだ。
空想の中でそれをやって、空想の中で満足するだけならまだしも、そうやって作戦を練ることで人生が好転する可能性を信じているならそれは科学を進行している人間として実に奇妙な状態になる。
なんたらの賭けの亜種として、もしもそんなことが起きる可能性があったならちょっとぐらいは準備しておくのもアリかもって範囲ならまあいんだろうが。
でもなんか自分含めて皆があーだこーだ考えすぎている気がしてならん。
今の自分じゃなかった可能性の今の自分を考慮して何の意味があるんだろう。
「もしも3月31日生まれじゃなくて4月2日生まれだったら学年一位だって取れたかも知れない」みたいに考える時、そもそもその2日違いの生まれの間に意識は全く別物へと変容していて、今の自分とは別の魂で動く別の人間だったはずなのに。
肉体より先に魂がこの世界にあると信じるならそれでもいいが、それならもういっそ割り切って「ハズレを引いたなりになんとかやっていくループ」として今の人生を生きればいいのに。
前世の記憶が引き継げたりしないルールっぽいのは明白じゃないか。
異世界に行った時に備えて現代知識の勉強をするために現代社会を生きるのは完全に無駄だ。
魂の実在を過剰に信じてたらればに執着して生きるってのはそういう生き方だ。
って頭で分かっているのにそういうのに縋ろうとしている自分に毎日出会う。
どうしようもなくなった人生に逆転のワンチャンスを与えてくれるなにかを信じて。
こうやって自分を説得しまくってもまだまだ魂の実在を信じて脳がタラレバを考える。
だってもうこんなどうしようもない人生を今から立て直そうとするのはしんどすぎるから。
本当にしんどいんだ。