はてなキーワード: 資質とは
ごく単純に考えて、国の政治を担うに足る資質を持っているか、テストもせず面接もせず、ただ投票によってのみ決めるというのは狂気の沙汰としか思えない。
ニュースを見れば「なんであんなのが議員や大臣をやっているのか」と憤らざるを得ない報道の続く昨今だが、そんな輩がそこに居ることを可能としているシステムを、飽きもせず維持している我々国民にも責任がある。民主主義はイノヴェートすべきだ。
極力接触を避ける風俗嬢なんて客からしても楽しい存在ではないだろうし、
はっきり言ってあなたは風俗に向いてないとしか言いようがありません。
ポイントは「確かにあなた(若くて容姿悪くない女性)が着用した」という保証を与えることです。
偽物の跋扈で相場が落ちていますが、確かに本物だとわかればパンツだけで1万円弱になったりします。
利ざやが大きくなりますし、男性はシンプルなもののほうを好みます。
飾りがうるさいほど減点です。
色も白や薄いピンクなど。
素材もしばらく見ていれば売れ筋がわかるはずです。
パンツを1日履いて汚れを付ける(ほんとに1日は履かなくてもいいです)などはほぼ必ず要求されます。
また、確かに若くて容姿の悪くない女性が着用していると保証する為の、着用する画像や動画の交渉もしましょう。
ただし求められても顔は出す必要有りません。面倒くさくなるだけです。
うっかり発送に住所や名前など書いたりもしないこと!
ヤフオクでは基本的に禁止商品なので、モロに描くと削除されます。
「フェチさま」などのキーワードでヒットするようにしています。
商品説明でも「中古下着販売」ともろにわかるようなことはかかず、微妙な説明をします。
他の出品者を参考にすればすぐわかりますし、あとは同じもののコピペです。
つまり若くて容姿の良い女性当人であり、本当に着用した下着その他を売ってくれて、その確からしさを保証してくれて、汚したりなどのオプションも履行してくれる、
水着などもいいでしょう。(シンプルな色とデザインで、ワンピースです。ビキニはいけませんし、おしゃれなものもいけません。)
コツコツやれば生半可な昼職の倍は稼げます。
そんなチョロいなら何故みんながやらないのかと思うでしょ?
コツコツやれないからです。
商品揃えて、番号振って管理して、売れたらメールで挨拶して交渉して、料金計算して提示して、振込確認したら依頼どおりに着用して、発送して…
というのをきちんと誠実にやれる人は意外に少ない。
そこで、あなたは若くて、容姿が悪くなくて、頭が悪くなくて、真面目で、でも働けてなくて、風俗やるぐらい覚悟決まってるけど、病気になってしまう。
あなたにとっても、風俗に比べて衛生的なリスクは激減というか皆無になります。
頭が悪くない人であれば、やればやるほど効率も高まるでしょう。
ヤフオクなのか、メルカリなのか、それ以外のアダルトオークションなのか、どこが一番よく稼げるのか。
見究めていけると思います。
繰り返しになりますが、
この市場は「本物」であればお金を出したい人はいくらでもいて、供給が需要に追いついていないのです。
人口の数パーセントぐらいにふるいが掛けられてるみたいに思えるけど
建前上は四民平等で職業選択の自由があり義務教育も普及した現代では
大幅にスタート条件も対等になってるんじゃないんですか
先のエントリですでに
「そら、ある程度は血統や生育環境とか影響しますよ、でも全部じゃないでしょ」
と書いてるやん
思うに、先天的な要因や環境を突破できるかの大きな要因(全部とはいわんよ)は
いかに親がド貧乏で無学歴のDQNでも「あ、俺も大学行ったら金持ちになれるかも知れない」と
そら当然、そのような空想の余地と想像力の材料さえない閉鎖的でどん底環境
てのもあるだろうけどさ
空想する能力の有無なんて育ちに関係ない個々人の性格と資質の最たる物だと思うのだが
男女の友情は成立するかどうか。まあ、使い古された話。
男女の友情はある、ないの極論で話されることが多いよね。
そもそも、まず友情自体が成立してるかどうか疑わないのかって思う。
恋愛関係だったら、とりま肉体関係のあるなしで事実認定が可能だけど(気持ち自体は別として)
一緒に話をしたら?一緒に出掛けたら?一緒にゲームをしたら?
たぶん、人によって答えがちがうと思う。事実認定も難しい。
ここでちょっと夫の話をする。
夫は友達がいないんですよ。
でも、飲み会では中心になって話の盛り上げ役もするし、ジョークはうまいし、空気も読める。
で、聞いてみたんです、友達は?って。そしたら、友情って何?友達とか、要る?と言われたんですよ。
ああ、これは怖いなぁって思ったんですよ。人によっては、友情という概念すらない人がいるんだと。
お互いに友達を必要として、仲よくしたいと願って、相手を友達だと言いあう関係として成立しないとなると、友情ってかなり難しい。
異性の友達が必要だと思う人と、必要ないと思う人の差なんだと。
だから、異性の友人が成立するよりも、要るかどうかなんじゃないかな、みんな答えているのは。
自分が友達だと思ってる同性の関係ですら、成立してない可能性すらある。
それを考えないってことは、要るか要らないかなんだろう。
前に、相手が友達だと思ってなかったら怖いから、自分は友達がいないと答える人もいた。
これは友達だと思ってる人には失礼だなぁと感じるけど。
友達と認定するほうが、恋人という認定よりも難しいんじゃないかなぁ。と思ったり。
https://anond.hatelabo.jp/20190519202053 の続き
端的に言って、業績のない研究室にはいかない方がよい。テーマがどれだけ合っても、研究論文を発表していない人間は研究者を辞めているのと変わらない。指導者としては絶対に選んではいけない。
研究業績は概ね研究室のウェブページに載っているが、ウェブページがなかったり、更新が止まっている場合は、以下のサイトが役に立つだろう
Google Scholar:author: “hogehoge” で検索すればhogehogeさんという著者名検索ができる
Researchmap (再掲):研究者のFacebook的なやつだ。
ResearchGate:研究者のFacebook的なやつ (こちらは国際的) だ。
まず注目すべきなのは、コンスタントに論文が出ているかだ。例えば、最後に論文が出たのが10年前であれば、それがその研究者の寿命だったわけだ。分野がどれだけドンピシャでも、そのような研究者の下で研究するのは勧めない。
・業績の質を吟味する
コンスタントにその研究室から、論文が出ているなら、どのような論文が出ているのかを精査すべきだ。インパクトのある研究をしているのかというものもちろん大切なのだが、あくまで過去の研究は過去の研究だ。これまでの研究履歴を見て、その研究室があなた自身のキャリアに寄与してくれるような研究状況にあるのかを見定めることが大切だ。
例えば、「過去の研究の焼き増しを続けているだけではないのか」という点に注目しよう。残念ながら、教員が自身の大学院生時代の頃のテーマを引きずって、代わり映えのしない研究を20、30年と続けているケースは実在する。もちろん、長年の苦労の末、大発見をするというケースもあるのだろうが、大半は単に最新の研究をインプットをしなくてなって久しいだけだ。つまり、研究者として賞味期限が切れてしまっている。そういう人のところに行くと、あなたは間違いなく腐る。なぜなら、その手の教員は「新しいもの」が嫌いだからだ。なので、あなたが面白いと思って見つけた新手法や現象、アイデアを持ってきても、気の無い返事をされるだけだ。
国際誌に論文を発表するのが当たり前な分野で、和文誌の論文でのみ書いている場合、完全に赤信号だ。論外なので、その研究室で博士課程には絶対に上がってはならない。そこに進学しても大した業績もなく博士生活を終えるだろう。28歳無職爆誕の時である。
科学研究の過度の業績偏重主義自体は、これはこれで問題であるのは私も思うところだ。しかし、博士院生が育つのはやはり、研究の立案、遂行、発表、そして論文化の一連のプロセスの中にあると思う。従って「院生に業績を出させる」能力があるのは、指導者として必須の資質なのだ。
まとめると、結局は主観的な言い方になるのだが、その研究室の論文を読んで「革新的だ」「分野を前進させている」「意欲的な研究をしている」とあなた自身が感じるかどうか、再三自問した方がよいということだ。
研究論文が出ていても、それが学外の共同研究者との研究ばかりで、そこの院生の研究でない場合もあるので注意した方がよい。この状況が生じるのはやや特殊だが、「教員本人は優秀だが学生がいない」あるいは酷い場合「指導があまりできていない」といったことが考えられる。研究室のウェブページには、概ね「メンバー」の欄があり、そこには所属している学生やポスドクの名前が書いてある。彼ら/彼女らの名前が「業績」欄に載っているのかはチェックした方がよいだろう。それを見たら、概ねどれくらいのペースで各学生が論文を書いているのかも確認することができる。
細かいところだが、これも一応確認しておきたい。指導教員の年齢が定年間近の場合、修士までは受けれ入れられても博士では指導できないこともある。また、そうでなくとも、学位をとって独り立ちをした後も、元指導教員は一研究者としてもっともあなたを理解してくれる人間であるはずだ。そんなかけがえのない存在が、あとどれくらい研究の世界に残るのかは知っておいた方がよいだろう。
私の例だと、新進気鋭の研究者を選んだが、大御所を選ぶのはそれはそれで正しい。どちらが自分の合っているのかは自分で考える部分だ。結局はケースバイケースであるため、個別にきちんと候補研究室を吟味した方がよいのだが、一般論としては
メリット:
大御所研究室の場合、上記のメリットとデメリットを反転させて考えればよい。
最後に、ここまで注意深く研究室を選んでも、失敗することは十分にありうる。
そういうときはどうすべきか。答えは一つ、すぐにでも脱出してほしい。
脱出先は、就職活動でもいいし、研究を諦めたくなければ他の大学院を受け直すのでも構わないと思う。
劣悪な研究室に長く滞在すると、人はゾンビ化する。学会に行けば、ゾンビ化した院生は必ずいるので、研究者諸氏には実感があると思う。
といった特徴がある。
・あの手この手で止めてくる
劣悪な研究室では「ここで逃げても何も得られないよ」「ここでダメならどこにいってもダメ」「とにかく手を動かせばいつかは報われるよ」「未来のことは考えるな、目の前のことに集中しろ」と、さながらブラック企業の上司のようなセリフを吐いてくるらしい。
当然、全力で無視した方がよい。
「あれ?私ゾンビ化している!?」と自分で気づくことができるのは稀だ。大抵、他の大学院の人間と会話する中で「もしかして、今の状況はおかしいのかもしれない」と感じる。
従って、他大学の人間と繋がりを持っておくのはとても重要だ。悪い教員は外との交流を持たせたがらない傾向がある。学会での懇親会や、研究会には積極的に出よう。それならば、教員としても止めようがない。とにかく、サードオピニオンを得る機会を作ろう。
随分長くなってしまったが、これで終わりだ。
この記事で読んで、良い指導者に巡り会える人が一人でも増えたら嬉しく思う。それと同時に、全ての研究室の健全化が進み、このような記事が不要になる未来を願う。
「ストレングス ファインダー」とは、30分ぐらい質問に答えていくとあなたの強みがわかりますよというサービスだ。(ISPに近い)
2000円ぐらいの本を買うとネットで受けられる。
イケハヤや他のネット口コミでもこれは当たっていると話題になっていたのでやってみた。
結果だけど簡略化すると次の通りではないかと・・
Q1:あなたはAとBどちらが当てはまるタイプだと思いますか? → A
Q3:BとCだと、どちらが適切だと思いますか → B
↓
分析:
回答者:
例えば、本人はリーダーシップあると思っているけど周りはそう評価していない人がいるとすると、このテストはあたなはリーダーシップの資質がありますと出ると思う。
好きなものに対する拘りは人によって違う。
ある人は知識が豊富だったり、ある人はモノを集めたり、ある人は独特なアプローチを図る。
それでも言えるとするならば、関心のない人よりも見えている景色が違うのは確かだってこと。
だけど“恋は盲目”って言葉があるように、好きであればあるほど物事は不鮮明に映りやすい。
その時、どういった姿勢が問われるか。
誰が、誰を、どのように問うのか。
「卒業」って言葉を聞くと、俺たちみたいな生徒は学校のことを連想するだろう。
だけど、その他のシチュエーションで使われるケースだってある。
例えばアイドル。
「はあ~」
「カン先輩、溜め息をつくなら、せめてペースを落としてくれませんか」
「そりゃ、無理な相談やでマスダ。むしろ溜め息で済んでるのを感謝すべきや」
応援していたアイドルが数週間前に卒業して、未だそのショックを引きずっている。
黙々と作業をしている時にふと思い出してしまい、それらが二酸化炭素として排出されるメカニズムらしい。
「ワイらのアメ子ちゃんが卒業……普通の女の子に戻ってもうた」
“ワイら”ってことは複数人の共有物なのか、“普通の女の子”って何を基準に言ってるのか。
“卒業”って言ってるが、要は“引退”の言い換えだとしか思えない。
俺がその界隈について詳しくないからかもしれないが、カン先輩の言動には疑問符が溢れ出てくる。
「気になったんですけど、なんでアイドルが辞めることを“卒業”って言うんです?」
「ああ?……そりゃあ、“辞める”とか言ったらバツが悪いからや」
「……マスダ、その聞き方、めっちゃ腹立つわ」
こんな感じで、卒業ってのは学校のそれとは違い漠然としている。
次のスタートへ向かうために設けられている、定められた一つのゴールだ。
環境の変化に未練こそ感じても、基本的には前向きに進むものとして存在する。
後ろ向きのまま歩いたんじゃあ、危なっかしくて進めない。
そう認識している俺にとって、他のケースで使われる“卒業”という言葉はどうも計りかねた。
趣味などをやめるのも卒業って呼ばれるが、あれも漠然としている。
そのせいで人々はいつ卒業するのか、そもそもすべきなのかすら分からない。
いや、そもそも卒業って表現が不適当なのだから、留年生と呼ぶべきではないかもしれないが。
それでも、あえて“留年生”と呼ぶのなら、その人達はいつまで“趣味という名の学校”にいられるのだろうか。
とあるアニメが地上の波を漂う時、一人の留年生はその資質を問われることになる。
ちなみにカン先輩のことじゃない。
スポーツ仲裁裁判所(CAS)は1日、五輪の陸上女子800メートルで金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ(28、南アフリカ)の、男性ホルモンの値の高い女子選手の出場資格を制限する新規定撤回を求める訴えを退けた。
第1に、(おそらく)スポーツの世界で男女を分けることは差別ではないということ。
男女平等が重要な価値とされている現代で、なぜスポーツだけは男女が競わないのか。いうまでもなく男女の間に無視できない生まれながらの体力の差があるからです。上半身の強さに関して女性と男性の差は標準偏差が3です。つまり街で1000人の男性を無作為抽出した場合、998人は平均的な女性よりも強い上半身を持っています。平均的な男性の上半身の筋力は女性よりも80%多く、足の筋肉量の差は50%です。男性は女性よりも脂肪が少なく、骨密度が高く、持久力や痛みに耐えるために重要な赤血球も多い。女性は男性よりも骨盤の幅が広いため、脚の付け根から膝までの角度が男性よりも大きくなります。そのため走ったりジャンプしたりする場合に使われるエネルギーが地面に垂直に伝わらず、前進、上昇のためのエネルギー効率が悪くなります。男女差は上半身を使った競技、瞬発力を要する競技で大きく、それ以外ではより小さい傾向があります。具体的にいうと格闘技、投擲系で極めて大きく、跳躍系で大きく、走る競技でより小さく(なお走る競技は20メートル以上なら瞬発力のみではダメです)、もっとも小さな競技は長距離の競泳です(ある程度の脂肪が浮力の点で、丸みのある身体が抵抗の点で、広い骨盤が接水面積の点で、多少のアドバンテージになっているのでしょう。)。ハンマー投げの世界記録の男女差はハンマーの重量を考慮すると51%差がありますが、走り幅跳びでは19%、ほとんどのランニング種目で11%、水泳800メートル自由形では6%です。世界のトップ女性アスリートでも、記録はおおむね日本の中学男子のトップクラスと同レベルです。吉田沙保里も男子高校生と対戦したらあっという間にフォール負けでしょう。「そもそもスポーツで男女をわけること自体が差別である」という意見もあるのかも知れませんが、もしも男女でわけなければ、およそ半分の人は、女性として生まれた瞬間にアスリートになる道を事実上絶たれることになります。
第2に、テストステロンには明確な男女差があり、かつテストステロンの値がスポーツのパフォーマンスに影響を与えるということ。
95%が睾丸で作られるテストステロンのレベルは連続スペクトルにならず、女性が分泌するテストステロンは血液1デシベルリットルあたり75ナノグラム以下で、男性は240から1200ナノグラム(つまり男性の下限値は女性の上限値よりも200%以上も高い)、例外的に副腎等から高レベルのテストステロンを分泌している女性トップアスリートでもそのレベルは一般男性の下限に達しない程度であるとされています。また、スポーツのパフォーマンスの複雑さゆえにテストステロンがアスリートに与える影響を正確に説明できる科学者はいないものの、テストステロン値が影響を与えること自体はおそらく確実です。テストステロンレベルを下げて身体を女性に変えるホルモン療法を始めたアスリートのパフォーマンスが短期間で急激に落ちることが確認されています。テストステロンの人為的な投与は、典型的なドーピングの一種です。
第3に、第1、第2とやや矛盾するが、男女の差は実は相対的なものであるということ。
受精の際に性染色体がXYとなるかXXとなるか。XYなら男性、XXなら女性だが、これは遺伝的な性であって、性別はそれだけでは決まりません。胎齢4~5週で性腺が卵巣になるか精巣になるか。Y染色体があってもSRY遺伝子がなければ、あっても働かなければ卵巣が作られるし、Y染色体がなくても遺伝情報の特殊性で精巣が作られる場合がある。胎齢6~7週でミュラー管が卵管や子宮、膣になるか、ウォルフ管が精管、精嚢、前立腺になるか。精巣が作られてもミュラー管抑制因子がなければ子宮や膣が作られるし、テストステロンの分泌がなければウォルフ管が精管や精嚢に発展しない。外性器が陰核や陰唇、陰茎や陰嚢のどちらになるか。胎齢8週間まではどちらにも分化できるが、テストステロンが働かなければ陰茎や陰嚢は作られない。脳の性中枢がどちらになるか。胎生90日頃までテストステロンが少ないと視床下部は女性と認識する。それ以前の過程が女性でもテストステロンが過剰であれば男性と認識する。すべての過程で「男並みに」テストステロンが分泌されていてもアンドロゲン不応症ならそれが性分化のために働かない。さらに生まれてから男の子として育てられるのか、女の子として育てられるのか。親の教育方針や環境の問題ですね。男性と女性は確かに違うけど、偶然に左右されつつ、これだけ複雑な過程を経て分化していく。「女子と男子は違う」「テストステロン値は連続にならない」のは事実だけど、それだけで男女の差が説明できるものではないし、そもそも男女の差はそれ自体が相対的なものに過ぎないとも言える。だから「トランスジェンダー」と呼ばれる人がいるわけです。
第4に、これまた第1、第2の点を混ぜっ返すことになるが、生まれもった素質によりある種の公平さが失われるというのであれば、スポーツは多かれ少なかれそういうものであるということ。
女子であっても身長が180㎝以上に伸びなければリベロになる場合を除き世界的なバレーボール選手としての未来はほぼなくなります。陸上トラック競技も五輪や世陸の決勝のスタートラインをみれば、ほとんどの種目で人種的な特質が程度の差こそあれ影響しているのは否定できません。モンゴロイドがトラック種目で金メダルを取るのは不可能とまでは言えないけれども相当に難しいでしょう。将来にわたってピグミー出身のNBA選手は生まれそうにない。さらに障がいがあればほとんどの競技で障がいのない人とは競えません。
以上すべてを踏まえて、今度のCASの決定をどうとらえるか。そもそもIAAFは正面切って「セメンヤ選手を標的にした」とは公言しないが、「400メートルから1マイルまでの距離」というターゲットからは、800メートルで「絶対女王」に君臨し、最近は1500メートルにも進出してきた彼女を想定していることは誰の目にも明らかなので、彼女を例に考えてみます。
一部の報道が正しければ、セメンヤ選手は、遺伝子はXXで、膣があるが、卵巣と子宮を持たずに精巣を持ち、通常の女性の3倍-平均的な男性の下限レベル-のテストステロンを分泌し、パートナーは女性です。彼女の持って生まれた一般の女性と異なる「男性に近い」特質が、競技者としてのアドバンテージになっていることはほぼ確実で、勝利をめざして彼女と競う他の競技者が不公平感を覚えるのは、理解できます。かつて彼女と競うことに不満を漏らした選手は世間から強い批判を受けましたが、例えばセメンヤ選手が、陸上800mの選手ではなく、ボクシングやMMAの選手だったらどうでしょう。同じ体重であっても圧倒的な体格を持つ女性が、典型的な女性選手を滅多打ちにしてノックアウトする凄惨なシーンが展開されればどうでしょう。強い選手だと喝采するどころか、感情的にはなかなか受け入れられない部分があると思います。
しかしながら、上記のとおり、生まれもった素質によりある種の公平さが失われるというのであれば、スポーツは多かれ少なかれそういうものです。とすると、いずれの性に分類するかの前に-セメンヤ選手はもしも男子の競技に参加すれば五輪の参加標準に遠く及びません。日本の高校生に混じってインターハイの決勝に残れるかどうか微妙、というレベルです-セメンヤ選手のみが生来の体質ゆえに希望する競技に参加できないというのは避けなければなりません。
スポーツは勝負事です。勝利を、記録の向上をめざさないスポーツは、スポーツの重要部分を欠いています。だがスポーツには公平さという価値があります。勝ちさえすればよい、記録がよければよいといわんばかりに、競争における公平な条件を無視する人も、優れたアスリートではありません。そしてスポーツは社会的な存在です。勝負と記録にこだわり、競技における公平さを追及するあまり、プライバシーの尊重や人種差別の禁止、個人の尊厳といった社会で認められた価値を軽視し、限られた人にのみ開かれ、あるいは一部の人の人権を傷つけるのも、正しいスポーツのあり方ではない。
ジャッキー・ロビンソンが人種の壁を打ち破る前のMLBのように、かつてスポーツには有色人種を閉め出した時代がありました。特定の種目について女子ゆえに参加を禁止された時代がありました。でも現在はこういう扱いはありえません。「黒人と競わされるなんて不公平だ」「女はこの競技をするな」などという発言は許されない。セメンヤ選手のような事例をどう受け入れていくのか、競技団体のみの判断ではなく、社会が彼女のような人をどう受け入れていくのかという問題として考えなければならない。
いろいろ考えるべきことは尽きないし、悩ましい問題で、今後考えが変わらないとも断言できないのですが、私はやはりセメンヤ選手は「女」として競技に参加すべきと思います。それは人は持って生まれた資質に規定されつつ自認する「性」で自己実現を図るべき権利があり、その権利を尊重することは、個人の尊厳としてこの社会においてもっとも重要な原理だからです。IAAFの決定、CASの裁定には賛成できません。
codingalone 良いまとめをありがとうございます。過渡期って感じあるよね
ありがとうございます。陸上中距離大好き、女子陸上も大好きのヘテロ男性です。自分も10年前なら鼻で笑っていたかも知れません。今でも悩んでいます。
追記2
「これは世界に喚起を促すための闘いで、競技やスポーツの枠を超えたもの。人間の尊厳と誇りの問題で、世界に喚起を促すためにやるべきこと」
今日これ↓がバズってるのを見て、
短編描いてほしい作家っているよなーと思って。
妹の姉 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821
個人的には葦原大介だけど、
復帰してワートリ描いてくれているだけでありがてえので10年後とかに描いてくれればいいや。
ジャンプ作家だと久保帯人は本人の好みとは別に、商業的リスクを度外視すれば短編量産系の方が資質にあってそうな気がする。
読みたい。
太田モアレにも描いて欲しい。というか未収録短編電書でバラ売りしてくれ。
椎名高志は絶チル終わったら何編か描いてくれると勝手に信じている。
サンデー系だと田辺イエロウはもっと短編が読みたい。バードメン超面白いけど。
海街終わったから吉田秋生は描いてくれるだろうか。
オチが無いが、きりが無いのでやめる。ブクマカの希望も教えてくれ。
あ、水上悟志は勝手に短編量産してどれも平均点以上でかつ必ず本にまとめてくれる短編漫画界の神なので、
特に要求することはありません。
追記。そこそこブクマ集まってて嬉しい。
こういうの投げると情報が集まってきて大変ありがたい。
短編が商売になる方法を誰か考えてくれないものかな。
短編の多くが「就職活動」なのはちょっとさみしいんだわ。
お話の終わりって、長編だと10冊、下手すると50冊とか読んで一回だけど、短編集なら5回とか読める。大長編もいいけどさ、話の終わりのところの余韻みたいなのがさ、好きなんだよね。
あげくに短編一つ一つを解説したりされるとそれはもう大変喜びます。
あと、「ごん、お前こんな引き出しもあったのか」みたいなのすっげえワクワクするし。
あと、その短い話のために世界が開陳されキャラクターが説明されて風呂敷がたたまれていくおさまりの良さとか、逆に一気に駆け抜ける感じとかさ
(ブコメでも出てた藤田和日郎はスプリンター型のような気がする。だから、うしとらがド傑作なのは認めた上で、「邪眼は月輪に飛ぶ」が一番好きだ)。
高橋留美子は2年弱前にサンデーにのったやつ(千年の無心)が異常に読みやすくてびっくりしたなあ。なんであんなに読みやすいの留美子。上司の犬の話とかも好きよ。
うん、島本先生のワンダービットはマジ最高ですよね。アオイホノオ後の島本先生がSF短編描いたらどうなるかは結構興味ある。
ってそうじゃなくて一人上げ忘れてたのを追記しにきたんすよ。中島諭宇樹。トルネードジャンクションもいいけどクオンタム・ツインがなんてことないSFラブコメなんだけどキャラが初々しいくて好きでな。ソウラ終わったら読切描いて欲しい。あと、ソウラの最終巻が出るタイミングに合わせて短編集を……その……出していただけないものでしょうか。天上都市もガロンもホライズン エクスプレスも読めてないんすよお願いよ集英社さん。
boichiの「HOTEL」は気になってはいたのでこの機会に読んでみますわ。
子供の時は、後を継ぐのは別に長男じゃなくてもいいではないかと思っていた。
兄弟の中で天皇になれる力量や資質のある一人を選べばいいじゃないか、と純粋に考えていた。
しかし、天皇崩御や退位の度に後継者を決めるのは簡単なことではなく、それは権力闘争と同じなのだ。
権力闘争を起こさないために、長男が即位する原則を最初から定めているということだ。
応仁の乱がなぜ起きたかを調べているのであるが、将軍家の後継者争いは「戦争」に発展するということ。
もし天皇の後継者を誰にするかを任意で決める制度だったから、退位するごとに戦争が起こっていたはず。
実際にそれをやらかそうとして朝廷を分裂させた天皇もいた(後○醐天皇とか)。