2023-08-19

地方に本当に人が住んでるんだと知って衝撃だった話

東京で産まれて、両親も東京まれの家庭で育った。

とはいえ地元はどこかと聞かれるといくつか家があったか微妙だ。

西麻布の家で過ごすことが一番長かったが、三番町清里にも愛着がある。

 

幼稚舎から大学までエスカレーターで進んだ。

同級生は当然全員が東京近郊の居住者だ。

たまに地方豪族の息子みたいなやつがいたが、そいつも結局こちらに家があり、母親なり誰かと東京に住んでいるので、地方人間であるという認識はなかった。

 

経歴を言うと「同級生大金持ちばかりでしょう」と言われるが、普通サラリーマンの息子で車はトヨタです、みたいな連中も大勢いた。

から貧乏人への耐性はついていた。

飛行機ビジネスファーストクラスであり、百貨店は行くものではなく来るものであり(幼稚園までミツコシさんとは家にたまに来るオッサンのことだと思っていた)、車は複数台あって運転手がいる、というのが異常であって、

普通は家は1つだし、中華を食うためだけに上海には行かないし、金を理由にやりたいことや買いたいものを諦めることがある、という”社会常識”はあった。

 

大学生で、初めて地方出身者と友達になるという経験をした。

いままでテレビ雑誌の中でしか知らなかった地方出身者という生き物に出会ったのだ。

当然、塾高時代までにも習い事教師地方出身はいただろうし、旅行にも行っていたか地方人と顔は合わせたりしていた訳だが、彼ら彼女らの地元の話をする訳じゃないし、したとしてもマスメディア情報と大差ない話しかしない。

三英傑を馬鹿にしてマジギレされるのも、どこから見た富士山が一番かという話でケンカになるのも、それが初めてだった。

とはいえそいつらも東京に出てきており東京ナイズされている訳で、そいつらが一人暮らししている家は東京神奈川にあった。

から地方人というよりかは、地方にいたけれど東京のやつという印象のほうが強い。

 

そして、大学卒業して、一般企業就職して近畿とある部署に配属となった。

配属先の人員本社採用は2割程度で、残りは現地採用だ。

そこで初め地方に「住んでいる人」という生き物と本格的に交流するようになった。

歓迎会では新卒は俺しかおらず、関係部署だけ集まってこじんまりと開催された。みな暖かく迎えてくれて優しかった。

だが、会が進むにつれ、話の内容は地元の誰それ(自分たち会社ではなく地元で有名らしいやつ)が捕まっただの、会社を立ち上げただの、

あるいは、東京に住んだことあるけれどやっぱり地元が一番だとか、地元選挙区議員がスゴいやつだ、俺はそいつ当選させただとか...

テレビでは見られなかった地方に住んでる人の生の会話を聞いて、そこで生まれて初めて「あぁ、地方にも本当に人は住んでいるんだ。ファンタジーではないのだ」と実感した。

その衝撃は、幼稚舎のときに遊びに行った友達の100平米のマンションで感じた「狭っ!」というショックよりも大きかった。

  • これは本当増

  • 大学、就職と成長するにつれて、より低ランクと付き合わざるを得なくなったわけやな

  • こういう人って外国に人が住んでるのをどう認識してるんだろ

  • キミそれ何回ゆうとんのや

  • 外の世界を初めて知って衝撃を受けるという点では はじめて上京した地方出身者と何ら変わらないな

  • 今日は何となく開いたYoutubeで東日本大震災の津波の動画が表示されたのを起に 津波の動画や震災の動画を長いこと見てたんだが、被災地にも人の営みがあってそれが失われたんだなぁと...

  • 自分はただのハイスペ庶民だけど、平均年収500万いかなくて国民の生活が苦しい、みたいな話聞いてると、アフリカの恵まれない子供の話を聞いてる時と同じ脳の部分で処理されてる感...

    • アフリカの都市部は意外と街でみんなスマホ持ってたりで元増田みたいな気分になる

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