はてなキーワード: 身分とは
ユーチューバーの「コラボ」ってなかなか独特な言葉選びな気がするな
ポケモン新作に出てくるキャラクターであるナンジャモっていう動画配信者ジムリーダーが挑戦者と動画共演してる様子を「コラボ」と表現していてそう思った
ユーチューバーの動画ほとんど見ないから聞き馴染みがあまり無い言葉だ
確かにコラボってコラボレーション、すなわち共演なので意味は何もおかしくはないのだが
仮にラジオ番組で誰かを呼んできてトークすることは「ゲスト」と呼ぶだろう
コラボ相手もユーチューバーとかであればなんとなく「コラボ」という言葉のニュアンスがしっくりくるのだけれど
ラジオ番組のゲストに他ラジオ番組の看板を背負った人がやってきたらゲストであり、なおかつコラボという表現もされることがあるのかな?
そういうイメージが自分の中にあるせいでジムチャレンジャーである一介のポケモントレーナーである主人公とナンジャモ動画共演するのをナンジャモが「コラボ」と表現していた様子に自分の中に無い文化を感じた
あるいはポケモン世界のポケモントレーナーという身分の特殊性があるのかもしれない
ジムチャレンジするようなトレーナーはいわばアスリートだとかパフォーマーのような性質を持っているのかも
ましてやナンジャモ自身も動画配信者でありポケモントレーナーでもあるわけで
ユーチューバーをやってる野球選手が他の野球選手と一緒に動画出演したら「コラボ」と表現してもおかしくはない……いや、やっぱり「ゲスト」のほうが自分的にはしっくりくるんだよな
父親がパソコンオタクだったため、我が家にはニフティサーブのサービスインと同時にネットが導入された。俺はまだ中学生だった。
最初はジオシティーズに個人ホームページを作るなどして遊んでいただけだったが、メル友募集掲示板というものに出会ってしまい、もともと文章を書くのが好きだったこともあってハマってしまった。
当時のメル友というのはPCを使って長文のやり取りをするもので。後にくるケータイ時代の常に短文をやり取りするスタイルとは根本的に異なる。いわば文通に近い。
どこに住んでいるかもわからない相手と近況を報告し合ったり、本や映画について踏み込んだ感想を交換したり、そのメールの返事がいつ届くのかじりじりして待ったり。現代からするとだいぶレトロな世界観だが、ネット自体が普及しておらず、調べ物は図書館、待ち合わせには念入りな調整が必要で、大都市の情報は雑誌や新聞が頼り……そういう時代だったから、メル友との交流は最先端を感じささせた。
ブラウン管の向こうに世界があり、そこには人間がいて、俺とそいつが繋がることができる。
現代のデジタルネイティブには理解してもらえないかも知れないが、個対個のネットワークがあることは全然当たり前なんかではなかったのだ。
その後すぐに出会い系サイトの宣伝スパムで汚染されて壊滅するが、その少し前の話だ。俺はそこで同年代の異性数人を見つけてメールのやりとりをしていた。下心があったわけではないが、やはり心のどこかでロマンスを期待する気持ちもあったかもしれない。
実際その中のひとりとは3年にわたってメル友関係が続いた。仮にちーちゃんとするが、このちーちゃんとはかなり親密な関係だったと思う。お互いだいたいの住所から家族構成、趣味嗜好まで知っていたし、誕生日やクリスマスなどのイベント時にはチャットで長時間やりとりしてて、言葉にはしないまでも会いたいとお互い思っていた気がする。
時は流れて高2の頃、俺が東大を目指そうかな〜という話をしたことで、その流れが本格化した。
東京の西の方在住だったちーちゃんはそう言って応援してくれた(実際には増田は受験に失敗し、鬱を発症し浪人した挙げ句日大を出て零細企業を転々とする人生を送り、はてなブックマークが唯一の趣味の独身アラフォーである)。
俺は受験勉強に打ち込み、しかし週に2,3往復のちーちゃんとのメールは続けていた。
ところで俺はネットにだけ傾倒していたわけではなく、学校でもまあ普通に生活していた。カースト色の薄い学校だったこともあって、ギーク寄りの仲間とのんびりと生活できていた。特に仲が良かった男を田中とするが、こいつは曲者だった。遅刻魔であり地頭はいいのにテストは苦手、思考に口が追いつかなくて口下手、ときおり突拍子もない事をやって周囲を驚かせるという有様で、今で言う多動型のADHDだったんだと思う。
何の話だ?と思った。知らない名前だったからだ。しかしすぐに嫌な予感がして、
と聞いた。ビンゴだった。田中は何らかの方法でちーちゃんのメールアドレスを入手し(当時はシステム的に侵入を許したかと思ったのだが、後に調べたら他のクラスメイトに宛てたメールのCCにちーちゃんのアドレスが混入していたことがわかったので多分俺が悪い)、メールアドレスから俺がたまに話していたメル友だと察知し、偶然を装ってメールでやり取りを繰り返し、会うところまでひと月で漕ぎ着けたのだった。俺が本名さえ知らなかったちーちゃんと。
ショックだったのと同時に、田中の行動力に感心もした。ド田舎の高校生にとって東京まで往復するのは時間的にも経済的にもハードルが高い。しかし行動したから田中はちーちゃんと会えたのだ。
俺は何事もなかったふりでメル友を続けたが、ちーちゃんの熱量があからさまに落ちているのがわかった。メールの頻度も減った。それもそのはずで、その後も田中はちーちゃんと月に2回のペースで会っており、正式に付き合うことになったと田中から報告を受けた。その後に続いた
という童貞卒業の感想もボディブローのように効いて、この頃を境にちーちゃんとの関係は俺の方からフェードアウトしてしまった。
俺にとってちーちゃんはあくまでネットの向こうの、本と映画が好きな誰かであり、淡い期待そのものであり、それだけだった。
しかし数年後、俺の大学の文化祭に田中がちーちゃんを伴って遊びに来た。
ちーちゃんは俺の想像よりも小柄で垢抜けた今風の短大生だった。店番をしていた俺はぎこちなく短い会話を交わしただけだったが、田中が言うにはちーちゃんは後に俺について「なんか怖かった」と感想を述べたという。当時の俺がアート系の学部の雰囲気に影響されて髪の半分を緑に染め夕方でも黒いサングラスを掛けていたからかも知れない。
その後あっけなくちーちゃんと別れた田中はアムウェイで一財産築き、会社を立ち上げるために地元に帰ったが津波で流され、生存は絶望的かと思われたが何故か身分を偽って大阪でパチスロ系Youtuberとして生計を立てているのが同級生によって発見された。
田中の家族の頼みで俺は一度だけ大阪まで田中を連れ戻しに行った。痩せ型だった田中は別人のように太って、肌は土気色だった。しかし話すことは間違いなく田中で、スロットで金を貯めてアフガニスタンに行くと言っていた。その言葉通り田中は地元へは帰らず、ペルーへ渡って交通事故で死んだ。
なあ田中。
お前は何だったんだ。台風か何かなのか。ふざけんなって。
出汁をとるほうが美味しいという経験を経て手間をかけてもその価値があると思う人は既に勝手にやってる。
本人のためにつくる料理の領域にそれをいってるならうるせーハゲだし
この方が美味しいのになぁということを啓蒙したいならブログでもやれ。よりによって増田で人を見下すとか一番遠回り。
本当に余計なお世話。うざい姑の才能がある。
あと栄養管理士は、どうせ自分が家事の料理を押し付けられるし、という、諦めとついでで選んでる人が相当多いので
家の料理は自分がやりますね、という男性が増えれば減っていくと思う。
余談だが、星付きレストランシェフが男性ばかりなのは、仕事だけしてればいい身分を伝統的にイージーに手にしてきたのが男ばかりという
我が家はいわゆる青侍の家系だ。幕府や大名ではなく、公家に仕えており、公家の使い走りや護衛をしていた身分の低い武士である。明治維新で転機を迎え、その時の当主とその息子、その孫(俺の曽祖父)の3人が頑張ったおかげでようやく曽祖父が男爵となるも秒で終戦を迎えた。
現在の我が家は別に家訓があるとか、厳しいという訳ではない。しかしなんとなく「我が家はこう」という暗黙のルールがある。
・生まれも育ちも東京だが本籍地は京都。祖父は自分のことを京都人だと思っているが一回も住んだことはない。
・姉や妹、叔母などは大学も学習院だが、元々学習院は高等科までだったため男は一般入試で国立か早慶、防大に進むべきとされている。
・大手の民間企業よりも教師、公務員、研究者、自衛官が良い進路とされている。
・俺含め男は習い事は乗馬、弓道、剣道。大昔のご先祖が身を興した地方の神事に参加するため流鏑馬も習う。
暗い話題で申し訳ない。ほかの会社の事情が知りたい。タイトルにある狂犬枠についてだ。
うちの会社は、個人や企業の○×△を扱う仕事をしているためか、特定の部署(私の部署もそう)に狂犬枠として配置されている人罪がいる。
・職場の窓口で苦情を申し出る人がいたらキレるか怒鳴るかして追い払おうとする。威圧的な言動を繰り返し、相手が帰るまでやめない。
・現場仕事ではもっと悲惨。現地で意見が対立した場合、ヤクザも顔負けの声の大きさで相手を威嚇する。脅迫的な発言もする。
・法令無視を気にしない。自分の部署のことだけを考えて動く。契約書や財務伝票は改竄するし、会議録や聞取記録でお客さんの発言を異なったものに変更する。
・出入業者にも容赦なし。相手方のSEがシステム点検に来ている状況でも大声で叱責する。何度か投書で「貴社の社員は、○○という人権侵害の発言や行動が~」みたいのがある。おそらく取引先が匿名で情報提供している。
・部下や年下社員へのセクハラパワハラ。教科書どおり過ぎて説明するまでもない。セクハラについては、飲み会帰りに若い子の手を引っ張ってホテルに連れて行こうとするなど立件レベルに近い。
週に一度は、そいつらが仲間やお客さんを怒鳴り散らす場面がある。正直、一般の部署は私達の部署への配属を「島流し」とか「懲役○年」と呼んでいる。
もちろん、まともな社員の方がずっと多いが、一部には上に挙げたような人罪がいる。
懲戒処分といった形で彼らが裁かれることはない。いや、むしろ彼らの上司(私の上司でもある)は、勤務査定では彼らに「標準」の評価をつける。直接見たことがある。
①面倒くさい人を追い払ってくれる。○×△を扱う仕事なので、クレームがしつこいことが多い。まともに相手をしていると上役の時間がどこまでも持っていかれる。その点、彼らがいると心配が少ない。上司の手を煩わせることなく仕事を減らしてくれる。
②火消し。トラブルが起きている状況においても、自社を有利にするための虚偽報告や書類改竄などは到底許されることではない。が、彼らはその役目を引き受けてくれる。上司は、彼らをやりたいようにさせておくことでトラブルに巻き込まれずに済む。
③反社対応。ここにおいてだけは、彼らは会社の役に立っている。つまり、反社と思われる連中が会社に攻撃をしかけてきた際は彼らが戦ってくれる。私達だと到底不可能な言動によって、戦ってくれるどころか殲滅までしてくれる。上役は、そんな様子を見てますます信頼を深める。
思えば、うちの会社(業種)だと狂犬枠の社員は必要悪になっている。
でも、それは果たして正しいのだろうか。上では面倒くさいお客さんや反社対応をしてくれるといったことを書いたけど、本来は人間的にまともな社員が対応すべきなのでは?と思ったりすることもある。
あなたの会社では、そういう人はいるだろうか。つまり、狂犬なんだけれども、代わりに何かで会社に貢献しているから免責、みたいな人だ。もしいたら、参考までに感想を教えてほしい。
フェミニストで左翼の友達、何でもかんでも「女性差別」と「日本批判」に繋げたがるから最近付き合いきれなくなってきた。いい子なんだけどね…
具体的には
・安倍さん亡くなったのびっくりしたね〜と軽くこぼしただけでいきなり猛烈な自民党批判を繰り広げ、挙句の果てに「国葬とか(笑)ここは安倍帝国かよ(笑)」
・SPY×FAMILY面白いよね〜アーニャ可愛いし!と言っただけで「でもアニメ版ではヨルの乳揺れが激しくなっててがち無理!」
・LINEで日常会話してただけなのに唐突にフェミ的話題を「これは有名だから知ってると思うけど〜」とぶっ込んでくる
・あまりどこの党・誰に票を入れたか言いたくない派なんだけど、聞かれて渋々答えたら「いや頭おかしいでしょ(笑)」「表現の自由ってやつね(笑)」
・一時期荒れてた月曜日のたわわは当然のように否定派だし、作品そのものを堂々と全否定
別に日本が女性差別のない素晴らしい政権に支えられた国だとは言わんけど、でも色々と行き過ぎだと思う
お金その他に一切困ったことがなくて何でも親のカードで買える身分だから、あなた自身が怒らなくていいことまで本気で怒っちゃうんだろうな、娯楽として
日本が舞台の、時代ものっぽいオリジナルの長編漫画を描きたくてずっとずっと構想を練っているんだけど、史実とフィクションとの折り合いに悩みまくって描けなくて困ってる。
架空の藩で、架空の人物だけが出てくる権力争いものにしたいんだけど、時代ものという縛りがあるので、一応は時代劇っぽいものにしないといけない。でも時代ものは言葉遣いやら髪型や服装、身分、役職とかの縛りがでるし、それだけの知識も正直俺にはない。
現代ものなら、日本のどっかの学校って多少ぼやかせるところが、時代ものだとどっかの国のどっかの時代っていうのが誤魔化せない。
鎌倉、室町、江戸、幕末…時代でファッションも文化も全然違う。
日本昔ばなしも一見テキトーな和風ファンタジーに見えるが、あれ各地の伝承が元ネタだから地名とか寺とか人物とかちゃんと実在するんよ…墓もあるしな…。
江戸時代以降は徳川さんが仕切ってるからいちいち徳川気にしないといけなくて超やりづらい…あとどんなイケメンもハゲにしないといかんのがツラい…どこまで嘘をついていいのかの加減に悩む。半端に歴史を知ってるが故にうまい嘘がつけない。
故に巷には、史実をベースにした実在の人物とキャラクターを絡ませる漫画が多いんだなぁと実感した。1からは全部はキツイ。
まあフツー、史実ベースじゃない和風ファンタジーをやる場合は、バトルものにするか、妖怪との交流ものにするかの大体二択。ファンタジーだから政治とか史実とか描かなくて済むからね。どっかで嘘つかんと。
で、俺が描きたいものはどちらでもないから参考にできる作品がなくて本当に困っている…単に知識不足で知らないだけかもしれんが。ギャグ時空なら何でもアリでいけるけども、残念ながらシリアスな感じになるからそれも難しいんだ…せ、世知辛ぇ…
あと、みんなドラクエみたいな西洋ファンタジーものには一切突っ込まないのに、和風ものになると途端に「この時代にこれはおかしい」みたいなガチな歴オタのツッコミいれてくるのなんでなん…?やめてくれ…俺にその言葉は強すぎる
時代ものは知識がないと描けないし、背景にも気を遣うから作画のカロリーが高いと聞いたことあるけど、本当にそれ
本来ならさっさと諦めたいところだが、描きたい話が設定上、どうしても時代ものじゃないと描けない話なので、知識がなくとも足掻かなければいけない。形にしたいから頑張りたい。
今のネットではオタクがオタク界隈とあんま関係ない時事ネタばかりに言及している光景をよく見かける。しかしむやみに言及しているところを見ると、それはオタクとしてのアイデンティティが希薄なのではないかと思う。なぜかというとオタクは本来自分の好きなものを追いかける存在だからだ。時事ネタばかりに言及するのは好きなものを追いかけるというオタクとしてのアイデンティティがないから、ダサい。言及せず、自分の好きなものを追いかけるのがかっこいい。これは自分の感想である。だから自分はオタクだという身分を明かした上で時事ネタに言及するのは負けだと思う。
江戸時代の何が優れていたかみたいなテーマで構成されているTogetterの記事。
今の中国がゼロコロナ政策をやってるけど、ああいう抑圧を統治のベースにおいた幕府が300年やり通したようにしか見えないんだけど、あれで優れていたって感覚をもつの?
長期にわたって身分階級に関係なく隷属させていただけじゃないのか。
宗教ガーって言う連中が最近は猛威を振るってるけど、宗教以外に社会思想が何もない時代に、それを骨抜きにされたら公家や武士から被差別民まで自発的に隷属していく人間ができあがるだけだと思うんだが。
専制政治を作り出すことに宗教思想は影響を及ぼすが、それに対抗する人々に影響を与えるのも宗教思想だと思うんだけど。
武士階級が重んじた儒教思想だって支配効率が上がるためのエッセンスだけを抽出されたもの。
大災害、大飢饉が頻発しているのに幕府政権に大ダメージを与えるような公家や武士の反乱、民衆の蜂起がないのもその証明じゃないか?
将棋は崇高な文化である。棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負だけが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味と将棋が同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこから生まれる珠玉の棋譜に魅入られたもの達が価値を見出し、やがて国が誇る文化のひとつとして昇華した。
…したはずだった。
全人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活が保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである。
世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持と努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業や市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである。
棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞の集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。
昔は新聞とテレビが国民の情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマンが専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父や父親の文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞は将棋の強い親となり、国営放送は積極的であった。そういう時代があった。
人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。
あれから随分と時が経った。新聞とテレビだけで満足する時代は終わった。家長だけが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディアと父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンやタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士の存在は、意義を問われることとなる。
新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生の放映権を売った。
どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるときは道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主が地球を侵略しに来たことによって、それは加速された。
メシアはAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革を意味していた。向上しようとするもの、必死に縋り付くもの、諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。
そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である。新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。
繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。
ひとつひとつの力は小さいが、集まれば世論をも左右するファンダムをコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。
滅ぶのはファンダムをコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。
ファンダムは集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍な発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的で倫理観のある発言ではないからだ。
文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体は一般市民の人生に必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。
将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間が存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。
将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。
身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯で誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋を棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士の存在が自分の将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。
どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダムが暴走することも、形勢を有利にはしない。
匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、
会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。
この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層や区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化だからだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)
何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい。
将棋を次の100年へ。
AmazonやAppleのアカウントだって物理カードはなくとも機能してるわけで。
そもそも、免許証や保険証で身分を証明できるという仕組みがわからない。
逆ではないか?身分や身元がはっきりした人間に運転免許を与えるべきで、免許証が身分証明に使えるのは変だ。健康保険だって勤務先や住所があって初めて加入できるわけで、保険証で身分証明は変な感じ。
免許取得や健康保険の加入で必要になる身分証明書というと、住民票だった記憶。
でも、住民登録するときって身分証明書いるんだっけ?出生届の時も住民票を移すときも身分証明書なんかいらんかったような記憶なんだけど。
ワタシがワタシである行き着く先が戸籍だとすると、住所と名前をキーとなるデータベースシステムということになり、なにそれこわい。