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はてなキーワード: 迷信とは

2020-03-01

菌現多説在

町春感染

花粉濺涙

警COVI清身

騒動連三週

口巾抵万金

迷信聞更惑

渾欲不勝信

菌現多説在

町春感染

花粉濺涙

警COVI清身

騒動連三週

口巾抵万金

迷信聞更惑

渾欲不勝信

2020-02-26

anond:20200226124057

寒い免疫力が下がるっていうのが迷信だし、寒さ関係なしに風邪引くほど免疫力が下がってたら新型コロナ感染するよ

2020-02-02

通贝里「团结在科学身后」

习近平「相信科学反对迷信

2020-01-11

[] #82-12「82回目の終わり」

≪ 前

「お前も初詣か?」

「ついでついで。カンって人に出店の手伝いに駆り出されてさ」

オサカが視線を泳がすと、その先にはカン先輩がいた。

あの人ならいるだろうとは思ったが、オサカがそれを手伝ってるってのは予想外だ。

「“カン先輩”やダボが。目上を敬う心を持てぃ」

「後輩を“ダボ”呼ばわりする人間を敬うなんて無理な話だ。ゴジラドロップキックする位ありえない」

なんや、その例えは」

やり取りから見ても分かるとおり、二人に大した接点はない。

恐らく俺が今回の手伝いを断ったため、代わりに誰かいいかと知り合いを辿っていき、最終的に行き着いたのがオサカなのだろう。

カン先輩のことだからあの手この手屁理屈で圧していったのは想像に難くない。

オサカの言葉の端々から不本意だってのが伝わってくる。

「お前ら、お参り済んだんやったら手伝わんか?」

そしてカン先輩は隙あらば俺たちを標的にしようとする。

その商魂にシビれや憧れは感じないが、新年から相変わらずだとは思った。

「いや、俺たちは初日の出を見に行くんで……」

日の出ぇ? 新年太陽見て何がどうなんねん」

身も蓋もないことを言ってくる。

正直なところ俺たちも薄々そう感じてはいたが、新年からカン先輩の手伝いをするよりはマシだ。

「まあ、そういうことなんで、すいません……」

カン先輩のツッコミに、なあなあに対応した。

まり言葉を尽くしすぎると、むしろこの人は増長するからだ。

それでも諦めないから、どちらにしろ厄介だが。

脱法餅にも、その粘りを分け与えるべきだ。

「しゃあないなあ。じゃあ、ウチの綿菓子持ってけや」

そう言ってカン先輩は、イラスト入りの袋に綿菓子を詰め込み始めた。

友達のヨシミで、ふたつ300円にしたるわ」

手伝いが無理だと分かるとカン先輩は俺たちを顧客として認識したようだ。

「いや、だったらタダにしてあげなよ」

「そんなことしたら、店が潰れるわいダボ。綿菓子作るのだって金いるんやぞ」

「だとしても、砂糖を繊維状にしただけで何百もするわけない」

「分かってへんなあ。綿菓子機のレンタルと、出店のショバ代。このイラスト入りの袋もろもろ含めたら、これくらい取らないと赤字やねん」

尤もらしく言っているが、カン先輩はそれら経費をほとんどタダ同然で済ましている。

以前、そのことを自慢げに話していた。

それはそうと、オサカと口論になっている今がチャンスだ。

「じゃあ、そろそろ行かないと……」

二人に聞こえないような声でそう呟くと、俺たちはそそくさと神社を後にした。

…………

戻る途中、また思いがけない人物と対面した。

「あ、キミたち」

「げっ、ガイドか」

シロクロのところに居候していて、自分未来からやってきたとかほざく胡散臭い輩だ。

最近あながち嘘でもないと思うようになったが、やはり全体的に漂ってくる雰囲気が苦手である

「シロクロ見なかった?」

「さっき、コンビニ近くで酔っ払ってたのを見たぞ」

「あー、やっぱり。酒を飲みたいって言うから、ボクのアイテムで気分だけでも盛り上げようとしたんだけど、盛り上がりすぎたみたいでさ。いきなり叫びながら走り出しちゃって……」

「お前のせいかよ」

普段、シロクロのお目付け役みたいな感じで振舞ってはいるが、こいつも別ベクトル非常識だ。

「じゃあ行ってみるよ……あ、そうだ」

ガイドは何かを思い出したかのように踵を返した。

「近々イベントが起きるから、気だけは引き締めておいてよマスダ」

俺だけに聴こえるよう、そう小さく呟いた。

全く要領を得ないが、こいつのことだから不穏だってのは確かだ。

イベントって何だよ?」

次元規定法に引っかかるから、これ以上は言えない。じゃあね!」

それじゃあ、何も言っていないのと同じだ。

当然のように次元なんとやらってルールを持ち出してきたが、それも始めて聞いたぞ。

なんだか、全く無意味足跡を残されたような気がする。

新年早々、憂鬱な気分だ。

…………

戻ったときには、日の出まで十数分という丁度いいタイミング

同じ目的らしき人たちも、まばらにいた。

「遅かったね」

「寄り道したなあ? 焼き鳥、完全に冷えちゃってるじゃんか」

「ほら、もうすぐだよ」

日の出の方角に視線を向ける。

「そろそろの筈……だよな?」

首を傾げながら、時間を何度も調べる。

天体物理学なんて俺には分からないが、それでも日が昇っている時間なのは明らかだ。

まさか方角を間違えたのかと、キョロキョロと周りを見てみる。

「どういうことだ?」

結論から言うと、あそこから初日の出は見えなかった。

原因は二つあり、ひとつは近辺にある様々な建物

市長が思いつきで作った風力発電所や、最近ラボハテが建てた複数ビル

これらのせいで、日の出が見える範囲が狭まったんだ。

それでも見える隙間は存在したが、それを埋めたのが天気だった。

予報では晴れだったし実際その範疇ではあったが、雲が絶妙位置日の出を遮っていたのである

「弟くん、残念だね……って寝てる」

初日の出を見れなかったからといって、実際問題どうってわけじゃない。

所詮験担ぎ迷信、非合理な行為だ。

だが、この新年出来事は、俺たちに言い知れぬ陰りを残していった。

(#82-おわり)

2020-01-06

anond:20200105100330

明晰すぎ。すなわち図式的。言葉でまとめることで先に進めるかもというのは現代迷信だ。言語化効用は、もっと雲をつかむような段階でのよすが程度のもの

どうせ「こんなにハイスペな自分モテないなんて」みたいな自意識がだだもれとかのつまんない真相じゃないの。

カアチャン一人目立って知能が低い家はキツイよな。下方婚呪い。繰り返しそうな気がする

2019-12-27

anond:20191227042537

出産経験のある人、長く授乳をした人ほど乳がんリスクが下がるから、産めなかった人の方が乳がんになりやすい。

からまれ迷信だろうね。

2019-12-26

anond:20191226011936

なぜ世の母親は、何十年経っても

独身男性ごはんを食べない」という迷信を信じ続けるのか???

俺なんか一人暮らしを初めて25年やぞ

なのに田舎母親は二言目にはメシ食っとるかしか聞かない

本当に食ってなかったらとっくに死体になっとるわい!!!

2019-11-16

左派の反科学傾向は東洋哲学に近い

左派が反科学志向右派科学志向、みたいな話をネットでちょいちょい聞くじゃん。

まあお偉い人たちは右派カルトやらEM菌やら親学やらに浸かってるけど、市井SNSだと、右派科学武器左派と戦ってる分野がちょいちょいあるわけ。

これについて、元々左派の方が革新とか合理性とかで世の中を変えてたはずなのにどうしてだろう、って不思議に思う人もいるだろうけど、理由の一つは浮かぶ

左派が、合理性効率の名のもとに切り捨てられた人々を救う方向を選んだ、というのがソレだ。

たとえば「人間数字として扱うな」というメッセージをパッと見た時、右派の物だと思うだろうか、左派の物だと思うだろうか。

今ではおそらく、左派の主張かな、と感じる人が多いだろう。

大昔は、宗教迷信や慣習によって物事を進める右派に対して、数字効率を見て改善していけというのが左派だったはずだが、

今は物事数字評価される(少なくともそう装う)ことが標準となり、左派はそれで切り捨てられる個人感情物語弱者や少数者の立場などを守れという立場になりつつある。

フェミニストの「エビデンスは私」というのもそう。

海老フェミは、科学的・統計的調査ではカウントされてなかったり、カウントはされてもリソースを割く必要がないくらい少数の被害であっても、被害被害としてあるから対処すべきってことなんよな。

西洋科学エビデンス認定からは切り捨てられる部分にも問題があるんだぞ、その「非」西洋科学的なエビデンス私自身だ、西洋科学を唯一絶対とするな、と。

から表題の通り、東洋哲学的なニュアンスを帯びつつあるんだよね、今の市井左派って。

私は東洋哲学にも価値があると思ってるので、必ずしも左派が間違ってるとは言わない。

まあ、そこからニューエイジヒッピー代替医療ベジタリアンスピリチュアルカルト、などにいっちゃうルートが色濃くあって、それはかなり左派の危うさだなと思うんだけど。

2019-11-08

[] #80-2「人は簡単に変われる」

≪ 前

『誰でも出来る自己改革』を返品するため、弟は次のセミナーが開かれるのを待つことにした。

俺は未だ気づいていなかったが、その期間から異変は起きていたんだ。

「……どうせ返すんだし、せっかくだから読んでみるか」

弟は貧乏根性で、その本を開いてしまったんだ。

「ふーん……」

弟は活字嫌いだったが、まるで絵本を読むような勢いでページを進めた。

「……へえ……ほーん……こーん」

資料を纏めている俺の近くで、弟は数秒ごとに感嘆の声を漏らす。

鬱陶しくて仕方がなかった。

「なあ、兄貴も読んでみなよ。結構いいこと書いてあるよ」

この時点で、既にハマってしまったらしい。

とうとう、俺にまで本をススメてくる有様だった。

「俺は課題で忙しいんだが……まあいい」

気乗りはしなかったが、ここで断ると更に鬱陶しくなる予感がする。

部屋で静かにすることを約束させ、俺は渋々読んでやることにした。

「……なんか、予想以上に“軽い”な」

「何言ってんだ兄貴。本の重さくらい見た目で想像つくだろ」

「いや、物理的な意味じゃなくて……」

その本は文体が明朗快活で、難しい単語迂遠言い回しほとんどない。

まあ読みやすくはあるんだが、自己改革を謳う本にしては随分とユルいように思えた。

俺の借りてきた社会科学本が難解だったせいで、余計にそう感じたのだろうか。

「……はーん、“如何にも”って感じだ」

内容は、筆者独自ライフハックと、それに伴う持論を解説していくというもの

それを終始、前向きな言葉を添えながら羅列していき、読者に語りかけるように書かれている。

俺のイメージする自己啓発本そのものって感じだ。

「『テレビの音量とチャンネルを同じ数字に、マンション住まいなら階層も合わせる。一日に同じ数値を見続けることを意識し、心の安定化を図るのだ』……ははっ、意味分からん

しかし、書かれていることは全体的に安っぽい。

心理面のノウハウ迷信めいたものが多く、方法論は漠然としている。

尤もらしいことも散りばめているが、いずれも既に使い古された概念や、多少の知見があれば自ずと分かるようなことばかり。

わざわざ言語化するほどでもないのに、それを大袈裟表現で覆い隠して、何か画期的な考えのように語って見せている。

兄貴、このページの『よく学び、よく遊べ!』って良い言葉じゃない?」

「ああ、そうだな。良い言葉過ぎて、既にどこかで聞いた気がする」

何か良さげなことを書いてあるようで、その実は何も書いていない。

そんな感じの本だ。

まあ、弟みたいな奴がマトモに受け止めてしま構成なのは理解できる。

「これで1000円ってのは、書いた奴はかなりの自信家だな。むしろ読む側が1000円を貰うべきなんじゃないか?」

本を読み終わった後、俺は皮肉を交えながら弟に感想を述べた。

これがマズかった。

「その言い方はないだろ。価値あるものを、価値があると思う人間が買う。健全商売のあり方じゃないか

俺の冷笑気味な反応は、あいつの感情を逆なでした。

それで余計に意固地になったのだろう。

少し前まで「紙くずを買わされた」って顔をしてたのに、この短期間で弟は完全に“出来上がって”しまったようだ。

「……まあ、買ったお前がそれでいいのなら、俺から言えることはこれ以上ないな」

この時、俺は「面倒くさい」と感じて、適当なことを言って話を切り上げた。

いま思えば、それもマズかった。

次 ≫

2019-10-29

anond:20191029173940

あいずれにせよ安全運転ヘルメットしっかり被ってな…危険日じゃなければ大丈夫とか外で出せば大丈夫とかそういう迷信を信じてはならんよ。

2019-10-25

anond:20191023210802

おそロシア

"ロシア語では熊を表す固有の単語がない。これは名前を呼ぶと熊を呼び寄せてしまうという迷信から、使われないまま忘れ去られてしまたからとされている。"

2019-10-22

anond:20191022131624

政教分離ってのは、お前みたいな背教の徒でも選挙権制限されたりしないってことだよ。

迷信排除することじゃあない。

anond:20191022131409

葬式適当にすませたことある

信じてなくても宗教絡ませたほうがよかったかな……ってなるよ。

儀礼ってのはただ迷信なだけじゃないんだ。

動物に優しい人はいい人」は本当か?

動物愛護団体には船で漁船に衝突するテロ組織もあるし、

日本でも野良猫にエサをやった奴が近所の人に注意され、

逆上して包丁で刺すというような事件が毎年のように起きている。

というか自分観測範囲で言うと動物嫌いの人の方がまともな比率は高く、

動物好きの人はたいていどこか頭のネジの外れたちょっと危ない人だった。

この「動物に優しい人はいい人」という思想が単なる日常井戸端会議なら

迷信かもね」で終わってもいいが、

困ったことに日本ではこれが前提である法律が作られている。

そう、動物愛護法だ。

その第一条を見ると、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとある

難しい言い回しをしてるが、ようするに「動物愛護をすれば国民は優しい人間になる」、だから法律動物虐待を罰すると言うことだ。

この理論を前提にして、愛護法では動物虐待禁止したり、動物の適切な取り扱いを決めたりしている。

もしもこの大前提が間違いならば、

どうして動物虐待者を罰していいのか、だいぶ正当性が危うくなってくる。

もしも動物愛護法に「優しい人間を作る」効果がないとすれば、

動物虐待する人は、何の法益も無い法律の為に不当に人権制限刑罰)されていることになる。

これは立法論の見地から差別見地からも到底許されることではないだろう。

2019-10-17

anond:20191017170358

何の科学的根拠もないのは同じだから

この迷信への抵抗力のなさは民族挙げて醸成してんだよ

人の名前を赤で書いてしまった

子どもの頃に読んだ本に「人の名前を赤で書いたら、さらわれる」と書いてあったのをずっと覚えていて、今もできるだけ人名は赤で書かないようにしてる。

ちょうどさっき、うっかり人の名前を赤でメモしてしまって「あ、やばい」と焦ると同時に、「こんな迷信くさいもの、気にしてるの世界わたしだけでは」と急に冷静になった。

思えば、大きくなってから、このことを気にしている人に会ったことがない。当たり前すぎて誰も言わないのか、ほんとにただの迷信で、誰も知らないのか。だってさらわれる」って、赤文字で書かれたからといって全員がさらわれてたら、今頃もう人いないよな。

「人の名前文字」でググったらこれを気にしてるのは世界で私だけではなかった。わたし一人ぼっちではなかったのだ。

これからも赤で人の名前を書くのは避けます

日本人血液クレンジング馬鹿にできないだろ

だって天皇を未だに有り難がってるし、それは百万歩譲っていいとしても、その天皇は謎の儀式ばっかしてるんだぜ

そんな迷信万歳民族には血液クレンジングがお似合いでしょ

2019-10-04

anond:20191004182127

これは日本人宗教観とも関連する問題なのですが、

日本写真技術が登場した当時、写真を撮られると魂が抜き取られると騒ぎになった話を聞いたことがあるかと思います

そのような迷信のある国では、

人身事故で亡くなられた人の写真を撮ったら、亡くなられた人の魂が吸い取られてしまい、

成仏することができなくなります

事故での死亡ですから加害者への恨みつらみがこもった魂が現世を彷徨えば、それは怨霊となります

わざわいの元となります

から人身事故撮影をしてはいけないのです。

2019-09-22

anond:20190922025017

要は宗教儀礼みたいなもんだよね。

儀礼のものプラスになる合理的な要素はないのだが、儀礼を共有できない人間は仲間ではないと。

日本人はなまじ特定宗教に縛られていない分、普段生活迷信じみた伝統ルールが多くそれに従わない人間異端者であり村八分になるわけだ。

2019-08-29

anond:20190829122017

1週間風呂に入らないのはちょっと厳しいが、人と会わないのなら自分も耐えられるほう。

家の中と外とでばい菌の数は変わらんと聞いたことがある。手洗いは迷信根拠とした奇習だという人もいる。

下記リンク先は長いが興味深い。

https://garage-sale.hatenablog.com/entry/20151103/1446498963

追記

記事はこれ。内容は同一っぽい。

http://web.archive.org/web/20090309095935/http://www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto/page035.html

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

====

表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

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