はてなキーワード: 迷信とは
今堂々と差別として扱われるものにだって、だいたい理由や理屈ぐらいあるだろ
「女はすぐ辞めるから戦力として期待できない」とか
だからそもそも理由や理屈の部分は全く関係なくて、単に誰から誰への差別は差別でないかを決めるパワーゲームが繰り広げられているに過ぎない
字が雑なのと字が汚いのは別の話。
一生懸命書いて字が汚いのと、適当に書いて字が雑なのは見る人が見れば一目瞭然。
特に長年書道やっていると「こいつは本気で書いているな」というのはわかる。
基本的に見ているのは筆圧。
筆圧が強い人は真面目で何でも一生懸命にやる傾向がある。
その反面一生懸命になりすぎて周囲が見えなくなることも多々ある。
筆圧が弱い人は何かを誤魔化してるイメージ。
そして同じ形の字でも筆圧が弱いだけでかなり下手に見える。
字が大きい人は文字通りおおらか。
細かいことを気にしない(しなさすぎることも)。
字が小さい人は神経質で家にこもりがち。
自分に自信がないことが多い。
線を太く書く人は豪快で派手。
たまに豪快すぎて他人に気を配れないことがある。
線を細く書く人は地味で内気。
ただ筆圧が伴っているときは見た目に拘らない芯の強さがある。
字を上手く見せたかったら「強く、大きく、はっきり書く」ことをオススメする。
そうすると普段意識していない字のバランスに誤魔化しが利かなくなるから自然とバランスを意識するようになる。
字の練習はある意味己の内面との対峙なので字が汚いと思っている人はその辺に苦痛を感じるんだと思う。
もちろん障害などで手を上手く使えない人が上手に字を書けないということもある。
だけど、見る人が見ればわかる。
「字には真心が籠る」とかいうの迷信だと思われてるけど、見る人が見ればマジでわかる。
うちの先生(日展複数入選)は字を見ただけでその人の大体の性格とか見抜くけど、この前は体調も言い当てていたのですげーと思った。
このあいださ、電柱の上で工事しているおっさんがいてちょうど俺が通りかかったときに降りてきたので「虚数って存在するの」って聞いてみたんだけど、なんとそのおっさんは虚数は存在するって言うんだよ。そのおっさんだけでなく、一緒に働いていたおっさんたちが揃いも揃って、虚数は存在するっていうんだ。
まったく、なんてことだよ。今は21世紀だぜ。未だに虚数なんて迷信を信じている人がこんな身近にいるとは思わなかったよ。俺の感じではだいたい人類の半数は虚数を信じているようだ。まったく、21世紀なのに、なんてこったい。
例えば「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という有名な迷信がある。合理的な根拠不明な迷信も多くあるが、この迷信はwikiにある解釈を読むと納得感はある。ただし現代においては安全爪切りもあるし、照明もあるので夜に爪切っても危なくない。むしろ風呂上がりの方が爪が柔らかくて切りやすいくらいだ。
昔は照明器具が不十分で、手元が見えず危険だった。また切った爪の行方も見えず、後でそれを踏むと痛いということもあった[7]。いずれにしても、夜に爪を切ると何もいいことが無いから、夜に爪を切ってはいけないとされたという[7]。
他にも当時は通用したが、現代には適さなくった迷信がある。同じくwikiから参照したい。
夜に口笛を吹くと、蛇(または妖怪、お化け)が出る。 - かつて日本で人身売買が行われていた時代、摘発されないために多くが人目のつかない夜に売買取引を行っていた。その際、売人を呼ぶ合図が口笛だったため、「蛇(妖怪、お化け)が出るから吹かないように」という子供への警告が形を変え、現代まで残っている一例とする説がある。
こういう迷信がアップデートされないまま、言葉だけ語り継がれていくと、合理的根拠がないまま生活様式に落とし込まれていき、無根拠に信じるようになる。
宗教の牛とか豚食っちゃダメなんて、まさにその例で、当時牛とか豚食べて伝染病で人が死にまくったから食べるなとかが、この教えのスタートで、当時は有効だったから連綿と受け継がれてきてきたわけだ。でも今ではただ教義だから守ってる以上の理由はないのでは?とか思う。
(宗教についてまったく詳しくないから言ってること間違ってたらすまん)
まぁこれを文化というのだろうから、ダメってことでは全くないのだけれど、個人的には迷信には合理性というか、有用な教えみたいな要素が入っていて欲しい。
なので血液型占いなんかは、打破すべき現代版迷信のトップランナーだと思う。
例えば以下のようなのを思いついたが他にもアップデートすべき迷信はあるだろうか。
・夜に口笛を吹くと、蛇が出る。
↓
↓
いまや漫画やアニメはオタクだけじゃなく老若男女あらゆる人々が楽しむ時代だ。
古い迷信から来る歪んだ偏見のせいで漫画やアニメが不当に貶められていた時代と比べると隔世の感がある。
一流クリエイターだって、はじめから頭角を表しているわけじゃない。
そんな時に支えとなったのがオタクたちだ。
オタクの支えがなければ、未来の一流クリエイターもインディーズの段階で創作を諦めていたかもしれない。
オタクはオタク特有の未来を見通す力を総動員して将来的に伸びると思ったクリエイターを見つけ出して買い支えて応援する。
このオタクにとってはめちゃくちゃ当たり前の行動を、非オタクはとることができない。
ときには金銭だけじゃなく応援コメントや感想コメントを送って精神的にも支えたりもする。
こうしたオタクのコメントがクリエイターの支えとなっていることは数々の証言から自明である。
オタクが金銭的また精神的に支えたことで間接的に全国民がその恩恵に預かっていると言って過言でない。
世間の人々はオタクに開拓された道をそれと知らず我が物顔で闊歩しているようなものだ。
オタクヘイターには、そうした背景が見えていないとしか考えられない。
オタク叩きがオタクの支えているクリエイターにまで危害を及ぼすということが分かっていないのだ。
ちょっと叩かれたくらいでオタクをやめるやつはオタク失格ではあるが、全員が全員信念を持ったオタクというわけじゃない。
つまりオタクへの攻撃は未来へのクリエイターへの攻撃と同義なのだ。
いや、考えたくはないがそこまで分かった上であえてオタクを叩いているのかもしれない。
オタクに見初められて一流のステージにたどり着けるであろうクリエイターに嫉妬してオタク叩きをしているのかもしれない。
世間の人々はオタクほど寛容な精神は持ち合わせていないのでありえないことと断ずることはできない。
少しはオタクを見習って「良いものは良い」と素直に認めることはできないのだろうか?
オタクの中のオタクは決して自らの功績を他人にひけらかしたりしない。
現代では他人に敬意を払うことを忘れた人間があまりにも多すぎる。
だれに敬意を払うべきなのかを常識的に考えれば推しの成功を我が事のように喜ぶことのできるオタクの顔が浮かび上がってくることだろう。
https://president.jp/articles/-/23042
低脂質カロリー制限食は、カロリーを男性で1日1800kcalに制限しました。
地中海食は、カロリー摂取自体は低脂質食と同じですが、オリーブオイル、ナッツ、
研究開始から2年後、減量効果がもっとも小さかったのは、低脂質食でした。
中性脂肪値がもっとも減少しなかったのも、低脂質食でした。善玉コレステロール値も、低糖質食に比べて比較にならないほど改善がみられませんでした。
カロリーを制限した食事を続けると、食事から得るエネルギーが減るため、
体は自分を守るために、なるべく消費するエネルギーを節約するようになります。いわゆる燃えにくい体質になるのです。
ですから摂取カロリーを減らすと、体内での燃焼効率が悪くなるので、
そして、体でもっともエネルギーを消費するのは筋肉ですから、エネルギー消費を節約するために、真っ先に筋肉の量を減らそうとします。
愚痴を吐き出して明日からリセットして頑張れるよう、下記記載する。
東日本大震災の後で就職は厳しかったけど、大学時代は勉学も遊びも工夫しながら周囲より頑張って(と思う)、堅実な企業に運良く就職できた。
周囲と比較して、地頭が悪く仕事も出来ない方だったけど、数年を経て、仕事が楽しくなってきた。職場の人とも上手くやれるようになった (と思う)。
色々あって、実家に2ヶ月間だけ戻ることになった。
久しぶりに実母と長い時間を過ごす日常になった訳だが、これが物凄く疲れるしイライラしてしまう。何故なのかを考えたところ、
・会話が通じない (人の話を聞かない)
・意地が悪い
・効率が悪い
・何事も自分の思い通りにしようとする
・テレビをずっと観ている
・新しい事/物を受容できない
(かといってイジられるのはNG )
会社の人は優秀な人ばかりで、頭の回転も早いし、何だかんだ優しい人が多くて、ストレスがない環境だったんだなぁ…と今回の帰省で気づいた。
(会社では自分が1番頭悪い方だろうと思うので、周囲の人は自分に対してストレスを抱いているのかもしれない…)
母は他人のことや、自分の思い通りにならないことをすぐに馬鹿にするので、
最近は必要最低限の情報を与えるもんかと、短い無難な会話で済ますことが増えてきてしまった。
イライラも伝播しつつある気がする。
良くない状況。
「ジンクスは傍観者の論理」は、一般にはまだ知られていないけれど、私の中で有名な格言のひとつ。
ジンクスとなる事象自体は、「カツ丼」と「勝つ」を掛けるような言葉遊びなど、考えてみれば勝負に直接繋がらない非論理的なものばかりだが、
一方でそのジンクスが形成される過程には、ちゃんとした「論理」がある。
そしてそれは、その勝負に直接関わることの無い「傍観者」が生み出す論理なのだ。
その意味では、非論理的であるはずのジンクスは、まさに論理的に形成されたものなのだ。
まず、当たり前のことだが、勝負というものには、その勝負に関わる「当事者」と、
その周りに多数の「傍観者」が居ることに注意する。
スポーツではプレイヤーとサポーターたち、受験では受験生とその親、といったケースがわかりやすいだろう。
勝負がだんだんと近づくにつれ、傍観者は当事者と同様、来るべき勝負に対してだんだんと真剣になるわけだが、勝負にあたってあることに気づく。
すなわち、傍観者はいくら当事者のことを想っていても、その勝負に直接介在できないことに気づき、苦しむのだ。
まあ、端から見れば至極当たり前のことなんだが、真剣になるほど自分も勝負に乗った気分になってしまうというのは、
サポーターを見ても、受験生の親を見ても、その興奮した様子を見るに十分有り得る事例だろう。
だから、傍観者はいつか、その当事者とのギャップに苦しむことになるのだ。
先の例で言えば、サポーターはプレイヤーのプレイスタイルに、親は受験生の勉強方法に、あれこれ口を出してしまう。
なので、傍観者は十分なアドバイスができず、それは大きく的外れにもなる(アドバイス罪!)。
そのため、先に挙げた傍観者の苦しみは、その勝負に直接関わるアドバイスをすることでは一切解決しない。
どう考えても、当事者の方がその知見は豊富なため、傍観者のアドバイスは役立ちも感謝さえもされないからだ。
それゆえ、傍観者のアドバイスはその勝負本体とは全く異なるフィールドに持ち込まれることになる。
「ジンクス」というのは、まさにこの場面で発生する。
すなわち、勝負本体とは全く異なるフィールドで、勝負にコミットするようなアドバイスを目指すのが、「ジンクス」の在り方なのである。
そもそも、勝負本体とフィールドが異なる以上、そのアドバイスは勝負に真に必要なものではあり得ない。
「落ちる」「滑る」という言葉を避けて受験に滑らないようにする、みたいなくだらない言葉遊びに頼るしかない。
以上をまとめれば、「ジンクス」は、傍観者が当事者に何もしてあげられない苦しみから、言葉遊びなりに頼ることで生まれてきたものだと言える。
だからこそ、その苦しみを解消しようとする心の働きとして、「ジンクス」というものは傍観者にとってまさに「論理的」なのである。
言葉遊びに頼ることで、傍観者の苦しみは論理的に昇華されるのである。
さらに、勝負の当事者も「ジンクス」による恩恵を得ることができる。
それは、その迷信でしかないとわかっている「ジンクス」に従っておくことで、傍観者の親切心を満足させて、
代わりに、傍観者からの余計なアドバイス(プレイスタイルだの勉強方法だの)を一切聞かなくて済むからだ。
つまり、傍観者の余計な心配を「ジンクス」という無駄な方向に向けておくことで、当事者は肝心の勝負に雑音無く集中することができる。
それこそ、お遊びでしかない「ジンクス」が、勝負に真剣に取り組まなくてはいけない当事者に好まれる本当の理由であろう。
だから、その「ジンクス」の中身が非論理的かどうかの議論などは全く的外れなのだ。
そんなことは当事者が一番よく知っている。
非論理性など心の底からどうでもよく、傍観者の親切心に対するデコイとして発現すれば、「ジンクス」の機能として十分なのである。
その点では、これまた、当事者にとっても「ジンクス」に従うことは論理的なのであり、
「ジンクス」という傍観者の論理は、こうしてめでたく、当事者の役立つものになれた。
まあ逆に言えば、この傍観者と当事者との共犯関係こそ、言葉遊びでしかない「ジンクス」を今の時代にものさばらせている理由とも言えよう。
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
この辺りで女装は全く珍しくないから普段は何とも思わないのにそいつには何故か不快な違和感を感じた
どしどしとふてぶてしい歩き方をする
眉毛は細く跳ね上げて描いてある
まぶたも頬も垂れ下がりそのせいか、そいつの気分のせいか、口もへの字に歪んでいる
すれ違う時にそいつは思い切りぶつかって来た
気を抜いていた俺はよろけた
ムカついて振り向いたもののそいつは歩調も変えずどしどしと歩き去った
コロナのせいもあるんだろうが仕事、私生活、身体的にと、トラブルが続きに続いた
異形の女装KKOのことなんて全く忘れていたけどトラブル対処に精魂尽き果てている先週、同じ道を歩いている時に今度はめちゃくちゃきれいな人を見た
LA風セレブと言うか、外国人みたいな少し焼けた肌に長い茶髪で爽やかな人が電話をしながら歩いてきた
アハハ!さっぱりとした楽しそうな笑い声と、白く綺麗な歯が好印象で、すれ違う時にいい匂いがしてこっちを見てニコっとした
ような気がした
何か異世界の邪悪なものが力を発揮する時があって、またそれを阻止する為に正義の女神たちが人知れず戦っている
みたいなアニメを思い出した
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